【今こそ】豊臣秀頼は誰の子?【DNA鑑定】
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秀吉の子ではないことが証明されれば大事件になる
秀頼の娘からDNAは採取できないものか >2
秀頼の娘(天秀尼)は大阪の役後幼少の時に出家させられて
鎌倉東慶寺に入り、のちに住職になったから東慶寺に墓がある 加藤明成てマジ基地外
天秀尼といえば父親の旧主の孫娘なのに 秀頼が秀吉の子じゃなければ、大阪の陣で豊臣恩顧の大名連中が裏切ったのも納得できるんだがなぁ
何とか調べられないものだろうか 一般的には大野治長が有力視されているね。
秀次を除いた執拗さからすれば、石田三成説も否定はできないが。 >>6
>秀頼が秀吉の子じゃなければ、大阪の陣で豊臣恩顧の大名連中が裏切ったのも納得できる
とっくに考証ずみ
服部英雄『河原ノ者・非人・秀吉』山川出版社 >>8
本当の実子かどうかはおいといて、秀吉自身は秀頼が実子だと信じてたんじゃないのか
その本は秀吉が実子でないことを充分知った上で秀頼を容認したとあるが、理由が弱い。
秀吉は血が繋がらない秀頼のために血の繋がった甥である秀次を殺している。
しかも、秀頼は赤ん坊時代の秀頼の口を吸って溺愛してるんだよね。
赤の他人にこれはきつい。 >>9
当時の秀吉はどう見ても耄碌したボケじじいだろ
正常な判断なんか出来ないよ 正直いうとあれは俺のせんぞだぎゃ
わての先祖がこましたったんや >>9
>>8で紹介した服部本は、中世〜近世の被差別民について研究した書物で、
被差別民そのものの諸相を研究したPart1が全体の3分の2、秀吉や秀頼
を研究したpart2といえる部分が残りを占める。
で服部本の主張では、
秀吉は、自ら選んで淀に男をあてがい、長男鶴松が生まれた。
鶴松が死んだので、秀吉が名護屋城につめている間に、淀はみずから
男を引き込み、秀頼を妊娠した。
あとで築いた秀吉は、激怒して、手引きした侍女や従者たちを処刑した
が、淀本人は許し、秀頼も実子として認知した。
大阪冬・夏の陣で豊臣恩顧の大名たちが、ほぼひとつの例外もなくあっさり
豊臣家の滅亡に加担したのは、秀頼が秀吉のタネではないことが周知だった
ため。
秀吉が、
・淀に男をあてがう。
・秀吉が、自分のタネではないと知っていながら秀頼を実子扱い
などを行ったメンタリティーの実証が、本書Part2のキモ。
要約・紹介する文章力はないが、なかなか説得力があったので、ぜひ自分で読んでもらいたい。
、 >>8
立証されたのにまだ定説化してないのはなぜ? >>12 秀勝の名を執拗に使ってるのは、やっぱ実子と信じてたからだろうね >>16
でも最終的に秀頼には秀勝の名をつけていない
石松丸は秀吉の子だったという決定的な史料はなく
むしろ秀頼よりも怪しいだろ >>18
大野治長の母大蔵卿局が淀殿の乳母
大野治長は淀殿の乳母子 >>13
大原麗子の「春日局」で実際に演じていた。へったくそな演技だったが 淀殿としては相手は誰でもいいし、どうせなら無名の方が後々問題が起こらないから都合がいいと考えるはず。
石田三成とか大野とか却って面倒なだけ。 大谷吉継。
吉継は秀吉の子だから、秀頼は孫になるわけだ。
関ヶ原で討ち死にや自決した西軍武将って吉継しかいない。
その気合に入り方からして事実としていいだろう。 もし、秀次を殺さないまま秀吉が死んだ場合
秀次は素直に秀頼に関白職を譲っただろうか? >>26
難しいが、そこはやり方次第だろう。
ただ、秀次を除きたかったのは、むしろ秀頼の本当の父親、大野治長か石田三成のどっちかだろう。
どっちかは知らんが、このいずれかであることは確かだろう。 つまりは、秀吉存命期には関白秀次は
「秀頼成人までの後見人として補佐するが、成人後は秀頼に関白を譲る」
と約束したとしても、秀吉死後はそれを反故にする可能性が有った。
はたまた秀次派と秀頼派で豊臣政権内の内紛が勃発する可能性は有った。
と成れば淀君や大野治長や石田三成が遅かれ早かれ秀次を討とうとした訳だから
秀吉が秀次を切腹させたのは「家康」という存在さえいなければ最良の選択肢だったのかも。 淀殿が秀頼懐妊した時点で三成は朝鮮にいた事を知らない人って結構いるのか? >>29
>淀殿が秀頼懐妊した時点で三成は朝鮮にいた事を知らない人って結構いるのか?
いるみたいだ。
秀吉が秀頼を自分の子でないと書いてることも知られてないみたいだし。 >>14
さすがにその本はおかしい
噂はともかく、諸大名が秀吉の子じゃないと認識してたら、
家康は大坂の陣を経ずに、スムーズに天下を取れてたよ
大坂の陣でも、家康がそれを宣伝文句にしていたはず
あと加藤清正も浅野幸長も、家康の次男の結城秀康も、
秀頼の身を心配して、生前は動いていた 内心は秀吉の子じゃないと疑いつつも、
秀吉が生前溺愛してた子だし、
信長や浅井の血と繋がってるのは確実なわけで、
諸大名も苦悩したんじゃないかな 秀次事件と朝鮮出兵のどちらかがなければ豊臣家は潰れなかった。 「秀次事件がなければ、豊臣家は潰れずに済んだ可能性もある」と言われれば、
誰もが「そうだねぇ」と思う。
でも、「どちらかがなければ豊臣家は潰れなかった」とか断定されると、
正直にいって「何を根拠にそんな断言できるの?」としか思わん。 >>30
>秀吉が秀頼を自分の子でないと書いてることも知られてないみたいだし。
これは知らない。詳しく教えてほしい。 秀吉の実子だろうがそうでなかろうが関係ないだろ。
あくまでも豊臣家を継いでいるんだから。 >>30
俺も知らんので、どこに何て書いてあるのか詳細キボン
>>36
初めから養子だと言って養子なのなら問題ないけど、
実の子であるということになってるのに、実は他人の子だったってことが判明したら
それが関係ないわけがない。継いでるからとか、そんな問題じゃない。 >>37
いや、そういう問題だからw
後継ぎは後継ぎ この時代はDNA検査なんてないから、証明のしようがないw
源氏物語でも、本当は光源氏の子なのに、
桐壷帝の子として認められて、成長して天皇として即位しちゃった 秀吉の実子では無かったとしても、当時は調べる術が無いんだから仕方無い。
秀次事件が無かったとしても、豊臣家は秀次派と秀頼派で分裂する可能性は否定出来無かった。
秀吉の死後、秀次が秀頼成人後に関白職を譲り、隠居したとすれば
豊臣関白政権は続き、「江戸時代」では無く「大阪時代」に成っていたかもね。
てか、秀次事件よりも家康が秀吉・利家と同時期に死んでたら普通に豊臣政権は続いてただろ。 http://book.asahi.com/booknews/update/2012090400007.html
秀頼妊娠を知った秀吉が正室の北政所に送った手紙に少しも喜んだ様子が見られないこと。
「『生まれた子は茶々一人の子でよい』
父親候補としては、子宝が授かるための祈祷(きとう)などができ、陶酔状態が作れる
宗教者。状況証拠などから唱門師(しょうもじ)(陰陽師)が有力」
さらに望まれなかった妊娠の傍証として、服部さんは、秀吉が大坂帰城後、茶々付きの女房
(侍女)や僧侶、唱門師を大量に処刑・追放したことをあげる。「秀吉は茶々本人こそ責め
なかったが、女房の処刑で監督責任を問うた。唱門師らの追放は妊娠の原因がそこにあった
ことを示唆するのでは」
「当時日本に滞在していた宣教師ルイス・フロイスは、鶴松も秀頼も秀吉の子と信じる者は
いない旨、記している。 >>39
DNA検査が無くて証明できないなら、
光源氏の子供かどうかだって分からないだろw 秀頼がいなければ家康の天下にならなかった。
つまり家康に天下を譲るためにあえて秀頼という捨て駒をでっちあげて
それを撃ち滅ぼさせるという秀吉の深慮遠謀。 秀吉は穢多、つまり縄文系の人種だ。
www.akanbou.com/news/news.2004092701.html
縄文系の男性の精子の数が少なく、無精子症になる確率が高いことが、1999年に厚生
省(当時)の研究班の調査で判明しています。この調査研究は今回の研究に従事して
いた徳島大学の中堀教授が担当しており、同教授は、調査結果の原因として、遺伝的
に精子形成能力が異なっている、もしくは、遺伝タイプによって内分泌かく乱化学
物質(環境ホルモン)などへの 反応性が違う可能性がある、と指摘しています。 よく考えれば源氏物語ってすげえな
今、小説でも、天皇が実は天皇の実子じゃありませんなんて書いたら、
大変なバッシングだぞ 戦前だったら拷問だな 唯一、猿が自分の子でない事をはっきりと間違いなく分かる場合があるよな。 >>13 >>21
茶々役 喜多嶋舞
お市役 内藤洋子
納得 >>36
養子は血筋もわかってるし、それなりの名門から迎え入れるが、秀頼は誰の馬の骨ともわからない奴が父親なんだぞ
しかも大恩ある秀吉の血をひいていない
そんな奴に命を賭けれるか? >>41
秀頼は身長2m体重120キロの巨漢だったというから、処刑された坊主の中に巨漢がいれば、
それが父親だな。 秀頼が本当に秀吉の子なら豊臣恩顧の大名が秀頼のぶっ殺しに手を貸さないよな
みんな家康に嵌められたらふりして本当は秀頼の出自を疑ってたんだよ DNA鑑定できれば歴史の闇がはっきりするのにな
豊臣の場合は子孫がいないから遠慮なくやってもらいたいものだ せっかく新説を紹介したのに、スレの住人さん、まだだれも目をとおしてくれないんだな……。
>>31
>さすがにその本はおかしい
コメントはうれしいけど、読んだ上で、著者氏の論証を検討してくれたら、もっとうれしい。
>>37
30氏のいうのとはちがうかもしれないが、>>14で紹介した研究書は、
・初子鶴松は、秀吉がみずから淀に男をあてがって生ませた
・次子お拾いは、淀がかってに男をくわえこんで生まれた子で、激怒した秀吉
は男を手引きした侍女や従者を処刑したが、淀本人は許し、秀頼も認知した
という立場をとっている。 鑑定しなくても秀吉の子のはずがない
どこかの糞坊主とかの子供だろ
徳川に攻められても誰も助けなかったことからも明らか もうあれだ、処女じゃないけど処女懐胎でいいわ。
淀君はでんでんむしと同じで雌雄同体で単性生殖で生まれたのが秀頼。 >>57
間男の子供となんら変わらないじゃんwww
そこは、秀吉の懐胎じゃないと >>56
織田三法師の天下を簒奪されても、何もしなかった織田家恩顧の諸大名w _. ‐''"^``丶、
,r'" `ヽ、
,r'" `';i,
,i;'´ 二  ̄ ‐ -- ';i, ジャムリン容疑者の人相
,i;' ‐ -- ';i,
,i;' _ -‐- -‐- 、 ';i,
i;' /‐''" ̄`  ̄`ヽ\ i;i 特徴@ 頭頂部がハゲてる
n __ _...._ i;h
| | : = <●\ ∠●>-=: i| | 特徴A 後頭部もハゲてる
ト|: ` ̄  ̄´ : | |
l」: / ヽ lノ 特徴B 全体的にハゲてる
l (__ __)ヽ l
l ( ';';';';`ー'´;';';';',';
l: . r‐===‐ 、';i /
∧:: : . ヽ士土±ノ : . : :/
/{ \;: . `二二二´. : ::/ト 、__
/\二\ ヽ、;';';';';';';';';';';'/ `iニヽ ヽニヽ
/ \ニニ\ ヽ`二二二´ / |ニヽ \ニ\
/三\ \ニニ\ ヽ i ノニニヽ \ニニ\ 秀次が後継者だったら徳川の出る幕はなかっただろうな 間男の子供なんかに誰が命かけるんだよ。
そういうことだ。 >>59
織田家は成り上がり者だから仕方ない
秀吉みたいに天下を統一した訳じゃないし そうそう、信長は「なんちゃって平氏」だけど
秀吉は「正真正銘の豊臣氏」で、立派な貴族だからね?www >>64
豊臣氏は関白だからね
織田とは官位が違いすぎ >>63
堀秀政ぐらいか
織田家が没落するの嘆いてたの でも、秀吉は非人だし、秀吉の母は何人もの子がいて、父親は全員違う。 >>69
推測と仮説だらけの本を読んでどうしろと? >>70
当時の記録に、秀吉が猿真似芸をしていたとか、針を売っていたとか、非人のすることを
したいたことを、出典も示して書いている本は、単なる推測じゃないでしょ。
秀吉の出自について書かれたものとして、これ以上信用できる本はない。 >>71
手紙で喜んでないから秀吉は知っていた
女中を殺したから秀吉は知っていた
推測の部分は妄想レベルじゃねーか
出典との繋がりが希薄すぎて意味なし 素朴な疑問良いすか?
