国津神嫡流の諏訪氏について語る
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天皇家とは天照大神から続く「天津神」の子孫の嫡流である
では「天津神」の対極の存在である「国津神」の嫡流の子孫はどこか?
答は素戔嗚尊―大国主命―健御名方命と続く「諏訪家」である
諏訪家の男系は維持されているのかというと、諏訪大社の大祝家は断絶、大名家も女系になってしまっている >>187
中国から風習が入ってくる以前の時代のモレヤ氏の男系継承の系譜は仮冒ということか >>189
可能性はゼロではないでしょう。
中国でも姓は「女」という偏が使われていますし、
周の王は「姫」、斉は「姜」、秦は「嬴」とみな女という字が含まれています。
だから中国ににさえ女系継承の習慣があった可能性があります。 .
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糞スレ終了
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おまえがなぜ「縄文人は女系社会」って思えるのか謎w
縄文社会が女系だったなんて考古学的な考証は聞いたことがないんだが。 諏訪大祝の先祖は阿蘇大宮司の氏神から別れたのでは? >>194
なにいてもいいけど、珍しいことをいう時には推測の根拠をあげろよ
つっこみようがねーじゃねーか 国津神の嫡流は三輪氏か諏訪氏
諏訪氏で、今も社家をやってる分家ってあるのかな? >>196
三輪氏の本家は高宮家
跡継ぎは女子しかいなかったような…
従兄弟とかいるかもしれんが >>198
江戸中期に高宮氏へ養子に行ってた、島谷氏の・・後の最上徳内。 小笠原諸島探検・巡検使隊隊長だった、松浦党の島谷市左衛門が父島に祀った、大神山神社。
元伊勢の籠神社外宮、眞奈為神社神主、島谷出雲守。
元播磨で素戔嗚尊=新羅大明神祭神を祀る、新羅神社廃社で上記と同じ京丹後の神社、大宮売神社の宮司と成った、島谷宮司。
大坂此花区の島屋を埋め立て新田開発をし、産土神社を祀った、島屋市衛門。
徳川譜代の家臣阿部氏と安倍宗任末代の松浦氏松浦党関係の謎の氏族・・島谷氏 >>200の修正。
元伊勢の籠神社外宮、眞奈為神社神主、島谷祠掌。
京丹後の分宮神社神主の島谷出雲守。 国津神の嫡流って神武天皇の奥さんの父、事代主神の末裔で太田根子を出した三輪氏の方じゃないの
諏訪氏はいわゆる分家でしょ 事代主神はどっちかっていうと本人が分家の初代だろう 出雲も諏訪も守屋も縄文系の土人というわけではなく、
天津神の先遣隊といったところだろう。
本体の天孫族を迎えるために土地を切り開いて水や食料を確保。
歯向かう先住民を追い払って、都を移す準備をしたのだ。
それも恐らく数十年をかけた大事業で、
自分達が切り開いた土地を譲ることに同意しないものもあらわれた。
しかし、所詮は身分の低い派遣労働者だし、正規軍を従えた大王が渡来すれば、
都を作る候補地、畿内を譲るのは当然なのだ。 むしろ、出雲や諏訪は弥生系で、
天孫が南九州の土人でしょ 諏訪の祖神である建御名方命は天孫に国譲りした国津神なのに何で天津神の先遣隊だよ。
神話では出雲から諏訪へ逃げて来たのに。 一大縄文文化圏でミシャグチ信仰の残る諏訪が弥生系とは
考えたこともなかったわ >>207
天津神、国津神ってのはただその場での便宜的な言い方だよ
先遣隊の中でずいぶん先に地上に来てたのが国津神
今さっきあまくだってきたのが天津神
>>208
ちなみに縄文か弥生かって線引きとは関係ない。
諏訪にかぎらず日本はどこも縄文系弥生系両方のハイブリッド
若干どっちが濃いか薄いかってのがある程度
これを二元論にするのは現実無視の電波説な >>209
国つ神と天つ神が同祖だというならその実体はどこから来た何なの? 中世の諏訪神社の縁起とか思いっきり諏訪大神を天津神として書いちゃってんだよな
記紀神話と異なる伝承が現地にあったのか、それとも歴史が忘れ去られて
神仏習合の時代にそういう伝承が改めてできあがってたのかどっちなんだか 映画天と地とで、諏訪軍が太鼓や笛を鳴らしながら戦場にいたけど、あんな悠長な感じだったの? >>209
違うつ〜の。
