武家公家の家格について語るスレ
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この手の話題が盛り上がるのでスレッド立ててみました。
家格についての話題なら何でも結構かと思います^^ >>814
そのことをどっかで書いたら罵倒されたよw
歴史知らん奴多いよね。 将軍宣下の時も幕末以外は将軍が使者の上座なんだよな。
当時は武家の棟梁は天皇より下って意識はかなり希薄だったんだろうな。
まあ、武家の棟梁のお情けで領地もらって生活してるって状態だから無理もない。 豊臣政権の立場で考えれば813の言うのも分かるが
実際は室町将軍と徳川将軍の権威はその当時の摂関を凌駕している
将軍家という家格は、公家や豊臣政権の家格制度では上手くあらわせないってことだよね
摂関家を上回るとも言えるし、清華家相当とも言える >>804
清華家の太政大臣と摂関家の左大臣、上席につくのはどっち? >>816
だがそれを言い出せば征夷大将軍を任命するのは天皇だから、任命する側が
下位になる事はどう考えても矛盾しているだろう >>819
そこを突かれて幕末には勅使上座、将軍平伏に変わったわけで。 将軍の欠点は致命的
将軍と主従関係を結ぶ大名が将軍に謀反を起こせばそれは謀反であるが、朝敵とは限らず
だが関白は天皇の代理人である以上、関白に謀反を起こせばそれは朝敵になるということ
だからこそ幕府は公武合体を目指したんだろうが最初から武家関白になっておけばこんな
苦労はなかったろう
とはいっても、豊臣恩顧の大名も健在で秀頼もいるのに無理やり家康が関白になっていれば
どんな結果が待っていたかはわからんけどな
今の歴史は家康が将軍職を選んだからこそあるのだろうと信じる 鎌倉〜江戸期に武家出身の典侍/掌侍は居たんでしょうか? >>819
勅使はあくまでも使者であって天皇ではないからね。
まあ、江戸時代に限らず平安時代でも勅使が公卿に嘲笑されて追い返されたとか、南北朝〜室町期に宣旨が乱闘の中で泥まみれになったとかといったエピソードには事欠かない。 >>818
太政大臣だね。単に摂家というだけでなく摂関であれば別だけど。 >>824
有り難う。身分より官職優先なんだね。
ノンキャリ課長とキャリア課長補佐なら課長のほうが上席になるけど、当時も同じか。 >>823
でも上使が使いの内容を述べてる間は、たとえ軽輩でも上座に座るよ? >>826
だから室町や徳川時代の武家全盛期は、それほど天皇が上位という意識がなかったってことでしょ。
実力で天下を握った連中だから、そう考えるのは自然だわな。
そして、幕末はその実力が低下したので、勅使に平伏する将軍家という図式になってしまった。 >>824
摂関でも一座宣旨を受けてるかどうかだな。
摂関でも位階が二位の間は一座になれなかったそうだし、豊臣秀次は一座をもらえず秀吉が上席。 九条道家 摂関
九条頼経 将軍
官職だけならこの親子が完全優勝
どっちも持ってる この親子、一瞬天下の覇権を握りかけたんだよな。
北条得宗家の恐るべき反撃で撃沈したけど。 御三家清華説頻繁に出ているけど近代の家族制度で
公爵 徳川宗家 五摂家
侯爵 御三家 大藩主 清華
でいえば御三家は清華並と言える。
官位は御三家が大納言で平公家並、清華は大臣。
結婚相手は御三家は摂家や女王が多いから清華以上。
結局どちらが上とか関係なくないか? >>830
井伊直弼が徳川斉昭を恐れたのは、それと似たような状況が実現しかねなかったことも一因だと何かで聞いた。
当時の関白、鷹司政通の妻清子は斉昭の実姉。二人の間には鷹司輔煕と九条幸経という息子が居た。
つまりうまくすれば斉昭は息子を将軍、甥を関白にして天下を牛耳ることが出来かねなかったというわけ。 上杉景勝って豊臣時代に三位中納言だったけど、これって徳川政権になっても死ぬまで 官位官職そのままだったのかな?
