【風林火山】武田信玄【甲斐源氏】
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>>443
中村獅童の顔が浮かぶじゃねーか
さすけねーー! 天正2年3月5日(1574年3月27日)、武田信虎が没しました。武田信玄の父親で、甲斐の猛虎ともいうべき武将として知られます。
武田信虎は明応3年(1494)、武田氏17代の武田信縄の嫡男に生まれました。初名は信直。
永正4年(1507)、父・信縄が没し、信虎は14歳で家督を継ぎます。当時の甲斐は武田氏の内訌もあって、大いに乱れていました。
さっそく叔父の信恵が信虎に叛旗を翻すと、信虎は翌永正5年(1508)、坊峰合戦で信恵一党を攻め滅ぼし、武田家の統一を果たします。
永正7年(1510)に小山田氏を従属させ、永正12年(1515)には西郡の大井氏らを攻めますが、大井氏を従える駿河の今川氏が甲斐に侵攻、信虎は今川とも戦いました。
永正14年(1517)、今川氏と和睦すると、永正17年(1520)には大井氏を勢力下に置き、大井信達の娘を正室に迎えます。時に信虎、27歳。
ようやく甲斐国内を鎮めた信虎でしたが、大永元年(1521)9月、突如、西郡に駿遠の1万5000の大軍が攻め込み、富田城を落としました。
主将は今川氏親の重臣・福島正成です。この知らせに信虎は、まず臨月の正室を躑躅ヶ崎館の後詰の城・要害山城に避難させました。
そして今川勢を迎撃すべく兵を集めますが、僅か2000に留まります。我が身に直接の害が及ばねば傍観する甲斐びとの気質に信虎は歯噛みしますが、
「よい。御旗楯無(みはたたてなし)も照覧あれ、敵を蹴散らしてくれる」と決戦を覚悟、両軍は飯田河原で対陣しました。
寡兵の信虎はこの時、幼少の頃から弓矢の道の薫陶を受けた老臣・荻原昌勝より秘策を授かっていたといいます。すなわち大量の旗を作っておいて、それらを郷民に持たせて周囲の山々に林立させ、後詰に大軍が控えていると見せかけるものでした。
ちなみに荻原は、江戸幕府の勘定奉行・荻原重秀の祖先です。
こうなるとさしもの福島も動けず、今川軍に動揺が広がります。そして、合戦は2度行なわれました。
まず10月10日の飯田河原の合戦では、武田軍の攻撃で今川方は100余人が討死、一部は南下して勝山の城に退き、残りは本陣を立て直して、それでも府中攻撃を窺います。
この両軍の対峙中、要害山城で生まれたのが、信虎の嫡男・太郎晴信でした。 11月23日、信虎は果敢にも敵本陣に夜襲をかけ、上条河原で激戦となります。
この戦いで今川方は600余名が戦死、主将の福島正成も討ち取られる大敗を喫して駿河に引き上げ、信虎は甲斐に武田ありと近隣諸国に知らしめることになりました。
さらに大永年間には相模の北条氏との戦いも始まり、大永6年(1526)には富士北麓の梨の木平で北条氏綱勢に大勝します。翌大永7年(1527)には佐久に出兵、また駿河の今川氏親と和睦しました。
その後、信虎は信濃侵攻などに力を注いでいきます。享禄元年(1528)には諏訪攻めを行ない、諏訪頼満、頼隆に敗れました。
天文4年(1535)には今川攻めを行ない、甲駿国境の万沢で戦いますが、今川と結ぶ北条氏に甲斐を侵攻されてしまいます。しかし翌年、今川氏輝の急死で今川家に後継者争いが起こり、信虎は善徳寺承芳を支持。
結果、承芳が勝って名を今川義元と改めると、武田と今川の関係は好転しました。
天文6年(1537)には長女を義元に嫁がせ、また今川氏の仲介で、晴信の正室に京の三条家の娘を迎えて、甲駿同盟を結びます。これにより今川と北条の同盟は破綻しました。
しかし信虎の度重なる侵攻命令に従う家臣たちは疲弊し、不満を蓄積させます。
さらに信虎が嫡男の晴信ではなく、次男の信繁を偏愛し、晴信を廃嫡しようとしたことも、家中の将来に不安を投げかけました。