天津神ってのは、大和朝廷側の呼称で、天野山の麓の勢力が起源だから
そのように故障している。
国つ神ってのは、それ以外の勢力で、もともとは
天津神とは独立していた勢力のことだよ。
つまり、徳川政権に例えるのなら、
天津神=幕府、親藩、譜代
国つ神=外様
ってだけの話。 本当ならば、天津神も、多くの国つ神と一つだったんだよ。
そして、そのトップに出雲の大国主がいた。
しかしながら、天津神は自分たちのことを特別視するから
天津神と分けて考えた。
それだけの話だ。
天津神とは、文字通り、天の豪族のことをいい、
この天は、天野山からきている。
天野山も、文字通り、天の山って意味。 大国主系よりも天孫降臨につき従ったことにされている久米氏の方が縄文人らしい風采をしてるし、
天津神・国津神なんて当時の朝廷の感覚だけで分けられたんだろう 最近、言われているのは、陸稲は遅くとも5000年くらい前
水稲は3000年くらい前には始まってないとおかしいらしい。
弥生開始時期を水稲からとすると、
卑弥呼のいた時代ってのは、弥生時代が始まって1000年以上
経過した時代の話だよ。
ましてや、農耕が始まってだと、それ以上の時間が経過している。
そんな時代に縄文も弥生もあるかよww 天津神、国つ神とかいっていた時代は
おそらく2000年前。
日本で農耕が始まったのは、おそらく5000年以上前で
弥生時代の開始時期とされる水稲でも、おそくとも3000年以上前らしい。
だとすると、天津神、国つ神を、縄文対弥生って
例えることは、どれだけ無意味なのことか分かるだろうw?
出雲国譲りの時代ってのは、日本が弥生時代になって1000年くらい
時間が経過している。
ましてや、農耕時代だと3000年以上の時間が経過している。 ミシャグジ(御石神)って、呉音で割合新しいものに見える 人類学(神話学)では、神々を天の神々と地上の神々の二大系列にわけて考えて
両者の戦いとその後の和合によって現在の世界秩序ができたというのは
世界の神話に共通する物語の類型・構造であることがわかってる。
日本神話もその典型的なパターンであって、たかが2000年か3000年程度の
最近の歴史を反映してるとはまったく考えられてない。
天津神を海外からの侵入勢力、国津神を先住民勢力、とみる発想は十九世紀的な途方もない勘違い。
海外の学界ではそういう発想は相手にされてない。
ただし日本では左翼が70年代に所謂「先住民史観」を創作して盛り上げたので
その頃の歴史ブームから出てきた老害歴史ライターがトンデモ本を出し続け、
70年代の時代遅れの説にハマるアホがいまだに量産されとるw
邪馬台国関係のスレにいくとその手の既知外が山のように集結しててウンザリする
あいつらは団塊世代じゃないとしたら本当に今のヤル気のない出版界の被害者だなw >>220
だからこそ、はやく
邪馬台国畿内説で決着しないといけないんだがな。
畿内説の考古学者の先生も、なにせ、あくまでも考古学に限定されているから
あと一歩のところで、検討違いの説ばっかり言っているんだよ。
狗奴国濃尾平野説とかww >>221
畿内説の学者って考古学専門が多いせいか
ろくに漢文のニュアンスわかってない人が多いんだよね
狗奴国は奴国の南でしかありえないからどう考えても九州内だろうに 結局、研究が進むごとに魏志倭人伝とはなんだったのか状態になってくるべ >>167
微妙にスレ違いかもしれないが、守矢氏の次代はまだ未定だけど
直系の候補者はいるとのことで、早苗氏が閉じる決断をしない限りは続く模様。
しおりには、明治維新のごたごたと当主の交代で守矢一族の秘儀が失われてしまった
とあるけれど、単なる想像だけど、江戸時代までに口承は少なからず散逸していたんじゃないのかな。
歴代当主でいろいろ備忘録書いているところを見ると、書くことはタブーというわけでもなさそうだし。 長野市のはずれに住んでるけど、
うち家系も遡ると本家はここだわ。
諏訪神家党にある珍しい名前だし、
先祖代々ここに住んでるから間違いないと思う。
恐らくこの辺に住んでる人はほとんど
国津神の子孫なんじゃないかなw 阿蘇家、諏訪家、千家家、北島家
いずれも天皇家よりも古い。 天皇家ばりに史料批判されたら、ボロボロになりそうw >>222
邪馬台国九州に未だ未練持っているのかよ?
