国津神嫡流の諏訪氏について語る
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0001日本@名無史さん
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2012/09/23(日) 13:16:24.54
天皇家とは天照大神から続く「天津神」の子孫の嫡流である

では「天津神」の対極の存在である「国津神」の嫡流の子孫はどこか?
答は素戔嗚尊―大国主命―健御名方命と続く「諏訪家」である

諏訪家の男系は維持されているのかというと、諏訪大社の大祝家は断絶、大名家も女系になってしまっている
0002日本@名無史さん
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2012/09/23(日) 13:20:20.71
高島藩主の諏訪家からはいくつか分家し旗本として幕末まで存続していたはずです
0003日本@名無史さん
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2012/09/23(日) 19:12:54.96
天皇家の対極が諏訪家とはあまり知られてないな
天津神と国津神を知ってる日本人なんてどれくらいいるのだろうか・・・
0004日本@名無史さん
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2012/09/23(日) 19:58:55.82

オレの知人にも諏訪氏の末裔がいるが、彼の実家(諏訪湖のほとりの岡谷市)近辺では、
そんな家はざらにいて珍しくも何ともないらしい。
彼の家は一応男系でつながっているらしいが、女系を含めたら諏訪湖の周りに昔から住んでいる
家は大半諏訪氏や守屋氏の子孫じゃないか?と言っていた。
0005日本@名無史さん
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2012/09/24(月) 01:02:28.03
日本総鎮守。伊予一宮、大三島鎮座の大山祗神社の大祝家は素戔嗚尊の神裔(家系図を宝物館で公開)。
0006日本@名無史さん
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2012/09/24(月) 06:33:39.64
>>4
そりゃざらにいて当然
源氏や平氏の子孫を称する家なんか膨大な数に上るが、みんな天皇家から別れたものだし
ましてや天皇家並みに歴史のある家系なら子孫も膨大でしょう
0007日本@名無史さん
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2012/09/24(月) 06:43:29.14
このスレでは諏訪氏の嫡流について語りたいと思います
皇室の男系議論同様、その対極の存在たる諏訪家にもそういったものがあって良いのではないでしょうか
0008日本@名無史さん
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2012/09/24(月) 06:51:48.03
諏訪氏は江戸時代に信濃高島藩主家と諏訪大社の大祝家(諏方家と表示)に別れました

藩主家は江戸時代後期に忠粛ー忠恕ー忠誠ー忠礼ー忠誠(再承)
と続きましたが忠誠に男子がなく忠元を溝口家より婿養子に迎え
その後も度々婿養子の当主が続きながら明治時代に子爵になっています
0009日本@名無史さん
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2012/09/24(月) 08:12:10.92
弥生時代末期の北部九州、博多。
漢委奴国王(スサノオ)が建国し、帥升(大国主)と続いた倭(和)の奴国も、跡継ぎを巡る「大乱」により卑弥呼(アマテラス)の
邪馬台国に国を譲る。これを不服とした卑弥弓呼の狗奴国と交戦状態になり、「和」国は分裂。卑弥呼はその最中に急死する。

【分裂した「和」国】
奴国(長崎/佐賀)邪馬台国(福岡/大分)
狗奴国(熊本)─┼─投馬国(宮崎)日向→神武東征≡瀬戸内海⊇≡「大和」
....................隅国(鹿児島)

卑弥呼の跡を継いだ筑紫邪馬台国♀女王「台与」は日向投馬国王♂を婿として迎えた後、薩摩隅国(隼人)との三つ巴で
肥後狗奴国 (後の熊襲)を滅ぼし、「和」国を再統一する。
神武は男系祖先の本拠地・投馬国(日向)から船出し、首都を博多から大和へ東遷。「大王」に即位し、「大和」朝廷を樹立した。

※記紀が投馬国の祖であるイザナギ・イザナミを漢委奴国王(スサノオ)の両親、台与の伯母・卑弥呼(アマテラス)をその姉としたのは、
(投馬国王と台与の末裔である)大王家の系図操作。漢委奴国王(スサノオ)と帥升(大国主)は建国の功績を消され出雲に祀られる。

