古事記と不一致な点があるのはなんなんだろう?

古事記の製作が日本書紀より古い
という記録(古事記自身以外の)が無いものの、
あきらかに日本書紀より古い表現があるし
後世のデッチアゲとも思えない

かと言って、日本書紀が古事記を参照してたなら
もっと一致してそうにも思う
(あるいは意図的に無視してる?)

神道派が古事記好きで、
仏教派が日本書紀好きな傾向もありそうだ

ようは古事記には仏教が出てこず
(守屋とか神道派が悪役にされるシーンもない)
日本書紀には仏教伝来が出て来る頃から
むしろ神道派が悪しざまに描かれるようになる

ちょうどそのあたりの分岐点あたりで
古事記の記述が駆け足になって
推古天皇を最後に終わるんだよね

……もしかして、そこらの宗教観が
両書のちがいと関係あるのかな?
たとえば古事記は神道派がかかわってるとか?