国津神嫡流の諏訪氏について語る
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天皇家とは天照大神から続く「天津神」の子孫の嫡流である
では「天津神」の対極の存在である「国津神」の嫡流の子孫はどこか?
答は素戔嗚尊―大国主命―健御名方命と続く「諏訪家」である
諏訪家の男系は維持されているのかというと、諏訪大社の大祝家は断絶、大名家も女系になってしまっている >>113
天皇によって編纂された日本書紀が
大物主は大国主の別名としてるのだが 古事記によれば
「オホモノヌシの神がスヱツミミの命の女のイクタマヨリ姫と結婚して生んだ子はクシミカタの命です。
その子がイヒカタスミの命、その子がタケミカヅチの命、」
タケミカヅチはオホモノヌシの子孫 >>112
ヒメタタライスズヒメは大物主とやらの娘かもしれないが、大国主命とは親子関係ないだろ
天孫降臨から神武天皇までの世代を考えると時代が合わない
大国主と大物主は別物で、三輪氏は出雲族とは無関係 >>112
ヒメタタライスズヒメは大物主とやらの娘かもしれないが、大国主命とは親子関係ないだろ
天孫降臨から神武天皇までの世代を考えると時代が合わない
大国主と大物主は別物で、三輪氏は出雲族とは無関係 >>115
タケミカヅチはカグツチの血から産まれた天津神だろ
めちゃくちゃだな >>113
日本書紀と古事記では、記述が違う。
それは、神武さんの近畿での嫁さんの出自について。
古事記のほうでは、大物主の娘ということになっているけど
日本書紀のほうでは、大国主の子の事代主の娘となっている。
どちらが正しいかは分からんけど、普通に古い古事記のほうが正しいのでは?
大国主と大物主は、本来は別だったのが、いつのまにか、同一視されたらしいし。
つまり、後に政治的に作られた日本書紀では、
神武の嫁さんは、出雲の大国主の系統ということにしたかった。
しかしながら、実際は、神武の嫁さんは、三輪山の大物主の娘で
大国主の後胤ではなかった。
ヤマト朝廷の正統性は、出雲国譲りにあるわけで、
出雲から譲られたことが前提だったので、日本書紀では、
神武の嫁さんを、出雲の大国主の孫娘にする必要があった。 一方、出雲国譲りの時、つまり、神武東征よりも三代くらい前に
出雲の大国主の娘を妻にむかえて、その大国主から天下を譲られた男がいる。
ようするに、出雲国譲りを実現させた主役の男ということだ。
それは、播磨国風土記、旧事本紀、海部氏系図にも記載がある。
その男とは、天火明命のこと。
通称を天照国照彦という。天津神と国つ神の両方の支配者という意味だ。
彼の正室は、天道日女命といって、大国主の娘だった。
つまり、出雲国譲りとは、大国主が義理の息子(娘婿)の天火明命に
天下を譲ったという真相もあった。
だからこそ、ニニギの後胤である神武皇統の天皇家は、
神武の近畿での正室の嫁さんの父親の大物主を
大国主や事代主と同一視したかったのが分かる。 諏訪大社の大祝は天皇以外では唯一の現人神だった
明治の国家神道の中で廃止されてしまい、家系も断絶。
分家の存在は不明だが実に嘆かわしいな 大田田根子の父親がタケミカヅチという古事記の矛盾が生じているな
またヤマトトトヒモモソヒメ(七代孝霊天皇の娘で箸墓古墳に埋葬されている)が大物主(と後で知った)
との間に産んだ子が事代主、その後裔が大田田根子
という国譲りと全く時代 が合わない矛盾もある
天津神の子孫が国津神の先祖に国譲りを迫るという摩訶不思議な話
古事記作成の中で三輪氏の恣意的なものがあったのだろう 古事記と言うより崇神天皇の影響でないかな
出雲も三輪もその時にすり替えられた感じがする
建御雷神の子と言うのは有り得ない >>122
大物主は顔を見たことないけど、実はヘビだったという話だから
要するに、モモソ媛命は、独身の巫女で
三輪山につかえる巫女だった。
大物主という人間と結婚したわけではなく
三輪山の祭祀を行う女性だったということでしょう?