そして天文10年(1541)、信虎は家臣らに支持された晴信によって、娘婿の駿河の義元のもとに追放されるのです。時に信虎、48歳。 天文12年(1543)、上洛した信虎は京都・奈良・高野山を遊歴。
年内に駿河に戻りますが、京都にも屋敷を構えてその後も上洛し、前守護として将軍足利義輝にも仕候しています。
息子・晴信が上洛を悲願としたことを思えば、皮肉なものといえるのかもしれません。
将軍義輝が松永久秀らに討たれ、織田信長が足利義昭を奉じて上洛すると、信虎は義昭にも仕候しました。
しかし信長と義昭が決裂すると元亀4年(1573)、信虎は義昭に命じられて甲賀郡に派遣され、信長包囲網の一翼として近江に攻め込む構えをとります。
しかし包囲網の決め手であった西上中の息子・信玄(晴信)が途上で死去したため、包囲網は瓦解。
天正2年(1574)、信虎は京を離れて三男・信廉の居城・高遠城に身を寄せました。そして同年、高遠で没しました。享年81。
家臣への苛斂誅求、晴信との不和があったとはいえ、甲斐を統一した信虎が、33年間の追放生活を送り、ついに甲府に戻ることなく没した点は、いささか同情の余地があるのではという気にもなります。 >>217
ややこしい甲州人を従わせた武田信虎は再評価してもいい 信玄の中の人が信長だったら適当な時期をみはからって強制的に小山田、穴山を信州の適当な地方に配置換えしてただろうな
それをしないと絶対に中央集権体制が築けないし謀反起こされてもすべきだった。 信長は結局、配置換えしようとした光秀に謀反されて本能寺だから諸刃の剣だが
それ自体は必要な処置だった。 >>463
小山田や穴山は信州だけど光秀は出雲・石見。
滝川の関東管領と言う魅力があった。 ┃i__∩
┃ノ ゝヽ
┃● ● |タケダ……。
┃(_●_)ミ
┃ |∪| ノ
┃ ヽノi )
ミヽ、_/ ノ
┃ヾ ノ
┃  ̄ ̄ ━━━悲報━━━
高校や大学の教員らでつくる研究会が、武田信玄や坂本龍馬らの用語を高校の歴史教科書から削減する案を示した。
山梨県の後藤斎知事は7日、用語の削減規定を設けないよう文部科学省に要望する。
山梨県内では削減に反対する約2500人分の署名が集まっており、県を挙げて「待った」をかけたい考えだ。
高校の日本史、世界史で覚えるべき用語の大幅削減を提言したのは、教科書の執筆者を含む全国の高校、大学の教員らが所属する「高大連携歴史教育研究会」(京都市)。
昨年、教科書に収める用語をほぼ半減させる「精選案」をまとめた。
暗記中心になっていた歴史の学習を、思考力を育てる内容に変える狙い。
日本史では戦国武将の武田信玄のほか、上杉謙信や坂本龍馬、吉田松陰、世界史ではクレオパトラ、ガリレオ・ガリレイらが含まれていない。
山梨県内では1〜2月末、甲州市の「塩山郷土研究会」や観光ボランティアが、教科書から武田信玄の名前を外すことに反対する約2500人分の署名を集め、高大連に送った。
塩山郷土研究会の広瀬国光事務局長は
「歴史的にも観光面でも武田信玄の存在は大きい。将来にわたって伝えていかなければいけないが、教科書に載っていなければ忘れられてしまう」
と危機感を募らせる。
山梨県教委高校教育課も
「これからの時代を担う子どもたちには(武田信玄の存在は)知ってほしい」
との思いを明かす。
【毎日新聞 田中理知】 死ぬまで権力基盤整備も経済流通整備も遷都もできず
侵略と金堀と洪水対策程度しかできなかった無能だよね。 >>469
本当に有能(でも厳しい)信虎より、「ずくねぇーぼこ」に頭をすげ替えたっつうこんだ 長島の一向宗を救えなかった時点で武田家は半ば詰んでたんだよな。
謙信と信長を牽制するため政略結婚までして本願寺と手を結んだわけだが