3世紀紀年鏡が西日本一帯に分布していること、及び年輪年代学により
3世紀が前方後円墳の時代であったことが確実なことにより、
ほぼ全員の研究者が「邪馬台国=畿内」という心証を持っている。
「東至投馬国(おそらく出雲)」をとなりの行の「南至」と写間違えたただけのこと。
古い「魏志倭人伝」が、邪馬台国=大和と判断できる記述になっていたのは、
正しい地理感を持っている隋書倭国伝に「(倭国は)ヤマトに都す。すなわち魏志のいわゆる邪馬台なるものなり」
とあることからも確実
ただ狗奴国は熊本菊池地方でよい。魏志に書かれているのは大和と熊襲の戦い。
内藤湖南説と笠井新也が正しかったってこと。 >>230
いや、俺は最初から畿内説だが?
俺は漢文から入って畿内説になったタイプで、考古学畑じゃないんだよ。
でも畿内派ってどっちかっていうと考古学得意な人のほうが多いじゃん。
あと、おまえさんの言ってることは2ヶ所除いてほぼ同意
>「東至投馬国(おそらく出雲)」をとなりの行の「南至」と写間違えた
>狗奴国は熊本菊池地方でよい。
↑この2ヶ所は同意できない。
狗奴国は球磨郡(人吉盆地)が本拠で菊池は北の前線基地だろう 大祝になった諏方家は15代目で断絶となりましたが、
江戸時代に分家などは無かったのでしょうか? そう考えると、直系を名乗る神社の神官より、早い時期に分家した名も無き諸氏の中に、高貴な男系の血が残っている場合が多いでしょうね。
そして何かのきっかけで、鳶が鷹を生むような豪傑が生まれる。
世の中そういう具合にできげいるような気がします。 漢文ねえ
全然当てになりそうもないわ
妄想の範疇として捉えさせてもらいま >>234
当てになるも糞も、漢籍はそもそも漢文よめなきゃ話にならんだろ
アホは無理して話にまざらんでもいいんやで 美穂須々美命が建御名方神と同一神って説は何か根拠あるの? >>127
穂日(千家)の渡来出雲族が伝える「古事記上巻系譜」
http://homepage3.nifty.com/tora_tora/JapaneseMyth/pedigree/pedigree1.htm
↓
古代出雲王朝ゆかりの地を訪ねて 大和葛城地方へ移住した出雲王家の人々 その1 - アウトドアライフの記録のサイトの下方に・・
http://blog.goo.ne.jp/yochanh1947/e/6c6663b99e1cc5d9cd8443606c7157c4
古代出雲王朝系図
※斉木雲州著 「出雲と大和のあけぼの」 大元出版より
出雲王家と親族と言う系譜画像写真が参考。
※名前の頭の番号が、今、分って居る、その時代の主王だった神門臣家と向家2交代王朝制度の順番です。
穂日(千家)の渡来出雲族が伝える「古事記上巻系譜」では・・
・建速須佐之男命−八島士奴美神(八島篠)−布波能母遅久奴須奴神(布葉之文字巧為)−D深淵之水夜礼花神−淤美豆奴神−F天之冬衣神−G大国主神−H鳥鳴海神−I国忍富神−J速甕之多気佐波夜遅奴美神−K甕主彦・・
向家・富家が伝える系譜は・・
諏訪家の祖、建御名方は、向家の祖、八重波津身(事代主)の子神。(鳥鳴海とは、異母兄弟。)
・御中主命=国常立命(クナト大神)
向家・富家
クナト大神−八島篠−布葉之文字巧為−D深淵之水夜礼花−淤美豆奴−F天之冬衣−八重波津身(事代主)−H鳥鳴海−I国忍富−L田干岸円味−N布忍富取成身−O簸張大科戸箕−弩美宿祢(野見宿禰)−飯入根
神門臣家
クナト大神−八島篠−布葉之文字巧為−
E八束水臣津野−赤衾伊努意保須美比古佐倭気−G八千矛(大穴持・大国主)−伊佐我(伊佐波)=出雲建子(伊勢津彦)・阿遅須枳高日子−鹽冶毘古能−J速甕之建沢谷地乃身−K甕主彦−M身櫓浪−P遠津山崎帯−Q振根=倭健(日本武?)−伊賀曽熊の子↓
建部(武部)と出雲笠夜の島氏=斯摩宿禰(志摩・島−島谷(散自出雲族?))
