【風林火山】武田信玄【甲斐源氏】
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高山彦九郎日記「甲州人は文武両道、上方人は頭でっかち」 新羅三郎は不吉な奴だから武田ディスの流れになる
正義の武家の棟梁、八幡太郎じゃないとな >>282
フィクションでは無い。
ファンタジーです。 周辺國から悪鬼の如く忌み嫌われてる甲州人。
国衆が徒党を組んで近隣国に押し入り村を襲い、
住人を根刮ぎ拉致して奴隷に。
特に高麗郡の住人の評判が悪い。 馬鹿信玄が侵攻した土地の神社仏閣を必ず焼くのは何なんだろうね >>288日本以外では、それが常識的なんだがな
征服先の民衆から宗教、教育、言語、歴史を奪う 大和民族ってなぁ、世界で稀に見る穏やかな性格なんだが >>277
>>278
駿河道の早川合流より北は飯富氏の領地だったよね。
早川から南側が穴山氏の領地。 >>281
駿河の国衆ともパイプ持ってたのか。
形勢いかんではドッチにも転ぶ訳だな。 そりゃ、どこの国でも国境の国人は同じだわいね。
常に敵国と対峙しとるけん。 >>289
叡山焼き討ちで勘違いされる事が多い織田信長だが。
信長は宗教に関しては寛容だからね。
特定の教団が政治に介入するのを絶対に許さなかっただけ。
マイノリティ宗教に対しては、むしろ保護者だった。 叡山焼いた時の信玄の怒りが空々しいわ。お前が言うなと >>250
「信玄」って意味を理解してる奴は、少なくとも俺の周りには一人も居ない。
単なる名前だと思ってるぞ。
甲州人の教養レベルの限界なんだけど。 >>288
焼いてないところもあるから必ずというわけでもなかろうに >>288
村の鎮守みたいな小さな祠まで破壊したっていうね。
田を刈り尽くし種籾を奪い、家畜を屠殺して肉を喰らう。
女を犯し慰みものとして持ち帰り、男は奴隷として連れ去り使い捨てに。
鬼じゃ!
武田は鬼じゃ! >>12
ハ,,ハ
( ゚ω゚ ) お断りします
/ \
((⊂ ) ノ\つ))
(_⌒ヽ
ヽ ヘ }
ε≡Ξ ノノ `J >>299
いやいやいやいやwww
それ、本尊を強奪して来て甲斐善光寺を新たに建てたって話だからさ。
保護したって言い種が白々しいわw 河尻秀隆もこんな未開の地に赴任するとか信長を呪っただろうな 信長が死んだ途端になぶり殺し(笑)
家来共々
手足の指を切断され、背中の皮を剥がれ、言語に絶する拷問をうけて悶死 >>296
小山田と穴山に常に気配りしないと武田支配体制を維持できない なるほど
女を献上される側は立場が上なのが普通だわな。
小山田も穴山も親子続けて武田から女を献上されたわな。 主君の姉妹を妻にする事を
「女を献上された」
と解釈できるのだな ふむふむ
織田信長が妹の市姫や娘の五徳姫を配下武将に献上するなど有り得ない話だよね。
貴重な手駒を使うなら、政治的に同盟関係を交わす安全保証としての婚姻だよな。
そう考えると
武田、穴山、小山田とは主従でなく、同盟関係に近い間柄だったと理解して良いのかな。
相模、駿河と婚姻を介しての同盟関係だった様に。 >>314
武田家側からすると裏切りなのですが、
穴山、木曽、小山田の側では「同盟を結んでやってた」くらいの感覚だったのではないでしょうか。 国境付近の国人には血縁で縛るしかないな。跡継ぎ不在なら実子をねじ込む >>318
源氏は新羅三郎義光じゃなく八幡太郎義家だ。 >>323
将門は村岡五郎以外の叔父と喧嘩をしてた。
そういえば清盛は忠正と喧嘩したな。 農民が武装しだしたのが武士の発祥でしょ?