-大和朝廷における、♂投馬国(日向)系大王と♀邪馬台国(筑紫)系大王の(それぞれの男系が途絶えたことによる)政権交代

【前期古墳】…イリ三輪(銅鏡)王朝(神武〜仲哀)=♂投馬(日向)系大王
【中期古墳】…ワケ河内(鉄剣騎馬)王朝(応神〜武烈)=♀邪馬台(筑紫)系大王(朝鮮半島へ軍事介入で王権強大化)
【後期古墳】…近江王朝(※継体〜天智〜桓武〜現在)=♂投馬(日向)系大王

-継体・安閑・宣化=日向系大王。継体の大王即位が筑紫系皇族の抵抗で大幅遅延→「筑紫君磐井の乱」を誘発
-欽明〜皇極(斉明)=筑紫系大王。筑紫系大臣、蘇我氏による日向系皇族大弾圧→「乙巳の変」へ
-天智・弘文=日向系大王。「白村江の戦い」惨敗で朝鮮半島権益を完全喪失→「壬申の乱」へ
-天武〜考謙(称徳)=筑紫系「天皇」。両系和解の記紀編纂(日向系イリ三輪王朝の活躍>筑紫系ワケ河内王朝の活躍)
-光仁・桓武〜現代=日向系天皇。筑紫系天皇の平城京から本拠地・近江(琵琶湖)近くの平安京に遷都
0010日本@名無史さん
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2012/09/24(月) 12:41:56.91
諏訪氏系図

大国主命―健御名方命―伊豆早雄命―片倉辺命―恵奈武耳命―水隈命―盛麿―
豊麿―繁魚―清主―【諏訪】有員―武方―為員―有盛―盛長―員頼―頼平―
有信―為信―為貞―敦貞―貞方―貞光―敦光―敦忠―盛信―盛重―頼重―時継―信嗣―信有―有継―
信満―政満―頼満―満隣―頼忠

―頼水(藩主)

―頼弘 (大祝)



http://www2.harimaya.com/sengoku/html/suwa_k.html
0011日本@名無史さん
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2012/09/24(月) 12:57:57.91
大名家と大祝家はどちらが嫡流だったのかな?
0012日本@名無史さん
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2012/09/24(月) 19:17:54.87
大国主命の子供は181人いたというが嫡男は健御名方命なのかね?
0014日本@名無史さん
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2012/09/25(火) 06:32:33.20
じゃあ事代主の子孫っているの?
0016日本@名無史さん
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2012/09/25(火) 17:24:58.19
三輪氏は元々大和にいた出雲族とは無関係の一族だろう
0017日本@名無史さん
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2012/09/25(火) 20:52:29.98
やはり国津神の嫡流は神氏である諏訪家だな
0018日本@名無史さん
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2012/09/25(火) 20:59:49.18
しかし三輪山を御神体とする大神神社の祭神の大物主は大国主命の「幸魂(さきみたま)奇魂(くしみたま)」
あるいは「和魂(にきみたま)」とされ、三輪は出雲と関係ある事になっている。
0019日本@名無史さん
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2012/09/26(水) 08:07:15.46
三輪氏も諏訪氏も姓は「神」なんだっけ?

神朝臣諏訪忠恕みたいな
0020日本@名無史さん
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2012/09/26(水) 15:53:21.29
三輪氏は事代主が祖じゃないよ
大国主命系で第一は諏訪氏
0021日本@名無史さん
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2012/09/26(水) 23:47:31.56
素戔嗚尊の嫡流が諏訪氏
0022日本@名無史さん
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2012/09/27(木) 08:01:29.56
>>16
出雲なんざ山に囲まれた辺境だ