宗像家
クナト大神−八島篠−布葉之文字巧為−E八束水臣津野−吾田片隅−田心姫・多岐津姫・市杵島姫(宗像3女神。)
※田心姫は、向家の天之冬衣の后(八重波津身=事代主神の母神。)で、多岐津姫は、八千矛(大穴持・大国主神)の后で、市杵島姫が、饒速日(物部始祖・徐福)の后。 >>236
>>237の
>古代出雲王朝ゆかりの地を訪ねて 大和葛城地方へ移住した出雲王家の人々 その1 - アウトドアライフの記録のサイトの下方に・・
>http://blog.goo.ne.jp/yochanh1947/e/6c6663b99e1cc5d9cd8443606c7157c4
>古代出雲王朝系図
>※斉木雲州著 「出雲と大和のあけぼの」 大元出版より
この熊野大社司祭家の向家旧家伝の神代系譜では・・
美穂須々美命と建御名方神は兄弟神と成っている。 神門氏 とは - コトバンク
http://kotobank.jp/word/%E7%A5%9E%E9%96%80%E6%B0%8F
豪族神門(かんど)氏が,その配下の人々を日置部・海部・鳥取部・神奴部等に編成して,杵築大神の祭料をととのえさせた。
出雲の司祭 神門氏から出雲氏へ|神さんめぐり
http://ameblo.jp/aramitama/entry-10730508438.html
日本の苗字7000傑 姓氏類別大観 出雲氏
http://www.myj7000.jp-biz.net/clan/02/021/02119.htm
先代旧事本紀 国造:玄松子の祭神記
http://www.genbu.net/saijin/kuninomiyatuko.htm?print=on
10.嶋津國造 (三重県志摩半島)
出雲笠夜命 【天穂日命の後裔・出雲臣の祖・佐比祢足尼(天夷鳥命十世孫)の孫。鹽手命の子】
この神門氏の親が、出雲振根命(神門振根命)=倭健命(日本武命)で、親の咎が及ばない様に、殺された弟の飯入根命とした。
朝廷に献上したのが、杵築神社(現在の出雲大社)司祭の証たる、神門の氏姓の元と成った、神度剣=十束剣 / 大量剣(伊耶那岐命の天之尾羽張)の事である。 諏訪氏の男系は、子爵の小林家によって維持されているはず。 オードリー春日も諏訪系なんかね?
さよなら人類の知久も諏訪系なんかね? 江戸時代分家して旗本になった諏訪氏は男系で続いているのでしょうか >>244
朝鮮人は朝鮮人だからな
縄文=後の日本人 朝鮮は朝鮮、中国人は中国人
縄文系=縄文時代(縄文以前か?)〜現代2015年まで、
日本に住み続けている人々だと思うけど よくわからないが、チェーンソーゲーム?
あれは猟師のような話でしょ
モンスターハンターというゲームも
石器とか縄文の暮らしだよ 縄文人のDNA分析したら、日本人と似ていなかったでござる。
>日本列島3集団(アイヌ,本土日本,琉球)と縄文人を用いた主成分分析の結果、
>縄文人と遺伝的に類似の集団は見られず、遺伝的に非常に特異な集団であることが明らかとなった。
http://www.jstage.jst.go.jp/pub/pdfpreview/asj/122/1_122_122.117.jpg
古代日本列島人の核ゲノム解析
http://www.jstage.jst.go.jp/pub/pdfpreview/asj/122/1_122_122.117.jpg
長野県湯倉洞窟出土縄文時代早期人骨(mtDNA D4b2)
青森県尻労安部洞窟出土縄文時代中期人骨(mtDNA D4h2)
福島県三貫地貝塚出土縄文時代晩期人骨(mtDNA N9b,M7a2)から抽出した核ゲノムを解析
日本列島3集団(アイヌ,本土日本,琉球)と縄文人を用いた主成分分析の結果、
縄文人と遺伝的に類似の集団は見られず、遺伝的に非常に特異な集団であることが明らかとなった。
また、縄文人集団間の地理的・時代的な大きな遺伝的差異は見られなかった。
このことから、今回解析した青森,福島,長野を含む東北周辺の縄文人は、時代を通して、互いに遺伝的に類似の集団であった可能性がある。
縄文人と同一のSNPを共有する頻度を解析した結果、日本列島3集団が、北京の漢民族よりも多くのSNPを共有していた。
またその頻度は、アイヌが最も高く、琉球がその次に高かった。
http://ir.soken.ac.jp/?action=repository_uri&item_id=4960&file_id=19&file_no=1
http://ir.soken.ac.jp/?action=repository_uri&item_id=4960&file_id=19&file_no=2
Y染色体 約5千万塩基対
核ゲノム 約31億塩基対 うちの親戚に、天皇家より古い伝承だっていうのがある。
