>>648
日本書紀の記述を信じたとしても、それは「日本書紀を編纂した当時そのように信じられていた」ことを信じるだけのことであって、皇紀2600年をそのまま事実だと信じるとは限らない
>>556のような経緯で当時そのように伝わってるが、じつはその背後には>>557のようなことがあったのであり、その結果皇紀2600年が当時あたかも事実であるかのように信じられただけ
であって、実際には今年は皇紀1643年だ、と考えるのが>>557に挙がってるスレでの考察だ



ちなみに蛇足かもしれんが、そのスレには、天孫降臨179万年云々についても、同じように当時実際にそのように信じられていたものとして、そのカラクリを考察したこのような書き込みがある

125 日本@名無史さん 2018/01/11(木) 18:12:58.97
なるほどグレゴリオ暦377年3月12日が、神武即位の日付か。

日本書紀によると、太歳甲寅年の10月5日、磐余彦は兄の五瀬命らと船で東征に出て云々とあるから、これは西暦373年の、旧暦12月20日あたりってことになるな。
>>116をもとにすれば旧暦12月20日ジャストのはずだが、>>116は中国の暦を機械的に半年暦にしたものだから、中国と交流するようになって以降採用されたものだろう。
グレゴリオ暦に直すと、374年1月20日あたり。

で、この日が「天祖ニニギが天降って179万2470余年になる」日だというのは、おそらくは「辛酉革命」を念頭に冗談で言われてた年数が、その後由来が散逸して、
数字だけ後世に伝わって日本書紀に残されたのだと思う。
要するに「天孫降臨以降の御代は毎日が革命だから、1日あたり60年の価値がある」ってことだ。
179万2470を60で割ると29874.5だから、天孫降臨の日はグレゴリオ暦374年1月20日から数えて29874.5日前。
グレゴリオ暦292年4月5日頃だ。端数の0.5は、たぶん天孫降臨がその日の未明で、東征が昼間出発だったんだろう。

ということは、この日に天照大神の孫である瓊瓊杵尊が天孫降臨してるわけだから、天照大神が生きていたのはその2世代前。
邪馬台国の女王卑弥呼とぴったり一致する。これは偶然ではないだろう。