【風林火山】武田信玄【甲斐源氏】
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>>368
一瞬だが都を制圧占領したからなぁ
信玄より遥かに日本史に影響を与えてる >>375
残念
甲斐の山賊領が近すぎて、全てを失った >>375
宗家を滅ぼされ、宗教祭祀を奪われ、姫を拐われ服従させられ、残った血縁を謀略で殺され、反抗した衆は街道に並べた杭に張り付け放置
鬼じゃ!
武田は、武田は鬼じゃ! 大国主命の息子が祀られてる、皇室より遥かに歴史ある大社を護ってきた諏訪氏を滅ぼしたんだもん。
大国主命ファミリーは「怨霊」世界のトップでしょ。
それに手を懸けたんだから武田は滅ぶしかないね。 武田家は江戸時代、幕府では格式ある【高家】として旗本になっていた
武田家清和源氏義光流。
甲斐の戦国大名武田信玄の次男海野信親の子孫である武田信興を初代とする。
徳川綱吉に召し出される。500石。
明治維新後、東京府士族。 >>381
途中、他家から養子とってるからねぇ
松山藩士の秋山家から婿入りした なっていたってその前に大島へ流罪になってるじゃん
しかも赦免されて本土に戻っても支援したのは小山田の娘が
側室として入った内藤家で赦免も主に動いたのは保科や池田両家で
綱吉による抜擢では柳沢と岡山池田が動いた
周りの御膳立てなかったらそのまま流罪だった可能性だってあったよ >>374
源氏としては山奥の田舎暮らしでしょ?
中央の鎌倉に君臨した頼朝とは格が違い過ぎるよ。 高家(こうけ)は、江戸幕府における儀式や典礼を司る役職。また、この職に就くことのできる家格の旗本(高家旗本)を指す。
役職としての高家を「高家職」と記すことがある。高家旗本のうち、高家職に就いている家は奥高家、非役の家は表高家と呼ばれた。
≪高家≫
有馬、一色、今川、大友、織田、吉良、武田、土岐、畠山、最上、六角・・・
≪高家並≫
山名・・・
などの室町幕府足利家に仕えた名家が高家として明治維新まで存在した >>388
木曽地方に領地あるから木曽氏なんでしょう? >>387
高家だったら、斯波、赤松、北畠、少弐、菊池、三好
当然入ってるはずですが >>389
平家全盛期に木曾の山中で幼少期を過ごしたから木曾冠者だぞ。 源太郎伊沢冠者武田清光 は、子供時代を石和温泉で過ごしたのだ >>394
甲斐氏って菊池氏の一族で一族と喧嘩して東国に逃げてきて甲斐に落ち着いたからとれを苗字にしたと聞く。 所詮アレだ
“甲斐”源氏と言ってる時点で既に主流では無い >>396
地名みたいなモンか。
元の勝浦に対して、那智勝浦とか
高田に対して、大和高田、陸前高田とか 多田源氏、摂津源氏、近江源氏、村上源氏、土岐源氏、光源氏、若狭源氏、
安芸源氏、大隅源氏、嵯峨源氏、丹波源氏、那珂源氏、河内源氏.......
なんだか和牛みたい >>399
越後新田党って越後源氏を名乗らなかったんだね。 十両力士☆貴ゲンジ関
ゲンジ蛍
上野の焼き鳥屋「玄治」 リアル甲州軍団
武装外国工作員を制圧せよ 陸上自衛隊と山梨県警が治安出動共同訓練
http://www.sankei.com/images/news/180215/afr1802150046-p1.jpg
http://www.sankei.com/images/news/180215/afr1802150046-p2.jpg
甲府市内
自衛隊への治安出動命令は、自衛隊法に基づいて、
警察力で治安を維持することができない場合に適用されるが、
これまで一度も出されたことはない。
2月27日産経新聞 武田家は織田徳川連合軍の攻撃で敗れたが、のちに武田家臣団は徳川の有力者
井伊直政に召し抱えられ赤備え軍団は幕末まで存続
徳川に召し抱えられた集団は、八王子に千人同心として甲州街道の警備
千人同心も幕末まで存続 >>415
新撰組の近藤勇も千人同心の流れを汲む。 >>416
新撰組の近藤勇も千人同心の流れを汲むとは事実なんですか?
近藤家は千人同心のメンバーでしたか? 近藤勇の養家である近藤家は、八王子千人同心とはまったく関わりがないようです
八王子千人同心の組織は明治まで続いてましたが、近藤家はありません >>421
天然理心流二代目近藤三助は八王子千人同心。
だから流れを汲むと書いた。 待遇は悪かったために、わずかな禄高で苦労した千人同心
生活苦から千人同心の株(名跡)の売買もあり
裕福な豪農や豪商が、二男、三男に株を買い与えたという例もあるそうだ
一応は養子縁組という体裁で
千人同心も幕末には武士の姿をしていても、剣術などの武術もできない者もいたようだ >>425
それは貧乏な御家人も同じようなもの
御家人株が売買されていた
勝海舟の勝家がそうです >>382
甲斐武田家も一度、嫡流が跡絶えたよ。
信虎の6代前、武田信春(晴信の7代前)の時に嫡子が死んで武田宗家が廃絶の危機に。
そこで、更に2代前、武田信武の子が広島に分家した安芸武田家より信満を養子を迎えて存続させた。
よって戦国時代の甲斐武田家は安芸武田家の流れという解釈もある。
更に言えば
安芸武田家の祖、武田信頼に兄が居た。
若狹に分家した若狹武田家の祖、武田信治だ。
戦国時代の甲斐武田家より若狹武田家の方が家格が上だったという根拠の一つ。
幕府も若狹武田家を格上と認識していた。 >>434
いや若狭も武田だよ
六代将軍足利義教の命令で若狭の武田信栄が、一色義貫を誅したことでも知られる
室町時代は京都への地理的な関係もあったのか、甲斐の武田本家よりも、
若狭や安芸の武田氏のほうが足利将軍家に近かったとみられる 『信玄いか』
喉の渇きを潤したという、
あのエピソードから、きているんだよ
梅?
画像を検索してみるとわかる >>415
明治のはじめ、警視庁が創設。
川路大警視は、八王子千人同心を集め
希望者を警視庁巡査に採用している。
武田家臣団は警視庁に登用された。 >>440
新撰組の斎藤一も警視庁に採用され警部になる。 江戸城の半蔵門外、笄(こうがい)町に住んでいた公儀御庭番たち
警視庁に全員呼び出されて、希望者を警視庁が巡査として採用している
笄(こうがい)町=江戸時代の初期の名称は、甲賀伊賀(こうがいが)町だった 戊辰戦争では官軍の薩長に攻撃され、会津藩降伏
ところが後に、会津藩家老の佐川官兵衛は警視庁に採用される。 明治10年の西南戦争
薩摩士族軍に追い立てられ農民や商人を招集し編成の鎮台兵は敗走
銃器を投げ捨て軍服まで脱ぎ散らかせて泣き叫び逃げ回る鎮台兵に政府首脳も嘆息
急遽警視庁抜刀隊が田原坂に出陣
戊辰の役で賊軍とされた旧会津藩はじめ東北六県の士族たちが続々と警視庁に応募
旧新選組残党、旧八王子千人同心も多数参加
豪雨の田原坂で薩摩士族軍と警視庁抜刀隊が白刃を振るって激闘 公儀御庭番・・・忍者
忍者に伊賀、甲賀、風魔、根来、戸隠、甲州流があった 会津藩家老の佐川官兵衛は藩の剣術指南役でもあった。溝口一刀流
薩摩士族との戦いの前に、警視庁抜刀隊の巡査たちに
「薩摩の示現流と対戦する場合、敵の打ち込みは絶対に刀で受けるな。一の太刀は体をかわして避けること。
蛤御門の戦では長州勢は薩摩の示現流の太刀を刀で受けたため、刀身を折られて袈裟懸けに斬られたり、受けた自分の刀の鍔やみねが額にめり込んで絶命した者もいた。
絶対に刀で受けるな、体をかわせ。二の太刀が来る前に一気に刺し殺せ」
このように何度も説明したという >>449
それは、な
豊臣秀吉がまだ木下藤吉郎と呼ばれていた頃だよ!
