【風林火山】武田信玄【甲斐源氏】
■ このスレッドは過去ログ倉庫に格納されています
>>603
しかし信長が朽木谷で落武者狩りに合って死んでいたらどうなっていただろうね。 >>604
織田コンツェルンの中から誰か替わりの者が立つだろうね。
勢力回復に少々時間かかるが路線に大きな変更なく進むでしょうな。
本能寺の時みたいに。
旧時代の大名は、それこそ今川家みたいに当主が死ねば瓦解してしまうだろうが、新時代の大名は理念を受け継いで行くだろう。 大河ドラマ武田信玄を見てて違和感が有って。
長尾も 北条も 今川も 武田も 出てくる大名が全員漏れ無く「天下を目指す!」って言ってるのが不自然。
みんなチョコチョコと近隣の土地の掠め取り合いに終止してるに過ぎない。
明確なビジョンと具体的行動力を持って京都を目標に据えたのは織田信長だけでしょう? 信長は美濃を併合した時点で天下を意識したメッセージを発信してるよな。
【天下布武】
明確に史実として残ってるし。
余分な事はせず上洛の一転突破で行動してた。
佐久だ、諏訪だ、高遠だ、北信だ、駿河だ、沼田だってウダウダしてた武田には天下なんぞ意識する筈も無かろうて。 武田にとっての天下とは、
甲斐とその近隣までだから 愛知県、岐阜県、滋賀県の南半分、三重県、静岡県の西半分、奈良県、京都府、大阪府、のタッグチームに
山梨県と長野県と静岡県の東半分が喧嘩を売る
どう考えても勝てる訳がない >>606
当時の史観だから仕方がない
天下統一を明らかに目指していたのは信長ぐらいという
史観が当たり前になったのは比較的最近 >>566
高槻市民だが
継大天皇は、地元民には福井から連れて来られた天皇家の人だって伝承が残ってるよん。
ついでに現在は辻元清美の地盤やが >>613
昔から高槻は革新が強かった。ベルリンオリンピックの水球の選手の阪上安太郎っていうのが高槻市長をやり後に社会党の衆議院議員に転じている。 おもろい話をば
高槻の市立中学校ではね。
音楽の時間に「ありらん」と「イムジン河」を歌わされて歌の試験されますがな。
高槻の教師はバキバキの運動員ばかりや。
高槻に在る府立高校もアカの魔窟やで。
辻元の彼氏は、元府立高校の社会科教師で赤軍の幹部やリーダーを匿ったりな。
ちょっと前に重信房子が高槻京都ホテルの前で拘束されたが、その彼氏も絡んでたで。
とにかく、ムチャクチャな土地柄や。 高校の歴史の授業ではな、
地元の戦国大名の高山右近はキリスト教を広めて古い日本の悪い伝統を改革しようとした英雄だって教わったわ。
それを邪魔した秀吉は悪魔やって教わったで。
俺は中2で東京から高槻に引っ越して来たから高槻の異常性が分かるが、ずっと高槻で育った同級生は洗脳されてて可哀想やった。 高山右近って摂津高山の武将だが、キリスト教に肩入れし過ぎて仏教寺院を焼いたりしてた。 最晩年の布陣では尾張に入った辺りで補給線を寸断されて殲滅されてたぞ 信玄くん...............
┃i__∩
┃ノ ゝヽ
┃● ● |……。
┃(_●_)ミ
┃ |∪| ノ
┃ ヽノi )
ミヽ、_/ ノ
┃ヾ ノ
┃  ̄ ̄ >>618
そこなんですよ。
甲斐の軍制だと侵攻した土地を完全に掌握しないで先に軍勢を進められません。
せいぜい数日分の糧食を部隊ごとに小規模な荷駄隊で運んでましたから。
基本的に糧食は現地調達(略奪)が甲斐軍の方針だったので侵攻先からは忌み嫌われてました。
だから焦土戦術をされると戦線が維持できません。
軍の補給体制を大事に捉えていた信長・秀吉型の軍制との違いがそこに有るんです。
もちろん、潤沢な経済力あっての話ですが。
例えば、2万の兵が居るなら最低でも1日当たり4万食を毎日途切れなく供給しないと軍は早急に崩壊します。
1食1.5合の米×2食分×2万人=6万合の米
この膨大な量の米に加えて 塩、味噌、野菜等、馬の餌、武具、兵の装備品、消耗品、これらを軍の移動する先々に毎日滞りなく送り届ける必要があります。
信長や秀吉は海上ルートで拠点間を一気に輸送して解決してます。
甲斐の軍は長期間の戦闘を継続する戦略を持っていません。
数ヵ月間の近隣での小競り合いしか無理です。
甲斐信濃兵は農民主体の徴集兵なので春と秋は国に帰らないと国家経済が破綻します。
戦闘専門部隊で構築された織田軍との差は歴然としてます。