よく「何で淀君だけ2回も妊娠するんだ」という話が出てくるけど、当時の秀吉は淀君以外の女性ともセクースしてたんすか? 石田三成「俺は秀頼公を仕込んでいた時期に朝鮮に行っていたから違うぞ」 秀頼の娘の墓は所在がわかってるから、あとは秀次か秀長と比べればDNA鑑定できるんじゃね 加藤清正の虎退治は、虎の肉の塩漬けを、精力剤として秀吉に献上する目的だったとも言われてるな。 >>72
>>67に書いてあることと、話が全然違ってきてる。馬鹿ですか?
>>67
>でも、秀吉は非人だし、秀吉の母は何人もの子がいて、父親は全員違う。 >>81
本の信憑性について反論してるんだろ
真正の馬鹿ですか?ww 大坂の陣で豊臣を見限った諸大名はそう思いたかったんだろうね
しょせん秀頼なんて太閤様の子じゃないしって >>83
みんな迷ったんじゃないかなぁ。実子がどうかって何となく解るしね。でも淀殿以外は誰も確信が持てないという気の毒な展開で・・ だれも実子とは思ってなかったらしいね。
ルイスフロイスが書いてる。 秀吉は、妊娠時期に九州にいたわけで、
やってないのにできたことは分かってるよ。 >>87
一応、早産なら辻褄が合うんじゃなかったっけ
一応ね なんで秀吉は、長期出張中に妊娠した妾の子のために甥とその家族を殺したんだろうか。ボケが来てたのかな。 おそらく秀頼のタネを淀に仕込んだのは秀信か有楽さんだと思うよ。
秀吉なりの織田家への罪滅ぼしだよ。 >>91
秀信はともかく、有楽はあり得ない。有楽が秀頼の親なら、間違いなく大阪城もろとも
滅びる道を選んだはずだ。確かに秀信のラインも捨て難いが、やはり最後まで大阪城と
運命を共にした大野治長の可能性が高いと言わざるを得ない。 ついでに言うと、織田家の血筋を残す、というかもしれないが、その点は既に
信雄が大阪の陣の前に豊臣→徳川方に寝返ったため、目的を果たしている。
有楽は心おきなく大阪城と運命を共に出来る。だから、あり得ないのだ。 もう1つ。有楽自身の庶長子、長孝が野村潘を立てており、自分の子孫が残らないと
いう問題も既にない。だから、有楽が秀頼の父親の場合、大阪城と運命を共にしない
理由は何一つなく、心おきなく玉砕できる。それをしなかった理由は、ただ一つしかない。
有楽と秀頼に親子関係はない、と。 有楽は、そうだとしても秀信の可能性は高いな。
一応、織田宗家の後継ぎだし、秀頼の実父としては申し分ない。
しかも、大坂の陣より前に早世してるから、城と運命云々は考慮しなくていい。 97
どこにとって?
徳川は天皇排除に動いてるからこの場合、武家か?
だが公卿筋は高待遇してんだよな 日出の分家筋は秀頼(かその息子)が始祖って話だわ
現代まで残っているかは疑問だが おしいなw
たしか武田?柳沢かどこかに乞われた今川系もその辺で絶えたっけか ほぼ将軍家の滅亡と同義なもんを認められる施政者は直前まで居なかった 相変わらず男の血統で続いているかどうかと意識しているね。しかし生
物学的には男よりも女のほうが遺伝子を守っていると認められている。
だから人間の血統も女の血統継続を考慮しなくちゃダメだよ。 遺伝的と歴史学的を混同してる底辺馬鹿
遺伝的にいや人類皆兄弟だし、日本人の九割が源氏の血がどっかで入ってるわ馬鹿 なんか本気で>>106みたいなこと言ってるのか?って不思議に思うけど、
きっと本人は本気なつもりなんだろうな 大阪夏の陣で敗北した秀頼公は薩摩に落ち延びた。
薩摩では一子に恵まれたが、その子こそが後に島原の乱で大将となる天草四郎である。 歴史古い順
上町台地(大阪市)
生国魂神社(大阪市)紀元前700年 (日本列島の神そのものを祀る神社)
住吉大社(大阪市)
日本仏教初の官寺は聖徳太子(日本仏教の祖)の四天王寺(大阪市)後に奈良の法隆寺
難波高津宮 難波京(大阪市)(仁徳天皇などの皇居)(日本初の首都)大化の改新(天皇制の始まり)はここで行われそれは大化元年〜平成26年の今も続いている
難波津 住吉津 渡辺津(国際港湾都市(街))(物流の一大拠点経済の中心)商人が増え出す 商業都市として栄える(大阪市)石山本願寺(浄土真宗本山)(大阪市)跡地に大阪城(難波津や渡辺津(船場)の商工業が更に発展)
大阪市(難波宮、難波京)
奈良市(平城宮、平城京)
京都市(平安宮、平安京)
江戸(東の京、東京)
江戸城を築いたのは大阪の源氏
東京へはまだ遷都されていない為現在でも首都は東京じゃない 秀吉、秀長、前田利長みたいに実子はいたけど極少数って人は同時期にも複数人いる
だから秀頼も秀吉の実子である可能性はゼロではない 秀吉が多数の側室を抱えていたのは、
ある意味、没落した大名の妻子を保護するという意味もあった。
いわば、戦国のあしながおじさんだったわけだから、
本当に子作りに励んだのが茶々だけだったとしてもおかしくない。 秀吉は漁色家の印象が強く、名門の姫をもてあそんだ好色爺のように言われているが、
生家が没落した女性の暮らしが立ち行くように、面倒をみてやったとも言えるのではないか?
いわば「あしながおじさん」のような面もあるのではないだろうか?
とくに晩年の秀吉の衰えぶりを考えると、側室にした姫たちとそう頻繁に交接していたか?
おそらく晩年は二人の子を産んだ淀殿以外の側室とは肉体関係は、ほとんどなかったと思われる。
天下人の側室とすることで、没落した姫たちに身分や生活の保障を与えてやったと考えると、
秀吉もなかなかいいヤツではないかと思えてくるのだが。 そろそろ日本からどこかのやつらが消える前兆なのかねえ、これって 「東大寺の大仏を作ったのは別に仏法を尊んでいたからではなく、
民衆の雇用拡大のための土木事業だった」とか言い張る奴と同じだな
それなら大仏なんて役にも立たないものじゃなく、治水でもした方がよっぽどいいだろって話 >>116
そんなに優しいヤツだったらどこか良い嫁ぎ先探して斡旋するだろうって
ことには思いが至らないのか? 秀吉は、お江が離縁されたり未亡人になるたびに、追い返すように嫁がせていたよなw 織田秀信って、豊臣秀頼以外の有力な後継者だったのかな?
主君の織田信長の嫡孫だし、
官位も中納言だしな。
前田利家の遺言でも、主君はあくまでも織田家だしな。 秀吉って、ある日突然、秀信(三法師)に向かって、
「秀信、ひざまづけ!!ワシが主君じゃ」とか一喝して、
荒武者に命じて下段の間に引きずりおろしたのかな。
加藤、福島とかの荒武者連中に荒々しく腕をひっつかまれて、
下段の間にねじ伏せられた秀信哀れ。 125
現実世界でそれが通用するか吟味してみればよろしいかと >>118>>121
天下人になってからの晩年は、没落した旧主家や名家の姫を保護するための手段だよ。
天下人の側室にすることで地位や生活を保障してやったんだ。
何気にいい爺さんじゃないか。
そもそも、あの時代の人間は近代以降と違って男女関係に対する考え方や
貞操観念についての考え方がちがう。
貴人や旅人に妻女や娘を伽に出すのが当たり前だった時代だからな。
セックスも挨拶ていどの感覚で、秀吉の保護を受けるかわりに同衾することくらい、
なんでもないことだったろう。
また、側室にしないと公然と保護する大義名分もないだろうし。 >>128
だからそんなに優しい爺さんだったら、
自分の妾にしないで良い相手見つけてあげただろって>>121が言ってるわけだけど、
相手の言ってること全然読まずにレスしてるの? 秀頼の娘と秀次の娘のDNAを比較したら一発でわかるな
赤の他人だと >>128
> 貴人や旅人に妻女や娘を伽に出すのが当たり前だった時代だからな。
外の血を入れるための手段、生活の知恵だな。
昔は交際範囲が狭かったから、そうでもしないと血が濃くなりすぎて色々とヤバかった。 >>132
だが、それだとアカの他人の子をわが子として養育し、子孫にしなければいけなくなる・・・ 別にどうでもよかったんじゃね?
相続してもらって、引退後の面倒をみてもらえれば、ぶっちやけ誰でもOK。 そういうことに関しては日本は異常なほどいい加減。
歴史上宦官のいない文明国はあっても王位や皇位継承権を持つ子供を生む可能性のある女が
いくらでも密通してた国は日本だけだろ。
猪熊事件なんて日本以外の国なら全員極刑が当たり前。 ウィキペディア編集者ジャムリンによる日本史板での自作自演が酷すぎる件
以下が問題の爆笑自演投稿
日本史板住人がWikipediaを弄るスレ PART20
http://awabi.2ch.net/test/read.cgi/history/1372047431/l50
569 名前:日本@名無史さん :2014/04/06(日) 12:39:28.23
ジャムリンって何者なんだ?
そんな悪い奴なのか?
570 名前:日本@名無史さん :2014/04/06(日) 12:54:41.47
>>569
ジャムリンは偉大な天才歴史学者です。
イケメンで長身、髪はフサフサの美形青年です。
フェラーリ・ベンツに乗って美女に大人気、誰もが羨む男の鏡、神の化身のような大英雄です。 秀頼?どこの馬の骨だ?
と、加藤清正が言ってたと爺ちゃんから聞いた 家康が秀頼と面会後に討伐を決めたのは秀吉の子じゃないと確信したからだろう。
赤の他人の子が豊家を名乗って後世に続いていくことが許せなかったのだろう。
豊家を滅ぼしたのは家康なりの秀吉への礼の尽くし方だったように思う。 淀は、自分の性欲充足もあったんだろうが、浅井と織田の血を引くものを天下人として残したいという願望もかなりあったんだと思う。
秀頼は天下人になれなかったが、従兄弟の家光が天下人となった。
江を秀忠に嫁がせたのは、保険として十分に役立ったな。 >>138
DNA鑑定のない時代に、どうやって子でないと「確信」できるの? 思い込みだろうが、そう思えば確信なんだよ
確信の意味ぐらい理解しろよ あんな秀吉と似ても似つかない長身デブなら確信するわな >>141
頭の悪い奴は根拠のない思い込みで確信することがよくあるけど、
普通以上の人間なら、それが根拠のある判断か、ただの推測かの違いくらいわかるだろ。
見た目似てる似てないである程度の推測はできるかも知らんが、
「確信」なんて、よほどアホな人間でない限り、どう考えてもしようがない。
いくら家康だって、そんなアホなわけないだろうが・・・ たった数時間会って話しただけで確信できたら逆にすごいわな 両親低くて子供が高身長ってことだって、広い世の中不思議ではないことだが、
特に浅井の家系は長身揃いだったからなあ。秀頼が長身でも一向に不思議じゃない。
腹は借り物って概念は概念的にはあったけど、
だからって子供が母親に似ることがあるってことさえ知らなかったと考えるのは、
幾ら何でも昔の人を馬鹿にしすぎ。 問題は家康からすれば豊臣をしょって立つ若く聡明な人間が目の前に居たというところだと
血なんざこの際無問題
元恩顧な連中もさすが大御所には一目はおいてはいただろうが
秀頼の出方次第ではどうなったことかと 身長って成長期の栄養事情でも変わるからなあ
秀頼は恵まれまくり、秀吉はどの程度の出身だったか諸説あるが恵まれた食生活ではなかった可能性高い
秀吉のチビが遺伝的なものか、栄養不足からかもわからないんじゃ、
母方の血筋の高身長を除外しても、背が高いのが種違いの証拠というには無理がある >>123
江を嫁がせたのは秀頼世代の豊臣と徳川に血縁関係作るためじゃね?
