国津神嫡流の諏訪氏について語る
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天皇家とは天照大神から続く「天津神」の子孫の嫡流である
では「天津神」の対極の存在である「国津神」の嫡流の子孫はどこか?
答は素戔嗚尊―大国主命―健御名方命と続く「諏訪家」である
諏訪家の男系は維持されているのかというと、諏訪大社の大祝家は断絶、大名家も女系になってしまっている >>221
畿内説の学者って考古学専門が多いせいか
ろくに漢文のニュアンスわかってない人が多いんだよね
狗奴国は奴国の南でしかありえないからどう考えても九州内だろうに 結局、研究が進むごとに魏志倭人伝とはなんだったのか状態になってくるべ >>167
微妙にスレ違いかもしれないが、守矢氏の次代はまだ未定だけど
直系の候補者はいるとのことで、早苗氏が閉じる決断をしない限りは続く模様。
しおりには、明治維新のごたごたと当主の交代で守矢一族の秘儀が失われてしまった
とあるけれど、単なる想像だけど、江戸時代までに口承は少なからず散逸していたんじゃないのかな。
歴代当主でいろいろ備忘録書いているところを見ると、書くことはタブーというわけでもなさそうだし。 長野市のはずれに住んでるけど、
うち家系も遡ると本家はここだわ。
諏訪神家党にある珍しい名前だし、
先祖代々ここに住んでるから間違いないと思う。
恐らくこの辺に住んでる人はほとんど
国津神の子孫なんじゃないかなw 阿蘇家、諏訪家、千家家、北島家
いずれも天皇家よりも古い。 天皇家ばりに史料批判されたら、ボロボロになりそうw >>222
邪馬台国九州に未だ未練持っているのかよ?
3世紀紀年鏡が西日本一帯に分布していること、及び年輪年代学により
3世紀が前方後円墳の時代であったことが確実なことにより、
ほぼ全員の研究者が「邪馬台国=畿内」という心証を持っている。
「東至投馬国(おそらく出雲)」をとなりの行の「南至」と写間違えたただけのこと。
古い「魏志倭人伝」が、邪馬台国=大和と判断できる記述になっていたのは、
正しい地理感を持っている隋書倭国伝に「(倭国は)ヤマトに都す。すなわち魏志のいわゆる邪馬台なるものなり」
とあることからも確実
ただ狗奴国は熊本菊池地方でよい。魏志に書かれているのは大和と熊襲の戦い。
内藤湖南説と笠井新也が正しかったってこと。 >>230
いや、俺は最初から畿内説だが?
俺は漢文から入って畿内説になったタイプで、考古学畑じゃないんだよ。
でも畿内派ってどっちかっていうと考古学得意な人のほうが多いじゃん。
あと、おまえさんの言ってることは2ヶ所除いてほぼ同意
>「東至投馬国(おそらく出雲)」をとなりの行の「南至」と写間違えた
>狗奴国は熊本菊池地方でよい。
↑この2ヶ所は同意できない。
狗奴国は球磨郡(人吉盆地)が本拠で菊池は北の前線基地だろう 大祝になった諏方家は15代目で断絶となりましたが、
江戸時代に分家などは無かったのでしょうか? そう考えると、直系を名乗る神社の神官より、早い時期に分家した名も無き諸氏の中に、高貴な男系の血が残っている場合が多いでしょうね。
そして何かのきっかけで、鳶が鷹を生むような豪傑が生まれる。
世の中そういう具合にできげいるような気がします。 漢文ねえ
全然当てになりそうもないわ
妄想の範疇として捉えさせてもらいま >>234
当てになるも糞も、漢籍はそもそも漢文よめなきゃ話にならんだろ
アホは無理して話にまざらんでもいいんやで 美穂須々美命が建御名方神と同一神って説は何か根拠あるの? >>127
穂日(千家)の渡来出雲族が伝える「古事記上巻系譜」
http://homepage3.nifty.com/tora_tora/JapaneseMyth/pedigree/pedigree1.htm
↓
古代出雲王朝ゆかりの地を訪ねて 大和葛城地方へ移住した出雲王家の人々 その1 - アウトドアライフの記録のサイトの下方に・・
http://blog.goo.ne.jp/yochanh1947/e/6c6663b99e1cc5d9cd8443606c7157c4
古代出雲王朝系図
※斉木雲州著 「出雲と大和のあけぼの」 大元出版より
出雲王家と親族と言う系譜画像写真が参考。
※名前の頭の番号が、今、分って居る、その時代の主王だった神門臣家と向家2交代王朝制度の順番です。
穂日(千家)の渡来出雲族が伝える「古事記上巻系譜」では・・
・建速須佐之男命−八島士奴美神(八島篠)−布波能母遅久奴須奴神(布葉之文字巧為)−D深淵之水夜礼花神−淤美豆奴神−F天之冬衣神−G大国主神−H鳥鳴海神−I国忍富神−J速甕之多気佐波夜遅奴美神−K甕主彦・・
向家・富家が伝える系譜は・・
諏訪家の祖、建御名方は、向家の祖、八重波津身(事代主)の子神。(鳥鳴海とは、異母兄弟。)
・御中主命=国常立命(クナト大神)
向家・富家
クナト大神−八島篠−布葉之文字巧為−D深淵之水夜礼花−淤美豆奴−F天之冬衣−八重波津身(事代主)−H鳥鳴海−I国忍富−L田干岸円味−N布忍富取成身−O簸張大科戸箕−弩美宿祢(野見宿禰)−飯入根
神門臣家
クナト大神−八島篠−布葉之文字巧為−
E八束水臣津野−赤衾伊努意保須美比古佐倭気−G八千矛(大穴持・大国主)−伊佐我(伊佐波)=出雲建子(伊勢津彦)・阿遅須枳高日子−鹽冶毘古能−J速甕之建沢谷地乃身−K甕主彦−M身櫓浪−P遠津山崎帯−Q振根=倭健(日本武?)−伊賀曽熊の子↓
建部(武部)と出雲笠夜の島氏=斯摩宿禰(志摩・島−島谷(散自出雲族?))