大部分の出雲族とされている神々は、国譲りの際に大和の支配していた天津神以外の神を出雲系と同一視、習合した結果生まれた物
0023日本@名無史さん
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2012/09/27(木) 11:32:48.27
吉野祐子の『蛇』がおもしろかったな
どちらかというと民俗学的アプローチだったが、三輪、諏訪に共通する部分も知った
0024日本@名無史さん
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2012/09/27(木) 12:33:26.91
>>22
むしろ大和こそ山々に囲まれていて、大陸からも離れた辺境の地だったんじゃないかな
0025日本@名無史さん
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2012/09/27(木) 21:20:21.82
大国主命は全国各地の神様が同一視されて出雲のオリジナルに合わされたもの
三輪氏の祖とされる神様もそうしたものじゃないかな

そういう意味では諏訪氏はオリジナルの直系なんだよね
0026日本@名無史さん
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2012/09/27(木) 22:03:22.85
江戸時代の諏訪氏の系図ってどこかに残っていないのかな?
0027日本@名無史さん
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2012/09/28(金) 00:06:43.10
ところが、当の諏訪では、地元民の誰もが認めたネイティブの長は、神長官守矢氏であって、
大祝氏(諏訪氏)は、後になって、どっかからやって来た外様扱いというw

甲信以東では、国津神は土着勢力じゃなくて、明らかな後発の征服者なんだよね。
諏訪の恐るべきところは、この「真正の土着勢」が、氏族として近代まで残っていたこと。
0028日本@名無史さん
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2012/09/28(金) 00:23:00.81
武蔵四宮・秩父神社の禰宜は守屋通夫さんという人。

諏訪の流れかね?
0029日本@名無史さん
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2012/09/28(金) 01:17:46.39
>>27
護りに易く、攻めに難い山国信濃たればこその現象だな
人の流動性も非常に低く、時が停まったかのように何も変わらない
0030日本@名無史さん
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2012/09/28(金) 22:39:33.77
先住民の洩矢神が鉄の輪を持ち、侵攻してきた健御名方命が藤の蔦で戦った
という古事記とは違う伝承が残っているんだよね

その後、諏訪氏と守屋氏が共存して諏訪大社を支えたというのも興味深い
0031日本@名無史さん
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2012/09/28(金) 22:54:22.31
健御名方命は、諏訪に閉じ込められた。
であるならば、逃げ出さないように見張りが必要となる。
辰野の小野氏がそうなのか?
0032日本@名無史さん
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2012/09/29(土) 06:06:58.18
大神姓三輪氏が嫡流だよ。

神=ミワ=三輪

苗字と本姓が共にミワ(神)なんだし。

そもそも、朝廷が嫡流と認めているのが
諏訪氏ではなく三輪氏の方
0033日本@名無史さん
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2012/09/29(土) 07:15:19.18
朝廷が嫡流と認めているというソースは?

あと三輪氏が嫡流って何の嫡流?神姓の?
0034日本@名無史さん
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2012/09/29(土) 14:48:30.97
神姓の嫡流ってことじゃないか?
確かに、俺の地元でも神姓の古代氏族がいたんだけど
太田田根子を祖にしていたから大和の大神氏一族だわ
諏訪の神氏の一族は少ないけど
大和の大神氏の一族は全国各地にいるからな
諏訪なんかとは別格なんだわ

さらに言えば、大和の神氏は公式に神姓を名乗れたけど
諏訪は公式には金刺氏と名乗ったじゃん

格が違うんだよ
0035日本@名無史さん
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2012/09/29(土) 18:34:30.87
守矢家もまだ続いてるよね
0036日本@名無史さん
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2012/09/29(土) 22:14:52.35
建御名方神の長男と洩矢神の長女の間に生まれた子が諏訪氏の祖先
洩矢神の長男が守矢氏の祖先
守矢氏は78代目で現在も続いてる
0037日本@名無史さん
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2012/09/29(土) 22:29:43.22
大国主命の嫡男は事代主と健御名方命

古事記に記載すらない庶子の太田田根子とじゃ格が違う
0038日本@名無史さん
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2012/09/29(土) 22:47:16.78
事代主と健御名方命が嫡流っていうソースは?
太田田根子は古事記にも出てくるんだが?

