国号を「日本」から「ヤマト」に戻そう
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大日本帝国は日本じゃないよ。
あれは欧米列強に感化された連中が欧米を模倣しようとして
作り上げた即席国家。
右翼を味方につけるためにその頭に天皇をとってつけただけ。
欧米かぶれの連中の日本破壊ごっこにすぎなかった。 ニホンかニッポンかはっきりしてもらいたい
まあどっちも桶らしいが >>8
「日本」というのは単に中国向けのために作った漢字であって
国の名前自体を変えたのではなかったからな
だから日本という漢字の有無をもって日本という国家の誕生を決める説は滑稽極まる >>8
そんなわけないだろ。
ヤマトが先なことは明らかだろ。それに、日本という漢字を振ることはあり得ない。
後からこじつけただけ。
そこに、倭国と日本との断絶、継続していると思わせたい願望が垣間見える。 日本国の命名者は持統だろうな。
息子クサカベ可愛さに改名したのだろう。 ヤマトとは山のあるところという意味
まさに山国である我が国の国号にふさわしい 漢字は論外だがひらがなカタカナとかいうシナ文字からできた字も使用禁止しろ!
使ってる奴らは売国奴 >>16
漢字なくしてハングルだけ使ってる国みたいになるのにな 「日本」って国号は、もともと蝦夷の国を指したんだよ。
日高見国とかね。
津軽を支配した安東氏は「日ノ本将軍」を自称し、天皇もそれを認めた。
坂上田村麻呂は青森まで行き、そこに「日本中央」と記した石碑を残し撤退した。(本当はその後継者の将軍だけど)
中国の歴史書にも、日本という国号は本来別の国の国号で、大和がそれを受け継いだと記している。
まるで、ヤマトタケルのようじゃないか。 通云山跡 山謂之耶麻 跡謂之止
古語謂居住為止
住於山也
山を耶麻と言い、跡を止と言う。
古語では居住することを止と言った。
山に住んだという意味。
日本書紀私記(弘仁私記)by多人長 ヤマトは、漢字の意味で書けば
山処。
これは一般名詞でもあるが、大和朝廷のヤマトは
ある地域の固有名詞が元になった。
それは、三輪山の麓の地名が、山処(ヤマト)だったから。 >>19
>中国の歴史書にも、日本という国号は本来別の国の国号で、大和がそれを受け継いだと記している。
>まるで、ヤマトタケルのようじゃないか。
いやいや、大きな倭国を、小さな日本が征服したと書いてあるんだが。 「日本」という国号は本来、百済の地を称する言葉だった〜百済人の墓誌銘に刻まれた最古の「日本」
http://awabi.2ch.net/test/read.cgi/news4plus/1338994457/
墓誌銘の「日本」は祢軍が日本に使節に行った背景を書いた部分に登場する。「660年官軍(唐
軍)が私たちの蕃国(百済)を平定した日…日本の残党が扶桑に立てこもって殺戮を免れ、風谷に
残った輩は盤桃を信じて堅く抵抗した…」という内容だ。 >>23
蝦夷が大和を征服した事実は無いから、それは勘違いと言うことで。
ん?
鎌倉幕府じゃ…ないよなw 時代が違うし。 >>24
百済はやっぱり日本に支配されていたんだな >>5
欧米かぶれとか日本破壊って見方は間違ってるけどな
普遍的な社会の発展 百済に領土を割譲したりしていた、百済の兄弟国が弁韓、またの名を加羅、任那。
これが日本だろ。天照大神の地は加羅。 旧國名はわかりやすい
後で備中備前や上野下野などに分割されたりしたが、
もともと大和の他に筑紫、出雲、吉備、越、毛野などがあり
ルーツ民族からして違う別々の国の名前だった
大和は妥当ではない 百済本紀だと、「日本」は任那日本府しか使わないんだよな。
日本列島の国のことは倭国と書いてる。
これはやはり、任那が日本の首都だったってことだろ。
その日本が倭国を征服したとすれば、旧唐書の、小さな日本が大きな倭国を併合した
という記述と合致する。
日本國者、倭國之別種也。
或云:日本舊小國、併倭國之地。 日本ってのは、ただ単に
東の端の日が出る国です程度の意味だろう? 日の本ってのは蝦夷地の日高山脈北東にいた集団の自称だろ
ヤマトは蝦夷に征服されてたんか ,..-─‐-..、
/.: : : : : : : .ヽ
R: : : :. : pq: :i}
|:.i} : : : :_{: :.レ′
ノr┴-<」: :j| <この粘着ストーカーきもーい
/:r仁ニ= ノ:.ノ|! _
/:/ = /: :/ }! |〕) コツン
{;ハ__,イ: :f | /´
/ }rヘ ├--r─y/
/ r'‐-| ├-┴〆 _, 、_ '⌒ ☆
仁二ニ_‐-イ | | ∩`Д´)
| l i 厂  ̄ニニ¬ ノ ⊂ノ ←ジャムリン
,ゝ、 \ \ __厂`ヽ (__ ̄) )
/ /\_i⌒ト、_ ノrr- } し'し′
└-' ̄. | |_二二._」」__ノ >>36
蝦夷には古代朝鮮半島方面からの移民も結構含んでいるんじゃないかと考えている 三種の神器の勾玉、鏡、剣だけど、勾玉は縄文文化、鏡は中華文化、剣は朝鮮半島の製鉄文化
を表しているなあ。
その3つを融合したのが天皇家ってか? 宗教から歴史、政治経済まであらゆる情報の宝庫!
本日の講義は【大日本帝国は生きている】です。
白人の侵略からアジア諸国を救った日本軍の勇姿を学んでください!
http://blog.livedoor.jp/nakasugi_h/ 「アジア人の人類史から見た日本人の二重構造」
http://www.ishikari-c-college.com/topics/2013/10/10-7.html
2重構造を調べていくと、地域によっていろいろ意外な特徴があることがわかる。
北海道・東北・沖縄の人達は当然、縄文人の特色が出ます。また西日本の人達は
渡来弥生人の特色が出るのは当然ですが、京都を中心に近畿地方の人達は平均的
な日本人のデーターと全く違う数値を示します。100%渡来弥生人の特徴を一段と
示すそうです。京都中心とする近畿地方では渡来人の文化圏を作り混血が進まな
かったと思われます。 海外での国号を「Nippon」にしてもらう運動はないのかな
活用も「Nippon」を語幹にしてものにできんのか? >>50
それを逆に日本人が読むと
にっぽぽんになっちゃうからなー
_,,..--――--,,..
/::: ハゲ \
/:::" ヽ ←ジャムリン
,i :: ◞≍≍≖≍≍◟ ◞≍≍≖≍≍◟ i
`. `Y.. / ー-' ヽ '.
>イ ヽ ::.| ト‐=‐ァ' |: i ボクはジャムリンです♪
ノ∧ 丶、 ` `二´' }ィ´`フ
_人_ /N::::_:::::/::| ` r ' //:/: /‐く V
`Y´ /::::::://:::/:::::| >< /:::丁´:::::::::::::V゚}∩ * ボク、ジャムリンは
/::::nんh_::∧:::::}/八. ∨::::::」::::::::::〈ヽ.ノ///〉
. /:/| ! // 〉:::::>ヘ.ノ八 ソ::::{::::::::::::/:::} っ ウィキペディアをヤリタイ放題編集・加筆してます♪
//:::::::\__ノ〉::〈:::::::|/ ∧〉::::〉::::::::/::::∧ , ィ´
/:::::::::::::::::::::/::::::::\::! /:::::>'´::::::::/::::/:::い.ノ):〉 日本史板も荒らし回ってます♪
!:::::::::::::::::::/:::::::::::::::::ヾ厶イ:::::::::::::/:::/:::::::ヽノ:/
|::::::::::::::/ヽ:::::::::::::::<>:::::::::::::::::::/ |:::::::::::::::::::/ *
`ー七:::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::/ |:::::::::::::::::/
//:::::::::::::::::::::::<>::::::::::/::::/ ヽ:::::::::::/
/⌒〈:::::::::::::::::::::::::::::::::::イ::::::::/ `ー‐' * 歴史的にヤマトは大和地方を指すだけで、
対外的な国号をヤマトとしたことはない。
倭か大倭か日本。 倭と日本は違う国。
日本は朝鮮半島南部の地名だよ。釜山あたりか? 違うよ、九州の熊襲が日本国を名乗ってたんだよ。
だからその名残で「日の国」と今でも呼ぶ 漢字が入ってくる前から
ヒの国と名乗っていたら、
日、火、肥、は音を当てただけで、
漢字の種類はあまり関係がない。 記紀にはヤマト音は人名にしか出てこない。
ヤマト氏だろうと思う。 >>1
ヤマトだと沖縄がヤマトでは無くなる可能性が結構ある
日本だからこそ沖縄の人も日本民族なんであって 今の日本という名前は朝鮮にあった日本府とは別由来だろ。
混同するんでない。
別名なら「とよあしはらのなかつくに」が良かろう。
単に日本を「ひのもと」と読むだけでもいい。 >>65
日本民族なんて居ないよ。
それやるなら強大な軍事力が必要だ民族遊びは一度やると修正効かんのよパワーゲームとして根底で動き続ける。 >>8
中央の大和政権が関東・毛野王国付近を日本(ヤマト)と明記してなかったけ? >>68
民族遊びとか軍事力云々じゃ無く
単純に通常状態で民族は存在するぞ
日本民族もどう見るかであって
日本語を母語として話し大雑把に日本文化をベースとしている人は
日本民族と言えるし存在する あと民族なんて人口減以外で無くす事はそもそも出来ない
多民族国家でも民族は存在し続ける
日本民族含め民族を蔑ろにして政治を進めるのもむしろ大惨事が起きる
過激な民族主義の反対側に行き過ぎるのも問題
民族的に考えるからと言って>>68の言う様な否定的なニュアンスコミでの
修正が効かないとかパワーゲームとしてって事は無い
真っ当で普通な状態なら民族的に考えられているという事
まあ否定的なニュアンス抜きにすればパワーゲーム的な所はあるが
勢力均衡やその他落ち着くポイントというのがあって際限が無いわけじゃ無い
修正効く効かないというのもそもそも民族は人間が存在すれば存在するのであって
修正が効かないという発想自体がナンセンスな事 てか日本民族は存在するけどアイヌは日本民族とは別
沖縄は日本と同系統だから日本民族になり得るという事であって 誰でも日本民族だと思えば日本民族。
民族の一番重要なファクターって、言語を核とした帰属意識だろ。 中華の支配地で発展した国は無いぞ
北朝鮮になりたいのかよw >>73
現在の定義だとそうなるみたいだな。
同じく、普段は日本語使っていてもアイヌ人に所属意識があったらアイヌ人になる。 だから日本もヤマトも全部シナ由来だから使うなよ売国奴
漢字も平仮名もカタカナも全部禁止。
当然英語もドイツ語もフランス語も全部禁止。鬼畜米英どもの敵性言語。 >>71
要は軍事力持てよって事なんだよ米中が沖縄近辺で強気の根底にはそれが在る平和時は表に出ないが中国の朝鮮半島の扱い方と欧米系の大和民族のルーツ性の半島誘導はつながる動きだ。 >>6
「ヤマト」が「日本」に変えられたのは遥か昔だからまだ諦めも付くが、
「江戸」が「東京」に変えられたのはつい100年くらい前だもんな。
こりゃ勿体ないわ。 まあ日本なんて呼び方はなかったからなw
あくまで日の本(ひのもと)としか昔のやつらは
呼んでた記事しかみたことない 表記と読みをごっちゃに言うなよ
「倭」と書いても「日本」と書いても読みはヤマトで一貫だったんだからな
「にほん」と読むようになったのは鎌倉時代からだろ >>93
はいダウト
ジャパンの語源はヂパングですからw >>94
馬鹿者だw
その「グ」は発音しないぞ
つまり「ヂパン(ぐ)」=「ジポン」 >>95
表記と発音の区別つかない馬鹿者はおまえだろうがw >>88
江戸=穢土
みたいな小汚い名前が嫌だったんだろう 穢土 は孔雀王退魔伝スサノオからの引用じゃねえかw 江戸城は江戸氏の拠点だからそれなりに由緒あるけど? >>100
江戸を発展させた家康は浄土宗の信者で、「厭離穢土欣求浄土」を胸に天下を治めていた。
同じ音の土地に本拠を置いたのだから、意識しないわけがない。 秀吉が家康に江戸を本拠とするよう下命したのも、家康の価値観を知った上で、
豊臣の将来に希望を託した結果なのかもね。
回りにそそのかされて織田の価値観を過信したのか、アホの淀が台無しにしたけど。 まあ高台院様の問題よね〜w
どうみてもw
ありゃ家康云々の話じゃねえわ
高台院についたって話よ 江戸時代に豊臣姓を名乗ったの高台院派の子孫じゃねえのか? 種無し太閤の子を生んだ淀と、内助の功のねね。
女が前者を支持するなら、やっぱ女の価値観はクソそのものだな。
それほど世界を破滅に導きたいのかと。
男がどれだけそんなアホ女の政治への口出しを防ぐよう
腐心してきたと思ってる。
支那では「見た目だけのバカ女」を「傾城」「傾国」として某国の徒と
定義してきたってのによ。
価値観が見えてないバカが跳ね返るからこそ将来的には面白いが、
個人的には戦国程度の地獄を覚悟しろってこった。 >>107
高台院は落城しそうな大坂城に入ろうとして家康に止められているし
「高台院が淀憎しで家康に豊臣家を滅ぼさせようとした」というのは間違い
>>108
高台院の甥で養子の利房が本姓豊臣、苗字木下を名乗りこの系統が豊臣として続いた
利房が豊臣姓の継承を江戸幕府から命じられたのは豊臣秀頼自刃後
高台院が無理矢理豊臣を名乗らせたわけでもなんでもない >>110
アホな女は「南方系は女が強く、日本の平安貴族は典型」とか勘違いしてるけど、
南方だろうが平安貴族だろうが、女はどれだけ経済的に貧しい夫を虐げていようと、
自分の兄や弟には敬意を持って従っていたんだよな。
そこが押さえられていないアホ女は、自分たちの価値観でも世界を支えられると
勘違いして世界を滅亡へと導いているわけだ。
面白いことに、初期に日本でフェミニズムを担ってきた女は男性的価値観を
担った上でそれと気付かず女の保護に努めてきた。タジマヨウコとかのように。
タジマが本人自身分かっていなかったために、タジマの価値観にすがった
ビッチどもが調子付いて世界を破滅に導いているわけだ。
タジマなどのゴリマッチョ世代と下の世代ビッチとを同一視しちゃいけないよ。 >>96
ジパングは「日本」という漢字の中国語の読み(発音)が語源だぞ
だからジポンも中国語の発音で同じ事なんだが・・・ >>113
そんなこといったらイルボンもリーベンも同じことだけど
そんな大雑把な話でいいのか、かりそめにも学問板で
そもそもの流れは>>93みたいな途中すっとばして英語と漢字を短絡させた物言いへの
突っ込みから始まってるんだが。 >>113
>>95とお前は勘違いしている
マルコ・ポーロの伝えた国名はZipan-guであってZipangではない
それをカタカナに起こしたのがジパングまたはチパング
漢字に直すと「日本国」に相当し、「日本」ではない
今の北京式発音の中国語・ピンイン表記に直すとRiben guoとなる 「日」の音読みが「ジツ」
つまりこれが古代中国の発音
今の北京式とか意味無し 天皇を中心に纏っている国だから
「天下」
でいいじゃん >>116
>>115において北京式を出す意味はある
>>95>>113は「ジパング」の中の「グ」を誤解している
それは「国」という一字を「本」の音節末子音-ngと勘違いしているから
呉音と漢音では-ngは「い」「う」などになり子音としては消失する
よってこの勘違いは呉音漢音では説明不可能 現代でも中国語は地方でかなり違う 中国人同士でも北京語で話さないと
会話にならない マルコポーロは中国のどの地方の言葉を基準にしたのか
分からないと本当のことは分からない さらに古語だからややこしい
仮に首都で話を聞いたとしても日本に興味がある海岸地域の人たちが呼んでいた
言葉が語源の可能性も高い そこまで調べられないだろ 上海語でザッパンというように、呉語の発音が元だろう >>32
「日本國者倭國之別種也以其國在日邊故以日本爲名或曰倭國自惡其名不雅改爲日本
或云日本舊小國併倭國之地」
正解は「倭國自惡其名不雅改爲日本」の部分。 ザパナと呼ばれなかったのが不思議だな
ラテン語だと国名や地域は大体aで終わるのに >>123
世界の記述(東方見聞録)はラテン語ではなく古フランス語という当時の口語の一つで書かれた
その事と関係あるかどうかはわからないが、登場する地名や人名はラテン化された形ではなく
それぞれの現地の形に近いものが見られる
ケルマン、ヤズド、ホータンなどのペルシア語や、中国地名も揚州をヤンジョウなど「そのまんま」という印象だ ヤマトもいいけど、ヒノモトもいいな。
日本と表記し、ニッポンではなく、ヒノモトと訓読みで発音するのもいいな。
漢音とは決別だ。漢字は使うけど。 文中の「日本」を既存学界は公式国号と見たが、東野教授は「技巧を凝縮させた墓誌銘の文章と
見れば決して国号とは見られない」と否定した。墓誌銘に記録された当時、百済など中国の周辺
国は国号を使わず、扶桑・風谷・盤桃など自然環境的特徴に基づいた隠喩的名称を使ったが、唯
一、日本だけ公式国号を使ったはずがないという論旨だ。
墓誌銘の「日本」は中国から見る時「日が昇る所」という意味ですなわち百済を示すということだ。
彼は「墓誌銘で実際、倭国(日本)は‘ヘジュァ(海左:海東側)’、‘ヨンドン(瀛東:中国東側)と表記さ
れたと推定される」として「当時、国号が存在したとすれば書いた人は日本という表記を使わなか
っただろう」と主張した。
http://awabi.2ch.net/test/read.cgi/news4plus/1338994457/
最古の「日本」表記が百済人の墓だというんだから、それだけでももう、国号変えた方がいい。 >>126
その墓が出来たのは
倭が日本と国名変更してからなんだけどw
つまり百済は日本だった ニッポンと発音するようになったのはいつからだ?
琉球なんかでは、比較的最近までヤマトと言ってるだろ。
意外とニッポンと言うようになったのは最近なんじゃないか? >>1
ひのもとって読めばいいんじゃね?
自分は漢語でもいいけど。 >>129
中国読みがジポンだから
日をニチと読む様になってからでね 今でも
ジツポンと読んでも間違いではない
日本国憲法にルビを府って無いから ヤマトより「倭」の方がと思ったが漢字では日本らしくないから「わ」がいいかな http://img.hani.co.kr/imgdb/resize/2012/0607/00432833701_20120607.JPG
▲昨年7月、中国西岸骨董市場で発見され現地学術誌に公開された百済人「祢軍」の墓誌銘拓本。
今日の日本の国号が本来、百済の土地を称する言葉であり、国号成立に百済人らが関与したと
いう学説が提起された。
7世紀の百済滅亡期、義慈王と唐に投降して官吏になった後、日本に使節として派遣された「祢軍
(禰軍)」(613〜678)という人物の墓誌銘の文章に彫られた「日本」の文字が現在の日本の国号で
はなく百済の他の表現という根拠が見つかったという。この様な主張をしたのは日本古代史学界
権威である東野治之(とうの はるゆき)大阪市立大教授だ。
墓誌銘の「日本」は祢軍が日本に使節に行った背景を書いた部分に登場する。「660年官軍(唐
軍)が私たちの蕃国(百済)を平定した日…日本の残党が扶桑に立てこもって殺戮を免れ、風谷に
残った輩は盤桃を信じて堅く抵抗した…」という内容だ。
文中の「日本」を既存学界は公式国号と見たが、東野教授は「技巧を凝縮させた墓誌銘の文章と
見れば決して国号とは見られない」と否定した。墓誌銘に記録された当時、百済など中国の周辺
国は国号を使わず、扶桑・風谷・盤桃など自然環境的特徴に基づいた隠喩的名称を使ったが、唯
一、日本だけ公式国号を使ったはずがないという論旨だ。
墓誌銘の「日本」は中国から見る時「日が昇る所」という意味ですなわち百済を示すということだ。
彼は「墓誌銘で実際、倭国(日本)は‘ヘジュァ(海左:海東側)’、‘ヨンドン(瀛東:中国東側)と表記さ
れたと推定される」として「当時、国号が存在したとすれば書いた人は日本という表記を使わなか
っただろう」と主張した。
ハンギョレ新聞(韓国語) 「日本は本来百済の土、称する言葉だった」
http://www.hani.co.kr/arti/culture/culture_general/536435.html 百済ってやっぱり日本の属国だったんだな
大和朝廷が日本を名乗ったのは>>137が死ぬ前だし 日ノ本中央ははるか北で日下が継体以来日ノ本の出先機関とみなすのが妥当。 「日」に「ニ」という読みはないので「ニッポン」でいい 大日本をグレートブリテンのパクリとか言う人がいるけど
日本書紀が書かれた時代から日本人はグレートブリテン島を知っていたのか 『日本』
音読み:ニッポン
訓読み:やまと
でOK。
初代・神武天皇の元々の諡号は『神日本磐余彦天皇(かむ やまと いわれひこ の すめらみこと)』
「日本」の訓読みは「やまと」ということで1300年以上前から既に確立されている。 あと、教科書に載ってる『ヤマト朝廷』というのも『日本朝廷』と書き改めるべき。
このままじゃ子供達には何のことかよくわからない。
今の「日本」や「天皇」との連続性も不明瞭だ。 144
いいんだよ
日本書紀が書かれたのは天武天皇の時代
天武、持統天皇が住んでいたと思われる
遺跡はでている
皇室の起源は天武天皇で正解 それ以前の大和朝廷とやらが存在するならそれは大王記
天皇号はその時期に漢風いつ号としてこの時期に贈られたもの 天武天皇の時代に銅鐸が発見されてる記述がありそれが寄進されてるからな
これが何を意味するのか?そこで卑弥呼に通じるんじゃないか?って話だ >>1
なら天皇家には沖田という姓を与えねばなw
東宮は進、東宮妃は雪という通字も入れねばな >>145
『日本書紀が書かれたのは天武天皇の時代 』だからといって、
すなわち『皇室の起源は天武天皇』なのだと結論付けるのは些か強引な論なのでは…?