【武田と織田が戦わば、常に最後に戦場に残りしは織田軍なりや】 そういや織田信長は自軍の兵士の略奪には厳罰で対処してたな
結局それは兵士への物資の補給に自信を持ってた裏付けだわな
食い物現地調達を奨励してた武田は補給なぞ端からする気が無かったって訳や
略奪し放題、女奴隷持ち帰り放題の武田軍とは雲泥の差やで 大河ドラマの中での信玄のセリフだけど
「我が甲斐の国を富ますのが国主の務めじゃ。 甲斐の国富ます為に戦をせねばならぬのじゃ。 隣国奪い甲州軍の強さ知らしめよ。 」
山梨県だけが潤えば良いという考え方。
近隣の富みを奪い去るという自分勝手な振る舞い。
こんな奴等が天下を云々とか、片腹痛いわ。 >>622
ここは史板なんだからさ、創作物上の信玄への
突っ込みをやりたいだけならいい加減大河板行きなよ。 >>621
上杉軍「( ^ω^)・・・わが軍もやってたお、しゃーせんw」 >>625
でもアレだね、
その略奪上等のメンタリティが当時の甲州人だと現代でも認識されてるよね >>627
北条は略奪についてはどうだったんだろう? >>627
>>628
織田軍が略奪狼藉を許さなかった....と記録されてる。
これは裏を返せば、当時の戦では勝った側はムチャクチャするのが当然だったって事だよね。
教科書とかで足軽が荒らし回る絵を見た記憶ある。
織田軍は当たり前じゃ無い事(珍しい事)をしたからこそ公的記録に書かれたんだよね。 一方で信長公記には織田軍が乱獲りをしていた
記述も見受けられるんだな、これが…
要は相手によって使い分けしていたか方面軍の軍団長に
そこらは一任していたのかもしれんね >>630
加賀富樫の戦役で柴田勝家が制圧した村落で根こそぎ奪い家屋を焼き払ったそうだよ。
住人は軍勢で取り囲んで皆殺しに。 >>631
>>634
合理的思考の信長はキチンと統治する予定の土地の民には非常に優しく接する。
当面の税を免除してやり地力が回復するまで援助さえ行う。
古今東西、善政とは減税の事に他ならない。
一般人も使える軍用道路網を整備し往来を容易にする。
領内の街道筋の通行料徴収を廃止し物資の流通コストを下げる。
市場の規制緩和を推進し商業の新規参入を保証した。
信仰の自由も保証した。
他国領地から逃げた民が続々と織田領に流入して人口が増加する。
武田領と正反対である。
武田信玄が内政の神と言われたのは 何故だろうか。 >>635
信仰の自由?
延暦寺を焼いて僧侶を殺害したのは宗教弾圧でしょ 信長は延暦寺を焼いて僧侶を殺害した
本願寺を攻め立て一向宗門徒を虐殺した
京の都で布教する高野聖を捕縛し鴨川の河原で処刑した 秀吉は紀州根来寺を焼き討ち。僧侶、信徒を虐殺している
キリスト教徒を捕縛し長崎で公開処刑 >>637
>>640
>>643
>>645
逆にさ
何故、その殺戮をしたのかな?
何か理由が有ったのかな? 延暦寺や本願寺は武装してただろ
非武装の坊主を殺したならともかく >>648
信長は
高野聖は武装などしないが、京の都で布教中に片っ端から捕縛され鴨川で殺害されている
甲州恵林寺でも武装していないのに僧侶を山門楼上に押し上げて、焼き殺している >>650
スパイ防止法と治安維持
それと犯人隠匿と国家転覆防止 >>643
強力な傭兵団を抱えた軍事集団
スペインの極東侵略の阻止 >>650
戦国時代の寺社で武装してなかったのは、織田領内の寺社のみ。
織田領内は治安が良く、武装する必要がなかった。 武装解除をして宗教活動に専念すれば織田領内では土地の確保や税の軽減など、保護された 山崎八幡宮の油ギルドは叩き潰してた。
西国街道での関銭徴収禁止令に従わなかったから。
桜井で磔に。 信長は叡山攻撃の前には、近江坂本の日吉大社を襲撃
神職、参詣者を殺戮 山岳要塞の前衛陣地だからね。
神職の服着た戦闘員と参詣者を装った斥候隊は殲滅せねば。
そもそも戦端が開かれる直前だ。
部隊が臨戦態勢で包囲して緊張感MAXの所へ、ノンビリと神社に参詣するなど有り得ない。
本当に参詣者なら戦闘中のイラクで首チョンパされた香田レベルの間抜けさである。
ましてや、時代は戦国の乱世だ。
その時期いちばん近寄ってはいけない場所だと判断出来ぬ庶民など居ない。
現代の平和ボケ日本人の感覚で戦国時代を見てはいけない。 織田剣社って神人いたの?