大神神社の神氏の真似をして
自分も神氏を名乗った諏訪氏こそが庶流だろ

大国主より大物主の方が格上なのじゃ

大神神社は元伊勢だが諏訪は元伊勢じゃないだろ?
天皇家の前の日本の支配者が誰なのか普通ならすぐにわかるだろ

諏訪信者が
0039日本@名無史さん
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2012/09/29(土) 22:52:56.43
諏訪氏は三輪氏の一族って位置だよね。
苗字をみればわかるよね、神(みわ)を継いでいるのがどちらかなんて。
0040日本@名無史さん
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2012/09/29(土) 23:01:48.36
三輪氏も守矢氏も現当主は男系でつながっているの?
0041日本@名無史さん
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2012/09/29(土) 23:02:26.51
出雲神族の嫡裔は三輪氏だよ
他は支流
0042日本@名無史さん
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2012/09/29(土) 23:15:32.10
>>38
国譲りの記述を見れば大国主命の子達の中で事代主と健御名方命が別格なのは明らかでしょうに

諏訪氏は三輪氏の庶流なんじゃなくて、祖がそもそも違うのだから別物でしょ

天孫族が天皇家の分家でないのと同じ
0043日本@名無史さん
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2012/09/30(日) 06:49:45.89
三輪氏の嫡流は現在何家となっているのでしょうか
また嫡流は男系で現代まで続いているのですか?
0044日本@名無史さん
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2012/10/01(月) 14:13:41.57
旗本になった諏訪家は全部で何家あったの?
その中に男系を維持できている一族がいるかもしれない
0045日本@名無史さん
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2012/10/01(月) 23:27:03.99
三輪氏も諏訪氏も出雲族が移住してきたのかね
なぜ出雲族は大和や州羽に移ってきたのだろうか
0046日本@名無史さん
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2012/10/02(火) 19:02:36.28
出雲族(国津神)の嫡流が出雲にいないのは何故だい
0048日本@名無史さん
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2012/10/03(水) 12:41:20.27
なぜ諏訪に?あと自称大国主子孫の三輪氏が大和にいる理由って何よ?
0049日本@名無史さん
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2012/10/03(水) 13:01:21.66
10月はちょうど神無月だよ
出雲は日本全土を支配してた
大和に居ても不思議じゃない

出雲の大国主は国譲りの後、高層神殿に閉じ篭って
今の出雲国造はアメノホヒの子孫と言う事になってる
乗っ取られたと言う事だろう
0050日本@名無史さん
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2012/10/03(水) 13:08:06.39
記紀の記述を見たら、大国主が国譲りするかどうか聞いたのをみると
事代主のほうが嫡流ぽくて、
健御名方命のほうは有力な子息でも庶流ぽいけどな。
もしかしたら、事代主は嫡子だけど、健御名方命は庶兄だとか。
健御名方命は母方は越の出身なんだよね。

三輪氏と諏訪氏は、どちらが嫡流かどうかって
足利家と新田家のどちらが嫡流か聞くようなもんだと思う。

足利家と細川家ならば、明らかに足利家が嫡流で細川家は分家だけどw
足利家と新田家の場合、どちらが嫡流なのかは微妙。

歴史的経緯を見たら、
三輪氏を足利家に例えるのなら、諏訪氏は新田家に例えられる。
0051日本@名無史さん
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2012/10/03(水) 13:10:27.46
>>43
三輪氏の傍流ならば、天下を統一したよなw
まあ、自分の先祖は、放浪の源氏の入り婿でしたと偽称したけどw
0052日本@名無史さん
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2012/10/03(水) 13:33:13.48
大国主の後を母系で継承したのが、天火明命、天香語山命なんだけどねw
だから、男系では入れ替わったけど、大国主の天下を母系経由で
継承したのが、ヤマト王朝の王族ってわけで。

