こんにちは!石田三成です。
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今度徳川と決戦することになったんだけどなんかアドバイスある?
毛利担げ出せたしぶっちゃけ手応え結構あるんだけど たぶん、山を制した方が勝利するとおもう
大軍を山に配置すれば勝てるとおもう
大軍を率いる武将に山に布陣してもらおう! >>1
松尾山は宇喜多に陣取らせろ。
間違っても小早川を置くんじゃないぞ。 >>2
お前さっさと徳川に逃げ込んだほうがよくね?縁組持ちかけられたんだろ >>7
治部と離れるわけにはいかんのでござる。
それに内府に取り入っている主計や甲斐守が大嫌いなんですわ。 小早川さえなんとか出来ていれば勝てたのかな?
どうやったら裏切らないようにできるんだあいつは 毛利なんか担いじゃダメだ。
あそこはトップが決断できる状態じゃなくなってるからな。
黒田如水を何としても口説き落とせ。
そして真田昌幸を有効活用せい。 島津の言うこと聞いとけ
あいつらなにいってるかよくわからんけど戦闘になったらすごいぞ
武田の甲州兵より多分強いとおもう 松尾山宇喜多勢もいいけど、織田秀信を座敷牢に閉じ込めとくほうが先じゃね
あれさえ閉じ込めときゃ家康が江戸に居座ったままだろ >>11
>黒田如水を何としても口説き落とせ。
>そして真田昌幸を有効活用せい。
あの2人は共に事を起こすには信頼できません。
安房守殿は、伊豆守殿が徳川方になっていたのを、最後まで私に知らせませんでした。
そのせいで、景勝公は書状を沼田経由で送り続けるはめになっています。
真田が割れていると知っていたら、信濃一国与える約定などしてはいません。
戦略的には、上田よりも、徳川領でなおかつ交通の重要地である沼田が味方になって欲しかったのです。
如水のクソ坊主は、朝鮮以来、仲たがいしたままですし、変な野心ありまくりですから息子共々大嫌いなんですよ。 素直に内府様に頭下げて、徳川の天下を受け入れるしかないね。
秀頼なんて誰のタネかわからんし、仕える価値ないぞ。 こんだけ、秀頼を担ぐってのは、あれなん?
淀君のフェラチオって、そこまで絶品だったのん? > 三成 関ヶ原だと自分がなってみたい武将は宇喜多かなぁ
全部知識もってタイムスリップすれば宇喜多ならひっくり返せそうだし >>19
現在でも宇喜多家の構造自体よくわかっていないんだぞ?
宇喜多騒動がどうして起こってどう展開したかなんてのも、想像するしか無い。
結果しか知らず、現場の知識がないお前が行っても何の役にも立たない。 バンダジェフスキー博士、カルディコット博士とも「東京は人間が住めない」と明言した…。
関東から避難しなかった友人も甲状腺に複数の嚢胞としこりで経過観察。
信頼できる三田医院の診察で医師が
医師から「今後100年から200年、東京には人間が住めない」と明言されたそうです。
関東では10年15年経つと白血病や肺がんなどの発症率が膨れあがるはず。 俺あまり歴史しらんのだけど関ヶ原の戦いで語られる名シーンは
1小早川裏切る!
2真田が徳川にとつげきだっけ?
3島津の捨てがまり
これくらいしか知らんのだけれど他に活躍した武将とかハイライトとかありますか?