江が未亡人になって娘を産んで間もなく秀頼が生まれているから、
江が徳川に嫁いで継嗣を産めば秀頼の従兄弟が徳川の継嗣になる
追い返したというより、未亡人のままにしておくには勿体ないほど、
江の血筋に政略結婚の価値ができてしまったというか 親子関係に違和感を持ってDNA鑑定した場合、8割が血がつながってないんだとよ。
親子かどうかなんて直感でわかるよ。
特に秀吉は子供がいなかったし。
だから恩顧の大名が次々に裏切ったのよ。 Naitou1980>>>>>>>>>>>>>>>>>>>>ジャムリン
Freetrashbox>>>>>>>>>>>>>>>>>>>>ジャムリン
海獺>>>>>>>>>>>>>>>>>>>>ジャムリン
Colocolo>>>>>>>>>>>>>>>>>>>>ジャムリン
氷鷺>>>>>>>>>>>>>>>>>>>>ジャムリン
Holic 629W>>>>>>>>>>>>>>>>>>>>ジャムリン
ぱたごん>>>>>>>>>>>>>>>>>>>>ジャムリン
Ks aka 98>>>>>>>>>>>>>>>>>>>>ジャムリン
謎の魔人X>>>>>>>>>>>>>>>>>>>>ジャムリン
篠岡>>>>>>>>>>>>>>>>>>>>ジャムリン
Blue-comet>>>>>>>>>>>>>>>>>>>>ジャムリン
馬屋橋>>>>>>>>>>>>>>>>>>>>ジャムリン
cpro>>>>>>>>>>>>>>>>>>>>ジャムリン
Akatsuki444>>>>>>>>>>>>>>>>>>>>ジャムリン
アイザール>>>>>>>>>>>>>>>>>>>>ジャムリン
朝彦>>>>>>>>>>>>>>>>>>>>ジャムリン 秀吉の淀殿への対応の甘さって、秀吉の出自の不確かさが物語っているのかな?
秀吉の家系って、その時代の大名とは明らかに違っていて
父系による血族だけではなく、母系による繋がりも
父系での繋がりと同様に認めている。
姉貴の息子たちとか、正室の外戚である杉原氏とかも、
豊臣氏として扱っている。
徳川家康からみたら、関口氏とか、西郷氏とか、のきなみ徳川氏として
扱うような感じだ。
これもなにも、秀吉の一族の数が少ないから、なりふり構わず
豊臣一族として認めないといけなかったから。 淀殿を織田家の血筋として特に注目して見ていたとしても。
信長の娘である三の丸殿の方が良いだろうし。
そうでなくても、信包の娘の姫路殿もいる。
DNAを調べるとか言ってた人がいたけど、
仲(木下弥右衛門)ー秀吉(淀)ー秀頼
→(父系は弥右衛門系、母系は淀系)
仲(竹阿弥)ー秀長
→(父系は竹阿弥系、母系は仲系)
仲(木下弥右衛門)ー智(三好吉房)ー秀次
→(父系は三好吉房系、母系は仲系)
ということになるはずで、秀長・秀次の母系はともかく、
それ以外の比較データは純粋な父系・母系の調査ができないのでは?
父母系双方が混じりあう情報の中で、遺伝の有無を調べるのはかなり難しいのでは? んまぁ世良田次郎?三郎??が家康と名乗って出た身にとっては
「豊臣」と名乗ったやつが目の前に居ることの「意味」ってのを
感じていたのかもねんw >>153
DNA鑑定は簡単だよ。
秀頼と秀次の娘を検査すれば一発丸わかり。
鑑定できればだけど。 155
影武者か?w
ん〜、おもしろいねぇ
見せてもらおうかね
それを書いたやつの判断が正しかったかどうかを^_^ 仲(木下弥右衛門)ー秀吉(淀)ー秀頼
→(父系は弥右衛門系のY染色体、母系は淀系のミトコンドリア)
仲(木下弥右衛門)ー智(三好吉房)ー秀次
→(父系は三好吉房系のY染色体、母系は仲系のミトコンドリア)
ってことで、全く別のY染色体とミトコンドリアが検出されるはずで、
同じ弥右衛門の血筋を引いているにしても、
男ー男ー男で引いてる秀頼と、男ー女ー男で引いてる秀次では、血縁
であることを証明できないと思うんだが。
(2人の血縁の間の人物のデータが満足に揃うっていうなら別だろうけど。) >>158
俺は鑑定に詳しいわけじゃないけど、はとこかどうか位わかるだろ。 ルイ14世は頭蓋骨の血痕から証明されたんだったけど、血痕も何も
残ってないから難しいな。基本的に日本は燃してしまう埋葬形式だから
外国のようにはいかないんだ DNA鑑定は万能じゃないよ。
親子判定は正確に出るけどね。
兄弟関係については否定的な結果は確実に出ることも多いけど
肯定的な結果は確実には出ない。 >>162
万能じゃなくても、限りなく真実に近いものがわかればいいじゃない。学術的にもかなり意義があると思うよ。 162
歴史的事実と合わせて追っていってみると面白そうだから是非やってもらいたいよね
それを合わせて過去の趨勢が分かる 唐代の頃までは移民がいたんだからさ
あとは南宋時代にも復活してる
そのあとは明代 当時の武将の苦悩と葛藤を知ることができるからスゲー知りたい 河原ノ者・非人・秀吉
服部 英雄
これくらい読んでから話した方がいいぞ。 >>169
その本はすでに>>8,>>14で紹介したのであるが、
マトモに読んで論じようという人物がひとりたりとも現れない……。 寧ろ結果論だが秀頼が「素直」に家康の御前で詫びを入れるところまでは見たかったなとw
それと仮に家が続いた所で「血」までが現代にまでっていう保障はないから
有る意味どうでもいいとw 関ヶ原の戦いの直後くらいに、家康が秀頼にむかって、
「今日から俺が主君、オマエは臣下ね」とか宣言すればよかったのに。
「秀頼、ひざまづけ。ワシが主君じゃ!!」って感じで、
徳川四天王のような荒武者に荒々しく腕をひっつかまれて、下座に引きずり降ろされて、
家康さまに無理やり平伏させられる秀頼。
想像しただけで胸熱だな。
まあ、同じことを秀吉が三法師(秀信)にやってるわけだが。 >>175
真田の活躍がなければそうなってたかもな。
関が原で織豊大名に頼って勝ったから家康も強気に出られなかった。
しかし豊臣も明確に臣従を突きつけられれば案外素直に折れて丸く収まったかも。 >>175
当時の家康にそんな力は無いわけで。
できるならそうしてるさ。 家康も関ヶ原直後に>>175みたいなやり方で秀頼を臣従させ、
徳川体制下の一大名としての処遇を与えておけば、
後世に悪し様に言われることもなかったのにな。 豊臣秀勝の娘の豊臣完子を妻に持つ九条幸家が23歳で関白に就任するという行動で
朝廷が仕掛けてきたので、天皇の義弟の摂関家秀頼を関白にさせる時に、
まだ秀頼は若いから関白はもう少し成長してからと言ういいわけができなくなったので、
家康は秀頼が23歳になる前に殺さなければならない立場に追込まれ
方広寺鐘銘事件をでっち上げて必死になっていたとか書いてあった。
なるほど〜勉強になったわ。
さすが棚ぼた人生家康だけはあるな!
天皇の義弟にして摂関家の人物である秀頼を殺すなんて大逆無道なのは信長以下の所業だよな。
豊臣秀勝の娘を娶っていた慶長13年に九条幸家が22歳で関白に就任させて朝廷がしかけてきたので、
23歳で関白になれる年齢下限が設定され、
もはや若年だから秀頼に関白はまだ早いという言い訳ができない形にしたために、
23歳の秀頼が関白になる前に鐘の刻印に理不尽なイチャモンつけて、
必死に殺したのが悪辣老人家康。 大御所様は、あの時代の武将にしては寛大で人格者だぞ。 関ヶ原の直後に秀頼を臣下扱いしたら家康がぶっ殺されるわ >>179
豊臣家は五摂家と同じではなく武家扱いとされていた。
何故かといえば、朝廷からの連絡係として武家伝奏が遣わされていたから。 家康側に動機はあったとて、まずはその通りに相手が乗ってくるか否かというところがキモかと
秀頼が直に詫びを入れてくる状況にでもなればおじゃんな話だろうし
「そうはさせじ」と裏小作が故に事は成った?? >>182
それは関係ない。
近衛の養子になった時点で、立場が変わっているし、
武家、公家双方を束ねる立場になってる。
武家だけとか、公家だけとかそういうたぐいのものではない。 >>179
九条幸家は、徳川家寄りの人物だよ。
妻完子の実母がお江で、将軍家御台所の娘婿。
現に完子は、淀殿の猶子だったが、豊臣家滅亡後は秀忠の猶子になってる。
調停は、幕府に無断で関白人事をやる実力はないよ。 >>184
>近衛の養子になった時点で、立場が変わっているし、
養子じゃなくて猶子だし、その後に豊臣姓を賜って猶子関係は消滅している。
>武家、公家双方を束ねる立場になってる。
それは初めて聞いた。
だが秀吉が武力を背景に関白職を得たのは明白なことで、家格で摂関職を得たわけではない。
だから秀吉没後実力が無くなった豊臣家に自ら関白職を求めるだけの権威などない。
武家伝奏が遣わされたのも、武家伝奏のような軽い身分のものをよこすことで暗に真の摂家ではないことを知らしめている。
また当時から武家関白と呼ばれたし、家康らも武家清華と呼ばれた。
>武家だけとか、公家だけとかそういうたぐいのものではない。
関白職は本来五摂家だけのもの。
武力を背景にそこに無理やり自分をねじ込んだのが秀吉。 >>187
実は違うんだけどね。武力を背景に、と言うのは半分正解だが。
秀吉が近衛の猶子になったのは、近衛前久が本能寺の変で明智光秀と共謀した
ことを脅しのネタにしただけ。また、五摂家相当にしたのも、近衛家を脅迫して
得たもの。
秀頼に関白の価値があったかと言われれば、経緯からあったと言うしかない。
だから、秀頼滅亡には、意外にも五摂家の意向があった可能性もある。 >>188
結局の所武力で成敗するという事を前提にしているから全てが成り立っている。
家格に応じて官職補任される堂上とは根本的にちがう。
山崎合戦後、前久は秀吉を怖れて家康のもとへ逃げ込んでいるが、後に家康の仲立ちで秀吉と和解し帰洛している。
本能寺の共謀者を家康が匿うわけもないし許されるわけもないから、前の本能寺ネタはもろ讒言・難癖。
その事で脅して猶子→関白補任は飛躍しすぎだ。
普通に飴とムチで篭絡されたと考える。 本能寺の真相は闇の中だが、朝廷首謀者説に立つと前久が怪しいとなるんだろう。
朝廷が首謀者ではないとしても、三日天下の間に朝廷が光秀に官位や詔勅を出して便宜を図ったのを揉み消す代償として、秀吉が前久というか朝廷と取引した可能性はあるな。 豊臣姓を賜って猶子関係は消滅している
これはウソだろ… 中臣鎌足以来の新姓だからね。
皇室の藩塀として藤原に続いて豊臣を位置づけていたし、
倫言汗の如くって言うように、
豊臣を藤原と同格にして朝廷の利益代弁者として利用しているわけで、
その地位を下げるようなことを徳川から強いられることを、
朝廷の威厳を損なうことと同一になってるから、
朝廷をないがしろにする幕府への牽制のためにも、
秀頼を摂関家関白として、
武家清華家家康を抑えようとしてたのは間違いない。 まー朝廷は家康をイヤイヤ征夷大将軍に任じた時に、
同時に清正らに豊臣姓を与えて、秀頼の藩屏としての自覚を促しているし、
細川忠興も豊臣姓羽柴を名乗り続けていたからな。 朝廷はもう終わってる、太上官は終わり実質、神祇官しか機能してなかったからね
北畠だのなんだのは神祇官の方のやつら 朝廷も、帝と公家で微妙に利害が異なる。
帝は親豊臣で徳川牽制でも、摂関家は関白職を奪還して五摂家で持ち回りにしたいから親徳川。
他の公卿も、時流に敏感だから徳川について甘い汁を吸いたいのが多かった。
家康、秀忠が上洛すると、摂関家、門跡などが先を争って挨拶に来て、例によって席次争いをしている。 太上官だろ
神祇官の方を仕切っていたのどうみても源氏だもん 徳川氏が太政奉還
でも源氏号は返還してないだろ
これは神祇官の主催は返さないようって決意とも取れる
邪魔なのは本来の源氏一門 まあその源氏自体の起源も分からないかなんだけどw
なんせ大和のときに争っているからな 実力者が上洛すると、摂関家、門跡などが先を争って挨拶してるのは、
いつの時代も同じで、単なるうわべだけの態度で、
武家を統御する手管に過ぎない。
別に家康や秀忠にだけやってた特別なことじゃない。
そもそも桃山時代に五摂関家で持ち回りしたいなんて主張に根拠はない。 秀吉や秀頼の家格は摂関家であって、
武家摂関家じゃねーよ。
好い加減なデタラメ書くなよ。
清華と違ってそんな区別してないから。
勝手に妄想願望で作り出すんじゃねーよ。 つか秀吉の関白職は、公家と武家を統御する史上最強関白職だろ。
従来の関白職は公家の統制しかできてない。
だから秀吉の公式、非公式の食事会の時などに、
秀吉と同席できる権利なども公家や武家を相手に使い分けてる。 >>201
>秀吉や秀頼の家格は摂関家であって、
摂家ではないよ
あくまで関白補任者を輩出した"武家"
秀頼が関白補任されるには、現状武力を持つ徳川からの強烈ゴリ押しが必要でしょ。
>>202
>公家と武家を統御する史上最強関白職
>従来の関白職は公家の統制しかできてない。
関白は天皇代行の地位だから、誰よりも上位なのは往古から変わらないじゃん
将軍職が不可能だからといって、
尊い関白職を武家支配の道具に使うという発想そのものが僭越きわまりないし、
九条家が秀吉の関白補任に徹底反対したのは正にその部分だよ。 >>204
はいはい完全に大ウソ乙
お前の願望妄想はチラシ裏に書けよ。 >>205
どこが嘘か説明してみて!