んで土着した(元)高貴な血統を御輿に担いで武士団に。
話し合いで済まない土地争いを武力で解決してきた人々だから荒っぽいのは当然。
同じ源氏平家でも西日本と板東じゃ全く違うよな。 >>321
八幡太郎は河内源氏の嫡流ってだけだ。その弟の新羅三郎も歴とした源氏の一員だ 平安初期ころの東日本での朝廷勢力が及ぶ範囲がフォッサマグナとほぼ一致する。
このラインから東に掛けてアイヌの地名が多く残っている。
天智天武の時代は濃尾が最前線だったのが平安初期までには富士川まで。
この時期に亡命百済人や大陸からの帰化人のうち土木や軍事に特化した集団を対アイヌ第2戦線である峡国に大量入植させた。
現地人と帰化人で郡部を形成できる人数なので新たに高麗郡とした。
平安中期に食い詰め貴族が田舎に次々に落ちていった。
やがて常陸国で「下手うち」した乱暴貴族が罪人として峡国に流されてきた。
峡国の武装農民は渡りに船とばかりに、この罪人乱暴貴族をリーダに祭り上げた。
この罪人乱暴貴族は前に住んでた土地の名を号した。
源次郎逸見冠者武田義清......と。
甲斐源氏武田氏の興りである。
という小説を書いてみた。
合ってる? >>330
源氏という貴種ではあるけど
官位が高くないので貴族では無いな 織田徳川連合軍の攻撃、武田家滅亡で武田菱が途絶えた
子孫もいないようだし・・・ >>334
平家も清盛までは従三位は超えなかっただろう。
頼義も義家も忠盛の一階下の正四位下。 >>336
安心して、武田菱は消えてはいない
山梨県警の機動隊はジュラルミンの盾に「武田菱」のマーク
付けてるよ >>343
我が郷土の、光秀公に並ぶ英雄ですぞ
丹波の亀岡市に墓所が有るよ >>344
稲川会 山梨一家 佐野組も武田菱を使ってるずら >>343
清和源氏では摂津源氏が嫡流だぞ。河内源氏の祖は三男坊だ 摂津に....、いまの池田市だが
多田神社って在って「源氏本貫之庄」って看板が173号線に建ってるぞ ちゃうわ、隣の川西市やった
頼光廟って在ったような記憶が 亀岡市の9号線沿いには細川勝元の墓が
細川も源氏だろ やりすぎ防犯パトロール、特定人物を尾行監視 2009年3月19日19時7分配信 ツカサネット新聞
http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20090319-00000026-tsuka-soci
この記事で問題になった通称やりすぎ防パトは、創価学会と警察署が引き起こしていたようです
掻い摘んで説明すると
・創価学会は、町内会や老人会、PTA、商店会等の住民組織に関し、学会員が役員になるよう積極的に働きかける運動を
90年代末から開始し、結果、多くの住民組織で役員が学会員という状況が生まれた
・防犯パトロールの担い手は地域の住民と住民組織で、防犯活動に関する会議や協議会には、住民組織の代表に役員が出席する為
防犯活動や防パトに、創価学会が間接的に影響力を行使可能となった
・防パトは住民が行う為、住民が不審者や要注意人物にでっち上げられるトラブルが起きていたが
創価学会はその緩さに目をつけ、住民組織を握っている状況を利用し、嫌がらせ対象者を不審者や要注意人物にでっち上げ
防パトに尾行や監視、付き纏いをさせるようになった
・防パトは地元警察署との緊密な連携により行われる為、創価学会は警察署幹部を懐柔して取り込んでしまい
不審者にでっち上げた住民への嫌がらせに署幹部を経由して警察署を加担させるようになった
