織田信長が本能寺を脱出していたら?
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燃え上がる本能寺から信長様は雑兵に化け見事、数名の家来と
ともに安土城に帰還されました。
その後どういう展開になっていたのでしょう 荒木が失敗して、光秀が成功したし、
光秀が失敗しても成功するまで
部下の誰かがやっただろう。
やらねば用が済めば使い捨てられるしな。 >>138
秀吉がやったことで信長に不可能なこと=天下統一
南方進出? 寝言は寝て言え 夢は寝て見ろ 大恩ある秀吉まで結果的に織田を裏切り
信長の息子殺して、天下奪いとってるしな。
信長に人徳なさすぎや。
それにしても光秀の部下たちもよく
光秀に従ったな。 本能寺で信長がいきのびたら南方進出って、どんだけの段階をすっ飛ばしてんだよw
そもそも寝間着姿で徒歩なのに、どこにどうやって逃げる気だ?
そのまま港に行って船かっぱらって南方に逃げるってかwww 信長は残虐すぎるし、仮に天下取っても、
信長死んだらあっさり政権崩壊しそうだ。 結局は、第2、第3の光秀が現れてたと思う。
ていうか、光秀自身が、第二の荒木村重であり、第三の松永久秀だし。 >>25
日本の自動車雑誌読み過ぎ
コンシューマーリポーツのバイアス抜きのガチテストみても
衝突安全テストとか見ても
また実際に運転してもとてもとてもとても「 圧倒的 」とは思えんわw
例えば現行3尻とレクサスIS、V37スカイラインなら後者のほうが明らかに上だよ
高速安定性なんか明らかにIS,V37のが良いからな
静音性でもアイドリング状態のISのほうがエンジンストップ状態の328より静かというw圧勝ぶりだしね
他にもゴルフとアクセラ、A4とアテンザを比べてもツダのほうが負けてるとは全然思えんわ
HVシステムでもアコードや三菱のPHEVやトヨタのTHSに比べたら
ドイツのはまだまだ荒削りだしな
少なくとも「 何一つ勝てて無い 」とかありえんよ
どう考えても独車はそこまでのもんじゃないし
そもそも車の基本的な技術は発展途上の段階を既に終えていて完成されているから
圧倒的な差なんて生まれようがないんだよ http://www.tokyo-np.co.jp/article/national/news/CK2014062402000116.html
https://archive.today/5Wo4d
本能寺の変 引き金の手紙? 長宗我部元親 信長に恭順
2014年6月24日 朝刊
戦国時代に土佐(高知)の武将だった長宗我部元親(ちょうそかべもとちか)が四国の領土をめぐり、
本能寺の変の前に織田信長の命令に従う意向を示した手紙=写真=が見つかり、
所蔵する林原美術館(岡山市)と、共同研究する岡山県立博物館が二十三日、発表した。
信長は、四国は元親の自由にさせるとの方針から、一部しか領有を認めないと変更。
手紙は明智光秀の家臣斎藤利三に宛てたもので、元親が従う姿勢だったことが確認されたのは初めて。
手紙は一五八二年五月二十一日付。
直後の六月二日に起きた本能寺の変は、織田と長宗我部の仲介役だった明智光秀が、
信長の方針転換に納得しなかったことが原因との説もある。
この手紙の数日後には信長の命令で四国を攻める兵が大阪で待機しており、
県立博物館の内池英樹主幹は「信長が四国を攻めようとする直前の元親側の様子が明らかになった」と評価。
光秀の勢力は元親と関係が深く、恭順の意を示した元親を攻めようとする
信長を止めようとして本能寺の変につながった可能性があるという。
美術館などによると、手紙は、室町幕府の十三代将軍足利義輝の側近、
石谷家に関わる古文書「石谷家文書(いしがいけもんじょ)」の中にあった。
手紙で元親は、阿波(徳島)の半分と土佐しか領地として認めないとした信長の命令に従うことを明らかにしており、
信長との武力衝突を回避しようとしていたことが分かるという。
また、命令に従い阿波の一宮をはじめ、えびす山城、畑山城などからは撤退したが、
海部城、大西城は土佐の入り口にあたる地域なので、このまま所持したいと記載。
信長が甲州征伐から戻ったら指示に従いたいとも記していた。
天正十年一月十一日に斎藤利三が元親の義父石谷光政に宛てた手紙も見つかった。
信長の方針転換に納得しない元親が軽はずみな行動に出ないように光政に依頼する内容だった。 信長は今で言うブラック経営者なんだよ
で苛められてた光秀が逆切れして殺しただけの話
今でも中国人が経営者殺してるのと同じ図式
秀吉は上手く後継者になったがその秀吉は
後継者づくりに失敗し経営破たんした。
そこに狸が総ざらえして天下統一 >>148
「総ざらえ」を辞書で引いた方がよいであろう 明智光秀はどうして、信長に虐められてたの?