宗像家
クナト大神−八島篠−布葉之文字巧為−E八束水臣津野−吾田片隅−田心姫・多岐津姫・市杵島姫(宗像3女神。)
※田心姫は、向家の天之冬衣の后(八重波津身=事代主神の母神。)で、多岐津姫は、八千矛(大穴持・大国主神)の后で、市杵島姫が、饒速日(物部始祖・徐福)の后。 >>236
>>237の
>古代出雲王朝ゆかりの地を訪ねて 大和葛城地方へ移住した出雲王家の人々 その1 - アウトドアライフの記録のサイトの下方に・・
>http://blog.goo.ne.jp/yochanh1947/e/6c6663b99e1cc5d9cd8443606c7157c4
>古代出雲王朝系図
>※斉木雲州著 「出雲と大和のあけぼの」 大元出版より
この熊野大社司祭家の向家旧家伝の神代系譜では・・
美穂須々美命と建御名方神は兄弟神と成っている。 神門氏 とは - コトバンク
http://kotobank.jp/word/%E7%A5%9E%E9%96%80%E6%B0%8F
豪族神門(かんど)氏が,その配下の人々を日置部・海部・鳥取部・神奴部等に編成して,杵築大神の祭料をととのえさせた。
出雲の司祭 神門氏から出雲氏へ|神さんめぐり
http://ameblo.jp/aramitama/entry-10730508438.html
日本の苗字7000傑 姓氏類別大観 出雲氏
http://www.myj7000.jp-biz.net/clan/02/021/02119.htm
先代旧事本紀 国造:玄松子の祭神記
http://www.genbu.net/saijin/kuninomiyatuko.htm?print=on
10.嶋津國造 (三重県志摩半島)
出雲笠夜命 【天穂日命の後裔・出雲臣の祖・佐比祢足尼(天夷鳥命十世孫)の孫。鹽手命の子】
この神門氏の親が、出雲振根命(神門振根命)=倭健命(日本武命)で、親の咎が及ばない様に、殺された弟の飯入根命とした。
朝廷に献上したのが、杵築神社(現在の出雲大社)司祭の証たる、神門の氏姓の元と成った、神度剣=十束剣 / 大量剣(伊耶那岐命の天之尾羽張)の事である。 諏訪氏の男系は、子爵の小林家によって維持されているはず。 オードリー春日も諏訪系なんかね?
さよなら人類の知久も諏訪系なんかね? 江戸時代分家して旗本になった諏訪氏は男系で続いているのでしょうか >>244
朝鮮人は朝鮮人だからな
縄文=後の日本人 朝鮮は朝鮮、中国人は中国人
縄文系=縄文時代(縄文以前か?)〜現代2015年まで、
日本に住み続けている人々だと思うけど よくわからないが、チェーンソーゲーム?
あれは猟師のような話でしょ
モンスターハンターというゲームも
石器とか縄文の暮らしだよ 縄文人のDNA分析したら、日本人と似ていなかったでござる。
>日本列島3集団(アイヌ,本土日本,琉球)と縄文人を用いた主成分分析の結果、
>縄文人と遺伝的に類似の集団は見られず、遺伝的に非常に特異な集団であることが明らかとなった。
http://www.jstage.jst.go.jp/pub/pdfpreview/asj/122/1_122_122.117.jpg
古代日本列島人の核ゲノム解析
http://www.jstage.jst.go.jp/pub/pdfpreview/asj/122/1_122_122.117.jpg
長野県湯倉洞窟出土縄文時代早期人骨(mtDNA D4b2)
青森県尻労安部洞窟出土縄文時代中期人骨(mtDNA D4h2)
福島県三貫地貝塚出土縄文時代晩期人骨(mtDNA N9b,M7a2)から抽出した核ゲノムを解析
日本列島3集団(アイヌ,本土日本,琉球)と縄文人を用いた主成分分析の結果、
縄文人と遺伝的に類似の集団は見られず、遺伝的に非常に特異な集団であることが明らかとなった。
また、縄文人集団間の地理的・時代的な大きな遺伝的差異は見られなかった。
このことから、今回解析した青森,福島,長野を含む東北周辺の縄文人は、時代を通して、互いに遺伝的に類似の集団であった可能性がある。
縄文人と同一のSNPを共有する頻度を解析した結果、日本列島3集団が、北京の漢民族よりも多くのSNPを共有していた。
またその頻度は、アイヌが最も高く、琉球がその次に高かった。
http://ir.soken.ac.jp/?action=repository_uri&item_id=4960&file_id=19&file_no=1
http://ir.soken.ac.jp/?action=repository_uri&item_id=4960&file_id=19&file_no=2
Y染色体 約5千万塩基対
核ゲノム 約31億塩基対 うちの親戚に、天皇家より古い伝承だっていうのがある。
