>>788
こっちでも云うたが大隅・薩摩の鹿児島県は、新羅系習俗も残っとるけぇのう。
https://lavender.5ch.net/test/read.cgi/history/1505857271/p19-20
20白馬青牛 ◆sKm0uQPecU 2017/09/21(木) 01:53:26.34
>>5-14
http://web1.kcn.jp/tkia/mjf/mjf-51.html
▼大隅国における秦氏〈韓国岳〉
 大隅八幡宮(鹿児島社)は708年の創建と伝わる。香春新社や宇佐八幡宮造営も
含めて、この八世紀初めの動きはただ事ではない。南九州での薩摩・大隅国設置=
隼人征伐は、外来神であった八幡神をニッポン神化し、これを先兵とすることで
遂行されたのである。 …
 その最高峰は天孫降臨の「高千穂峰」ではなく「韓国岳」である(「高千穂」は
日向北部にもある)。ここには強い主張がある。例の『宇佐託宣集』は
「日州(日向)の辛国城(辛国宇豆高島)、蘇於峯(そほだけ)これなり。
蘇於峯は霧嶋山の別号なり」と記し、『続日本紀』は、788年の霧島山の噴火記事を
「大隅国贈於(そほ)郡曽乃(その)峯」と呼称・記述している。朝鮮風の
「ソホリ」とは本来誰のものかは言うまでもない。
 ▼日向国周辺の「天孫降臨パラノイア」
…九州での「降臨」伝説は、新羅・加羅から秦氏が八幡神とともに持ち込んだとも
考えられる。豊前の秦王国から日向へ、そして大隈となった現鹿児島県東部から
西部の薩摩へと、秦氏の移住先には八幡神信仰が移植され、その降臨伝承が
ニッポンの天孫降臨神話に置換されていった。降臨神話のすべてとは言わないが、
少なくとも、もと八幡神信仰のあった地でのそれは置換されたものに相違ない。}