【今こそ】豊臣秀頼は誰の子?【DNA鑑定】
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秀吉の子ではないことが証明されれば大事件になる
秀頼の娘からDNAは採取できないものか >>9
>>8で紹介した服部本は、中世〜近世の被差別民について研究した書物で、
被差別民そのものの諸相を研究したPart1が全体の3分の2、秀吉や秀頼
を研究したpart2といえる部分が残りを占める。
で服部本の主張では、
秀吉は、自ら選んで淀に男をあてがい、長男鶴松が生まれた。
鶴松が死んだので、秀吉が名護屋城につめている間に、淀はみずから
男を引き込み、秀頼を妊娠した。
あとで築いた秀吉は、激怒して、手引きした侍女や従者たちを処刑した
が、淀本人は許し、秀頼も実子として認知した。
大阪冬・夏の陣で豊臣恩顧の大名たちが、ほぼひとつの例外もなくあっさり
豊臣家の滅亡に加担したのは、秀頼が秀吉のタネではないことが周知だった
ため。
秀吉が、
・淀に男をあてがう。
・秀吉が、自分のタネではないと知っていながら秀頼を実子扱い
などを行ったメンタリティーの実証が、本書Part2のキモ。
要約・紹介する文章力はないが、なかなか説得力があったので、ぜひ自分で読んでもらいたい。
、 >>8
立証されたのにまだ定説化してないのはなぜ? >>12 秀勝の名を執拗に使ってるのは、やっぱ実子と信じてたからだろうね >>16
でも最終的に秀頼には秀勝の名をつけていない
石松丸は秀吉の子だったという決定的な史料はなく
むしろ秀頼よりも怪しいだろ >>18
大野治長の母大蔵卿局が淀殿の乳母
大野治長は淀殿の乳母子 >>13
大原麗子の「春日局」で実際に演じていた。へったくそな演技だったが 淀殿としては相手は誰でもいいし、どうせなら無名の方が後々問題が起こらないから都合がいいと考えるはず。
石田三成とか大野とか却って面倒なだけ。 大谷吉継。
吉継は秀吉の子だから、秀頼は孫になるわけだ。
関ヶ原で討ち死にや自決した西軍武将って吉継しかいない。
その気合に入り方からして事実としていいだろう。 もし、秀次を殺さないまま秀吉が死んだ場合
秀次は素直に秀頼に関白職を譲っただろうか? >>26
難しいが、そこはやり方次第だろう。
ただ、秀次を除きたかったのは、むしろ秀頼の本当の父親、大野治長か石田三成のどっちかだろう。
どっちかは知らんが、このいずれかであることは確かだろう。 つまりは、秀吉存命期には関白秀次は
「秀頼成人までの後見人として補佐するが、成人後は秀頼に関白を譲る」
と約束したとしても、秀吉死後はそれを反故にする可能性が有った。
はたまた秀次派と秀頼派で豊臣政権内の内紛が勃発する可能性は有った。
と成れば淀君や大野治長や石田三成が遅かれ早かれ秀次を討とうとした訳だから
秀吉が秀次を切腹させたのは「家康」という存在さえいなければ最良の選択肢だったのかも。 淀殿が秀頼懐妊した時点で三成は朝鮮にいた事を知らない人って結構いるのか? >>29
>淀殿が秀頼懐妊した時点で三成は朝鮮にいた事を知らない人って結構いるのか?