もちろん分家の分家の分家・・らしいけど。
で、その故地では、稲作が始まる前から住んでいて、稲作を始めて山から
降りたという伝承が有る。
その近隣の地域では、弥生中期の広大な水田跡が発掘された。 縄文人のDNA分析したら、日本人と似ていなかったでござる。
>日本列島3集団(アイヌ,本土日本,琉球)と縄文人を用いた主成分分析の結果、
>縄文人と遺伝的に類似の集団は見られず、遺伝的に非常に特異な集団であることが明らかとなった。
http://www.jstage.jst.go.jp/pub/pdfpreview/asj/122/1_122_122.117.jpg
古代日本列島人の核ゲノム解析
http://www.jstage.jst.go.jp/pub/pdfpreview/asj/122/1_122_122.117.jpg
長野県湯倉洞窟出土縄文時代早期人骨(mtDNA D4b2)
青森県尻労安部洞窟出土縄文時代中期人骨(mtDNA D4h2)
福島県三貫地貝塚出土縄文時代晩期人骨(mtDNA N9b,M7a2)から抽出した核ゲノムを解析
日本列島3集団(アイヌ,本土日本,琉球)と縄文人を用いた主成分分析の結果、
縄文人と遺伝的に類似の集団は見られず、遺伝的に非常に特異な集団であることが明らかとなった。
また、縄文人集団間の地理的・時代的な大きな遺伝的差異は見られなかった。
このことから、今回解析した青森,福島,長野を含む東北周辺の縄文人は、時代を通して、互いに遺伝的に類似の集団であった可能性がある。
縄文人と同一のSNPを共有する頻度を解析した結果、日本列島3集団が、北京の漢民族よりも多くのSNPを共有していた。
またその頻度は、アイヌが最も高く、琉球がその次に高かった。
http://ir.soken.ac.jp/?action=repository_uri&item_id=4960&file_id=19&file_no=1
http://ir.soken.ac.jp/?action=repository_uri&item_id=4960&file_id=19&file_no=2
Y染色体 約5千万塩基対
核ゲノム 約31億塩基対 一度諏訪に行ったことがある
田舎だ田舎だという先入観があったけど、思ったより田舎じゃなかった、というか
家が密集していたね
考えなおすと、地面を掘ると石器や土器がボコボコ出てくるくらいに、昔から多くの人が暮らしていたから、豊富な伝承や遺跡も生まれたわけだった 諏訪氏の男系を維持している子爵の小林家って当主だれ? まーだ6000年前の日本で小麦作をしていた事も知らない馬鹿がいるの?
6000年前に日本はもう小麦作をしていたんですよ。中国よりも先になwwww
岡山市の縄文時代の貝塚「朝寝鼻(あさねばな)」を調査している岡山理科大の
考古学チームが1999年4月21日、「縄文前期の土壌から稲の細胞に含まれる
プラントオパールが見つかった」と、発表。約6000年前に「米作り」が
行なわれていたとする発見で、稲作の歴史が縄文前期にまでさかのぼることになった。
このプラントオパールはイネ科の葉の細胞内に含まれるケイ酸体の粒子で、同貝塚の
下層(深さ2メートルの土壌)からのサンプルを採り調査したところ、356点の
サンプルから10点、形状からジャポニカ(短粒種)とみられる稲のプラントオパール
が検出された。また、稲のほか小麦とハトムギのプラントオパールも見つかった。
http://www.local.co.jp/news-drift/agri-99kome.html
稲のほか 小麦 とハトムギのプラントオパールも見つかった
稲のほか 小麦 とハトムギのプラントオパールも見つかった
稲のほか 小麦 とハトムギのプラントオパールも見つかった まーだ6000年前の日本で小麦作をしていた事も知らない馬鹿がいるの?
6000年前に日本はもう小麦作をしていたんですよ。中国よりも先になwwww
縄文時代前期とされる岡山県灘崎町、彦崎貝塚の約6000年前の地層から、
稲の細胞化石「プラント・オパール」=写真=が出土したと、同町教委が18日、発表した。
同時期としては朝寝鼻貝塚(岡山市)に次いで2例目だが、今回は化石が大量で、
小麦などのプラント・オパールも見つかり、町教委は「縄文前期の本格的農耕生活が
初めて裏付けられる資料」としている。
http://inoues.net/science/wan.html
今回は化石が大量で、 小麦 などのプラント・オパールも見つかり
今回は化石が大量で、 小麦 などのプラント・オパールも見つかり
今回は化石が大量で、 小麦 などのプラント・オパールも見つかり
今回は化石が大量で、 小麦 などのプラント・オパールも見つかり (Q)ツチノコとネトウヨってどっちが希少種なの?