けっ! >>443
中村獅童の顔が浮かぶじゃねーか
さすけねーー! 天正2年3月5日(1574年3月27日)、武田信虎が没しました。武田信玄の父親で、甲斐の猛虎ともいうべき武将として知られます。
武田信虎は明応3年(1494)、武田氏17代の武田信縄の嫡男に生まれました。初名は信直。
永正4年(1507)、父・信縄が没し、信虎は14歳で家督を継ぎます。当時の甲斐は武田氏の内訌もあって、大いに乱れていました。
さっそく叔父の信恵が信虎に叛旗を翻すと、信虎は翌永正5年(1508)、坊峰合戦で信恵一党を攻め滅ぼし、武田家の統一を果たします。
永正7年(1510)に小山田氏を従属させ、永正12年(1515)には西郡の大井氏らを攻めますが、大井氏を従える駿河の今川氏が甲斐に侵攻、信虎は今川とも戦いました。
永正14年(1517)、今川氏と和睦すると、永正17年(1520)には大井氏を勢力下に置き、大井信達の娘を正室に迎えます。時に信虎、27歳。
ようやく甲斐国内を鎮めた信虎でしたが、大永元年(1521)9月、突如、西郡に駿遠の1万5000の大軍が攻め込み、富田城を落としました。
主将は今川氏親の重臣・福島正成です。この知らせに信虎は、まず臨月の正室を躑躅ヶ崎館の後詰の城・要害山城に避難させました。
そして今川勢を迎撃すべく兵を集めますが、僅か2000に留まります。我が身に直接の害が及ばねば傍観する甲斐びとの気質に信虎は歯噛みしますが、
「よい。御旗楯無(みはたたてなし)も照覧あれ、敵を蹴散らしてくれる」と決戦を覚悟、両軍は飯田河原で対陣しました。
寡兵の信虎はこの時、幼少の頃から弓矢の道の薫陶を受けた老臣・荻原昌勝より秘策を授かっていたといいます。すなわち大量の旗を作っておいて、それらを郷民に持たせて周囲の山々に林立させ、後詰に大軍が控えていると見せかけるものでした。
ちなみに荻原は、江戸幕府の勘定奉行・荻原重秀の祖先です。
こうなるとさしもの福島も動けず、今川軍に動揺が広がります。そして、合戦は2度行なわれました。
まず10月10日の飯田河原の合戦では、武田軍の攻撃で今川方は100余人が討死、一部は南下して勝山の城に退き、残りは本陣を立て直して、それでも府中攻撃を窺います。
この両軍の対峙中、要害山城で生まれたのが、信虎の嫡男・太郎晴信でした。 11月23日、信虎は果敢にも敵本陣に夜襲をかけ、上条河原で激戦となります。
この戦いで今川方は600余名が戦死、主将の福島正成も討ち取られる大敗を喫して駿河に引き上げ、信虎は甲斐に武田ありと近隣諸国に知らしめることになりました。
さらに大永年間には相模の北条氏との戦いも始まり、大永6年(1526)には富士北麓の梨の木平で北条氏綱勢に大勝します。翌大永7年(1527)には佐久に出兵、また駿河の今川氏親と和睦しました。
その後、信虎は信濃侵攻などに力を注いでいきます。享禄元年(1528)には諏訪攻めを行ない、諏訪頼満、頼隆に敗れました。
天文4年(1535)には今川攻めを行ない、甲駿国境の万沢で戦いますが、今川と結ぶ北条氏に甲斐を侵攻されてしまいます。しかし翌年、今川氏輝の急死で今川家に後継者争いが起こり、信虎は善徳寺承芳を支持。
結果、承芳が勝って名を今川義元と改めると、武田と今川の関係は好転しました。
天文6年(1537)には長女を義元に嫁がせ、また今川氏の仲介で、晴信の正室に京の三条家の娘を迎えて、甲駿同盟を結びます。これにより今川と北条の同盟は破綻しました。
しかし信虎の度重なる侵攻命令に従う家臣たちは疲弊し、不満を蓄積させます。
さらに信虎が嫡男の晴信ではなく、次男の信繁を偏愛し、晴信を廃嫡しようとしたことも、家中の将来に不安を投げかけました。
そして天文10年(1541)、信虎は家臣らに支持された晴信によって、娘婿の駿河の義元のもとに追放されるのです。時に信虎、48歳。 天文12年(1543)、上洛した信虎は京都・奈良・高野山を遊歴。
年内に駿河に戻りますが、京都にも屋敷を構えてその後も上洛し、前守護として将軍足利義輝にも仕候しています。
息子・晴信が上洛を悲願としたことを思えば、皮肉なものといえるのかもしれません。
将軍義輝が松永久秀らに討たれ、織田信長が足利義昭を奉じて上洛すると、信虎は義昭にも仕候しました。
しかし信長と義昭が決裂すると元亀4年(1573)、信虎は義昭に命じられて甲賀郡に派遣され、信長包囲網の一翼として近江に攻め込む構えをとります。
しかし包囲網の決め手であった西上中の息子・信玄(晴信)が途上で死去したため、包囲網は瓦解。
天正2年(1574)、信虎は京を離れて三男・信廉の居城・高遠城に身を寄せました。そして同年、高遠で没しました。享年81。
家臣への苛斂誅求、晴信との不和があったとはいえ、甲斐を統一した信虎が、33年間の追放生活を送り、ついに甲府に戻ることなく没した点は、いささか同情の余地があるのではという気にもなります。 >>217
ややこしい甲州人を従わせた武田信虎は再評価してもいい 信玄の中の人が信長だったら適当な時期をみはからって強制的に小山田、穴山を信州の適当な地方に配置換えしてただろうな
それをしないと絶対に中央集権体制が築けないし謀反起こされてもすべきだった。 信長は結局、配置換えしようとした光秀に謀反されて本能寺だから諸刃の剣だが
それ自体は必要な処置だった。 >>463
小山田や穴山は信州だけど光秀は出雲・石見。
滝川の関東管領と言う魅力があった。 ┃i__∩
┃ノ ゝヽ
┃● ● |タケダ……。
┃(_●_)ミ
┃ |∪| ノ
┃ ヽノi )
ミヽ、_/ ノ
┃ヾ ノ
┃  ̄ ̄ ━━━悲報━━━
高校や大学の教員らでつくる研究会が、武田信玄や坂本龍馬らの用語を高校の歴史教科書から削減する案を示した。
山梨県の後藤斎知事は7日、用語の削減規定を設けないよう文部科学省に要望する。
山梨県内では削減に反対する約2500人分の署名が集まっており、県を挙げて「待った」をかけたい考えだ。
高校の日本史、世界史で覚えるべき用語の大幅削減を提言したのは、教科書の執筆者を含む全国の高校、大学の教員らが所属する「高大連携歴史教育研究会」(京都市)。
昨年、教科書に収める用語をほぼ半減させる「精選案」をまとめた。
暗記中心になっていた歴史の学習を、思考力を育てる内容に変える狙い。
日本史では戦国武将の武田信玄のほか、上杉謙信や坂本龍馬、吉田松陰、世界史ではクレオパトラ、ガリレオ・ガリレイらが含まれていない。
山梨県内では1〜2月末、甲州市の「塩山郷土研究会」や観光ボランティアが、教科書から武田信玄の名前を外すことに反対する約2500人分の署名を集め、高大連に送った。
塩山郷土研究会の広瀬国光事務局長は
「歴史的にも観光面でも武田信玄の存在は大きい。将来にわたって伝えていかなければいけないが、教科書に載っていなければ忘れられてしまう」
と危機感を募らせる。
