【今こそ】豊臣秀頼は誰の子?【DNA鑑定】
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秀吉の子ではないことが証明されれば大事件になる
秀頼の娘からDNAは採取できないものか >>278
柳原白蓮をdisるなよw
あれでも大正天皇の従兄妹だぞ >>270
あの鑑定結果は学者の間じゃ「科学ではなく政治」扱い 400年前の骨の鑑定が精度完璧に行けたら苦労しないわなあ 少し前まで親子鑑定なんてABOでどうたらこうたらだったんだし
100年後にはキッチリカッチリ鑑定出来るかも出来ないかも 秀頼の娘の墓はわかってるんだからDNA鑑定できないものかね 一、おひろい様之御局をハ大蔵卿と之申し、其の子ニ大野修理と申し御前の能き人に候、おひろい様之御袋様と共に密通之事に候か、共ニ相果てるべし之催にて候処に、彼の修理を宇喜多が拘し置き候、共に相果てるに申し候、高野江逃れ候共に申し候よしに候、(後略)、 DNA鑑定なんかするまでもなく、 秀吉の実子ではないのはほぼ確実だろ
色んな名前が挙がってるけど、 旦那を欺いてる時点で父親なんか
誰でもいい訳だから、 特別誰かの血を残そうとか淀は考えてなかったと思うね
あくまで、秀吉の子として通せる子が得られる事が重要な訳だから
極論すれば、確実に孕ませてくれれば相手は名無しの権平でも構わない訳だよ
むしろ、そっちのが都合が良いかもしれない・・
下手に名のある人間と通じて、それが噂になるよりな >>289
完全に同意。
相手が大名クラスだとかえって面倒なことになるから、淀にしてみれば百姓でもよかったと思う。 誰でもいいんなら、せめて秀吉に似てる男を選ぶんじゃね?
噂の発端は秀吉にいきなり子供が出来た事もあるけど、秀頼が大きかった事もあるわな >>289
陰陽師が相手だという説もあるな。秀吉が秀頼誕生後に弾圧している。 名もない武士で十分なんじゃない?
秀頼を生んだ後は口封じもし易いし。 >>291
淀の父親浅井長政は肖像画を見ても巨体
淀が誰と契っても長政の血を引く以上
巨体の子供が産まれてもおかしくないが 289
真田幸村、大野治長、石田三成あたりが父親って説か?w
そういやそんなのあったなw >>296
さんざん言われてきてるじゃないか。
自分で調べろヤ。 火葬したら神になれんから、秀吉は土葬にしてくれと遺言し
それで朝廷から豊国大明神を頂いた
ってのを聞いた事があるが
そんなら秀吉のDNAは何とか採掘できるんかな? >>297
その散々言われた説がどれも 三成だの大野だの徳川時代の胡散臭い奴ばっかりなんだがな >>299
秀吉は戦場にも側室を連れて行く無類の女好き
それなのに淀以外に子がいない(長浜時代の息子は実在がはっきりしない。)
そして淀だけ2人も妊娠
これだけ事実が揃えば秀頼は秀吉の実子じゃないのはほぼ確実(ただしDNA鑑定をしなければ100%とは言えない) >>300
権力者の親子関係やや実在があやふやなんて
それこそ秀忠と保科正之とか吉宗の隠し子とか快挙に暇が無いよ
それを持って秀吉と秀頼が赤の他人という事にはならない >>302訳すると
家康
「秀忠〜お前ってマジで俺の子?」
秀忠
「家光〜。お前って俺の子か?」
家光
「正之〜。お前って俺のマジで弟か」
保科正之
「知らんがな」 >>303
ちょっとワロタけど、それと秀頼とどのように関係があるのか全くわからん。 >>304
秀吉と秀頼で親子関係が疑われるなら
世の天下人全てが疑わし一だろって話 >>305
へっ?
秀吉は淀以外に子供がいないから疑われてるんだけど。
話の流れ理解できてる?? >>306
えっ?
