https://www.akkeshi-town.jp/syoukai/rekishi_bunka/history/rekishi/
> 18世紀に入って千島列島に沿って南下し始めた。
> ロシア人が千島のアイヌに課した毛皮税は過酷で、同地のアイヌは南に逃れ始め、
> ロシア人もそれを追って南下した。

”ナポレオン戦争によってロシアの注意が極東から離れ”たことで蝦夷地は助かったよ
>>64
 ロシア人の南下を警戒し、田沼意次が北方に調査隊を派遣
http://www.kigyoujitsumu.jp/business/topics/8287/
> 千島列島や樺太の領有権争いが日露の間で始まるのは、江戸時代も後期。
> ロシア人が毛皮を求めてカムチャツカ半島から千島列島を南下してからである。
> 1761(宝暦3)年、ロシアのチョヌルイは、アイヌ人が捕獲したラッコなどの毛皮を武力で奪い、
> 得撫島の女性たちを掠奪してハレムまで作った。

> 毛皮を求めてロシア人が進出したカムチャツカ周辺では、19 世紀の間に
> 原住民が 2 万人から 1,500 人に激減したというから、その激減ぶりは想像を絶する。

> こうしたロシア人の千島列島南下を深刻に受け止めたのは老中・田沼意次である。
> 1784(天明5)年、初の調査隊を北方に送り込んだ。
> 賄賂の問屋などといわれ評判の悪い田沼だが、外交問題には先見の明のある
> 有能な政治家だった。