山梨県教委高校教育課も
「これからの時代を担う子どもたちには(武田信玄の存在は)知ってほしい」
との思いを明かす。
【毎日新聞 田中理知】 死ぬまで権力基盤整備も経済流通整備も遷都もできず
侵略と金堀と洪水対策程度しかできなかった無能だよね。 >>469
本当に有能(でも厳しい)信虎より、「ずくねぇーぼこ」に頭をすげ替えたっつうこんだ 長島の一向宗を救えなかった時点で武田家は半ば詰んでたんだよな。
謙信と信長を牽制するため政略結婚までして本願寺と手を結んだわけだが
石山本願寺と長島本願寺が信長を倒すために絶対に欠かせない二大拠点だった。 結局、政略結婚した今川家を滅ぼそうとしたのは悪手だったと思うよ。
そこまでするんなら織田・徳川と新たな政略結婚すべきだったわけだし。
アホなんじゃないか? 余りにも仮定すぎる話なんだが
信長との縁談が盛り上がった頃から、早い時期に恭順していれば
伊豆、駿河、甲斐、信濃、上野、越後を領する大大名になれたかな 信長の性格を考えるとどこかの段階で走狗を煮るが如く信玄を駆逐しただろうな。ほぼ間違いなく。 信長には恭順はしないという前提で戦略を組むとしたら上杉家や今川家と戦うなんて選択はありえなかった。
全方位に戦線を広げてまるで太平洋戦争末期の日本のようだ。
頭おかしいというレベル。 そもそも上杉家とは長良川流通で、今川家とは富士川流通で利害が完全に一致するし
戦争で猫の額ほどの土地を得るより商売でウィンウィンをはかった方が100倍は良かった。
優秀な経済ブレーンがいなかった信玄の限界だろうな。 親戚である本願寺に頼み根来衆・雑賀衆を長島(援軍として多数来ていた)から引き寄せるのは普通に可能だったしな
自国で鉄砲量産を始めれば当然戦国地図は大きく変わってた。 ちなみに長島に居た高僧たちはちゃんと武田の家臣が脱出させて府中で保護してるよな。
高僧も大事かもしれないけどどなんで技術者を優先して保護しないんだろ。 >>457
>>458
>>459
やっぱり信虎の方が波乱万丈で面白い 北信のために村上に苦戦した挙句に上杉と衝突して時間と兵力を浪費
駿河は取ったが嫡男を喪い、北条を完全に敵に回し、徳川を遠江に伸張させ将来の敵対勢力を成長させた
外交と戦略のミスが次代にツケを回した 勝頼も大国の二代目という器ではなかった。
せいぜい優秀な軍団長どまりの人材。
中の人が世紀の逸材だったら名を残しただけじゃなく天下まであった。 武田家の組織も軍団単位であとは信玄直属の金山衆とか忍衆とか不定期に任命される土木奉行なんだよな
もうちょっと役職についても整理できなかったものだろうか。普通に北条家にも負けてるし。
すぐ思いつくだけでも勘定奉行衆と寺社奉行衆と外交集団は大国として絶対に必要なのに
国の大きさに比べて組織が脆弱。全て信玄という個人ありきの組織になってしまっていた。 有能な人だったら国境警備隊(ハドリアヌスがそうした)を組織し、国家公務員としてシビリアンコントロールも可能にした
木曾とか穴山とかその地域の武将に丸投げじゃ負担にたえられず敵方に寝返ってしまうのは火を見るより明らかだし。
また武田領内のどの武将に対しても中央から派遣された官僚の指示に従うようにさせないと
国家としていつまでも成立しない。始皇帝が李斯たちを使って国家を強くしてキモもしれだったし。 勝頼も氏政の娘を貰ったのに裏切ってんだから
当てにならないと、なぜ勝頼は分からなかったんだろ
池沼だったのかな? 長篠の合戦でも3倍の敵に対して特攻して将の過半数を死なせてんだから
池沼というか牟田口だよな。 山梨県民として言わせてもらうけんど。
甲州人ってのは、へぇ簡単に場の空気に支配されちもーよ。
物事が決まる迄は、ゴチャゴチャと文句ばっかじゃんね。
船頭多くして船山に登るっつうこん。
ふんだけんど、ガチャガチャ言う割りには声ん大きい奴の意見に流されるっちゅう頭くん無ぇーの丸出しじゃん。
一度空気が出来ちまうと誰ん反論しねーし、言えんだ。
訳ん分からん県民性だっちゅうこと。 >>499
郡内と河内と府中では県民性はやはり変わりますか? >>500
郡内は冬の寒さは北海道にも匹敵する過酷な自然環境の土地だから、
寡黙な人が多いね。ケッペンの気候帯は亜寒帯で、北海道やシベリアと
同じ。文句を言う人は少ない。文句を言っては生きていけないからね。
ただ、場の空気が支配し、一度空気が出来たら暴走するのは>>499と同じ。
甲府の方が自然環境が穏やかな分、おおらかで明るいと思うよ。
その反面「うるさい」けどね。 >>501
なるほど。分かりやすい説明ありがとうございました。
要するに「強いリーダー」が必要な土地ということですね。 俺、長野県民じゃないけど長野県の人たちを見てると
個人主義が強い気がする。
少なくとも県民意識というものは無い。
上田の人にとって諏訪周辺は他県という感覚だし飯田とかにいたっては東京よりさらに遠い海外という感覚らしい。
逆もまたしかり、飯田の人たちは浜松とか名古屋に親しみはあるが長野市付近の奴等を同県民などとは思ってない。 >>503
県民意識の欠如については山梨県郡内の方が露骨。
郡内にとって、甲府は役所関係以外用がない土地だからね。
実際に、中央道も東京に繋がっているので、不便な割に渋滞が凄い
甲府にはほとんど誰も近寄らない。みんな東京に出る。
渋滞が朝夕とも逆方向なので、東京に行っても渋滞に余り巻き込まれ
ないのも、その傾向をさらに露骨にしている。 >>502
強いと言うかわからんが金丸信とか一時日本政界をリードしたが。
同じように金丸のミニチュア版輿石東もいるな。
同じ政権党の幹事長でも内田常雄はちょつと違うな。 >>512
わにわにしちょ!
こぴっとしろし
みぐせーこんいっちょ 年末に茨城県の武田館跡を見に行ってきた
なかなか感慨深いものがあった 2ちゃんは40、50代が多いらしい
若者はLINEやTwitterが主 >>517
本人は名古屋産まれだけどお祖父さんの時に福井県から来た ぁあ........懐かしきなりや
第1話
https://youtu.be/1zI3v3UK63U
すべての始まりなりや >>524
大河ドラマ武田信玄を初めて見た
恐ろしく豪華な俳優ばかりで驚いた
第一話でこの濃厚な脚本とわ >>524
偉く潤沢な予算だったのだな。
昨今の大河ドラマとはクオリティが違いすぎる。 >>524
菅原文太が演じる板垣が渋い。渋すぎる。 >>524
貼り貼りサンクス
初めて大河ドラマ武田信玄みた
1話から信虎が悪者イメージで笑た 柴田恭兵が長尾影虎とはwww
風林火山ではガクトだったが、美形の俳優が演じる縛りでも有るのか?
俺的には上杉謙信は勇猛果敢な軍神武将のイメージ有るから、何か違和感を抱くなあ。
中井貴一の晴信はシックリくる。 >>532
信玄は中井貴一でも高橋幸治でも良すぎ。 ぇぇえ━━━━( *゚A゚)━━━━━?