秀吉は淀殿以外に、南殿に石松丸と女子を産ませてるんだが? >>307
これまでのレスをちゃんと読めよ。
長年時代の子供は母親も定かでないし、実在さえ疑われてる。
そんなの知っとるわ。 正確には正史に名前が載らなかっただけで、子供自体 よそで5人か6人はいたな
秀頼の場合、前政権織田家の血縁だから後継者に選ばれただけだし >>309
正史にないのにお前が知っている不思議ww >>309
後継者に選ばれた???
君大丈夫??
他に候補がいたら秀次を関白にしてないわ。
歴史を勝手に作る変人ですか?? >>312
ちょっと本当に何が言いたいのか分かんない。
秀次が失脚したのは「唯一の子供」である秀頼が生まれたからでしょ?
君は秀頼は数人の子供から選ばれたとか書いたでしょ。
秀頼の他にも子供がいたなら最初から秀次が関白になるわけないじゃん。
はぁ疲れた。 >>314
秀頼は織田の血筋だから選ばれたって
書いておいたぞ >>315
え!反論はそこなの???
じゃぁ、秀頼以外の4、5人の子供って誰?どこにそんな資料があるの? >>316
実子養子合わせれば10人はいたはずだし、大谷吉継の隠し子伝説もある
中国攻めの際に愛人と隠し子を儲けた噂もある
何てゆーか、自分の説に異を唱えた相手に噛みつく癖は改めた方がいいよ >>317
「いたはず」「噂もある」
どこにそんな資料があるの?
学者もビックリだわww >>317
養子は要らないから実子5、6人の資料プリーズ >>318
おいおい、山名豊国の娘・あかね、岡山城主の未亡人・おふくにも 手を出して 隠し子作ったんでないって地元で言われてたろう
(真偽は別に)
学者びっくりではなく、オタクが意図的に無視しただけだろ >>320
全く真偽不明のわけわからん伝承じゃないか。
で、その5、6人は成人したの?成人なら秀頼の実兄だよね?秀頼が生まれる前に何で後継者に指名されなかったの?
大阪の陣の時はどこにいたの?落城後はどうなったの?
全然答えられないでしょ?全く意味ないんだよ。 >>298
秀吉側のDNAは残ってると思う。例えば秀次の子供も生き延びた人がいるし。
問題は秀頼側で本人のDNAは難しそうだから、尼になった娘のDNAが採取できれば鑑定できるんじゃないかな。 >>322
信長の兄弟すら姓名や成人したかも分からん奴がいるのに
まして秀吉の隠し子達が分かるはずも無いわな まあ、秀吉に普通に記録に残る実子が多くいれば、 逆に認知してない
子供もいたかもしれないという、伝聞や噂にも多少の信憑性が
出てくるかもしれないけど、 そうじゃないからね・・ >>324
秀吉は跡継ぎを渇望してたんだよ?
子沢山の他の武将とは事情が違うでしょ。
嫡男が本当にいたなら喜んで要職につけてるわ。
あと、不明だから、記録がないからいたはずだとか、どこの悪魔の証明だよww >>326跡継ぎを渇望というより、相応しい後継者が欲しかったんだろ
この場合、織田の血筋の秀頼が一番受けが良かったわけだし
嫡男なら誰でも良かったら、御家騒動など起きない >>325
そうは言うが、徳川すら伝聞や噂に基づいて将軍の隠し子だからと高官になった奴なんてそれこそ掃いて捨てる程いるからな〜
保科正之しかり
こういうのは権力者の自己申告
んで愛人何百人もいたのに秀吉の場合、そういう話が少ないのは認知しなかったんだろ >>327
