信長の正室濃姫・まむしの娘の謎
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以前あったスレだけどいつの間にか消えてしまい
気になったので再スレ立て
昔のスレ住人はいるかな? いい年で思い出したけど戦国期って40代とかでも子供産んでいる人多いよね
昔の40代って今でいう50代相当という話もあるけど結構お盛んだったのかな >>611しかしきちんと資料を読めば信長本妻という名のもとに数々の優待が出てくる。一方側室は淀君のような存在は見受けない、合理主義な信長、子供は外交手段で、名も曖昧になる様な側室も複数いたのでは?現に1人の側室に2人以上の子はほぼ見受けない >>618
今より栄養状態もよくなくストレスも多かったと思われる
あの時代に40代でも生理がまだあったことに驚く
初潮早いと閉経も早いって聞いたことがあったから 現代より昔の方が妊娠可能の年齢期間が長かった
という話を聞いたことがある
自然の摂理なのかわからないけど命の危険性が高いとか長く生きられるのが
難しいような状況に置かれると生物は子孫を残そうとする本能がフル稼働して
子供をたくさん残そうと体に変化が生じるみたい
あと栄養状態が悪い方が妊娠しやすいらしい
貧乏子だくさんも案外理にかなっているのかも >>615
夫婦仲が良くていくらがんばっても子供が授からない夫婦もいれば
夫婦仲が険悪でさしていたさなくても子供授かる夫婦もいる
特に前者は現代医学でも謎とされていて不妊治療で一番厄介な部類
なので子供がいないことと共にした期間はあまり関係ないと思われ まあ秀忠みたいに一発いたしただけで命中する場合もあるしな でも濃姫って本当に子供いなかったのかな?
滋賀の成菩提院で永禄11年御台女子出産とかなってるわけでしょ?信長の名前の知れた女子には永禄11年生まれってないから、幼児期に命を落としたとか考えたほうが妥当じゃない? ただ信長御台が出産したとあるだけで女子かどうかも不明だし
この御台がお濃かどうかも不明 戦場の歴史だけを難しく取り上げろよ。気付けよ日本。
戦場の死兵傷病兵を考えるのが歴史だろ。 信仰面で。 >>622
濃姫は子供がいないので閨を共にした期間が不明といってるだけなのに
子供がいない女性でもこの時代は閉経するまで毎日セックスしてました!
濃姫も当然14歳で嫁いだその日から48歳の本能寺の変の前日まで
信長と毎日セックスしてたんだから!
となんで濃姫厨って必死なんだろう >>619
具体的には?
生駒やお鍋は3人産んでるけど
あと母親不明の子が何人もいるので
それもいずれかの側室が産んでる可能性がある >>625
御台は正室でこの翌年山科言継の資料にでてくるので濃姫と考える方が妥当では? 前野や成功夜はその信憑性自体が議論されている文書で 伸びてると思ったらアスペに粘着されていたのか…
大河板でもおかしな濃姫好きが麒麟で暴れてるが同一っぽいな 史実を書いたり楽しんでいる中で急に汚い言葉で乱入してくる方がいるんですね、人生よほどいけてないのか?こんなとこで憂さ晴らしやめてほしい限りですね。アスペルガーを略すなんてそれだけで文化程度やお里が知れるわ >>630
なんていうか、わざと痛いレスをしまくってるようにも感じるな
ある意味、それで叩いて欲しい濃姫アンチなんじゃw >>632
悲しいはなしですね、またステキな記事upされる事を願っています >>449
中枢トップで乱丸達もびびっていたといわれる武井→本部
秀吉の人たらし戦法も効かず軍団長すら捕縛できる権限持ちの猪子→監理全般
美濃衆のご意見番稲葉(一鉄)→顧問他
今の会社で例えてみたけど秀吉にしたらそりゃ嫌だろうねえ
特に上二人は信長の双璧的存在でなびかないしな マジレスもなんだが、もし濃姫が健在として
清州会議にはどうして出席してないのだろう。
だから逆にその時点では・・と言う風にも思えてしまう。 奥を取り仕切っていたという利堯が中立を保っていたがこれが
濃姫の意思の表れとも取れるな
そもそもこういうのは家臣が協議して決めることだから正妻がその席に
つくってことはないとも言われるし >>635
織田家は女性が政務に一切介入しない風土だったのだろう
あるいは土田御前が信行に加担して失敗したため、そういう風土が生まれたかもしれない >>617
大阪城には立派な天蓋付きのベットが有ってそれは秀吉と寧々以外は使えなかったとか
某歴史小説家が書いていました。ダブルベッドかどうかは知りませんが。 >>638
信長は身内の女性達を徹底的に政略に利用したのに女性の政治口出しは許さなかったんでしょうか?