(A)ツチノコは架空の生き物です
ネトウヨは架空の中で生きています
ですからネトウヨの方が実在している珍しい生き物です
みなさんネトウヨを虐待してはいけませんよ(笑) 江戸時代、大祝の家系だった諏方家には分家は無かったのでしょうか? 古代日本では、褐鉄鉱による鍛鉄が作られていた。
これはインド、東南アジア、中国江南にある技術で、火山国の日本は
金属資源が豊富だった。
最も古い有力氏族は阿蘇氏と諏訪氏で、褐鉄鉱の鉱山を持ち、
共通の神話を持つ。
阿蘇黄土・含鉄率69% 諏訪鉄山・含鉄率45%以下。
神武天皇は阿蘇氏。高天原は阿蘇山。
神武天皇の妃は姫蹈鞴五十鈴姫という製鉄にかかわる名を持つ。
日立金属冶金研究所が、奈良の古墳出土の刀剣等106点を化学分析
した結果、原料は赤鉄鉱・褐鉄鉱と判明した。
褐鉄鉱は朝鮮では使用されていない。
伊勢神宮内宮のもとの神職は宇治土公。宇治氏は阿蘇氏の子孫。
ところが途中で中臣氏に代わっている。
外宮の神主は尾張氏の系統。
熱田神宮の元の神職は尾張氏。途中で藤原氏に代わっている。
扶余人藤原氏に大和朝廷がのっとられた。
蘇我氏の祖先武内宿禰は宇治阿蘇といい、阿蘇氏。
蘇我氏は阿蘇氏で元の天皇家。
中大兄皇子は万葉集に皇族として歌が掲載されていないことから
皇族ではない。 諏訪近辺に住んでます。
家紋は梶の葉。
阿蘇氏と共通の神話の内容を教えてください。 九州の伝説によれば、阿蘇外輪山の内側はかつて広大な湖でした。そこで健磐龍命が山を蹴り崩し、水を海に流して土地を開いたといいます。
似たような伝説が諏訪の北、糸魚川・静岡構造線上の松本平にも伝わっています。それが泉小太郎伝説です。
景行天皇の時代まで、松本から安曇野にかけては広大な湖でした。その湖を泉小太郎とその母犀竜が、山を崩して日本海に水を流し、土地を拓きました。
http://www.tohyamago.com/rekisi/chuoukouzousen_suwa/ 諏訪大社の大祝(諏訪神職の最高位)として君臨した諏訪氏(上社神氏、下社金刺氏)の先祖をさかのぼると、
武五百建命(タケイオタツノミコト)という人物に行き当たります。
この人物は別名を健磐龍命(タケイワタツノミコト)といい、阿蘇神社の祭神であり、またその大宮司家である阿蘇氏の祖先でもあります。
つまり、信州の諏訪氏と九州の阿蘇氏は、先祖が同じなのです。 >>262
そもそも、宮崎に神門神社がある時点で、邪馬台国論者が、九州を出雲臣族支配地を否定するからややこしい
南九州が渡来勢力の拠点だったから、、九州が邪馬台国と渡来勢力のモノで、本州・西日本の出雲地域周辺だけを出雲臣族支配地と誤認してしまっている。
大昔から、本土全域と九州は、出雲の領地。
そこに、渡来勢力の天津神族の祖神が遣って来て、南九州を天皇家の祖、物部印恵・・と、丹後地域を徐福である物部開祖の饒速日が支配した。
※千家の祖が天穂日で、印恵(イニエ)と徐福の饒速日の祖父が・・天若日子。
関東の南国造家は、神門臣家の出雲族出身。
東北より以北は、同じ出雲族の向家の子の富家(登美・鳥海)の一族が開拓していた。 諏訪氏、阿蘇氏、出雲氏とゆかりのある方、DNA検査をしてみませんか?
私は諏訪氏系で名前にあるY-DNAの結果が出ました。
他にも諏訪系と思われる方のY-DNAが「C2e1a」です。
個人的な研究で申し訳ありませんが、
諏訪氏、阿蘇氏、出雲氏の繋がりを
Y-DNAから探れればと思っています。
「梶の葉」「鷹の羽「亀甲紋」の家紋を持つ方は是非!