な、なんと豪華な...... ヨウツベに上がってるの全部みた
ちょっと感動したわ >>537
最低でも1日半ぐらいないと見れないけど。 >>540
40話までぶっ続けて見て30時間くらい。 【散るぞ悲しき〜辞世の唄】↓
https://www.youtube.com/watch?v=_t675VZJgl4
日本歴史上の有名な辞世の句に曲をつけたもの。
凄く出来が良いので、お勧め。 >>524
OPテーマと予告をカットしてあるから連続して見易い 要所〃に流れるBGMの効果だろうか、
全体的に、暗ぁ〜〜〜い空気に包まれた作風だね。
オドロオドロしい甲州人の気質をよく描けてる。 場面の転換の度に山梨県を取り囲む山脈が映し出されて
寂寥な「陸の孤島」感を演出してる
実際に今だって昭和町のイオンから360度見渡すと山壁に囲まれてて息苦しさを感じる 天正壬午起請文の新発見の写本ってもうどこかの雑誌に載った?まだ? >>547
大河ドラマ 武田信玄 オープニング
テーマ音楽指揮 山本直純
テーマ音楽演奏 NHK交響楽団
https://www.youtube.com/watch?v=FLlvcl4AJ34 >>547
暗い空気っていうか、残り10話くらいになるととにかく信玄の体調が悪さが
作品全体を覆ってるのがね 南野とエッチする回まで来た
俺は1日に2話ずつ観てる 考えてみたらさ
湖衣姫って大国主命の子孫なんだよな
皇室より古い家柄 言霊信仰の日本では名前を呼ぶ行為に霊力が宿るって伊沢元彦が言ってた。
だから、ある一定以上の身分の女性は本名が不詳な事が多いと。
記録する時など、識別する必要ある場合は出身国や家名で表記したようだ。
濃姫、生駒の方、大井夫人、三条の方など....。
寧々や松姫など織田家家臣団の妻は元々が身分低い階層なので名前が知られてた。 応神 継体 天武 明治
皇統は絶えて何度もアカの他人が交代している >>564
後々に身分が高くなったからだろうか?
旦那は大納言までなったし。 愛称と本名は違うって事なんやろか?
親子間では娘を本名で呼んでも、家臣の居る前では愛称や公称で呼ぶとかな。
於茶々とか於江とか、お◯◯って呼び方は愛称やもんな。 >>524
39話まできた。
ここまで観て来て感じたのは....。
何だろう...全体的に....信虎も晴信も含めて甲斐武田をディスってるよね?
この作者は武田信玄が嫌いなのかな。
甲州人の有り様を殊更に滑稽で意地汚い人種に描いてる場面が多い。
甲州人は思慮が浅く、何かにつけカッっとなるダメ人間が多いように書かれてる。
晴信も裏切りを平然とするクソ人間だと看破されてる。
織田信長など、実に爽やかな人物像にされてる。
この作者は山梨県民? >>569
浅井も前田も木下も山岳民系だから文化が違うのかも >>572
諏訪の人だからな。それに富士山気象台のレーダーの建設責任者もやってるから山梨との関係もある。 >>576
本名藤原寛人といい。息子は数学者の藤原正彦。源氏が藤原とは名乗らないと思うが。 高倉健でてる映画になってるね。
そうか、同じ作者か >>584
新田次郎は気象庁の職員でもあり。
1942年本名藤原寛人の名で気象用無線の専門書「ラジオソンデ」を刊行している。 >>568
姫というのは実家依存による敬称だから
旦那の身分は関係ないし後に身分が高くなっても
姫という敬称は戦国期の場合は普通用いないよ
たとえば信玄の娘の松なら松姫でもおかしくはないけどね >>572
新田は嫁さんも呆れ果てるほど諏訪御寮人になみなみならぬ
思い入れがあったそうだし諏訪の人間だからいろいろ含むものが
あるんじゃないかなあ…、三条夫人とかね
あとこのドラマは武田宗家から信玄をやみくもに美化しないで欲しいという
要望もあったそうだからその要望込みなら裏切り描写はむしろ普通だろ >>524
こんなクオリティ高い大河ドラマは現代じゃ無理 天孫族に国を譲る条件として和国で一番高い建造物を建てさせた って古事記に書いてる 大国主命の次男が侵略勢力に抵抗したが敗れて逃亡し、
追手に捕捉されて命乞いしたのが諏訪なんだよね。
そこに宮殿を建てて諏訪を統治した。 周防がもともと「すわ」と呼ばれていた事を考えると
周防から諏訪に移住したのかもね >>599
浅井・朝倉・毛利・武田・上杉・叡山・本願寺 包囲網の方が多そうだが。 迎撃する側が有利なのは古今東西いっしょ
迎撃する側は敵を諦めさせれば目的達成。
補給線が伸びきった所を叩けば造作もない。
外征侵攻する側は拠点防衛する敵を撃破殲滅して占領しないと意味がない。
堅固な防御陣地に籠った敵を撃破するには2倍〜3倍以上の戦力が必要。 >>603
しかし信長が朽木谷で落武者狩りに合って死んでいたらどうなっていただろうね。 >>604
織田コンツェルンの中から誰か替わりの者が立つだろうね。
勢力回復に少々時間かかるが路線に大きな変更なく進むでしょうな。
本能寺の時みたいに。
旧時代の大名は、それこそ今川家みたいに当主が死ねば瓦解してしまうだろうが、新時代の大名は理念を受け継いで行くだろう。 大河ドラマ武田信玄を見てて違和感が有って。
長尾も 北条も 今川も 武田も 出てくる大名が全員漏れ無く「天下を目指す!」って言ってるのが不自然。
みんなチョコチョコと近隣の土地の掠め取り合いに終止してるに過ぎない。
明確なビジョンと具体的行動力を持って京都を目標に据えたのは織田信長だけでしょう? 信長は美濃を併合した時点で天下を意識したメッセージを発信してるよな。
【天下布武】
明確に史実として残ってるし。
余分な事はせず上洛の一転突破で行動してた。
佐久だ、諏訪だ、高遠だ、北信だ、駿河だ、沼田だってウダウダしてた武田には天下なんぞ意識する筈も無かろうて。 武田にとっての天下とは、
甲斐とその近隣までだから 愛知県、岐阜県、滋賀県の南半分、三重県、静岡県の西半分、奈良県、京都府、大阪府、のタッグチームに
山梨県と長野県と静岡県の東半分が喧嘩を売る
どう考えても勝てる訳がない >>606
当時の史観だから仕方がない
天下統一を明らかに目指していたのは信長ぐらいという
史観が当たり前になったのは比較的最近 >>566
高槻市民だが
継大天皇は、地元民には福井から連れて来られた天皇家の人だって伝承が残ってるよん。
ついでに現在は辻元清美の地盤やが >>613
昔から高槻は革新が強かった。ベルリンオリンピックの水球の選手の阪上安太郎っていうのが高槻市長をやり後に社会党の衆議院議員に転じている。 おもろい話をば
高槻の市立中学校ではね。
音楽の時間に「ありらん」と「イムジン河」を歌わされて歌の試験されますがな。
高槻の教師はバキバキの運動員ばかりや。
高槻に在る府立高校もアカの魔窟やで。
辻元の彼氏は、元府立高校の社会科教師で赤軍の幹部やリーダーを匿ったりな。
ちょっと前に重信房子が高槻京都ホテルの前で拘束されたが、その彼氏も絡んでたで。
とにかく、ムチャクチャな土地柄や。 高校の歴史の授業ではな、
地元の戦国大名の高山右近はキリスト教を広めて古い日本の悪い伝統を改革しようとした英雄だって教わったわ。
それを邪魔した秀吉は悪魔やって教わったで。
俺は中2で東京から高槻に引っ越して来たから高槻の異常性が分かるが、ずっと高槻で育った同級生は洗脳されてて可哀想やった。 高山右近って摂津高山の武将だが、キリスト教に肩入れし過ぎて仏教寺院を焼いたりしてた。 最晩年の布陣では尾張に入った辺りで補給線を寸断されて殲滅されてたぞ 信玄くん...............