石山本願寺と長島本願寺が信長を倒すために絶対に欠かせない二大拠点だった。 結局、政略結婚した今川家を滅ぼそうとしたのは悪手だったと思うよ。
そこまでするんなら織田・徳川と新たな政略結婚すべきだったわけだし。
アホなんじゃないか? 余りにも仮定すぎる話なんだが
信長との縁談が盛り上がった頃から、早い時期に恭順していれば
伊豆、駿河、甲斐、信濃、上野、越後を領する大大名になれたかな 信長の性格を考えるとどこかの段階で走狗を煮るが如く信玄を駆逐しただろうな。ほぼ間違いなく。 信長には恭順はしないという前提で戦略を組むとしたら上杉家や今川家と戦うなんて選択はありえなかった。
全方位に戦線を広げてまるで太平洋戦争末期の日本のようだ。
頭おかしいというレベル。 そもそも上杉家とは長良川流通で、今川家とは富士川流通で利害が完全に一致するし
戦争で猫の額ほどの土地を得るより商売でウィンウィンをはかった方が100倍は良かった。
優秀な経済ブレーンがいなかった信玄の限界だろうな。 親戚である本願寺に頼み根来衆・雑賀衆を長島(援軍として多数来ていた)から引き寄せるのは普通に可能だったしな
自国で鉄砲量産を始めれば当然戦国地図は大きく変わってた。 ちなみに長島に居た高僧たちはちゃんと武田の家臣が脱出させて府中で保護してるよな。
高僧も大事かもしれないけどどなんで技術者を優先して保護しないんだろ。 >>457
>>458
>>459
やっぱり信虎の方が波乱万丈で面白い 北信のために村上に苦戦した挙句に上杉と衝突して時間と兵力を浪費
駿河は取ったが嫡男を喪い、北条を完全に敵に回し、徳川を遠江に伸張させ将来の敵対勢力を成長させた
外交と戦略のミスが次代にツケを回した 勝頼も大国の二代目という器ではなかった。
せいぜい優秀な軍団長どまりの人材。
中の人が世紀の逸材だったら名を残しただけじゃなく天下まであった。 武田家の組織も軍団単位であとは信玄直属の金山衆とか忍衆とか不定期に任命される土木奉行なんだよな
もうちょっと役職についても整理できなかったものだろうか。普通に北条家にも負けてるし。
すぐ思いつくだけでも勘定奉行衆と寺社奉行衆と外交集団は大国として絶対に必要なのに
国の大きさに比べて組織が脆弱。全て信玄という個人ありきの組織になってしまっていた。 有能な人だったら国境警備隊(ハドリアヌスがそうした)を組織し、国家公務員としてシビリアンコントロールも可能にした
木曾とか穴山とかその地域の武将に丸投げじゃ負担にたえられず敵方に寝返ってしまうのは火を見るより明らかだし。
また武田領内のどの武将に対しても中央から派遣された官僚の指示に従うようにさせないと
国家としていつまでも成立しない。始皇帝が李斯たちを使って国家を強くしてキモもしれだったし。 勝頼も氏政の娘を貰ったのに裏切ってんだから
当てにならないと、なぜ勝頼は分からなかったんだろ
池沼だったのかな? 長篠の合戦でも3倍の敵に対して特攻して将の過半数を死なせてんだから
池沼というか牟田口だよな。 山梨県民として言わせてもらうけんど。
甲州人ってのは、へぇ簡単に場の空気に支配されちもーよ。
物事が決まる迄は、ゴチャゴチャと文句ばっかじゃんね。
船頭多くして船山に登るっつうこん。
ふんだけんど、ガチャガチャ言う割りには声ん大きい奴の意見に流されるっちゅう頭くん無ぇーの丸出しじゃん。
一度空気が出来ちまうと誰ん反論しねーし、言えんだ。
訳ん分からん県民性だっちゅうこと。 >>499
郡内と河内と府中では県民性はやはり変わりますか? >>500
郡内は冬の寒さは北海道にも匹敵する過酷な自然環境の土地だから、
寡黙な人が多いね。ケッペンの気候帯は亜寒帯で、北海道やシベリアと
同じ。文句を言う人は少ない。文句を言っては生きていけないからね。
ただ、場の空気が支配し、一度空気が出来たら暴走するのは>>499と同じ。