いるみたいだ。
秀吉が秀頼を自分の子でないと書いてることも知られてないみたいだし。 >>14
さすがにその本はおかしい
噂はともかく、諸大名が秀吉の子じゃないと認識してたら、
家康は大坂の陣を経ずに、スムーズに天下を取れてたよ
大坂の陣でも、家康がそれを宣伝文句にしていたはず
あと加藤清正も浅野幸長も、家康の次男の結城秀康も、
秀頼の身を心配して、生前は動いていた 内心は秀吉の子じゃないと疑いつつも、
秀吉が生前溺愛してた子だし、
信長や浅井の血と繋がってるのは確実なわけで、
諸大名も苦悩したんじゃないかな 秀次事件と朝鮮出兵のどちらかがなければ豊臣家は潰れなかった。 「秀次事件がなければ、豊臣家は潰れずに済んだ可能性もある」と言われれば、
誰もが「そうだねぇ」と思う。
でも、「どちらかがなければ豊臣家は潰れなかった」とか断定されると、
正直にいって「何を根拠にそんな断言できるの?」としか思わん。 >>30
>秀吉が秀頼を自分の子でないと書いてることも知られてないみたいだし。
これは知らない。詳しく教えてほしい。 秀吉の実子だろうがそうでなかろうが関係ないだろ。
あくまでも豊臣家を継いでいるんだから。 >>30
俺も知らんので、どこに何て書いてあるのか詳細キボン
>>36
初めから養子だと言って養子なのなら問題ないけど、
実の子であるということになってるのに、実は他人の子だったってことが判明したら
それが関係ないわけがない。継いでるからとか、そんな問題じゃない。 >>37
いや、そういう問題だからw
後継ぎは後継ぎ この時代はDNA検査なんてないから、証明のしようがないw
源氏物語でも、本当は光源氏の子なのに、
桐壷帝の子として認められて、成長して天皇として即位しちゃった 秀吉の実子では無かったとしても、当時は調べる術が無いんだから仕方無い。
秀次事件が無かったとしても、豊臣家は秀次派と秀頼派で分裂する可能性は否定出来無かった。
秀吉の死後、秀次が秀頼成人後に関白職を譲り、隠居したとすれば
豊臣関白政権は続き、「江戸時代」では無く「大阪時代」に成っていたかもね。
てか、秀次事件よりも家康が秀吉・利家と同時期に死んでたら普通に豊臣政権は続いてただろ。 http://book.asahi.com/booknews/update/2012090400007.html
秀頼妊娠を知った秀吉が正室の北政所に送った手紙に少しも喜んだ様子が見られないこと。
「『生まれた子は茶々一人の子でよい』
父親候補としては、子宝が授かるための祈祷(きとう)などができ、陶酔状態が作れる
宗教者。状況証拠などから唱門師(しょうもじ)(陰陽師)が有力」
さらに望まれなかった妊娠の傍証として、服部さんは、秀吉が大坂帰城後、茶々付きの女房
(侍女)や僧侶、唱門師を大量に処刑・追放したことをあげる。「秀吉は茶々本人こそ責め
なかったが、女房の処刑で監督責任を問うた。唱門師らの追放は妊娠の原因がそこにあった
ことを示唆するのでは」
「当時日本に滞在していた宣教師ルイス・フロイスは、鶴松も秀頼も秀吉の子と信じる者は
いない旨、記している。 >>39
DNA検査が無くて証明できないなら、
光源氏の子供かどうかだって分からないだろw 秀頼がいなければ家康の天下にならなかった。
つまり家康に天下を譲るためにあえて秀頼という捨て駒をでっちあげて
それを撃ち滅ぼさせるという秀吉の深慮遠謀。 秀吉は穢多、つまり縄文系の人種だ。
www.akanbou.com/news/news.2004092701.html
縄文系の男性の精子の数が少なく、無精子症になる確率が高いことが、1999年に厚生
省(当時)の研究班の調査で判明しています。この調査研究は今回の研究に従事して
いた徳島大学の中堀教授が担当しており、同教授は、調査結果の原因として、遺伝的
に精子形成能力が異なっている、もしくは、遺伝タイプによって内分泌かく乱化学
物質(環境ホルモン)などへの 反応性が違う可能性がある、と指摘しています。 よく考えれば源氏物語ってすげえな
今、小説でも、天皇が実は天皇の実子じゃありませんなんて書いたら、
大変なバッシングだぞ 戦前だったら拷問だな 唯一、猿が自分の子でない事をはっきりと間違いなく分かる場合があるよな。 >>13 >>21
茶々役 喜多嶋舞
お市役 内藤洋子
納得 >>36