もちろん分家の分家の分家・・らしいけど。
で、その故地では、稲作が始まる前から住んでいて、稲作を始めて山から
降りたという伝承が有る。
その近隣の地域では、弥生中期の広大な水田跡が発掘された。 縄文人のDNA分析したら、日本人と似ていなかったでござる。
>日本列島3集団(アイヌ,本土日本,琉球)と縄文人を用いた主成分分析の結果、
>縄文人と遺伝的に類似の集団は見られず、遺伝的に非常に特異な集団であることが明らかとなった。
http://www.jstage.jst.go.jp/pub/pdfpreview/asj/122/1_122_122.117.jpg
古代日本列島人の核ゲノム解析
http://www.jstage.jst.go.jp/pub/pdfpreview/asj/122/1_122_122.117.jpg
長野県湯倉洞窟出土縄文時代早期人骨(mtDNA D4b2)
青森県尻労安部洞窟出土縄文時代中期人骨(mtDNA D4h2)
福島県三貫地貝塚出土縄文時代晩期人骨(mtDNA N9b,M7a2)から抽出した核ゲノムを解析
日本列島3集団(アイヌ,本土日本,琉球)と縄文人を用いた主成分分析の結果、
縄文人と遺伝的に類似の集団は見られず、遺伝的に非常に特異な集団であることが明らかとなった。
また、縄文人集団間の地理的・時代的な大きな遺伝的差異は見られなかった。
このことから、今回解析した青森,福島,長野を含む東北周辺の縄文人は、時代を通して、互いに遺伝的に類似の集団であった可能性がある。
縄文人と同一のSNPを共有する頻度を解析した結果、日本列島3集団が、北京の漢民族よりも多くのSNPを共有していた。
またその頻度は、アイヌが最も高く、琉球がその次に高かった。
http://ir.soken.ac.jp/?action=repository_uri&item_id=4960&file_id=19&file_no=1
http://ir.soken.ac.jp/?action=repository_uri&item_id=4960&file_id=19&file_no=2
Y染色体 約5千万塩基対
核ゲノム 約31億塩基対 一度諏訪に行ったことがある
田舎だ田舎だという先入観があったけど、思ったより田舎じゃなかった、というか
家が密集していたね
考えなおすと、地面を掘ると石器や土器がボコボコ出てくるくらいに、昔から多くの人が暮らしていたから、豊富な伝承や遺跡も生まれたわけだった 諏訪氏の男系を維持している子爵の小林家って当主だれ? まーだ6000年前の日本で小麦作をしていた事も知らない馬鹿がいるの?
6000年前に日本はもう小麦作をしていたんですよ。中国よりも先になwwww
岡山市の縄文時代の貝塚「朝寝鼻(あさねばな)」を調査している岡山理科大の
考古学チームが1999年4月21日、「縄文前期の土壌から稲の細胞に含まれる
プラントオパールが見つかった」と、発表。約6000年前に「米作り」が
行なわれていたとする発見で、稲作の歴史が縄文前期にまでさかのぼることになった。
このプラントオパールはイネ科の葉の細胞内に含まれるケイ酸体の粒子で、同貝塚の
下層(深さ2メートルの土壌)からのサンプルを採り調査したところ、356点の
サンプルから10点、形状からジャポニカ(短粒種)とみられる稲のプラントオパール
が検出された。また、稲のほか小麦とハトムギのプラントオパールも見つかった。
http://www.local.co.jp/news-drift/agri-99kome.html
稲のほか 小麦 とハトムギのプラントオパールも見つかった
稲のほか 小麦 とハトムギのプラントオパールも見つかった
稲のほか 小麦 とハトムギのプラントオパールも見つかった まーだ6000年前の日本で小麦作をしていた事も知らない馬鹿がいるの?
6000年前に日本はもう小麦作をしていたんですよ。中国よりも先になwwww
縄文時代前期とされる岡山県灘崎町、彦崎貝塚の約6000年前の地層から、
稲の細胞化石「プラント・オパール」=写真=が出土したと、同町教委が18日、発表した。
同時期としては朝寝鼻貝塚(岡山市)に次いで2例目だが、今回は化石が大量で、
小麦などのプラント・オパールも見つかり、町教委は「縄文前期の本格的農耕生活が
初めて裏付けられる資料」としている。
http://inoues.net/science/wan.html
今回は化石が大量で、 小麦 などのプラント・オパールも見つかり
今回は化石が大量で、 小麦 などのプラント・オパールも見つかり
今回は化石が大量で、 小麦 などのプラント・オパールも見つかり
今回は化石が大量で、 小麦 などのプラント・オパールも見つかり (Q)ツチノコとネトウヨってどっちが希少種なの?