配置図とかみたけど石田三成軍とか1500人くらいしかいなくて弱そうと思った そもそも関ヶ原は歴史上まれに見るほどの、東軍の完全勝利、西軍の大惨敗なので、
名シーンなどと言ってもちょっとしたトピックス程度の話でしか無い あんまり戦ってないものね
そのせいで大阪の陣がまっているっていうね >真田は関ヶ原に来てないぞ
「来なくて」もよかったからね。「古奈湫」みたいに。 関ヶ原以外の地で戦っていた武将たちは関ヶ原の合戦が一日で終息するとは夢にも思わなかった 決戦なんかするな。
あと15年待てば脱糞あの世行くから。 豊臣家に害をなすのは、家康以上に淀なんだけどね。
そもそも、なんで主君たる織田の男系をことごとく冷遇している豊臣なんかに、
信長信雄の同盟者として信義を守ってきた徳川を非難する資格があるのか。
織田の嫡孫が単なる岐阜城主とか、一体何の冗談だ。
三成チャンにはそれが分からんのですよw 三成ってケッタイな名前だけど、
奈良時代の
太田部三成と関係してんのかな。 正直三成は現代に生まれたほうが幸せだったと思うわ
東大卒で検事とかなってそう >>30
侍の連中が荒らした田んぼを修繕してました(´・ω・`)
あいつら、あぜ道平気で壊しやがる。
夜は母ちゃんのおっぱい吸ってた。
隣の奴が、合戦の後、地面にたくさん落ちてた鉄砲の玉をたくさん拾ってきたけど
何に使うんだか……。 上杉と連携して東西から家康を討つ。
リアルに密約結べよって。
伊達の抑えは佐竹に任せておけば、上杉は動ける。 動けねえよ。上杉は兵站が相当遅れていたんだから、敵地への進出がそもそも無理 >>36
>上杉と連携して東西から家康を討つ。
何度も書状を送って関東討入を御願いしているのですが、伊達がどうの、最上がどうの、佐竹が動かぬとか・・・、全然その気配がありません。
佐竹殿にも何度もお願いしてますが、上杉が動かんのにこっちだって動けんの繰り返しで埒があきません。 読売新聞の長宗我部と申します
治部少輔殿としては、どういう政体にもっていこうとお考えなのでしょうか?
合戦の勝利ポイントは何になるとお考えですか? >>39
>治部少輔殿としては、どういう政体にもっていこうとお考えなのでしょうか?
ズバリ申し上げて、内府か非内府かという事です。
内府さえ倒せば、倒さねば、秀頼様の天下はありませんから・・・
>合戦の勝利ポイントは何になるとお考えですか?
地の利は当方にございますし、強固な陣場もありますから、まずは持久戦の後に伊勢路の立花勢らを加えます。
最大のポイントはやはり金吾殿の動向ですね。
後は上杉・佐竹の関東乱入があれば申し分ありません。 そもそもなんで徳川のたぬきにあんな軍勢が集まっていたのか
部下多すぎじゃない?七本槍だっけ?なんかすごいやつらとかいたし
ただの三河の田舎小大名の癖にknifeとか格好つけやがってまぁ
北条潰したのがあかんかったな豊臣は 東国人がこんな体たらくなんだから、タヌキさんは安心してクソガキに将軍の座を譲っただろう。
その結果、国内にサルがはびこって困る。東国の庶民って、どれだけケモノ臭かったのかね。
ようやく処理できそうだけどな。アメのベトベトが洗えつつあるから。 >北条潰したのがあかんかったな豊臣は
犬とか猿を甘やかすと、普通に刃向かってくるんだよな。
今や、東京が大阪の五倍程度だそうだ、どれだけあいつらケモノ臭いんだ。 上杉がとかいう話を抜きにして、関ヶ原の布陣だけを見て判断した場合、
寝返りさえなければ西軍の勝利で終わっていた。
明治時代の陸軍参謀本部の戦史研究チームの見解です。
それと、プロセインから招いたメッケルという陸軍大学校の教官も西軍の勝利だと断定したが
小早川が寝返るとどうだと質問すると、それなら東軍の勝利と即答したそうな。 もし負けたら何故か主家である豊臣も総大将である毛利もスルーしてお前だけ殺されるけどおk? つまり三成はちゃぁんと勝算がたつように準備をして勝算のある布陣をして勝算をもって戦に望んだわけやね
後世では人望がなかったからしょぼかったっていわれること多いのにね
小早川はなんでうらぎったんや?というかなんであんな仕打ちしてもうたん?秀ちゃんに 人望がないというが、家康を除いて三成より人望がありそうな奴なんていねえw 多分徳川は徳川にあった頃から偉かった
対する三成はそもそも秀吉ジタイガ成り上がりものだから気に食わなかったんだろう
秀吉の側近風情が偉そうにと >>47
看羊録によると
家康と毛利輝元の二人が諸大名の中でも別格だったらしいから
毛利担ぐしかないだろ 毛利って秀吉が攻めてた頃はガタガタってきいたのに
テルモトさんはそっから毛利をひとつにまとめたんかな? 最上軍が上杉軍の猛攻を防げたのはなぜなのでしょうか?
