【今こそ】豊臣秀頼は誰の子?【DNA鑑定】
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秀吉の子ではないことが証明されれば大事件になる
秀頼の娘からDNAは採取できないものか >2
秀頼の娘(天秀尼)は大阪の役後幼少の時に出家させられて
鎌倉東慶寺に入り、のちに住職になったから東慶寺に墓がある 加藤明成てマジ基地外
天秀尼といえば父親の旧主の孫娘なのに 秀頼が秀吉の子じゃなければ、大阪の陣で豊臣恩顧の大名連中が裏切ったのも納得できるんだがなぁ
何とか調べられないものだろうか 一般的には大野治長が有力視されているね。
秀次を除いた執拗さからすれば、石田三成説も否定はできないが。 >>6
>秀頼が秀吉の子じゃなければ、大阪の陣で豊臣恩顧の大名連中が裏切ったのも納得できる
とっくに考証ずみ
服部英雄『河原ノ者・非人・秀吉』山川出版社 >>8
本当の実子かどうかはおいといて、秀吉自身は秀頼が実子だと信じてたんじゃないのか
その本は秀吉が実子でないことを充分知った上で秀頼を容認したとあるが、理由が弱い。
秀吉は血が繋がらない秀頼のために血の繋がった甥である秀次を殺している。
しかも、秀頼は赤ん坊時代の秀頼の口を吸って溺愛してるんだよね。
赤の他人にこれはきつい。 >>9
当時の秀吉はどう見ても耄碌したボケじじいだろ
正常な判断なんか出来ないよ 正直いうとあれは俺のせんぞだぎゃ
わての先祖がこましたったんや >>9
>>8で紹介した服部本は、中世〜近世の被差別民について研究した書物で、
被差別民そのものの諸相を研究したPart1が全体の3分の2、秀吉や秀頼
を研究したpart2といえる部分が残りを占める。
で服部本の主張では、
秀吉は、自ら選んで淀に男をあてがい、長男鶴松が生まれた。
鶴松が死んだので、秀吉が名護屋城につめている間に、淀はみずから
男を引き込み、秀頼を妊娠した。
あとで築いた秀吉は、激怒して、手引きした侍女や従者たちを処刑した
が、淀本人は許し、秀頼も実子として認知した。
大阪冬・夏の陣で豊臣恩顧の大名たちが、ほぼひとつの例外もなくあっさり
豊臣家の滅亡に加担したのは、秀頼が秀吉のタネではないことが周知だった
ため。
秀吉が、
・淀に男をあてがう。
・秀吉が、自分のタネではないと知っていながら秀頼を実子扱い
などを行ったメンタリティーの実証が、本書Part2のキモ。
要約・紹介する文章力はないが、なかなか説得力があったので、ぜひ自分で読んでもらいたい。
、 >>8
立証されたのにまだ定説化してないのはなぜ? >>12 秀勝の名を執拗に使ってるのは、やっぱ実子と信じてたからだろうね >>16
でも最終的に秀頼には秀勝の名をつけていない
石松丸は秀吉の子だったという決定的な史料はなく
むしろ秀頼よりも怪しいだろ ■ このスレッドは過去ログ倉庫に格納されています