養子は血筋もわかってるし、それなりの名門から迎え入れるが、秀頼は誰の馬の骨ともわからない奴が父親なんだぞ
しかも大恩ある秀吉の血をひいていない
そんな奴に命を賭けれるか? >>41
秀頼は身長2m体重120キロの巨漢だったというから、処刑された坊主の中に巨漢がいれば、
それが父親だな。 秀頼が本当に秀吉の子なら豊臣恩顧の大名が秀頼のぶっ殺しに手を貸さないよな
みんな家康に嵌められたらふりして本当は秀頼の出自を疑ってたんだよ DNA鑑定できれば歴史の闇がはっきりするのにな
豊臣の場合は子孫がいないから遠慮なくやってもらいたいものだ せっかく新説を紹介したのに、スレの住人さん、まだだれも目をとおしてくれないんだな……。
>>31
>さすがにその本はおかしい
コメントはうれしいけど、読んだ上で、著者氏の論証を検討してくれたら、もっとうれしい。
>>37
30氏のいうのとはちがうかもしれないが、>>14で紹介した研究書は、
・初子鶴松は、秀吉がみずから淀に男をあてがって生ませた
・次子お拾いは、淀がかってに男をくわえこんで生まれた子で、激怒した秀吉
は男を手引きした侍女や従者を処刑したが、淀本人は許し、秀頼も認知した
という立場をとっている。 鑑定しなくても秀吉の子のはずがない
どこかの糞坊主とかの子供だろ
徳川に攻められても誰も助けなかったことからも明らか もうあれだ、処女じゃないけど処女懐胎でいいわ。
淀君はでんでんむしと同じで雌雄同体で単性生殖で生まれたのが秀頼。 >>57
間男の子供となんら変わらないじゃんwww
そこは、秀吉の懐胎じゃないと >>56
織田三法師の天下を簒奪されても、何もしなかった織田家恩顧の諸大名w _. ‐''"^``丶、
,r'" `ヽ、
,r'" `';i,
,i;'´ 二  ̄ ‐ -- ';i, ジャムリン容疑者の人相
,i;' ‐ -- ';i,
,i;' _ -‐- -‐- 、 ';i,
i;' /‐''" ̄`  ̄`ヽ\ i;i 特徴@ 頭頂部がハゲてる
n __ _...._ i;h
| | : = <●\ ∠●>-=: i| | 特徴A 後頭部もハゲてる
ト|: ` ̄  ̄´ : | |
l」: / ヽ lノ 特徴B 全体的にハゲてる
l (__ __)ヽ l
l ( ';';';';`ー'´;';';';',';
l: . r‐===‐ 、';i /
∧:: : . ヽ士土±ノ : . : :/
/{ \;: . `二二二´. : ::/ト 、__
/\二\ ヽ、;';';';';';';';';';';'/ `iニヽ ヽニヽ
/ \ニニ\ ヽ`二二二´ / |ニヽ \ニ\
/三\ \ニニ\ ヽ i ノニニヽ \ニニ\ 秀次が後継者だったら徳川の出る幕はなかっただろうな 間男の子供なんかに誰が命かけるんだよ。
そういうことだ。 >>59
織田家は成り上がり者だから仕方ない
秀吉みたいに天下を統一した訳じゃないし そうそう、信長は「なんちゃって平氏」だけど
秀吉は「正真正銘の豊臣氏」で、立派な貴族だからね?www >>64
豊臣氏は関白だからね
織田とは官位が違いすぎ >>63
堀秀政ぐらいか
織田家が没落するの嘆いてたの でも、秀吉は非人だし、秀吉の母は何人もの子がいて、父親は全員違う。 >>69
推測と仮説だらけの本を読んでどうしろと? >>70
当時の記録に、秀吉が猿真似芸をしていたとか、針を売っていたとか、非人のすることを
したいたことを、出典も示して書いている本は、単なる推測じゃないでしょ。
秀吉の出自について書かれたものとして、これ以上信用できる本はない。 >>71
手紙で喜んでないから秀吉は知っていた
女中を殺したから秀吉は知っていた
推測の部分は妄想レベルじゃねーか
出典との繋がりが希薄すぎて意味なし 素朴な疑問良いすか?
よく「何で淀君だけ2回も妊娠するんだ」という話が出てくるけど、当時の秀吉は淀君以外の女性ともセクースしてたんすか? 石田三成「俺は秀頼公を仕込んでいた時期に朝鮮に行っていたから違うぞ」 秀頼の娘の墓は所在がわかってるから、あとは秀次か秀長と比べればDNA鑑定できるんじゃね 加藤清正の虎退治は、虎の肉の塩漬けを、精力剤として秀吉に献上する目的だったとも言われてるな。 >>72
>>67に書いてあることと、話が全然違ってきてる。馬鹿ですか?