たくさんの鉄砲のおかげ? 田舎過ぎて大した褒美ももらえないから、上杉軍の士気が低かった >>51
当初の、最上義光のなりふり構わない降伏哀願振りと、彼我の戦力差からして、簡単に叩けるだろうとの慢心があった事は否めまい。
勝ち戦とわかっているから死にたい兵はいない上杉勢と、勇将志村光安を先頭に御家存亡をかけて死に物狂いで向かってくる最上勢。
大苦戦した上杉勢だったが、関ヶ原の敗報がなければ、長谷堂城は落城目前ではあった。 でさ、三成ちゃん。どうなのよ、ぶっちゃけ? いけると思ってる?
戦の経験値は圧倒的に、家康じゃん。
いけそう? あっさり1日で終わりなんてないよね? >>55
>でさ、三成ちゃん。どうなのよ、ぶっちゃけ? いけると思ってる?
もちろんです。勝算なくして戦はしません。
秀頼様は我らが陣営にあり、兵站もこちらが圧倒的に有利です。
山道筋には関ヶ原に陣場を築いていますし、松尾山には陣城を構築しています。
そこに輝元公が秀頼様をお連れする計画もあります。
徳川方は進軍してきたばかりでなんら陣場を構築してはいませんし、遠征軍ですから長期戦となると不利なのが目に見えています。
そこがこちらの狙い目なのです。
近いうちには、伊勢路の立花勢らががら空きの海道筋を下って、左衛門大夫の清州城を攻めれますし、合流して徳川方の背後をつくことも可能です。
ただ、不測の事態が起こりまして・・・・
それが金吾殿の勝手な松尾山布陣と、安房守殿の秀忠勢引き止めです。
我らが大垣にいたころから浮浪状態の小早川勢が、関ヶ原防衛ラインの要である松尾山に勝手に入ってしまい、これを攻めるわけにもいかず苦慮しています。
それと秀忠勢の未到着、これが両軍に決戦の気運を押し広めてしまってます。
これはまさに計算外というか、我らは秀忠勢がくる事を前提に戦略を立てていました(海道筋は内府・左衛門大夫ら、山道筋は秀忠勢)。
私としては、当初の計画通り持久戦とし、田辺城攻めを終えた兵のこちらへの到着を待ちたいのですが、左衛門大夫や甲斐守らが自軍らだけでしきりに戦端を開きたがっているとの情報もあり、事態は流動的です。 >>56
えー、なによ? 完璧じゃん。さすが秀才。太閤さまに見初められた頭脳はキレキレだね。
東軍に勝ったら、どうするつもり? 家康は、首ちょんぱ? >>56
持久戦にしたくても、松尾山の金吾がもし内通していたりすると
大垣は挟撃される危険すらあると思うのですが。
それでも田辺攻撃部隊の到着を待ったほうがいいと言うご判断ですか? >>59
石田のみっちゃんだけど? なによ、俺、違う人と話しちゃってる? >>59
君はどれかな?
斎藤たつおきかな?