(A)ツチノコは架空の生き物です
ネトウヨは架空の中で生きています
ですからネトウヨの方が実在している珍しい生き物です
みなさんネトウヨを虐待してはいけませんよ(笑) 江戸時代、大祝の家系だった諏方家には分家は無かったのでしょうか? 古代日本では、褐鉄鉱による鍛鉄が作られていた。
これはインド、東南アジア、中国江南にある技術で、火山国の日本は
金属資源が豊富だった。
最も古い有力氏族は阿蘇氏と諏訪氏で、褐鉄鉱の鉱山を持ち、
共通の神話を持つ。
阿蘇黄土・含鉄率69% 諏訪鉄山・含鉄率45%以下。
神武天皇は阿蘇氏。高天原は阿蘇山。
神武天皇の妃は姫蹈鞴五十鈴姫という製鉄にかかわる名を持つ。
日立金属冶金研究所が、奈良の古墳出土の刀剣等106点を化学分析
した結果、原料は赤鉄鉱・褐鉄鉱と判明した。
褐鉄鉱は朝鮮では使用されていない。
伊勢神宮内宮のもとの神職は宇治土公。宇治氏は阿蘇氏の子孫。
ところが途中で中臣氏に代わっている。
外宮の神主は尾張氏の系統。
熱田神宮の元の神職は尾張氏。途中で藤原氏に代わっている。
扶余人藤原氏に大和朝廷がのっとられた。
蘇我氏の祖先武内宿禰は宇治阿蘇といい、阿蘇氏。
蘇我氏は阿蘇氏で元の天皇家。
中大兄皇子は万葉集に皇族として歌が掲載されていないことから
皇族ではない。 諏訪近辺に住んでます。
家紋は梶の葉。
阿蘇氏と共通の神話の内容を教えてください。 九州の伝説によれば、阿蘇外輪山の内側はかつて広大な湖でした。そこで健磐龍命が山を蹴り崩し、水を海に流して土地を開いたといいます。
似たような伝説が諏訪の北、糸魚川・静岡構造線上の松本平にも伝わっています。それが泉小太郎伝説です。
景行天皇の時代まで、松本から安曇野にかけては広大な湖でした。その湖を泉小太郎とその母犀竜が、山を崩して日本海に水を流し、土地を拓きました。
http://www.tohyamago.com/rekisi/chuoukouzousen_suwa/ 諏訪大社の大祝(諏訪神職の最高位)として君臨した諏訪氏(上社神氏、下社金刺氏)の先祖をさかのぼると、
武五百建命(タケイオタツノミコト)という人物に行き当たります。
この人物は別名を健磐龍命(タケイワタツノミコト)といい、阿蘇神社の祭神であり、またその大宮司家である阿蘇氏の祖先でもあります。
つまり、信州の諏訪氏と九州の阿蘇氏は、先祖が同じなのです。 >>262
そもそも、宮崎に神門神社がある時点で、邪馬台国論者が、九州を出雲臣族支配地を否定するからややこしい
南九州が渡来勢力の拠点だったから、、九州が邪馬台国と渡来勢力のモノで、本州・西日本の出雲地域周辺だけを出雲臣族支配地と誤認してしまっている。
大昔から、本土全域と九州は、出雲の領地。
そこに、渡来勢力の天津神族の祖神が遣って来て、南九州を天皇家の祖、物部印恵・・と、丹後地域を徐福である物部開祖の饒速日が支配した。
※千家の祖が天穂日で、印恵(イニエ)と徐福の饒速日の祖父が・・天若日子。
関東の南国造家は、神門臣家の出雲族出身。
東北より以北は、同じ出雲族の向家の子の富家(登美・鳥海)の一族が開拓していた。 諏訪氏、阿蘇氏、出雲氏とゆかりのある方、DNA検査をしてみませんか?
私は諏訪氏系で名前にあるY-DNAの結果が出ました。
他にも諏訪系と思われる方のY-DNAが「C2e1a」です。
個人的な研究で申し訳ありませんが、
諏訪氏、阿蘇氏、出雲氏の繋がりを
Y-DNAから探れればと思っています。
「梶の葉」「鷹の羽「亀甲紋」の家紋を持つ方は是非!