播磨国風土記などによると
大国主の王女の天道日女命の夫が天火明命であり、
大国主は、高天の天火明命に国譲りした。
だからこそ、天火明命は、別名、天照国照彦といわれる。
国譲りによって、天つ神と国つ神の両方の支配者になったという意味。
そして、彼の後は、嫡子の天香語山命が継承した。
彼は、父方が高天、母方が出雲であり、天神地祇合一の象徴。

そういう風に考えたら、天火明命の兄弟のニニギ命は、
出雲国譲りの直後、辺境の九州南部の高千穂へ飛ばされる。
そういう風に考えたら、天皇家は天孫の傍系だったと考えられる。
0053日本@名無史さん
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2012/10/03(水) 21:19:49.63
大国主命と三輪氏の祖である大田田根子の父・大物主は別人じゃなかったっけ?
0054日本@名無史さん
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2012/10/03(水) 22:36:38.57
たぶん元々は関係ない。しかし古事記には『大国主神の幸魂(さきみたま)奇魂(くしみたま)』とある。
大神神社の由緒では『大国主神が自らの和魂を大物主神として祀った』とある。
日本書紀(の一書)には大国主の別名とある。古事記や日本書紀を否定するとそもそも国譲り神話自体を
否定する事になる。出雲風土記には無いので。それなので別人と言いにくい。
0055日本@名無史さん
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2012/10/03(水) 22:38:37.74
賀茂氏には天神系と地祇系があるが、松平はどちらかな?
0056日本@名無史さん
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2012/10/04(木) 00:08:06.44
賀茂氏は天神系・地祇系とか別系みたいに言ってるが、実はどちらも同根から分かれた氏族と思う。
0057老中格・諏訪因幡守忠誠
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2012/10/04(木) 00:08:35.97
家康は、関ヶ原に勝って甲斐信濃を回復すると、日根野を放逐して諏訪家を諏訪高島に戻してくれた。
0058日本@名無史さん
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2012/10/04(木) 01:19:16.31
地祇系の三輪氏族の貴族で、天神系の賀茂氏の一族に入り婿で入った人がいる。
大田田根子命のちょっと後の子孫だったと思うが...
その人が、地祇系の賀茂氏の祖。鴨氏ともいうが。。。
陰陽道の賀茂氏は、この地祇系の賀茂氏のことで、
松平氏はその末裔だったと思われる。

新撰姓氏録は、ちゃんと男系で系統の違いを分類している。
賀茂氏も天神系と地祇系で分けているし
葛城氏なんかも、もとは天神系だけど、武内スクネの末裔が入り婿にはいったので
その葛城氏だけは皇別系としている。
忌部氏なんかでも、入り婿がはいった系譜は、それ以外とは別系統としている。
0060日本@名無史さん
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2012/10/04(木) 01:34:00.75
>>53
大物主とは三輪山の神名で
三輪山は、大国主の仮の姿として信仰の対象だったのであろう。

大田田根子の父は、健飯賀田須命。
大田田根子は、
大国主から数えて9代目、事代主から数えて8代目の子孫とされていたと思う。
つまり、大田田根子は、三輪山を祭る神官だったと思われ
その先祖は、大国主ー事代主につながるとされていたであろう。