・主に当該警察署勤務と考えられる創価学会員警察官を動かし、恐らく非番の日に、職権自体ないにもかかわらず
私服警官を偽装させて管轄内を歩いて回らせ、防犯協力をお願いしますと住民に協力を求めて回り
防犯とは名ばかりの、単なる嫌がらせを住民らに行わせた(防犯協力と称し依頼して回っていた警察官らの正体は恐らく所轄勤務の学会員警察官)
※これに加えて防犯要員が同様のお願いをして回る
・こうして防犯パトロールを悪用し、住民を欺いて嫌がらせをさせつつ、創価学会自体も会員らを動員し、組織的な嫌がらせを連動して行った
つまり警察署に勤務する学会員警察官、警察署幹部、創価学会が通称やりすぎ防犯パトロールの黒幕
詳細は下記スレをご覧下さい(現在スレが荒されてますので、テンプレと87の連絡先さえ確認して頂ければokです)
やりすぎ防犯パトロールは創価学会と警察署の仕業だった
https://rio2016.5ch.net/test/read.cgi/bouhan/1516500769/1-87 源頼光は摂津源氏、源三位頼政の先祖。細川も足利氏の支流だから当然源氏。吉見も阿野も頼朝弟の子孫だから源氏。
江戸より前は生まれ順というより母親の実家次第で跡継ぎは決まっていたらしい >>336
陸上自衛隊北富士駐屯地にも武田菱の幟が立ってる 甲斐源氏....という概念
韮崎に土着した武田氏だけじゃ無いんだよね。 新潟県警の機動隊、上杉謙信の旗印だった毘沙門天の「毘」の文字を盾に書いてる
京都府警機動隊「誠」の文字 たぶん新選組を気取ってるんだろう 実は......さ、
割り菱は武田家のフォーマルな場面でつかう家紋じゃ無いって知ってた?
いわゆる武田菱ってカジュアルな紋様なんだぜ。
都の勅使や将軍に拝謁する場面では違う紋様を使うのさ。
((( ̄へ ̄井)ふん! 武田一族は清和源氏の流れを汲んでおり、長元4年(1031年)3月には清和源氏の惣領・源頼信が甲斐守として着任した。
以後、彼の子孫が名馬の産地・甲斐国高麗郡を占拠するようになっていくのである。
頼信の子・頼義、孫の新羅三郎義光はいずれも関東地方に国守として就任しており、
義光次男の義清のときには高麗郡(こまごおり)の市河荘、青島荘の下司(=管理人)として土着するようになる。
そして、義清と子の清光は高麗郡北部の逸見郷で荘園を成立させていった。
この清光が甲斐源氏の祖といわれており、その子供たちが甲斐国を発祥として武田一族をはじめ多くの諸氏族を築いていくのである。
光長(長男):逸見氏の祖。逸見荘を守って逸見太郎と称す。
信義(次男):甲斐武田氏の祖。武河荘の武田に住し、武田太郎と称す。
遠光(三男):加賀美氏の祖。加賀美荘に住し、加賀美次郎と称す。子は小笠原氏・南部氏・秋山氏などを興す。
義定(?男):安田氏の祖。加納荘に住し、安田三郎と称す。
義遠(?男):浅利氏の祖。八代郡浅利郷に住し、浅利与一と称す。 >>276
南部って戦国時代に青森岩手にいた南部氏発祥の地だっけ? 甲斐発祥の南部氏も北奥に転居になってラッキーだったな。甲斐に留まっていたら風土病で族滅してたw >>367
村上はちょつと毛色の違った清和源氏だ。 >>368
一瞬だが都を制圧占領したからなぁ
信玄より遥かに日本史に影響を与えてる >>375
残念
甲斐の山賊領が近すぎて、全てを失った >>375
宗家を滅ぼされ、宗教祭祀を奪われ、姫を拐われ服従させられ、残った血縁を謀略で殺され、反抗した衆は街道に並べた杭に張り付け放置
鬼じゃ!
武田は、武田は鬼じゃ! ■ このスレッドは過去ログ倉庫に格納されています