検査費用は負担できませんが、、、
http://genographic.nationalgeographic.com/
http://yomogi.2ch.net/test/read.cgi/geo/1439360578/ 最近、発掘された縄文人の人骨からミトコンドリアDNAを抽出し、それを世界各地の人々と比較する研究が行われた。
その結果、20数体の縄文人のミトコンドリアDNAの内、17体がシベリアのバイカル湖周辺に住むブリヤート人のDNA構造と同じことが判った。
その他の東南アジア人や朝鮮人や台湾人などと同じDNA構造は極めて少数だった。
http://deliciousicecoffee.blog28.fc2.com/blog-entry-3392.html
Cは日本で最も古いタイプですな。中央・北アジア、オーストラリア、日本。
モンゴルで高い頻度で現れる。
古い時代のもので弥生時代以降のものではない。縄文以前からのもの。
江南からの渡来人ではない。
諏訪氏はおそらく、最も古い時代の鍛鉄の生産技法である、褐鉄鉱による鍛鉄の生産と関わっている。諏訪大社の鉄鐸、
諏褐鉄の鉱訪鉄山、製鉄と関わる関連氏族名。
稲作、鍛鉄の技術だけ、江南か東南アジア、インドからもちこまれたようだ。 最近、発掘された縄文人の人骨からミトコンドリアDNAを抽出し、それを世界各地の人々と比較する研究が行われた。
その結果、20数体の縄文人のミトコンドリアDNAの内、17体がシベリアのバイカル湖周辺に住むブリヤート人のDNA構造と同じことが判った。
その他の東南アジア人や朝鮮人や台湾人などと同じDNA構造は極めて少数だった。
http://deliciousicecoffee.blog28.fc2.com/blog-entry-3392.html
Cは日本で最も古いタイプですな。中央・北アジア、オーストラリア、日本。
モンゴルで高い頻度で現れる。
古い時代のもので弥生時代以降のものではない。縄文以前からのもの。
江南からの渡来人ではない。
諏訪氏はおそらく、最も古い時代の鍛鉄の生産技法である、褐鉄鉱による鍛鉄の生産と関わっている。諏訪大社の鉄鐸、
褐鉄鉱の諏訪鉄山、製鉄と関わる関連氏族名。
稲作、鍛鉄の技術だけ、江南か東南アジア、インドからもちこまれたようだ。 ↑こいつはいつもの 台湾 褐色ブタ広鼻土人。
日本に水田稲作が伝わった当時の長江江南の遺跡から出土するイネの
約半分は中粒種である。
ところが、日本の最古水田から出土した炭化米は短粒種のみ。
しかも、当時の長江江南の主力農具だったはずの石鋤が伝わっていない。
というか、日本の最古水田から出てきた農具には石鋤どころか、
鋤という器種自体が無い。
それどころか、エブリとクワといった当時の江南には無い農具が最初に
伝わってしまっている。
しかも、当時の長江江南の炊飯器だった鬲や鼎といった三足土器も
最古水田にはさっぱり伝わっていない。
稲作が長江江南なんて2兆パーセントありえません。 それどころか、エブリとクワといった当時の江南には無い農具が最初に
伝わってしまっている。
しかも、当時の長江江南の炊飯器だった鬲や鼎といった三足土器も
最古水田にはさっぱり伝わっていない。
稲作が長江江南なんて2兆パーセントありえません。 日本に水田稲作が伝わった当時の長江江南の遺跡から出土するイネの約半分は中粒種。
ところが、日本の最古水田から出土した炭化米は短粒種のみ。
しかも、当時の長江江南の主力農具だったはずの石鋤が伝わっていない。
というか、日本の最古水田から出てきた農具には石鋤どころか、鋤という器種自体が無い。
それどころか、エブリとクワといった当時の江南には無い農具が最初に 伝わってしまっている。
しかも、当時の長江江南の炊飯器だった鬲や鼎といった三足土器も最古水田にはさっぱり伝わっていない。
稲作が長江江南なんて2兆パーセントありえません。 それでどんな祟り神信仰なんかと結びつくんかな?
首塚信仰(平将門)とか稲荷信仰(淀君)みたいな話 稲荷社そこら中にあるから豊臣淀君なんかも神様になってるわけでな いわゆる隠れ御祭神みたいなもんだから気づかないやつ多かろ 安倍氏だったっけ?元は出雲と同じだとされてるけど、奈良の富家が本家に見放されてアベを名乗ったとされるのだが・・
陰陽のアベとどうかかわってるのかは知らんが、信濃に痕跡は沢山ある
・木曽の新開にある、清博士
・木曽福島にある清明神社
・上松の若宮神社の葛の葉神事(鏡文字で句を書いて最後に星を描く)
たぶんみんな知ってると思う。
更に、辰野病院の近くの諏訪神社。その西に墓地がある。その西に鳥居だけの神社があり清明不動の石碑がある
これは封印か監視を表すのではと。
奈良の出雲氏が山の祭祀から追い出されてダンノダイラに行き、西側にはアベ氏が住んだとされるのだが
神武天皇の碑の周囲に四角い石が7個。福井の土御門の京都からの疎開先のあの石と同じだ
更に拝殿の右にある崇敬会の建物の名前は清明殿
穂高神社と同じく陰陽師は諏訪・出雲の封印に関わっていたと妄想している。 物部守屋氏について調査が終わったので書き込むことにする。
数年前、諏訪の記念館に奈良からの来訪があった。その人は家系図を持っており、何とピタリと一致
物部守屋の二男さんが諏訪に血を残したという伝承はホントだった。
実は物部守屋が滅ぼされなかったのには理由があって、守屋のお姉さんが蘇我のお嫁さんだったから相続する必要があったらしい
一番の拠点は四天王寺だかに上書きされたが、長男は奈良に残り、二男さんがこっちに来たという事