考古学的には天武以前の天皇にまつわる遺跡・出土物は複数確認されており、史学的な史料もまた同様。
>>146
今でこそ『天皇』という文字は音読みで「テンノウ」とのみ読むのが慣習になってるけど、
元来は『すめらぎ』『すめらみこと』と訓読みされていたことが記録されている。
つまり、当初この国には「すめらぎ」「すめらみこと」という"やまと言葉"が存在していた。
そして外交上の理由から「すめらぎ」「すめらみこと」に相当する漢字表記を統一・確定させる必要があり、
天武天皇の頃の日本政府の公式見解として、『天皇』という表記に決着したに過ぎない。
何のことは無い。「すめらぎ」自体は日本建国以来、連綿と続いている。
ちなみに「大王(おおきみ)」というのは外交上ではなく主に国内向けにのみ使われた天皇の「敬称」で、
現代語の感覚として大まかに説明すれば「陛下」というようなニュアンスになる(厳密に言えば、少々異なるけれど)
(恐縮ながら、「諡号(しごう)」と読みます。) >>147
銅鐸はそれ以前の時代から頻繁に出土しているし、
いわゆる「卑弥呼」は2〜3世紀の人物(役職名だという説も)のはず。
この部分はつまるところ何を意図しているのか、もう少し補足説明してくれると助かる。 >>148
中国の歴史書によると天皇は自らの姓を「アマ」と名乗った この国は「日本国」というらしい。
しかし、外国に対しては、ただ「Japan」としか名乗っていない。
これでは地名なのか国名なのか分からない。
国号はその国のありようを一言で表現するもの。
共和国なら「Republic」、王制なら「Kingdom」。連邦制なら「Federal」と付く。
実は、地名をそのまま国名にして、日本のように国のありようが分からない独立国が世界に20以上ある。
そのほとんどが英国の旧植民地。
紛争などのゴタゴタの中で独立し、当面は地名だけの国号になっているものもある。
さてそうなると、日本はなぜ「Japan」なのか?
天皇が元首の立憲君主国であることは間違いないのだから、そのことを一言で表した国号を名乗るべき。 『天皇陛下』の国際表記は『His Majesty the Emperor of Japan』ということで既に確立されている。
つまり国際表記上、日本は『The Empire of Japan』となるのが筋だ。
漢字表記はフツーに書けば『日本帝国』なのだろうけど、『日本皇国』というのが最も現状に即している。
ではその訓読み、「やまと言葉」では正式に何と読むべきだろうか?
日本書紀によると『日本(やまと)』『皇国(すめらみくに)』とある。
すなわち、
『日本皇国(すめらみくに やまと)』
(国際表記):The Empire of Japan
とするのが順当かと。 国号を「日本王朝」あるいは「日本皇朝」
読みはともに「やまとのすめみかど」
天皇は一般的には「天皇」でも良いが、正式な呼称は「明神御宇日本天皇」
読みは「あきつみかみとあめのしたしろしめすやまとのすめらみこと」
とすべき。 本部大和では?
ごめん
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『アイアンマン』
http://s-at-e.net/scurl/IronMan.html
※※※※※※※※※※※※※※※ >>152-154
大日本国および日本国が日本の伝統的な国名なのだからそれを維持するべき。
日本の伝統を廃して欧米風にしたいというならすればいいが、それはそもそもスレ違い。
現状のように大日本国(おおやまとのくに)もしくは日本国(やまとのくに)を用い、英語訳する際にはくにをエンパイアと訳せばいい。
或いは国をみかどと読ませてもいいかもしれないが、日本は天皇号を国名に繋げるから、国名に国家体制を入れると二重表現になって、
そうすると天皇号の英訳が今度はあなたたちの模倣したい欧米式の国家体制を含まない君主号とズレる事になる。 >>152
日=日の神の子孫、天皇
本=支配下、統治下にある
日本国=天皇が統治する国
意味あっているじゃないか >>157
私は欧米的ないわゆる近代国家の概念によるところの「国」に拘る必要はなく、
天下(天の下)の概念に立ち返るべしという気持ちを込めて「王朝」とするべきと言った。
確かに伝統的に日本国や大八洲国のように昔から「国」とは広い範囲を指して言うこともあったが
同時に山城国・武蔵国などや国造のように地方を指しても言った。
私はこの地方の「国」も否定はしたくはなく、さりながら中央を国と言ったり地方を国と言ったりしたんでは
ややこしくてしかたがなく、ただ単に「ヤマト」と言ったんでは日本のことなのか
『大和国』と呼ばれる地域のことなのかわかりづらいので、天下の範囲として「王朝」という言葉を使った。 日本は長年使われた名前でいまさら変えられないが、
「東京」は江戸に戻してもいいと思う >>157-158
なるほど。
そうすると、やはり『JAPAN』という英名の根本的な訂正を諸外国に宣言すべきだろうか。
方向性としては、例えば
『日本國(やまとのくに)』
国際表記:"The Yamatesque Empire"
(直訳:日本流の帝國 / 意訳:日本、皇國) >>160
『やまと』という語の由来は諸説あり、一概には言えない。
でもそこは大して重要じゃない。
『建国が行われた最初の領域を示す名』であり、
『実際に外交史上、我が国が外国に対して初めて名乗った名』であるというのが
独立国家の構成要件たる国号の素質として重要になる。
ちなみに原初の国史である日本書紀には『日本。これを耶麻騰(やまと)と読む。』と、丁寧な説明がある。
「ニッポン」という「音読み」は後世子孫達の間で流行りだした便宜上の呼び方に過ぎない。
したがって、そちらの主張を今一度声に出して正しく読んでみれば、
『ヤマトなんて日本(やまと)の国号じゃない』という些か奇妙な主張になってしまう。 表記は「日本」のままでOK。
『日本』
訓読み:やまと
音読み:ニッポン
別名:大八洲國、豐葦原瑞穂國、扶桑、敷島、大和 etc... >>161
言うこともあったがじゃなくてさ、伝統的にでもなくてさ、この国の名前は大昔の法律で日本国と定められたの。
そしてそれ以来一千数百年前に渡って変わらずに日本国のまま続いてるの。
地球上が全て皇室のものだなんていう中国的な天下の概念も立ち返るもなにも元から存在しなかったわけ。
故に中国みたいに○朝などと王朝の号を定めてそれを国家の呼称とした事なんか一度も無いの。
中国被れもほどほどにしときな。 >>168
反論するつもりはないけど、後学のためにその法律がなんという法律で
条文にどう書いてあるか教えてもらえないか。
さっき私なりに調べてみたところ、大宝令に「日本」という国号が出てきたらしいが
「日本国」と言われたかどうかはわからなかった。 >>162
首都に「京」を付けるのは、中国に対して「俺たちはお前の属国じゃ無い」という強力な宣言。
独自の元号を定めるのと同じこと。今、首都から「京」を外す改名は好ましくない。 >>166
大和というのは日本という国号が使われ
だして以降、現奈良県を指す地域を大倭
から大和に変更したものだぞ
一地域を指す大和よりも国号の日本の方が
古いのだ >>169
日本書紀だと日本國が多用されてる
しかし古事記には日本が出てこない
古事記では大倭國
つまりヤマトに戻そうという事は日本書紀の否定につながる 令制国を復活させたい。
ただし行政単位の名前は国のままじゃややこしいので州か県にして。
できれば郡や郷も復活させたい。 >>173
どうも明治政府ってのは「伝統を破壊する、ゆがめる」
ことに至上の快楽を見出してたとしか思えん 172
大倭が大和に繋がるなら奈良県だけに限った話だぞ 日本の国名は元は倭(わ)
それが大倭(やまと)に変わった
王朝交代が有ったと考えられる 日本の天皇を倭(ヤマト)の大王(オオキミ)に変えたところで
所詮半島から侵攻したO2b1a(47z)野郎であることには変わりない
この島の先住民はD1b(M55)の毛人(エミシ)だ 良かったな侵攻してきたのが天皇家で。
ほかの奴らだったら今頃D1b(M55)なんて駆逐されてるよ。 >>178-180
今やその議論には大して意味は無い。
もはや日本は『皇紀2674年』。
考古学的見地からも、少なくとも世界で唯一の「2000年国家」であることが証明されている。
科学的に考えて、現代日本人の約80%以上には何らかの形で『初代天皇の血』が混ざっている計算になる。
国民の約80%が初代建国者の継承者で構成されているという、世界で唯一の国。
その科学的事実こそが何より重要。 『倭(ワ)』っていうのはそもそも外国人が勝手に名づけた呼称で、
いわば『JAPAN』みたいなものだよ。
いうなれば、我々の祖先は「JAPAN」という字面に断固として「やまと」というふりがなを振ったわけだ。
これが「訓読み」の始まりだよ。
そして日本書紀を編纂した時点で我が日本人は外国人による「倭」という字を捨て、
自分達の頭で、自分達の国名を表す漢字を考えたんだよ。
それが『日本』 >>182
日本書紀より古いぞ
天智天皇の大津京の時代
併せて遣唐使船に舟印として
日の丸も使われている ワは自称
それに倭という漢字を当てた
しかも倭は日本専用の漢字
われ、わが、わたし
わは自分であり相手 >>184
我(われ)は中国語
吾(あ)が日本の一人称 >>182
「日本」というのは「中国の東」という意味の漢語だけどな。 >>185
それだと中国人が日本をワと名付けた意味が皆無になるw
ワーと言うと
オマエの意味になる地方も有る
ちなみにワーが一人称にも二人称にも使われるのは津軽
一人称がワンなのは沖縄
他にも日本全国に点在する かつて国内向けには「大八洲」と言い、国外向けには「日本」と言っていた。
ということで国内における文書や法律上での表記は「大八洲国」
国外向けの文書や条約などの日本語表記は「日本国」がよい。
が、やはり煩雑なので日本語表記で「大八洲国」
英語表記で「Nippon」もしくは「Yamato」で。 日本連邦がいいと思う
アジアに日本連邦を作ろう!
もちろん韓国は除外だ ヒノモトって呼び方があって
日(ヒ)の本(モト)ってことで、日本
大和って言うと天孫族による出雲侵略っていうイメージが。そういう意味ではないのはわかるが。大八洲国なら正当性を感じる >>192
根拠はないけど「ひのもと」って、まず「日本」っていう漢語があってそれを訓読した読み方臭い >>194
根拠はないけど、もとから「ひのもと」って呼び方があって、それに日本という漢字をあてたっぽい、とも言えてしまうww 日本になる以前は養徳だったわけで、ひのもとという読みは後付けでしょう。
倭も養徳も日本も読みはやまとだよ。養徳は令制国みたいにやまとの音に近い漢字を当てたんだろうね。 >>192
誰にそういう「イメージ」を吹きこまれたのか知らないけど
出雲というのは「侵略」されたのではなく、話し合いによる「国譲り」の舞台として有名な所だよ。
そして考古学の結論として
日本の統一政権が成立した時期からは大規模な戦乱の痕跡を観察することができず、
安定的な時代だったといわれている。
世界史の常識に反し、日本の統一というのはそういう時代に起こった。
日本人というのはそれを旨として、誇りとして生きるべきじゃないかな。
すなわち、和を以て貴しとなす。 日本建国の書であり、時の日本政府が発した公式文書である所の『日本書紀』に
「『日本』と書いて『やまと』と読みます」と書かれている以上、
『日本』を『やまと』と訓読みするのは確かな事実なのだろうさ。
日本語(やまとことば)としての『やまと』の語義については諸説あり、
結局のところは未確定とされている。
ただ、祖先はこれに『日本』『大和』『養徳』といった漢字を当てており、
それらを総合して祖先の言わんとした大意を把握することは出来る。 隋書だと国は倭国、都が邪靡堆
その後に日本と名乗るけど
さすがに中国人にヤマトと呼ばせる無茶はしてないと思う 「使持節都督・倭・新羅・任那・加羅・秦韓・慕韓六国諸軍事安東大将軍倭王」 >>201,203
原文を見ればすぐにわかると思うけど、
『日本書紀』というのは時の日本政府が対外的に発した外交的公文書で、外国語(漢文)で書かれている。
内容は日本建国の経緯を諸外国に向けて宣明するものであり、
その冒頭部にはこう書かれている。
「日本、此云耶麻騰。」(日本、これをヤマトという) 全然冒頭部に書かれてない
国生みの所に出てくるけど
>一書曰、二神合爲夫婦、先以淡路洲・淡洲爲胞、生大日本豐秋津洲。
>次伊豫洲、次筑紫洲、次雙生億岐洲與佐度洲、次越洲、次大洲、次子洲。
日本(やまと)が付いてるのは豐秋津洲だけ >「日本、此云耶麻騰。」(日本、これをヤマトという)
逆に言えば日本がついてないところは、
ヤマトじゃないということかねえ? どうでもいいわアホ
ヤマトだのなんだのふざけたこといってるとぶっ飛ばすぞ(・ω・)ノ >>206
30巻中の第1巻序文といえば十分に冒頭部といえると思うのだけど、
百歩譲って記述箇所が冒頭部でなかったからといって、それが学問的にどのように問題なのだろう。
単純な事実として、当時人々は国全体のことを「やまと」と呼称するに至っていた。
日本書紀(やまとふみ)はそのプロセスを説明する一端として、その歴史的由来を示しているに過ぎない。
「日本(やまと)」とは
建国者である初代・神武天皇(神日本磐余彦天皇/かむやまといわれひこのすめらみこと)が冠する号でもある。
国の歴史に縁の深い言葉が国号となった。ただそれだけの、世界ではごく普通の話さ。 >>207
? その発想は少し奇妙だ。
そのルールに従えば、オレゴン州も一々「Oregon of America」と付けなければ
アメリカじゃないということになってしまう
そもそも「大日本豐秋津洲」というのが「日本領豐秋津州」という意味かどうかは定かじゃない。
一緒に列記されている他の島々と同じく、
これで「おおやまととよあきつしま」という一個の島名なのだと考える方が自然。 古代において郡の名と郷の名が同じ例は多くあるし、
現代においても県名と同じ名を持つ市は多くあるように、
古今を問わず上位の領域の地名と下位の領域の地名が一致することは珍しいことではない。
よって一地方にヤマト(大和)という地名が存在することは
国名をヤマト(当てる漢字が「大和」にしろ「日本」にしろ)とすることの妨げにはならない。 ローマは最初は小さい地名だ
それが地中海全域とヨーロッパを支配するローマ帝国となった
ローマを首都とする西ローマ帝国は滅んだが
イスタンブールを首都とする東ローマ帝国は1000年存続した
だが東ローマ帝国は現在ビザンツ帝国と呼ばれている
一番の理由がローマが首都で無いからだ
日本も鎌倉幕府から大和が首都で無くなった
よって日本をヤマトと呼ぶのは困難である いや、順序的に言って
「ヤマト朝廷」が存在した地だから後世その地名が「ヤマト」と名付けられたのであって
その逆ではない
そもそも幕府=首都ではない。
そこらへんの認識、大丈夫か…? >>214
それはまったく違う
倭国を支配した都がある国が邪馬台国だった >>24
これさ、中国で発見された墓誌の電波解釈だろう。
中国の墓誌を研究する明治大の気賀沢保規教授(中国史)によると、論文は
吉林大古籍研究所の王連竜氏が学術雑誌「社会科学戦線」7月号に発表した。
祢軍(でいぐん)という百済(くだら)人の軍人の墓誌で1辺59センチの正方形。
884文字あり、678年2月に死亡し、同年10月に葬られたと記されている。
百済を救うために日本は朝鮮半島に出兵したが、663年に白村江(はくそんこう)の
戦いで唐・新羅(しらぎ)連合軍に敗れる。その後の状況を墓誌は「日本餘●(●は
口へんに焦) 拠扶桑以逋誅」と記述。「生き残った日本は、扶桑(日本の別称)に
閉じこもり、罰を逃れている」という意味で、そうした状況を打開するため百済の
将軍だった祢軍が日本に派遣されたと記していると気賀沢教授は説明する。 >>140
文字の上では二ホンでも発音はニッポン。
古代では母と書いてパパと呼んだ。 >>216
大和朝廷は670年の遣唐使で日本に改名したと中国に伝えている
そいつが死んだのが678年
墓碑は死んでから書く
つまりその墓碑は百済が日本の属国だった証拠にすぎない >>215
まず邪馬台国について整理しよう。
・『魏志』の中の『倭人伝』(約2000字程度)においてのみ登場する国。
・記述の通り辿ると、海上に存在することになる。
・計算によれば人口35万人以上の大国らしい。(当時の奈良盆地の最大人口は5万人を超えることは無い)
・日本側の考古学的調査、及び史学的史料においては未だその存在が確認されていない。
・『魏志』によると日本列島は九州を起点に南へ伸びる。(実際は逆。北側へ伸びている列島)
これらの点から、専門家の中には魏志倭人伝というのは極めて政治的な理由でつくられた文書だと推測する向きもある。
つまり、三国時代に「魏」が「呉」「蜀」を牽制するため、
海上の大国『邪馬台国』を演出した。
学問的にはありえない国。つまりでっち上げの国である線が近年濃厚となっている。 血統が重要なのよ民俗学的な描写な遊牧北方系民族や地理的に北に持って行けない
理由がでっち上げでも存在する。
古代のこの動きと今東シナ海で中国が琉球にこだわり動き出したのは
同根みたいなものだ 667年
日枝山(日吉山、比叡山)坂本の志賀の都へ遷都
旧都である飛鳥が倭京(やまとのみやこ)と呼ばれるようになる
国号を日本とする(倭が日本へ国号を変更)
669年
第7次遣唐使派遣 国号変更を唐へ通達
672年
壬申の乱
倭京を本拠とする大海人皇子軍が勝利
志賀の都(日本)を倭(倭京)が変更し
日本という国号を冒す(継承)
678年
墓碑が刻まれる
702年
第8次遣唐使派遣
天武朝が天智朝を継承し、国号も受け継いだ顛末を報告
757年
大倭国(現奈良県)が大和国に改名 794年
天智天皇の末裔である桓武天皇が、比叡山のふもとへ都を戻す 桓武天皇の孫だっけ?
聖武天皇あたりが天智天皇とは血の繋がりがない臭いことはいってるな
万世一系なんてしょせん夢物語なんだよ >>223
☓国号を日本とする(倭が日本へ国号を変更)
◯国号の漢字表記を日本とする >>225
ああ、勘違いしちゃったんだね。
確かに聖武天皇には正式な跡継ぎが無く、『草壁皇子系』が断絶した。
そしてその次に、『天武系』から『天智系』へと皇統の本流が移ることになる。
皇統自体は特に断絶してないよ。
桓武天皇の孫で即位した天皇となると、仁明天皇のことかな?
その時も特に皇統が断絶するような大事件は起こってない。
というか、そういう大事件があったら教科書に載ってると思う。 ちなみに聖武天皇から見て天智天皇は曽祖父の兄に当たる。 >>223
日本への改号は天武三年。670年という説は新唐書を誤読した三国史記の妄説。
従って669年の遣唐使が日本改号の報告などしていない。この段階ではまだ倭国だ。 天智と天武は兄弟ではなかった説とか色々あるよね
その場合聖武は女系でのみ天智の血を引いてはいるが 宗教から歴史、心理学、人生問題、社会問題、政治経済まで
あらゆる情報が盛りだくさん!!
中杉弘のブログで学びましょう!
http://blog.livedoor.jp/nakasugi_h/ >国号を「日本」から「ヤマト」に戻そう
目糞を鼻糞に変えるくらいバカげた行為
ヤマトなんて半島人の入植地じゃないか
なぜエミシにしない? 君の言うところの半島人の入植地であるヤマトから見た蔑称だよ。 前々から不思議なんだけど、その「ヤマト=半島人」史観って出所は何なの?
DNAを分析すると日本人と半島人は遠いし(まずこれが決定的)、
放射性年代測定法によると稲作文化は日本の方が半島よりもずっと古いことが判明した。
古い歴史教育によると、稲作は朝鮮半島から伝来したものらしいね?
確かに地図を見てみると、素人目にはそれこそがもっともらしい真実のように見える。
しかし科学が導き出した結論は違う。 エミシは蔑称とは違う
蔑称には毛人を使っていた
エミシは最初は愛瀰詩と書かれた
それに蝦夷という漢字を与えた
〜シは尊称が多く〜ソは蔑称が多い
よってエゾは蔑称 北海道とかいう五畿七道みたいな都道府県名はやめて、アイヌモシリ州にしよう。
当てる漢字は「我居最知」などはどうか。
「我々(=アイヌ)が居て最も知る(=領有する)」という意味。 >>237
戦前の日鮮同祖論
騎馬民族征服王朝説の江波も関東軍から資金をもらって研究していたが、
日本が大陸に帝国として君臨するために必要とされたロジックだった >>238
神武天皇はニギハヤヒから、
ニギハヤヒはナガスネヒコから地名を習っただろうから
多分縄文語だろうな >>230
いや、全然無視などしてないよ?墓誌は678年じゃん。 >>229
日本への改号は天武三年じゃなく十二年だろう 初代:國常立尊
栗など、木の実の栽培の指導者として一つのクニを形成したと伝えられる。
2代:國狹槌尊
『國狹槌』は世襲名であり、複数人いたという説もある。
3代:豐國主尊
4代:埿土煮尊
5代:角杙神
6代:面足尊
7代:伊弉諾尊
第4代埿土煮尊の養子の孫。この頃、稲作(水稲)の指導者となる。
8代:天照大神
9代:天忍穂耳尊
10代:瓊瓊杵尊
11代:火遠理命
12代:鵜葺草葺不合命
この三代を『日向三代』という。
九州の過酷な火山灰の土地で、「灌漑農法」の指導に当たった。
一方、大和の地において瓊瓊杵尊の兄である櫛玉火明命が10代天皇を名乗る。
二皇朝並立の時代。
13代:神武天皇(神日本磐余彦天皇) ← 伝・初代天皇
櫛玉火明命の養子、櫛玉饒速日命の外戚となった長髄彦が大和で権力を掌握。
二皇朝並立の状態を解決するため、神武天皇は九州を発つ。
神武東遷。
>>131
大和と日本は別物では?って話でしょ、>>129がしているのは。 >>137
「中国」にシナと中国地方の2つの意味があるんだがw 日本は百済系渡来人の結社の社名が由来である
日=蘇我馬子プロデュースの日出処
本=ここでは結社を指す
即ち
日本=日出処結社
である
本元は蘇氏(蘇我氏)
始めは渡来人同士の同郷会互助会程度の代物を称して居たろうが馬子の頃にヤマトを乗っ取り
蝦夷入鹿親子の頃には故国を軽んじる様になりヤマト朝廷に依る百済への軍事支援を打ち切ったので
百済王室はこれに怒り蘇我氏傍流の不満分子であった皇后の叔父を焚き付け支援してクーデターを起こさせて蝦夷入鹿親子を殺害させた
その後紆余曲折有って百済は滅亡し皇后の叔父の弟(やはり皇后の叔父)が一代置いて天皇に即位した
その天皇が先々代に依るクーデターから50年余り経った頃に
旧大八島旧新羅旧高句麗旧百済の全ての勢力を束ねる意を持って
日本を正式の国号として宣じ日本は密本から顕本となった
顕本としての日本は室町末期までに力を失ったが明治維新で薩長を手足に息を吹き返し対欧米列強政策として東アジア王族連合を形成すべく大陸進出に乗り出すもアメリカ合衆国に大破され現在に至る >>247
ちがうだろ、単に読み方の話
>>131,>>129 日本(やまと)と書いてニッポンと読むようになった最古の記録は鎌倉初期なのでおそらく平安末期の軍記物文学のような和漢混淆文の中から生じた読み方であろう
>>248
あの墓誌が書かれた時代に日本の中国地方をさして「中国」という用法はまだ無いよ
>>250
蘇我厨電波は逝ってよし >>251 た、頼む、逝く前に、ぬ、主の、日本の語の起源についての自説を、このスレに、書き込んでは貰えまいか… >>246
>>一方、大和の地において瓊瓊杵尊の兄である櫛玉火明命が10代天皇を名乗る。
二皇朝並立の時代。
天皇が天皇を名乗っていたのは、遣唐使があった時代と江戸後期以降だけだろ
他は明治以降天皇におくり名されただけ 元々古代からずっと日本にいた『すめらぎ』『すめらみこと』という存在。
その漢字表記として後世に採用されたのが『天皇』という字。
『天皇』という「漢字表記の採用時期」をもって「天皇成立の時期」と看做すのはいささか安直だ。 要するにこれも
『日本』(訓読み:やまと 音読み:ニッポン)
と同じとこでさ、
『天皇』(訓読み:すめらぎ、すめらみこと 音読み:テンワウ、テンノウ)
ってことなんだよね。
つーか、何で現代日本人はみんな中国語(音読み)使ってるの?