事代主の後から健飯賀田須命までは活躍が分かってないので
大田田根子が生まれたころは、かなり落ちぶれて
ひっそりの神官として生きていた一族だと思われる。
0061日本@名無史さん
垢版 |
2012/10/04(木) 01:47:16.92
>>59
天神系の賀茂氏の祖は、賀茂建角身命。
神皇産霊尊系の貴族だと思われる。
実質的に最初の先祖は、天神玉命で、その孫あたりが賀茂建角身命だったのでは?と。
天神系の最高名門系は、高皇産霊尊裔氏系で
その次が神皇産霊尊系。
たぶん、これって、
ヤマト朝廷の譜代になった時期や王家との親しさの違いとかで分けているのかもね。
徳川幕府の譜代大名でも、松平系、安城譜代、岡崎譜代と分けていたけど。
高皇産霊尊裔氏系の場合は、ニニギ、天火明命の生母の一族だったわけだし。
0062日本@名無史さん
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2012/10/04(木) 01:51:51.66
確か武田信玄の側室が諏訪の姫で間にもうけた子が武田勝頼だっけ?
0063日本@名無史さん
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2012/10/04(木) 02:04:45.16
>>62
そうだよ。
0065日本@名無史さん
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2012/10/04(木) 02:33:44.57
三輪氏族系って、実質的には大田田根子が初代だよな。
大国主とつながっているかどうかは分からんし。
三巻イリヒコ(崇神天皇)が抜擢したようなかんじで
大田田ネコと事代主の間の人物の業績は全然わかってない。

0066日本@名無史さん
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2012/10/04(木) 06:57:11.04
となるとやはり大国主命の嫡流は諏訪氏になるのかな
事代主の子孫いないし、三輪氏の祖は大国主命と別人らしいし
0067日本@名無史さん
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2012/10/04(木) 08:05:10.67
大国主は大物主を見て「誰だあいつ?」と言ったんだよなw

おそらく元は別々の地域で信仰されてた神様だが国家形成の中で同一なものにされていったのだろう
オオムナジも別の神様だと思われる
0068日本@名無史さん
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2012/10/04(木) 08:38:47.95
神武天皇の畿内での嫁さんの記述が
古事記と日本書紀では違うだろう?
そのへんが大きなヒントだと思う。

古事記のほうでは、神武さんは大物主の娘と結婚したとある。
一方、日本書紀のほうでは、神武さんは、事代主の娘と結婚したとある。

古事記のほうが正直で、日本書紀のほうは、政治的に作ったと思う。

だとしたら、
古事記のほうでは、神武天皇は、ただの三輪山(大物主)の神主の娘と結婚したが
日本書紀では、前の天下を牛耳っていた大国主の孫娘と結婚したことになる。

日本書紀のほうでは、大物主=大国主というふうに
政治的にする必要があったのでは?
0069日本@名無史さん
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2012/10/04(木) 08:57:04.36
足利氏=三輪氏
新田氏=諏訪氏
ってな感じ?
0070日本@名無史さん
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2012/10/04(木) 10:09:53.13
足利家のほうが中央とのパイプが厚くて
新田家のほうは田舎でくすぶっていたのをみると
足利家=三輪氏、新田家=諏訪氏という例えは、分かり易い。

あと、系図を信じるのなら、三輪氏と諏訪氏の分岐は
大国主の子供の代だから、どちらが本家か分家か難しいしな。
足利家と新田家も、どちらが本家かどうかなんて判別難しい。
細川家、斯波家、畠山家などは、一応、足利家の分家だと思うし
里見家、世良田家、山名家も、一応、新田家の分家だと思うけど

三輪氏が出世したのは、大国主から8代後の子孫の大田田根子命からで、
その間は、くすぶっていて、何をしていたのかもわからん。
三輪氏は大田田根子命が実質的な初代。

だから、三輪氏と諏訪氏は、系図上は、大国主の息子の代で分かれているけど
その歴史的経緯を見たら、どこから、ずっと数代たって、世に出だした家系。
とくに三輪氏の場合はそうだし、諏訪氏も地方でくすぶっていたわけだし。
0071日本@名無史さん
垢版 |
2012/10/04(木) 12:32:36.25
>>69
諏訪氏=岩松氏
三輪氏=松平氏

って感じだろう。新田で例えるなら
0072日本@名無史さん
垢版 |
2012/10/04(木) 12:35:46.19
大国主命―健御名方命―伊豆早雄命―片倉辺命―恵奈武耳命
―水隈命―盛麿―豊麿―繁魚―清主
―【諏訪】有員―武方―為員―有盛―盛長―員頼
―頼平―有信―為信―為貞―敦貞―貞方―貞光
―敦光―敦忠―盛信―盛重―頼重―時継―信嗣
―信有―有継―信満―政満―頼満―満隣―頼忠