「むらやにいますふつひめ」神社が今も守屋家が守る神社。諏訪にきた宮司さんもまだ存命だよ。御朱印貰うなら今のうち
守屋山の歴史が何度か上書きされているらしいが、奥社の家紋が諏訪梶でない理由、守屋神社が御柱を建てない理由はそこにあるのだろう
諏訪氏や諏訪の守屋家と、出雲の向井家には一定の距離があり、それで諏訪の神様は出雲に10月に行かなくとも良くなったのかもしれない
物部氏は九州から東征して出雲を攻撃したから長い年月と言うのは感慨深い。
今の諏訪の宮司さんは北島家から来ているし、東信の熊野神社は本来は仇敵の八咫烏でありながら周辺の諏訪神社の管理をしている。 >>279
いわゆる「すくも」と呼ばれる「茅:かや」の堆積物が多いです。
なので隣りの市は茅野市なのです。 長野県諏訪市にある諏訪大社は光仁帝の宝亀10年(779年)に阿波の多祁御奈刀弥神社から移遷された、
と社伝にあるそうだ。その頃、現在の長野県にある諏訪大社は「南方刀美(みなとみ)神社」と言われており、
阿波からご祭神が移されてきたことが伝えられている。つまり大国主命の息子神である建御名方神は
ここ石井町諏訪に祀られ、ここから各地に広がっていった、ということである。
それにしても観光地として多くの参拝者が訪れる諏訪大社のご祭神が
阿波から移遷された神様だと知っているひとはどれだけいるだろうか。 御祭神は、建御名方神(たけみなかたのかみ)、八坂刀売神(やさかとめのかみ)の二柱です。
建御名方神は、大国主神と高志河比売神の御子神で、八坂刀売神は妃神です。
下社には御二柱に併せて御兄神、八重事代主神が祀られています。
式内社「事代主神社」が全国で阿波にだけ(島根にさえ無い)あるように、事代主命は阿波の人物でしょう。
高志河比売神とは、別名・高志沼河姫で、高志(地名)の沼河姫のことです。
この「高志」とは、徳島県板野郡の地名です。 出雲の国譲りのルートって何気に謎だよね
まず、延喜式名なと、南方富の神の社、だったっけ。これは富家の正当を名乗ったという事
と、中央から目を付けられた存在ともとれる
富家伝承だと、出雲帝国は新潟まで伸長してたとあり、母方の血筋をたどり糸魚川から長野に入ったと
松本市山辺はタテミナカタ降臨伝承があるのだが(薄水神社奥社は扉温泉近くにあり)小野神社よりはるか南
辰野病院の諏訪神社は、タテミナカタのおばあさんが葬られている
伊那谷を通らず、塩尻から辰野に行き、岡谷周りで諏訪に入り布陣したという事になると、有賀峠ルートの伝承と若干矛盾する
有賀峠ルートは南下すると「石船渡」釜口水門近くには結界の境を指す「小坂」地名がある
船渡=クナトの大神だから有賀峠ルートも捨て難い
話は変わるが、富家の家紋が×印になり御柱にはその刻印が明治まで刻まれていた
今、御柱にその刻印をしてるのは宇宙飛行士の出身地の村のとある諏訪神社くらいかな ナガスネヒコの苗字?地名?も鳥見(とみ)だった。
たしか阿蘇氏の子孫に「富」という文字を含む苗字の子孫がいたと思う。
何か関係や意味があるのでしょうか。 トミのナガスネヒコは男系で言えばスサノオですね。
磯城王朝は大和の富家の分家(磯城冨家)から嫁さんを貰う習慣があったので圧倒的に冨家の血が濃くなったが、あくまで親戚
磯城王朝は結局出雲の一部の土地を侵攻したが、ナガスネヒコが物部にやられた時に何と冨家に助力を依頼
冨家側はヒボコの出雲侵攻を予想しており、助力する力は無いと判断。その際に冨家を名乗る事を禁じ、ナガスネヒコは安倍を名乗る事になった
アベ=正確にはスクナ彦の系統。
ちなみに大和の大神神社の祭祀をやってた(もしくは出雲で捕虜になった)出雲族は後に大神神社の東側に追い出される
そのあとに住み着いたのが阿部家(崇敬会の建物は清明殿・三島由紀夫の由来で曖昧にしている?)
安倍=陰陽っぽいね。後に物部=スサノオ系と血筋的にやり取りがあったのかもね 本当具体性ないよなあ、射精エベンキさんって
692 日本@名無史さん sage 2015/12/31(木) 13:52:13.56
>>691
うん、完全論破されても勝利宣言しちゃうような狂人だからね。
確実に明日はそんな書き込みをすると思うよ。
論点がないまま論争するとか、この狂人のアタマの中身は本気で理解不能。
論点がないなら双方の意見が一致しているわけで、そもそも論争自体が存在しないだろうによ。 長野県諏訪市にある諏訪大社は光仁帝の宝亀10年(779年)に阿波の多祁御奈刀弥神社から移遷された、
と社伝にあるそうだ。その頃、現在の長野県にある諏訪大社は「南方刀美(みなとみ)神社」と言われており、
阿波からご祭神が移されてきたことが伝えられている。つまり大国主命の息子神である建御名方神は
ここ石井町諏訪に祀られ、ここから各地に広がっていった、ということである。
それにしても観光地として多くの参拝者が訪れる諏訪大社のご祭神が
阿波から移遷された神様だと知っているひとはどれだけいるだろうか。
御祭神は、建御名方神(たけみなかたのかみ)、八坂刀売神(やさかとめのかみ)の二柱です。
建御名方神は、大国主神と高志河比売神の御子神で、八坂刀売神は妃神です。
下社には御二柱に併せて御兄神、八重事代主神が祀られています。
式内社「事代主神社」が全国で阿波にだけ(島根にさえ無い)あるように、事代主命は阿波の人物でしょう。
高志河比売神とは、別名・高志沼河姫で、高志(地名)の沼河姫のことです。
この「高志」とは、徳島県板野郡の地名です。 諏訪氏が建御名方神の末裔だと名乗りだしたのは
皇別の多氏系の金刺氏への対抗からでしょう?