よく考えて見れば、変な話だよね。 龍洲(りゅうず)なんて聞いたことねーよw どっかのゲーオタか何か?
日本も扶桑も蓬莱も初期にはすべてヤマトと訓読みしてた可能性はあるな うーん、それもさすがに憶測の域を出ないだろう
「日本」という文字列の訓読みが「やまと」だっていう物証は日本書紀ってことで
確実に現存する事実なわけだけど 日本があって、倭があって、倭から日本をみると大倭
つまり九州王朝が倭で畿内が大倭
そして大倭が転じて大和
これでいいかな? >>263
九州王朝とか与太話もちだしてる段階でいいわけねーだろ
>>262
しかし実質同じところをさしてれば、
または同一集団が「え?俺らのこと?」と自認してれば、
彼らが漢族でないかぎり自民族の言葉で自称したろ。
むちゃくちゃ蓋然性のある推測だよ >>261 竜頭に掛けてみた
今縁起物に目の無い中国人が北海道の原野買い漁ってるしw 山門は奈良(←朝鮮語の国)盆地の倭名で
大和は古新羅系高句麗系移民の加わった大規模国家
日本は大和を簒奪した百済系渡来人の結社の名称であり中華圏から見た場合の東方の徒党野党
他に解釈の仕様が無い >>263
>日本があって、倭(ワ)があって、倭(ワ)から日本をみると大倭(ダイワ)
>つまり九州王朝が倭(ワ)で畿内が大倭(ダイワ)
>そして大倭(ダイワ)が転じて大和(ダイワ)
ずっとワ、ダイワで、ダイワ→ヤマト にチェンジする過程がない。 サンスクリット→日本名の過程じゃないのか?
日本語の半分はサンスクリットからの転用だぞ ずっと大和の国に朝廷を置いてたんで、
適当な時期に、日本国全体を大和と表現するようになっただけのような気がする。
公式に外国に対してヤマト国と名乗ったことはないだろ。 >>267
ワからヤマトにチェンジしたなんて、
学者の全員&素人古代史マニアのほとんど誰もいってないし、
なんでワからヤマトへのチェンジとか意味不明なこと言ってんのかさっぱりわからんな?
ワからヤマトへはそもそもチェンジしないだろうに… ヴェトナムも漢字の越南をヴェトナム語式に発音しただけ。日本と同じ。
漢文明由来。 >>246
櫛玉火明命って、姫路十四丘伝承の主人公の方ですか?
櫛玉火明命、櫛玉饒速日命についてもっと教えて欲しいです。 >>273
「日本」=「中国の東」という意味
今、日本が「WestーIsland Kingdom」(アメリカの西の国)と名乗るのと同じ 元の意味としてはそうだろうけど、「世界を照らす日の光の本となる国」という新解釈を後付てはどうか。
「日の光」を天皇の威光ととっても良いし、国際社会への貢献ととっても良いし、
漠然と、輝くくらい立派な国ととっても良い。
中国の華やかな世界の中心という「中華思想」に対し、我が国独自の、名付けて「日本思想」。 >>275
×「日本」=「中国の東」
○「日本」=「日出づる国」シナ=「日没する国」 なんとなく 日本っていうと北海道から沖縄までのイメージで
<大和>って奈良のイメージやねんけど
なんでやろ? >>279
「日出づる」って「東」という意味なんでは 「中国が絶対的に世界の中心で日本はその中心から見て東」じゃなくて
「確かに中国から見たら日本は東だけど、日本から見たら中国は西だから日本も中国も同格だよ」
って意味じゃないの。 >>282
同格と日本側では思ってたかわからんが、
客観的に見れば中国との関係のみで作られた言葉でさらに純漢語と来ている。
>>275のと変わらない。
年号を制定して「中国と並んだ」、と言ってるのと同じ。 >>284
すでに名乗っていた「日出づる国」の意味で
「日本」と名乗るようになったんだろ >客観的に見れば中国との関係のみで作られた言葉
どうかねえ。
日本書紀にはよく朝鮮諸国のことを表現するのに「西蕃」て単語が出てくるよねえ。
中国についても「西土」、天竺のことを「西国」と書いている箇所がある。
>>282さんが言うように、中国から見た東西とかいう話ではなくて、
当時の世界観として、我がやまとの国は「世界」の中で絶対的に「東」、
ほかの朝鮮・中国・インドはみな一纏めに「西」、という認識で、
日出ずる国、日のもとの国の意識が形成されている可能性は十分にあると思う。
中国は大国だから格別かもしれんけど、でも日出ずる国⇔日没する国、
東天皇⇔西皇帝、独自の年号使用には対等意識が働いていると思うし、
逆に中国が自らを「日没」の国と形容していたとして、
東夷の小島国に「日本」なんて名前は付与しないでしょう。 大体、1000年近くも使い続けている国号を、
変えなくてもいいじゃないか。
日本にはもともと文字が無かった。
だから漢字が国字になった。
漢字で日本でいいじゃん。
日本人が野球を国技のように扱うものだと
考えればいい。 調べてみればいろいろネットにも情報は書かれてるわなw
漢字学習者も漢音学習者や呉音学習者、その他、かなりいたんだな
漢音学習者が中国じゃ今の一世代前の漢音の読み方が当時は主流だ
ったからかなり幅を利かせてたんだなw
学歴有利なのは当時も変わらんw だから日本で主流になってる漢音の読みも今の中国の漢音の一世代前の漢音の読み方な 古代日本人て、太平洋の向こう(日の本の先)に何があると思って
いたんだろうね
誰かチャレンジして、船で太平洋横断 というか、水平線を目指した
日本人はいないのだろうか・・ 分からない
居たかもしれないし、居ないかもしれない
とにかく記録が残っていないんで 日本というよりも人なんかの拡散は今の中国南部
昔の呉のあった地域から広がったのが多いみたいだからな 日本にもともと居たのが広がったってのは考えにくい
呉→日本→太平洋というパターンならありえるかも >>292
東南に船旅1年で黒歯国、裸国があると言っていた そういえばイースター島のモアイは日本人が作ったかもしれないとかテレビで言ってたな アマテラスが太陽神なら、日出る場所 つまり太平洋の水平線の向こう側に
神々の世界があると思っていても不思議ではないのでは?
伊勢神宮の場所を考えたら、ヤマトから東の岬 即ち伊勢だし >>288
「漢字」は仕方ないとして、
問題は国名と首都名が「漢語」であることな。 >>292 利発な子供や修行を積んだ良僧を東の海に流すと神からの良い報いがあるとされていた
ぶっちゃけより東の蝦夷地に良民を流れ着かせて後々の為にイメージアップを図る手管だったのだろう
熊野灘に流し出される若僧なんかは号泣しながら船から降ろしてくれと命乞いしていたそうな 太平洋の水平線の向こうから来た異国人に原爆落されて終る神国日の本
ってなんか皮肉だよね・・・・ 厳密にいうとその異国は日付変更線の向こう側だし、
原爆機も「南」からやって来たんだけどね。 《このように、この国号は「日本」という文字に則してみれば、
けっして特定の地名でも、王朝の創始者の姓でもなく、
東の方向をさす意味であり、しかも中国大陸に視点を置いた国名であることは間違いない。
そこに中国大陸の大帝国を意識しつつ、
自らを小国とし対抗しようとしたヤマトの支配者の姿勢をよくうかがうことができるが、
反面、それは唐帝国にとらわれた国号であり、
真の意味で自らの足で立った自立とはいい難いともいうことができる。》
http://detail.chiebukuro.yahoo.co.jp/qa/question_detail/q1288438137
延喜四(904)年の講義のさいにも、
「いま日本といっているのは、唐朝が名づけたのか、わが国が自ら称したのか」という質問が出たのに対して、
その時の講師は「唐から名づけたのだ」と明言している(『釈日本紀』。
実際『史記正義』という大陸側の書には、則天武后が「倭国を改めて日本国」としたとあり、
そうした見方も早くからあったのである。
《その中で江戸時代後期、この国号(日本)を「大嫌い」といった国家神道家が現われた。
幕末、尊王攘夷論によって知られた水戸学者東湖の父藤田幽谷の書簡に、「日本国号」について近ごろさかんに議論があることにふれた一通があり、
その中に「一種の国家神道を張」る「会津士人佐藤忠満」の「一奇談」として「日本の号ハ唐人より呼候を、其まま此方にて唐人へ対候て称する所のみ」と主張する佐藤が「国号を申候事、大嫌之様子」と記されている。》
網野善彦『「日本」とは何か』、講談社学術文庫、2008年11月、88頁) >>303
>その時の講師は「唐から名づけたのだ」と明言している(『釈日本紀』。
続きを無視してるな
>もとよりこれは『旧唐書』の記事などから見て明白な誤りである
日本という名前は中国が付けたのではない
これは明白
あと神武天皇が「日の神の御子」を自称している
古代の倭は日の神の御子が治める国、つまり「日本」になったのだよ >>301
実はそれは
歴史は繰り返すってヤツなのだ 「朝鮮」も「中国の東」っていう意味かもしれんな
現地語の当て字かもしれんが 渤海も最初「震」っていう名前だったっけ
震も東と言う意味 朝鮮は中国から見た呼び名だった
それを後世にありがたく国名にした
これは明白
日本の最高神は天照大神
つまり太陽神で日の本で日本 文明が一番進んでいる上にやたらデカイわけだから
そこが起点になるのは仕方内のかもしれんが、あるていどは >>308
それは別にどうでもいい
あと意味もどうでもいい
「漢語である」点だけが大事 現代の皇室自体、孔子や孟子を出典にして子供の名前決めたりしてるくらいだし 元凶は日本人の名前の表記を唐風に改めさせた菅原清公か。 龍州は着々と縁起物に目の無い中国人所有の土地になっています >>311
中華人民共和国の「人民」と「共和国」は
日本人の造語で和製だけど
問題ある? 中国人みんながみんな和製漢語を受け入れるのに賛成しているわけじゃないよ >>311
漢語禁止って、韓国人みたいな言い方だね。
する意味がわかんないよ。 日いづる国が東を意味するなら日本海も東海も意味する所は同じと言う事か。 韓国人もそれに気付けば日本海の呼称を認めるであろう。 >>317
いや、国名と首都名が漢語なのは情けないという話 ギリシア以外で
アルファベットを使ってる国が情けないだと? >>322
あの「漢語」なんだが。
「日本」も「東京」もヤマト言葉要素ゼロだから >>323
バカ
日本書紀では
日本と書いて読みはヤマトだぞ >>324
ダメだね。
「宇太」か「葛野」にするべきだった。 >>326
日本武尊
>>327
そこはヤマト国だろw
まさかヤマトじゃないと言うつもり? >>328
いや「平安京」「京都」じゃなくて「宇太」か「葛野」にすべきだった 重要なのは天皇が統治するという国体であって、倭だろうが日本だろうがヤマトだろうが国号はさして重要ではない。
下手に国号を定めようとすると、「戦前は大日本帝国で戦後は日本国」などとまるで別の国のように語る輩が出る要因になる。
大日本帝国憲法は明治憲法、日本国憲法は昭和憲法。
憲法や法文に書かれている「日本国」などは「我が国」や「本朝」などに改めるべき。 日本や倭を、ヤマトと当て字するようになったのは、
記紀からだよね。 倭をヤマトと呼ぶなら
大和はオオヤマトと呼ぶのかな。 >>332
どっちにもよむ。
天理市にある神社や古墳群はオオヤマトとよんでる。 天理市も石上神宮という記紀にも伝えられる由緒正しい神社があるのに
そこそこ古いとは言え新興宗教の名前付けなくてもなあ >>282
日本を「日出国」と日本人が自称したということは、
日本人も中国を世界の中心と認識していたことを意味するよ。
中心から見て日本は日が出るほうに位置付くからこそ「日出づる邦」と言えるのだからね。 日本の位置を「日出づる国」と名指すときの視点というのは中国側にある。
中国側にとって日本が「日出づる」側に位置していたという名称にすぎない。
日本を中心と見なしていたら日本は「日出づる国」とも言えなくなる。
むしろ「日が真上にある国」という表現のほうが適切。 もともと「ひがし」という言葉も「太陽が出る方向」という意味らしいし、
「east」とか「東」もそうかもな。 中心があるという前提で日出るとかって言ってる訳じゃないんじゃね
2分法で、日が出る方向と日が沈む方向 があるってくらいで >>338 >>339
日出づる国・東天皇の日本に対して、
中国を日没する国・西皇帝と言っているのだから、
世界の中心が朝鮮半島であることは明らか。 343
昔の中国は発明関係なんかも凄かったんだけどな
和紙だって紙の技術が伝わって作られるようになったんだが
いつから落ちぶれたんだかな
古銭なんかも伝わってきたんだがこれも国内で流通させる銭
として使うために輸入したもの
貿易の目的は主に技術の導入 足利義満なんかが日本国王を名乗り勘合貿易を始めたのも当時は倭寇(海賊)が
荒らし回っていたから身分証明証としての名乗りでそうじゃないと貿易ができな
かったの 倭寇(海賊)の構成員は
日本、朝鮮、中国人の混成みたいなもの だから当時の朝鮮半島の海岸部などを往来してたのはほとんど倭寇(海賊) >>315
むしろ、
日本人がヨーロッパから「Republic」という語が入ったとき、
なぜそれをヤマト言葉でなく漢語で表そうとしたのか。
そっちのほうがよほど情けないと思うのだが。 中国と対等とかクソどうでもいい
今、"Super Great Empire"という「立派な」国名にしたら
「やった、これで世界一だ」とか思うわけ? >>338
中国が世界の中心という趣旨なら日没する処の国とはどこか。
仮に中央アジアのどこかの国だとして、なんで聖徳太子は
「日本の天子が中央アジアのある国の天子にお手紙書きました。」って中国に報告したのか。 唐に日本への改名を報告した時には当然
「唐から見て東という意味でございます」って言ってただろうな 漢字は文化では無く文明だ
「日本国」を「大日本帝国」に戻すか「大日本国」にするのは賛成 ヤマトの当時の地形名称は大三島だから大四島乃至大千島が良さげだが全てロシアに併合されそうな名前だから止めようorz ぐぐったけど大三島って愛知県にある島の名前じゃないの?
日本は大八洲(大八島)では? 大八洲は厳格に地形を指す語句としては大きな三角州の事です
転じて八方見渡せない程大きな島の意味にも用いられていますが
大三島は九州四国本州の事です >>353
いや全然
日本と改名した際唐の人は
その態度を傲慢だと感じていた
日本、つまり太陽国で世界の中心という意味 >>358
中国的世界観では宇宙の中心=天帝は不動の北極星であり
太陽など雑魚なんだと思ってた。 北極星信仰は遊牧民に見られる
移動の目標に重要だからな
ただ北極星を見ても種蒔き時期は分からない
農耕民族は北極星信仰にはならない まともな倭国に対して、日本国の連中は傲慢じゃのう。
旧唐書 鉄剣の銘文に治天下とあるように、中国とは別に日本列島をもって天下とする意識が古墳時代にはみられる。
中国が全世界の中心で地の果てまで、建て前上皇帝の物とする中華思想的な世界観に、取り込まれるのを嫌ったと思われる。 363
支那が中華主義になったのは850年
何が始まったかというと各種宗教の弾圧
いわゆる中華皇帝こそが宇宙の中心だと
する考え方 ある種、世界中の知識層が中国に集まっていたから昔は凄かったとはそう言うこと
耶蘇律令なんてのもキリスト教のやつらがもたらしたものだろ キリスト教のことを耶蘇会といったのはキリスト教が伝来する前にすでに耶蘇という名称で
呼ばれていたキリスト教の存在を知っていたからだろ
つまりキリスト教自体は伝来する前にその存在は知っていたって話だ >>366
秦の始皇帝の頃には
焚書と知識層の抹殺が始まってますが? 369
何のギャグだ?
368
サルの話はどうでもいい
秦の始皇帝はサル アンカーの付け方もわからないサルにサル呼ばわりされてもなw なんで西暦なんだよ!
ヤマト歴9863年とかにしろよ 『旧唐書』倭国・日本国伝
日本國者、倭國之別種也。以其國在日邊、故以日本為名。或曰:倭國自惡其名不雅、
改為日本。或云:日本舊小國、併倭國之地。其人入朝者、多自矜大、不以實對、
故中國疑焉。又云:其國界東西南北各數千里、西界、南界咸至大海、東界、北界有
大山為限、山外即毛人之國。
日本国は、倭国の別種なり。
その国は日の出の場所に在るを以て、故に日本と名づけた。あるいは曰く、倭国は
自らその名の雅ならざるを憎み、改めて日本と為した。あるいは日本は昔、小国だっ
たが倭国の地を併せたという。
そこの人が入朝したが、多くは自惚れが大にして不実な対応だったので、中国はこれ
を疑う。また、その国の界は東西南北に各数千里、西界と南界いずれも大海に至り、
東界と北界は大山があり、限界となし、山の外は、すなわち毛人の国だという。
『新唐書』日本伝
其王姓阿毎氏、自言初主號天御中主、至彦瀲、凡三十二世、皆以「尊」為號、居筑紫城
王姓は阿毎氏、自ら言うには、初めの主は天御中主と号し、彦瀲に至り、およそ三十二世、
皆が「尊」を号として、筑紫城に居住した。
※「筑紫」=北九州
(まとめ)
日本と倭国は別種。
日本はどこかの小国だったが倭国を併合した。(旧唐書)
日本の王が自ら言うに、日本の最初の王は北九州にいた。(新唐書) >>373
今年は「天孫降臨173万5148年」なんやで 沖縄人とアイヌ民族を排除するために「ヤマト」だわな まーだ6000年前の日本で小麦作をしていた事も知らない馬鹿がいるの?
6000年前に日本はもう小麦作をしていたんですよ。中国よりも先になwwww
岡山市の縄文時代の貝塚「朝寝鼻(あさねばな)」を調査している岡山理科大の
考古学チームが1999年4月21日、「縄文前期の土壌から稲の細胞に含まれる
プラントオパールが見つかった」と、発表。約6000年前に「米作り」が
行なわれていたとする発見で、稲作の歴史が縄文前期にまでさかのぼることになった。
このプラントオパールはイネ科の葉の細胞内に含まれるケイ酸体の粒子で、同貝塚の
下層(深さ2メートルの土壌)からのサンプルを採り調査したところ、356点の
サンプルから10点、形状からジャポニカ(短粒種)とみられる稲のプラントオパール
が検出された。また、稲のほか小麦とハトムギのプラントオパールも見つかった。
http://www.local.co.jp/news-drift/agri-99kome.html
稲のほか 小麦 とハトムギのプラントオパールも見つかった
稲のほか 小麦 とハトムギのプラントオパールも見つかった
稲のほか 小麦 とハトムギのプラントオパールも見つかった まーだ6000年前の日本で小麦作をしていた事も知らない馬鹿がいるの?