―頼水(藩主)

―頼弘 (大祝)



http://www2.harimaya.com/sengoku/html/suwa_k.html
0073日本@名無史さん
垢版 |
2012/10/04(木) 13:57:00.43
徳川家康の先祖って、安倍清明の師匠だったんだなw
0074日本@名無史さん
垢版 |
2012/10/04(木) 17:37:28.41
>>68
>日本書紀のほうでは、大物主=大国主というふうに
>政治的にする必要があったのでは?
しかしそう書いてあるのは古事記の方だ。
0075日本@名無史さん
垢版 |
2012/10/04(木) 18:04:45.29
大田田根子は大国主命の子供じゃないんだな
七千傑だけじゃなくHARIMAYAでも事代主の子孫という系図になっている

大国主命―事代主―天日方奇日方命―健飯勝命―健甕尻命―豊御気主命
―大御気主命―健飯賀田須命―大田田根子―大御気持命―大友主命―三輪氏へ
http://www.myj7000.jp-biz.net/clan/02/021/02106.htm

http://www.harimaya.com/o_kamon1/syake/kinki/s_omiwa.html
0076日本@名無史さん
垢版 |
2012/10/04(木) 19:18:01.49
大物主というのは、個人名ではなく、通称ぽい。
大国主とか、事代主とかも、そう。

鎌倉幕府の最大権力者に、鎌倉殿といったのと似ている。
だから、大国主と大物主は、もともとは別だったけど
大国主の一族か本人か何かが、大物主の地位も兼ねるようになったとか?
そんなかんじかな?
0077日本@名無史さん
垢版 |
2012/10/04(木) 21:12:01.57
三輪氏が大国主命の子孫ってのは後付け臭いな
天津神系の最大対抗勢力の嫡流が出雲から朝廷のある大和に移り住み、政権近くで多大な権力持ってるのはおかしいだろ
0078日本@名無史さん
垢版 |
2012/10/04(木) 22:17:18.09
ちなみに諏訪氏と三輪氏の現当主はどなた?
0079日本@名無史さん
垢版 |
2012/10/04(木) 23:52:55.41
>>77
おかしく無い
大国主の勢力は日本全国と考えられるからな
国譲りをしたけれど
旧来の勢力の力を借りないと治世出来なかったとか
良く有る話し
0081日本@名無史さん
垢版 |
2012/10/05(金) 01:13:29.71
>>80のページにあるように、
大田田根子が、大国主や大物主の子孫であるというのは後付けぽい。
まず、大国主と大物主が同じなのか?という疑問もある。

大物主というのは、古事記や日本書紀でも何度も登場するが
姿が人間ではなかったり、それらは三輪山の神というふうになっているので、
これは、実在の人物ではなく、三輪山のことを表しているのであろう。

一方、大国主のほうは、出雲王朝の最後の当主なのであろう。
これは実在の人物のモデルであると思う。

古事記にもあるように、大田田根子は、
崇神天皇が探し出すまで、その存在は知られておらず、
自己申告で、自分は大物主の子孫だといっているだけ。
それも数代前の婆さんが見知らぬ男と愛し合って生まれた子供の子孫が
自分(大田田根子)であるとかw 
そして、その見知らぬ男があとで調べたら三輪山の神様(大物主)だったとかw

そこから、大物主は実は大国主で、いつのまにか、大田田根子の子孫の
三輪氏族は、自分らは大国主の子孫という風に、後世、どんどん変えていったのであろう。
008281続き
垢版 |
2012/10/05(金) 01:17:49.27
よって、三輪氏族ってのは、事実上、大田田根子が初代の人物。
それ以前の系譜に関しては、創作の可能性が大いにある。
うえで誰かが言っているが、松平家は自分たちは新田家の末裔だったと
いっているのに似ている。
0083日本@名無史さん
垢版 |
2012/10/05(金) 06:44:54.17
では大国主命嫡流の諏訪氏に話を戻しましょう
0084日本@名無史さん
垢版 |
2012/10/05(金) 17:55:50.18
大国主命は素戔嗚尊から三種の神器「生太刀、生弓矢、天詔琴」を奪ったんだよな