ちゃんと具体的にね。
それからここは学問板なんだから煽り文句は遠慮して♡ 秀頼のキチガイじみた官位昇格の速さからみても、
朝廷が秀頼を関白にする気が満々だったのがわかる。
家康がそれに危機感を抱くのも無理はない。 天正18年に近衛信尹が菊亭宛に、
関白職が豊臣氏の世襲になるなら、
代わりに内覧職を私が任命されたいと申し出てるね。
ここから察するに武家関白なんて概念は近衛信尹にすら無いわな。
関白の位置づけは全く変わってない。
武家関白という表現は単に、秀吉が武家に対して官位を任命する形に対して学問的に命名した用語に過ぎない。
もちろん秀吉は関白として公家に対しても官位許認可権を保持しているので公家関白としての当たり前の権利もある。 >>209
>天正18年に近衛信尹が菊亭宛に、
>関白職が豊臣氏の世襲になるなら、
>代わりに内覧職を私が任命されたいと申し出てるね
菊亭も近衛も秀吉関白補任運動推進者だね。
菊亭は清華では格下なのに、そのおかげで右大臣になり、三条や徳大寺を抑えて台閣トップになったわな。
関白職が豊臣家世襲になるならというのは、あくまで彼らのうちの仮定なんだけど、
確かに秀吉存命もしくは豊臣家が天下様の場合なら、そうなりうる。
でもそれはあくまでも武家としての武力で分捕ったもの。
だから、秀頼の官職は家康に時流が移った後は家康の推挙によるもので、現に大臣任官は家康の意思通りとなっている。
しかし免官もまた家康の意のままとなり、右大臣も家康の意で免官されている。(wikiを鵜呑みにしてはいけないよ)
真の意味での摂家ならこんなことにはならない。
>>208
>朝廷が秀頼を関白にする気が満々だったのがわかる。
幼時は秀吉のプッシュ、後は家康のプッシュで、別に朝廷??が自動的に任官させていたわけではない。
現に秀頼長子国松は、秀頼が受けたような待遇(摂家の子息並)は受けていないどころか、
いきなり他家の家臣に養子にだされるなど、武家の子そのものの扱い。
いくら正室に遠慮とはいえ、貴き摂家の子としてこれは有り得ない。 >>206
お前が書いたことには
なにひとつ根拠ないだろ。 国松は妾腹だから元々厚遇されとらんよ。
千姫と秀頼の間に嫡男が生まれてたらものすごい速さで昇進していたはず。
あと家康の推挙とか関係ないから。
秀吉ですら朝廷との駆け引きをうまく利用して昇進して関白となったあとに
官位官職を自由に許認可するようになっている。
家康はそこまでの官職に達してないので不可能。
だからこそ天皇の義弟豊臣秀頼が関白に任官する前に殺す必要に迫られたに過ぎない。 >>家康の推挙によるもので
これを証明する一次史料を出してください。 >>212
>国松は妾腹だから元々厚遇されとらんよ。
秀頼も妾腹だし・・
千姫との間に男子が生まれない・他の妾腹男子もいない、国松は唯一の直系男子なんだけどね・・・
妾腹とはいえ摂家の男子ともあれば、当たり前だがそれ相当の扱いをするはずですがね??
日本で天皇の次に貴い家柄なんですよ、摂家って。皇族よりも上なんですよ当時は。
大名でも公卿でも養子先はいくらでもあると思うんですがね???
なんで他家のさらに陪臣のもとになどいかせたんですかね??
徳川との関係を壊したくなかっただけとしか言い様がないと思うんですがね???
>千姫と秀頼の間に嫡男が生まれてたらものすごい速さで昇進していたはず。
そりゃ当然だと思うが、できなかったんだから仕方ない。
豊臣家のためには、千姫が国松を養子にするという選択もあったと思うんですがね??
北政所はそうしたんですけどね。
なんでそうしなかったんですかね??
なんで唯一の直系男子を放逐するんですかね??
天皇の義弟とか関係ないし・・・外戚じゃないと意味ない・・
だから秀吉は豊臣家箔付けのために八条宮を猶子にして、
八条宮を皇位につける事で天皇の外戚になろうとしたんだけどね。 淀は信長の姪という超ブランドだから妾と卑下されるような立場じゃねーだろ。
そんな卑下される立場なら妹が秀忠に嫁ぐわけねーだろ。
国松なんて生後すぐに大坂城から追い出され、
ついには若狭の砥石屋弥左衛門の養子に出されたくらい
豊臣家からもやっかい払いされてる始末だし。
八条宮を皇位につける事で天皇の外戚になろうとしたも何も
藤原氏だって、天皇の外戚になろうとして同じようなことをしてきたじゃねぇか。
別に特別じぇねぇよ。 >>213
豊臣びいきも度が過ぎるといたいよ。
当時の台閣トップはだれだ?
ほかならぬ家康だぞ。
菊亭が秀吉の勘気を被って失脚して以降は、台閣では内大臣家康がずっとトップだった。
秀吉死後、菊亭を復帰させて右大臣にしたのも家康。
その菊亭の時に将軍宣下を受けて、右大臣になったのも家康。
その時空いた内大臣を秀頼が受けたわけだが、わずか10才の内大臣って何よ?
朝議にすら参加できんよ。
12才の右大臣?なにするの?
2年後、秀頼は14才で右大臣を辞官する(させられる)が、これ以降、秀頼の官位はあがることは無かった。
位階すらあがらなくなっている。
反対に秀忠は従一位・右大臣(武家官位)となり、大坂の陣当時では位階では秀頼より上位になっている。 >>215
>信長の姪という超ブランド
家柄的には全然超ブランドじゃない。
武家の擬制家族的婚姻なら価値ある。
んで、なんで"国松なんか"なの?
唯一の直系男子なんだし、摂家の子息なんだよ。 別に家康が推認したり
、免官に追い詰めたりしてないよ。
そんなこと出来たなら家康も家格を引き上げて摂関家になってる。
しかし秀吉と違い摂関家になる資格が無いから無理だったから征夷大将軍になっただけだし。
摂関関白家はそんな簡単になれんわな。
その家格統制こそが秀吉の朝廷工作の最大の肝であり、
結局家康は終生、秀吉に家格で上回ることが出来ない仕組みを作り死んだ。
だからこそ秀頼を家康は殺したんだからな。 >>217
秀忠時代のおよつ御寮人事件を知らないな。
徳川和子入内の前に後水尾天皇が女官に子を生ませて大問題。関係者は処罰され、その子(加茂宮)は日陰の身。
天皇の子(第一皇子)でさえ幕府に睨まれればおのとおり。 信長死後、秀吉が朝廷に大金を献金して、
信長が従一位に任命される勅使が来るのを待って葬儀やってる。
生前は三職推認まで信長は到達してたんだし、
信長の血を引く淀は超ブランドになってるわ。
朝廷が決めたことは高い権威が付いて回る。 淀は信長の子じゃなくて姪、しかも滅亡した浅井家の人間だから、超ブランドというほどのことはない。
ちなみに、秀吉は、淀よりも格上の信長の娘を側室にしてる。 >>218
>しかし秀吉と違い摂関家になる資格が無いから無理だったから征夷大将軍になっただけだし。
学問板ではなくて、ゲームとかでやったほうが盛り上がるよ >>220
淀殿は、京極竜子に家臣筋の娘で家格において自分とは上下がはっきりしている事を突っ込まれたが、
その時に言い返した言葉は秀頼の母だということで、家柄については否定できなかった。
信長の姪といっても、あくまで女系で妹の子であり、旧織田家旧臣などから一定の敬意を払われただけ。
現に秀頼の生母でありながら、淀殿はなんら官位を賜ってはいない。
(五位に叙せられたのではという説もあるが五位だって低すぎる)
>生前は三職推認まで信長は到達してたんだし、
>信長の血を引く淀は超ブランドになってるわ。
力で分捕った家格は、力が無くなればそれまでの事。
信長の倅どもの行く末をみれば明らかだ。 淀がブランドだから、妹が離婚してても秀忠に嫁ぐだけの価値があったわけだが。 淀殿は京極竜子に家臣筋の娘で家格の事を突っ込まれた
上記の一次史料をだして下さい。 信長娘の三の丸殿は秀吉の側室だったとは言い切れないな。
養女説もあるからね。
だが秀吉死後に二条昭実と婚姻してるな。
信長死後も、織田の娘達が高いブランドを所持していた証拠だろうね。 >>226
醍醐の花見での有名すぎるやりとり。
勉強になったでしょ。 >>227
ブランドで結婚したのではない。
政治的思惑で婚姻関係を結んだだけ。
そもそも二条家自体が摂家なのだよ。 >>227
秀吉は「戦国のあしながおじさん」だからな。
側室であれ、養女であれ、没落した家系の女性を保護してやった恩人。 >>230
足長おじさんは、ジルーシャを正妻にしたが、秀吉はorz
キリスト教じゃなくてイスラム教の宣教師でも来たら受け入れてたかもな。まあ、酒がダメだからみこみうすだが 中央アジアのイスラムは、酒飲んでもOKだよ。
イスラム法なんてので裁判されたりしないし
修行して神秘体験をした行者様が影響力を持つので
イスラム法の戒律なんて厳格ではない。 >>231
義演准后日記に顛末が詳しく書かれている。 >>231
何か悔しそうだね。勉強になってよかったじゃない。 なるほど。秀頼のお父さんはグリコのマラソンランナー いや、カーネル・サンダース。外人の種だから、秀頼が巨大化。 >>158
俺も、生物系の専攻出身ってだけでDNA鑑定は詳しくないけど、
DNA鑑定はY染色体もミトコンドリアゲノムも使わないと思うぞ。
人の染色体は23対(性染色体を除くと22対)ある。
で、1対の染色体は母親と父親から1本ずつの合計2本で1対になってる。
さらに、生殖細胞を作る時には「交叉」といって、母親由来の染色体と父親由来の染色体を途中で切って交換する現象が起こる。
つまり、1対の染色体を取り出して調べると、
父親由来の1本は片側が父方の祖父由来で、反対側が父方の祖母由来
母親由来の1本は片側が母方の祖父由来で、反対側が母方の祖母由来
になってる。
なので、1対の染色体で見た場合、秀頼の父方の染色体と、秀次の母方の染色体は弥右衛門-仲か仲-弥右衛門のどちらかなんだけど、
弥右衛門由来の染色体は弥父由来と弥母由来の二種類、仲由来の染色体も仲父由来と仲母由来の二種類あるから、
弥父-仲母、弥父-仲父、弥母-仲母、弥母-仲父、仲父-弥母、仲父-弥父、仲母-弥母、仲母-弥父
の8種類。
これがどちらも一致しない確率は5/8
これが22対の染色体でどれも一致しない確率は(5/8)^22=0.00003=0.003%
つまり、秀次と秀頼のDNAを比べて全く一致しなければ99.997%の確率で血縁関係がないと言える。
全ての染色体の両端に高精度のマーカー配列があるのかどうかは知らんけど、理屈はたぶんこんな感じ。 >>234先生、わたしもおしえてほしいです!