だから、過去に言っていることが二転三転している。
源氏だと言ってみたり、実は金刺氏の一族と言ってみたり。
建御名方神の末裔でないことは確か。 >>295
その通り
諏訪氏は血統上では源氏になってるでしょ。
源氏の血が入る前は金刺氏。
建御名方神の子孫って話はかなり後になって作られたよね ひょっとすると
相武国造のほうが建御名方神に近い? 6000年前に日本はもう小麦作をしていたんですよ。
ヨーロッパ、アフリカ、中国よりも先になwwww
縄文時代前期とされる岡山県灘崎町、彦崎貝塚の約6000年前の地層から、
稲の細胞化石「プラント・オパール」=写真=が出土したと、同町教委が18日、発表した。
同時期としては朝寝鼻貝塚(岡山市)に次いで2例目だが、今回は化石が大量で、
小麦などのプラント・オパールも見つかり、町教委は「縄文前期の本格的農耕生活が
初めて裏付けられる資料」としている。
http://inoues.net/science/wan.html
今回は化石が大量で、 小麦 などのプラント・オパールも見つかり
今回は化石が大量で、 小麦 などのプラント・オパールも見つかり
今回は化石が大量で、 小麦 などのプラント・オパールも見つかり
今回は化石が大量で、 小麦 などのプラント・オパールも見つかり 6000年前に日本はもう小麦作をしていたんですよ。
ヨーロッパ、アフリカ、中国よりも先になwwww
岡山市の縄文時代の貝塚「朝寝鼻(あさねばな)」を調査している岡山理科大の
考古学チームが1999年4月21日、「縄文前期の土壌から稲の細胞に含まれる
プラントオパールが見つかった」と、発表。約6000年前に「米作り」が
行なわれていたとする発見で、稲作の歴史が縄文前期にまでさかのぼることになった。
このプラントオパールはイネ科の葉の細胞内に含まれるケイ酸体の粒子で、同貝塚の
下層(深さ2メートルの土壌)からのサンプルを採り調査したところ、356点の
サンプルから10点、形状からジャポニカ(短粒種)とみられる稲のプラントオパール
が検出された。また、稲のほか小麦とハトムギのプラントオパールも見つかった。
http://www.local.co.jp/news-drift/agri-99kome.html
稲のほか 小麦 とハトムギのプラントオパールも見つかった
稲のほか 小麦 とハトムギのプラントオパールも見つかった
稲のほか 小麦 とハトムギのプラントオパールも見つかった >>296
源氏を名乗ったのは一時的なもので、金刺氏は多氏、阿蘇氏と同族だよ。
諏訪の神が建御名方神になったから建御名方神の子孫を名乗ったけど、元々祀られていたのは縄文の神でしょ。
言うなれば建御名方神は名前を借りているだけ。 諏訪氏系の皆さまGeno2.0でハプログループを調べて見ませんか?
俺は諏訪氏系で名前のハプロが検出されました。
信州では大規模なYハプロ調査は行われていませんが、
俺を含め諏訪氏に繋がる苗字からC2eが検出されてます。
2008年に行われた20都道府県のYハプロ分布は以下になります。
http://www.dotup.org/uploda/www.dotup.org703282.png 縄文も弥生も関係ないよ。
Y染色体の分岐状況からみて、弥生時代の開始時期は4000年前くらいに
遡れる状況になってきたから。
つまり、西暦57年の奴国王の金印の時代ですら2000年時間が経過している。 >>302
過去の系図に婿養子できた人とかいないか? >>304
系図上は養子の痕跡は見られないけど、絶対とは言えないですね。
祖父曽祖父といとこ婚なほど閉鎖的な部落(今で言う集落)なので、
養子を入れたとしても同じ部落内ではないかな? 九州の阿蘇を本拠地とする阿蘇氏は、意外と全国へ広がっている。 どなたか教えてください。
名字を神と言います。
私の祖父が生前先祖は長野方面から来たと言っていたらしいのです。
神氏はのちに諏訪に名を変えていますが、今も神氏を名乗っているということはその前に分家していたということでしょうか?
家紋が梶の葉なので諏訪大社とか長野に関係しているのではと思っていますが・・・
室町時代東北討伐をした南部氏の家臣に神がいるのでそこがルーツなのかなとも思っています。
どなたかお力をお貸しいただけると嬉しいです。 >>309
言い伝えレベルしかないなら難しいよ
GENO2.0NEXTで遺伝子鑑定してみれば
上の人みたいにC2eが検出されるかもね 6000年前に日本はもう小麦作をしていたんですよ。
ヨーロッパ、アフリカ、中国よりも先になwwww
縄文時代前期とされる岡山県灘崎町、彦崎貝塚の約6000年前の地層から、
稲の細胞化石「プラント・オパール」=写真=が出土したと、同町教委が18日、発表した。
同時期としては朝寝鼻貝塚(岡山市)に次いで2例目だが、今回は化石が大量で、
小麦などのプラント・オパールも見つかり、町教委は「縄文前期の本格的農耕生活が
初めて裏付けられる資料」としている。
http://inoues.net/science/wan.html
今回は化石が大量で、 小麦 などのプラント・オパールも見つかり
今回は化石が大量で、 小麦 などのプラント・オパールも見つかり
今回は化石が大量で、 小麦 などのプラント・オパールも見つかり
今回は化石が大量で、 小麦 などのプラント・オパールも見つかり 6000年前に日本はもう小麦作をしていたんですよ。
ヨーロッパ、アフリカ、中国よりも先になwwww
岡山市の縄文時代の貝塚「朝寝鼻(あさねばな)」を調査している岡山理科大の
考古学チームが1999年4月21日、「縄文前期の土壌から稲の細胞に含まれる
プラントオパールが見つかった」と、発表。約6000年前に「米作り」が
行なわれていたとする発見で、稲作の歴史が縄文前期にまでさかのぼることになった。
このプラントオパールはイネ科の葉の細胞内に含まれるケイ酸体の粒子で、同貝塚の
下層(深さ2メートルの土壌)からのサンプルを採り調査したところ、356点の
サンプルから10点、形状からジャポニカ(短粒種)とみられる稲のプラントオパール
が検出された。また、稲のほか小麦とハトムギのプラントオパールも見つかった。
http://www.local.co.jp/news-drift/agri-99kome.html
稲のほか 小麦 とハトムギのプラントオパールも見つかった
稲のほか 小麦 とハトムギのプラントオパールも見つかった
稲のほか 小麦 とハトムギのプラントオパールも見つかった あなたは40代ロサンゼルス府警新聞作りですか?ドーハの悲劇「中国衝撃イヤフォン」「中国悪夢イヤフォン」ですか?