6000年前に日本はもう小麦作をしていたんですよ。中国よりも先になwwww
縄文時代前期とされる岡山県灘崎町、彦崎貝塚の約6000年前の地層から、
稲の細胞化石「プラント・オパール」=写真=が出土したと、同町教委が18日、発表した。
同時期としては朝寝鼻貝塚(岡山市)に次いで2例目だが、今回は化石が大量で、
小麦などのプラント・オパールも見つかり、町教委は「縄文前期の本格的農耕生活が
初めて裏付けられる資料」としている。
http://inoues.net/science/wan.html
今回は化石が大量で、 小麦 などのプラント・オパールも見つかり
今回は化石が大量で、 小麦 などのプラント・オパールも見つかり
今回は化石が大量で、 小麦 などのプラント・オパールも見つかり
今回は化石が大量で、 小麦 などのプラント・オパールも見つかり http://img.hani.co.kr/imgdb/resize/2012/0607/00432833701_20120607.JPG
▲昨年7月、中国西岸骨董市場で発見され現地学術誌に公開された百済人「祢軍」の墓誌銘拓本。
今日の日本の国号が本来、百済の土地を称する言葉であり、国号成立に百済人らが関与したと
いう学説が提起された。
7世紀の百済滅亡期、義慈王と唐に投降して官吏になった後、日本に使節として派遣された「祢軍
(禰軍)」(613〜678)という人物の墓誌銘の文章に彫られた「日本」の文字が現在の日本の国号で
はなく百済の他の表現という根拠が見つかったという。この様な主張をしたのは日本古代史学界
権威である東野治之(とうの はるゆき)大阪市立大教授だ。
墓誌銘の「日本」は祢軍が日本に使節に行った背景を書いた部分に登場する。「660年官軍(唐
軍)が私たちの蕃国(百済)を平定した日…日本の残党が扶桑に立てこもって殺戮を免れ、風谷に
残った輩は盤桃を信じて堅く抵抗した…」という内容だ。
文中の「日本」を既存学界は公式国号と見たが、東野教授は「技巧を凝縮させた墓誌銘の文章と
見れば決して国号とは見られない」と否定した。墓誌銘に記録された当時、百済など中国の周辺
国は国号を使わず、扶桑・風谷・盤桃など自然環境的特徴に基づいた隠喩的名称を使ったが、唯
一、日本だけ公式国号を使ったはずがないという論旨だ。
墓誌銘の「日本」は中国から見る時「日が昇る所」という意味ですなわち百済を示すということだ。
彼は「墓誌銘で実際、倭国(日本)は‘ヘジュァ(海左:海東側)’、‘ヨンドン(瀛東:中国東側)と表記さ
れたと推定される」として「当時、国号が存在したとすれば書いた人は日本という表記を使わなか
っただろう」と主張した。
ハンギョレ新聞(韓国語) 「日本は本来百済の土、称する言葉だった」
http://www.hani.co.kr/arti/culture/culture_general/536435.html 蘆原中つ国。この『ナカ』津国=ナカの国が本来の国名
那賀須泥毘古はナカの国の大王。
ナカは那珂、中、半、永、央、仲、那賀 、、、
濁音でナガ。那賀、名賀、長、久、永、流、、、
地名、河川、山名、、、、に多数残ります。 蘆原中つ国。この『ナカ』津国=ナカの国が本来の国名
那賀須泥毘古はナカの国の大王。
ナカは那珂、中、半、永、央、仲、那賀 、、、
濁音でナガ。那賀、名賀、長、久、永、流、、、
地名、河川、山名、、、、に多数残ります。 http://6928.teacup.com/kongonoyotei/bbs ( 閲覧パス 2034 )
秋にリーマン2で、5年内に世界中の都市部で大陥没現象で行政インフラ
完全停止、3ヶ月くらい。リアル北斗。空気感染型エボラの世界的大流行
バタバタ人が消えてゆく。でも頑張ろうぜ。 ヤマトは天然の要害である盆地の地形を呼んだ名前で
山が戸のように防いでくれると言ったのが語源
日ノ本が語源の日本で良い 出雲の文字自体が実は呪詛を含んだモノ。
上代〜近世、『クモ』は敵対勢力、テロリスト等を卑下したことば。
ヤマト朝廷に先行し敵対した勢力のテロリスト(クモ。雲、蜘蛛、、、、クモが転じてクマ)がいっぱい出て来る、、、出雲。 歴史的事実を。
キリスト教は始祖の大工の息子がユダヤ教から派生立教して、、、
異端、有害とされてゴルゴダの丘で殉教して、その教義と教団は禁圧弾圧されて地下に潜伏しますが、
その中の一団が東方に逃避した模様で、
中国の正史、後漢書には、後漢帝国成立間もない1世紀半ばの初代光武帝の御代には
既にキリスト教団(キリスト(イエス)を同じ意味のイサ、イシェ、、、等、キリスト教を景教と呼称した。)は
後漢帝国の都の洛陽に到着していて
ローマ帝国勢力圏のようなキリスト教に対する禁圧弾圧は全くなく
自由闊達に都を始め全国(〜帝国内外)に教会を建てて盛んに布教活動を展開していた。
云々。 後年、シャレにもならない国単位にも相当する大量の流民(15000県の流民。県は今の郡に相当する行政単位。)を
率いて日本列島に大挙押し寄せ各地の要所を占めて入植定住した
秦氏は、あまたの神社(のちには仏閣、権現宮)を創設して日本の在来文化信仰にも多大な影響を及ぼしました。
チラミミでは、この秦氏(本宗家ら)は、敬虔な景教徒であったと伝わります。
我が国の正月の様々な要件は、西洋のクリスマスと良く似ているとかは、ひょっとしたらこの秦氏他によるのかもしれません? >>1
「日本じゃない」ってことでヤマトにするなら、これを中国語に訳す時はどうするん? >>4
>>78
>>233
読みは「おおやまとみかどくに」でな Bとは(バンタ・カボ・キョッポ)と呼ばれた人達で、
一般の民よりも(分⇒部)が落ちるという所から(分落民→部落民)と呼ばれていた。
バンタは動物の首切り役。カボはその動物の皮むき係り。キョッポは皮むきが済んだ後の解体作業員と言った感じです。
ランク的にはバンタはカボより偉い感じの地域が多く、キョッポはその下に位置する。
バンタとカボは江戸時代の穢多・非人、キョッポは近代(1968年)以降に朝鮮半島から渡来した人が殆どで現在では主に豚飼いと牛飼いが多い。
戦後はアメリカユダヤ系秘密結社と結託し日本の食糧を独裁し、全ての食品の管理・販売を完全独裁している。
(スーパー・デパ地下・コンビニ等)第三セク○ーなど税金公金施設/建物ほぼ全域!
参考動画↓
一
https://youtu.be/MZ2OGC58Js0
二
https://youtu.be/lE_A4bjzd5g
三
https://youtu.be/rgIcG2chs38
朝鮮キョッポの得意技は施設内での毒ガス攻撃!税金公金施設内で目鼻喉に異常を感じたら部落民/同和民の仕業と思え!
花粉症の誘発ガス! エアコンや緊急時酸素等供給ダクトを使ったピンポイント攻撃。
(ショッピングモール・ホームセンター・家電量販店・ドラッグストア・カフェ・イオン創価)いわゆる弱者対策事業/同和秘密利権
このガスを吸い込み神経が刺激され精神が高ぶり帰り道の運転中交通事故!
攻撃に気付かない間抜けな日本人、気付いても対処出来ない愚かな人種 (天声を語るフランス人より) コピペ希望。。。 >>394
「ミカド」というのは「御門」、つまり天皇の住まいが原義でそこから派生して天皇本人を呼ぶということはご存知だと思うが、
その他に天皇の知ろし食す領域という意味もあり、「国家」や「朝廷」を「みかど」と訓ずることもある。
よって、「帝国」もまた「みかど」と訓ぜられると思われ、「大日本帝国」は「おほやまとのみかど」と訓じたほうが良いように思う。
もしくは、国学者は「皇朝」を「すめらみかど」と訓じたそうなので、「帝国」もそう訓じても良いか。 ヤマトとは山戸、山の入り口という意味でしかない
こんなしょぼい名を国号とか勘弁な 大和なんて単なる一地域の名前だろ。
それより日本列島全体の地名を国名にしろよ。 >>397 ミカドはヘブライ語の「塔(翌判らないが塔門かも)」の意味で秦氏が来て以降の呼称だから天皇より古いがやはり外来語でありキミ・オオキミが和語です 宇佐神宮の元宮は八幡神社と言い、秦氏の氏神だったいう。
出雲大社と宇佐神宮だけが、参拝で二礼四拍となっているが、
これはそれぞれ大きな恨みを持って黄泉の国に行った、
大国主と卑弥呼の霊を慰めるためではないのか?
宇佐神宮と大和朝廷と秦氏には、大きな謎があると思う。 秦氏の氏神は稲荷神社
八幡神社は秦氏が使役している製鉄民の神社だ 宇佐八幡は、2つの宮殿が前後で連なっているから倍の拍数なんだというし
宇佐の丘と裏の山の二つで一つだとか、いろいろイワレがある。 ◆ペテン師・佐藤洋一郎がなぜダメなのか
経年変化や環境変化で短期間のうちに著しく頻度を変えてしまう遺伝子の調査において、
佐藤洋一郎が調査に使ったイネの調査サンプルは、
日本のイネの調査サンプルが稲作が伝わってから800年以上も経ってしまった鍵・唐古遺跡の炭化米、
朝鮮半島のイネの調査サンプルにおいてはいつの時代のイネを使ったのかさえ全く公表していない。
このように調査サンプルから疑わしい、欠陥ありありの、お遊び程度でやったペテン調査での捏造である。
この場合、BC10Cの稲作開始時の最古水田である菜畑遺跡の炭化米とそれ以前の朝鮮の炭化米で
比較調査しない限り、まともな調査結果など得られるはずがない。
ちなみに佐藤洋一郎はこの件で京大考古学陣に全面否定されている。
日本稲作が長江・江南から伝わったなんて言ってる頭のおかしな考古学者など一人もおりません。 ちょっと視線を下にずらせば>>2にも書いてあることを今更言われても そもそも古代日本は自分たちのことをヤマトと言っていた
一方、当時の支那はその国を倭と名づけた
すると漢字を知った日本は倭をヤマトと呼ぶようになった
次に、倭は字面が悪いのでそれを日本とし、それをヤマトと呼んだ
ところがこの日本という漢字を平安時代半ば以降ニッポンと呼ぶようになってきて
今日に至る。ニホンだったりニッポンだったりするのも
その呼び方には国家の歴史的原点が無いからである。
日本は日本でいいのではないか。
ただ、日本称号を発布の際にヤマトと呼べと書いてある。 Japan
jah=神
pan=全ての
Japan=全ての神の国
日本は神の国 Japan
jar=電気ジャー
pan=飯
Japan=電子ジャーに残ってる飯
日本は電子ジャーに残ってる飯の国 「佐藤優 分析 安倍首相が沖縄知事と会わない理由 琉球王国外交文書が里帰りが意味するもの」
https://www.youtube..../watch?v=Mt5M97M1_m8
この動画の6分30秒のところで佐藤優氏が「私の父親は日本人で、母親は沖縄人」と語っている。
日本人の父と沖縄人の母を持つ佐藤優氏のアイデンティティーへのこだわりがよく伝わってきて実に興味深い。 国産み、古事記
本州:大倭豊秋津島(おほやまととよあきつしま)
別名:天御虚空豊秋津根別(あまつみそらとよあきつねわけ)
国産み、日本書紀
本州:大日本豐秋津洲(おほやまととよあきつしま)
本州=ヤマト=日本 >>417
ここから分かるのは古事記も日本書紀も大和地方を中心にした政権によって作られたということだけだな
それ以外の地域の人間にとっては有り難くもなんともない
「しま」もテリトリーという意味が原義で列島のことを認識していたわけではない どこぞの山を神として祭って、その麓にでも集落作ってたから山戸やまとと名乗ったのだろう 地震が多い=津波が多い
すぐ非難できる山の麓が重要 1879年3月に日本政府が軍隊と警察官を動員して琉球を武力併合したわけだから「沖縄は日本固有の領土」とは言えない。
そもそも琉球が日本の領土だったなら日本政府が軍隊を動員して併合する必要はない。
国語辞典には「固有」とは「本来備わっていること」、「本来」とは「もともとそうであること」、「領土」とは「国家の統治権が及ぶ区域」と書かれている。
沖縄の前身である琉球王国には日本の統治権が及んでいなかったから、その琉球王国を前身に持つ現在の沖縄は日本固有の領土ではない。 >>374
日本=東の国と呼ばれた、あるいは自称したのは、中国の東ではなく、筑紫からみて東にあったからなんですね。そのほうが合点がいきます。 大陸からみて東じゃなくて筑紫からみて東って随分とスケールの小さな話だなぁ ◆ペテン師・佐藤洋一郎がなぜダメなのか
経年変化や環境変化で短期間のうちに著しく頻度を変えてしまう遺伝子の調査において、
佐藤洋一郎が調査に使ったイネの調査サンプルは、
日本のイネの調査サンプルが稲作が伝わってから800年以上も経ってしまった鍵・唐古遺跡の炭化米、
朝鮮半島のイネの調査サンプルにおいてはいつの時代のイネを使ったのかさえ全く公表していない。
このように調査サンプルから疑わしい、欠陥ありありの、お遊び程度でやったペテン調査での捏造である。
この場合、BC10Cの稲作開始時の最古水田である菜畑遺跡の炭化米とそれ以前の朝鮮の炭化米で
比較調査しない限り、まともな調査結果など得られるはずがない。
ちなみに佐藤洋一郎はこの件で京大考古学陣に全面否定されている。
日本稲作が長江・江南から伝わったなんて言ってる頭のおかしな考古学者など一人もおりません。 日本が倭を併合したんだよ
本州が九州を併合したんだよ 本州が四国と連合して九州を併合したんだよ
福岡の炭鉱夫「月が〜出た出た〜月が〜出た〜ア〜ヨイヨイ」
月支国、月読の月支国、ツクヨミの筑紫国 四国が高天原だよ
高天原から三貴神の血統が降臨したんだよ
1日の太陽の出る方角、東に太陽神アマテラス
1月の月の出る方角、西に月神ツクヨミ
真ん中の葦原中国、中国地方にスサノオ
高天原は太陽神を最高神にすることに決めたので
中国地方のスサノオの国に対して国譲りを行い本州統一
四国から南九州に天孫降臨し九州を支配下に置いて日本列島統一
首都の大和に帰ってきたら親戚が調子に乗ってたからシバイて天皇
ツクヨミの月支国(筑紫国)は北九州と朝鮮半島にまたがる海洋国家、海の関所
記紀で海原を統治せよと言われてちゃんとやってるのがツクヨミ
ちゃんとやる気がなかったからスサノオは中国地方に行かされた
スサノオは大蛇を退治するけど
ツクヨミはドラゴンライダーだからな 記紀編纂は戦いに敗れて朝鮮半島から撤退して新たな領土の策定
北九州から南朝鮮に跨っていたツクヨミの月支国(筑紫国)の歴史は抹消された >>1
漢字が嫌なら「ニッポン」か「にほん」でいいでしょ >>425
東の国を「日のもと」と日本語で呼んだのだから、名付けたのも日本人では? >>213
都市国家ヤマトは福岡県の旧山門郡にあった
奈良にあったのは領域国家オオヤマト >>213
歴史家は勝手に正式国名を消し去るからなぁ すべて新井白石が悪いんだよ
邪馬台国の位置を大和国と主張したんだ
平安時代中期までは、日本と書いてみんなヤマトと呼んでいたんだよ。
それ以前、つまり聖徳太子以前も倭をヤマトとみんな呼んでいたんだよ
というかはるか以前からここをヤマトと呼んでいたんだよ
だから、日本をしらなかった支那人が倭と書いたが
その後、こちらに実際にやって来てみると
みんなヤマトと言ってるのを聞いて、邪馬台国と書いたんだよ。 ◆ペテン師・佐藤洋一郎がなぜダメなのか
経年変化や環境変化で短期間のうちに著しく頻度を変えてしまう遺伝子の調査において、
佐藤洋一郎が調査に使ったイネの調査サンプルは、
日本のイネの調査サンプルが稲作が伝わってから800年以上も経ってしまった鍵・唐古遺跡の炭化米、
朝鮮半島のイネの調査サンプルにおいてはいつの時代のイネを使ったのかさえ全く公表していない。
このように調査サンプルから疑わしい、欠陥ありありの、お遊び程度でやったペテン調査での捏造である。
この場合、BC10Cの稲作開始時の最古水田である菜畑遺跡の炭化米とそれ以前の朝鮮の炭化米で
比較調査しない限り、まともな調査結果など得られるはずがない。
ちなみに佐藤洋一郎はこの件で京大考古学陣に全面否定されている。
日本稲作が長江・江南から伝わったなんて言ってる頭のおかしな考古学者など一人もおりません。 初代〜39代天皇は実在しない
新羅の王が突然、天皇を名乗り、40代天武天皇となる
こいつは日本列島に来たことはない
その息子が日本に来て第42代文武天皇となる
新羅が滅びると、先行して日本に来ていた百済人の第50代桓武天皇誕生
滅びた新羅の人も渡日
以降、日本列島上で農奴の縄文人をめぐって
新羅系チョンの北朝と、百済系チョンの南朝の争いが展開される
争うなら両者とも半島に戻ってやれという感じ?
途中で中華の藤原も参戦
日本の歴史に日本列島原住民は登場しない
原住民がやっと自分の田畑を持てたのは70年前のGHQのお陰
だから日本列島原住民にとっては「日本」という名はふさわしくない
琉球王国と一緒に日本から独立したいが縄文人て、どれだけ残っているやら >>436
ヒノモトとヤマトは別の国や
邪馬台国以前に合併したけどな ヤマトと日本国の合併は唐の時代だよ。
旧唐書に書いてある。 >>446
旧唐書に倭国と日本国の関係が色々書いてある事が全部あってんだけどね
合併の時期はかなり古いよ。対外的にはヤマトをなのってた 倭国と日本国が別の王朝だって話、信憑性ってどのくらいなの?
中国人の勘違いや伝達ミスってことはないの? イザナギを始祖とする王朝が三つあったんだよ
アマテラスの王朝が日本
日本が他の二つを併合した
アマテラスの王朝がスサノオの王朝とツクヨミの王朝を併合した スサノオの王朝をアマテラスの王朝が倒したんだよ。
記紀に書いてある。
そして、畿内の神武の分家がアマテラスの直系の王朝を倒したんだよ。
旧唐書に書いてある。 漢字を知る以前からヤマトと言ってたでしょ
ヤマトってどういう意味だったんだろうね? >>452
ねぇ、それってさ
漢字からの類推でしょ?
ヤマトって漢字以前の言葉だよ >>453
え?漢字以前はやまはやまですらなかったって思ってるの? はい、みんなで合唱!
さらば〜地球よ〜♪
旅立つ船は〜♪
宇宙戦犯〜♪
ヤ〜マ〜トゥ〜♪
/ ̄\
| ^o^|
\_/
/ ̄ヽ ペチンペチンペチン
/ / | ペチン
\\ | n ペチン
Z_)|ノノ ペチン
(( ( )) )) ペチン
| |U ペチン
| | ペチン ペチン
| | ペチンペチンペチン
L_つ
宇宙戦犯ヤマトゥー!wwwwwwwwwwwwwwww エセ左翼の目的は、わざと突っ込みどころが多い主張をすることで自分たちへ注意を向けさせ、
カルトへ向かう非難の矛先を逸らすこと。
国益に反することを言ったり、主張が食い違うもの同士の対立を煽ろうとするので放置し難いが、
主義思想についての洗脳を受けているわけではなく、フリをしているだけなので、
言い負かされてもダメージを負った様子もなく、論点をすり替えられるかスルーされる。
まともに相手をしてはならない。 ヤマ
閻魔は、サンスクリット語及びパーリ語のヤマ (??, Yama) の音訳[2]。
本来はインド・イラン共通時代にまで遡る古い神格で、アヴェスターの聖王イマ(ペルシア語でジャムシード)や北欧神話のユミルと同起源である[5][6]。
『リグ・ヴェーダ』では人間の祖ともされ、ヤマとその妹ヤミーが兄弟姉妹婚により最初の人類が生まれ、人間で最初の死者となったゆえに死者の国の王となった[1]。
虚空のはるか奥に住むという。
インドでは、古くは生前によい行いをした人は天界にあるヤマの国に行くとされた[1]。
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E9%96%BB%E9%AD%94 ヤマト(山戸)に対抗してエド(江戸)なんだろう
政権も江戸に移ってるんだから大江戸国にしよう 平安京に移ってもやまとのくにだったんだからヤマトでいいです 神代文字を復活させて、やまとことばで国名をしめそう イスラエルは偉いな
古代の国名と、日常語としては誰も使ってない大昔の言葉と文字を
現代に蘇らせた 倭国、訓読みでヤマトは筑紫にあった王朝。
701年に畿内政権が確立した律令制のこっかは日本国または大和。
明治以降は東京に移り日本国。
まあ、変えるなら大江戸国だな。 英語表記はO-Edoだな
Japanよりずっといい 変えるべきだろ。
どう見たって国名の由来が、大陸視点だからな。
他国から見た後継が国名の由来など、自虐も甚だしい。 にっぽん、という発音がダサいな
にほん、も冴えない >>467
ユダヤ人コミュニティーが各地でバラバラ違う言語使ってたからみなが納得する言語的といえばヘブライ語しかなかったな
ハシディームは反対して今でもイディッシュ使ってるというが本当だろうか 信長の安土が平安に対抗したように
家康の江戸は大和(山戸)に対抗してつけたと思う
変えるなら大江戸国だな。 対外的には倭か日本で
ヤマトを名乗ったことはない。
あとから倭や日本をヤマトと読ませただけ。
文献では、ヤマトを国号っぽく
表現したのはおそらく平安中期ころ。 >>479
日本はヤマトとは読まないよ
ヒノモト、ニホン、ニッポン
大倭がヤマト
倭をヤマトと読ませているのは古事記だが
後世の人がヤマトと勝手に読んでるだけ。 >>481
日本書紀にちゃんと書いてあるよ
日本と書いてヤマトと言うと >>482
それは後世の注釈だろ。
ヤマトと読ませたいなら
初めからヤマトの好字を当てる。
筑紫なんかは、隋書でもチクシと読める字が
当てられている。 >>483
注釈?原文にある割注な
日本、此云耶麻騰
後世に入れるってどうやってだよ こういうのは写本で伝わるからな。
本当の意味の原本はない。 >>485
写本しか残ってないしね
写本されたのが1000年前のとかは残ってるよね
正しいかは、複数の写本の照らし合わせと
後から足せる書き方なのかが重要だよね >>483
じゃあ君は「神日本磐余彦」を
「カムヒノモトイワレヒコ」或いは
「カムニホンイワレヒコ」或いは
「カムニッポンイワレヒコ」
と読むのかね? 斬新な説だw >>487
カムヒノモトは日本語としては
良い読み方だな。
割注がなければそう読むしかあるまい? 注が付いていること自体が
当時の人はヤマトと読む習慣がないことを
表しているわけですな。
だから、そう読むように注をつけなければ
ならなかったわけですね。 やまという名の地方政権があって、その当て字に日本という字を使ったんだよ
そして当て字の読みより漢字本来の読みが正式名称となった
グルジアがジョージアになったようなもの 同じような例として「春日」や「斑鳩」がある。
注は付いていないが「飛鳥」「長谷」も同様の当て字だろう。
「平城」も「なら」だし「平安」も「たいら」だ。 古い国名がヤマトであることは許容できる。
それがどこにあったどの様な国を指すかは議論があるところ。
倭国であれば、後漢書などでは朝鮮半島南岸から九州北岸にかけての国を指す。
それが後世に支配権を拡大したと考えられる。 ヤマトは ニアリーイコール 奈良な
今更 奈良至上主義 なんて賛同されるか??
答えは ノー だ
>>449-450
ダウト
正解はアマテラス天皇族がオオクニヌシ諏訪族を脅迫して簒奪した、
な
いわゆる国譲り事件
今からでも速やかに野蛮なアマテラス王朝は廃止して
現代にオオクニヌシ諏訪王朝を復活すればよろし
いまだに伊勢や薩長に洗脳されたアマテラス信者が多すぎて
草ですわwww アマテラス王朝だのオオクニヌシ王朝だのウリジナリ用語ださないで欲しい >>497
オマエみたいな
人の支配と暴力が大好き野蛮人はそうだろうな
>>498
日本語使ってウリジナル??
オマエの論理は破綻しているな
さすが 人の支配大好き 中世 暗黒脳の アマテラス信者 百済、新羅は北魏、高句麗と南朝、倭の大国連中に媚びてた小国w あの写真を見ても、わかると思うけど、何も媚びていないよ
系統が違うのかな?