今でも、夜中に宮中祭祀をするけど、その時、
天皇は神様と合体するわけだからw
それと似たようなことをやっていたんでしょう?モモソ媛命は。
天皇は子供産まないだろw
矛盾だらけの三輪伝説と訳が違う 三輪氏は大国主命の子孫でないし、出雲族とも無関係な古代の有力氏族
というのが結論だろうね 古事記に記載のある謎の系図。大国主命の神裔としてはここが嫡流かもしれない
大国主命―鳥鳴海神―国忍富神―速甕之多気佐波夜遅奴美神―甕主日子神―多比理岐志麻流美神
―美呂波神―布忍富鳥鳴海神―天日腹大科度美神―遠津山岬多良斯神―・・・
ちなみにこの続きはどうなったのだろうか モモソヒメと大物主の結婚の伝承は
独身のシャーマンであるモモソヒメが
三輪山(大物主)の祭祀を行っていただけだろう?
モモソヒメは夫である大物主の顔を見たことがなく
初めて見た時にヘビだったので、おどろいて尻もちをついて
ハシ(食事に使うハシではなく、祭祀で使うハシ)をマンコについて
死んだという話だし。 要するに三輪氏が大物主の子孫だというのは捏造だということだろう
編纂の時点でも矛盾は感じていたはず 三輪氏が大物主の子孫というのに疑問符が付くだけではなくて
大物主=大国主という解釈にも疑問符が付く。
二重の捏造だな。
いずれにせよ、三輪氏の事実上の初代は、
三巻イリヒコ(崇神天皇)に見出された
大田田根子命。
この人物が、大神氏、陰陽道賀茂氏の先祖であり
松平家の先祖にも当たる。 >>99
諏訪地方にはミシャグジ様への厚い信仰が縄文時代から深く根付いており
洩矢神は唯一ミシャグジ様を操れる存在だった
建御名方神が洩矢神を打ち倒しても地元の信仰心は揺るがなかった
それで建御名方神は洩矢神を助命し、洩矢神をクッションにして農耕文化(弥生文化)を伝えた
そして建御名方神の子孫の諏訪氏が大祝、洩矢神の子孫の守矢氏が神長官として続く事になるが
面白いのは諏訪地方での実質的な政権を掌握していたのは守矢氏という点 建御名方神は侵略者と言うより
迷惑な押し掛け居候みたいな感じだからな
ちゃんと住み分けるのが日本ぽい 守矢氏が実質的に政権を握ってたというのが意味不明
名実共に諏訪地方の主導権は諏訪氏にあったのだろ。戦国時代なんかまさにそう 戦国時代は参考にならない気がする
旧来の権力無視が戦国時代だし 旗本になった諏訪氏について詳しく教えてください
男系は存続しているのでしょうか 今の2ちゃんねるの管理人は右翼団体とアダルトサイト運営しているヤクザな訳だよ
他の運営もそいつに小遣い貰ってる舎弟
心理学を応用したネット掲示板に依存してる人間は薬漬けにされたジャンキーと
何ら変わらない
今はほぼ全て運営による捏造情報の書き込み
ヤクザに雇われた中国人でまともな人間は居ない
それに2ちゃんはリアルタイムに実名が判るシステムなってる
2ちゃんねるはそのアクセスログを右翼団体、企業やマスコミやライターたちに
販売しているからアクセスする時は気を付けないとな。
子供が「ハンバーガー買うにはお金がいるんだよ!スマイル0円とか言っているのは、お金を出させるためなんだよ!!
