【風林火山】武田信玄【甲斐源氏】
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>>537
最低でも1日半ぐらいないと見れないけど。 >>540
40話までぶっ続けて見て30時間くらい。 【散るぞ悲しき〜辞世の唄】↓
https://www.youtube.com/watch?v=_t675VZJgl4
日本歴史上の有名な辞世の句に曲をつけたもの。
凄く出来が良いので、お勧め。 >>524
OPテーマと予告をカットしてあるから連続して見易い 要所〃に流れるBGMの効果だろうか、
全体的に、暗ぁ〜〜〜い空気に包まれた作風だね。
オドロオドロしい甲州人の気質をよく描けてる。 場面の転換の度に山梨県を取り囲む山脈が映し出されて
寂寥な「陸の孤島」感を演出してる
実際に今だって昭和町のイオンから360度見渡すと山壁に囲まれてて息苦しさを感じる 天正壬午起請文の新発見の写本ってもうどこかの雑誌に載った?まだ? >>547
大河ドラマ 武田信玄 オープニング
テーマ音楽指揮 山本直純
テーマ音楽演奏 NHK交響楽団
https://www.youtube.com/watch?v=FLlvcl4AJ34 >>547
暗い空気っていうか、残り10話くらいになるととにかく信玄の体調が悪さが
作品全体を覆ってるのがね 南野とエッチする回まで来た
俺は1日に2話ずつ観てる 考えてみたらさ
湖衣姫って大国主命の子孫なんだよな
皇室より古い家柄 言霊信仰の日本では名前を呼ぶ行為に霊力が宿るって伊沢元彦が言ってた。
だから、ある一定以上の身分の女性は本名が不詳な事が多いと。
記録する時など、識別する必要ある場合は出身国や家名で表記したようだ。
濃姫、生駒の方、大井夫人、三条の方など....。
寧々や松姫など織田家家臣団の妻は元々が身分低い階層なので名前が知られてた。 応神 継体 天武 明治
皇統は絶えて何度もアカの他人が交代している >>564
後々に身分が高くなったからだろうか?
旦那は大納言までなったし。 愛称と本名は違うって事なんやろか?
親子間では娘を本名で呼んでも、家臣の居る前では愛称や公称で呼ぶとかな。
於茶々とか於江とか、お◯◯って呼び方は愛称やもんな。 >>524
39話まできた。
ここまで観て来て感じたのは....。
何だろう...全体的に....信虎も晴信も含めて甲斐武田をディスってるよね?
この作者は武田信玄が嫌いなのかな。
甲州人の有り様を殊更に滑稽で意地汚い人種に描いてる場面が多い。
甲州人は思慮が浅く、何かにつけカッっとなるダメ人間が多いように書かれてる。
晴信も裏切りを平然とするクソ人間だと看破されてる。
織田信長など、実に爽やかな人物像にされてる。
この作者は山梨県民? >>569
浅井も前田も木下も山岳民系だから文化が違うのかも >>572
諏訪の人だからな。それに富士山気象台のレーダーの建設責任者もやってるから山梨との関係もある。 >>576
本名藤原寛人といい。息子は数学者の藤原正彦。源氏が藤原とは名乗らないと思うが。 高倉健でてる映画になってるね。
そうか、同じ作者か >>584
新田次郎は気象庁の職員でもあり。
1942年本名藤原寛人の名で気象用無線の専門書「ラジオソンデ」を刊行している。 >>568
姫というのは実家依存による敬称だから
旦那の身分は関係ないし後に身分が高くなっても
姫という敬称は戦国期の場合は普通用いないよ
たとえば信玄の娘の松なら松姫でもおかしくはないけどね >>572
新田は嫁さんも呆れ果てるほど諏訪御寮人になみなみならぬ
思い入れがあったそうだし諏訪の人間だからいろいろ含むものが
あるんじゃないかなあ…、三条夫人とかね
あとこのドラマは武田宗家から信玄をやみくもに美化しないで欲しいという