検査費用は負担できませんが、、、
http://genographic.nationalgeographic.com/
http://yomogi.2ch.net/test/read.cgi/geo/1439360578/ 最近、発掘された縄文人の人骨からミトコンドリアDNAを抽出し、それを世界各地の人々と比較する研究が行われた。
その結果、20数体の縄文人のミトコンドリアDNAの内、17体がシベリアのバイカル湖周辺に住むブリヤート人のDNA構造と同じことが判った。
その他の東南アジア人や朝鮮人や台湾人などと同じDNA構造は極めて少数だった。
http://deliciousicecoffee.blog28.fc2.com/blog-entry-3392.html
Cは日本で最も古いタイプですな。中央・北アジア、オーストラリア、日本。
モンゴルで高い頻度で現れる。
古い時代のもので弥生時代以降のものではない。縄文以前からのもの。
江南からの渡来人ではない。
諏訪氏はおそらく、最も古い時代の鍛鉄の生産技法である、褐鉄鉱による鍛鉄の生産と関わっている。諏訪大社の鉄鐸、
諏褐鉄の鉱訪鉄山、製鉄と関わる関連氏族名。
稲作、鍛鉄の技術だけ、江南か東南アジア、インドからもちこまれたようだ。 最近、発掘された縄文人の人骨からミトコンドリアDNAを抽出し、それを世界各地の人々と比較する研究が行われた。
その結果、20数体の縄文人のミトコンドリアDNAの内、17体がシベリアのバイカル湖周辺に住むブリヤート人のDNA構造と同じことが判った。
その他の東南アジア人や朝鮮人や台湾人などと同じDNA構造は極めて少数だった。
http://deliciousicecoffee.blog28.fc2.com/blog-entry-3392.html
Cは日本で最も古いタイプですな。中央・北アジア、オーストラリア、日本。
モンゴルで高い頻度で現れる。
古い時代のもので弥生時代以降のものではない。縄文以前からのもの。
江南からの渡来人ではない。
諏訪氏はおそらく、最も古い時代の鍛鉄の生産技法である、褐鉄鉱による鍛鉄の生産と関わっている。諏訪大社の鉄鐸、
褐鉄鉱の諏訪鉄山、製鉄と関わる関連氏族名。
稲作、鍛鉄の技術だけ、江南か東南アジア、インドからもちこまれたようだ。 ↑こいつはいつもの 台湾 褐色ブタ広鼻土人。
日本に水田稲作が伝わった当時の長江江南の遺跡から出土するイネの
約半分は中粒種である。
ところが、日本の最古水田から出土した炭化米は短粒種のみ。
しかも、当時の長江江南の主力農具だったはずの石鋤が伝わっていない。
というか、日本の最古水田から出てきた農具には石鋤どころか、
鋤という器種自体が無い。
それどころか、エブリとクワといった当時の江南には無い農具が最初に
伝わってしまっている。
しかも、当時の長江江南の炊飯器だった鬲や鼎といった三足土器も
最古水田にはさっぱり伝わっていない。
稲作が長江江南なんて2兆パーセントありえません。 それどころか、エブリとクワといった当時の江南には無い農具が最初に
伝わってしまっている。
しかも、当時の長江江南の炊飯器だった鬲や鼎といった三足土器も
最古水田にはさっぱり伝わっていない。
稲作が長江江南なんて2兆パーセントありえません。 日本に水田稲作が伝わった当時の長江江南の遺跡から出土するイネの約半分は中粒種。
ところが、日本の最古水田から出土した炭化米は短粒種のみ。
しかも、当時の長江江南の主力農具だったはずの石鋤が伝わっていない。
というか、日本の最古水田から出てきた農具には石鋤どころか、鋤という器種自体が無い。
それどころか、エブリとクワといった当時の江南には無い農具が最初に 伝わってしまっている。
しかも、当時の長江江南の炊飯器だった鬲や鼎といった三足土器も最古水田にはさっぱり伝わっていない。
稲作が長江江南なんて2兆パーセントありえません。 それでどんな祟り神信仰なんかと結びつくんかな?