明智光秀っていい人そうなのに。 信長は悪い奴だから、光秀みたいな立派な人間を嫌っていただけだよ。 明智光秀がそんなにいい人なら
本能寺で信長が死んだら皆こぞって「よく暴君を殺してくれた」
と明智光秀に感謝して味方になって
光秀の天下になっていただろうにね 信長が暴君なのは間違いないが
秀吉は光秀を倒すことで天下を手中に入れようと思っていただけで
感謝して味方するなんて思いもしないだろ >>158
光秀が細川幽斎に送った手紙みると
どうみても天下狙ってただろ 光秀は裏切り者扱いされると思わなかったんだろうな。
信長が生きていたら、織田領内の混乱で天下統一が遅れたことだろう。 信長の世界進出とか言ってる奴って、よっぽど日本に誇りを持てない自虐的史観の持ち主なんだろうな。
というよりも日本人じゃないかもしれないな。 夢幻の如くまでは行かないにしても、朝鮮侵略はしそう 信長に夢見てる奴って現実が見えないほど馬鹿しかいないのか。 何故名古屋人は田舎臭く、頭が悪い猿なのか?
「先祖代々骨の髄まで百姓、万年パシリの田吾作だからでつ(笑)」
尾張の歴史
◆平安時代◆
・藤原季兼(別称:三河四郎大夫、三河国額田郡に居住)が尾張目代(遙任国司の代わりに地方官吏を監督)としてにらみを利かせる。
・熱田大宮司職を藤姓熱田大宮司一族(本貫地:三河国額田郡)に乗っ取られる。
・以後、荒廃していた熱田神宮は、藤姓熱田大宮司一族の血縁である源氏(鎌倉将軍家、足利将軍家)と結びつき発展する。
藤原季兼(別称:三河四郎大夫、三河国額田郡に居住)→藤原季範(額田冠者、三河国額田郡に居住、初代藤姓熱田大宮司)→女子→源頼朝
藤原季兼(別称:三河四郎大夫、三河国額田郡に居住)→藤季李範(額田冠者、三河国額田郡に居住、初代藤姓熱田大宮司)→女子(足利義康(初代足利氏)室)→足利義兼
◆鎌倉時代◆
・三河国高橋庄の地頭職が支配する。尾張守護職を兼務。
・鎌倉幕府の尾張国の守護所が不明なのは、守護が尾張に住んでいなかった為。
◆室町時代◆
・斯波氏(本貫地:三河国碧海郡矢作、尾張守、尾張守護)、今川氏(本貫地:三河国幡豆郡今川、尾張守護)、一色氏(本貫地:三河国幡豆郡一色、尾張分郡守護、地頭職)が支配する。
◆江戸時代◆
・尾張の支配層は追放され、尾張徳川家が支配する。
・附家老は成瀬家(三河国加茂郡)、その他平岩家(三河国額田郡)、渡辺家(三河国額田郡)、中根家(三河国額田郡)、鈴木家(三河国加茂郡)。
◆現代◆
・トヨタグループのパシリとなる。 >>160
さすがに裏切り者扱いされるのは分かってただろ
主家乗っ取りをやった斎藤道三は親の腹を食いちぎって出てくる「蝮」に例えられ
いくら戦国時代でも主君裏切りはけして美徳とはされなかったのだし >>141
武家の主従の結びつきって、まあ家や人によって違うだろうけど、
固い所は家族の如くだったという話もあるからなあ
主君がやったことの正否や善悪、先の見通しとは別に、
地獄までもお供しますって部下もいるのかも >>168
明智光秀は、信長にお供しませんでした。 >>169
その辺りは家や人によって違うから、
逆にお供したくないような関係の主従もいるってことで >>168
父祖父曽祖父と何代も同じ君主に仕えていればそうなっただろうけど
明智光秀なんて本人が生涯に何度も主君を変えまくっているし
成り上がりの秀吉だってそう
光秀に裏切られ、秀吉に天下を取られたとは言っても
必ずしも信長が稀に見る暴君で悪かったからとはいえない でも重臣に裏切られるってかなりのものだぜ?