そんなこと知ってる僕って、オトナの世界の裏のウラまで知っちゃったんだぜ!!!」
とか言っているに等しい、可愛らしい書き込みですなぁ、ほのぼのする。 素戔嗚尊―・・・―大国主命―健御名方命―・・・―諏訪氏
の流れが国津神の男系嫡流
天津神の男系嫡流の天皇家とは対極の存在 >>133-135
信濃では諏訪氏が力持っていたけど
諏訪地方だけはずっと明治頃まで守矢政権だった
江戸時代に藩主が赴任した時でさえそう 天津神の当初の男系嫡流は、尾張氏の嫡流だったんだけどなw
蛮族であるはずの隼人も天孫族だったりするしな
山幸彦以外は天孫族として論外だろ 旗本になった諏訪家の家系図が詳しくのったものってないの? オリンパス敗訴で明らかになった女弁護士のブラック過ぎる手口
オリンパスは、産業医を使ってHさんを精神異常者に仕立て上げようとした。
<T谷弁護士は(編注:原文は本名)不都合な社員や退職させたい社員がいる際には、
まず集団ストーカーと呼ばれる手口で、その社員の周辺に複数の人間が常につきまとい、
その社員に精神的苦痛を与え続け、その社員がたまらなくなって、
怒鳴ったり暴力を振るったりしやすいようにする、
もしくは精神的苦痛で自殺しやすい状況にする行為を続ける>
<このような集団ストーカー行為、もしくは
産業医の制度を悪用する手口を使って、被害を訴える個人に対し、
精神分裂症等の精神病として診断書を作成して
被害者の発言の信憑性を低下させ、その上で産業医が治療と称し
措置入院等を行う事で、報道、捜査機関、裁判所等を欺いて
対応が出来ないようにし、さらに一般市民を自殺や泣き寝入りに追い込む>
三輪氏の本姓は神じゃなくて君だったよな
神なのは諏訪氏 守矢神長家の話 守矢早苗
「神長官守矢資料館のしおり」より
■洩矢神からの生命のつらなり
諏訪盆地には「古事記」に書かれた出雲の国の国譲神話とは別にもう一つの国譲神話が言い伝えら れています。
そのことは、室町時代初期に編まれました「諏訪大明神絵詞」などに記されています。
それによりますと、大和朝廷による日本統一以前の話になりますが、
出雲系の稲作民族を率いた 建御名方命がこの盆地に侵入しました時、
この地に以前から暮らしていた洩矢神を長とする先住 民族が、天竜川河口に陣取って迎えうちました。
建御名方命は手に藤の蔓を、洩矢神は手に鉄の輪 を掲げて戦い、結局、洩矢神は負けてしまいました。
その時の両方の陣地の跡には今の藤島明神 (岡谷市三沢)と洩矢大明神(岡谷市川岸区橋原)が、
天竜川を挟んで対岸に祭られており、 藤島明神の藤の木はその時の藤蔓が根付いたものといいますし、
洩矢大明神の祠は、現在、守矢家 の氏神様の祠ということになっています。 一子相伝で先々代の守矢実久まで口伝えされ、実久が始めて文字化した「神長守矢氏系譜」に よりますと、
この洩矢神が守矢家の祖先神と伝えられ、私でもって七十八代の生命のつらなりと なっております。
今でも洩矢神の息づかいが聞こえてくるようにさえ思われます。
さて、出雲から侵入した建御名方命は諏訪大明神となり、ここに現在の諏訪大社のはじまりがあります。
このようにして諏訪の地は中央とつながり稲作以後の新しい時代を生きていくことになりましたが、
しかし、先住民である洩矢の人々はけっして新しく来た出雲系の人々にしいたげられたりしたわけではありませんでした。
このことは諏訪大社の体制をみればよく解ります。
建御名方命の子孫である諏訪氏が大祝という生神の位に就き、
洩矢神の子孫の守矢氏が神長 (のち神長官ともいう)という筆頭神官の位に就いたのです。
大祝は、古くは成年前の幼児が即位したといわれ、また、即位にあたっての神降ろしの力や、
呪術によって神の声を聴いたり神に願い事をする力は神長のみが持つとされており、
こうしたことよりみまして、この地の信仰と政治の実権は守矢が持ち続けたと考えられます。
