日本書紀が嘘っぱちだとすれば、雄略や武烈といった極悪非道な天皇をわざわざ捏造ででっちあげるという
不敬極まりないことを、当時の編集陣が、国ぐるみでやったことになる

これはやはり、少なくとも編集時点で史実だと信じられてたことを、そのまま書いたものだと思う
そうでなければ、異説のある部分について「一書曰」とことわって、いちいちその異説を列挙したりしない
初期天皇の異常な長命も、磐長姫の逸話と矛盾するわけだが、それを取り繕うこともなくそのまま書いている
それは、日本書紀の編集時点で、そのような矛盾した状態で伝わっていたからこそだろう
聖徳太子は遣隋使を派遣したはずなのに、日本書紀には「大唐」に派遣したと記載されているが
それも、日本書紀の編集時点で、そう伝わっていたから、そのまま書いたのだと思う

ちなみに、この2点、初期天皇の長命と、聖徳太子の遣唐の問題は、2倍年暦を想定すれば、みごとに解決する
https://blogs.yahoo.co.jp/jk2hri2/11628573.html
この「第18表」のように、西暦692年の改暦以前は、いまの半年で1年とカウントしていたと考えて、
年干支をあてはめれば、日本書紀の編集陣が解決できずにそのまま書くしかなかった矛盾点は、ほぼ解消する