え?もう死んでるって? >>60
>松尾山の金吾がもし内通していたりすると
前も申し上げた通り、そこが最大のポイントなんですね。
・金吾殿は伏見城攻めなど旗揚げ時から我らが陣営として戦果をあげている。
・(だから) 徳川に内通するにしても、我らに何らかの手出しをせぬ限りは、決して寝返りなど受け入れられないだろう。
・(しかし)金吾殿に松尾山を降りて、大垣のわが方に手出しするなどという選択もありえない。
・金吾殿本人は病と称して引きこもっている。
等々、どうにも判断できず苦慮しています。
仮にですが、金吾殿の内通が明らかになったとしたら、
関ヶ原の防衛ラインは役に立たなくなりますから、佐和山まで軍を引き、水口城ととともに、琵琶湖の東岸で防衛ラインを引く事になります。
この場合、大坂城の輝元公もうかうかしていられなくなります
また伊勢路の立花勢らは即座に合流いたします。 なるほど、当事者視点だな
秀忠の遅着が逆に決戦機運を高めたか… 東軍や西軍だけじゃつまらないから
とりあえず平家や源氏も
関ヶ原の合戦に呼んであげようぜ 金吾がどう動こうが、毛利が山から下りれば家康はイチコロ。
しかし吉川はハナから東軍。
1枚岩になってなかった毛利がクソ。
後年長州が徳川を恨むのは筋違いだよな。 長生きしたいんなら、挙兵すんな。お前、自分では分かってないみたいだけど
人望ないんだし。
日本初の官僚の三成は人望が無かった
総大将にも成れなかった
後ろ盾も無かった
無い無い尽くし >>72
実力以上のものを望みすぎたんだよな
明智光秀もそうだけど >>73
三成は何を望んでいる?
茶坊主らしからぬ子孫繁栄のたぐいか?
馬鹿め。滅びよ。 >>74
五大老筆頭で200万石大名の徳川家康に喧嘩売ったところだよ
子孫繁栄なんか知らんわ >>75
サルでさえ、子供のために甥を殺したのにかね。
ねねでさえ、子供が授からずに大人しくしていたのにかね。 全ては秀頼様の御為です。
三法師君の例でもわかるように、内府が一度でも天下の権を握ったら、
最早豊臣家は徳川の下風に立たざるを得なくなってしまいます。
にもかかわらず、左衛門大夫や主計頭らは私が嫌いだからだとか、
秀頼様御幼少故、御成長までは内府に委せれば良いなどと戯けたことを申して、
内府に媚び諂っています。
今でこの調子なのに、徳川がもっと強大になったとしたらどうでしょうか?
内府を倒せば、倒さねば・・秀頼様の天下はありません。 >>78 七将が襲ったとき、お前死んでればよかったのにね。そしたら、関ヶ原も
なかった訳だから、もしかしたら豊家滅びなかったかもね。
だいたい秀頼さまのためとか偉そうに言ってるけど、自分がまた政権に復帰
したかっただけだよね?
そもそも淀がお前に挙兵でも頼んだのか? >>79
関が原は中二病をこじらせた直江状も一因になっちまってるが?
あれは、俺が読んでも頭にくる内容だったよ >>80 直江状って本当にあったのかね〜?中二病は石田も一緒だろwww
「俺たちジャスティス」とでも思ってたのかね〜www 馬鹿みてー
40過ぎて中二病www いてーわwwww 「関白豊臣秀次」を讒言し切腹させ結果「豊臣家」から
「関白職」を失わせています。
またこの際に「前野長康、浅野幸長、小早川隆景」など
豊臣政権の主格も処分を受け
政権から遠のけられてしまいます。
また「朝鮮攻め」では「黒田官兵衛、黒田長政、蜂須賀家政、
加藤清正」などなど秀吉に近しい譜代、子飼い家臣ばかりを
讒言し落としいれています。
逆に「小西行長」などが清正が処分を受けた「豊臣姓の無断使用」から
「外交捏造」など凄い悪事をしても申告していません。
「福原長堯・熊谷直盛・垣見一直」などは
三成の一派ですが彼らが虚偽報告をしてもそれも申告していません。
こういった経緯で「武断派」「文治派」なる派閥ができ
「豊臣家」は内部崩壊を始めています。 他にも彼が「検地」を担当した地では
「島津、佐竹、真田」などなど「検地のごまかし」が行なわれ
後に親しくなる「上杉氏」などは「惣無事令違反」を
肩入れしています。
「官僚」として正しい行いをしていませんし