┃i__∩
┃ノ ゝヽ
┃● ● |……。
┃(_●_)ミ
┃ |∪| ノ
┃ ヽノi )
ミヽ、_/ ノ
┃ヾ ノ
┃  ̄ ̄ >>618
そこなんですよ。
甲斐の軍制だと侵攻した土地を完全に掌握しないで先に軍勢を進められません。
せいぜい数日分の糧食を部隊ごとに小規模な荷駄隊で運んでましたから。
基本的に糧食は現地調達(略奪)が甲斐軍の方針だったので侵攻先からは忌み嫌われてました。
だから焦土戦術をされると戦線が維持できません。
軍の補給体制を大事に捉えていた信長・秀吉型の軍制との違いがそこに有るんです。
もちろん、潤沢な経済力あっての話ですが。
例えば、2万の兵が居るなら最低でも1日当たり4万食を毎日途切れなく供給しないと軍は早急に崩壊します。
1食1.5合の米×2食分×2万人=6万合の米
この膨大な量の米に加えて 塩、味噌、野菜等、馬の餌、武具、兵の装備品、消耗品、これらを軍の移動する先々に毎日滞りなく送り届ける必要があります。
信長や秀吉は海上ルートで拠点間を一気に輸送して解決してます。
甲斐の軍は長期間の戦闘を継続する戦略を持っていません。
数ヵ月間の近隣での小競り合いしか無理です。
甲斐信濃兵は農民主体の徴集兵なので春と秋は国に帰らないと国家経済が破綻します。
戦闘専門部隊で構築された織田軍との差は歴然としてます。
【武田と織田が戦わば、常に最後に戦場に残りしは織田軍なりや】 そういや織田信長は自軍の兵士の略奪には厳罰で対処してたな
結局それは兵士への物資の補給に自信を持ってた裏付けだわな
食い物現地調達を奨励してた武田は補給なぞ端からする気が無かったって訳や
略奪し放題、女奴隷持ち帰り放題の武田軍とは雲泥の差やで 大河ドラマの中での信玄のセリフだけど
「我が甲斐の国を富ますのが国主の務めじゃ。 甲斐の国富ます為に戦をせねばならぬのじゃ。 隣国奪い甲州軍の強さ知らしめよ。 」
山梨県だけが潤えば良いという考え方。
近隣の富みを奪い去るという自分勝手な振る舞い。
こんな奴等が天下を云々とか、片腹痛いわ。 >>622
ここは史板なんだからさ、創作物上の信玄への
突っ込みをやりたいだけならいい加減大河板行きなよ。 >>621
上杉軍「( ^ω^)・・・わが軍もやってたお、しゃーせんw」 >>625
でもアレだね、
その略奪上等のメンタリティが当時の甲州人だと現代でも認識されてるよね >>627
北条は略奪についてはどうだったんだろう? >>627
>>628
織田軍が略奪狼藉を許さなかった....と記録されてる。
これは裏を返せば、当時の戦では勝った側はムチャクチャするのが当然だったって事だよね。
教科書とかで足軽が荒らし回る絵を見た記憶ある。
織田軍は当たり前じゃ無い事(珍しい事)をしたからこそ公的記録に書かれたんだよね。 一方で信長公記には織田軍が乱獲りをしていた
記述も見受けられるんだな、これが…
要は相手によって使い分けしていたか方面軍の軍団長に
そこらは一任していたのかもしれんね >>630
加賀富樫の戦役で柴田勝家が制圧した村落で根こそぎ奪い家屋を焼き払ったそうだよ。
住人は軍勢で取り囲んで皆殺しに。 >>631
>>634
合理的思考の信長はキチンと統治する予定の土地の民には非常に優しく接する。
当面の税を免除してやり地力が回復するまで援助さえ行う。
古今東西、善政とは減税の事に他ならない。
一般人も使える軍用道路網を整備し往来を容易にする。
領内の街道筋の通行料徴収を廃止し物資の流通コストを下げる。
市場の規制緩和を推進し商業の新規参入を保証した。
信仰の自由も保証した。
他国領地から逃げた民が続々と織田領に流入して人口が増加する。
武田領と正反対である。
武田信玄が内政の神と言われたのは 何故だろうか。 >>635
信仰の自由?
延暦寺を焼いて僧侶を殺害したのは宗教弾圧でしょ 信長は延暦寺を焼いて僧侶を殺害した
本願寺を攻め立て一向宗門徒を虐殺した
京の都で布教する高野聖を捕縛し鴨川の河原で処刑した 秀吉は紀州根来寺を焼き討ち。僧侶、信徒を虐殺している
キリスト教徒を捕縛し長崎で公開処刑 >>637
>>640
>>643
>>645
逆にさ
何故、その殺戮をしたのかな?
何か理由が有ったのかな? 延暦寺や本願寺は武装してただろ
非武装の坊主を殺したならともかく >>648
信長は
高野聖は武装などしないが、京の都で布教中に片っ端から捕縛され鴨川で殺害されている
甲州恵林寺でも武装していないのに僧侶を山門楼上に押し上げて、焼き殺している >>650
スパイ防止法と治安維持
それと犯人隠匿と国家転覆防止 >>643
強力な傭兵団を抱えた軍事集団
スペインの極東侵略の阻止 >>650
戦国時代の寺社で武装してなかったのは、織田領内の寺社のみ。
織田領内は治安が良く、武装する必要がなかった。 武装解除をして宗教活動に専念すれば織田領内では土地の確保や税の軽減など、保護された 山崎八幡宮の油ギルドは叩き潰してた。
西国街道での関銭徴収禁止令に従わなかったから。
桜井で磔に。 信長は叡山攻撃の前には、近江坂本の日吉大社を襲撃
神職、参詣者を殺戮 山岳要塞の前衛陣地だからね。
神職の服着た戦闘員と参詣者を装った斥候隊は殲滅せねば。
そもそも戦端が開かれる直前だ。
部隊が臨戦態勢で包囲して緊張感MAXの所へ、ノンビリと神社に参詣するなど有り得ない。
本当に参詣者なら戦闘中のイラクで首チョンパされた香田レベルの間抜けさである。
ましてや、時代は戦国の乱世だ。
その時期いちばん近寄ってはいけない場所だと判断出来ぬ庶民など居ない。
現代の平和ボケ日本人の感覚で戦国時代を見てはいけない。 織田剣社って神人いたの?
朝倉を攻めた時どう動いたの? >>660
神社に仕えて社務の補助 雑務にあたる下級神職。もちろん武装して警備も行う。
じにんと読む。 甲斐国内では久遠寺も強力な傭兵団を抱えた軍事集団だった。
穴山の領地内だが武田家として、宗教勢力と妥協しまくり権益を認めてやって大人しくして貰ってた。
久遠寺を武装解除して余分な既得権益(三千の傭兵を養える経済力)を召し上げられなかったのが、武田家の限界。 >>664
諏訪氏なんか神主の親玉なのに自らが武装してたやん。阿蘇氏も同じ。 >>664
穴山家の動員兵力より多いwww
農本型の大名豪族の外征時に於ける動員可能兵力は米の生産1000石につき25〜30人。
三千人の僧兵だと10万石の経済規模。
太閤検地の時には甲斐は33万石だっけ?