秀吉は天下統一までに子飼いの連中はおろか外様にも裏切られてないんだから、
信長と秀吉とでは器が違いすぎるってことだよ。 >>172
秀吉は戦略に長けて隙がなかったんだろ
信長みたいに外様を信用しすぎて外様に大軍預けて
自分は丸腰で京都に宿泊するなんてヘマはやらない
しかしそんな秀吉も晩年は呆けて
外様の家康に幼年の秀頼を託すという馬鹿をやった
秀吉が死んだ途端、あらゆる重臣が豊臣を裏切っている 信長は、まじで本能寺を脱出した可能性が高い。だから遺体が見つからなかった。
しかし、かなりの手傷は負ったようで、大阪から島津の鹿児島へ脱出して半年後に
けががもとで病死したというのが濃厚
証拠???
伊集院日記がその時期の分だけ削除されているんだよ
それに不思議な習慣が残っているだろ。 >>174
本能寺って炎上したんでないの?
見つからなかったというか、焼死体になったら信長も他の人も区別つかないっしょ >>145
>光秀自身が、第二の荒木村重であり、第三の松永久秀だし。
ただし全員外様だけどな。
>>173
佐久間潰して、その後釜が光秀。 しかも光秀の讒言を利用して佐久間を潰している。
畿内の責任者に光秀ってのは、決定的なミスだったね。 まだ信忠を任じた方が良かった。 まあ、いずれにしても信長は部下を統率出来なかったんだけどね。 多少アブない部下が信さんの好みだったんだろ
身を粉にして働く奴も好きだし 多分、秀吉に座敷牢に入れられて
一生、出られなかっただろう >>181
一生座敷牢に入れるなら生かしておかないんじゃない?
信長の妻子孫の末路といい、使えなくなってからも尊重するほど秀吉は信長に心酔してなさそう >>180
身を粉にして働いても一定期間功績を立てられないと首になる超ブラック企業だけどな… 前の方にある南方進出って根拠でもあんの?
フィリピンまで手漕ぎ舟で行くのかよw 明智光秀は最初から信長を討つつもりだった。戦の才能のある信長をおよがせて
おいて、天下を取る直前でその手柄を奪う計画だった それにしちゃ本能寺の変の後が行き当たりばったりすぎないか?
何年も前から計画的だったようには見えない >>176
石油ぶっかけたわけでもなく
普通の木造住宅火災なら遺体程度は見つかるらしいよ
あと本能寺は全焼したわけではなく
焼けたのは半分程度らしい
(これは発掘調査で分かっている)
信長がどの場所で死んだかは分からんが >>187 寧ろ 松永や荒木の失敗は変に作戦に凝ったから 信長に行動読まれたからではないかな
ゆえに光秀は 一切作戦を立てずひたすら信長殲滅を優先した 何年も前からじゃなくても、例えば武田が滅んだあとからだって別にええやん。 >>189
信長だけ討っても天下とれなかったら意味ないじゃん >>191
恐らく 信長親子と 近衛前久前関白さえいなくなれば 自分に対抗できる勢力は皆無と思ったんだろうな
柴田丹羽滝川は眼中無し
羽柴徳川は話し合いの余地あり
…誤算だが >>192
柴田丹羽滝川だって明智よりも領地が極端に少ないわけでもないのになぜ?