かなり上から目線のような写真:松の木(モミの木?。オジギソウ。シダ類…その他)
むかーし、伊達郡というところの
山の上のほうに住んでいたと言っているし 名前もそう『聖化 日神 日霊』
同じような、名字? 国譲りのときに現れた神がいるでしょ
その神も渡来人で、
すべて逆になっているという説 国譲りというものがあったとして、
譲った、盗まれた側も渡来人
よく言われているのは、
数十年くらい前の話だという説、
良くて百年〜百五十年〜二百年ほど前
そういった作り話 >>501
オマエみたいな強盗信者
>>502
じゃ、物証、はよ
>>506-507
タケミナカタやタケミカヅチが韓民族だと豪語したいなら
それを物証文献で裏付けないと
何も証拠が無いのに
民族透視は
氏子の三輪一門や鹿島アントラーズにめっちゃくちゃ失礼だぞ 我々の地元・沖縄では日本本土のことを「ヤマト」と言い、本土の日本人を「ヤマトゥンチュ」と言う。
それに対して地元の沖縄人のことを沖縄では「ウチナーンチュ」と言う。
沖縄社会では日本人と自分たち沖縄人をはっきりと区別する。 沖縄が日本固有の領土でないことは1879年3月27日に、当時の日本政府が軍隊を動員して沖縄の前身である琉球王国を武力併合したという歴史的事実が証明している。
沖縄が日本固有の領土であるなら沖縄の前身である琉球王国を日本政府が軍隊を動員して武力併合するわけがないし、併合する必要もない。
当時の日本政府が軍隊を動員して琉球王国を武力併合したことで、皮肉にも日本政府自身が沖縄が日本固有の領土でないことを証明してしまっている。
この歴史的事実を突きつけられたら安倍首相、菅官房長官、岸田外務大臣、稲田防衛大臣ら安倍内閣の閣僚は誰一人、反論できない。 やまととか名称ダサいよな…
意味はただの山の入り口って意味だし ひのもとなんて名乗った時期ないんだがwwww
ファンタジーw 秋津とか瑞穂とかはどう?
それともナショナリズム感を出したいなら旭日とかどうだろうか? おーーーーーーーーい
NHKにやらせ、苦情電話しようぜ
0570ー066−066
磯田道史 が 初めて 纏向に いった
うそーーーーーー
受信料 払わねーーーーぞ 岩波の古事記の注釈に対外的にはヤマトを名乗り、国内向けには大八島と言ったと書いてあった気がするけど本当なの? 日本は良いのだがなぜ英語表記がジャパンなんだ?漢語読みジツポンから転じてるのは想像できるがそもそも日本人が自称してない読み方で国際呼称になるのはおかしくないだろうか。 読売新聞は2015年6月8日付の社説で「沖縄知事訪米 普天間の危険除去をどうする」という見出しをつけ、
沖縄の基地問題をアメリカの議員に訴える翁長知事に対して、「外交権を持たない知事が訪米しても、政治的パフォーマンスの域を出ることはあるまい」と批判している。
しかし、歴代の沖縄県知事は西銘順治や稲嶺恵一ら自民党系の知事でさえ訪米して沖縄の基地負担軽減を訴えたという事実がある。
それなのに読売新聞は現職である翁長知事の訪米だけを批判しているのは明らかにおかしい。
同じ行動をしても自民党系の知事は批判せず、非自民党の知事を批判するというのは政治的な意図があると言わざるを得ない。 友達の名前が元号と同じで草
世俗に馴染まないワード限定だそうだよ チョンファンが支配する国ならチョンファン国しかない。 >>492
違うね。
後漢書の時代には、倭国はそんな狭い範囲ではない。 >>492
倭人伝の女王国の支配地域も朝鮮半島南岸から九州北半分くらいの国だね。 >>521
中国人が日本からの文書を読むにあたってそのジツポンに近い発音で我が国を呼び、
マルコポーロがジパングと聞いて西洋に広めた。大航海時代に西洋諸国が次々に
我が国を訪れ、それぞれが「ジパング」と「にっぽん」に近い聞き方をした。イギリス人は
西洋での呼称を刷り込まれたうえで「じゃぱん」と聞いたのだろうよ。ドイツ語の「ヤーパン」は
明らかに直接の交流がなかった挙句の英語のドイツ読みだけどね。「Japan(ヤーパン)」。
英語表記では正式にJapanとするだろう。外務省がNipponなんて使うのは聞いたことがない。
紙幣や切手には使われていてもね。 他所のスレで沖縄分離工作を試みる中国工作員を見かけたから、「沖縄の人にとって
ヤマトは日本本土を指すが、日本とはヤマトとウチナーを合わせた呼び名だ」と
いう趣旨のことを書いたらヒステリーを起こしやがった。チョンコの工作員らしい。
だから、こんな国名変更論議はシナの金で動いてるバカな外国勢力の工作だと
正しく認識しなければいけないよ? 親日、反日って用語が、親ヤマト、反ヤマトになるのか 奈良県に遷都して欲しい
東京は江戸に戻して江戸府でいい 考えるだけでぞっとするくらいすっげー手間暇かかりそうw 新唐書の「咸亨元年(670),遣使賀平高麗。後稍習夏音,惡倭名,更號日本。
使者自言,國近日所出,以爲名。或云日本乃小國,爲倭所并,故冒其號。」
は壬申の乱で近江朝が倭国に敗れ、名前冒した、即ち近江朝が日本を名乗っていた
ことに決定。
近江朝は扶余勇の百済政権だから、同盟国の高句麗が敗れ、そこにいた豊兄弟の行方も
知れず、ああなにもかも終わった感があったにちがいない。
天智=勇は倭・百済・高句麗の再興を期して、日本にしたのだよ。
日本は中国からみて日の出の地という意味。東夷はそこの国々。
ヤマトなんかのローカルな名前に戻すのは、世界史的視野が足りないな。
天智の志もわかっていない。日本を百済と思っているやつは狭量だな。 天皇って半島人で日本人じゃないんだろ。
で、日本人の大多数は縄文人の農奴だ。
なら、そろそろ日本って国号も捨てて本格的に民族国家を築く時が来たのかもね。
そもそも国号ってのは本来、地名を付けるもんだ。
考えてみたら確かに日本って国号はおかしくもある。
ならこれからの皇室の行く末によっては、そういうナショナリズム丸出しの鎖国政権ができる可能性も無くもないかも。 日本って国号自体が中華に対するルサンチマンの塊で恥ずかしいわ >548
明らかに天皇は百済の直系。それ以前はどこまでさかのぼれるか。
縄文人も弥生人も東北の藤原一族も、みんな大陸から来た。中国、半島、草原から。
皇室を追い出すと、日本の統一を振り出しに戻すことになるよ。
そのさきに夢の民族国家が出来たとしても、その前には、血を血で洗う殺し合いがおきるよ。
共産革命であろうがなかろうが、政治体制が変ることを革命と古くからいっている。
この世で血を見ない革命はない。
現代は民族や宗教を人間の属性にみて、理性を重視している。
ナショナリズムを持ち出すのは、趣味としてはいいが・・・。
国の経営は言うほど簡単でないよ。他国に潰されないようにね。 >549
たしかに、日本国号は中華に対するルサンチマンなんだなぁ。
自国の名前を他国を基準した方角なんだから、やはり問題ではある。
天皇称号も、皇帝より上に来る言葉を捜したんだろうね。天武あたりで。
これもルサンチマン。桓武の封禅の儀もルサンチマン。
しかしね、滋賀県は知名度が上がらないのは名前が悪いといって、
県名を変える計画を近年したんだけれど、ほかにすること無いのかなって感じ。
トランプの言葉じゃないが「ばかげている」でしょう。 >>550
別に、天皇を追い出そうって訳じゃないよ。
そもそも今の国民が皇室を追い出すとは思えない。
昔は兎も角、今はそこそこ有益な存在だしな。
しかし、これからは違うだろう。
今の状況を考えるに、恐らく皇室は近い将来、途絶える。
欧州と違って親戚もいなけりゃ一夫一妻制ならそうなるだろう。
途絶えたなら象徴大統領制に移行するだろうが、そんな物は伝統も無いしノウハウもなく上手く行かないのは明白だ。
そんな政治的混乱の中、国民は新たな皇帝を見出すだろうって事。
第一次世界大戦の後、逃げ出したヘタレ皇帝に変わって元ルンペンの伍長を玉座に据えたようにね。
そして事実上の新国家の門出を全体主義とナショナリズムで飾る訳だ。
そうやって日本人は、再び奈良時代からやり直すんだろう。 このスレ不思議だなぁw
誰も天武天皇のことを書いてない・・・
国号を「日本」としたのは天武天皇なのだが? 547 にあるとおり、
日本は近江朝が名乗り、壬申の乱で負けたが、勝者倭国の名を冒した。
しかし、戦争直後に相手国の名をすぐ名乗ることもないだろうから、
倭国が日本に変った年次を特定するにはさらに詳しく調べる必要あり。
天武だという決め手があるなら教えてください。 外務省国際法課の説明によると「併合した地域は固有の領土には含まれない」とのこと。
日本政府は1910年に朝鮮半島を併合してから1952年のサンフランシスコ講和条約発効によって朝鮮に対する主権が放棄されるまでの42年間、ただの一度も「朝鮮半島は日本固有の領土」とは言わなかった。
沖縄も琉球王国時代の1879年に日本が併合した地域だから日本政府はただの一度も「沖縄は日本固有の領土」と言ったことがない。
沖縄が日本固有の領土でないことは歴史が証明している。 >>553
国号を「日本」としたというより、「ヤマト」にこの文字を当てはめた、だな。
それも天武天皇がやったのかどうかは確認できない。 hinomoto
himoto
hyamato
yamato
ああ、なるほど、新しい視点だね 新しい視点じゃない。すでに日本書紀で書かれている。
万葉集でも「ひのもと(日本)のやまと」という枕詞になってる。 >>556
古事記も日本書紀も訓読みというか、大和言葉に漢字を当てはめ、文章構造は漢文にしてある。
だから、国の名前はもともと、発音はヤマトで、中国が「倭」と名づけているなら、
「倭」をヤマトと読みましょうということ。
訓読みは、漢字を絵としてもちいているとは、養老先生の話。
近江朝の政府にいた百済人が、だったら日本を用いてもヤマトと読めばいいじゃないか
と発想した可能性はある。
ヤマトからニッポンと発音するのは何時からのことか。 >>541
>>544
いまどき奈良盆地に遷都しても、周り山だらけの内陸で海からも遠いし物流も交通も不便なだけじゃないか
たまたま当時の畿内の豪族が西日本の諸侯との勝ち抜きでトップになったってだけなんだから
現代の文明に合わない超絶時代錯誤
ただ大昔を懐かしんだ理想論なだけ >>561
黒田節。
♪酒は呑め飲め呑むならば、日ノ本(ひのもと)一のこの槍を、、、、、 >>562
奈良盆地は古代の中国的な都城造りにも合致した周囲を天然の要害(山々)に囲まれた天賦の地。
また、永き年月を費やしていわゆる近畿の神霊結界(カゴメ)を幾重にも重層的に張り巡らした魔都
これが未だに機能していますよ?
有名なモノの一つが畿内を取り囲む(熊野を頭にした)逆大五芒星結界。
東の極が伊勢神宮。西の極が淡路島のイザナギ神宮。北の2つは諸説ありますが神社と言った事では元伊勢・かご 奈良盆地には比較的土地が余っているのでリスタート、再開発する余地はいっぱいあります。
いっそ、大極殿も復興させた位ですから皇居宮殿から役所から何から何までごっそり先祖返りしたらよろし。
但し、建物の外観は古代風にしても中身はハイテクなアップデイトするのは必然。
交通インフラは意外と便利で高速道経由で関空には一時間。
現に大阪のベッドタウンで通勤圏。
更にリニア新幹線をズドンと(京都〜、生駒、信貴山を貫いて大阪)通せばよろし。
京都の御所はそのまま皇居宮殿に復活(迎賓館=皇居)
国事で出御為さるにも高速道やリニア新幹線(御召し列車)で復興大極殿等に御出座しになり、
高御座(天皇玉座。お約束の狛犬一対が玉座を守護)に坐しまして国事を執行なされば国威も弥益すかと。 首都というものは、基本的に流通の拠点に置くべきだ。
国の根本なのだからね。
ある程度全て揃っていないと困るんだ。
色々と指示ができないし、首都である意味が無くなってしまうからね。
そう考えると、奈良は最早首都としては不適当だよ。
趣味? 奈良県民は、自分を田舎者だと卑下しているよ。
ヤマトの発想はその域をでないんじゃないか。 >>569
鈴鹿山脈、少し譲って伊勢神宮の南北線迄がヤマトの東限。
西の端が淡路島(イザナギ大神ライン)、明石川迄。もう少し譲って加古川の高砂神社の南北線(真南には大和大国魂神社(淡路二宮。式内名神大社。大和神社の分社))
これ等が神霊による結界の極限 >>407
>>426
稲作の時期が問題ではない
狩猟・肉食を否定し、水田なんかを優先した弥生系の神道が
そもそも日本文化のふりをした仏教にすぎない
まずは縄文文化と肉食屠殺の復興から
思考と前提付けを始めようぜ
>>438
天皇家が半島人であるのは事実だが
文武から来日したとすると
依羅神社と住吉大社の成り立ちや
国譲りの整合性が全く取れなくなる
弥生時代に当時半島人の海賊が日本に侵攻、
のちに皇室として王朝を開き、
伊勢神宮や住吉大社を仏教寺院として建立
のちに和製の神社にすり替えたと
考えるのが妥当
住吉大社の宮司が扶余出身の依羅族の吾彦だと
しれっと、公式にカミングアウトされていますぜ、旦那 >>514
実質大神神社を意味するから
意味合い自体は
けっこう神聖なんよ
木の国や火の国のほうが
よっぽど幼稚だろう
>>518
瑞穂は実質水田を意味する
渡来文化だから
愛国心の視点からは賛同できん
ノーだな
>>547
そんなバカチョン王
どうでもいいから >>548
>>549
>>550
>>551
葦原 に一票
とりあえず、天孫族や支那を排斥する国号にしないと
議論が始まらん
ルサンチマンが悪というより、
在来の縄文系を全否定してきた
これまでの国号も神道も異常なカルトすぎる
>>552
弥生から平成まで
我々は渡来系の皇室に踊らされ洗脳されていた
奈良時代どころか
縄文時代からやり直すしかない
>>566
まだ、天孫族という名のなりすましチョンを肯定継続したがるバカがいるのか
オマエは空気読めないバカだなぁ >>576
今の日本人が内戦をやるか?というと、やらないと思う。
内戦をやるには、余りに日本人は長く統一国家を続け過ぎたんだ。
だから、仮に権威を否定するとしたら、それは奈良時代のような権力の強い事実上の新王朝の樹立になるだろうって事だな。
そうじゃないと国が纏まらない。
それか若しくは鎌倉時代のように、武人による統治が来るかもしれない。 >>578
内戦をやるには、地域的な差異が必要だ。
しかし、それは明治から現代にかけての開発と流通の活発化で無くなってしまったんだ。
そう、日本は完全に統一されきってしまったんだ。
今更地方と中央で異民族意識を持つだなんて考え辛いし、そして出稼ぎに来た以外の異民族も存在しない。
また宗教の意識も非常に薄い。
日本人としての同質性が余りに強くなり過ぎてしまった。
要は内戦するタネが無いんだ。
すると、今更戦国時代や南北朝時代のようなアナーキーな大内乱は起きないのではないかな?
ひょっとしたら、クーデターや極右政党の政権獲得位は起きるかもしれないがね。 外国人労働者受け入れという形で渡来人が増えたら分からんぞー。
民進党が中国と結託して外国人参政権とか言い出して退位した今上天皇担いで何かしでかすかもしれん。 >>580
では、幕府ルートかな。
今の日本人はそれ程尊皇心は高くないみたいだし、まぁいないよりはいる方がいい程度の感覚だろう。
すると、皇室の方向性に拠っては日本人の手で廃止、若しくは今以上にお飾りになる可能性も有り得るな。
したら、もう一度武人の時代が訪れるかもしれない。 >>581
渡来系の中国人が武力で制圧しに来るかもしれない。
空気読めない今上が勝手に征夷大将軍を源氏の末裔を名乗る中国人に与えるかもしれん 『聖化 日神 日霊 津』
天帝の事が書いてあるでしょ『天子』テング 『もののけ姫』
カッパ、河伯?あのキュウリの写真
何なんだろう 「どうした聖人でも殺したのか?」と言っている人がいたでしょ なにがヤマトニッポンだ、和の精神の九州倭国ニホン!である 『もののけ姫』
本当の事は、わからないけど、
天皇が殺せと言った、このような台詞があるでしょ
誰かを殺したの?龍宮の話? その天皇というのは中華ではなくて、
日本の天皇のことだよ
倣ったと書いてあるでしょ 酒の話なのかな『ザ・モモタロウ』
瓢箪、徳利のようなものを持っているでしょ? あのオニ三郎、オニ三郎というのも
宣伝しているとは言わないけど
影響を受けた、シンクロ現象? 数年前の、やまたいスレもそう
どこからか金を貰って書いているんだろう。
制作しているんだろう。
と言っている人もいた 重要『あいさつの魔法。』『ポケモン あいさつの魔法』 『ボーボボ』
聖?という技を使用するキャラクターの話だと思う
『ボーボボ 田ボ』 >>577
>>579
階層とか軍事の問題ではない
あの朝鮮出身の一族と同類が王朝始めても
結局、縄文問題がぶり返すだけ
外来種はしょせん海賊でしかないからね
日本が王制を続けたいなら
縄文部族の王朝に回帰するしかない
つまり共和制か縄文王の二択
選挙かクーデターか方法論は限定できんが
縄文復古は待った無し
>内戦するタネ
山ほどある
歴史問題
労働者の待遇
今は役所やマスゴミがアンコンされて
世論と常識が統制されているだけ
皇族が渡来系だとバレたら
それだけで右翼が暴動を起こすのは確実 >>582
渡来系とつるむ可能性、てか
現に皇室は渡来系の伊勢神宮や出雲大社とつるんでいるし
結局、人が良さそうに見えて
あの今上も渡来人の回し者なんだわ >>596
ねえねえなんで脳内でウリは縄文系ニダなんていう幻想抱いてるの?
その幻想って科学的にありえないから君は確実に弥生系なんだけどさ
まさか自分が縄文系だなんて幻想抱いてないよねえ?ほれYESかNOで答えろ 縄文時代の日本に王はいない。
漢の冊封を受けた時はすでに弥生時代になっている。
むしろ、大陸から稲作を持ち込んだ弥生人が、故郷の中国に朝貢したのだろう。
倭王は呉の太伯の末裔と名乗ったとあるからね。 >>598
>>600
要は縄文祭祀を受け継ぐ各部族だよ
アイヌ、琉球、
本九四なら諏訪大祝や大神氏だね
有名なのは緒方洪庵
>>599
渡来系なら明白なルーツがあるよ
先祖が朝鮮集落とかね
ウチはあいにく朝鮮集落じゃないんで >>601
それをまさに
詭弁
という
魏志でも日本列島は百余国、
日本書紀でも八十神の諸国の王、
そしてオオクニヌシが制圧統合と
ハッキリ明言されている
各地で王朝が乱立していたってことだね
当時からクニ、つまり国家の意識は明確に存在していた
(縄文時代に日本列島に国家は存在しない)
こんなデマはいいかげんにやめようぜ あの国造りの神話?
それよりも神殺しというのは何なんだろう
『もののけ姫』 >>603
大国主とか、弥生時代の神じゃん。
その前の神も時代的には弥生時代じゃないか? 稲作は弥生人が朝鮮南部から自身の手で導入しただけ。
弥生人自体はその50〜200年くらい前に渡来済み。
北方の沿海州南岸からな。
しかも最初の渡来地は九州北部じゃなくて島根あたりの山陰な。
呉越だの江南だのと詐欺を働いている考古学者など一人もいない。
呉越やら江南やらから渡来定着した事を証明する痕跡遺構も
その生活文物たる証拠土器・石器もどこにも存在しない。
台湾ニグロチックブタ広鼻ピーデは詐欺をやめろ。
おまえはクッサイ汚らしい、ただの半ニグロのブタみたいな顔をした汚物なんだよ。 アイヌ、琉球の縄文祭祀ってなに?
見てみたいから、どこで受け継いでるのか教えて?
>本九四なら諏訪大祝や大神氏だね
こんだけ広い地域なのに二氏だけ!?
しかも前者は断絶したって…… 出雲だって十分に弥生的だよ。
稲作で栄えた陸上を、海上の王であるアマテラスが妬んで奪ったのが出雲の国譲り。
そもそもスサノオとその息子の五十猛は、日本海側では稲作を広めた神様だしね。
当然、諏訪の大祝も弥生系だよ。 >>606
稲作は九州から朝鮮へと伝わった
北方の沿海州南岸は縄文時代の話である
なおゴミクズの考古学者に歴史を語る資格などない びわこくりえいとはたぐちちゅおしろー
消えろー
たぐち消えろー 弥生人が韓国人なのは確定
日本列島の支配者は韓系という事実 だからー犬韓国なんて日本の先祖は出身でもないし崇めてねーよw中国ならともかく。平安朝の家系ある家柄でもチョンは興味ないから。 >>611
で、その九州に伝えたのは江南だという詐欺だろ台湾ニグロチックブタ広鼻ピーデ。
稲作は朝鮮南部から導入したでほぼ100%確定している。
問題はその稲作を朝鮮南部から導入した集団が朝鮮土器人じゃないという事。
つまり稲作を朝鮮南部から導入した集団は朝鮮半島人じゃないという事。
稲作を朝鮮南部から導入した集団が作っていた土器が沿海州南西部と一致する
土器だったという事。 >>611
で、その九州に伝えたのは江南だという詐欺だろ台湾ニグロチックブタ広鼻ピーデ。
稲作は朝鮮南部から導入したでほぼ100%確定している。
問題はその稲作を朝鮮南部から導入した集団が朝鮮土器人じゃないという事。
つまり稲作を朝鮮南部から導入した集団は朝鮮半島人じゃないという事。
稲作を朝鮮南部から導入した集団が作っていた土器が沿海州南西部と一致する
土器だったという事。
そして、その土器は九州北部から伝わって始まったのではなく、
島根あたりの山陰に最初に伝わって始まっているという事。 出雲族の末裔古老らに伝承されてきた話では?