寺院の影響力って凄まじいね。 >>665
武田統治下なら富士氏もそうだよ
大宮攻略で数回門前払いくらって信玄が重い腰をあげる
羽目になったトラウマなのか武人禁止令をくらったが…
けど富士山へのお賽銭はやはり召し上げできなかった
そして江戸幕府下では大名格の万石高だった大宮司家 >>650
高野山は僧兵いたんだが
いつから武装してなかったことになってるんだ
高野聖は高野山の僧侶が洛中で托鉢しているもの
托鉢で得た金銭は高野山の収入になる >>669
紀州雑賀党は3000丁も鉄砲持ってるのになんで負けたの? >>670
雑賀衆は小牧長久手で秀吉の名城・大坂城を攻めて
張り切ってたじゃないかw
さすがに小牧長久手後の天下人秀吉の動員数は
鉄砲3000丁どころではない >>671
ガソリング砲を20門とかアームストロング砲が5門くらい持ってたら勝てただろうな。 >>674
あの映画では千葉真一が信玄の首を跳ねてたな その時、歴史が動いた
https://youtu.be/QUU4j1vn8g0
一応、これが現代の定説なんかな? >>674
サ〜ンゴ〜ズダ〜ウン♪
サ〜ンゴ〜ズダ〜ウン♪ >>667
太閤検地の頃は甲斐の統治が安定して太平の世。
農業生産も大増産されてた時で33万石だった。
江戸中期は35万石あった。
信虎、信玄、勝頼の時代は外征に次ぐ外征で国力が疲弊しており、
山梨県在住の研究家は20万石には届いて無かったと指摘している。
甲斐一国だけの動員兵力は、国力が疲弊しない範囲で5000人が限度。
ちょっと無理して6000人まで。
それを1万人とか徴集すると国はたちまち疲弊してしまう。
駿河や相模や武蔵の地味豊かな国々と張り合ってしまった貧乏山国の悲哀だ。
身の丈を超えた望みを抱いてしまった。 2020年の大河ドラマは「明智光秀」だそうで。
甲斐武田家が、どう描かれるのか楽しみだ。 散るぞ悲しき〜辞世の唄
https://www.youtube.com/watch?v=_t675VZJgl4
歴史上の有名人の辞世の句に曲を付けたもの。
泣けるよ。凄く出来が良い。
武田家版が聴いてみたい。 >>684
甲斐仕置き担当が明智光秀だったら歴史が変わってたね。
河尻みたく、なぶり殺しには遭って無かったと思う。
近江、丹波では占領軍の司令官なのに
明智光秀は優しい殿様で地元では未だにお祭りする程に慕われてる。
亀岡市や篠山市では、明智の家紋を刻んだ門が有る神社や寺が多く残ってる。
特に 亀岡市の鍬山神社では明智光秀の命日に武者行列して霊を慰めている。 明智が甲斐に入っても武田一色の山梨でそれはないw
なぶり殺しも甲斐ゲットしたければやるだろう
明智と徳川で結託してたらわからんけどな 明智家は美濃の土岐源氏
清和源氏の一族
武田家の遠い親類ですわ 明智光秀の晩年の領地
近江西半分、山城、丹波、但馬、丹後南半分か
石高と経済規模は晩年の信玄を上回ってね? 光秀が天海僧正だという説がありました
徳川将軍家三代家光の誕生時に、春日局を乳母として推挙したのも天海とか
ちなみに春日局は光秀の重臣・斎藤の娘(おふく)
出生地は光秀の所領丹波国氷上郡春日町と伝わる >>696
師匠の信長と同じく流動的な貨幣経済に長けた政治家だからな。
土地本位の中世型から脱却してた。
だから領地の石高と実勢の経済規模が一致しないで内部留保が膨れていく。。
緊急時に姫路城で2万3千の全軍に臨時ボーナスをブッ込むような事が可能になる。
土地本位じゃないから自身の直轄領地だけに拘らず拠点を前線へ次々に変えて行くやり方。
この辺りが武田信玄や今川、北条を代表とする中世型の戦国武将との差だな。 >>696
そう言やぁ
本能寺の時点で秀吉が拝領してた正味の領地って、今浜の8万石だけなんだよな。
それなのに織田家臣団で一番の金持ち。 今浜あらため長浜と横山を合わせて12万石でしょ
まあ、石高が少ないのに変わりは無いが おいおい秀吉の領地は北近江3郡+播磨国+但馬国だぞ 秀吉は長浜城から姫路城に居城も移しているだろう
与力の城に仮住まいしてたのか?
姫路城に至っては秀吉を官兵衛時代の小規模な屋形を
山一つ完全に新築の城郭にしてしまったのに 播摩が秀吉の領地だった事実など、一切ない
領地でないからこそ、姫路をカラに出来た
在来型の武将とガラっと違うから秀吉は面白い
代々武家として受け継いだ本貫地も持たない出自の身分なので土地に対する意識からして違う
その辺りは甲斐武田家は土地に執着し過ぎる中世そのもの
本拠地を出て京に上るなぞ絶対に不可能 つうか秀吉が姫路城を去った後は
天下人として大坂城築城だから
領地じゃないから去ったわけじゃないよね >>711
そうか
関白とかまで行っちまうと、もはや領地とかどうでも良くなるわな >>711
大返しの事じゃね?
政権奪取に乾坤一擲かけて、雑兵まで全て連れて京都に突進して行った
これが武田信玄とかだったら落とした城に数百か数千の守備兵士を配置して、本隊がみるみる減っていく >>706
管理を委託されただけで、自身の治める土地は今浜の周囲のみ。
秀吉は尾張にも土地を持ってない。
百姓のあばら屋だけ。 >>717
格下の利家の方が大領をもらっていたんだね。 武家の格式では前田家の方が遥かに上位。
むしろ、織田家では秀吉より上ばかり。
秀吉は武士ですら無かった。
秀吉が武田家に就職してたら一生涯ずっと足軽のまま。
織田家だからこそ方面軍司令官にまで出世した。 祖霊まします
この山河
敵に踏ませて
なるものか
人は石垣
昼飯は城
情けは味方
仇は敵 仇は敵 >>710
武田や今川とか古い体制の戦国武将は配下という木を植える様な統治って言えるかな。
植樹型とでも言うか。
獲得した土地に配下という樹を植えていく。
織田信長が始めた新しい体制は地面に木を植えない。
プランターや植木鉢に木を植える。
だから気軽に置き場所を変える。
鉢植え型。
戦線が移る度に配下武将を自由に配置替えする。
その信長の理念を良く理解できた秀吉は土地からの収益に依存せず経済センスを磨き、家臣団で一番のリッチマンになった。
織田グループでも明智は鉢植え型経営を理解し切れず古い体制を引き摺ってた。
信長が疎んじだしたのも、それが原因かも知れない。
但馬、伯耆、因幡、出雲、岩見を任せるから切り取れとの配置替えの辞令に従えなかった。
秀吉や丹羽が余りにも理解が早かったので明智光秀の不満不安が信長には分かってなかった。
説明不足だった。
武田信玄だって本当は自由に配置替えしたかったのでは。
戦線拡大したくても迅速に進まなかったのは配下武将が与えられた土地に執着し過ぎるから。 >>717
じゃあ、播磨や但馬は誰が統治していたんだ?
まさか、秀吉の与力が、上司の秀吉よりも大封受けてないよね? >>728
五代当主武田信政の庶子武田政俊が春日に領地を得て分家。
以後は春日氏を名乗るが、いつしか衰退し農場主に。
数百年たって晴信の時に再び武家に。
幼名が「源五郎」だから春日家では源氏であるという気概を
持ち続けて来たのだろう。
甲斐源氏が当主の地域で源氏の子孫でも無い者が「源●郎」などと名乗ると殺される。
山本は知らん。
知らんが、元から武家階層だった。
だから晴信も雇用した。 >>726
その、まさかでんがな
それに羽柴は石高に関係なく圧倒的に金持ちやないけ。 石高と貨幣の交換比率をどこかで読んだ記憶ある
米そのものを受けとるのを好む武将と、貨幣で受けとるのを好む武将が居たって。 >>730
だから但馬と播磨は誰が統治してたの?
質問に答えていない >>733
但馬は織田が平定したとはいえんからな。 >>736
平定していた部分の石高は?
秀吉は播磨国の姫路城に住んでいたのだし
播磨や但馬は全部反織田だったわけじゃないでしょう >>738
ムキになってないんだが、答えてみ?
それとも答えられないからムキになってることにしてんの? >>738
答えられないお前が阿呆
さっさと答えろ
ムキ親父 軍団が駐屯している状況を「住んでる」とは言わないなぁ。
住んでるのは家族が居る長浜ですなぁ。
姫路城は“居城”では無いなぁ。駐留先ですなぁ。 >>694
俺新田だけど武田家に近いの?
まぁ武田姓自体大勢いるけど >>740
答えてくれないお前が哀れ
さっさと答えて貰え
キム親父 >>737
>平定していた部分の石高は?