天皇家に三種の神器が伝えられたように、国津神嫡流にも神器が伝わっているんじゃないかな
0085日本@名無史さん
垢版 |
2012/10/05(金) 21:46:13.60
諏訪家には真澄の鏡、八栄の鈴、御轡鞍の三種の神器が伝わっている
三輪家には伝わってないの?
0086日本@名無史さん
垢版 |
2012/10/06(土) 07:02:48.61
>>80の内容を見ても
三輪氏族系が大国主の末裔なのかどうか、かなり怪しいな。
松平家の新田氏系の徳阿弥伝説以上に怪しい。

実質、大田田根子が三輪氏族の初代という解釈で間違いないように思う。
0087日本@名無史さん
垢版 |
2012/10/06(土) 08:44:16.83
では大国主命の子孫はどこへいったのか

特に嫡流は
0088日本@名無史さん
垢版 |
2012/10/06(土) 08:49:40.98
三輪氏は君姓、諏訪氏は神姓
全く別物
0089日本@名無史さん
垢版 |
2012/10/06(土) 09:37:21.47
諏訪氏が一番、嫡流を受け継いでいる感じだとは思うけど
でも、途中で婿養子が入って、男系では変わっている可能性もある。
0090日本@名無史さん
垢版 |
2012/10/06(土) 13:32:45.79
>>89
幕末に高島藩主は婿養子を迎えたけど、それ以前は無かったんじゃないかな?
0091日本@名無史さん
垢版 |
2012/10/06(土) 13:35:11.35
初代大祝で諏訪氏としても初代である諏訪有員を良く調べる必要あるな
0092日本@名無史さん
垢版 |
2012/10/06(土) 19:07:45.99
大国主命が素戔嗚尊から奪った三種の神器って今どこにあるのですか?
0093日本@名無史さん
垢版 |
2012/10/06(土) 20:53:25.35
三輪氏が大国主の末裔かどうか怪しいのと同じ位、諏訪氏が大国主の末裔というのも怪しい。
健御名方は本来大国主と関係無いんじゃないか?諏訪社の伝承には国譲りの件は無いんだし。
0094日本@名無史さん
垢版 |
2012/10/06(土) 23:22:38.93
大国主命と奴奈河毘売の間に産まれたのが健御名方命というのは間違いないだろう
越の国にも伝承は伝わっているし

国譲りは大和朝廷側に都合よく書かれていて当然
諏訪側では逆に征服者としての伝承が残っているな
0096日本@名無史さん
垢版 |
2012/10/07(日) 00:49:09.37
出雲〜古志〜糸魚川〜諏訪のルートだろうね

大国主命と健御名方命の親子関係は間違いないと思われる
0097日本@名無史さん
垢版 |
2012/10/07(日) 06:12:14.95
硬玉の翡翠の産地は糸魚川のみ
出雲大社にも翡翠の勾玉が残ることから同盟関係にはあったのだろう
0098日本@名無史さん
垢版 |
2012/10/07(日) 12:00:17.64
糸魚川の翡翠はかなり広範囲から出てるはず。
物流の証拠にはなっても同盟は如何なものか?
0099日本@名無史さん
垢版 |
2012/10/07(日) 12:14:33.25
守矢氏は何千年も侵略者の諏訪氏をたててきた。
これってすごいよね。
なんでとってかわろうとしなかったんだろう。
0100日本@名無史さん
垢版 |
2012/10/07(日) 13:19:39.26
出雲と糸魚川双方に大国主命と奴奈川姫が結婚し、健御名方命が産まれたというで伝承残っている
古事記にも同じ記述
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