日本最古の国家は出雲帝国。
出雲族のルーツは四千年前にはインド大陸にいたそうで、
アーリア人らがインドに流入(侵攻)して来た為に押し出される形で流浪した末に北回りで日本列島に渡来。
日本海側を南下して島根辺りに定住化。次第に勢力を伸ばして国家を樹立。
第6代の大王(オオナムチ)八束水臣津野命(出雲神話の国引きの英雄)の時に一気に版図を拡大して北陸から北九州迄の日本列島の大半を勢力下に置いたそうです。
、、、この時代は後の話(極悪非道な渡来人=徐福が帝国の簒奪を謀って失敗)から西暦の紀元前数百年?で中国大陸は群雄割拠の戦国時代(の終末期)辺りになるようです。 『もののけ姫』で言っている
「神殺し」というのは超時空設定の話でしょ >>619
何だその考古学で一切立証できないデムパの塊は。
バカよりも劣る池沼は早く死ね。 信じたい事が中心にあって(出雲に最古の王朝があった)、自分の気に入らない要素は排除(その起源は朝鮮半島、中国大陸とは関わりない)ということから出来上がった信仰告白だな
支離滅裂でも本人にとっては最高なんだろう 出雲が最古だとは思わないし、619は滅茶苦茶だと思うけど、出雲にあった王朝のことは記紀に載っているので、可能性としては検証するべきだよ。
文献を何でもかんでも否定してカッコつけた気でいるなよ。 出雲王朝を俺は否定してないよ。
考古学的に弥生土器から見れば、沿海州南岸から弥生人が最初に渡来したのは
島根あたりなんだし。
その一部が九州北部に進出して朝鮮南部との交流を通じ、稲作やら支石墓やら
高床式倉庫やら青銅器などの先進文化や先進技術を彼ら自身の手で導入していただけで。
だから彼らは朝鮮南部の先進文化や先進技術に浴しておきながら、
朝鮮土器をサッパリ作らなかったという訳だ。
言いたい事は、弥生人は朝鮮半島人じゃなくて、朝鮮南部の文化を積極導入していただけの
沿海州南岸からの渡来人だったという事。 >>624
稲作は江南から九州そして半島に伝わったんだよ
朝鮮南部の文化とかなんだよ(ぼけ! >>625
アナタ インドネシア カエル カエル
インドネシアタイワン カエル カエル
アナタ ニホン デテク デテク
ニホン デテク デテク デテク >>605
祭祀と教義を調べればわかるが
オオクニヌシつまり出雲族は完全に縄文人
狩猟と肉食、生け贄が大前提
ここらへん、宗教に弱い人間にとっては盲点だから
ほとんど理解されていないが、
大前提は上記の通りな
>>607
普通に各部族が今も尚
活動を続けているし、
神話でも教義でも
縄文文化とほぼ一緒
とりあえず、各部族の広報にでも問い合わせしたらいい
>こんだけ広い地域なのに二氏だけ!?
>しかも前者は断絶したって
分家筋は断絶していない
明確なのは2氏だけだな
そんだけ皇族はどうしようもない独裁者のガチチョンってこと
本九四のほとんどの縄文部族を皇族が抹殺してきた >>609
狩猟大前提の出雲族が
弥生人つまり仏教徒なわけがない
仏教で獣肉は無論タブーだから
仏教と出雲族の両立はあり得ないわ
稲作云々も歪曲
スサノオは龍神の類であって
農耕神ではない
三輪山で蛇に卵を供えるのはその名残
いうまでもなく肉食と生け贄の文化だからね
>>611
日本が稲作先進国なわけがないwww
中国で何千年も前から稲作が始まったのが大前提
当然、日本よりも朝鮮のほうがはるかに早かったに決っている
稲作は間違いなく朝鮮文化 >>613
日本会議おつ
弥生人はどう考えても仏教徒のガチチョン
弥生時代には扶余の依羅族が
牛頭天王社を大阪の天美に建立していた
今の天美許曽神社な
のちの住吉大社の先駆け
つまり住吉大社も実態は牛頭天王社、仏教寺院
神功皇后が任命した朝鮮宮司 依羅族吾彦が
日本の神々を崇拝するわけも無いし、
祭祀方法を知る由も無いからね
兵庫広峯、京都八坂、愛知津島、そして大阪住吉
これらは全て海岸か川岸に依羅族が建立した牛頭天王社
八坂神社の由緒書きに伝わる百済のイリシうんぬんというのは
扶余の依羅(イリ)族に他ならない
これが史実にして模範解答 >>619
出雲族がインド関係というのはビンゴ大正解
「天羅摩船」
これをアマノカガミノフネなんて読むのは
完全にガチチョン弥生人の藤原氏による歪曲
羅摩=ラーマ
つまりインドの神だよ
アマノラーマノフネと読むのが正解
少彦名は間違いなくインド系の神
>>622
縄文文化を隠蔽しまくってきた皇族こそ
支離滅裂の最たるもの
縄文人=純日本人
弥生人=ガチチョン
これは鉄板の史実
>>624
悪くはない考え方だが
その説明だと祭祀面では全く説明になっていない
縄文=肉食、狩猟の神
弥生=農耕、仏教
この大前提を踏まえて
もう少し類推したまえ >>632
じゃあ何で弥生人は朝鮮土器をサッパリ作らなかったの?
何でわざわざ沿海州南西部と一致する土器なんか作ってたんだ? 自分と意見が違うからって相手をガチチョンだの言うのは何なんだろうね
とても学問板に書き込む内容とは思えないな
縄文の血がそうさせるの? いずれにせよ、
出雲族は立派な肉食にして縄文文化の継承者
この人たちをガチチョンコ仏教徒の弥生人と同一視するのは
あまりにも失礼すぎる
矛盾だらけの分類にすぎない
出雲族=縄文人=狩猟崇拝=純日本人
皇族=弥生人=農耕崇拝=ガチチョンコ
この公式こそ古代日本の鉄則 別にチョンでも良いが、弥生人はそのチョン土器人じゃないんだよ。
弥生人は稲作から青銅器まで様々な先進文化や先進技術を朝鮮南部から導入してる訳だが、
彼らがチョンならチョン土器を作るはずだろ?
彼らは弥生の幕開けからチョン土器を作らず、沿海州南西部の土器を作り、
その後の弥生土器に移っていったのである。 >>633
弥生土器=型遅れの朝鮮土器
これな
>>634
カルト日本会議の負け惜しみは
ニュース速報プラスでどうぞ
ここは合理性と物証が全ての学問板
研究能力ゼロのオマエごときが立ち寄っていい板ではない >>636
弥生人は型遅れの土器しか作れなかった
なぜなら、土器自体は二の次三の次
最優先事項ではなかったから
弥生人の主目的は軍事と仏教だよ
縄文王朝を撲滅して
日本に仏教王国を作ろうとして
実現させたんだ
その野望と引き換え代償に
今も尚自分たちがガチチョンコという
ルーツをひた隠しにしているけどね
チョンコとバレたら、
日本の庶民からバカにされて
権威も権力を失うのは時間の問題
だからこそ、ナンチャッテ神道の藤原家の6月末大祓祝詞やら
ヘンテコなカルトをこしらえた
内実は日本神話のフリをした仏教にすぎない
屠殺が罪ってアホな祝詞な 笑
てか、あんた、宗教的アプローチが無さすぎだな
勉強してから出直して来い >>638
で、いつ弥生人が型遅れの朝鮮土器なんか作ってたんだ?
刻目突帯文土器なら朝鮮半島では10基も出土してませんが。 >>639
それも全く的外れの反駁
弥生土器≒朝鮮無文土器
隈・西小田遺跡で朝鮮半島(以下、朝鮮)系の無文土器が3点ほど出土
ttp://www.city.chikushino.fukuoka.jp/furusato/sanpo86.htm
ttp://www.city.chikushino.fukuoka.jp/furusato/8601.jpg
ttp://www.city.chikushino.fukuoka.jp/furusato/8604.jpg
こんなもん、幼稚園でも見ればわかるソックリさん
わざわざ違う時代様式の
刻目なんて持ち出す時点で
オマエがいかに人格面も卑劣極まりない詐欺師だと
よくわかる
>>624
のいう「弥生人は朝鮮土器を作らなかった」
という大前提がそもそも壮大なデマ
弥生人=朝鮮人
だから、
弥生土器=朝鮮無文土器
は当たり前の公式だな さ、オレがノルマ宿題として掲げた
出雲族そして縄文人の祭祀は
ちゃんと勉強してきたんだろうね??
早く縄文の神々や生け贄について論じ合おうぜ
縄文神について知らなければ、
オマエはこの神聖なる縄文のスレに立ち入る資格は
一切無し
立ち去れ はやくヤマトにもどそう
ヤマトこそ全国民の心の故郷 >>640
そんなただの搬入土器がどうかしたの?
弥生人がいつ朝鮮土器人になったんだよ?
ヒビンバブラック。
寄り目ヒビンバ。 朝鮮だの縄文だの小さすぎる
ヤマトを中心とした八紘一宇こそ大道 朝鮮土器をメインに生産していた弥生遺構はない。
搬入土器とそのコピーが少量ある遺構ならあるが。
搬入土器からのコピーを朝鮮「系」土器と呼び、朝鮮土器を真似た土器を
「擬」朝鮮土器と呼ぶが、ホンモノと比べるとかなり違っていたり、
半島人が作ったにしては下手くそ過ぎるものばかり。
作り手が弥生人だからである。
朝鮮土器はその要素を弥生土器に取り込まれる事はあったが、弥生を通して
朝鮮土器が主力になったり、弥生土器の一形式になる事は全くなかった。
弥生土器の一形式を築いた渡来土器は縄文晩期頃に沿海州南西部から島根あたりに
伝わった前池式に始まる刻目突帯文土器だけである。
刻目突帯文土器は朝鮮半島では10基も出土していない。
その程度の出土で朝鮮土器ヅラされても支持する日本人学者はいないだろう。 「奴隷なら奴隷らしく、ちゃんと仕事をしろ」
このような書き込みがなかった? 諸蕃、帰化人という人達なのかな?
謎のチェーンソーのゲーム
敵の台詞「渡来人どもめ〜」 日本の企業なんかもそうだけど、
そもそもどこから、お金が出ていたのかという話
設立したときの資金など、朝廷じゃないの? そのチェーンソーのゲームもそう
「金を返せ」という何か?アイテムがあったり 日本の歴史は常に征服者の渡来人と、被征服者の縄文人の政権の取り合いだった。
明治維新以来、僅かな機関を除いて渡来人のターンだが、ひょっとしたらこれから縄文人のターンになるのかもしれない。 縄文時代って異様に長いけど何も発展しなかった暗黒時代だよな
弥生人がやってきてやっと光が齎されたと感じる アラハバキはファンタジーだろ
弥生でも縄文でもない それを言ったら古代伝承の全てがファンタジー
このスレの意味がなくなる 外津軽三軍詩自体が後代の偽書なんだからファンタジー度合いが桁違いってこと 東日流外三郡誌は古伝じゃないw
もしかして本物だと思ってる人かなw >>665
倭国。
ワ国。この名称に成った一説に、自分の事を「ワ」と言っていたのでそうなったとか?
現在も自分の事を「ワ」と言っているのが津軽弁。
また今も、ワ+〇〇の語句は広く使われています >>653
いわゆる国津神(、、、出雲王族の末裔)と天津神(、、、ぶっちゃけ渡来人。)の綱引き。 天津神以外は全て国津神なので、一口に言っても国津神にはいろいろある。 ファンタジーと言うからダメなんだよ。
単なるフィクションだと言わないと。 どうせならヤマトではなく
邪馬壹国
まで戻したほうがいい >>670
読みはヤマトノクニで結局ヤマトなんだが・・・ 九州にあった倭国つまりヤマトは畿内とは別の国だけどね。 要するにヤマタイコクなんて国号は一度も存在してないんだよな。ヤマトの国を音訳した邪馬台ってだけでヤマト王権と同一のせいたいなんだよ 普通に近畿から北九州までひろがってたとしか思えないんだけど 日本でいいが、変えるならただ単にクニでいいんじゃないかな。 天の国から降りてきたところが日本なのだから
「地の国」でいいのでは >>679
アメは実は対馬海峡あたりの海のこと。
クニは筑紫などの陸地のこと。 >>683
福岡県宗像市の沖合に地島という名の島があるから
最初にたどり着いたのはその島かもね 「慈島」が誤表記されて地島になったっていうから違うだろうな。 そもそも国生み神話とかを現実の島に当てはめようとするのは無意味でしょ >>687
夢物語を国を挙げて書いていた?
そんなわけないだろ。
領土獲得の宣言なんだから。 記紀の国生みは博多湾から始まる。伊奘諾が最初に手に入れた領土である淤能碁呂島は博多湾の小島である能古島のことである。
それに続きイザナギとイザナミの生んだ国(領土)のうち、天の冠詞がつく島である隠伎之三子島(天之忍許呂別)、伊伎島(天比登都柱)、津島(天之狭手依比売)、
女島(天一根、姫島)、知訶島(天之忍男、五島列島)、両児島(天両屋、男女群島)が天つ国の本来の領域である。
国産みにおける島々は九州北部沿岸の島を意味していたが、後に西日本全体の地名に拡大され再配置される。 >>682じゃないけど、出典もない文章貼り付けられても根拠にはならないでしょ >東南陸行五百里、到伊都国、
>世有王、皆統属女王国。郡使往来常所駐。
魏の時代には伊都国に(女)王がいて、周りの国は皆が女王国(伊都国)に従っていた。
伊都国は郡使が往き来して常にとどまるところでもある。
漢の時代には倭奴国に王がいた事を意識したのかもしれないが、
漢委奴国王印は伊都国に伝えられて来たとの伝承もあるので(細石神社)、倭奴国と伊都国は本質的に同じものだったかもしれない。 >>688
国生みが領土獲得の宣言なんて聞いたことないけど 領土獲得の歴史を正史に残すわけだからね。
他に意味あるか? 国の成り立ちや正統性を記すのが基本的な目的じゃないの。
その目的からすれば、想像の話や神話的な記述から国にとって都合よく書かれた箇所も含まれるわけで、
国生み神話まで丸ごと客観的に実在するものとして「○○は現実でいうどこそこだな」って当てはめるのは無理があると思うけど。 >>695
正統性と神話は矛盾するよ。
それよりも、征服地の記憶が口伝として伝わり、記紀に記録されたと考えるべきだろう。 別に正統性と神話は矛盾しないでしょ。とくに科学観が定着する現代以前の歴史書ならなおさら。
ローマの建国神話にしても古今東西の歴史書にしても支配者が自分の正統性を主張するものの中に神話が入ってるじゃん。
だから各地の民族が神様の子孫自称してたり、人外の子孫だったりするわけでしょ。
だからイザナギが矛で海をグリグリしたら島ができましたっていうのを無理やり現実にあてはめるなんて無意味でしょ。
もちろん、日本の古代人が天地創造をそう捉えたのはなぜか、とか論究するのは日本人の世界観を考えるうえで意義があったりするんだろうけど。 どう考えても国産みは既知の世界の起源を表す神話的存在論で、征服地と見なすのは無理 博多湾沿岸に最古の王権が成立したことは考古学的に確実なので、それと照らし合わせると興味深いのだけれどね。
他の地域であれば、はいはい神話けっこうな事で、と片付けられたのだろうけれども。 博多湾沿岸に最古の王権がっていうのはこの際とりあえず置いておくとしても、
最古の王権だ→だから神話に登場するものも実在するだろう
って論理的におかしいよ。 ・博多湾沿岸に古代王権の遺跡がある
・記紀でも筑紫を古代倭国の地としている
・中国の史書でも対馬海峡から博多湾沿岸を倭国としている スレ的に言えば、ヤマトこと倭国は本来は博多湾沿岸の王朝のこと。
690年頃に日本国に国号を変えたとの通達が周辺国に通達されているが、実際には筑紫倭国が滅んで畿内日本国に政権交代されたらしい。
その後にヤマトの名を畿内の大和に移動して、同じ国としてその権威を継承した。
ほぼ同じ時期に編纂された古事記と日本書紀のうち、古事記では倭をヤマトと読み、日本書紀では日本をヤマトと読むので、この頃に切り替えがあったのだろう。 >>705
根拠がなく、むしろ考古学的には否定的。 >>704
九州王朝が690年まで続いてこの年に政権交代があったという根拠は何ですか
九州年号ですか 磐井の乱など、九州北部は必ずしも畿内の支配下になかったことが示唆される。
考古学的にも、彩色古墳や沖ノ島の祭祀など、畿内とは別の文化的な独自性と興隆を達成している。
太宰府とは天子が政を行う役所の意味。
白村江で倭国が敗北した時に、唐が占領したのは畿内ではなく筑紫であり、他の朝鮮半島諸国の都と同じく筑紫に都督が置かれた。
旧唐書に倭国と日本国は並列で書かれ、日本国は倭国から派生した小国だが倭国を併合したという説が紹介されている。 「日本」の国号が出来た後で仮名が出来たのだから「やまと」「ヤマト」は本来の
国号ではない。「日本」を「やまと(「と」は乙類)」と訓んだことは
日本書紀の註で明らか。 はあ?
カナや漢字より前にヤマトの音があったんだろ。
古事記では倭と書いてヤマトと読めと注まで付いている。その後に日本書紀で日本という字を当てるようになるんだよ。 >>643
おいおい、質問返しは無しな
はよ、縄文祭祀でも弥生祭祀でも
詳説に述べよ
弥生がいかにチョンコまみれか
徹底的に論破してやる
>>644
>>670
「ヤマト民族」ってカテゴライズも
しょせん奈良にいた朝鮮人がムリクリ日本人になりすまそうとした
偽装手法でしかないからな
「葦原」こそ
真の縄文国号 >>645
「搬入」
www
現物土器が出土されているのに搬入扱いは無いわ
弥生土器はやっぱりチョンコが作ったチョンコ土器
>>647
で、肝心の無文土器について語らないところが、
オマエの詐欺師たる所以
無文土器=弥生土器=チョンコ土器
はい、論破 >>657
そういう
人民解放軍の戯言
外来種マンセーはもう飽きたんですが
>>661
それはトロイや諏訪に対して明らかに暴言
トロイや諏訪の文明にはちゃんと出土品があるよ
伝承が真実だった具体例
>>697
そういうウソハッタリの類は二度とやめましょう
というのがこのスレの大前提なんだが >>714
おい、幼稚園
ちゃんと、5w1hくらい踏まえて
意見を唱えような >>715
神話の出来事を現実にあったことと考えることの方が嘘ハッタリだろw 日本国とは本来今の津軽にあった王国の事
大和に征服されて国号を奪われた >>719
先史の説話が歴史書に書かれてるだけの話。
歴史書に書かれたから本当にあったことなんてことにはならない。 (途中で送ってしまった)
日本連邦
江戸時代のように各藩ごとに行政権を与え >>723
もちろん、あったともなかったともいえない。
ただ、仮定に仮定を重ねたり、
音の響きが似てるからここに違いないと当てはめるのは無意味なだけ。 そもそも歴史を伝えられてきたそのままにとりあえず記録して後世に伝えようとしたわけだろ。
なんで否定してかかるんだ? 真実が書かれたものもあれば支配者が都合よく書いたものまで
歴史書はいろいろあるから
権力を手にしたものが多くの歴史書を燃やしてしまい
都合のいい歴史書だけを残す
>「歴史を伝えられてきたそのままにとりあえず記録して後世に伝えようとしたわけ」
ではない 筑紫倭国の訓読みであるヤマトにするのなら、都を博多に戻さないと。 もし国名が変更されることがほぼ確定したら
出版社の株を買いまくるぞ >>729
それって支那・朝鮮の風習で
日本は異なるんじゃないの? 中国の史書をまねて史書作ったことすら知らないのか……無知すぎる…… 記紀の編纂と並行して、8世紀初頭に禁書令が出て焚書が行われている。
あと明治の初めにも焚書が行われている。 >>734
日本は王朝別の史書をまねる必要ないんだが
考えが浅はかすぎる・・・・・・・・・
>>735
指で数えられる程度じゃん 筑紫倭国から畿内日本国への政権交代があったのかもね。 >>736
浅はかも何も何でも右習えで中国の真似した事実も知らんのか…… 遣唐使とか送っていた時代だからな。
白村江で敗戦して、結果的に唐に盲従していただろうね。 >>738
ちなみに日本の律令では支那の刑罰をそのまま採用していない
何でも右習えで中国の真似した事実はないことも知らんのか・・・・・・・・・・・
>>739
当時から和風で取り入れる知恵はあるだろう
役所の公用語を支那語にしようとして口語では失敗してるし 平城京の構造もそうだし。
そもそも遣唐使を送っている時点で、従属している。 >>741
その猿真似が726につながるとは思えないと言っている
>>742
小野妹子の遣隋使で少なくとも支那と対等であることを宣言している
まあ実際の文明力は支那が勝っていたから「追いつき追い越せ」が
スローガンだったというのは理解している
それに天竺や波斯・大秦を手本にするには遠すぎた いきなり国名を変更するより
少しずつ変更して慣らしたらいいのでは
ヤマト列島
ヤマト海
富士はヤマト一の山 ♫ >>26
日本神話で隠してるんだよ
日本神話が西日本だけで完結してることに違和感を感じないか? >>741
>>742
日本の敗戦は2回
その際に相手国を日本より上等だと認めて文化を取り入れている
唐に敗戦→遣唐使を送って唐化→遣唐使廃止→唐滅亡
米に敗戦→遣米使を送って米化(今ここ)→
唐から東洋文化を
米から西洋文化を取り入れて
完成する >>746
アメリカ大統領や日本の総理が代わるたびに
総理が日本通信使となってアメリカに行っているからな >>743
>小野妹子の遣隋使で少なくとも支那と対等であることを宣言している
隋唐を舐めていたらコテンパンにやられたんだろ?
順序を考えろよ。 隋に遅れを取っていることを知ったから
支那に学ぶことを始めたんであって
遣唐使は白村江以前から送っている 日本は魏晋南北朝のパクリ
ヤマトは最初の魏史にある邪馬台国の正統な名前なんでしょ。漢魏から継承史背負ってる隋もそう呼んでるし。 いや隋だから
なんで日本が必死こいて日出づる天子とか遣隋使送ったり、白村江の戦いしてるかおわかり?