いやいや、織田の血筋がとか言ってる場合じゃないから、秀吉の場合。
成人した嫡男がいれば当然秀次よりもそっちを後継者にするでしょ。
そうしていないのは実子がいない何よりの証拠。 >>329
実子なら良いとかこそ悠長だろに
政権の安定を担保する権威ある後継者が求められてた訳で
それは秀頼をおいていないよ >>320
秀吉に隠し子はないだろ
家康は京極家で育てられていた秀頼の隠し子
国松まで探し出してきて処刑している
(同様に京極家でこっそり育てられていた奈阿姫は
女子だからという理由で出家を条件に助命)
秀吉の隠し子がいればとっくに処刑されているよ >>331
秀頼が生まれるまで実子を後継指名しない方が悠長だろww
失礼ながら君の書き込みは思い込みが激しすぎないか? >>333そうかも知れんが、そもそも秀頼が非実子説が徳川時代の宣伝ばかりだからな
正直そっちに疑問を感じたよ >>334
>>287は関ヶ原前の慶長4年、内藤隆春という毛利家重臣が書いた書状だよ
内藤隆春の姉は毛利隆元正室で毛利輝元の母だといえば
隆春が家康寄りの人物でないことが分かるだろう
(内藤隆春は関ヶ原西軍総大将・毛利輝元の伯父である)
そういう人物があの記載を残している >>334
徳川時代の宣伝はかりじゃないよ。
現代の医学的見地からも秀頼が実子であるということに疑問があるし、当時の大阪城内でも噂話になってたとの記録もある。
秀頼が生まれた頃には失禁したり痴呆の気があるなど客観的事実からも疑われて当然だと思う。 秀頼の乳母だった正栄尼が事の真相を知っているとみた 真相を知る人物は結構いたはず
なんせ寝室のすぐ側にも警護がいるんだぜ
あえぎ声も聞こえまくりのはず >>327
織田の血、織田の血って言うけど淀殿は浅井氏だよな
秀吉の側室には織田信長の実子三の丸殿や
信長の姪姫路殿(父は織田信包)
足利一門出身の月桂院に
近江源氏の名門・京極竜子がいる中で
ダントツの血筋ってわけでもないぞ そんなに監視が甘かったら、他の側室もガンガン子供産むんじゃないかい? >>340
監視が甘いわけがない
だから淀殿の密通相手も側近中の側近乳母子の大野辺りじゃないかと言われている
秀吉との間に子供ができなかった三の丸殿、加賀殿、香の前などは
後に別の男性に嫁いでそこで子供を産んでいる
秀吉の16人いたとされる(もっとかも)側室たちがただ一人淀殿を除いて
不妊だったとはいえない >>340
意味が通じてない・・
監視が甘いんじゃなくて、警護役を巻き込んだんじゃないかという意味。
秀吉以外の男が寝室に入るのを見過ごすように指示してたんじゃないかという妄想ですよ。 そんでそんでお前らの妄想としては何が真相だと思うんで? >>343
ちょっ、この段階でそれを聞かれるとズッコけるんですが・・
とはいえ質問にお答えして、
「秀頼は秀吉の実子ではない」
です。 >>344
期間云々で実子ではないは流石に根拠がな
>>336
秀吉の遺伝子も無いで現代の医学的見地も減った暮れも無いじゃん >>336
医学的知見があるんだ。是非教えてほしい。
体の大きさは、あまりあてにならないと思う。自分の近くでも小男と大女が結婚して、生まれた男の子は凄い大柄だけど顔はお父さんそっくりという例があるし。 >>345
期間云々てなんのこと?