「不正」を行なっています。
あまつさえ最後は自身が糾弾され「蟄居、隠居」に追い込まれると
復権を望み「関ヶ原の戦」を起こし
「豊臣家」を「東、西」に分裂させた挙句に
敗北し「豊臣家」の領地を減らし
「徳川家」を台頭させてしまっています。 >>84
秀次事件は秀吉の意向じゃね
単に秀次ひとりに罪があったにしては、
妻妾子供に至るまでの族滅が凄まじ過ぎる
秀頼が生まれて養子の甥、関白を継いだ秀次と、
その子孫、子供を孕んでいるかもしれない妻妾が邪魔になったんだろう >>86
妻妾子供ではなく妾子供だな
秀次の正室は殺されずに実家に返されている
あと秀次の娘も秀頼婚約者だった長女以外は全員助命
男子が連座して殺されるのはあの時代には仕方がない
官兵衛を九州に遠ざけなければ
関が原では勝てたかもしれん 歴史秘話ヒストリア「オラたちの関が原」の再放送してた。
三成は負けて処罰されたはいいが
1万2千人の遺体の後処理は
関が原の領主であり東軍に寝返った竹中重門に
家康が米千石を贈ってやらせた
秀吉の軍師だった竹中半兵衛の息子重門(しげかど)や
やはり軍師だった官兵衛の嫡男長政も家康に付いた
軍師の嫡男には嫌われたのが負けた原因なんじゃないかな >>25
秀忠を釘付けにしたので十分役目を果たしている
少なくとも家康をイラつかせた 石田三成といえば猿に飼われた犬といった感じですね。 >>99
維新入道殿は豊臣家の御為、身命を賭して合戦に臨んでおられます。
天晴れな覚悟です。
ですが、肝心の御当主薩摩守殿と龍伯殿が合力しようとせず、維新殿も苦慮されています。
合戦の準備は万端整うてはおりますが、金吾殿の件や秀忠の未到着で一気に開戦しそうな状況です。
こちらが陣場を構えているところへ打ち掛かってくるというなら易いもの、鉄砲の連べ打ちに討ち取ってくれましょうぞ。 >>1
あんた評判悪いよ
逆に領民には慕われたそうだが
そのギャップが分からないな 三成が領民から慕われたなんて、戦後に成って作られた伝説なんだよなあ… 三成の父親の石田正継が気さくで面倒見がいい人で
隠居の身なので領地を繁く巡回して領民に慕われていたから、
それが「光成は領地では慕われていた」に転化したんだよ >>107
それも戦後の伝承
>>108
家康は善性を敷いていたと認識されていた。
関ヶ原の時徳川軍が東海に戻ってくると、領民たちは大喜びでこれを迎えている。 つまりプロイセン史でいえば大モルトケが将軍連中を押さえて自分が司令官になって直接指揮しようとしたみたいなもんなのかなあ
戦術でも戦略でも優ってたのに謀略と人望で負けちゃったんだね‥
ちなみに大モルトケってのは先にも出てきたメッケルの御師匠様でメッケルは『モルトケの懐刀』って呼ばれてたそうです >>109
てっきり地元を捨てたり三河一向宗の影響のある地域では恨まれたりと 嫌われてたと思ったら 浜松とかではエラい大人気でキリシタン弾圧の張本人にも関わらず 西欧でも名君扱いでびっくりした
狸恐るべし 大河ドラマ「大一大万大吉(仮)」が実現したら三成がヒーローで他は全部悪役(秀吉はキチガイ)となるであろう 大津城の京極はスルーして
軍勢を関ヶ原に集結した方がいいな
家康は豆に手紙を出してたそうだ
それに比べて三成はあまり手紙を出さなかったそうだ
真田が三成出陣のさいに何で早めに知らせなかったと言ったとか
真田が関が原に居たら状況が変わっていたかもよ >>114
真田の任務は信濃の防衛と言う重要なものだしな
大谷ですら丹羽Jr.と一緒に前田利長と戦った際に加賀周辺国をで調略したから本戦に参加出来たくらいだし >>111
禁中並公家諸法度なんて日本史上初の朝廷に法を課す行為しても家康人気あるよな >>116
ぶっちゃけ戦国時代の人間に足利将軍と天皇の違いなんて分かりづらいし
ましてや大権現神格化で徳川絶対な江戸時代に天皇への不敬と言う考え方が出来るには幕末まで待たなあかんくらいだし
家康が日本で一番偉いって考え方になるのはしゃーない >>1
だったら
徳川本隊に夜襲をかけろ
それで東軍は壊滅だ
全ては決する!
