【今こそ】豊臣秀頼は誰の子?【DNA鑑定】
■ このスレッドは過去ログ倉庫に格納されています
秀吉の子ではないことが証明されれば大事件になる
秀頼の娘からDNAは採取できないものか 信長死後、秀吉が朝廷に大金を献金して、
信長が従一位に任命される勅使が来るのを待って葬儀やってる。
生前は三職推認まで信長は到達してたんだし、
信長の血を引く淀は超ブランドになってるわ。
朝廷が決めたことは高い権威が付いて回る。 淀は信長の子じゃなくて姪、しかも滅亡した浅井家の人間だから、超ブランドというほどのことはない。
ちなみに、秀吉は、淀よりも格上の信長の娘を側室にしてる。 >>218
>しかし秀吉と違い摂関家になる資格が無いから無理だったから征夷大将軍になっただけだし。
学問板ではなくて、ゲームとかでやったほうが盛り上がるよ >>220
淀殿は、京極竜子に家臣筋の娘で家格において自分とは上下がはっきりしている事を突っ込まれたが、
その時に言い返した言葉は秀頼の母だということで、家柄については否定できなかった。
信長の姪といっても、あくまで女系で妹の子であり、旧織田家旧臣などから一定の敬意を払われただけ。
現に秀頼の生母でありながら、淀殿はなんら官位を賜ってはいない。
(五位に叙せられたのではという説もあるが五位だって低すぎる)
>生前は三職推認まで信長は到達してたんだし、
>信長の血を引く淀は超ブランドになってるわ。
力で分捕った家格は、力が無くなればそれまでの事。
信長の倅どもの行く末をみれば明らかだ。 淀がブランドだから、妹が離婚してても秀忠に嫁ぐだけの価値があったわけだが。 淀殿は京極竜子に家臣筋の娘で家格の事を突っ込まれた
上記の一次史料をだして下さい。 信長娘の三の丸殿は秀吉の側室だったとは言い切れないな。
養女説もあるからね。
だが秀吉死後に二条昭実と婚姻してるな。
信長死後も、織田の娘達が高いブランドを所持していた証拠だろうね。 >>226
醍醐の花見での有名すぎるやりとり。
勉強になったでしょ。 >>227
ブランドで結婚したのではない。
政治的思惑で婚姻関係を結んだだけ。
そもそも二条家自体が摂家なのだよ。 >>227
秀吉は「戦国のあしながおじさん」だからな。
側室であれ、養女であれ、没落した家系の女性を保護してやった恩人。 >>230
足長おじさんは、ジルーシャを正妻にしたが、秀吉はorz
キリスト教じゃなくてイスラム教の宣教師でも来たら受け入れてたかもな。まあ、酒がダメだからみこみうすだが 中央アジアのイスラムは、酒飲んでもOKだよ。
イスラム法なんてので裁判されたりしないし
修行して神秘体験をした行者様が影響力を持つので
イスラム法の戒律なんて厳格ではない。 >>231
義演准后日記に顛末が詳しく書かれている。 >>231
何か悔しそうだね。勉強になってよかったじゃない。 なるほど。秀頼のお父さんはグリコのマラソンランナー いや、カーネル・サンダース。外人の種だから、秀頼が巨大化。 >>158
俺も、生物系の専攻出身ってだけでDNA鑑定は詳しくないけど、
DNA鑑定はY染色体もミトコンドリアゲノムも使わないと思うぞ。
人の染色体は23対(性染色体を除くと22対)ある。
で、1対の染色体は母親と父親から1本ずつの合計2本で1対になってる。
さらに、生殖細胞を作る時には「交叉」といって、母親由来の染色体と父親由来の染色体を途中で切って交換する現象が起こる。
つまり、1対の染色体を取り出して調べると、
父親由来の1本は片側が父方の祖父由来で、反対側が父方の祖母由来
母親由来の1本は片側が母方の祖父由来で、反対側が母方の祖母由来
になってる。
なので、1対の染色体で見た場合、秀頼の父方の染色体と、秀次の母方の染色体は弥右衛門-仲か仲-弥右衛門のどちらかなんだけど、
弥右衛門由来の染色体は弥父由来と弥母由来の二種類、仲由来の染色体も仲父由来と仲母由来の二種類あるから、
弥父-仲母、弥父-仲父、弥母-仲母、弥母-仲父、仲父-弥母、仲父-弥父、仲母-弥母、仲母-弥父
の8種類。
これがどちらも一致しない確率は5/8
これが22対の染色体でどれも一致しない確率は(5/8)^22=0.00003=0.003%
つまり、秀次と秀頼のDNAを比べて全く一致しなければ99.997%の確率で血縁関係がないと言える。
全ての染色体の両端に高精度のマーカー配列があるのかどうかは知らんけど、理屈はたぶんこんな感じ。 >>234先生、わたしもおしえてほしいです!