失礼ながら日本語の意味が伝わり難い方なんですかね。
意味の通らないことが度々あるんですが・・ >>346
当時は子供が出来ないのは女の責任と考えられていたからです。
秀吉は現代医学でいう無精子症の可能性が高いと思います。 >>348
秀吉が無精子症だった可能性はある。でも、その証拠も無いよね。
そもそも、秀吉は晩年、淀君以外の女性ともセクロスしてたのかな。女好きでもセクロスは大して好きではない男も居るんだよ。
ましてお爺さんなんだから。 >>349
もちろん証拠なんてないですよ。DNA鑑定しない限り妄想で書くしかないスレですからw
年取ってからはわからないですが、秀吉は当時としても無類の女好きだったことは間違いありません。
そして、精子は若い時の方が量も多く妊娠しやすいのに秀吉は晩年まで子供が出来なかった。
この時点で無精子症は確実だと思います。 秀吉側の要因ばかりじゃなく、女側の要素も必要だろ。
他の多くの側室が全員石女だったとは考えにくいが、
織田家は多産系。
淀の妹の江与は秀忠との間に多くの子を生しているし、秀忠との結婚前にも産んでるよね。
淀も他の女よりは妊娠する能力が高かったんじゃないか。 >>351
淀殿の妹・初は子供を産んでいないよ
京極家へ嫁入った江の娘・初姫も子供を産んでいない
それに秀吉の側室には淀以外にも織田系の娘がいるが
(織田信長の娘・織田信包の娘)
淀以外は誰一人秀吉の子を産んでいない >>348
「大仏の くどくもあれや やりかたな くぎかすがいは 子たからめぐむ」
男の種無しというのも知られてはいた
種無しの関白が子たから(鶴松)に恵まれたのは
刀狩りして大仏作りの釘や鎹にするといううたい文句の功徳かいなという
暗に鶴松の出生疑惑を絡めた中傷 >>351
既出だけど秀吉の側室が下賜されて子供を何人も授かってるケースが複数確認されている。(摩阿姫、種)
このことからも女性側が石女だった可能性はない。 初めて知ったんだが香の前って秀吉に囲碁で勝った戦利品として部下に下賜されたんだなw
福島瑞穂が聞いたら発狂しそうな話だなwww 逆いいうと、女を褒美に出来るくらい マブい女だったという事で
それも、このスレに合わせていえば、 秀吉が飽きるくらいやりまくった後に
払い下げられたという事、 しかも子供出来なかった >>356
さらに下賜された香の前を伊達政宗が取り上げて子供を2人作ったっていうんだから、余程いい女だったんだろうな。 家康の祖母の華陽院なんか二度や三度どころじゃないしね。 相手は僧侶だろ
僧侶が相手なら、生まれて来る子供も仏の加護があるから
不義から出来た子供だとしても災いは起こらない
女って生き物は大抵そんな事を真剣に心配する生き物なんだよね・・・ これほど歴史の見方を変える鑑定もないだろう
子孫もいないし、是非やって欲しいわ 秀次は間違いなく、秀吉の甥だったんだろうな?
他種の養子よりは、実の甥の方がマシだと思うが。
ボケてたから、実子と信じてたようだが。
秀次は秀吉の実子(いとこ)ではなく、他人のために一族郎党殺されたことになるよな。 秀吉は痴呆が入ったのは間違いないでしょ。
秀次がいれば徳川家康の出番なんか無かったのに。 経産婦のジョゼフィーヌ皇后との間には子供が生まれず、マリー・ルイーズ皇后やヴァレフスカ伯爵夫人との間には子供が出来たナポレオンの例もある。
怪しい怪しいと思っていると、怪しくない話まで怪しく見えてしまうのではないかな。 秀吉は大の女好きなのに淀殿以外は誰も子供を産んでいない(長浜時代は不確かなので除く)
淀殿が妊娠した頃、秀吉はお漏らしをする耄碌ジジイ
ナポレオンと一緒にしちゃいかんよ 秀頼が秀吉の実子だと思ってる奴なんているのか?
秀吉恩顧の武将もおかしいと思ってただろうし、迷っただろうな。 服部の名前はちょろっと出てきたけど
千鶴おばばの名前がどうしてでてこない? 石田三成と浅野長政か石田三成と黒田長政だ!
理由は浅野、黒田が石田三成を襲ったからだ!!!
やっぱり俺は天才だろー。 マスゴミ・売国奴・医療業界が隠そうとする真実---------------------安楽死---------------------奴隷に勝手に死なれては困る
安楽死旅行企画が大人気|竹田恒泰チャンネル
https://www.youtube.com/watch?v=XmP1TRsAe88
武田邦彦:安楽死と大麻、そして売春・・・オランダに学ぶ
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安楽死党
https://www.youtube.com/watch?v=8nU2UaSlGx0
自殺は後遺症が怖い!だから-----------------------------------安楽死制度-------------------------------------安心して生きるために まーだ6000年前の日本で小麦作をしていた事も知らない馬鹿がいるの?