伊達政宗は60位なってから 三位中納言なってるけど 特別扱いだったんだろうか。
>>831
江戸時代には、将軍家から摂家、宮家、三家に出す書状はともに「殿」付、天皇宛は「公方様から禁裏へ」で同等の礼。
(時代による差はあるが、この時期には「様」が「殿」より上で、自称は「殿」、相手の尊称が「様」(
明治になってから格を引き下げたというのが実態でしょう。 同等だったら禁裏様にすべきだよな。
これじゃ殿より下じゃねえか。 将軍という位を天皇からもらう立場の分際で「同等」とか普通に考えたら
もらう本人も違和感なかったのかね・・・ 天皇も摂家以下の公家も、将軍の扶持なしでは権威どころか生活すら保てない状態だからね。
それも所定の収入だけでは成り立たないという事で、毎年赤字補填のための経費を幕府の公金や将軍の手元金から支出していた状態。
「もらう立場の分際」なんていう発想そのものがあり得ない話だよ。 将軍の扶持を生み出すのは将軍の実力だが、その実力の根源はなんだ?
となると天皇の権威だから結局鶏が先かたまごが先か、という話になるよな 実力の根源は武力だよ。
綸旨が暴徒に足で踏みつけられて泥まみれになるような時期、天皇の権威が文字通り地に落ち切っていた時期でも、将軍家の下知には公家も含め皆従っていたということを考えれば、一目瞭然だろ。 >>840
ならば将軍は皇室を倒しちゃえばいいのに
将軍と名乗って下知するなら天皇の権威を利用する事だからどうも腑におちないよな > 同等だったら禁裏様にすべきだよな。
「禁裏」という表現自体が高い敬意を含んでいるから、それにさらに「様」をつけるのはそれこそ御御御付けのようなもんで、かえっておかしいだろ。 それだったら公方も同じじゃね?
公方とは禁裏のこと也、なんてケースもあるし
禁裏様の用例も多い >>839
そう
力を権威づけるもんが朝廷の制度以外ついに産まれなかったんよね。
戦国末期だと田舎武士が守とか名乗るしw
朝廷が滅びきらなかったのはそのへんかな。 江戸時代なら
武士の名乗りで東百官(相馬百官)も流行ったので
頂点が百官名ではないが
日本国大君を頂点とする
新しい力といえるかもしれない
高家のみなさんは擬似磨呂で 江戸時代なら
武士の名乗りで東百官(相馬百官)も流行ったので
頂点が百官名ではないが
日本国大君を頂点とする
新しい力といえるかもしれない
高家のみなさんは擬似磨呂で 統治の実権喪失後の朝廷はバチカン見たいなもんだ。
西洋だって、法皇や枢機卿に戴冠式やってもらってるわけだし。 >>840
鎌倉時代かな。
室町時代だと朝廷も幕府も衰退の時期だし。 >>847
ローマ教皇と神聖ローマ皇帝はどちらが上位か、という争いはヨーロッパにもあった。
今谷明によれば江戸初期に来日した宣教師は天皇を「教皇」、将軍を「皇帝」と呼んだらしいから、その比喩は正鵠を射てるんじゃないかな。 >>831
御三家が清華クラスというのは納得できるが
前田家以外の大名まで侯爵というのはおかしい
国持クラスで羽林家と同じ伯爵
それ以下の大名が子爵、男爵でよかったんじゃないのかな >>850
公家偏重になる。
公家の半家までが子爵なら1万石の大名も子爵が妥当。 >>850
叙爵内規では普通の大名は現米15万石以上が侯爵、現米5万石以上が伯爵、それ未満の諸侯が子爵、
維新後に新規立藩した家が男爵。
維新勲功で爵位が上がった家はあったけど下がった家はない。
基本的には藩の収入規模だけで決まり、江戸時代の表高や家格は諸侯は全く考慮されない。
ただし将軍家が公爵、御三家が侯爵、御三卿が伯爵とは決まってた。 仙台伊達家は戊辰賊軍で減封されて伯爵。
宇和島伊達家は維新の功績で伯爵、更に侯爵と明暗を分けたな。 >>852
公家偏重になるからこそ受爵内規でそうしたんだろうね
武家の家格を細かく考慮しはじめると複雑でどこからも批判が出るだろうし
どこかで明確に線引きする必要はあった >>850
