「関白豊臣秀次」を讒言し切腹させ結果「豊臣家」から
「関白職」を失わせています。
またこの際に「前野長康、浅野幸長、小早川隆景」など
豊臣政権の主格も処分を受け
政権から遠のけられてしまいます。

また「朝鮮攻め」では「黒田官兵衛、黒田長政、蜂須賀家政、
加藤清正」などなど秀吉に近しい譜代、子飼い家臣ばかりを
讒言し落としいれています。
逆に「小西行長」などが清正が処分を受けた「豊臣姓の無断使用」から
「外交捏造」など凄い悪事をしても申告していません。
「福原長堯・熊谷直盛・垣見一直」などは
三成の一派ですが彼らが虚偽報告をしてもそれも申告していません。

こういった経緯で「武断派」「文治派」なる派閥ができ
「豊臣家」は内部崩壊を始めています。