義演准后日記はネットだと終日桜を見て何の問題もなく帰ったくらいしか見つからん >>244
義演准后日記の紙背文書を参考にされたし。
文系大学の大きな図書館ならあると思われる。 或る人の曰く、秀吉に十徳あり〜将軍家家長(信長)繁栄の基なり、祝々珍重(天正8年正月晦日付け)
ちなみに安国寺は天正12年1/11にも秀吉の評判を書き残していて
大なる事は、近年信長の下にても、羽柴羽柴と申候て、世上操りをも、又弓矢をも手に取り候て、鑓をもつき、
城をも責候て存んぜられ候、又、小事の儀は小者一ケにても、又、乞食をも仕り候て存んぜられ候仁か、
申し成しなとにては成る間敷候、日本を手の内にまわし候、今日まては名人にて候、明日の不慮は、存ぜず候
などとどんなことでもなんでも抜群にこなせるオールラウンドプレイヤーで頭角を現し、信長の名も霞むほどだと書いてる。
ここで面白いのは秀吉は乞食まで経験してるので、世間の人情の機微も心得ていて名人なので
信長のような犬死のような突然の死に方もしないと書いてるところ。
乞食の経験?というとフロイスの記述にも秀吉が若いころ、一度、信長の元を出奔してることを書いているから
出奔後に乞食になってたのだろう。フロイスは秀吉の才覚について面白い話を残していて
尾張時代の信長がいろんな家臣に買い物へ行かせるが、商人との交渉がうまくいかず
値段が高すぎたりすると買わずに帰ってくることもあった。
しかし秀吉だけはどんな買い物でもきっちり買ってきたので信長が大喜びしていたが、
実は秀吉は自分の手持ちの金も追加して買い物してきていたって話がある。 また天正11年4/12付秀吉→輝元宛では
前々せがれの時でさえ、信長家中においては、秀吉が真似ごと仕るべき者、これなく候つる
などと書いていて昔、子供の時ですら信長家中で自分ほどのことができた人間はいなかったと書いていて
秀吉がせがれ時代からすでに信長に仕えていたことがわかる。秀吉の才覚じゃ自他共に認める隔絶した将器だったのが判明しよう。
他にも上井覚兼日記や島津側書状で、 天下静謐のために秀吉が島津に停戦受け入れるよう命じた時に、
島津が秀吉のことを、なんでお前みたいな馬の骨に名門島津が従う必要あんだよ?みたいな侮り記述がある
フロイスの日本史にも身分も低く血統も賤しいと秀吉の人となりを書いているので、島津の批判は間違っていないだろう。
天正10年10/18の秀吉書状には、自分のことを「小者一僕の者に過ぎなかったのに信長が召し上げてくださり」
などと書いていて「下僕」の身分に過ぎなかったのに、信長が身分を引き上げてくれたことを感謝してる。
また、天正17年11/24の秀吉書状では、
「秀吉若輩の時、弧と成りて信長公幕下に属し」などと書いていて
「孤児」に成り下がり、頼るべき親類もいないほど貧しくなって信長公に仕えたと書いている。
あぁ孤児って訳は染谷氏の解釈であって俺が勝手に訳したわけじゃないからな。
看羊録の著者は、 秀吉の父の家は元来貧賤で、農家に雇われてどうにかたつきをを立てていた。
壮年になってから自分から奮発し、信長の奴隷になったが関東に逃げて数年し、
また戻って信長に自首したので、秀吉は一心に奉公して昼夜風雨を厭わなかったと書いてる。
耶蘇会の1584年の年報にも はっきりと「一般人民の声によれば、秀吉は何事においても
彼の前任者信長より遥かに優れている」と当時の日本での世評において激賞されていたことを記している。 秀頼の娘が出家して助命されてるけど、
秀吉の血縁者のDNAと比較したらなんか分からないんかなー 天秀尼の墓が鎌倉の東慶寺に、大政所の墓が京都の大徳寺に、朝日姫の墓が京都の東福寺にあるが、発掘と検体採取は無理じゃないのか? ヨーロッパでは数百年前の王族のDNAを鑑定してるから、墓を掘り返せばわからないかな
秀吉と秀頼に血縁関係がないことがわかったら大発見になるのに 日本でそれ言い出したら
「万世一系の神武天皇のY遺伝子が天皇家に継承されてるか調べよう」
ってことになりかねんからやらんのじゃないか だから調べればいいじゃんw
神格視している海外のやつらがどうなるか楽しみだわ
記紀でも天皇が神だなんて書かれてないけどな
神の子孫とは書かれてるけど どちらかと言えばいろんなとこの神の名を付ける方だろ 天皇家を調べるのはヤバいけど、滅んだ豊臣家なら問題なくないか? 最低、2つ以上の寺の許可が要るが、出してもらえるとは思えんが。 >>266
歴史的に見て凄く意味のある調査だと思うんだがなぁ
でも絶対に許可しないだろうな 環形のミトコンドリアd-loopじゃあるまいし、人間本体の染色体の分子構造は螺旋状だからほどけて分解バラバラされちゃう
法廷で証拠になるレベルまで鑑定でないと思うぞ。 寺にあるのは遺骨だけなんだっけ?