それともいくつですか?huluさん?
それともいくつですか?huluさん?
それともいくつですか?huluさん? 諏訪氏は元は異なる家系だったものも
中世になってから神氏として統合された集団らしい。
だから、同族だと思っていたら、異なる系統だったというのも
珍しくないかもな。
中国の孔子の末裔も同族だと思っていたら
異なる系統が3つだったらしいから。 >>309
諏訪大社は上下に別れているが、宮司家も同じように別れてたっけな
神子氏と金刺氏。金刺氏は出雲の神門家系らしい。神子系は守矢と習合。
ちなみに守屋神社の鳥居額「物部守屋神社」に書いてある名前「従六位物部連比良麿謹書」から、
「物部神社(石見国一之宮)の歴代神職が金子家」である事も添えて置く。現在は他の家が宮司家になっている。
かつて物部(山幸彦)と物部=天孫(海幸彦)にやられた出雲であるが、のちに和解。
美穂神社の千木は物部の横削ぎ、出雲の縦削ぎが両方存在する。
あと、出雲の宿敵であるヒボコの家も神床家である。(実際にはヒボコに嫁をやっただけらしい)
神の字だけでは情報が足りないと思われ。
物部の守屋の系譜は養子に入った時に他の親族も来たらしく、神社の南の部落に守屋性が残っている
守矢の家紋は丸に十。そのことから原始キリスト、失われた十氏族を連想する人が居るのは確か。 >>309
梶の葉紋はまず間違いなく諏訪と関わりがある。
そういや安倍首相の家紋も丸に梶の葉だったな。 >>315
電波を振りまいて一般人を汚染するのはやめなさい。そのうちバチが当たるよw >>317
ちなみにどの辺が違うと思う?個人的に裏付けとって有る部分もあるから。 >>318
>物部(山幸彦)と物部=天孫(海幸彦)にやられた出雲
山幸彦が物部だという根拠は?
>出雲の宿敵であるヒボコ
>ヒボコに嫁をやった
出典は? >>319
おお、レスポンスがあった。嬉しいよぉ〜
出展は「出雲と大和のあけぼの」他、出雲の向王家の末裔の書いた本だよ
数十年ぶりだ。徳間の「謎の出雲帝国」以外で出雲王家の証言が本になったのは
一応偽書とされているセンダイクジホンギの内容は知ってる?
アメのホアカリニギハヤヒは同一名で書かれてるから、二人は同一人物論ってのは一般にあるよね?
向家伝承ではその同一人物が徐福になっている。
東征伝説がある二つの一族は共通の証がある事を確認し、手を結ぶよね?
出雲の王族にはそれに関する伝承がきちんと残ってるって事だよ。
山幸彦と海幸彦の血族が結婚してアメノ村雲が生まれた。一般に言う神武だが
伝承によればその6代前からの神武と出雲は争ってたらしいね
因みに富のナガスネヒコは正確には冨が付くが、母系で三代続けて出雲から嫁が行ってるだけなので正確には出雲系ではない。 金刺氏についてはその後勉強したらどうも天武系の指示でこっち来た人らしいね
どうりで今回地震で倒壊した阿蘇神社との関係が話されている訳だ
つまり700年代に下社は出来たのだが、上社から別れた訳ではないらしい
阿智村には古い家系があって、もともと諏訪の監視の最前線がその一族の住んでた阿智との事
だからあんな山奥に天孫の伝承、恵那山があるのだろう。
「坂の上の田村麻呂が参拝したらご利益ありました=諏訪神社→俺様天皇、これからは信濃の国全体で諏訪神社を普請しなさい」ではなく、実際にはワサビの大王様を穂高と共同で挟撃した事が原因で手打ちがあったのかもしれない
タケミナカタが連れてきた神様は御舟様=クナトの大神であって自分自身ではない
日本全国に仏教、修験道が一気に広まった600〜700年代に神様が変わったのかもね
主祭神を変えるにあたって阿波から諏訪神社を勧請した伝承って本当かもね ■ このスレッドは過去ログ倉庫に格納されています