>>141
親王家の男子は天皇猶子の手続きを経て親王宣下を受けれたが、女子は女王のままで、
それは将軍に降嫁しても変わらなかった。
家継の許婚であった八十宮吉子は、婚約後一年程で家継が亡くなったため、
婚約は自然解消となり、彼女の内親王宣下も後になってからだ。
おそらく順調に婚約期間が過ぎ結婚となった時には、その前に内親王宣下があったと思うが、
しかし絶対とは言えない。
そう考えるとニュアンス的には同じだが、内親王を娶る事が出来たと言うより、
むしろ天皇の娘を娶る事が出来たと言うのが正しいように思う。