義演准后日記はネットだと終日桜を見て何の問題もなく帰ったくらいしか見つからん >>244
義演准后日記の紙背文書を参考にされたし。
文系大学の大きな図書館ならあると思われる。 或る人の曰く、秀吉に十徳あり〜将軍家家長(信長)繁栄の基なり、祝々珍重(天正8年正月晦日付け)
ちなみに安国寺は天正12年1/11にも秀吉の評判を書き残していて
大なる事は、近年信長の下にても、羽柴羽柴と申候て、世上操りをも、又弓矢をも手に取り候て、鑓をもつき、
城をも責候て存んぜられ候、又、小事の儀は小者一ケにても、又、乞食をも仕り候て存んぜられ候仁か、
申し成しなとにては成る間敷候、日本を手の内にまわし候、今日まては名人にて候、明日の不慮は、存ぜず候
などとどんなことでもなんでも抜群にこなせるオールラウンドプレイヤーで頭角を現し、信長の名も霞むほどだと書いてる。
ここで面白いのは秀吉は乞食まで経験してるので、世間の人情の機微も心得ていて名人なので
信長のような犬死のような突然の死に方もしないと書いてるところ。
乞食の経験?というとフロイスの記述にも秀吉が若いころ、一度、信長の元を出奔してることを書いているから
出奔後に乞食になってたのだろう。フロイスは秀吉の才覚について面白い話を残していて
尾張時代の信長がいろんな家臣に買い物へ行かせるが、商人との交渉がうまくいかず
値段が高すぎたりすると買わずに帰ってくることもあった。
しかし秀吉だけはどんな買い物でもきっちり買ってきたので信長が大喜びしていたが、
実は秀吉は自分の手持ちの金も追加して買い物してきていたって話がある。 また天正11年4/12付秀吉→輝元宛では
前々せがれの時でさえ、信長家中においては、秀吉が真似ごと仕るべき者、これなく候つる
などと書いていて昔、子供の時ですら信長家中で自分ほどのことができた人間はいなかったと書いていて
秀吉がせがれ時代からすでに信長に仕えていたことがわかる。秀吉の才覚じゃ自他共に認める隔絶した将器だったのが判明しよう。
他にも上井覚兼日記や島津側書状で、 天下静謐のために秀吉が島津に停戦受け入れるよう命じた時に、
島津が秀吉のことを、なんでお前みたいな馬の骨に名門島津が従う必要あんだよ?みたいな侮り記述がある
フロイスの日本史にも身分も低く血統も賤しいと秀吉の人となりを書いているので、島津の批判は間違っていないだろう。
天正10年10/18の秀吉書状には、自分のことを「小者一僕の者に過ぎなかったのに信長が召し上げてくださり」
などと書いていて「下僕」の身分に過ぎなかったのに、信長が身分を引き上げてくれたことを感謝してる。
また、天正17年11/24の秀吉書状では、
「秀吉若輩の時、弧と成りて信長公幕下に属し」などと書いていて
「孤児」に成り下がり、頼るべき親類もいないほど貧しくなって信長公に仕えたと書いている。
あぁ孤児って訳は染谷氏の解釈であって俺が勝手に訳したわけじゃないからな。
看羊録の著者は、 秀吉の父の家は元来貧賤で、農家に雇われてどうにかたつきをを立てていた。
壮年になってから自分から奮発し、信長の奴隷になったが関東に逃げて数年し、
また戻って信長に自首したので、秀吉は一心に奉公して昼夜風雨を厭わなかったと書いてる。
耶蘇会の1584年の年報にも はっきりと「一般人民の声によれば、秀吉は何事においても
彼の前任者信長より遥かに優れている」と当時の日本での世評において激賞されていたことを記している。 秀頼の娘が出家して助命されてるけど、
秀吉の血縁者のDNAと比較したらなんか分からないんかなー 天秀尼の墓が鎌倉の東慶寺に、大政所の墓が京都の大徳寺に、朝日姫の墓が京都の東福寺にあるが、発掘と検体採取は無理じゃないのか? ヨーロッパでは数百年前の王族のDNAを鑑定してるから、墓を掘り返せばわからないかな
秀吉と秀頼に血縁関係がないことがわかったら大発見になるのに 日本でそれ言い出したら
「万世一系の神武天皇のY遺伝子が天皇家に継承されてるか調べよう」
ってことになりかねんからやらんのじゃないか だから調べればいいじゃんw
神格視している海外のやつらがどうなるか楽しみだわ
記紀でも天皇が神だなんて書かれてないけどな
神の子孫とは書かれてるけど どちらかと言えばいろんなとこの神の名を付ける方だろ 天皇家を調べるのはヤバいけど、滅んだ豊臣家なら問題なくないか? 最低、2つ以上の寺の許可が要るが、出してもらえるとは思えんが。 >>266
歴史的に見て凄く意味のある調査だと思うんだがなぁ
でも絶対に許可しないだろうな 環形のミトコンドリアd-loopじゃあるまいし、人間本体の染色体の分子構造は螺旋状だからほどけて分解バラバラされちゃう
法廷で証拠になるレベルまで鑑定でないと思うぞ。 寺にあるのは遺骨だけなんだっけ?
火葬した後の骨って鑑定できるんだろうか
アイスマンとかは肉ごと残ってた例だし 基本土葬でしょう
火葬でもよっぽど高熱で焼かない限り鑑定できる
横田めぐみさんのニセ遺骨の例もある 当時の火葬だと鑑定の材料が残ってても不思議じゃないと思う。
火葬でも土葬でも保存状態次第かと。 エジプトのミイラ並みに防腐処理された遺体ならともかく
日本なんて残っていても遺体をそのまま処理なしで木製の棺に入れて埋めるだけだろ
DNAが取り出せるほどの遺体かというと怪しい
火葬なら更に破壊される 調べてもどうせ結論は見えてる。秀吉の子ではありません。 >>260>>270
大政所は蓮台野で火葬されている
現代のDNA鑑定の技術でも良質のDNAが採取できたところで
(双方が生きていて口の粘膜の生きた細胞等を提供された)
親子間の鑑定ぐらいしかほぼ確実な鑑定はできないぞ
兄弟間(同母兄弟あることが条件)・祖母孫間ではミトコンドリア鑑定程度しかできず
(母子間にのみ伝わるミトコンドリアの型が7つあり、一致するかを鑑定。
ただし、合致する可能性は7分の1なので一致したからと言って確実な血縁者とはいえない。
ただ、ミトコンドリアが違えば、同母兄弟ではない、祖母孫ではないことは確実にわかる)
大政所、朝日姫、天秀尼の遺体が残っていたところで
精度の高い鑑定ができるとも思えん >>275
毛髪は死んだ細胞なので何百年も前のものだと
すでにDNAが破壊されていることも多い
大政所ー秀吉の親子間
秀吉ー秀頼の親子間
秀頼ー天秀尼の親子間
では鑑定できても
大政所ー天秀尼の曾祖母と孫間では
あまり精度の良い鑑定はできない 秀吉側室権威争いの事実
京極龍子 対 淀
京極家柄→帝遣えし由緒正
淀家柄→浅井 昔土豪から京極に遣え、のしあがる、
龍子に突っ込まれ悔し涙、秀頼で首位、 織田信成←自称信長子孫
江戸時代幕末苗字無く、維新あと、織田姓名乗る、
維新で 武士の戸籍、身売り続出、NHK花子とア
ンの蓮子の母親←幕府外国奉行の娘だが、没落 身売
り、伯爵の妾になり産まれたのが、蓮子。
雅子の祖祖父 金吉、武家の戸籍拝借、幕末、武士の
屋敷売り、武具骨董売り、戸籍売り、身売り続出。 >>278
柳原白蓮をdisるなよw
あれでも大正天皇の従兄妹だぞ >>270
あの鑑定結果は学者の間じゃ「科学ではなく政治」扱い 400年前の骨の鑑定が精度完璧に行けたら苦労しないわなあ 少し前まで親子鑑定なんてABOでどうたらこうたらだったんだし
100年後にはキッチリカッチリ鑑定出来るかも出来ないかも 秀頼の娘の墓はわかってるんだからDNA鑑定できないものかね 一、おひろい様之御局をハ大蔵卿と之申し、其の子ニ大野修理と申し御前の能き人に候、おひろい様之御袋様と共に密通之事に候か、共ニ相果てるべし之催にて候処に、彼の修理を宇喜多が拘し置き候、共に相果てるに申し候、高野江逃れ候共に申し候よしに候、(後略)、 DNA鑑定なんかするまでもなく、 秀吉の実子ではないのはほぼ確実だろ
色んな名前が挙がってるけど、 旦那を欺いてる時点で父親なんか
誰でもいい訳だから、 特別誰かの血を残そうとか淀は考えてなかったと思うね
あくまで、秀吉の子として通せる子が得られる事が重要な訳だから
極論すれば、確実に孕ませてくれれば相手は名無しの権平でも構わない訳だよ
むしろ、そっちのが都合が良いかもしれない・・
下手に名のある人間と通じて、それが噂になるよりな >>289
完全に同意。
相手が大名クラスだとかえって面倒なことになるから、淀にしてみれば百姓でもよかったと思う。 誰でもいいんなら、せめて秀吉に似てる男を選ぶんじゃね?
噂の発端は秀吉にいきなり子供が出来た事もあるけど、秀頼が大きかった事もあるわな >>289
陰陽師が相手だという説もあるな。秀吉が秀頼誕生後に弾圧している。 名もない武士で十分なんじゃない?
秀頼を生んだ後は口封じもし易いし。 >>291
淀の父親浅井長政は肖像画を見ても巨体
淀が誰と契っても長政の血を引く以上
巨体の子供が産まれてもおかしくないが 289
真田幸村、大野治長、石田三成あたりが父親って説か?w
そういやそんなのあったなw >>296
さんざん言われてきてるじゃないか。
自分で調べろヤ。 火葬したら神になれんから、秀吉は土葬にしてくれと遺言し
それで朝廷から豊国大明神を頂いた
ってのを聞いた事があるが
そんなら秀吉のDNAは何とか採掘できるんかな? >>297
その散々言われた説がどれも 三成だの大野だの徳川時代の胡散臭い奴ばっかりなんだがな >>299
秀吉は戦場にも側室を連れて行く無類の女好き
それなのに淀以外に子がいない(長浜時代の息子は実在がはっきりしない。)
そして淀だけ2人も妊娠
これだけ事実が揃えば秀頼は秀吉の実子じゃないのはほぼ確実(ただしDNA鑑定をしなければ100%とは言えない) >>300
権力者の親子関係やや実在があやふやなんて
それこそ秀忠と保科正之とか吉宗の隠し子とか快挙に暇が無いよ
それを持って秀吉と秀頼が赤の他人という事にはならない >>302訳すると
家康
「秀忠〜お前ってマジで俺の子?」
秀忠
「家光〜。お前って俺の子か?」
家光
「正之〜。お前って俺のマジで弟か」
保科正之
「知らんがな」 >>303
ちょっとワロタけど、それと秀頼とどのように関係があるのか全くわからん。 >>304
秀吉と秀頼で親子関係が疑われるなら
世の天下人全てが疑わし一だろって話 >>305
へっ?