要望もあったそうだからその要望込みなら裏切り描写はむしろ普通だろ >>524
こんなクオリティ高い大河ドラマは現代じゃ無理 天孫族に国を譲る条件として和国で一番高い建造物を建てさせた って古事記に書いてる 大国主命の次男が侵略勢力に抵抗したが敗れて逃亡し、
追手に捕捉されて命乞いしたのが諏訪なんだよね。
そこに宮殿を建てて諏訪を統治した。 周防がもともと「すわ」と呼ばれていた事を考えると
周防から諏訪に移住したのかもね >>599
浅井・朝倉・毛利・武田・上杉・叡山・本願寺 包囲網の方が多そうだが。 迎撃する側が有利なのは古今東西いっしょ
迎撃する側は敵を諦めさせれば目的達成。
補給線が伸びきった所を叩けば造作もない。
外征侵攻する側は拠点防衛する敵を撃破殲滅して占領しないと意味がない。
堅固な防御陣地に籠った敵を撃破するには2倍〜3倍以上の戦力が必要。 >>603
しかし信長が朽木谷で落武者狩りに合って死んでいたらどうなっていただろうね。 >>604
織田コンツェルンの中から誰か替わりの者が立つだろうね。
勢力回復に少々時間かかるが路線に大きな変更なく進むでしょうな。
本能寺の時みたいに。
旧時代の大名は、それこそ今川家みたいに当主が死ねば瓦解してしまうだろうが、新時代の大名は理念を受け継いで行くだろう。 大河ドラマ武田信玄を見てて違和感が有って。
長尾も 北条も 今川も 武田も 出てくる大名が全員漏れ無く「天下を目指す!」って言ってるのが不自然。
みんなチョコチョコと近隣の土地の掠め取り合いに終止してるに過ぎない。
明確なビジョンと具体的行動力を持って京都を目標に据えたのは織田信長だけでしょう? 信長は美濃を併合した時点で天下を意識したメッセージを発信してるよな。
【天下布武】
明確に史実として残ってるし。
余分な事はせず上洛の一転突破で行動してた。
佐久だ、諏訪だ、高遠だ、北信だ、駿河だ、沼田だってウダウダしてた武田には天下なんぞ意識する筈も無かろうて。 武田にとっての天下とは、
甲斐とその近隣までだから 愛知県、岐阜県、滋賀県の南半分、三重県、静岡県の西半分、奈良県、京都府、大阪府、のタッグチームに
山梨県と長野県と静岡県の東半分が喧嘩を売る
どう考えても勝てる訳がない >>606
当時の史観だから仕方がない
天下統一を明らかに目指していたのは信長ぐらいという
史観が当たり前になったのは比較的最近 >>566
高槻市民だが
継大天皇は、地元民には福井から連れて来られた天皇家の人だって伝承が残ってるよん。
ついでに現在は辻元清美の地盤やが >>613
昔から高槻は革新が強かった。ベルリンオリンピックの水球の選手の阪上安太郎っていうのが高槻市長をやり後に社会党の衆議院議員に転じている。 おもろい話をば
高槻の市立中学校ではね。
音楽の時間に「ありらん」と「イムジン河」を歌わされて歌の試験されますがな。
高槻の教師はバキバキの運動員ばかりや。
高槻に在る府立高校もアカの魔窟やで。
辻元の彼氏は、元府立高校の社会科教師で赤軍の幹部やリーダーを匿ったりな。
ちょっと前に重信房子が高槻京都ホテルの前で拘束されたが、その彼氏も絡んでたで。
とにかく、ムチャクチャな土地柄や。 高校の歴史の授業ではな、
地元の戦国大名の高山右近はキリスト教を広めて古い日本の悪い伝統を改革しようとした英雄だって教わったわ。
それを邪魔した秀吉は悪魔やって教わったで。
俺は中2で東京から高槻に引っ越して来たから高槻の異常性が分かるが、ずっと高槻で育った同級生は洗脳されてて可哀想やった。 高山右近って摂津高山の武将だが、キリスト教に肩入れし過ぎて仏教寺院を焼いたりしてた。 最晩年の布陣では尾張に入った辺りで補給線を寸断されて殲滅されてたぞ 信玄くん...............
