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天皇の日本史
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0001日本@名無史さん
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2013/11/17(日) 16:21:54.57
日本の天皇というのは独特なもので、いわゆる万世一系ですが、
長い歴史のあいだには、いつそのまま亡びても不思議はないほどの
危機を何度も経験しています。
天皇の地位が力で奪えるものであったなら、藤原氏、源頼朝、北条泰時、
織田信長、豊臣秀吉、その他日本史の上にあらわれた実力者たちが、
いつでも天皇に代わることができたでしょう。
しかし実際には二千年近くのあいだ一度もそんなことは起こらなかった。
これは日本の不思議であり、日本史の不思議です。
ヨーロッパだったら王を倒した者はそのまま王になる。
そのため近世のはじめまでは血腥い戦争の連続だった。
日本ではむしろ相争う権力者の両方が天皇をかつごうとする。
なぜか?
それを実際の歴史に即して考えてゆくのがこのスレのねらいです。
0002日本@名無史さん
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2013/11/17(日) 16:25:25.69
安康、崇峻、用明、孝明、睦仁(大室寅之祐の入れ替わりで殺害されている)
天皇は案外殺されている、天皇家の歴史は醜い権力争いの血まみれの歴史
0004日本@名無史さん
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2013/11/17(日) 16:44:11.79
5世紀までは将来天皇家になる資格のある王のようなものが日本の各地にいて、
6世紀になるとはっきりといまの天皇家が超越的な姿をあらわしてくる。
天皇でいえば継体天皇ぐらいからだろ。
しかしこの時代はまだ内乱続きだから天皇権が安定したというわけではない。
0005日本@名無史さん
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2013/11/17(日) 17:01:20.49
6世紀の半ばごろから仏教が入ってきてるが、これを受け入れるのは天皇家としては
かなりの決断だったと思うな。
天皇というのはもちろん政治的権威だけれども、それ以上にまず宗教的権威、
要するに神主の親玉でしょ。
大昔はとくにそうだったと思う。
そういう人が異国の宗教を許すというのは自分の価値の根本的な転換だからな。
今上陛下がクリスチャンになるよりもっとたいへんなことだったろうと思う。
まあ、今上陛下がクリスチャンになることはないけど。
0006日本@名無史さん
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2013/11/17(日) 17:28:31.42
だからすぐには受け入れていないよ。
「元興寺縁起」という説話によると、仏教はだいたい530年代ごろに、
百済の王室から日本の王室に伝えられたが、日本の王室はしばらく受け入れないで、
590年ごろやっと受け入れられた、となっている。
とすると半世紀くらいは公認されないわけだ。
もちろんこれは伝説(縁起)だから1つの手がかりに過ぎないわけだが、
はじめ、蘇我稲目が仏教を入れようとする。
ところが欽明天皇も敏達天皇も日本としては公認できないといって拒絶する。
そこで稲目はプライベートに信仰するわけだ。
ところが稲目の息子、馬子の代になると蘇我氏も勢力が大きくなったから、
公然と禁をやぶって585年、蘇我馬子が百済から伝わった弥勒像をまつるために
大法会をもようした。
そこで敏達天皇は怒って、いわゆる破仏を行ったということになっている。
この説話を信じるとすると、結局、崇峻天皇のとき飛鳥寺をつくりはじめ、
推古天皇のとき聖徳太子が仏教を国教化するまでには、大へんな抵抗があったんだと思う。
0007日本@名無史さん
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2013/11/17(日) 17:37:07.00
朝鮮を調べてみても、たとえば新羅の説話によると、はじめは仏教が迫害され、
法興王という人が出てきてはじめて公認された、ということが述べられてある。
そこでも抵抗はあったに違いない。
0008日本@名無史さん
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2013/11/17(日) 17:50:11.04
蘇我氏が宗教的な存在としても邪魔であった天皇を倒さずに立てていたのか、
ということが理解できない。
馬子は公然と政治的な対立から崇峻天皇を暗殺しているぐらいだからな。
そこまでやった男がどうして自分で天皇にならず、推古天皇を立てたのか説明できない
0009日本@名無史さん
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2013/11/17(日) 18:08:46.86
天皇一族は渡来人であり、日本列島にいた原住民を制圧して一つにまとめた。
神道は西洋宗教を日本列島に持ち込んだ渡来人(天皇一族)が、
原住民の自然崇拝とドッキングして作り上げていった神学体系ということになる。

徐福 : ユダヤ教の儀式と風習、旧約聖書を日本列島に持ち込んだ。

秦氏 : 原始キリスト教(ミトラ教の一派)と新約聖書を日本列島に持ち込んだ。

蘇我氏: ミトラ教の中でも東洋グノーシス主義の流れを汲む仏教を輸入

原始キリスト教とグノーシスの流れを汲む仏教は本質の部分(ミトラ教)では共通する。
カトリックやプロテスタントは頑なに認めないが、
イエスキリストはエッセネ派(ミトラ教の一派)に属してグノーシス主義者だった。
今のキリスト教はイエスの思想からかけ離れたミトラ教の模倣に過ぎない。
0010日本@名無史さん
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2013/11/17(日) 18:24:07.18
587年に物部守屋が蘇我馬子と争って、馬子に滅ぼされる。
これは天皇家としては危機になりえたんだろうけどな。
天皇の軍事指揮官であり、祭祀的な天皇の機能にもつながる一面をもった、
それ故に仏教にも反対していた物部氏が、自分の目の前で倒されてしまったんだからな。
ほんとうなら、天皇にとっては右手をもぎとられたのも同じだ。
ところが蘇我氏もそのころには天皇家と外戚関係を結んでいる。
聖徳太子でも誰でも、そのころの皇太子はみんな広い意味で蘇我氏一族なんだから、
皇室全体としてはどうということはない。
そのへんが、天皇家のしたたかさの最初の証明だったといえる。
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