虚官のみでその日暮らししていただけの貧乏公家が領主と同等の爵位を受ける方が不自然だろ。 公家諸法度で、天皇と公家の権限が武家に制限されたんだから、
どう考えても将軍家が上でしょう。
ただ、なんで廃止させなかったのは、不明だけど。 もし朝廷が徳川家の将軍職を召し上げる、と宣言したら攻め潰すんだろうか? 強引に東宮に譲位させるだけ。
普通関白を抱きこんであるからそれで終わり。
ありえないけど朝廷全てが幕府の敵に回るなら輪王寺宮を擁して京に上る。 もっとも爵位で損したのは幕府高家だな
江戸王朝の公家生活イメージで
けっこう名門多いのに・・・ 高家筆頭の大沢家は一時的に華族になれたけどな。
公家は名門度で爵位貰えたけど武家は徳川一門以外は純粋に石高しか考慮されてないしね 木寺宮系の大沢氏。
家格は良いのでオマケで当選できればなぁ。 家格が良くても品性に欠けるよw
浜名湖は田んぼじゃないからな。 高家もピンきりじゃね?
2000石以上の奥高家なりまくりな家と500石でほぼ表高家なところじゃかなり差がある。
吉良や大沢クラスの高家は男爵でも良いと思うけど 下級高家は爵位いらんべw 交代寄合新田は南朝ボーナスで男爵だっけ?
平野も加増扱いで大名扱いで男爵でラッキー。
南北朝期の古豪氏族が男爵貰って没落武門の意地見せた感じだな。 神職系は貰えても男爵で抑えられてるとこ多いが
本願寺当主は伯爵
すごいすごすぎる実力
さすが武家より強い一向一揆軍 >>867
本願寺は日野家の子孫で公家との婚姻も多く堂上家扱い。 授爵では神職系って皇室に匹敵するほどの名門氏族なのに武家公家はおろか本願寺よりも軽く見られているよね。 神職系は伝説上は神につながったり、古代豪族につながるのにな。
でも華族制度廃止後は、神職やっぱり勝ち組な気がする。
堂々と公家衣装着られるからなw 伊勢祭主の藤波家は神祇大副で堂上家だから子爵になれたけど、出雲大社の千家家でさえ男爵止まり。 本願寺は世襲だったことと、代々大僧正に上がったのを大納言に准ずるということで伯爵が与えられたということらしいね。 中大夫と出納平田家、万石以上の陪臣は男爵で良かったと思う。 そういや広島新田藩は維新直後に自主的に廃藩して爵位もらってないな。
早まったことをして大損したな。 爵位は小身だと体面を整えるのに金がかかって苦労が多かったみたいだし損とは限らない >>880
爵位に関しては叙爵内規から外れた爵位は与えないという方針が徹底されており、原則から外れているようにみえるものも、内規にあう理由がこじつけられている。
明治天皇の外祖父中山忠能の侯爵も「維新の勲功」、外曾祖母の実家松浦家の伯爵も税収の一部を支藩と二重計上して無理やり「中藩」にするという細工をしている。
こじつけだったとしてもこじつけられるだけの根拠は最低限必要になるわけで、両大谷家の場合はそれが「大僧正」だろうということ。 >>876
たとえば水戸の山野辺家は爵位貰ってない。
助川海防城の城主で公爵家の重臣なのに。 宗氏は侵攻への最前線の防人や貿易担当で
特殊な大名の感じはする
ヨーロッパ貴族での辺境伯みたいなものか >>879
ロシアでも名門中の名門貴族は爵位を持ってなかったりする。
爵位なんて制度が出来る以前からの名門だからというのが理由。 九州では少弐氏潰れたが対馬に渡って宗氏継いだんじゃなかった? 神仏習合を推し進めたのは鎌倉幕府の連中だからな
向こうの寺なんかに神仏習合のあとがあるならそりゃ少弐氏が持ちこんだもんだ
まあいってみりゃ鎌倉御家人時代に始まったもんだからな 神仏習合は、
廃仏毀釈の薩長よりマシだ。
アレは文化財の破壊政策。 李氏朝鮮王族は大日本帝国に合併後は王位・公位の扱いだったので、それに準ずる感じか。
明治維新で琉球王が侯爵だったので、
百済王が貰えるとしたら、侯爵から王位の間だなw
なんか数年前の韓国ニュースで、
李朝の人を親日罪で日帝公爵となじって財産没収してた気がするが、
韓国は酷すぎるなw え? 百済王(コニキシ)氏の話でしょ?