甲府の方が自然環境が穏やかな分、おおらかで明るいと思うよ。
その反面「うるさい」けどね。 >>501
なるほど。分かりやすい説明ありがとうございました。
要するに「強いリーダー」が必要な土地ということですね。 俺、長野県民じゃないけど長野県の人たちを見てると
個人主義が強い気がする。
少なくとも県民意識というものは無い。
上田の人にとって諏訪周辺は他県という感覚だし飯田とかにいたっては東京よりさらに遠い海外という感覚らしい。
逆もまたしかり、飯田の人たちは浜松とか名古屋に親しみはあるが長野市付近の奴等を同県民などとは思ってない。 >>503
県民意識の欠如については山梨県郡内の方が露骨。
郡内にとって、甲府は役所関係以外用がない土地だからね。
実際に、中央道も東京に繋がっているので、不便な割に渋滞が凄い
甲府にはほとんど誰も近寄らない。みんな東京に出る。
渋滞が朝夕とも逆方向なので、東京に行っても渋滞に余り巻き込まれ
ないのも、その傾向をさらに露骨にしている。 >>502
強いと言うかわからんが金丸信とか一時日本政界をリードしたが。
同じように金丸のミニチュア版輿石東もいるな。
同じ政権党の幹事長でも内田常雄はちょつと違うな。 >>512
わにわにしちょ!
こぴっとしろし
みぐせーこんいっちょ 年末に茨城県の武田館跡を見に行ってきた
なかなか感慨深いものがあった 2ちゃんは40、50代が多いらしい
若者はLINEやTwitterが主 >>517
本人は名古屋産まれだけどお祖父さんの時に福井県から来た ぁあ........懐かしきなりや
第1話
https://youtu.be/1zI3v3UK63U
すべての始まりなりや >>524
大河ドラマ武田信玄を初めて見た
恐ろしく豪華な俳優ばかりで驚いた
第一話でこの濃厚な脚本とわ >>524
偉く潤沢な予算だったのだな。
昨今の大河ドラマとはクオリティが違いすぎる。 >>524
菅原文太が演じる板垣が渋い。渋すぎる。 >>524
貼り貼りサンクス
初めて大河ドラマ武田信玄みた
1話から信虎が悪者イメージで笑た 柴田恭兵が長尾影虎とはwww
風林火山ではガクトだったが、美形の俳優が演じる縛りでも有るのか?
俺的には上杉謙信は勇猛果敢な軍神武将のイメージ有るから、何か違和感を抱くなあ。
中井貴一の晴信はシックリくる。 >>532
信玄は中井貴一でも高橋幸治でも良すぎ。 ぇぇえ━━━━( *゚A゚)━━━━━?
な、なんと豪華な...... ヨウツベに上がってるの全部みた
ちょっと感動したわ >>537
最低でも1日半ぐらいないと見れないけど。 >>540
40話までぶっ続けて見て30時間くらい。 【散るぞ悲しき〜辞世の唄】↓
https://www.youtube.com/watch?v=_t675VZJgl4
日本歴史上の有名な辞世の句に曲をつけたもの。
凄く出来が良いので、お勧め。 >>524
OPテーマと予告をカットしてあるから連続して見易い 要所〃に流れるBGMの効果だろうか、
全体的に、暗ぁ〜〜〜い空気に包まれた作風だね。
オドロオドロしい甲州人の気質をよく描けてる。 場面の転換の度に山梨県を取り囲む山脈が映し出されて
寂寥な「陸の孤島」感を演出してる
実際に今だって昭和町のイオンから360度見渡すと山壁に囲まれてて息苦しさを感じる 天正壬午起請文の新発見の写本ってもうどこかの雑誌に載った?まだ? >>547
大河ドラマ 武田信玄 オープニング
テーマ音楽指揮 山本直純
テーマ音楽演奏 NHK交響楽団
https://www.youtube.com/watch?v=FLlvcl4AJ34 >>547
暗い空気っていうか、残り10話くらいになるととにかく信玄の体調が悪さが
作品全体を覆ってるのがね ■ このスレッドは過去ログ倉庫に格納されています