徳川本隊3万は戦の経験から遠く離れた最弱部隊だ
1000の島津の軍隊に正面突破をさせてしまう程の脆弱ぶり
はっきりいって物凄く弱い 使い物にならない
東軍の弱点だ
朝鮮の役で実戦経験が豊富で百戦錬磨の豊臣恩顧の大名と戦っていても消耗して行くだけだ 三成よ
曹操になれ!
奇襲を繰り返せ
徳川本隊さえ混乱させ続ければなんとかなる まあ補給兵站が主力の時代に奇襲攻撃は古すぎって三成の考えは分からんでもない >>118
関が原の布陣見てると伊勢街道には誰も居ない
あそこから回りこんで家康の本陣の背後の山から攻められたら終わっているね >>121
参謀本部の関ヶ原布陣図を未だに信じてるのか 一番弱いところは家康本陣3万の兵だからな
島津少数部隊が最後に証明してくれた 関東でひたすら戦力を温存して実戦経験を積まなかった徳川
明国や朝鮮との戦いで疲弊しつつも実戦経験と戦力拡充に勤めた豊臣
みんな一長一短だな >>123
あんな少数兵に手こずるなんていくらなんでも徳川本隊3万は弱すぎだろう
普通だったら、島津義弘討ち取られているってば 豊臣秀頼だがお前何で家康が会津到着するまで大坂城出発を待てなかったんだよ?
それなら家康も引き返せずお前らがそのまま会津で景勝の援軍に行けたのに
それとオレと輝元を何で連れてかないんだ?
あと配置が悪すぎ。義弘を大谷と一緒に小早川の監視役にしろよ
義弘だったら裏切った時点で怒って小早川も脇坂らも全滅させられたのに
お前がもっとうまくやってたらオレらは死なずに済んだのに・・・ >>123
どうして徳川の兵隊はあんなに弱かったんだろう
あれだったら、豊臣恩顧の大名が味方に付かなかったら、
完全に徳川の天下はなかったよね
弱すぎ
使い物になってないじゃん 関東の徳川兵は実戦経験がまるで無いし使い物になるかどうか証明できる機会が無かったじゃん 石田さんって苗字の人が全国に
いるけどさぁ
石田さんって三成の子孫なの?
三成が先祖なの? 三成さんって邪馬台国や卑弥呼の存在を
知ってたのかな? >>133
まあ家康の場合、ダサい以前に本名じゃないしな 近衛前久
「名付け親は麿でおじゃる」
家康
「…まあ良い買い物だったけどね…」 >>137
名付けも何も、家康が「源姓徳川」への改姓と三河守受領を求めた所、源姓徳川では三河守就任の前例がないからと
前例のある藤原姓徳川になっただけなんだけどな 徳川には戦国最強部隊だった武田・北条の兵が合流してるはずだから、
本来弱くはないはずなんだがな。
まー島津兵もその両者に負けず劣らずの強さなんだけど。 安国寺恵瓊っす三成さん大勝利の未来しか見えないっすよ! >>142
毛利勢は仕方ないにしても、
貴殿と長束殿及び宮内少輔殿にはどうも戦意が無いように見えてならない。
最低限の交戦体制程度はとってもらいたい。
まさか簡単に眼前を進軍させたりせぬとは思うが、仮に策としてそうしたとしたなら、とにかく直ぐに追撃体制をとることが肝要だ。
刑部殿にも話したが、貴殿と長束殿、宮内少輔殿、それに大坂の増田右衛門殿は、輝元公と内府で何やら話しがついていて、それにつながっているように見えるところがあり、陣中では不審に思われているようだ。
そのような疑念を払拭するためにも、安全策をとりはらい、武勇を発揮すべきと存ずる。 三成は全国の人達に
豊臣家を見るな!近寄るな!
探るな!って言ってなかったっけ?