知るかよ! ボケ! >>604
軍列で移動中の織田信長は落武者では無いさ >>751を見てしんでんなんていう姓あったか?としばし真面目に
悩んでしまったw
にったさん、さーせん 信玄公まつり ってなもんは甲州人の集団ヒステリーだぞ >>762
首都圏から離れて久しいんだけど
由布姫行列なんだか湖衣行列なんだか
「武田信玄」と「風林火山」の諏訪氏作中命名でふらふらしてた件はどうなったの?
湖衣姫コンテストとかwはずいイベントは未だあるんだろうか 自己解決
未だ続いてるんだな湖衣姫コンテスト
写真を見たら自分の知り合いが審査員やってたわ >>768
行き着く先が「御家滅亡」という結果を知ってるからねぇ
いかに川中島合戦で盛り上げても虚しいだけ
数万人の甲州人が
「お舘さまぁ━━!」
「信玄さまぁぁぁ━━━!」
ってヒステリーMAX状況ね 山梨支社に転勤.....と言えば、即ち左遷を意味する。
山梨県とは県外の認識では、そういう場所だ。 >>773
清里や八ヶ岳高原の、リゾート地のイメージだけで釣った印象だからなぁ。
自治体が詐欺まがいのアピールをバックアップしてるから悪質だよ。
それに、「住んでみたいか?」というアンケートに過ぎない訳で。
実際に移住した人数が1位なのでは無いよ。 罪人といえば新田義国もだぞ。そのおかけで河内源氏嫡流を継ぎ損ねた。跡目は討伐された義親の子・六条判官為義が継いだ 呆れるぐらい内輪争い身内殺し簡単に始めるから
あちこちで戦おこして追討うけてる。 まあ院と摂関家がそのように仕向けたのも見逃せない
頼朝が出るまで源氏に政治が上手い奴がいなかった 頼朝は弟殺しまくり
結果として源氏将軍は3代で滅亡
信玄は親父追放息子殺し
信玄の子の代に滅亡 尊氏は弟を殺し長男と対決したが
奇跡的に最愛の嫡男で三男の義詮の系統が室町幕府が終わるまで残ったからなあ 名門意識が異様に高い
高い武力
同族間での扶助意識が希薄
なのですぐに身内の嫡流争いを始める
サイヤ人みたいなもんだと理解してる 【倭国】の勢力圏が列島と朝鮮半島南部までの広範囲だった訳で。
倭人が暮らした場所はとても広い。
百済、新羅あたりとも濃密に関わっていた。
皇族のルーツが半島だったという説の根拠なのだが、倭国の主体は列島に有ったので無理なこじつけに過ぎない。
天皇家を貶めたい勢力が捏造した話。
さらに加えて言うなら
倭人が関わっていた当時の半島の人々は現代の朝鮮人とは違う民族だ。 天皇(天王も同じ)は日本起源、発祥ではない、
もともと日本の話ではないんだから
嘘をついても、どうにもならない なぜ “新羅”三郎 なのか?
シラギに繋がってるのか? 何故わざわざ新羅の神なんだろうね。
歴史って面白いわ。 近江って、かつて天智系の地盤だったよな。
百済からの帰化人が多かった土地。
中大兄皇子の腹心だった中臣鎌足は百済の亡命王族。 鎌足直系の子孫以外は藤原を名乗らせなかった時点で
他の中臣とは別族 >>805
その鎌足の子孫が藤原氏として1200年以上も皇室に密接に関わってくるのか。
臣籍降下した皇族は“主流でない藤原氏”の娘との間に出来た男子だから、源氏は百済の王族の血を引いてるとも言える訳だな。 >>805
親百済派の天智天皇が百済の失地回復の為に、
日本に疎開してた百済の亡命王子を押し立てて新羅と戦端を開いたのが白村江の戦役なのだが....。
倭国が惨敗すると親新羅派の天武天皇に政権を取って替わられてしまう。
その時に鎌足は粛清を逃れて摂津の山奥に隠遁した。
天武系が絶えると、鎌足の子孫は藤原氏として復活し政権中枢に食い込んでくる。
高槻市の阿武野に鎌足の墓が在る。 南北朝の頃から甲斐武田家に
特殊土木技術や情報収集能力で召し抱えられた渡来人集団を
「高麗人(こまびと)」って呼んでた 柘植一族、服部一族、五味一族だね
奈良時代に連の姓を与えられた渡来系人 関東甲信越はモロに東国だろ
昔は東海道北陸道も東国 もしかして、ダジャレか?マジレスして恥ずかしいんだが… >>803
近江には大陸や半島の神を祀る寺社が少なくない 仏教じたい外国から入ってきた宗教(思想?)だからね >>805
中臣は近江ではなく山科の豪族
中臣の本拠地は山城国山科
中臣遺跡と呼ばれる遺構が確認され発掘調査も行われており
山科には現在も中臣氏の氏神を祀る神社もある
藤原氏の菩提寺・興福寺も前身は山科に建てられた山階寺 >>812
そうか
壬申の乱の粛清を生き延びたか
大したモンだ アレか??
ユダヤの紋様が石灯籠に刻まれてるって話か? >>829
藤原鎌足を重用したのは天武ではなく持統
持統天皇の母方は蘇我氏
鎌足の正室は蘇我氏出身だから鎌足の出世は妻の縁 上杉謙信って上杉を継いだから藤原氏なんか?
それとももともと長尾だから桓武平氏の流れなのか? >>838
長尾の庶流とはいえ同じ守護代の織田や朝倉とは血統が違うからな。 晴信は影虎を“対等”の好敵手と見ていたようだが。
村上などは明らかに格下と見下していたが、影虎に対しては対等の家柄と認めていたのだろう。 >>840
新羅三郎義光と鎌倉権五郎景正なら義光の方が格上だろう。
義光と村岡五郎なら同格だろうが。 >>842
家格気にしないんだったら系図の捏造などやらない。 実力の一つとして家格も大きな要素であったはず。
無い場合はコンプレックスでどこかしらに反動出てるし。 系図の捏造はロンダリングにもならんな。秀吉が近衛前久の猶子になったのはロンダリングだが。
そういえば謙信も関東管領上杉憲政の養子だな。 >>846
その藤原氏は藤太のところとは違うから武家としてはたいしたことないだろ。
大江広元の裔の毛利みたいなもんだろう。 といってもみんなは信玄餅に世話になってるだろ。
信玄餅の由来もさるものながら信玄自体が。。。
http://satch.tv/starts/?mref=261
知らんかったわ。 別に平姓の謙信が養子に入っても藤原姓は、藤原姓なんだよ。
家制度ってのは、血統で決まるんじゃない。 戦国板にたくさん武田のスレあるのにわざわざ日本史板にスレたてるのはなぜ? 戦国板の武田スレは問題児がいてまともに話せる状態じゃないんだよ
狂ったように長文連投されてスレストになったのまである >>848
大江氏の末裔 長州藩毛利家37万石
明治維新後は公爵
現毛利家当主は東大卒の外務省課長
複数の女性職員にセクハラで停職処分
毛利元就が怒っているぞ〜 いなかったら大江山という名前は付かないんじゃない? >>878
毛利時親は六波羅在勤中楠木領と近いところに領をもらい正成に大江流軍学を伝授したらしい。 大江は元は公家。あと大江は苗字ではなく姓。大江朝臣 駿河を攻めずに、義信が継いでたら武田家は残ってた?