6000年前に日本はもう小麦作をしていたんですよ。中国よりも先になwwww
岡山市の縄文時代の貝塚「朝寝鼻(あさねばな)」を調査している岡山理科大の
考古学チームが1999年4月21日、「縄文前期の土壌から稲の細胞に含まれる
プラントオパールが見つかった」と、発表。約6000年前に「米作り」が
行なわれていたとする発見で、稲作の歴史が縄文前期にまでさかのぼることになった。
このプラントオパールはイネ科の葉の細胞内に含まれるケイ酸体の粒子で、同貝塚の
下層(深さ2メートルの土壌)からのサンプルを採り調査したところ、356点の
サンプルから10点、形状からジャポニカ(短粒種)とみられる稲のプラントオパール
が検出された。また、稲のほか小麦とハトムギのプラントオパールも見つかった。
http://www.local.co.jp/news-drift/agri-99kome.html
稲のほか 小麦 とハトムギのプラントオパールも見つかった
稲のほか 小麦 とハトムギのプラントオパールも見つかった
稲のほか 小麦 とハトムギのプラントオパールも見つかった まーだ6000年前の日本で小麦作をしていた事も知らない馬鹿がいるの?
6000年前に日本はもう小麦作をしていたんですよ。中国よりも先になwwww
縄文時代前期とされる岡山県灘崎町、彦崎貝塚の約6000年前の地層から、
稲の細胞化石「プラント・オパール」=写真=が出土したと、同町教委が18日、発表した。
同時期としては朝寝鼻貝塚(岡山市)に次いで2例目だが、今回は化石が大量で、
小麦などのプラント・オパールも見つかり、町教委は「縄文前期の本格的農耕生活が
初めて裏付けられる資料」としている。
http://inoues.net/science/wan.html
今回は化石が大量で、 小麦 などのプラント・オパールも見つかり
今回は化石が大量で、 小麦 などのプラント・オパールも見つかり
今回は化石が大量で、 小麦 などのプラント・オパールも見つかり
今回は化石が大量で、 小麦 などのプラント・オパールも見つかり 淀が多産家系だから、他の側室より妊娠する確率が高かったというレスがあるが
それなら、寧々の姉妹も子沢山だし、寧々だけ子供がいないのはおかしい
そもそも、あの時代なら3,4人産んでも普通だから、とびぬけて多産だったわけじゃないよ
大野治長は乳母子だから、淀のプライベートな場所にも入れるし
事実、名護屋城にも一緒に同行している
京極竜子は側室一お気に入りで、淀と一緒にあちこち連れまわしていたが
1度も子供を授かっていない、全夫の間には2男も産んでるのに
秀頼が不義の子というのは、生まれたときから言われてて
「仏に頼み込んで種が不明の子供が生まれましたね」なんて落書されて
怒った秀吉が犯人捜し出して処刑してるし
フロイスですら「秀吉は種なしだと思ってたのに子が出来た」と書き記しているよ >>375
現代医学の研究結果では子供が生まれない場合、その理由の95%くらいは
男のほうに原因が有るとされている。秀吉がたくさんの女を抱えながら子が
できず、竜子のような経産婦にも妊娠させられなかったのは、秀吉に子種が
無かったから、ということが最大の理由であろう。
ならばなぜ茶々が子を産んだかと言えば、秀吉も承認のもと、石田三成が孕
ませた可能性が大きい。その理由は子が無いと政権の安定ができないからで
あろう。後年、石田三成がなぜ関が原に立ちあがったかを考えると、事実上
わが子の秀頼のための親心だったのではないだろうか。 >>376
血のつながった甥だかをわざわざ殺してるのに? >>377
当時の人心としては、甥では後継者として弱いと見られたからだろう。家康も
長男は自害し、次男は他家へ養子に行った経歴から、後継者からはずされた。
家康の後を継いだのは三男の秀忠だった。それは後継者はどういう人物がふ
さわしいと当時の世間が考えるか、認めるかという実例だと言っていい。
秀吉には姉や妹の子を養子にした秀次、秀秋などがいたが、結局のところ後継
者としては弱いとされた。結局、生まれた時から秀吉の実子とみなされる人身
御供の子供が必要だったのだ。豊臣の天下を続けて行くために。それだけに石
田三成は茶々とわが子があわれで、関が原に立ち向かわねばならなかったのだ。 ■ このスレッドは過去ログ倉庫に格納されています