秀吉は淀以外に子供がいないから疑われてるんだけど。
話の流れ理解できてる?? >>306
えっ?
秀吉は淀殿以外に、南殿に石松丸と女子を産ませてるんだが? >>307
これまでのレスをちゃんと読めよ。
長年時代の子供は母親も定かでないし、実在さえ疑われてる。
そんなの知っとるわ。 正確には正史に名前が載らなかっただけで、子供自体 よそで5人か6人はいたな
秀頼の場合、前政権織田家の血縁だから後継者に選ばれただけだし >>309
正史にないのにお前が知っている不思議ww >>309
後継者に選ばれた???
君大丈夫??
他に候補がいたら秀次を関白にしてないわ。
歴史を勝手に作る変人ですか?? >>312
ちょっと本当に何が言いたいのか分かんない。
秀次が失脚したのは「唯一の子供」である秀頼が生まれたからでしょ?
君は秀頼は数人の子供から選ばれたとか書いたでしょ。
秀頼の他にも子供がいたなら最初から秀次が関白になるわけないじゃん。
はぁ疲れた。 >>314
秀頼は織田の血筋だから選ばれたって
書いておいたぞ >>315
え!反論はそこなの???
じゃぁ、秀頼以外の4、5人の子供って誰?どこにそんな資料があるの? >>316
実子養子合わせれば10人はいたはずだし、大谷吉継の隠し子伝説もある
中国攻めの際に愛人と隠し子を儲けた噂もある
何てゆーか、自分の説に異を唱えた相手に噛みつく癖は改めた方がいいよ >>317
「いたはず」「噂もある」
どこにそんな資料があるの?
学者もビックリだわww >>317
養子は要らないから実子5、6人の資料プリーズ >>318
おいおい、山名豊国の娘・あかね、岡山城主の未亡人・おふくにも 手を出して 隠し子作ったんでないって地元で言われてたろう
(真偽は別に)
学者びっくりではなく、オタクが意図的に無視しただけだろ >>320
全く真偽不明のわけわからん伝承じゃないか。
で、その5、6人は成人したの?成人なら秀頼の実兄だよね?秀頼が生まれる前に何で後継者に指名されなかったの?
大阪の陣の時はどこにいたの?落城後はどうなったの?
全然答えられないでしょ?全く意味ないんだよ。 >>298
秀吉側のDNAは残ってると思う。例えば秀次の子供も生き延びた人がいるし。
問題は秀頼側で本人のDNAは難しそうだから、尼になった娘のDNAが採取できれば鑑定できるんじゃないかな。 >>322
信長の兄弟すら姓名や成人したかも分からん奴がいるのに
まして秀吉の隠し子達が分かるはずも無いわな まあ、秀吉に普通に記録に残る実子が多くいれば、 逆に認知してない
子供もいたかもしれないという、伝聞や噂にも多少の信憑性が
出てくるかもしれないけど、 そうじゃないからね・・ >>324
秀吉は跡継ぎを渇望してたんだよ?
子沢山の他の武将とは事情が違うでしょ。
嫡男が本当にいたなら喜んで要職につけてるわ。
あと、不明だから、記録がないからいたはずだとか、どこの悪魔の証明だよww >>326跡継ぎを渇望というより、相応しい後継者が欲しかったんだろ
この場合、織田の血筋の秀頼が一番受けが良かったわけだし
嫡男なら誰でも良かったら、御家騒動など起きない >>325
そうは言うが、徳川すら伝聞や噂に基づいて将軍の隠し子だからと高官になった奴なんてそれこそ掃いて捨てる程いるからな〜
保科正之しかり
こういうのは権力者の自己申告
んで愛人何百人もいたのに秀吉の場合、そういう話が少ないのは認知しなかったんだろ >>327
いやいや、織田の血筋がとか言ってる場合じゃないから、秀吉の場合。
成人した嫡男がいれば当然秀次よりもそっちを後継者にするでしょ。
そうしていないのは実子がいない何よりの証拠。 >>329
実子なら良いとかこそ悠長だろに
政権の安定を担保する権威ある後継者が求められてた訳で
それは秀頼をおいていないよ >>320
秀吉に隠し子はないだろ
家康は京極家で育てられていた秀頼の隠し子
国松まで探し出してきて処刑している
(同様に京極家でこっそり育てられていた奈阿姫は
女子だからという理由で出家を条件に助命)
秀吉の隠し子がいればとっくに処刑されているよ >>331
秀頼が生まれるまで実子を後継指名しない方が悠長だろww
失礼ながら君の書き込みは思い込みが激しすぎないか? >>333そうかも知れんが、そもそも秀頼が非実子説が徳川時代の宣伝ばかりだからな
正直そっちに疑問を感じたよ >>334
>>287は関ヶ原前の慶長4年、内藤隆春という毛利家重臣が書いた書状だよ
内藤隆春の姉は毛利隆元正室で毛利輝元の母だといえば
隆春が家康寄りの人物でないことが分かるだろう
(内藤隆春は関ヶ原西軍総大将・毛利輝元の伯父である)
そういう人物があの記載を残している >>334
徳川時代の宣伝はかりじゃないよ。
現代の医学的見地からも秀頼が実子であるということに疑問があるし、当時の大阪城内でも噂話になってたとの記録もある。
秀頼が生まれた頃には失禁したり痴呆の気があるなど客観的事実からも疑われて当然だと思う。 秀頼の乳母だった正栄尼が事の真相を知っているとみた 真相を知る人物は結構いたはず
なんせ寝室のすぐ側にも警護がいるんだぜ
あえぎ声も聞こえまくりのはず >>327
織田の血、織田の血って言うけど淀殿は浅井氏だよな
秀吉の側室には織田信長の実子三の丸殿や
信長の姪姫路殿(父は織田信包)
足利一門出身の月桂院に
近江源氏の名門・京極竜子がいる中で
ダントツの血筋ってわけでもないぞ そんなに監視が甘かったら、他の側室もガンガン子供産むんじゃないかい? >>340
監視が甘いわけがない
だから淀殿の密通相手も側近中の側近乳母子の大野辺りじゃないかと言われている
秀吉との間に子供ができなかった三の丸殿、加賀殿、香の前などは
後に別の男性に嫁いでそこで子供を産んでいる
秀吉の16人いたとされる(もっとかも)側室たちがただ一人淀殿を除いて
不妊だったとはいえない >>340
意味が通じてない・・
監視が甘いんじゃなくて、警護役を巻き込んだんじゃないかという意味。
秀吉以外の男が寝室に入るのを見過ごすように指示してたんじゃないかという妄想ですよ。 そんでそんでお前らの妄想としては何が真相だと思うんで? >>343
ちょっ、この段階でそれを聞かれるとズッコけるんですが・・
とはいえ質問にお答えして、
「秀頼は秀吉の実子ではない」
です。 >>344
期間云々で実子ではないは流石に根拠がな
>>336
秀吉の遺伝子も無いで現代の医学的見地も減った暮れも無いじゃん >>336
医学的知見があるんだ。是非教えてほしい。
体の大きさは、あまりあてにならないと思う。自分の近くでも小男と大女が結婚して、生まれた男の子は凄い大柄だけど顔はお父さんそっくりという例があるし。 >>345
期間云々てなんのこと?
失礼ながら日本語の意味が伝わり難い方なんですかね。
意味の通らないことが度々あるんですが・・ >>346
当時は子供が出来ないのは女の責任と考えられていたからです。
秀吉は現代医学でいう無精子症の可能性が高いと思います。 >>348
秀吉が無精子症だった可能性はある。でも、その証拠も無いよね。
そもそも、秀吉は晩年、淀君以外の女性ともセクロスしてたのかな。女好きでもセクロスは大して好きではない男も居るんだよ。
ましてお爺さんなんだから。 >>349
もちろん証拠なんてないですよ。DNA鑑定しない限り妄想で書くしかないスレですからw
年取ってからはわからないですが、秀吉は当時としても無類の女好きだったことは間違いありません。
そして、精子は若い時の方が量も多く妊娠しやすいのに秀吉は晩年まで子供が出来なかった。
この時点で無精子症は確実だと思います。 秀吉側の要因ばかりじゃなく、女側の要素も必要だろ。
他の多くの側室が全員石女だったとは考えにくいが、
織田家は多産系。
淀の妹の江与は秀忠との間に多くの子を生しているし、秀忠との結婚前にも産んでるよね。
淀も他の女よりは妊娠する能力が高かったんじゃないか。 >>351
淀殿の妹・初は子供を産んでいないよ
京極家へ嫁入った江の娘・初姫も子供を産んでいない
それに秀吉の側室には淀以外にも織田系の娘がいるが
(織田信長の娘・織田信包の娘)
淀以外は誰一人秀吉の子を産んでいない >>348
「大仏の くどくもあれや やりかたな くぎかすがいは 子たからめぐむ」
男の種無しというのも知られてはいた
種無しの関白が子たから(鶴松)に恵まれたのは
刀狩りして大仏作りの釘や鎹にするといううたい文句の功徳かいなという
暗に鶴松の出生疑惑を絡めた中傷 >>351
既出だけど秀吉の側室が下賜されて子供を何人も授かってるケースが複数確認されている。(摩阿姫、種)
このことからも女性側が石女だった可能性はない。 初めて知ったんだが香の前って秀吉に囲碁で勝った戦利品として部下に下賜されたんだなw
福島瑞穂が聞いたら発狂しそうな話だなwww 逆いいうと、女を褒美に出来るくらい マブい女だったという事で
それも、このスレに合わせていえば、 秀吉が飽きるくらいやりまくった後に
払い下げられたという事、 しかも子供出来なかった >>356
さらに下賜された香の前を伊達政宗が取り上げて子供を2人作ったっていうんだから、余程いい女だったんだろうな。 家康の祖母の華陽院なんか二度や三度どころじゃないしね。 相手は僧侶だろ
僧侶が相手なら、生まれて来る子供も仏の加護があるから
不義から出来た子供だとしても災いは起こらない
女って生き物は大抵そんな事を真剣に心配する生き物なんだよね・・・ これほど歴史の見方を変える鑑定もないだろう
子孫もいないし、是非やって欲しいわ 秀次は間違いなく、秀吉の甥だったんだろうな?
他種の養子よりは、実の甥の方がマシだと思うが。
ボケてたから、実子と信じてたようだが。
秀次は秀吉の実子(いとこ)ではなく、他人のために一族郎党殺されたことになるよな。 秀吉は痴呆が入ったのは間違いないでしょ。
秀次がいれば徳川家康の出番なんか無かったのに。 経産婦のジョゼフィーヌ皇后との間には子供が生まれず、マリー・ルイーズ皇后やヴァレフスカ伯爵夫人との間には子供が出来たナポレオンの例もある。
怪しい怪しいと思っていると、怪しくない話まで怪しく見えてしまうのではないかな。 秀吉は大の女好きなのに淀殿以外は誰も子供を産んでいない(長浜時代は不確かなので除く)
淀殿が妊娠した頃、秀吉はお漏らしをする耄碌ジジイ
ナポレオンと一緒にしちゃいかんよ 秀頼が秀吉の実子だと思ってる奴なんているのか?
秀吉恩顧の武将もおかしいと思ってただろうし、迷っただろうな。 服部の名前はちょろっと出てきたけど
千鶴おばばの名前がどうしてでてこない? 石田三成と浅野長政か石田三成と黒田長政だ!
理由は浅野、黒田が石田三成を襲ったからだ!!!
やっぱり俺は天才だろー。 マスゴミ・売国奴・医療業界が隠そうとする真実---------------------安楽死---------------------奴隷に勝手に死なれては困る
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https://www.youtube.com/watch?v=8nU2UaSlGx0
自殺は後遺症が怖い!だから-----------------------------------安楽死制度-------------------------------------安心して生きるために まーだ6000年前の日本で小麦作をしていた事も知らない馬鹿がいるの?