朝鮮支配の権益を認めてくれた盟主南朝様が滅んだから >>746
という事は、お次は遣米使の廃止・・・言わば日米関係の冷却化が来るわけか。
そして米国滅亡と・・・ 小野妹子が唐に行ったことになっているはず。
唐がまだなかった時代なのに。 たしか、隋に行ったけど、大陸に着いた頃には、大唐に変わっちゃってたって流れじゃなかったか 日本書紀の唐は「とう」じゃないからね。「もろこし」だからね。 >>745
畿内のプレ大和王国(出雲系の葛城の王族(鴨属)と丹波国(天村雲命)系の大王家の連合国家)が九州から攻め込まれ
大和から逐われた勢力(神話の裏切られて斬られたナガスネヒコ)の内、東〜北に逃避した連中を蝦夷(カイ、エゾ)と言って蔑んだらしい。 新羅は統一パワー持った隋唐帝国を利用して高句麗、倭(日本)の半島影響力を排除し、領土をコソ泥したカス 2倍歴説では今の暦に計算しなおすと推古天皇の時代は唐
もしくは乙巳の変が50年ずれている説でも推古天皇の時代は唐になる
お好きな方で 乙巳の変が白村江の後になる。
改革というよりは、筑紫倭国ヤマトから畿内日本国への政権以降のための制度変更だったのかな。 >>764
唐、新羅、倭国VS隋、百済、畿内ヤマト(基本である >>772
乙巳の変でヤマトニッポン、白村江の後筑紫倭国ニホン(基本である 筑紫の倭国は帥升の頃からの国名だね。
白村江で負けて滅び、畿内の日本国に政権交代した。
旧唐書を読んでね。 筑紫の倭国とやらが、列島を支配してたわけではない。
政権交代ではなく、畿内の日本がはじめて統一国家をうち建てた、が正しい。 ・奈良、京都主導の古代日本は朝鮮より下っ端の後進国
日本と朝鮮半島の歴史と文化の交流というものを考えてみますと、長きにわたりまして、日本は朝鮮半島よりも明らかに後進的な国です。
『古代豪族と朝鮮』京都文化博物館編
河内飛鳥(大阪府)の文化は百済につながる人々によって創造された百済色の濃い文化であった。
(『河内飛鳥』山尾幸久・立命館大学教授)
秦氏というのは新羅を母国といたしまして、五世紀の後半に日本列島に渡来してまいります。そしてこの京都に住みつきます。
(「渡来人と平安京」井上満郎・京都産業大学教授) 中華外交が正常化したから、遣唐使は朝鮮半島経由する必要がなくなった >>778
>・奈良、京都主導の古代日本は朝鮮より下っ端の後進国
それは畿内日本の話だろう。
筑紫倭国は金印拝領国で、銀印の朝鮮国家よりは格付けが上だったよ。 実質的に唐に負けたんだよ。
太平洋戦争と同じで、大国に対して見込みが甘かった。 なぜか邪馬台国論争になってるなってるw
ここに書いてあるのを読んでいると
新しい国名はヤマトより倭のほうがいいのでは オロチ族の名称由来は一人称がオロチだから
アイヌの名称由来も一人称がアイヌだから
倭(ワ)の名称由来も一人称がワだったから
ワタシ・ワイ・ワレ・ワの国では〜と紹介した結果が倭国 倭はヤマトと読めと古事記の冒頭に注があるんだよ。
卑弥呼も邪馬台国の女王ではなく、倭国の女王(親魏倭王)だし。 倭は国名じゃなくて地域名でしょ
そこに住むのが倭人
邪馬台が国名 倭人たちの国ってことだろ
総称であって一つのある国というわけじゃない 前漢くらいだとそうだけど、後漢からは倭国王が冊封されるようになる。
白村江では数万の軍勢で唐と戦っている。 1 中国人から倭と呼ばれる
2 やまと国が統一する
3 古事記の時期には倭=やまとという自己認識が出来た 「倭」は「わ」なのか「い(ゐ)」なのかわからないから
もし国名を「倭」とすると読み方は「わ」でも「い(ゐ)」でもいいということになるのか
現状が「にほん」でも「にっぽん」でもいいように 表記と発音をわけて考えろよ
正式にはヤマト、ヤマトと読むなら表記は倭でも日本でもなんでもよかった
後の時代になって「正しさ」の基準が発音から表記にずれてきた
それで倭はただしくない、日本が正しいって話になった やまと名乗ってた時代よりの日本名乗ってた時代の方が既に長いんだが 旧唐書には倭国と日本国が分けて記載され、「日本は旧小国、倭国の地を併せたり」とある。
三国史記の新羅本紀には「670年、倭国が国号を日本と改めた」、新唐書にも670年に「日本と號す」とあるが、国内にはその記録がない。 縄文時代はどうだったのかな
三内丸山遺跡のあたりは
当時はなんと呼ばれていたのだろうか ヤマトって、大和地方に大王の宮殿があったからだよ?
そもそも、ヤマト国は天皇中心の中央集権国家ではなく、各地の王(豪族)たちによる
連合政権で、大王たちも豪族たちの権力闘争に巻き込まれて、権力を握る豪族によっ
て大王が殺されたり、皇太子が殺されたり、政権が全然安定しない、野蛮な国家で、
中国の属国だった。
皇極天皇(まだ大王だった)と中臣鎌足が立ち上がり、天皇を中心とする絶対的な中央
集権国家を皇子たちとともに建設し、日本という天皇制の独立国を作り上げた。
感謝すべきだと思うよ。 >>804
そもそも縄文時代に日本という意識があったのだろうか?
日本とは言わなくても、自分達の文化圏の総称や概念のような物が。
あったのなら、山内丸山遺跡は都だとか言われていたのかもしれない。
かなり広域をカバーする部族連合の本拠地だったみたいだからね。
それ以外に、もっと大きな都市的な集落も見つかってないだけで探せばあるんだろう。 >>806
こんな状態↓から日本国を救い出してくれたんだよ?有難くないの?
そもそも、ヤマト国は天皇中心の中央集権国家ではなく、各地の王(豪族)たちによる
連合政権で、大王たちも豪族たちの権力闘争に巻き込まれて、権力を握る豪族によっ
て大王が殺されたり、皇太子が殺されたり、政権が全然安定しない、野蛮な国家で、
中国の属国だった。 誰かが天下とるのは歴史の流れだから別段感謝することじゃないだろ >>805
天皇を中心とする政治になんて大嘘。
時の孝徳天皇を難波宮に置き去りにして中大兄皇子が勝手に遷都して、天皇は寂しく憤死した。
これのどこが天皇中心だよ。
中大兄皇子が自己中心的なだけ。 >>810
あなた大丈夫?孝徳天皇は、「天皇を中心とする体制づくりを目指した改革」
の始まりを宣言をしただけであって、その時期はその準備段階の領土拡張作業が行われただけ。
実際に天皇を中心とする体制が完成したのは中大兄皇子の義理の妹である持統天皇の頃。 ちなみに中大兄皇子は、母と中臣鎌足のいうがままに行動していただけで、
自己主張をほとんどしないまま、母の死後即位するのにも時間をかけて大津宮を整え
るまで待つほど慎重で遠慮深い性格です。
母である斉明天皇が死ぬまで、中大兄皇子も、間人皇女も、母の言いつけに従い、母の改革を
陰で支え続けました。
乙巳の変のほとぼりが覚め、本来仮の天皇である孝徳帝の難波宮(皇極上皇が弟帝に建設を
命じた仮の都)が完成したことで、孝徳帝が不要(邪魔)となり、孤独死に追いやったのは皇極上皇です。
そして皇極上皇が重祚し、中大兄皇子の即位は、母の死後数年経ち、40代半ばになってからです。
わがままな皇子などではありませんでした。 >>811
それでは乙巳の変から相当後だよ。
乙巳の変そのものはただの権力闘争だな。 >>813
皇極天皇が乙巳の変のゴタゴタを避けるために弟をそそのかして皇位につかせ、娘と結婚
させて難波宮建設を始めるよう命じたのは変の直後だよ。
娘と結婚させたのは、弟のことを思っているふりをして難波に遠ざけておくだけで、実際
に難波に拠点を移すつもりなど全くなかった。
だから難波宮が完成して用済みになったら、祝宴だけを行って、すぐに子どもたち全員引
き連れて奈良の宮に引き上げてきたんだよ。
記紀などでは失望して死んだと言われてるけど、もしかしたら、一人になったところを暗
殺されたかもしれない。
恨みもない、愛する家族が邪魔になった時に始末する方法として、よく毒殺が使われた。
彼が都の運営をあきらめて奈良に戻ってこないよう、または皇極が重祚するため毒殺し
てしまった可能性がある。 >>814
だから、それのどこが天皇中心の政治だっていう話ですよ。
ただの天皇家の中の勢力争いに過ぎない。 >>815
本当に何も知らないのですね。
孝徳天皇が、「天皇中心の制度を目指す」と宣言して大化の改新をスタートさせましたが、
大化の改新の前半(斉明天皇まで)は、制度改革の準備として領土拡大と確定の作業をしていました。
天皇中心の制度作りは大化の改新の半ば頃、670年頃からです。
そして701年に大化の改新は完成し、天皇を中心とする国体が始まりました。 >>807
8000年前の東北製の土器が沖縄で出土してるしね >>809
外国人じゃなくてよかったってことでしょ 乙巳の変で筑紫倭国から畿内ヤマトへ政権が移ったんだ >>816
>天皇中心の制度作りは大化の改新の半ば頃、670年頃からです。
それは大化の改新ではなく、663年の白村江の敗戦処理だよ。
もはや大化の改新ではない。
三国史記の新羅本紀には「670年、倭国が国号を日本と改めた」、新唐書にも670年に「日本と號す」とあるが、国内にはその記録がない。
671年に天智天皇が死亡、翌年にはその王子である大友皇子を殺した大海人皇子(天武天皇)が実権を握った(壬申の乱)。 旧唐書
倭国はいにしえの倭奴国のことである。
四方の小島五十余国は皆、倭国に属していた。倭国の王の姓は阿毎(あま・あめ)氏で、一大率を諸国において検察させている。小島の諸国はこれを畏怖している。
日本国は倭国の別種である。
その国は日の昇る方にあるので、「日本」という名前をつけている。
あるいは「倭国がみずからその名前が優雅でないのを嫌がって、改めて日本とつけた。」ともいう。
またあるいは「日本は古くは小国だったが、倭国の地を併合した。」とも。 >>820
天皇の座をめぐって殺し合っているから、ある意味では天皇中心の政治だけどな。 殺しあってないし。
ただ、従順な弟一人を犠牲にしただけ。 殺しあったよ、
出家した?偉い人物がいたりするでしょ
『ザ・モモタロウ』という作品でいう
「シュテンドルフ」のような存在
そのような存在を殺したか、殺そうとしたか・・・ 同じようなコンセプトだけど、
どういう事なんだろう
船に乗りやってきた、または漂流。
地元の人間(人々)に殺された、または殺されてはいない。
もののけ姫というのも同じでしょ、神殺し、と言っていたり 中臣鎌足が蘇我入鹿を暗殺し、皇極天皇とともに改革を始めた。
皇極天皇は、事件のほとぼりをさますために、いったん位を降り、弟(皇太子でも何でもない
敏達天皇の曾孫にあたるだけの皇族)に自分の娘(皇女)と形式だけの結婚をさせて即位させ、
大阪に遷都(これも形式上)させる。
そして自らは奈良を拠点にしたまま、中臣鎌足と、長男である中大兄皇子とともに、
領土拡大事業に専念する。この時点で、皇室内で殺し合いなど起きていない。
だが、形式上遷都しただけの大坂の難波宮が完成してしまう。大和の大改革の最中に、
大和を離れて大阪なんぞに行くわけにはいかない。だが弟とは、難波宮が完成すれば
皇族皆が大阪に移り、国の中心を大阪にすると約束している。
しかたなく弟を犠牲にすることになった。これが最初で最後の皇室内での犠牲者。
ちなみにこの弟の死も、殺害ではなく、大坂の新しい宮殿に一人残され、自分が忠誠を
尽くしてきた姉、指一本触れることもなく大切にしてきた妻(姉の皇女)、そして姉の皇
子たち、信頼してきた近臣たち、すべてが宮殿と自分を捨てて出て行ってしまった、
その絶望と孤独で胸を痛めて1年後に死んでしまった、となっている。
殺し合いだなんて、でたらめだ。 モモタロウという作品
ドルフ?の首がフワフワ浮いていたり、
誰の話なんだろう モモタロウって何?
昔話の桃太郎とはちがうの?
映画?ドラマ?アニメ?マンガ?小説?ゲーム?
最近は、サブカルチャーがどんどん低俗愚劣をきわめて、
あれやこれやでたらめな文芸作品ができているような印象がある。
そういった作品は私は鑑賞したり楽しんだことが一切ないので、実態はあまりわからないけど。 >>827
>しかたなく弟を犠牲にすることになった。これが最初で最後の皇室内での犠牲者。
それのどこが天皇中心の政治?
壬申の乱では天智の息子の弘文天皇を排除している。
どこが天皇中心の政治?
そもそも乙巳の変から天武の頃までに主役そのものが変わっている。
全てのを大化の改新にするのは無理。 そろそろ次期天皇と上皇の確執が起きて秋篠宮系と徳仁系の2つの皇室に分かれて新たな南北朝時代が訪れる予感だ そんな不謹慎なことを書くのはやめよう
根拠も全くないし そもそもそんなに心配するほど皇族がいないから、相続争いが起きない。 卑弥呼の直系っていないだろうな
一番濃い血筋でも弟の直系かな 【邪馬台国の終焉】
八咫の鏡を持つ卑弥呼の後継者の一人であり、筑紫の梟帥の称号を持つ神橿日姫(神夏磯姫)の時、外部勢力である景行天皇とともに耳垂などかつての邪馬台国の官を粛清している。
景行天皇の孫の仲哀天皇が息長帯姫(神功皇后)とともに神橿日姫ゆかりの筑紫橿日宮に入るとき、
伊都高祖宮と筑紫岡田宮のそれぞれの王(五十迹手、熊鰐)が出迎えているが、仲哀天皇は筑紫橿日宮で急死してしまう。
景行は神橿日姫と共闘していたが、息長帯姫は筑紫を支配していた羽白熊鷲や、神橿日姫の末裔とされる田油津姫を殺し、武内宿禰とともに筑紫の全権を掌握し、朝鮮半島に出兵する。
倒された側の耳垂や田油津姫はいずれも正史では土蜘蛛と称されており、勝てば官軍、負ければ賊軍のような状態であったと考えられる。
田油津姫の宮は銅を算出する香春岳の麓の香春宮であったが、決戦の地に筑後山門を選んだのは、そこが本貫地であり、自身が邪馬台国の女王であるという意識があったかもしれない。
羽白熊鷲の名は息長帯姫側の熊鰐と同類の名前であり、筑紫の王家の一員であったろう。
田油津姫も八咫の鏡を保有していた神橿日姫の末裔であり、筑後〜筑豊の女王であったと考えられる。
つまり息長帯姫の土蜘蛛征伐は筑紫倭国すなわち邪馬台国の末裔による内紛に他ならない。
その中でも、筑後・筑豊・肥前に拠点を持つ肥国邪馬台国の女王の系譜は、卑弥呼、壹與に続く神橿日姫、田油津姫までで終わりとなる。 孝徳天皇を例示して
大化の改新は天皇中心の国家を目指していない
と結論づけるのは早計
ネトウヨが今上天皇を批判しながら
皇室を賛美しているように、
中大兄皇子も孝徳天皇個人を嫌いながらも、
天皇中心の国家を目指していたとみるべき >>832
徳仁系は大室南朝(インチキではあるが)秋篠宮系は北朝
平成は北朝である 赤組・・・狗奴国、畿内ヤマト、百済、平氏、南朝(楠木正成、織田信長、水戸黄門、吉田松陰
白組・・・邪馬台国、出雲、新羅、源氏、北朝(足利尊氏、明智光秀、徳川家康、松平容保 >>838
現在の天皇家には卑弥呼の血は流れていないだろう。
卑弥呼は独身だったし、4世紀には一族も滅亡させられたと思われる。 >>841
卑弥呼は天照大御神でも神功皇后でもないから
現在の天皇家には卑弥呼の血は流れていないだろうね 壹與は独身であったかどうか書いてないからわからなくないか? は?女系社会でフリーセクロスでも確実に女系の子なのに婚姻なんかするとでも? >>848
やってきた大陸人に「ウェーイwww」って挨拶したから倭(ウェイ)国な
その遺伝子は現代にまで受け継がれている 倭寇という言葉があるが戦国時代までは
この国は倭と呼ばれていたのか? 秦帝国ではなくなったのにChinaと呼び続けているようなものだろう。 >>853
Chinaをチィーナ→シナと呼んで怒るのはお門違い?
日本をジャパンと言われて喜んでいる?のは亡国の兆し。
中世に中国(の港湾)にきた西洋人が珍妙な東洋人を見つけて中国の地元民に問い質したところ、
中国地元民曰く、あぁ、あの人達あるか?東海の島国の日本/ジッポンから来ているあるな。
良く来ていて盛んに商売して帰るあるな。
、、、日本をジッポン(中国地元民(江南地方?))と勝手に呼ばれていたのが
西洋に伝わり各国の訛りで様々に呼ばれた(訛りに訛る)一つが英語のジャパン。
今度のオリンピックでは我が国のナショナルチームはニッポン/Nipponを掲げるべき。
昔はニッポン/Nipponと堂々とやっていたではないですか。 「にっぽん」とか気の抜けた発音止めた方がいいからジャパンを正式国号にして欲しい
なんだよにっぽんって
「にほん」も二本と同じ音でダサいしセンスなさす 中国をシナと言って批判された元東京都知事とかいたけど何がいけないかわからんよ
九州から沖縄の西にある海は何と呼ぶのか?と言いたくなる 東海じゃなかったかな。
何れにしても、当事国が呼んでいない呼び方を使うのは失礼。
ビルマはミャンマーに変えたね。
支那は俗称であり、正式には中華人民共和国であるべき。
ただしChinaは自分たちでも名乗っているはずなので問題ない。 外国がどう呼ぼうと勝手じゃないか?
外国人が発音しやすいように呼べばいいだけだし
中華人民共和国は日本人には長すぎるし
支那が適切 日本人は「国の内外」などと言うが、支那人は「中外」という
「中国」は「外国」と対になる言葉
日本人なら内国とか国内と言うところだ
支那人に取って中国は我が国と言った意味の言葉
たまたま中華民国や中華人民共和国を約めて言う言葉にもなるから、そう呼べって言ってるんじゃね じゃあ中国人のネトウヨが倭と呼んでも差し支えないわけだな
語源だって日本は日が出づる国に由来しているけど、本当に日が出ているわけないし 日本が呼ぶ東シナ海=中国が呼ぶ東海=韓国が呼ぶ東中国海
韓国が呼ぶ東海=日本が呼ぶ日本海(中国も)
韓国が呼ぶ西海=日本が呼ぶ黄海(中国も) >>857
どうして台湾人は、歴史の話や愛国心の話、国家の将来の話をするときは自分たちのことを「チャイナ」って呼ぶのかな。
そのたび、何度も台湾人に「貴方はチャイニーズ?」って確認するけど、「違うよ対話ニーズだよ」と答える。
だけど演説とかになると「チャイニーズ」として語りだす。不思議だ。 忘れてた。台湾の正式国名は中華民国(Republic of China)だったか!
こんな簡単なことに気づかないとは。そりゃチャイナだよな。 そもそも中国の正当な系列は中華民国のほうだろ
2つの中国が成立したときから日本はその立場だったし
アメリカも日本と同じ立場だった
今は巨大な軍事力を持った中華人民共和国をいたずらに刺激しない方がいいだろうという判断のもと外交しているが
形式的には別にして実質的に日本は中華民国のことを1つの国と認めている
だから台湾という呼び名は避けたい
シナとかジャパンとかの呼び名とは別の次元の話 >>865
アルバニア決議は、あくまで中華人民共和国にすり寄ろうとしたアメリカからの提案に基づいたもの。
日本は最後まで中華民国(つまり東亜の誇りである支那帝国)を守ろうと、国連の中華民国追放案に
反対票を入れたけど、賛成多数で、中華民国は国連から追放され国家主権を失った。
日本はその瞬間、国家ではなくなった中華民国との国交を終了することとなる。
そして、これまでむしろ敵対的関係にあった中華人民共和国が「中国政府」となった
ことで、あらたに人民共和国と国交を築き上げようと努力することになった。
努力の結果、新しい中国との間に国交正常化が実現する。
当時の中華人民共和国は、社会主義革命の考えに基づいて、支那文明、支那帝国を徹底否定、破壊しようとしたが、
1980年代に入ると、社会主義の壊滅的敗北が色濃くなり、人民の歓心を得る方法として、
支那文明を許容、むしろ尊重する姿勢に転じた。
21世紀に入ってからは、「抹殺すべき帝国主義」の象徴であったはずの支那帝国主義の
復活を目指す勢いすら見せている。 >>855
にっぽんやにほんの響きが寂しいなら、「ひのもと」とか「やまと」と呼べば?
ちなみに、英語の呼称を持っている台湾人や中国人たちも、本名はちゃんと中国語の名前だよ。 だから支那と呼ぶなと。
共産党政府でいいだろ。
ちなみに台湾は国民党政府だったが、少し前に独裁を放棄して民主的選挙に移行した。
あと、清の帝政を終わらせたのが国民党なのだから、「支那帝政」云々は少しニュアンスが違う。 >>868
じゃあ共産党政府に直します。
アルバニア決議は、あくまで共産党政府にすり寄ろうとしたアメリカからの提案。
日本は最後まで中華民国(つまり東亜の誇りである支那帝国)を守るべく、国連の中華民国追放案に
反対票を入れたけど、賛成多数で、中華民国は国連から追放され国家主権を失った。
日本はその瞬間、国家ではなくなった中華民国との国交を終了することとなる。
そして、これまでむしろ敵対的関係にあった共産党政府が「中国政府」となった
ことで、あらたに共産党政府と国交を築き上げようと努力することになった。
努力の結果、新しい中国との間に国交正常化が実現する。
当時の共産党政府は、社会主義革命の考えに基づいて、支那文明、支那帝国を徹底否定、破壊しようとしたけど、
1980年代に入ると、社会主義の壊滅的敗北が色濃くなり、人民の歓心を得る方法として、
支那文明を許容、むしろ尊重する姿勢に転じた。
21世紀に入ってからは、「抹殺すべき帝国主義」の象徴であったはずの支那帝国主義の
復活を目指す勢いすら見せている。 >>864
台湾の独立論者の大半は、
共産党政権に併呑されたくないから独立を言ってるだけで、
心の中では、殷周秦漢と続く漢民族としての誇りを持ってるよ >>870
そのとおりです。
むしろ彼ら本省人は、清代の不幸な体験を共有していなくて、常に漢人としての誇りを
もって本土政府の不幸な境遇を批判する立場にいられたため、謙虚さを学ぶ機会がなか
ったので、世界の覇者たる支那民族としての誇りを、今に至るまで堂々と掲げていられるのです。 呼び方なんぞ勝手に呼びゃいいだろ。
別にアメ公がジャップと言おうと知らねぇし、チンクが鬼子と呼ぼうと、どうでもいいわ。
どうせ敵国だしな。
敵国人なんだからどう侮蔑しても構わんし、逆にどう言われても仕方ないだろ。 2chでジャップと言うのは半島人だぞ
在日朝鮮人よりずっと昔から日本にいる連中
日本に神社を広めた連中だ
というのも、とあるチャンネルで保守派が集まって議論してたんだが
その中で、老いぼれて死にそうな奴がいて、頭もかなりぼけてんだが
ポロリと「安倍さんについていかないジャップが悪い」と言ったんだ
そしたら、その他のメンバーもヘラヘラ笑い出した
ぞっとしたよ
保守派っていうのは日本の支配層の半島人であって
陰で日本の土着民をジャップと呼んで区別してるんだ
天皇らは土着民を民草と呼ぶんだがな、似たようなもんだ
やつら半島人(たぶん秦氏)は強烈で偏狭な選民思想を持っている >畿内人はむしろ特殊な日本人で、周辺群こそ平均的な日本人である(埴原和)
>関東出土の縄文人骨の多くは頑丈で、西日本出土の人骨は小さい(小片保)
>東日本では動物性食料資源の捕獲や調理のための道具が発達し、西日本では植物性食料資源を利用するための道具が多い(赤沢威)
>実は本州を縦断して巨大なトレンチが掘られているのである。それは新幹線と高速道路の工事である。その工事に引っかかった(縄文時代の)遺跡を数えても、
>東日本は西日本に比べて圧倒的に多いのだ(佐原真)
私は縄文時代一万年をよくマラソンにたとえるんですが、最初は南九州がトップ集団を走るんです。
もう一つは関東で、これは最初から前期、中期、後期、晩期と、最後まで先頭集団を守ったベストプレーヤー。
東北は最初はだめですが、前期以降、先頭グループを走るようになる。
東部北海道は第二グループで、なかなか先頭に立てない。
一方、最初から最後まで後続集団に甘んじていたのが西日本です。
(小林達雄・新潟県出身の考古学者) 先頭集団っても縄文なんてドングリの背比べだしな
大陸からの先進文化を引っさげた近畿群が最終勝者になったのも当然 はやくヤマトに戻したほうが良いぞ、
そうなっているんだから デスラー?