こうして、諏訪の地には、大祝と神長による新しい体制が固まりました。
こうした信仰と政治 の一体化した諏訪祭政体は古代、中世と続きました。 ■ミシャグチ様のこと。
諏訪大社の祭政体はミシャグチ神という樹や笹や石や生神・大祝に降りてくる精霊を中心に営 まれます。
家ではミシャグチ様と呼んでいましたし、多くの呼び名や宛字のある神様ですが、 ここではミシャグチ神とします。
そして、一年に七十五度の神事が、中世までは前宮と大祝の住む 神殿、そして
冬季に掘られた竪穴である御室や十間廊、八ヶ岳山麓の御射山(現・諏訪郡富士見町) で行われました。
そのミシャグチ神の祭祀権を持っていましたのが神長であり、重要な役割としてのミシャグチ上 げや、
ミシャグチ降ろしの技法を駆使して祭祀をとりしきっていました。
大祝の分身である童児は、内県(旧諏訪郡一帯)、外県(旧伊那郡一帯)、
大県(信州一円の神氏 系の代表)からそれぞれ一年毎に選ばれて奉仕していました。
童児たちは神長屋敷西側の現在の祈祷殿の位置にあったといわれます精進屋の中で
一定期間の籠りをした後に前宮での神事に参加しました。 ■一子口伝の秘法の終わり
このように守矢家は諏訪信仰とともに長い長い歴史を生きてきたのですが、
明治維新によって大きな変化をこうむりました。
明治五年、世襲の神官の制が廃止され、神長という職は消えます。
また、 明治六年には家宝であった鹿骨製の御宝印や御頭お占法用具そして鏡、太刀などが諏訪大社上社に移されました。
しかし神長がミシャグチ神の祭祀に用いた佐奈伎鈴は家に残されました。
そうした激変の時期に神長であった七十六代の守矢実久は、神長の祭祀が消えることを惜しみ、 七十七代の真幸にその一部を伝えました。
私は更に次のように伝え聞いております。
明治の解職に至るまで神長の神事の秘法は、真夜中、火の気のない祈祷殿の中で、
一子相伝により 「くちうつし」で伝承されました。
その内容は、
○ミシャグチ神祭祀法
○冬季に竪穴の御室で行われる神事の秘法
○御頭祭の時に行われる御符札の秘法
など年内神事七十五度の秘法をはじめ、
○大祝が前宮のカエデの樹の下で行う即位式の秘法
○祈祷殿で行う蟇目の神事法
○家伝の諏訪薬なる製造法
○守矢神長の系譜
などでした。神事の細目は「年中神事次第旧記」などに記されていますが、
具体的な神事の方法に つきましては、一子相伝で伝わったのです。
しかし、それも明治の一大変動により七十六代実久でもって永遠に絶えました。
祖父の七十七代 真幸は、ミシャグチ神頭占定の秘法と蟇目神事についてのみ口伝をうけたそうですが、
それも七十七代で終焉を迎えました。今となっては惜しまれるばかりです。 祝は古代の官社制では禰宜の下位に置かれた神職であり
男性の神薙の意味でも用いられる。
語義は「穢れを放り去る者」であると言われている。
ちなみに諏訪大社下社の「大祝」は金刺氏(神武天皇の子・神八井耳命の子孫)
諏訪大社上社の「大祝」は諏訪氏
(建御名方神の子孫)
が近世まで務めた 手研耳の乱
ホ31111 イイロよむウタ
サユカワゆ クモたちわたり ウネビヤマ コのハさやぎぬ カゼふかんとす
ウネビヤマ ヒルはクモとゐ ユフされば カゼふかんとぞ コのハさやげる
ワカミヤは このフタウタを かんがえて サユにそこなふ ことをしる カンヤヰミコに ものがたり
手研耳(ノ)命、陰(ひそか)に帝位を簒(うばは)んことを謀(はか)る。故に恩を布(し)
き、党を結ぶ。手研耳(ノ)命、誅せらることに逮(をよん)で、則ち党属数千人、其の
子、彦耳(ヒコミミノ)命を以て主として畝傍(ウネビ)山に在(あり)て、以て朝廷に敵す。
皇太子、親(みづ)から官軍を帥(ひき)ゐて、畝傍山を囲む。党属の中に舎人(とね
り)欲雄(エキヲ)、弟彦(ヲトヒコ)といふ者(も)のあり。
建御名方命は、この乱で追放されたのでは?