>>67
>でも、秀吉は非人だし、秀吉の母は何人もの子がいて、父親は全員違う。 >>81
本の信憑性について反論してるんだろ
真正の馬鹿ですか?ww 大坂の陣で豊臣を見限った諸大名はそう思いたかったんだろうね
しょせん秀頼なんて太閤様の子じゃないしって >>83
みんな迷ったんじゃないかなぁ。実子がどうかって何となく解るしね。でも淀殿以外は誰も確信が持てないという気の毒な展開で・・ だれも実子とは思ってなかったらしいね。
ルイスフロイスが書いてる。 秀吉は、妊娠時期に九州にいたわけで、
やってないのにできたことは分かってるよ。 >>87
一応、早産なら辻褄が合うんじゃなかったっけ
一応ね なんで秀吉は、長期出張中に妊娠した妾の子のために甥とその家族を殺したんだろうか。ボケが来てたのかな。 おそらく秀頼のタネを淀に仕込んだのは秀信か有楽さんだと思うよ。
秀吉なりの織田家への罪滅ぼしだよ。 >>91
秀信はともかく、有楽はあり得ない。有楽が秀頼の親なら、間違いなく大阪城もろとも
滅びる道を選んだはずだ。確かに秀信のラインも捨て難いが、やはり最後まで大阪城と
運命を共にした大野治長の可能性が高いと言わざるを得ない。 ついでに言うと、織田家の血筋を残す、というかもしれないが、その点は既に
信雄が大阪の陣の前に豊臣→徳川方に寝返ったため、目的を果たしている。
有楽は心おきなく大阪城と運命を共に出来る。だから、あり得ないのだ。 もう1つ。有楽自身の庶長子、長孝が野村潘を立てており、自分の子孫が残らないと
いう問題も既にない。だから、有楽が秀頼の父親の場合、大阪城と運命を共にしない
理由は何一つなく、心おきなく玉砕できる。それをしなかった理由は、ただ一つしかない。
有楽と秀頼に親子関係はない、と。 有楽は、そうだとしても秀信の可能性は高いな。
一応、織田宗家の後継ぎだし、秀頼の実父としては申し分ない。
しかも、大坂の陣より前に早世してるから、城と運命云々は考慮しなくていい。 97
どこにとって?
徳川は天皇排除に動いてるからこの場合、武家か?
だが公卿筋は高待遇してんだよな 日出の分家筋は秀頼(かその息子)が始祖って話だわ
現代まで残っているかは疑問だが おしいなw
たしか武田?柳沢かどこかに乞われた今川系もその辺で絶えたっけか ほぼ将軍家の滅亡と同義なもんを認められる施政者は直前まで居なかった 相変わらず男の血統で続いているかどうかと意識しているね。しかし生
物学的には男よりも女のほうが遺伝子を守っていると認められている。
だから人間の血統も女の血統継続を考慮しなくちゃダメだよ。 遺伝的と歴史学的を混同してる底辺馬鹿
遺伝的にいや人類皆兄弟だし、日本人の九割が源氏の血がどっかで入ってるわ馬鹿 なんか本気で>>106みたいなこと言ってるのか?って不思議に思うけど、
きっと本人は本気なつもりなんだろうな 大阪夏の陣で敗北した秀頼公は薩摩に落ち延びた。
薩摩では一子に恵まれたが、その子こそが後に島原の乱で大将となる天草四郎である。 歴史古い順
上町台地(大阪市)
生国魂神社(大阪市)紀元前700年 (日本列島の神そのものを祀る神社)
住吉大社(大阪市)
日本仏教初の官寺は聖徳太子(日本仏教の祖)の四天王寺(大阪市)後に奈良の法隆寺
難波高津宮 難波京(大阪市)(仁徳天皇などの皇居)(日本初の首都)大化の改新(天皇制の始まり)はここで行われそれは大化元年〜平成26年の今も続いている
難波津 住吉津 渡辺津(国際港湾都市(街))(物流の一大拠点経済の中心)商人が増え出す 商業都市として栄える(大阪市)石山本願寺(浄土真宗本山)(大阪市)跡地に大阪城(難波津や渡辺津(船場)の商工業が更に発展)
大阪市(難波宮、難波京)
奈良市(平城宮、平城京)
京都市(平安宮、平安京)
江戸(東の京、東京)
江戸城を築いたのは大阪の源氏
東京へはまだ遷都されていない為現在でも首都は東京じゃない 秀吉、秀長、前田利長みたいに実子はいたけど極少数って人は同時期にも複数人いる
だから秀頼も秀吉の実子である可能性はゼロではない ■ このスレッドは過去ログ倉庫に格納されています