普通に駿河を徳川に取られて滅亡すると思うが…
とりあえず、勝頼でどうやって武田家を滅亡せずに済むか
この無理難題をやらすゲームが出たら面白い
結果分かってる俺達でさえ、ほぼ無理げーだぜ >>887
信玄死んだら織田に即お詫び
人質付けて信房返還
長篠回避
謙信死んだら信忠と松姫の婚姻話復活させる
人質として差し出すも可
北条との婚姻はとりあえずおいておく
御館回避
自分はさっさか出家して信勝を当主に
信勝若輩故に等理由付けて織田側からも後見だしてもらう >>891
御館は景虎の勝ちになり北条の版図は広がるな。 >>891
武田家って旧態依然の家で一門衆のチカラが強く、
それぞれが、その地域のオーナーみたいなもん
信玄でさえ、彼等に気を使いながら武田家を運営してた
武田家でない、諏訪の勝頼がそこまで情けない醜態を晒して、
武田家の一門衆がついて行くようには到底思えん
あと、どんなに恭順しても織田家は武田家を滅ぼしたと思う
徳川家が豊臣家を滅ぼしたのと同じく、脅威となるものは徹底排除 >>895
一門が全て処刑され、勝頼の家族だけ残ったなら安堵されるわな。
もはや脅威ですら無いわ。
命題は「武田は残るか」だから >>895
徳川家康は一度は豊臣秀吉の家臣となり
跡取りの豊臣秀頼に恭順の血判状を出した手前
それをすべて反故にして自分が天下人になるために
前の天下人の血を根絶やしにしなくちゃならなかったが
織田信長は武田の家臣だったことはないし
地方大名の武田にそこまでのブランド力もない
信玄が晩年に三国軍事同盟破棄して無茶苦茶やったからだよ
いくら信玄の遺産があったからってどことも手を結ばずに
単独で生き残れる戦国時代ではないし
勝頼は正室の実家である後北条からも見捨てられたからな >>896
じゃ、武田勝頼が天下を取るには
一体どうしたら良かったろう 謙信が勝頼の滅亡時に生きていて信玄の遺言に従い謙信に助けを求めたらどうなっていただろうか? >>887
仮に義信が信玄を追放して継いだ場合、今川VS徳川に武田が介入する可能性大だから
家康大ピンチになるけど、追放された親父が信長の所へ行って要らん事しそうだw >>901
義信ってそんな傑物。義真を抱えて織田・徳川と張り合うことできるの? 室町時代には
甲斐武田氏(鎌倉公方に仕える)ではなく
安芸武田氏(直接室町将軍に仕える)が武田の嫡流とみなされていた >>908
蠣崎氏は傍流の傍流だげど明治まで存続。 とても簡単な稼ぐことができるホームページ
念のためにのせておきます
検索してみよう『立木のボボトイテテレ』
PNI たまたま甲斐の武田が講談や小説で有名になったので山岳の一族みたいなイメージあるが
本来の武田氏は海洋の民 甲府市役所で職員やってる(ただ武田家の血は継いでない) 大河ドラマでも天下を取れずに
戦国の世でも天下を取れずに
夢のゲームの世界でやっと天下を取れる哀れ小物すぎるいクソナガw 米沢の武田氏は歴史読本によく執筆してた(武田信清の子孫)
歴史読本とか歴史と旅や歴史群像シリーズって最近みないな 武田家臣団名簿(だっけ?)みたら書状2通以上の所持者のみ記載とか
結構ハードル高くない?
あと、地方地方で新出の書状が出てきてるけど武田氏研究とかに
に載らない限り日の目は出ないというか載らない時点で偽文書? 高野山成慶院の供養帳について少し気になることがあって、それは
信州月牌帳に出てくる武将(地侍?)に少し偏りがある気がして
何故かなと考えてみた。
檀家寺が真言宗の家のみが(高野山は真言宗の分骨を受け入れてるから)
記されてるのかな?と思ったのですが推論としてはどうでしょうか? 信玄って12歳で上杉の方を妊娠させてるんだよな…
中学生男子だもんな ドバドバ射精したんだろうな 上杉・武田・後北条氏の兵種構成
◇上杉氏(天正3年・1575年の軍役帳)
馬上兵 10%
槍歩兵 65%
鉄砲歩兵 6%
手明 12%
大小旗 7%
◇武田氏(永禄4年・1561年、天正6年・1578年の着到状の集計)
馬上兵 12%
槍歩兵 58%
鉄砲歩兵 7%
弓歩兵 10%
手明 7%
大小旗 6%
◇後北条氏(天正5年・1577年の一門である岩付衆の軍役)
馬上兵 32.0%
槍歩兵 38.5%
鉄砲歩兵 2.6%
弓歩兵 3.2%
手明 16.0%
大小旗 7.7% >武田の末裔って居る?
次男信親(竜芳)と五男盛信の系統は
現存するが養子が続き既に信玄の血筋ではない
六男信清の子孫は女系が入るが信玄の血筋
若狭武田と安芸武田は不明
蝦夷武田(蛎崎のち松前)は本家は断絶
分家は現存するも武田信広の血筋ではない ウルトラマン
♀_(`O`)♪タケダ タケダ タケダ
武田 武田〜 第四次川中島合戦の真実
今川家に追放されていた 祖父信虎が 信玄の長子太郎と連絡を取り
信玄が太郎の妻の実家今川家を侵略しようとしているので
それを阻むため 川中島で上杉に信玄を討たせようと画策した
それに協力したのが山本勘助で 今川家のスパイとして武田家に潜入していた
勘助が信玄を罠にはめる作戦を作り 信虎がそれを謙信に伝えた
計画はうまくいった
太郎は信玄の脇を防備していたが 前方に謙信の旗を見ると
信玄防衛を捨てて 謙信に突撃した 謙信は口実で
実は信玄防衛に穴を空けるためだった
太郎隊が居なくなった隙に上杉軍が突進し 信玄は重傷を負った
信玄が撃たれなかったのを見て
策破れたと 勘助は自ら戦死し 太郎は後に切腹させられた 諏訪神社掲げたん勝頼がいたからだろ
で諏訪信仰のある地へ攻め入ったわけだ
信玄が死んだあとは信玄神社⛩が作られた 三方原のなどへの出兵は、上洛が目的でなく、尾張平野に入って信長を誘い出して
打撃を与えるが目的のように思えてきた
もし信長が負ければ離反者がたくさん出るから、数年後もう一度攻める
だから三方原で勝っても浜松城を攻めずに次に進もうとした
東美濃に別隊を送ったのは、帰り道を確保しておくため 武田信玄の最後となる上京行、駿府を通らずに諏訪を通って進軍したのは何故か。
長年疑問だった。
Wikipediaの武田信虎を読んでてふと思った。
「駿府には父・武田信虎がいる。信玄は父と顔を合わせたくなかったので、
遠回りと思える諏訪経由で上京しようとしたのではないか」 >>955
面白い設定だけど、どうかなぁ。
武田は攻城戦が下手って話もあるけどそうでなくとも二万以上の兵を連れて浜松城を攻撃するのは無謀だったはず。
現実問題、僅か500人が守備する野田城にすら手こずってる。浜松城は攻めたくても攻められなかったろう。
故に、武田信玄の戦略が全く読めんのだ… 甲府に行ったら信玄沢山いたわ
500年祭りなんだね今年 映画「信虎」
https://nobutora.ayapro.ne.jp/
ニッチな題材だが、考証も丁寧に行って見応えのある作品になっていた
硬派な部分と、遊び心のある部分のバランスも良かった
戦国時代はだいたい網羅したって人でも、新しい発見がある作品だと思う 映画の日に観に行くつもりなんだけど
監督の金子に俺的当たり作が一本もないし
音楽が池辺…池辺の良作って大河の独眼竜のオープニングぐらいしかないんだよなぁ
wikiには来年まで劇場公開が保障されるかのような記述だが、足かけ三か月も上映していられるような大作なのか、これ? 今は亡き明治生まれのばあちゃんが武田の末裔ではなく、武田の家臣の一部が四国は鳴門の岡崎ってとこに来たと言っていたが本当なのか。 そのうちの1人がうちの先祖らしいが。ばあちゃんはボケずに亡くなったし そんな嘘ついても得も何もないので今も気になっている。 影武者の放送終わった。
しかし、
考証はむちゃくちゃだな。
つっこみどころだらけw このスレッドは1000を超えました。
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