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┃ノ ゝヽ
┃● ● |……。
┃(_●_)ミ
┃ |∪| ノ
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ミヽ、_/ ノ
┃ヾ ノ
┃  ̄ ̄ >>618
そこなんですよ。
甲斐の軍制だと侵攻した土地を完全に掌握しないで先に軍勢を進められません。
せいぜい数日分の糧食を部隊ごとに小規模な荷駄隊で運んでましたから。
基本的に糧食は現地調達(略奪)が甲斐軍の方針だったので侵攻先からは忌み嫌われてました。
だから焦土戦術をされると戦線が維持できません。
軍の補給体制を大事に捉えていた信長・秀吉型の軍制との違いがそこに有るんです。
もちろん、潤沢な経済力あっての話ですが。
例えば、2万の兵が居るなら最低でも1日当たり4万食を毎日途切れなく供給しないと軍は早急に崩壊します。
1食1.5合の米×2食分×2万人=6万合の米
この膨大な量の米に加えて 塩、味噌、野菜等、馬の餌、武具、兵の装備品、消耗品、これらを軍の移動する先々に毎日滞りなく送り届ける必要があります。
信長や秀吉は海上ルートで拠点間を一気に輸送して解決してます。
甲斐の軍は長期間の戦闘を継続する戦略を持っていません。
数ヵ月間の近隣での小競り合いしか無理です。
甲斐信濃兵は農民主体の徴集兵なので春と秋は国に帰らないと国家経済が破綻します。
戦闘専門部隊で構築された織田軍との差は歴然としてます。
【武田と織田が戦わば、常に最後に戦場に残りしは織田軍なりや】 そういや織田信長は自軍の兵士の略奪には厳罰で対処してたな
結局それは兵士への物資の補給に自信を持ってた裏付けだわな
食い物現地調達を奨励してた武田は補給なぞ端からする気が無かったって訳や
略奪し放題、女奴隷持ち帰り放題の武田軍とは雲泥の差やで 大河ドラマの中での信玄のセリフだけど
「我が甲斐の国を富ますのが国主の務めじゃ。 甲斐の国富ます為に戦をせねばならぬのじゃ。 隣国奪い甲州軍の強さ知らしめよ。 」
山梨県だけが潤えば良いという考え方。
近隣の富みを奪い去るという自分勝手な振る舞い。
こんな奴等が天下を云々とか、片腹痛いわ。 >>622
ここは史板なんだからさ、創作物上の信玄への
突っ込みをやりたいだけならいい加減大河板行きなよ。 >>621
上杉軍「( ^ω^)・・・わが軍もやってたお、しゃーせんw」 >>625
でもアレだね、
その略奪上等のメンタリティが当時の甲州人だと現代でも認識されてるよね >>627
北条は略奪についてはどうだったんだろう? >>627
>>628
織田軍が略奪狼藉を許さなかった....と記録されてる。
これは裏を返せば、当時の戦では勝った側はムチャクチャするのが当然だったって事だよね。
教科書とかで足軽が荒らし回る絵を見た記憶ある。
織田軍は当たり前じゃ無い事(珍しい事)をしたからこそ公的記録に書かれたんだよね。 一方で信長公記には織田軍が乱獲りをしていた
記述も見受けられるんだな、これが…
要は相手によって使い分けしていたか方面軍の軍団長に
そこらは一任していたのかもしれんね >>630
加賀富樫の戦役で柴田勝家が制圧した村落で根こそぎ奪い家屋を焼き払ったそうだよ。
住人は軍勢で取り囲んで皆殺しに。 >>631
>>634
合理的思考の信長はキチンと統治する予定の土地の民には非常に優しく接する。
当面の税を免除してやり地力が回復するまで援助さえ行う。
古今東西、善政とは減税の事に他ならない。
一般人も使える軍用道路網を整備し往来を容易にする。
領内の街道筋の通行料徴収を廃止し物資の流通コストを下げる。
市場の規制緩和を推進し商業の新規参入を保証した。
信仰の自由も保証した。
他国領地から逃げた民が続々と織田領に流入して人口が増加する。
武田領と正反対である。
武田信玄が内政の神と言われたのは 何故だろうか。 >>635
信仰の自由?
延暦寺を焼いて僧侶を殺害したのは宗教弾圧でしょ ■ このスレッドは過去ログ倉庫に格納されています