神長官 守矢氏 家系図
ttp://fsm.vip2ch.com/-/hirame/hira123229.jpg 千家や諏訪家もそうだけど
紀元前から続く家系というのは壮観だな
勿論血の繋がりなら日本人は皆それくらいの代を重ねてきてるわけだが
家系図として連なってるのは凄い 近世の大祝家、旗本家も含めた諏訪氏系図を体系化したものを教えて下さい 同じことをしつこく尋ねるくらいなら自分で調べた方が早いのでは? そういうのは当家の人が公開しない限り判明しないんじゃないか
大祝を歴任した諏訪氏の嫡流は
諏方姓になってから15代目の諏方弘氏が平成14年に死没して断絶
守矢氏もおそらく最後の代になるであろう78代目守矢早苗氏が初めて系図を公表 それ図書館で目を通したことあるが、索引ばっかの事典みたいだったぞw 諏訪神道って天照大神を中心とする普通の神道とは違うの? 諏訪氏を嫡流とする神氏の中で最も繁栄した一族って保科氏だよな
確かに日本には特別な人々がいる
http://ichiba.geocities.jp/gbsg0309/0202/4/127_3.html
私の周辺で社会を牛耳り、企業を牛耳る人々の人相、体系に、
大きな共通点を見出した。
ひょっとしたら、親類ではないかと思うほど似ている。
諏訪氏と鹿島氏(の傍流同士)が戦国時代に戦ったみたいなことは無かったのかな? >>27
この守矢氏先住部族説ですね。
”守矢氏は建御名方が諏訪にお祀りされる以前からこの地に土着していた一族で、
祖神とされる「モレヤ(洩矢)神」を祀っていた・・・・・守矢一族は建御名方を
祭神にむかえ、その子孫ともいわれる諏訪氏を大祝に据え、みずからは神長官と
して大祝を補佐する職に就いた・・・・・”
諏訪大社に関する考察 2009年10月
http://www12.ocn.ne.jp/~libra/toho/tohoessay/kousatu01/kousatu01.html 天津神と国津神って、要は譜代と外様の違いみたいなもんじゃないの? >>182
神長守矢家って、男系継承なのに土着系なの?
以外だな。
狩猟民たる縄文人も男系社会だったんだろうか。 基本だが混同している輩が多いので改めて言うが明治まで上社と下社は別。
下社大祝は大和朝廷系の金刺氏で同じ諏訪氏を名乗るも別物。
ここでは守矢洩矢と過大評価しているが守屋の知名度は低い。
ミシャグチ神なんて地元諏訪でも歴史に詳しい人でなければ今だ知らないよ。
それに男系継承なんて今流行りなだけだろ。アホ草。 >>186
後で中国から大和朝廷に入り、それが縄文系のモレヤ氏にも採用されたということでは。 >>156
明治維新というのは中国でいうなら文革。
なんでネトウヨが礼賛するのか理解に苦しむ。 >>187
中国から風習が入ってくる以前の時代のモレヤ氏の男系継承の系譜は仮冒ということか >>189
可能性はゼロではないでしょう。
中国でも姓は「女」という偏が使われていますし、
周の王は「姫」、斉は「姜」、秦は「嬴」とみな女という字が含まれています。
だから中国ににさえ女系継承の習慣があった可能性があります。 .