火葬した後の骨って鑑定できるんだろうか
アイスマンとかは肉ごと残ってた例だし 基本土葬でしょう
火葬でもよっぽど高熱で焼かない限り鑑定できる
横田めぐみさんのニセ遺骨の例もある 当時の火葬だと鑑定の材料が残ってても不思議じゃないと思う。
火葬でも土葬でも保存状態次第かと。 エジプトのミイラ並みに防腐処理された遺体ならともかく
日本なんて残っていても遺体をそのまま処理なしで木製の棺に入れて埋めるだけだろ
DNAが取り出せるほどの遺体かというと怪しい
火葬なら更に破壊される 調べてもどうせ結論は見えてる。秀吉の子ではありません。 >>260>>270
大政所は蓮台野で火葬されている
現代のDNA鑑定の技術でも良質のDNAが採取できたところで
(双方が生きていて口の粘膜の生きた細胞等を提供された)
親子間の鑑定ぐらいしかほぼ確実な鑑定はできないぞ
兄弟間(同母兄弟あることが条件)・祖母孫間ではミトコンドリア鑑定程度しかできず
(母子間にのみ伝わるミトコンドリアの型が7つあり、一致するかを鑑定。
ただし、合致する可能性は7分の1なので一致したからと言って確実な血縁者とはいえない。
ただ、ミトコンドリアが違えば、同母兄弟ではない、祖母孫ではないことは確実にわかる)
大政所、朝日姫、天秀尼の遺体が残っていたところで
精度の高い鑑定ができるとも思えん >>275
毛髪は死んだ細胞なので何百年も前のものだと
すでにDNAが破壊されていることも多い
大政所ー秀吉の親子間
秀吉ー秀頼の親子間
秀頼ー天秀尼の親子間
では鑑定できても
大政所ー天秀尼の曾祖母と孫間では
あまり精度の良い鑑定はできない 秀吉側室権威争いの事実
京極龍子 対 淀
京極家柄→帝遣えし由緒正
淀家柄→浅井 昔土豪から京極に遣え、のしあがる、
龍子に突っ込まれ悔し涙、秀頼で首位、 織田信成←自称信長子孫
江戸時代幕末苗字無く、維新あと、織田姓名乗る、
維新で 武士の戸籍、身売り続出、NHK花子とア
ンの蓮子の母親←幕府外国奉行の娘だが、没落 身売
り、伯爵の妾になり産まれたのが、蓮子。
雅子の祖祖父 金吉、武家の戸籍拝借、幕末、武士の
屋敷売り、武具骨董売り、戸籍売り、身売り続出。 >>278
柳原白蓮をdisるなよw
あれでも大正天皇の従兄妹だぞ >>270
あの鑑定結果は学者の間じゃ「科学ではなく政治」扱い 400年前の骨の鑑定が精度完璧に行けたら苦労しないわなあ 少し前まで親子鑑定なんてABOでどうたらこうたらだったんだし
100年後にはキッチリカッチリ鑑定出来るかも出来ないかも 秀頼の娘の墓はわかってるんだからDNA鑑定できないものかね 一、おひろい様之御局をハ大蔵卿と之申し、其の子ニ大野修理と申し御前の能き人に候、おひろい様之御袋様と共に密通之事に候か、共ニ相果てるべし之催にて候処に、彼の修理を宇喜多が拘し置き候、共に相果てるに申し候、高野江逃れ候共に申し候よしに候、(後略)、 DNA鑑定なんかするまでもなく、 秀吉の実子ではないのはほぼ確実だろ
色んな名前が挙がってるけど、 旦那を欺いてる時点で父親なんか
誰でもいい訳だから、 特別誰かの血を残そうとか淀は考えてなかったと思うね
あくまで、秀吉の子として通せる子が得られる事が重要な訳だから
極論すれば、確実に孕ませてくれれば相手は名無しの権平でも構わない訳だよ
むしろ、そっちのが都合が良いかもしれない・・
下手に名のある人間と通じて、それが噂になるよりな >>289
完全に同意。
相手が大名クラスだとかえって面倒なことになるから、淀にしてみれば百姓でもよかったと思う。 誰でもいいんなら、せめて秀吉に似てる男を選ぶんじゃね?