6000年前に日本はもう小麦作をしていたんですよ。中国よりも先になwwww
岡山市の縄文時代の貝塚「朝寝鼻(あさねばな)」を調査している岡山理科大の
考古学チームが1999年4月21日、「縄文前期の土壌から稲の細胞に含まれる
プラントオパールが見つかった」と、発表。約6000年前に「米作り」が
行なわれていたとする発見で、稲作の歴史が縄文前期にまでさかのぼることになった。
このプラントオパールはイネ科の葉の細胞内に含まれるケイ酸体の粒子で、同貝塚の
下層(深さ2メートルの土壌)からのサンプルを採り調査したところ、356点の
サンプルから10点、形状からジャポニカ(短粒種)とみられる稲のプラントオパール
が検出された。また、稲のほか小麦とハトムギのプラントオパールも見つかった。
http://www.local.co.jp/news-drift/agri-99kome.html
稲のほか 小麦 とハトムギのプラントオパールも見つかった
稲のほか 小麦 とハトムギのプラントオパールも見つかった
稲のほか 小麦 とハトムギのプラントオパールも見つかった まーだ6000年前の日本で小麦作をしていた事も知らない馬鹿がいるの?
6000年前に日本はもう小麦作をしていたんですよ。中国よりも先になwwww
縄文時代前期とされる岡山県灘崎町、彦崎貝塚の約6000年前の地層から、
稲の細胞化石「プラント・オパール」=写真=が出土したと、同町教委が18日、発表した。
同時期としては朝寝鼻貝塚(岡山市)に次いで2例目だが、今回は化石が大量で、
小麦などのプラント・オパールも見つかり、町教委は「縄文前期の本格的農耕生活が
初めて裏付けられる資料」としている。
http://inoues.net/science/wan.html
今回は化石が大量で、 小麦 などのプラント・オパールも見つかり
今回は化石が大量で、 小麦 などのプラント・オパールも見つかり
今回は化石が大量で、 小麦 などのプラント・オパールも見つかり
今回は化石が大量で、 小麦 などのプラント・オパールも見つかり 淀が多産家系だから、他の側室より妊娠する確率が高かったというレスがあるが
それなら、寧々の姉妹も子沢山だし、寧々だけ子供がいないのはおかしい
そもそも、あの時代なら3,4人産んでも普通だから、とびぬけて多産だったわけじゃないよ
大野治長は乳母子だから、淀のプライベートな場所にも入れるし
事実、名護屋城にも一緒に同行している
京極竜子は側室一お気に入りで、淀と一緒にあちこち連れまわしていたが
1度も子供を授かっていない、全夫の間には2男も産んでるのに
秀頼が不義の子というのは、生まれたときから言われてて
「仏に頼み込んで種が不明の子供が生まれましたね」なんて落書されて
怒った秀吉が犯人捜し出して処刑してるし
フロイスですら「秀吉は種なしだと思ってたのに子が出来た」と書き記しているよ >>375
現代医学の研究結果では子供が生まれない場合、その理由の95%くらいは
男のほうに原因が有るとされている。秀吉がたくさんの女を抱えながら子が
できず、竜子のような経産婦にも妊娠させられなかったのは、秀吉に子種が
無かったから、ということが最大の理由であろう。
ならばなぜ茶々が子を産んだかと言えば、秀吉も承認のもと、石田三成が孕
ませた可能性が大きい。その理由は子が無いと政権の安定ができないからで
あろう。後年、石田三成がなぜ関が原に立ちあがったかを考えると、事実上
わが子の秀頼のための親心だったのではないだろうか。 >>376
血のつながった甥だかをわざわざ殺してるのに? >>377
当時の人心としては、甥では後継者として弱いと見られたからだろう。家康も
長男は自害し、次男は他家へ養子に行った経歴から、後継者からはずされた。
家康の後を継いだのは三男の秀忠だった。それは後継者はどういう人物がふ
さわしいと当時の世間が考えるか、認めるかという実例だと言っていい。
秀吉には姉や妹の子を養子にした秀次、秀秋などがいたが、結局のところ後継
者としては弱いとされた。結局、生まれた時から秀吉の実子とみなされる人身
御供の子供が必要だったのだ。豊臣の天下を続けて行くために。それだけに石
田三成は茶々とわが子があわれで、関が原に立ち向かわねばならなかったのだ。 >>366
女好きの老人を知ってるが、若い女の子を周囲に集めてもセクロスはしない。
秀吉は後継者が欲しかったからしたろうけど、体力気力の問題もあってそんなに頻繁ではなかったんじゃないか。 まあ・・・そんなこと分からんけど恐らく秀吉の子では
なかったんじゃないかいうと想像は普通にするよ。 まあ、年取ってからはじめて子供が出来ると「あれは実子じゃない」と言われるんだわ、どこの国でも。
「ルイ14世の実父はマザラン枢機卿」とかね。 秀次粛清は秀次の大名統治政策が政権存続に対して不都合だからだろう
平たく言うと甘すぎた
豊臣恩顧を一つ一つ虱潰しにしていった秀忠の性格の悪(ゴニョゴニョ政治力には及ぶべくも無かった
秀頼が実子でない可能性は秀吉自身感じてないとウソだよ
でもこの期に及んだら後継者の替わりはもう無いわけで
実子とか血統とかもうそんなのもうどーでも良かったのだろう
もっと言えば伏見退去を遺言した時点で執政者としての存続ではなく
執政者に正統性を与えるポジションでの存続を望んだのではないか
あれほどの現実主義者の秀吉が秀頼に大政奉還されると信じていたとは思えない >>383
そんな秀吉も、秀次事件で秀次の義兄(正室の兄)で腹心だった池田輝政を存続させるという
かなり致命的なチョンボをしているけどね。輝政の父の池田恒興の恩だったと言うが、
池田輝政が秀次の遺臣を糾合して秀頼に害をなすことは容易に想像できたはずだし、
事実、その通りになった。
秀次事件時に石田三成、増田長盛とも池田輝政の危険性は読んでおり、池田一党の
根絶やしを強硬に主張している。 輝政に督を引き取らせたのは徳川の内情探らせるためだったろうけども
よもや親の仇に取り込まれることはなかろうと >>385
あれは石田三成による姦計で、秀次を潰す際に、連座確実の池田輝政に、
さらに家康まで連座させようと仕組んだとも言われている。 先日、民放BSの歴史解明番組でも淀が取り上げられてたけど
秀頼が実子じゃない説は「監視の厳しい状況で浮気は無理」と
一蹴されて軽くスルーされていた。残念。 >>224
亀レスだけど
藤だって、クーデターで分捕った家格でしょう 大坂城内での密通は無理とする小和田先生の見解と
服部先生の説は相反するものではないので、これでほぼ決まりではないか。 血判状からDNA鑑定できないのかな?
秀吉も秀頼もありそうだけど 「看羊録」に「秀頼は秀吉公の実子ニアラズ」「大野治長と密通し捨君と秀頼君を生ませ給う」
とあるそうだ。毛利家臣の内藤隆春の手紙にも、淀殿と大野治長の密通が書かれているらしい。
ソースはこの本
http://www.e-hon.ne.jp/bec/SA/Detail?refShinCode=0100000000000033384240&Sza_id=A0 秀吉の子ではないことが証明されれば大事件になる <
分権的には証明されたようだが、大した事件になってないなWW 角界にデビューすれば江戸時代もモテる人気力士として過ごせたろう。 淀君は身長170近い当時としては大女だったらしい
秀頼の巨漢ぶりは母方の遺伝だろう 6000年前に日本はもう小麦作をしていたんですよ。
ヨーロッパ、アフリカ、中国よりも先になwwww
縄文時代前期とされる岡山県灘崎町、彦崎貝塚の約6000年前の地層から、
稲の細胞化石「プラント・オパール」=写真=が出土したと、同町教委が18日、発表した。
同時期としては朝寝鼻貝塚(岡山市)に次いで2例目だが、今回は化石が大量で、
小麦などのプラント・オパールも見つかり、町教委は「縄文前期の本格的農耕生活が
初めて裏付けられる資料」としている。
http://inoues.net/science/wan.html
今回は化石が大量で、 小麦 などのプラント・オパールも見つかり
今回は化石が大量で、 小麦 などのプラント・オパールも見つかり
今回は化石が大量で、 小麦 などのプラント・オパールも見つかり
今回は化石が大量で、 小麦 などのプラント・オパールも見つかり 6000年前に日本はもう小麦作をしていたんですよ。
ヨーロッパ、アフリカ、中国よりも先になwwww
岡山市の縄文時代の貝塚「朝寝鼻(あさねばな)」を調査している岡山理科大の
考古学チームが1999年4月21日、「縄文前期の土壌から稲の細胞に含まれる
プラントオパールが見つかった」と、発表。約6000年前に「米作り」が
行なわれていたとする発見で、稲作の歴史が縄文前期にまでさかのぼることになった。
このプラントオパールはイネ科の葉の細胞内に含まれるケイ酸体の粒子で、同貝塚の
下層(深さ2メートルの土壌)からのサンプルを採り調査したところ、356点の
サンプルから10点、形状からジャポニカ(短粒種)とみられる稲のプラントオパール
が検出された。また、稲のほか小麦とハトムギのプラントオパールも見つかった。
http://www.local.co.jp/news-drift/agri-99kome.html
稲のほか 小麦 とハトムギのプラントオパールも見つかった
稲のほか 小麦 とハトムギのプラントオパールも見つかった
稲のほか 小麦 とハトムギのプラントオパールも見つかった 偏見抜きでまとめるとこんな感じか
【姦通説】
女好きの秀吉に子供が全然出来なかったので種無しの可能性が高い。
淀だけに子供が生まれるのは不自然。
【実子説】
実子かわいさじゃなければまがりなりにも血のつながった秀次への仕打ちが説明できない。
秀次を排除する理由があったとしても高野山に追いやれば十分。 >>376
三成は違うよ。確か秀頼を孕んだ頃は朝鮮にいて不可能
その点、乳母子の大野治長は常に一緒に行動していて
厳しい監視をかいくぐれる隙はある
名護屋城まで同行してるんだから >>398
秀次を排除する必要があったのは、秀次をそのままにしておけば、
秀次派閥が秀次を立てて変なことをする可能性があったからだよ。
秀次の義兄の池田輝政、浅野長政の嫡子幸長、秀次の側近前野長康、
木村重茲、及び事実上の副将だった田中吉政、更には中村一氏、
山内一豊、堀尾吉晴らが危険過ぎた。 その割には池田も浅野も田中も山内も堀尾もしっかり生き残ってるんだが…
浅野なんて外戚なんだから、ここ削っちゃ駄目だろうに
ただでさえ一門が少ない豊臣にとっては命綱
そりゃ三成憎しになって徳川につかれるわ
三成が破滅的に人望が無かった理由が分かるな >>401
池田輝政は、石田三成、増田長盛とも死刑にするよう強く秀吉に求めているよ。
池田が秀次の腹心でかつ義兄(正室の兄)だから、秀次を除き輝政を生かすと、
秀次の復仇目的で輝政が秀次残党を糾合し、秀頼に害をなす恐れがあったからね。
これは5年後(秀吉の死後)現実となっている。但し、秀吉は輝政の父恒興から、
天王山、清須会議で受けた恩を理由に、輝政を蟄居、謹慎、譴責以上の処断は
できなかった。(妹の秀次の正室は流石に許されず、六条河原で処刑されたが)
浅野幸長も処刑しようとした。最も、これは三成、長盛とも通ると思っていなかったらしく、
能登に遠流でこれ以上何も言わなかった。秀吉の生前は許されなかったが、
家康の力添えて最終的に許された。
田中も危険ゆえ三成、長盛とも処刑しようとしたが、これも受け入れられなかった。 >>402
まぁ三成らは処分したかったろうけど、輝政は家康の女婿だし(しかも取り持ったのは秀吉だし)、
小牧長久手の合戦では親兄弟を討死させてるし・・・まず無理だわな。
それから、輝政妹も格別の扱で御咎め無し・・つか、処刑された菊亭の娘と勘違いしてるな。 日本史板にはかなり以前から輝政妹が処刑されたと書く人が定期的に現れるのだが、なんなのだろうか。 秀頼が実子なら何で秀吉は秀頼が産まれた時に喜んでないの?