酒の神 国土などを造った神 国王(日本)
同じだという話だよ 韓国に大国男児というグループ、
ユニット?がいるとか 説明しなくてもわかるはず、専門家なら、わかるはず
『国造り』
『大国男児 事件』
実際、本当の大国(仮)は事件などは起こしていない、
そういった手法を用いて、大国(仮)を貶めるというやり方 一緒に国を造ったという人物、代表、神がいるけど、
連帯責任のようなことになる 日本国王というのも、
本名(氏 姓)があるという話
本当の姓? 『日本国王』
ここにも出てくるはず、ググってみて
『院』『天子』『天子神璽』など 徳川家康の神号を朝廷の1人が提示した案が面白い
・東照大権現
・日本大権現
東照は天照国家の東の神という意味では異論がないと思う。
ただ、日本大権現も提示したのはどういうことだろう?
実はヤマト国家の東に従属していた日本という国家が東国に古代あったのではなかろうか? >>891
さすがに家康を持ち出されてもな。
まあ、中国の歴史書はウソを書く理由がないから、筑紫倭国とは別に日本国があったのは確かなんだろう。 >>891
日本。は、ヒノモト。
元々、日本は大和を逐われた先行王朝の出雲族らが更に逐われて中部、関東、東北と逃避し都を遷していき、
彼らが号した日之本国(/日高見国/アラハバキ)を大和朝廷側がパクパクしたもの(出雲族の伝承)
要するに、東日本〜東北地方一帯を言った。
伊達政宗公が日本国王と称されたのも同じ(伊達の名乗りは、五十猛〜イタテ(大倭国初代大王、天村雲命)の末裔だと言っているか?) 出雲は、一時期は関東にまで進出したけど、筑紫に負けてからは手を引いて、諏訪に落ち着いてそれっきり。
関東は畿内か筑紫のどちらかの分家だろう。
奈良に関東の神社を勧請したり、天皇が鹿島を遥拝したりしているから、畿内との繋がりの方が強いかもね。 日本国号は近江朝がはじめて名乗った。670年から672年の間である。
「日本」の意味は日の出の地域であるから、中国から見て、東の方、
すなわち、半島や列島を指していた。
668年には最後の高句麗が滅び、660に滅んだ百済、663に潰された倭国をあわせ、
唐に制覇された東夷全体の意味をこめて名づけられたと考えられる壮大な名前である。
それを、ヤマトというローカルな名前に戻そうというのですか。
(参考)
http://www.geocities.jp/jhistoryverification/fuyoyuu.htm 「やまと」は日本統合を形成した言葉で国号でも良いんだが、
「やまと」が元々どういう意味だったかが、まだ明確じゃない。
狭義の地名だと米国をヤンキーと国号で変えるようなものだし。 ヤマト国になるなら国歌は、やまとは国のまほろば♪ たたなずく青垣♪、とかになるのかな?
意外と君が代よりも反発が少ないかもな
首都は京都で標準語はもちろん京言葉だな ヤマトは筑紫倭国の訓読みで、君が代も福岡の地名などを読み込んだ歌だな。
京言葉ではなく、博多弁がふさわしいだろ。 夜麻登 邪馬臺 邪摩堆 大養徳 大和 倭 日本
ヤマト国万歳! やまとは唯の地名だぞ。
倭も大倭も大和もヤマトと読めない。
後世の当て字。倭→大倭→大和
大阪湾から見て河(河内湖)の内側の地がカワチ河内、
大阪湾から見て山の向こう側(外)の地がヤマト山外。
大阪湾一帯にいた倭人勢力が名付けた地名だな。 【白村江の戦いと倭国滅亡】
663年に白村江において行われた倭・百済と唐・新羅の決戦で倭国軍は大敗した。
自ら前線に赴いていた筑紫君薩夜麻が捕虜となり8年にわたり唐に抑留された。
筑紫には唐から郭務悰ら2000人の使節団が駐留したが、畿内大和ではなく筑紫を占領したのは、そこが倭国の首都だったからである。
668年、筑紫の使節団は帰国し、中大兄皇子は天智天皇として即位したが、その翌年には筑紫都督府が置かれ、同じ敗戦国の百済に置かれた熊津都督府と同様に唐の統治制度として機能し、倭国は独立国としての権限を喪失した。
旧唐書には倭国と日本国が分けて記載され、「日本は旧小国、倭国の地を併せたり」とある。
三国史記の新羅本紀には「670年、倭国が国号を日本と改めた」、新唐書にも670年に「日本と號す」とあるが、国内にはその記録がない。
671年に天智天皇が死亡、翌年にはその王子である大友皇子を殺した大海人皇子(天武天皇)が実権を握った(壬申の乱)。
天武天皇は対外的な国史としての日本書紀(漢文)を編纂させ、歴史上の天皇への漢風諡号の制定などを行った。
日本書紀の最大のトリックは、神武東征より後の筑紫倭国の歴史を抹消することであった。
日本書紀の編纂と並行して禁書令が出され、8世紀初頭に記紀以外の多くの古代の記録が失われた。
倭国の政治および文化を継承するために、筑紫から多くの文物、人物、建物、地名が平城京に移動された。
筑紫が679年に水縄断層系によるM7.1の筑紫大地震、畿内が684年に南海トラフ地震と推定されているM8.4の白鳳大地震により被災している。
筑紫は震災からの復興もままならなず没落したと考えられる。
701年の大宝律令で行政単位が評から国・郡に改称され、九州から関東までの中央集権国家としての畿内政権が誕生する。
この大倭の表記が大和とあらためられ、以前から筑紫倭国に対して近畿を示すために用いていた日本国が列島全体の統一王朝の国号となり、ヤマトは畿内の地名に変化した。
こうして筑紫倭国は滅亡し、その権益は唐に朝貢(遣唐使)を再開する畿内大和政権が継承した。 天皇じゃなくて大王にもどした方がいいな
大君でもいいし
天皇とか意味が仰々しくて恥ずかしい
中二かよ ワシの先祖は天皇家の分枝やから大和文化の直系子孫
ご先祖が蝦夷の人は反天皇やろけど下級貴族の血が少しは混じっとるかもしれへんからほどほどにな >「日本は旧小国、倭国の地を併せたり」
なんでここだけ抜き出すの?
歴史書には『日本からの使者が「日本は旧小国、倭国の地を併せたり」と言ってるが信用できない』と書いてあるんだが 飛騨、富士、出雲、倭國どれか選べ
ケツの青い騎馬民族の畿内ヤマト民族は除く 奈良時代の始まりは唐、新羅、筑紫倭國連合政権の天武なんだ
だから奈良時代の最初は唐、新羅と友好関係だったんだ 倭国の一小国だった日本が倭国という地域を統合したとしか読めないんだが 古来より赤トンボが多く飛んでいたようだから
「アキツ国」がいいと思う >>916
だから原文には『「倭国の一小国だった日本が倭国という地域を統合した」という話は信用できない』という
内容のことが書いてあるのよ。 『旧唐書』
日本國者、倭國之別種也。以其國在日邊、故以日本爲名。
或曰、倭國自悪其名不雅、改爲日本
或云、日本舊小國、併倭國之地。其人入朝者、多自矜大、不以實對、故中國疑焉
すごくわかりやすく訳す
日本からの使者は3つの異なる説明をした。
「日本は倭国とはまったく別の国」
「倭国と日本は同じ国。倭って漢字が嫌だから日本に改名した。」
「小国だった日本が倭国を併合した。」
日本からの使者の話は真実とは思えないので中国はこの話を疑った。 これはたぶんだけど
「倭」って漢字は中国様が考えてくれた漢字なので
その漢字が格好悪いから日本に改名したっていう真実を説明すると
中国が激おこになって殺されるかもしれないので
日本の使者の説明が二転三転したんだろうね >>919
一小国云々は噂であって、信用できないはそれとは別の日本国の代表の説明のこと。
畿内説や東遷説のような説明をしていたらしい。 >>921
普通に読むと一人の使者が三つの説明したわけじゃないこと分かるな
複数の使者から別々の情報が伝わり、唐側が疑ったというのは三番目の話
この時の使者(入朝者)は、「自ら矜大すること多く、実を以て対(こた)えず」という態度で放言したので唐は信じるに足りないとした 日本史より謎な金儲けできる方法とか
グーグルで検索⇒『羽山のサユレイザ』
A750O とても簡単な稼ぐことができるホームページ
念のためにのせておきます
検索してみよう『立木のボボトイテテレ』
LQN 大和にしよう
憲法十七条と五箇条の御誓文を基軸に憲法作って唯一まともな文明国となろうではないか はやぶさがイトカワのサンプルリターンした年を
日本宇宙歴元年にしよう >>940
便利すぎる文明の利器を取り入れるのが真日本人
例)スマホ >>943
現代支那人よりも古典漢文を知る日本人がいるという証明や
現代支那人は古典漢文を使用していた人とは異なる存在や 天皇は中国由来の単語だものな
日本に来た当初は朝廷もあって日本人狩りをしていたが
戦国時代には誰にも相手にされない極貧シャーマンとなっていた
徳川が天皇を終了させてしまえば良かったんだが
なまじっか放置させていたから英国に天皇を利用されてしまった >>24
2011/10/23
「日本」の呼称、最古の例が中国で発見。678年の墓
http://yomogi.2ch.net/test/read.cgi/history/1319330023/160-161,163
http://log●soku.com/r/history/1319330023/160-161,163
2013/10/13
【人類】欧州の狩猟採集民と農耕民、2000年にわたって共存か
http://anago.2ch.net/test/read.cgi/scienceplus/1381588164/42,82,84,86-96,98-100,118,127,128,129,131,184,185,188
http://lo●gsoku.com/r/scienceplus/1381588164/42,82,84,86-96,98-100,118,127,128,129,131,184,185,188
日本国号の由来 [無断転載禁止]©2ch.net
https://lavender.2ch.net/test/read.cgi/history/1487158501/ 大倭国から8世紀に大和(ヤマト)に国名変更されている事実 倭というのは、7世紀まであった、筑紫を都とした国のこと。 天皇と呼ぶようになったのは、だいぶ後の事だろ。
それにまでは「オオキミ」と呼んでいた。 日本天皇>日本大君>日本国王>>ウンチ>>高句麗王、新羅王、百済王の滅亡三馬鹿 何
彡ミミミ
( ´・ω) 彡⌒ ミ
γ/ γ⌒ヽ (´;ω;`) ウッ…
/ | 、 イ(⌒ ⌒ヽ
.l | l } )ヽ 、_、_, \ \
{ | l、 ´⌒ヽ-'巛( / /
.\ | T ''' ――‐‐'^ (、_ノ
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▲ ¥ △
( 皿 ) がしゃーん
( )
/│ 肉 │\ ガッ がしゃーん
< \____/ <彡 彡⌒ ミ
i#)`Д´)
彡⌒ ミ
_ノ⌒\_ノ 。 ゚< ゚`Д´゚>゚ 。
/ ∧∧ .ピシャリ!Σ(=====)
(\ / ⌒ \ 彡 ( ⌒) ⌒)
< ( #`△´ .) / ̄ ̄ ̄'し ̄ ̄/\
\ ⊂ )  ̄ ̄ ̄ ̄| | ̄ ̄ ̄ ̄
/ \ ピシャリ! | |
し ̄ ̄ ̄\) ./ \
___|\__________ >>955
倭国も百済とそれほど変わらない年代に滅亡したよ。
白村江で敗戦して、日本国は傀儡政権だった。 気になる材料を羅列してみると、
渡来系弥生人骨は朝鮮人骨とは一致せず、オロチ、ギリヤークなどの沿海州の
北方民族にかなり近寄った数値を示す人骨。
弥生土器が始まったのは最古水田・菜畑遺跡より50年以上前の山陰あたりで、
その土器は同期する沿海州南部の土器と特徴が一致している。
最古水田はイネの粒種、耕作用農具、炊飯器から考えて、明らかに朝鮮南部の影響で
始まっているのに、その人々はなぜか朝鮮土器を一つも作っていない。
複合的に考えて、まず沿海州あたりから渡来人の渡来があり、渡来後に朝鮮南部から
稲作をパクってきただけのように考えざるを得ない。 >>959
つまり日本の新国名は「パクリ稲作」国だと… >>958
唐朝は日本國の改名建国事情を知らないのでちがいま〜す〜。傀儡属国じゃありませーん せっせと土下座朝貢外交(遣唐使)をしていたけどね。 毎年朝貢しなくていいって優遇されたからね
古代漢魏に認められた金印王朝だもん 日本誕生秘話 「倭国」「邪馬台国」は、中国にバカにされた表現だった!
https://biz-journal.jp/2015/10/post_12085.html
新旧の『唐書』で正反対の描写
(4)そして、「日本は舊小国にして倭国の地を併せたりと」と書かれている。日本国が倭国を吸収合併したのだから、
日本国と名乗ろうというのである。小国日本が大国倭国を併合したため、国号が日本国になったということだ。
(5)しかし、702年の遣唐使がその経過について皇帝に説明できなかったため、皇帝は疑って信用しなかったというわけだ。
この『旧唐書』が完成、奏上された945年の翌年には後晋が滅亡してしまったため、北宋になって改めて
『新唐書』が編纂されることになった。この時から、それまでの『唐書』は『旧唐書』と呼ばれ、『新唐書』の編纂に当たって、
当然ながら編纂者も交代する。
そして、『新唐書』でも、ほぼ同様の記事が書かれている。
ただ、『旧唐書』では「小国の日本国が大国の倭国を征服した」と書いているが、『新唐書』では「倭国が日本国を併合し、
日本国と名乗った」と書かれている。
正反対の状況になっているわけだが、いずれにしろ、倭国と日本国に分かれて
対立していた2国が統一され、ひとつの国になったという流れは、歴史的事実だった可能性が高い。
しかし、なぜ国号が倭国から日本国になったのだろうか。そのあたりの事情については、次稿で明らかにしたい。 2015年10月25日
日本建国の新事実? 大和朝廷に併合されたもうひとつの国「日高見国」
http://news.livedoor.com/article/detail/10748099/
日本は、「倭国」と「日高見国」の2つの国に分かれていたという説がある
721年に成立した「常陸国風土記」には、「日高見国」の記述があるという
「大和朝廷とは別の国が東日本にあったと考えられる」と筆者は推測している
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まずは古代日本の正史『日本書紀』だ。景行天皇27年2月27日条に、北陸および東方諸国の視察旅行を終えて帰国した
大臣・武内宿禰の報告というかたちで、驚くべきことが記されている。
「東(あづま)の夷(ひな)中に日高見国(ひだかみのくに)有り。其の国の人男(おのこ)女(めのこ)並に椎(かみ)結(わ)け身(み)を
文(もどろ)けて為人(ひととなり)勇み悍(こわ)し。是を総て蝦夷(えみし)と曰ふ。亦土地(くに)沃壌(こ)えてひろし。撃ちて取りつべし」
大意は、次の通りである。
「東国の田舎に日高見国がある。その国の人は髪を結い分け、体に入れ墨を施し、勇敢で強い。これをすべて蝦夷という。
また、土地は肥沃で広大である。ぜひ、攻撃し奪い取るべきである」
この報告に基づいて決行されたのが、日本武尊(ヤマトタケルノミコト)の東国遠征であり、その結果を伝える記事が、
景行天皇40年是歳条だ。
「蝦夷すでに平らぎ、日高見国より還り、西南のかた、常陸を経て、甲斐国に至る」
「上総国から海路で日高見国入りした日本武尊が、国境近くで蝦夷の首領たちの降伏を受け入れ、日高見国から帰還した」
と書かれているが、その意味するところはなんだろうか。
単純明快。武内宿禰が視察旅行を報告した景行天皇27年時には、完全な独立国だった日高見国が、
その13年後には日本武尊によって征服され、大和朝廷の支配下に入ったということである。 ●日高見国は東日本に広がっていた?
713年に編纂され、721年に成立した『常陸国風土記』である。これを、日高見国の謎を解く第3の文献として
『旧唐書・新唐書』『日本書紀』の後に挙げておかなければいけない。
『常陸国風土記』には、常陸国信太郡(稲敷郡の一部)について、「此の地は本の日高見国なり」と書いてある。
また、蝦夷征伐に向かった黒坂命(くろさかのみこと)という人物が同国多賀郡で病没し、その柩が信太郡に送られて来たことを
「日高見国に到る」と表記している。
日本武尊は、東国平定戦の際に銚子沖から鹿島神宮と香取神宮の間を通過して内陸湖に入り、筑波山の麓にある港から上陸した
という言い伝えもある。その場所を選んだのは、日高見国の本拠地だったからではないだろうか。
やはり、大和朝廷とは別の国が東日本にあったと考えられる。特に対立していたわけではなかったが、大和朝廷は国勢拡大
のために「土地沃壌えてひろし。撃ちて取りつべし」と侵略宣言を発したのだろう。その国を平定・併合した後、倭国と呼ばれてきた
国名を日本国に改めたのではないだろうか。そして、その語源は日高見国である。日高見国が日本国となったのである。
このことは、別の機会に詳しく述べることにしよう。
日高見国とは「ヒナ神を氏神とする国」の総称
https://blogs.yahoo.co.jp/bebz2006/12107040.html >>964
>旧唐書「日本は舊小国にして倭国の地を併せたり」
>新唐書「倭国が日本国を併合し日本国と名乗った」
この二つの相反する話が飛騨の口碑を読めば矛盾なく理解できる。
旧唐書「倭国はいにしえの委奴国」も同様に解かる。
天照大御神は九州ではなく飛騨に住んでいた。
当時九州では異民族が侵入してきており、九州を平定するためニニギノミコトを
築紫に使わせた。
築紫は飛騨からみれば平地であり、山の麓(ヤマノフモト)縮めてヤマトと言った。
当時は寒冷化が進み飛騨は雪が多くなり、都を移す準備のため、近畿にニギハヤヒを
使わせた。
近畿も飛騨からみればやまのふもとでありヤマトと呼ばれた。
古代日本は飛騨を中心としてアイヌ国(委奴国)と言われていた。
近畿の開拓が進んだところで委奴国を日本国と改名し中心を飛騨から近畿に移した。
近畿の人からみれば日本(飛騨)は小国であるが親の国であり、親の国と子の国が
一緒になったので日本が倭国を併合したと考える。
九州の人からみれば九州のヤマトが近畿のヤマト(日本)を力で奪ったので
倭が日本を併合し日本と名乗ったとなる。 日本の最古水田と同期する中国の稲作遺構から出土するイネは、
中粒種と短粒種が約半々の割合で混交したもの。
ところが、日本の最古水田から出土した日本最古のイネの現物は短粒種のみ。
そして、日本の最古水田と同期する中国の稲作遺構から出土する耕作用農具は、
石耜という石刃のスキと、石鋤という日本には存在しない石刃の除草用農具と、
石犂という石刃の牛耕用の農具、この3つだけ。
ところが、日本の最古水田から出土した日本最古の耕作用農具は、
木製のエブリという地をならす農具と、木製のクワだけ。
石刃が伝わっていない上に、同期する中国と同じ耕作用農具が一つも
伝わっていないのだ。
それどころか、同期する中国には存在しない耕作用農具が日本最古の
耕作用農具として日本の最古水田には伝わってしまっている。
オール木製で。
しかも、鬲や鼎といった、三足や耳の付いた同期する中国系炊飯器も
日本の最古水田には一切伝わっていない。
日本稲作が中国から伝わったというような話は、太陽が西から昇って東に沈むと
言っているのと同じレヴェルの話である。
ちなみに、スキという耕作用農具が伝わったのは、最古水田から200年以上も
経ってからの事で、やはり木製であった。
石犂は5C頃に鉄刃のものが朝鮮経由で伝わるが、石鋤に至っては、木製でさえ、
永遠に日本に伝わる事はなかったのである。 ____
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/´ ̄ ̄ノ ゙=ニ二" \rニ | 日高見とは“陽を生み出す"の意味に解釈できる。
しかし現実にはその陽が無い状態だった。黒&白→青
そこに日本武尊が現われて、国を治める日本国となつた。
これで文字通り日高見となった。地元の人は歓迎した。青&赤→紫
「迦賀那倍弖用邇波許許能用比邇波登袁加袁」
現在は白&赤、来年ニ千二十は黒&白につきバランスを失う。
赤を失うのは良くないので「日」は是非必要。 武士と東国政権の起源は日高見国だったのか
坂東武士団の気性の荒さは日高見国ゆずりというわけか 倭大國魂神社
日本で唯一「倭」の国名を冠した「大国魂神社」(式内社)
倭は四国のこと
奈良は大倭 >>1
ヤマトは一地方(奈良盆地)を指すにすぎない。
オオヤシマとかアキツシマにすべし ヤシマもアキツも元は狭い地域を指していたと思われる >>985
もともとは八つの先進地域を指していた言葉だよ >>984
本州、四国、九州、淡路、隠岐、佐渡、対馬、壱岐…
これらが狭い地域か。 >>988
瑞穂は絶対にオコトワリ!
福島瑞穂がいるだろ 日本文化は海外文化に影響を受けながらも和魂漢才など大和魂を込めるので独自の文化に発展する。
チョンコには魂がないので文化盗用になるのだ。 大八洲を小さな地名と言い張るだけあって火病ってるね このスレッドは1000を超えました。
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