寧々に渡した手紙を見ると奥方(正室)の在り方ということで信長の見解が見えるような。寧々は結構
秀吉存命中から蔭では政治に口をはさんでいたという人もいます。寧々が自分の甥に冷たくしたのに
もっと優しくしてやれよと秀吉がたしなめた手紙もあるそうですね。 政略結婚に利用することと政治に口出しをすることが
なぜ結び付くのか意味わからないのだが…
別にその政略結婚へいきつくまでの外交交渉に濃姫も
絡んでいたとかなら話は別だが 女性を政略に使っておいて女性が政治に口を出すという特権の一つも与えないのかという意味ですが?
必ずしも同じ形での結びつきではありません。ある意味女性特に正室というくくりだけです。
まあ特権とは言わぬまでも寧々への手紙で正室の役割に信長なりの考えは分かります。政略に使われるのは
主に正室となる女性だったようですしね。 政務への口出し云々考察におね宛書簡を引き合いに出すことが
そもそもナンセンスだべ 逆に訊きたいけどなぜおね宛の手紙を出したの?
信長は正妻なんだからどっしりとかまえていなさいと書いてるけど
その後に言いたいことがあっても全部を言うべきじゃないとも書いている
この言いたいことというのは文脈から秀吉の女遊びなどに対してであって
政務とかじゃないよね? 正室の在り方について書いて有るわけでその通りですが、政治に口出しを多分許さなかった
信長が正室の在り方について書いた、ある意味信長の手紙の中で一番人間味のわかるものを
出したらどうしていけないんですか。というか言っている意味がさっぱり分かりません。寧々さんが
嫌いなんですか・ 一番ねえ…
乳母宛に出した手紙もなかなか人間味あふれてるけどなあ
遊びに行っていいですか?(wktk)続きは恒興までや行けなかったことに
対して必死に言い訳しながら本当にごめんなさいみたいな感じの内容だけど
部下の嫁あてという一定の社交辞令も含むのと違ってこっちは乳母宛だから
おね宛より自然体な感じw 言継卿記の壺事件だと濃姫は
斎藤龍興の妻に名品の壺を出せという信長に対して
出せないものは出せない、それでも出せというのならば
信長本妻をはじめその兄弟女子たち斎藤一族16人が自害します、
それだけでなく美濃国人17人、女中たち30余名も切腹して
信長の悪事を世に広めますというのだから
濃姫は政治に口出ししないどころか相当気の強い女性だよね
信長にも盾突く気の強い正室、斎藤家滅亡後政略結婚を維持する必要もなくなり
信長が離縁したのかあるいは本当に自害したのか 壺事件の時点ですでに美濃は信長の手に落ちており
斎藤一族の女たちが自害したところで信長は痛くもかゆくもないんだよね
それなのに敢えて私たち、死んで抗議するわよ!って面倒くさい話だと思う
すでに織田家に嫁いで20年ぐらいたっているのに
正室として織田家の奥で安泰だったのならば死ぬ死ぬ詐欺してる場合ではないし
そのくらいに斎藤家滅亡後の濃姫の立場は安泰でなかったのだろう >>651
しかしその後信忠を濃姫の養子にと勢州軍記をはじめとする様々な資料にあるので安泰になったんじゃない?20年も連れ添ってるわけだし。 650氏が言うようにゲーム脳は相手にするなって!