侯爵なんてムリムリ。
諸蕃氏族が清華と同格以上なんてどうかしてる >>894
準ずるというか朝鮮貴族って実在してる。
公爵だけいなくてそれ以下はみんな叙爵されてるよ。
日本の華族より金銭面で優遇されたけどそれ以外は庶民に近いな。 併合のときに譲歩しすぎただけだろ
当初は朝鮮王には大公を与えるつもりだったらしいが、朝鮮側が王号に拘ったとか
穏便に併合できなければ列強の介入を招くので、
それを恐れて朝鮮側の要求をのんだらしいね
古代に亡命した百済王族はそれほど優遇されなかったし
その後も没落していったというのが全てだろ >>897
仮にも一国の君主だった人物をあんまり粗末に扱えないだろう。
そういう意味で琉球国王が侯爵というのは格下げし過ぎじゃないかと感じる。 12万石の諸侯と考えればむしろ伯爵が妥当
朝鮮とは違って独立国家とは認めてないしな
朝鮮の方は日本には存在しなかった公爵の上の大公(grand duke)を提示したが
朝鮮側がどうしても王でということで王になったらしいが
皇族の王と紛らわしい
公爵より上で皇族ではないとなると大公が妥当だったとは思う >>899
江戸幕府の公式見解は「琉球国は外国」だったらしいけどね。 主な伯爵位の授与は1884/7/7に行われていて
翌日の8日に伯爵になったのは宗家と肥前平戸61700石の松浦家の二家のみで特別扱い
あと中川久成も実高的に扱いが怪しいな 宗家の伯爵は説明がつかないらしいね。
外戚の松浦家を意図的な二重計上で無理やり伯爵にしたんで、文句を言うに決まっている宗家も一緒に押し込んだんじゃないかとも言われているようだけど。 ひょっとして朝鮮との交易分も石高に水増し?
それだと松前も20万石相当になるが・・ >>907
幕末に何かしてましたっけ?
功績もないのに侯爵? 叙爵内規は公表されてないから色々間違った憶測が多かった。
江戸時代の宗家の家格は国持で大広間大名の中でも上位。
蜂須賀とか佐竹、宇和島伊達みたいな宗家以下の連中が侯爵なら
朝鮮外交の重要性を考えて侯爵くれよってことだろう。
井伊が伯爵だったのも井伊直弼の恨みでワンランク下げられたと思ってたみたいだし
松江松平も分家の福井が侯爵なのにうちが伯爵なのは納得いかんと言ってたようだ。 >>909
福井も当初は伯爵だよ
春嶽の効能で後日侯爵になったけどね 佐竹、藤堂、井伊、福井松平、仙台伊達このあたりが収納高で侯爵なれるかどうかのボーダーだったな。
20万石の佐竹だけが侯爵で面高30万石余裕で超えてる後者は伯爵。
30万石クラスの大名で伯爵止まりだった家と平公家と同じくくりにされた大臣家が割を食った感じか? 佐竹は官軍だからな。
上杉も上手く立ち回ってたら侯爵なれてたな。
伊達なんか公爵も可能だったろうに。
時勢に疎い東北勢の中で佐竹の立ち回りの上手さは光ってるな。 源平合戦 織田の甲州攻め 関ヶ原 戊辰戦争
佐竹の変わり身の遅さと
陣替え遅い割にはうまく家を保ってきたテクニックを舐めてはいけない レス数が900を超えています。1000を超えると表示できなくなるよ。