動きが微妙な徳川はともかく(明智の雑兵が徳川を討ちに行くと思っていた当たり)
羽柴がなぜあっさりと明智の家臣になるなどと思ったのか >>193例えば柴田の北陸方面軍や丹羽の四国方面軍
滝川の関東方面軍が 信長の死で 兵士が逃亡して崩壊状態にはなったし
再編成に時間を取られてる隙に毛利長宗我部北条足利を 天皇の詔で
糾合 逆包囲網って説もあるけど
長期戦を想定してたんかな みつ「細川を仲間にしたらさくせんをかんがえてもらおう」 >>194
柴田勝家軍は崩壊してないぞ
本能寺の時には上杉景勝の反撃に遭って急には北陸から離れられなかっただけ
滝川も軍そのものの崩壊ではなく信長の死を聞いた北条が俄然やる気になって
猛反撃してきたために離れられなかっただけだな
両者とも信長の命で上杉・北条と戦っていただけなので
光秀のために戦っていたわけではない
柴田勝家は清州会議に真に合っている
軍が崩壊したのは信孝&丹羽のところだけだろ
それも家康接待中の軍崩壊のために家康に黒幕説が出るわけだが >>196言われてみると 多少脱走兵が出たくらいで 崩壊するほど織田軍はヤワではないか(いざとなったらそれぞれの領地の留守部隊を主力に使えるし)
やっぱり>>195な感じの行き当たりばったりな作戦かな 信長は慢心、奢るタイプの人間だろうから、英雄だろうけど誰かに必ず寝首かかれて結果は変わらないな。 信長は天下統一前に夭折して、統一後の仕組み作りが憶測でしか語れない。その信長の下で働いた秀吉が天下統一したけど、統一後の仕組み作りで失敗。
その2人の失敗を教訓できた家康が、仕組み作り完成。
歴史は楽しいわ。 >>119
憶測と言うよりも妄想のレベルだけどね。
井沢とか桐野とかって史実の信長が好きなんじゃなくて信長で妄想するのが好きなだけだよね。 >>201
安価ミス
× >>119
○ >>199
もうしわけない なんか上の文読んでたら、信長と三国志の孫策って似てるなぁと思った。
孫策も国を広げることに関してはピカイチだったけど、国内であっけなくやられた。 >>112
たまにっつーか上司からもディスられるくらい頻繁じゃなかったっけ >>174
そんなこと言ってたら高知に伝わる勝頼一行(快川含)が落ち延びて
云々話はもっと信憑性高くなるけどなw
落ち延びた勝頼が長曽我部と組んで本能寺を起こしたともされていて
最近急浮上した四国説とも一応はつながる話ということでw その土佐へ落ちて話はロマン通り越してイラっとすらしたなあ
潔く田野で果てとけよってね
別にのっけから信じている訳じゃないし勝頼を嫌いとかでもないんだが
読んだ後になんでここまで後味悪いんだ?って感じで
落人伝説のようなロマンある話は大好きでもこの伝説だけは
理由不明でまじで受け付けなかった
本能寺絡みも仇討ちできて良かったね(棒レベルだな もし本当なら景徳院や妙心寺の墓は破棄でいいよ
高野山の過去帳からも削除 へー、そう(^ ^)
じゃあ高野山破棄でいいかな?
必要とされてる順番を間違えていないかぬ というか本能寺の絡みがマジだとしたら松姫が可哀想かつ悲惨すぎだろ 同意。
山中ともなれば残雪も多くまだ冷え込む陽気の中で幼子であった
勝頼の娘と信茂の孫(←最近はこっちが有力らしい)まで連れて山深く
入っていき武州まで落ちて未婚の夫死後はまだ若い身なのに出家のあげく
実家や未婚夫(舅姑や義弟も?)を弔いながら子供達を養育までして
立派な家に嫁がせてもいるのだからな。
伝高知という温暖な土地で平々凡々と暮らしてたどっかの誰かとは大違いw 働き者な姫さんだったみたいだからもし嫁いでいたら信長にも
気に入られたかもしれないだろうにな まあ愛用品に槍があるような姫だから普通に気に入ったであろうよw
実物を見たことあるが長さは男仕様か?みたいにかなり長めだが
柄の細さでみれば女仕様でかなり本格的なものだった 桧原村に伝わる話だと落ちる途中に休憩所として部屋を貸してくれた家に
お礼として愛用の手鏡と一緒に「愛用の太刀」も置いていったそうだぞ なんつうか三法師は松姫に預けるべきだったんじゃね?
盛信は家臣の中でも腕っ節のいい奴を共に付けたともいうしさ マジレスすると仮に松に養育してもらいたいという話が出たとしても
秀吉も家康もそれは全力阻止方向で意見合致だろ
秀吉→傀儡にしにくく織田家を乗っ取れない
家康→武田遺臣が離れる恐れあり
加えて於松は北条家が滅ぶまで北条家の保護下にあったも同然だから
北条家が利用しないとも限らない 秀吉に利用はされたけど一応大名にはなったし
親戚もたくさん豊臣に残ってるんだし秀吉の所でも別にいいんじゃない? 話の流れからして信長や信忠の血を引く武将としてという意味ではないのけ?