朝倉を攻めた時どう動いたの? >>660
神社に仕えて社務の補助 雑務にあたる下級神職。もちろん武装して警備も行う。
じにんと読む。 甲斐国内では久遠寺も強力な傭兵団を抱えた軍事集団だった。
穴山の領地内だが武田家として、宗教勢力と妥協しまくり権益を認めてやって大人しくして貰ってた。
久遠寺を武装解除して余分な既得権益(三千の傭兵を養える経済力)を召し上げられなかったのが、武田家の限界。 >>664
諏訪氏なんか神主の親玉なのに自らが武装してたやん。阿蘇氏も同じ。 >>664
穴山家の動員兵力より多いwww
農本型の大名豪族の外征時に於ける動員可能兵力は米の生産1000石につき25〜30人。
三千人の僧兵だと10万石の経済規模。
太閤検地の時には甲斐は33万石だっけ?
寺院の影響力って凄まじいね。 >>665
武田統治下なら富士氏もそうだよ
大宮攻略で数回門前払いくらって信玄が重い腰をあげる
羽目になったトラウマなのか武人禁止令をくらったが…
けど富士山へのお賽銭はやはり召し上げできなかった
そして江戸幕府下では大名格の万石高だった大宮司家 >>650
高野山は僧兵いたんだが
いつから武装してなかったことになってるんだ
高野聖は高野山の僧侶が洛中で托鉢しているもの
托鉢で得た金銭は高野山の収入になる >>669
紀州雑賀党は3000丁も鉄砲持ってるのになんで負けたの? >>670
雑賀衆は小牧長久手で秀吉の名城・大坂城を攻めて
張り切ってたじゃないかw
さすがに小牧長久手後の天下人秀吉の動員数は
鉄砲3000丁どころではない >>671
ガソリング砲を20門とかアームストロング砲が5門くらい持ってたら勝てただろうな。 >>674
あの映画では千葉真一が信玄の首を跳ねてたな その時、歴史が動いた
https://youtu.be/QUU4j1vn8g0
一応、これが現代の定説なんかな? >>674
サ〜ンゴ〜ズダ〜ウン♪
サ〜ンゴ〜ズダ〜ウン♪ >>667
太閤検地の頃は甲斐の統治が安定して太平の世。
農業生産も大増産されてた時で33万石だった。
江戸中期は35万石あった。
信虎、信玄、勝頼の時代は外征に次ぐ外征で国力が疲弊しており、
山梨県在住の研究家は20万石には届いて無かったと指摘している。
甲斐一国だけの動員兵力は、国力が疲弊しない範囲で5000人が限度。
ちょっと無理して6000人まで。
それを1万人とか徴集すると国はたちまち疲弊してしまう。
駿河や相模や武蔵の地味豊かな国々と張り合ってしまった貧乏山国の悲哀だ。
身の丈を超えた望みを抱いてしまった。 2020年の大河ドラマは「明智光秀」だそうで。
甲斐武田家が、どう描かれるのか楽しみだ。 散るぞ悲しき〜辞世の唄
https://www.youtube.com/watch?v=_t675VZJgl4
歴史上の有名人の辞世の句に曲を付けたもの。
泣けるよ。凄く出来が良い。
武田家版が聴いてみたい。 >>684
甲斐仕置き担当が明智光秀だったら歴史が変わってたね。
河尻みたく、なぶり殺しには遭って無かったと思う。
近江、丹波では占領軍の司令官なのに
明智光秀は優しい殿様で地元では未だにお祭りする程に慕われてる。
亀岡市や篠山市では、明智の家紋を刻んだ門が有る神社や寺が多く残ってる。
特に 亀岡市の鍬山神社では明智光秀の命日に武者行列して霊を慰めている。 明智が甲斐に入っても武田一色の山梨でそれはないw
なぶり殺しも甲斐ゲットしたければやるだろう
明智と徳川で結託してたらわからんけどな 明智家は美濃の土岐源氏
清和源氏の一族
武田家の遠い親類ですわ 明智光秀の晩年の領地
近江西半分、山城、丹波、但馬、丹後南半分か
石高と経済規模は晩年の信玄を上回ってね? 光秀が天海僧正だという説がありました
徳川将軍家三代家光の誕生時に、春日局を乳母として推挙したのも天海とか
ちなみに春日局は光秀の重臣・斎藤の娘(おふく)
出生地は光秀の所領丹波国氷上郡春日町と伝わる >>696
師匠の信長と同じく流動的な貨幣経済に長けた政治家だからな。
土地本位の中世型から脱却してた。
だから領地の石高と実勢の経済規模が一致しないで内部留保が膨れていく。。
緊急時に姫路城で2万3千の全軍に臨時ボーナスをブッ込むような事が可能になる。
土地本位じゃないから自身の直轄領地だけに拘らず拠点を前線へ次々に変えて行くやり方。
この辺りが武田信玄や今川、北条を代表とする中世型の戦国武将との差だな。 ■ このスレッドは過去ログ倉庫に格納されています