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糞スレ終了
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. >>184
おまえがなぜ「縄文人は女系社会」って思えるのか謎w
縄文社会が女系だったなんて考古学的な考証は聞いたことがないんだが。 諏訪大祝の先祖は阿蘇大宮司の氏神から別れたのでは? >>194
なにいてもいいけど、珍しいことをいう時には推測の根拠をあげろよ
つっこみようがねーじゃねーか 国津神の嫡流は三輪氏か諏訪氏
諏訪氏で、今も社家をやってる分家ってあるのかな? >>196
三輪氏の本家は高宮家
跡継ぎは女子しかいなかったような…
従兄弟とかいるかもしれんが >>198
江戸中期に高宮氏へ養子に行ってた、島谷氏の・・後の最上徳内。 小笠原諸島探検・巡検使隊隊長だった、松浦党の島谷市左衛門が父島に祀った、大神山神社。
元伊勢の籠神社外宮、眞奈為神社神主、島谷出雲守。
元播磨で素戔嗚尊=新羅大明神祭神を祀る、新羅神社廃社で上記と同じ京丹後の神社、大宮売神社の宮司と成った、島谷宮司。
大坂此花区の島屋を埋め立て新田開発をし、産土神社を祀った、島屋市衛門。
徳川譜代の家臣阿部氏と安倍宗任末代の松浦氏松浦党関係の謎の氏族・・島谷氏 >>200の修正。
元伊勢の籠神社外宮、眞奈為神社神主、島谷祠掌。
京丹後の分宮神社神主の島谷出雲守。 国津神の嫡流って神武天皇の奥さんの父、事代主神の末裔で太田根子を出した三輪氏の方じゃないの
諏訪氏はいわゆる分家でしょ 事代主神はどっちかっていうと本人が分家の初代だろう 出雲も諏訪も守屋も縄文系の土人というわけではなく、
天津神の先遣隊といったところだろう。
本体の天孫族を迎えるために土地を切り開いて水や食料を確保。
歯向かう先住民を追い払って、都を移す準備をしたのだ。
それも恐らく数十年をかけた大事業で、
自分達が切り開いた土地を譲ることに同意しないものもあらわれた。
しかし、所詮は身分の低い派遣労働者だし、正規軍を従えた大王が渡来すれば、
都を作る候補地、畿内を譲るのは当然なのだ。 むしろ、出雲や諏訪は弥生系で、
天孫が南九州の土人でしょ 諏訪の祖神である建御名方命は天孫に国譲りした国津神なのに何で天津神の先遣隊だよ。
神話では出雲から諏訪へ逃げて来たのに。 一大縄文文化圏でミシャグチ信仰の残る諏訪が弥生系とは
考えたこともなかったわ >>207
天津神、国津神ってのはただその場での便宜的な言い方だよ
先遣隊の中でずいぶん先に地上に来てたのが国津神
今さっきあまくだってきたのが天津神
>>208
ちなみに縄文か弥生かって線引きとは関係ない。
諏訪にかぎらず日本はどこも縄文系弥生系両方のハイブリッド
若干どっちが濃いか薄いかってのがある程度
これを二元論にするのは現実無視の電波説な >>209
国つ神と天つ神が同祖だというならその実体はどこから来た何なの? 中世の諏訪神社の縁起とか思いっきり諏訪大神を天津神として書いちゃってんだよな
記紀神話と異なる伝承が現地にあったのか、それとも歴史が忘れ去られて
神仏習合の時代にそういう伝承が改めてできあがってたのかどっちなんだか 映画天と地とで、諏訪軍が太鼓や笛を鳴らしながら戦場にいたけど、あんな悠長な感じだったの? ■ このスレッドは過去ログ倉庫に格納されています