何で「拾いは茶々一人の子にしましょう」「拾は茶々の乳で育てろ、乳が出ないなら茶々が飯食ってなんとかしろや」とか手紙に書いてるの?
何で待望の実子を産んだ茶々に対して「業腹」とか言ってんの?
何で秀頼が産まれた後に茶々の周辺の人間や陰陽師が虐殺されてんの?
何で秀頼産まれた時にお祝いしてないの?
何で秀頼の今後を家康に託すの?何で血の繋がった身内に託さないの?
何が正解かはわからないけど秀頼の父親がどこぞの馬の骨だと思うと案外しっくりくる >>405
秀頼の父親がどこぞの馬の骨なんだとわかってたらそもそも生まさないだろ 男でしかもジジイだったら女の言うことを信じるしかない。秀吉がどう思っているかはあまり関係がない。
寧は口には出さなかったが秀吉の実子とは思っていなかったのではないか。 淀殿が秀頼を孕んだのは朝鮮出兵のために九州へ出陣した秀吉に呼ばれて
名護屋城に滞在していた時だが
すでに関白を譲られていた秀次は京の聚楽第にいて名護屋城には来ていない
よって秀次が父と言うのは無理 秀吉は秀頼が誰かの種であっても、無理やりに自分の種である事を信じようとしたのだろうね。 秀吉が天下人まで大出世できたのは天性の人たらしだけでなく、種無しのハンデを意図的に利用したともいえる。
あいつどーせ実子の世継ぎも居ねーしと、信長から警戒心なく同情も手伝って可愛がられ、先輩や同僚家臣の嫉妬を巧くかわしたのもあるやね。
織田家時代に同盟者の家康や他の重臣のように、まともな嫡子がいたら、本能寺の時、信長の後継者になり得る地位まで昇りつめられなかっただろう。
実際、家康は嫡男の件で、信長からこっ酷い目に遭っているし。 豊臣秀頼の1日あたりの摂取カロリーはいかほどですか? 秀頼の体格については茶々に一方的に似ていた、ということも考えられるが、
顔つきまで秀吉には全く似ていない。
ふつうに考えて、こんなに全く似ていない親子はないだろう。
そもそも、秀頼が5歳のときに秀吉が死んだのは、秀頼が成長してしまうと
秀吉に似ていないのがばれてしまうから、茶々や周囲のものに秀吉が毒殺されたのであって
まさに秀吉と秀頼の血縁関係がないことを物語っている。
秀吉がジジイになってからは、嫌われ者だったと考えられるし。
ちなみに最初の子供も秀吉の子供ではない。
で、鶴松が3歳で死んだのは、その当時、秀吉を毒殺できる環境に無く、子供が成長すると
秀吉に似ていないことが秀吉に察知され、茶々が秀吉以外の男と関係を持ったことがばれてしまう。
それで子供に死んでもらった、ということだろう。
茶々は子供と殿様を殺害した強烈な悪女であるのだが、家族や家臣、世間の安泰を願って
思い悩んだ末の行動に出たのだと思う。 秀吉は「秀頼が自分の種でなくともよい、と考えていた」説について。
秀吉は出世した後も父親の菩提寺を建てておらず、
また取り立てた血縁者も母方だけで父方の血縁が
ひとりもいないところから、私生児説、もしくは
少なくとも「特定される父親はいなかった説」がある。
秀吉の時代の下層農民は苗字を持たず、
村への帰属意識に埋没して生きており、
その性はフリーセックスに近いもので、したがって
血統に対する観念的なこだわりを持っていなかった、という説。
秀吉は旧主筋で美貌の茶々を溺愛しており
その産んだ子なら、誰の子でもよい、と考えていた説がある。
江戸時代を経た現代からは想像できない、
原始的な社会で彼が育っていたことを念頭におけ、という考え方。 >>405
棄と逆なことしたんじゃねい
喜ばない、祝わない
百姓出身ならするだろ >>405
「業腹」は秀吉の子ではないと風潮する者がいるので
秀吉の腹が煮えくり返っているの意味で茶々を怒っているわけじゃないだろう
秀頼には名前が分かっているだけで乳母が2人いるし茶々が一人で勝手に育てろではない
実際はどうであったにしろ秀吉は秀頼が実子だと信じていた(或いは信じたかった)
>>415
秀吉は父親の菩提寺を建てなかったが秀吉自身、天皇の落胤説などを流布していたことなどにもよるのだろう
秀吉自身は豊臣家の氏寺として方広寺を建てており
秀吉の死後は方広寺の側に軍神の八幡神として秀吉自身を祀り
豊臣家の氏神とせよという構想があったらしい
鶴松の菩提寺・祥雲寺(大坂の役後、家康がぶっ潰した)は方広寺の隣にあったし
自分は豊臣家の始祖となり以降は続いていく構想はあったのだろう どんなに女抱えてもほぼ子供出来なくて、秀吉かなしかったろうな
よその武将はそれなりにポコポコ子供できてんのに
天下人で栄耀栄華なだけに、かえって際立つ これだけはどうしようもない
苦しげにあちこちから養子養女迎えてるけど、ほんとなら実子ぼんぼん作って
政略結婚とか自在にやりたかったろうな
朝日姫を離縁させてまで狸爺にやるところなど涙ぐましいわ
一代運の武将ってこんなもんかね 30人以上の側室を抱えて、子供が5人だか7人?
秀次も、少ないなあ 体質・遺伝というか、家系的なもんかな
弟の秀長も、3人か…女の子2人は育ってる ☆ 日本人の婚姻数と出生数を増やしましょう。そのためには、公的年金と
生活保護を段階的に廃止して、満18歳以上の日本人に、ベーシックインカムの
導入は必須です。月額約60000円位ならば、廃止すれば財源的には可能です。
ベーシックインカム、でぜひググってみてください。お願い致します。☆☆ 「秀吉の子ではないことが証明されれば大事件になる」 っていうのはどうして?
秀吉の子である。ということだって証明されてないから同じこと。 >>421
秀吉の遺命で、京・阿弥陀が峰に秀吉の墓があるんだが、明治大正の頃にその墓を一度開けてる。
甕に入ってたらしいんだが、家康が豊国廟や方広寺を破壊した時に遺体を損壊し捨てた、の説は
間違いだとわかったらしい。その頃は文化財保護の発想が無いので、めっちゃぞんざいに扱われて、
遺体は粉々になって、布でくるんでまた葬った、との記載が残ってるらしい。
開けた時は、うずくまった形でちゃんと人の姿で綺麗に残ってたらしいよ。
その粉末から、DNAが取れるかどうかだけど、秀頼のDNAが取れないな 日本史より謎な金儲けできる方法とか
グーグルで検索⇒『羽山のサユレイザ』
JMOH2 とても簡単な稼ぐことができるホームページ
念のためにのせておきます
検索してみよう『立木のボボトイテテレ』
MY4 豊臣家を潰したのは淀殿だな
女に政治をやらすとろくなことにならない
もっとも、淀に漬け込まれたおねにも大きな責任がある
おねが嫡子を生んでいれば良かっただけの事だ
そして子のできぬおねを嫁にした秀吉も元凶だろう
そもそも秀吉を武家にした織田信長にその責任がある
織田家が戦国大名にならなければすべての問題は無かった
そういった意味で室町幕府の失態となった応仁の大乱、
時の室町幕府将軍家に最大の罪があると思われるが、
そもそも室町幕府など南北朝のドサクサで足利尊氏が、
天皇を裏切って作った似非幕府だ。
この足利を押さえられなかった前北条に原因があり、
その北条に鎌倉幕府をのっとられた源氏が悪い。
そもそも、源氏が勢力を増した原因は平家の温情にあった為であり、
平清盛が頼朝など助けねばこうなはらなかった。
平家は元々はただの武家であり公家の下にいるべき者たちだ。
武家の増徴を押さえられなかった原因は、平安時代に安穏の暮らした
公家たちにあり、その頂点たる天皇家の責任は逃れられない。
結論
天皇が一番悪い
と、おもったが。そもそも天皇は天津神の系譜に連なり、
その天津神が日本を作り、天孫降臨して天皇家になる。
ということは、一番悪い奴は「神」様である。
しかし、その神を生んだものは・・・と考えていくと・・・・
責任押し付け論でどこまでも逝けますが、どこらへんで終わらせたい?www >>423
徳川家康が壊したのは豊国廟と豊国神社な
方広寺は徳川家寄りの妙法院の管轄になって江戸時代も残っていた
豊国廟を壊したとき秀吉の遺体は捨てたのではなくそのまま地中に放置され
上の廟所がなくなったためにどの位置に埋めたのか分からなくなっていた
明治時代に秀吉の遺体らしきものが見つかったときはぞんざいに扱ったので粉々になったのではなく
風化していたので粉々になったんだよ
石棺でも水が入れば骨が残らないのに木の棺で遺体が残っていることすら珍しい 秀吉の歯も見れちゃう!豊臣秀吉を祀る京都「豊国神社」
https://www.travel.co.jp/guide/article/19168/
さらにびっくりする展示物も!なんと豊臣秀吉の歯が展示されているのです。古くから秀吉に仕えた子飼衆で、
賤ヶ岳の七本槍・七将の一人である加藤嘉明に秀吉本人が送ったものだそう。さらにこの歯から豊臣秀吉の
血液型はO型だったことがわかったんだとか。
豊臣秀頼公 - 玉造稲荷神社
https://www.inari.or.jp/midokoro/hideyori/
胞衣塚大明神
秀頼公と母・淀殿を結ぶ胞衣(卵膜、胎盤など)が鎮まる。胞衣は、母の体から共に生まれ出だしたものゆえ、
当時では特に神聖なものとして、また秀頼公の「分身」として扱われた。 >>426
秀吉は北政所や淀殿といった豊臣の女たちではなく
外様の徳川家康に全権を渡しちゃったから滅んだんだよw
そもそも正室が嫡男を産まなかったときのためだという名目で
諸大名は側室をガンガン置くことが認められていたのだし
家康は正室が産んだ嫡男の信康を切腹させ側室をガンガン娶り
跡取りの秀忠も御三家の祖もすべて側室腹
北政所が嫡子を産まなかったことも直接の要因ではない 秀頼は197cm160kgと言われている
ちょうど死んだ貴ノ浪みたいな体格だったと思われる
150cmもなかった秀吉の子供というのはちょっと無理がある
ってか大塩平八郎が217cmあったり大阪はちょっとおかしいw 確かに妙な話だが、遺伝ってのは何が出るかわからないんだろ?
まぁ限りなく怪しい話だが… 秀頼が生まれた日から起算すると、秀頼は秀吉が肥前名護屋城にいたときに懐妊した子という
ことになる。秀吉が名護屋城にいたときに淀君を呼び寄せたのか。
淀君が名護屋に来たという文書がある。
たしか常陸の佐竹氏の家臣が書いた文書で、淀君の一行が自分の前を通って行ったというような
ことが書かれているという。
しかし、秀吉が呼び寄せたのは京極竜子だとするのが一般である。
当時秀吉は竜子に夢中であり、どこにでも連れて歩いていた。
佐竹の家臣は、竜子の行列を勝手に淀君の行列だと思ったのだろうという。 教室で生徒にアカ教育をしていた
元高校教師・柏尾洋介は地獄へ落ちたかな >>426
>そして子のできぬおねを嫁にした秀吉も元凶・・・・・・
深夜に錯乱長文投稿だな。正妻「ねね」が石女?
茶々以外の側妾の誰も子を産まなかったのだから
子のできぬ原因は秀吉だろが。 >>402
天王山や清洲会議で受けた恩を仇で返した秀吉
小牧・長久手で池田父子や蘭丸の兄を見殺しにした(戦死させた) >>444
見殺しにしてないだろw
小牧・長久手の戦いに秀吉方で参加した池田恒興は
家康方の奇襲攻撃に巻き込まれて戦死した
その中には恒興の娘婿森長可もいた
秀吉はこれを悔やんで恒興の嫡男輝政に大封を与えて取り立てている
それを言うなら輝政は父を殺した仇である家康の娘・督姫(北条氏直のお下がり)を
よくありがって後室に迎えるなあ、とw ■ このスレッドは過去ログ倉庫に格納されています