首塚信仰(平将門)とか稲荷信仰(淀君)みたいな話 稲荷社そこら中にあるから豊臣淀君なんかも神様になってるわけでな いわゆる隠れ御祭神みたいなもんだから気づかないやつ多かろ 安倍氏だったっけ?元は出雲と同じだとされてるけど、奈良の富家が本家に見放されてアベを名乗ったとされるのだが・・
陰陽のアベとどうかかわってるのかは知らんが、信濃に痕跡は沢山ある
・木曽の新開にある、清博士
・木曽福島にある清明神社
・上松の若宮神社の葛の葉神事(鏡文字で句を書いて最後に星を描く)
たぶんみんな知ってると思う。
更に、辰野病院の近くの諏訪神社。その西に墓地がある。その西に鳥居だけの神社があり清明不動の石碑がある
これは封印か監視を表すのではと。
奈良の出雲氏が山の祭祀から追い出されてダンノダイラに行き、西側にはアベ氏が住んだとされるのだが
神武天皇の碑の周囲に四角い石が7個。福井の土御門の京都からの疎開先のあの石と同じだ
更に拝殿の右にある崇敬会の建物の名前は清明殿
穂高神社と同じく陰陽師は諏訪・出雲の封印に関わっていたと妄想している。 物部守屋氏について調査が終わったので書き込むことにする。
数年前、諏訪の記念館に奈良からの来訪があった。その人は家系図を持っており、何とピタリと一致
物部守屋の二男さんが諏訪に血を残したという伝承はホントだった。
実は物部守屋が滅ぼされなかったのには理由があって、守屋のお姉さんが蘇我のお嫁さんだったから相続する必要があったらしい
一番の拠点は四天王寺だかに上書きされたが、長男は奈良に残り、二男さんがこっちに来たという事
「むらやにいますふつひめ」神社が今も守屋家が守る神社。諏訪にきた宮司さんもまだ存命だよ。御朱印貰うなら今のうち
守屋山の歴史が何度か上書きされているらしいが、奥社の家紋が諏訪梶でない理由、守屋神社が御柱を建てない理由はそこにあるのだろう
諏訪氏や諏訪の守屋家と、出雲の向井家には一定の距離があり、それで諏訪の神様は出雲に10月に行かなくとも良くなったのかもしれない
物部氏は九州から東征して出雲を攻撃したから長い年月と言うのは感慨深い。
今の諏訪の宮司さんは北島家から来ているし、東信の熊野神社は本来は仇敵の八咫烏でありながら周辺の諏訪神社の管理をしている。 >>279
いわゆる「すくも」と呼ばれる「茅:かや」の堆積物が多いです。
なので隣りの市は茅野市なのです。 長野県諏訪市にある諏訪大社は光仁帝の宝亀10年(779年)に阿波の多祁御奈刀弥神社から移遷された、
と社伝にあるそうだ。その頃、現在の長野県にある諏訪大社は「南方刀美(みなとみ)神社」と言われており、
阿波からご祭神が移されてきたことが伝えられている。つまり大国主命の息子神である建御名方神は
ここ石井町諏訪に祀られ、ここから各地に広がっていった、ということである。
それにしても観光地として多くの参拝者が訪れる諏訪大社のご祭神が
阿波から移遷された神様だと知っているひとはどれだけいるだろうか。 御祭神は、建御名方神(たけみなかたのかみ)、八坂刀売神(やさかとめのかみ)の二柱です。
建御名方神は、大国主神と高志河比売神の御子神で、八坂刀売神は妃神です。
下社には御二柱に併せて御兄神、八重事代主神が祀られています。
式内社「事代主神社」が全国で阿波にだけ(島根にさえ無い)あるように、事代主命は阿波の人物でしょう。
高志河比売神とは、別名・高志沼河姫で、高志(地名)の沼河姫のことです。
この「高志」とは、徳島県板野郡の地名です。 出雲の国譲りのルートって何気に謎だよね
まず、延喜式名なと、南方富の神の社、だったっけ。これは富家の正当を名乗ったという事
と、中央から目を付けられた存在ともとれる
富家伝承だと、出雲帝国は新潟まで伸長してたとあり、母方の血筋をたどり糸魚川から長野に入ったと
松本市山辺はタテミナカタ降臨伝承があるのだが(薄水神社奥社は扉温泉近くにあり)小野神社よりはるか南
辰野病院の諏訪神社は、タテミナカタのおばあさんが葬られている
伊那谷を通らず、塩尻から辰野に行き、岡谷周りで諏訪に入り布陣したという事になると、有賀峠ルートの伝承と若干矛盾する
有賀峠ルートは南下すると「石船渡」釜口水門近くには結界の境を指す「小坂」地名がある
船渡=クナトの大神だから有賀峠ルートも捨て難い
話は変わるが、富家の家紋が×印になり御柱にはその刻印が明治まで刻まれていた
今、御柱にその刻印をしてるのは宇宙飛行士の出身地の村のとある諏訪神社くらいかな ■ このスレッドは過去ログ倉庫に格納されています