でも三成は秀秋が皇族になった時のために
天下が連鎖した場合に備えて
勝永の優しさをまもれるのか?って
気苦労していたんだと思うよ おまえのことをテレ朝のぶっちゃけ寺って番組でやってるぞ 番組コーナーで
「お坊さんが選んだ本当にスゴイ戦国武将ベスト15」
第13位だった >>1
小早川秀秋だけど勝ったら関白だぞ?
絶対だぞ?
忘れんなよ? >>114
徳川家康って、小渕恵三とキャラかぶってる?
マメに手紙を書いてたってところで、ブッチホンを思い出した。
強敵に囲まれて過ごしたり、強者の下で実力をつけて、トップに立ってからはうまく根回しして政策をドンドン実現させていたイメージ。 激怒した小渕は
仕事失敗した官僚さえも小便ちびるほど怖れたと
まるで信長に似ていたと何かの本で見たような >>56
> 我らが大垣にいたころから浮浪状態の小早川勢が、関ヶ原防衛ラインの要である松尾山に勝手に入ってしまい、これを攻めるわけにもいかず苦慮しています//
治部殿、人質を取ってはどうだろうか。あ、「松尾山に勝手に入ってしまい」まで事態は行ってるのですか。
ならば戦勝の後、母上は決して粗略にはしない、なんてヤンワリとプレッシャー掛ければいいんじゃないかな。
過ぎた事は仕方がないので、珠殿は気の毒であった、くらいの雑談するのもいいかも知れないね。
治部殿をとやかく云う者もいるみたいだけど、そういったネチッとした陰湿さに欠けると思うよ、左近殿はそんな事は云って呉れないと思うが。
むろん、三カ国くらいの割譲は内示しとかないとね。関白位は無理でも、内覧なんてワケワカラン事を漏らしてもいいかも。
以下は他トピの投稿なのだが、まぁ、ここの姉妹スレみたいなもんですわ。
http://hanabi.2ch.net/test/read.cgi/archives/1244647182/256
> この人が小早川秀秋の実母なんだろうね。
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%AD%9D%E8%94%B5%E4%B8%BB
秀吉の正妻と、秀吉の子の実母が奥向のツートップ//
チラ裏: 当時は案外に公然の秘密だったのかも。
嫁の甥ってだけで、お猿さんとは血縁のない金吾中納言秀秋殿の優遇ぶりは不自然すぎる。 >>154
※兵数においての実績であり、戦果を保証するものではありません。(1:40くらい)
やはり陰湿さが鍵かな。てか、狸は秀秋に、そんな恫喝をしたの鴨試練。 >>18
親父(秀吉)の代と同じような立場を、息子の代でも維持しよう。
他の奴等からすれば、そう見える。
代替わりは側近がシャッフルされるチャンスなのに、三成がやる気満々すぎた。 皆さん、12月27日発売予定の「石田三成伝」(吉川弘文館)を楽しみに待っていますか? 文化放送、みのもんたのニッポンディスカバーアゲインに
石田三成の15代後の子孫が出演中 映画で見たい場面
岐阜城をはじめ自分の計算通りに動かない敵への怒り 三成さん、司馬遼太郎の「関ケ原」は読んだ?
あれって全然違うだろ? 司馬遼太郎は必ず主人公の男に惚れまくりで
命を捧げて献身的に尽くす女忍び(架空人物)を出してくる
今回の映画「関ケ原」もヒロイン役の有村架純が
三成に惚れまくりの女忍びとして出てきて
忍びの話がかなり長いので心配 もしもおれが三成なら、たとえ勝機は無くともその道が地獄へ通じていようとも、有村架純と
一発、二発、いや三発した後に果てる。ダメなら、妹と想像しつつ姉のなんちゃらと、一発、二発した後に果てる。
これぞもののふの生きる道なり。
三成様は見事果てなさった。それ以外になにがあろう。合掌。 9月14日に杭瀬川の戦いをした後
夜中に関ケ原まで行軍したんだろ
石田軍は関ケ原で戦う前からヘロヘロじゃん
そりゃ無茶だってば
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