>>216
あれ?保護したのって徳川じゃなかったか? 武田討伐時の武蔵落ちで最初に辿り着いた金照庵は心源院の末寺で
その後向ったのが心源院(諸説あって心源院→金照庵とする説も)
本能寺勃発後に松姫が戻り出家及び修行したのがこの寺で当時は八王子城の
城郭内に位置し氏照の祈願寺で住職と氏照はマブダチのような関係でもあり
氏照は小田原も承知だったのか独断だったのかは不明ながら松姫達を
援助(保護)していたそうな。
その後北條討伐の年に理由は諸説あるが心源院から独立して金照庵の
あったところに庵を結び以後死ぬまでそこで、家康が保護したのは
江戸転封後しばらくしてからのこと。 へぇー心源院が城の中にあったとは知らなかったわ
それじゃ家康が血眼になって探しても見つかるわけないよねw >>219
庵を結んだのは金照庵のあった所じゃなく御水所という所
噂では武田家の位牌に混じって信忠をはじめ織田関係の位牌も
数体あるらしく調査が待たれるところ
ぶっちゃけ信長の位牌もあったらおもしろいんだがね 氏照のところにいたなら一応知る手立てはあるのではないかな
もしくは真実は小説より展開で伝説奇説が実はだったりするとか 信長の位牌を作るんなら穴山のも作らんとなー。庵の中は位牌だらけ 凄い亀レスで申し訳ないんだが,上にあった「信長の本能寺脱出云々の件」で
本能寺って半要塞化された寺だったんじゃなかったっけ?
中に蓄えてあった火薬のせいで信長をはじめ自決した人たちの遺骸は爆散したって思ってたんだが,
これは間違い? >>221
信長もおもしろいだろうけど養華院があったらなおだろうな。
とりあえず岡田はガッツポーズということでw
だが確か武田家の位牌所は非公開で調査も×と聞いた記憶あり。
向嶽寺も記録はともかく伝でも話があって然りなはずなのだが頑なに
ないの一点張りで研究者は頭を抱えているっぽい。 まあ過去史は悲惨な殺し関係だの宗教絡みだってのは世界共通だからな つか文屋のみのエサ場って感じがしないでもないけどなw
また変な学説となえるクルクルッパがでてくるのかぬ? >>224
信長は信忠の父親だからまだわからなくもないが
穴山にそこまでの義理なんて於松にはないだろ
むしろ憎しみに近い感情すらあったかもしれない まーでも梅雪は松姫の従兄弟で義理の兄だしな。梅雪を憎んだら信忠も憎たらしくなってきそうだしw どう考えても穴山がそうなら信忠もなんていう式にはなんねーだろw
でなくても穴山は長篠で前科持ちかつ武田討伐時は離反者
それなら北條頼らずに穴山へさっさか行っただろ
>>229
以前読んだ同人SSの松姫が信忠と嬉しくない再会をした時に
松が勝頼達を惨めな死に追いやった直前離反者や織田の名を勝手に
使って勝頼を翻弄した穴山や徳川の処罰を織田に頼むという設定が
妙に新鮮だった…。 最後に勝頼を裏切って、ついでに織田に処刑された小山田の娘香具姫
勝頼と正室北条夫人の娘貞姫
信忠に攻められ討ち死にした仁科盛信の娘督姫
とりあえず信忠夫人だけど10年以上前に手切れになってる松姫
実にびみょ〜んな逃亡メンバーズ というかありきたりな言い方だがそれが戦国時代だからな
その松だって督にとっては仇になりうる可能性もあったのだし
>>231
なんつうブラック松姫wなんだが武田の娘ならそれぐらいのことを
言ったとしてもおかしくはあるまいて 信長には天下取りの野望はあっても、天下を取った後、日本と言う国をどうやって統治していくのかといったビジョンがなかった。
秀吉は政治を私物化し王になろうとした。
多くの大名が徳川側についたのは、その統治力に期待したからだ。
信長は、戦国の世を終わらせ天下を統一するまでの捨て駒。いつ死んだかは、さほど重要ではない。 >>236信長や秀吉に限った話ではなかろう
ぶっちゃけ家康も天下統一後の予定なんて作ってなかったろう >>226
>信長もおもしろいだろうけど養華院があったらなおだろうな。
>とりあえず岡田はガッツポーズということでw
そうなんだが反面もし信長の御台で信忠養母を示唆する裏書の位牌が
見つかり表の戒名が全く違う人だったらもうどん底だろう。
その場合どう反論するのかかなり興味あり。
それとスレチですまんが家康が松姫を側女にしていたという記録が
徳川家が家譜を作る時参考にした文献に書かれてあると知って驚いた。
それによると信吉生母も信玄の娘(松を姉としているから多分玉田寺門跡)
なんだとか。信憑性評価は?な文献ではあるけどなんつうか
徳川って織田を利用して武田家乗っ取りを画策してたんかなとちと思った。 ■ このスレッドは過去ログ倉庫に格納されています