噂の発端は秀吉にいきなり子供が出来た事もあるけど、秀頼が大きかった事もあるわな >>289
陰陽師が相手だという説もあるな。秀吉が秀頼誕生後に弾圧している。 名もない武士で十分なんじゃない?
秀頼を生んだ後は口封じもし易いし。 >>291
淀の父親浅井長政は肖像画を見ても巨体
淀が誰と契っても長政の血を引く以上
巨体の子供が産まれてもおかしくないが 289
真田幸村、大野治長、石田三成あたりが父親って説か?w
そういやそんなのあったなw >>296
さんざん言われてきてるじゃないか。
自分で調べろヤ。 火葬したら神になれんから、秀吉は土葬にしてくれと遺言し
それで朝廷から豊国大明神を頂いた
ってのを聞いた事があるが
そんなら秀吉のDNAは何とか採掘できるんかな? >>297
その散々言われた説がどれも 三成だの大野だの徳川時代の胡散臭い奴ばっかりなんだがな >>299
秀吉は戦場にも側室を連れて行く無類の女好き
それなのに淀以外に子がいない(長浜時代の息子は実在がはっきりしない。)
そして淀だけ2人も妊娠
これだけ事実が揃えば秀頼は秀吉の実子じゃないのはほぼ確実(ただしDNA鑑定をしなければ100%とは言えない) >>300
権力者の親子関係やや実在があやふやなんて
それこそ秀忠と保科正之とか吉宗の隠し子とか快挙に暇が無いよ
それを持って秀吉と秀頼が赤の他人という事にはならない >>302訳すると
家康
「秀忠〜お前ってマジで俺の子?」
秀忠
「家光〜。お前って俺の子か?」
家光
「正之〜。お前って俺のマジで弟か」
保科正之
「知らんがな」 >>303
ちょっとワロタけど、それと秀頼とどのように関係があるのか全くわからん。 >>304
秀吉と秀頼で親子関係が疑われるなら
世の天下人全てが疑わし一だろって話 >>305
へっ?
秀吉は淀以外に子供がいないから疑われてるんだけど。
話の流れ理解できてる?? >>306
えっ?
秀吉は淀殿以外に、南殿に石松丸と女子を産ませてるんだが? >>307
これまでのレスをちゃんと読めよ。
長年時代の子供は母親も定かでないし、実在さえ疑われてる。
そんなの知っとるわ。 正確には正史に名前が載らなかっただけで、子供自体 よそで5人か6人はいたな
秀頼の場合、前政権織田家の血縁だから後継者に選ばれただけだし >>309
正史にないのにお前が知っている不思議ww >>309
後継者に選ばれた???
君大丈夫??
他に候補がいたら秀次を関白にしてないわ。
歴史を勝手に作る変人ですか?? >>312
ちょっと本当に何が言いたいのか分かんない。
秀次が失脚したのは「唯一の子供」である秀頼が生まれたからでしょ?
君は秀頼は数人の子供から選ばれたとか書いたでしょ。
秀頼の他にも子供がいたなら最初から秀次が関白になるわけないじゃん。
はぁ疲れた。 >>314
秀頼は織田の血筋だから選ばれたって
書いておいたぞ >>315
え!反論はそこなの???
じゃぁ、秀頼以外の4、5人の子供って誰?どこにそんな資料があるの? >>316
実子養子合わせれば10人はいたはずだし、大谷吉継の隠し子伝説もある
中国攻めの際に愛人と隠し子を儲けた噂もある
何てゆーか、自分の説に異を唱えた相手に噛みつく癖は改めた方がいいよ >>317
「いたはず」「噂もある」
どこにそんな資料があるの?
学者もビックリだわww >>317
養子は要らないから実子5、6人の資料プリーズ >>318
おいおい、山名豊国の娘・あかね、岡山城主の未亡人・おふくにも 手を出して 隠し子作ったんでないって地元で言われてたろう
(真偽は別に)
学者びっくりではなく、オタクが意図的に無視しただけだろ ■ このスレッドは過去ログ倉庫に格納されています