国さえゲットできれば前当主血縁者が死のうがどうしようが
関係なく円満に統治できるなんてゲームの中だけだっつうの >>653
そういう事件があった場合、ゲームの世界でさえも
武将の忠誠度が落ちたり民度が下がったりで
領地経営が難しくなったりするんじゃないの >>648
その乳母さんって信長が乳房に噛みついてもめげずに育ててくれたと
いうエピソードのある乳母さん宛てですか? >>648
信長といえどやはり乳母には頭が上がらなかったかw
秀吉や家康までが気を使い大切にしたのがちと不思議だったんだが
あの信長様ですらという感覚だったと思うと納得できるな
それにしても信長かわいいなwww 素朴な疑問
女は初めての時や相手の男が忘れられないように
男もやはり同じように忘れられないものなの? >>652
斎藤家が滅亡するまでは政略結婚の意味があるので維持するだろ
20年後に斎藤家が滅亡して政略結婚の意味がなくなった
すると濃姫は精神不安定になり死ぬ死ぬ詐欺 >>650>>653
ゲーム脳はお前のほうw
実際に信長は当主が滅亡するとその妻子を殺害したりしている >>659
家康の最初の結婚相手は築山殿だが今川家滅亡後は政略結婚を維持する必要がなくなった
嫡男を産んでいたために人質交換で引き取ったものの築山に軟禁して別居した
築山殿は今川家滅亡後子を産んでおらず家康は自城で側室たちと暮らしていた
長男切腹事件の際に家康の家臣が築山殿を殺害
家康はこの家臣を処分しておらず家康の命令とされる >>654
武田信玄が諏訪御寮人を引き取って正室にも劣らぬ待遇で厚遇した
(後に諏訪家の血を引く勝頼を跡取りとした)
から戦国武将は新たな土地を統治する際にはまず
滅ぼした当主の身内女性を引き取って妻にし大事にしたと言ってるのだろうが
美濃は新興の斎藤が下克上で得た土地で長年治めていたのは土岐
平安時代頃から諏訪を治めていた諏訪氏とは比べ物にならない
それを言うなら土岐氏の娘が信長の正室に入らないとおかしいしな
それに信長は勢力拡大するたびに負将の一族女性をいちいち側室にとって
正室待遇で大事にしていたわけではもあるまいし >>659
その人次第ですね。男女関係なし。ただ女は上書き保存とよく言われています。
お次が現れると初めてもなんも関係なくケロッと気持ちが入れ替わって前の人の事
忘れるんだそうです。男性の方が自分で振っておきながらまだあの女は自分の事思っている
自分から離れられないと盛大な勘違いしているのが多いとか。 >>663
諏訪御寮人を正室待遇したという出典史料は何? >>665
大河ドラマでそんなのが有りました。中井貴一の信玄だったと思います。
諏訪氏が南野さんだったかな?式を挙げていた場面が確かあった。663
ではありませんが。 >>668
そうですよ。だから663のかたは大河をソースにしたんだろうと言っているんです。
何でそう一々突っかかるんですか? >>657
確かその手紙って池田家が持っていたんだっけ?
友人がその手紙ふくめて池田家宛の書簡についての講演会に行ったけど
友人から聞いた話だと信長は結構こまめに手紙を送っていたらしくて
養徳院の前では甘えん坊さんだった感がうかがい知れるそうw 母親には甘えられなかったのかな?まあこの時代の大名の奥方は大体産みっぱなしママ
だから珍しい事ではないけれど。 嫡男は引き離して育てるのが当時の慣習だそうだから
関係の良し悪し関係なく甘えたくても甘えられなかったのかも
そういえば信長とある意味似たような環境と言われる政宗だけど
お東の方を大切にしたというのは記録にも逸話にもあるよね
でも信長ってこういう話ないね…
養徳院に対してならあるけど 「出典史料」の意味が理解できてないからな
ソース()くらいにしか思ってない素人にいちいちキレてても仕方ない 信長死後の美濃の所領問題なんだから
そこのお姫様だった濃姫が関係ないわけがない。
織田に仕える家臣も旧美濃出身者が多いし
過去の人というくくりもできないだろう。
大体猿や権六あたりは濃姫に「だまれ」と
言われたら何も言えない立場。
戦闘や政治に関して口を出さないのと
織田家内の今後に関する会議では
同じように考えるのもおかしい。
まぁ公記はともかく他の史料にも
現れないというのが不思議ではあるんだよな。 龍興も助かっているからその辺りまでが濃姫の力として
精いっぱいだったんじゃないの? >>676
なんかむかし読んだ豊臣秀吉関連の本で一時期信長の妻子は秀吉に側室にされたり殺されたりで逃げ回っていたんじゃないか?なんて説があったけど。考えたら
とってつけたように本能寺で亡くなったという濃姫の墓が岐阜にあれば、安土や京都にもある、撹乱させてるようなきもする >>679
そうでしたよね。稲葉家からの口添えのもとおりたってなっていたからいっしょに隠れたんですかね?
もし養華院が濃姫なら逃げ切れたって事ですよね、、
秀吉怖い、信孝の母と娘なんてはりつけですからね、
話はチトずれますが秀吉の織田家の残忍ぷりには昨今の明智光秀冤罪説もありと思ってしまいます >>679>>680
最近では病没した説が有力かな
あと前の方で書いている人いたけど俺も濃姫は長寿説とるなら
池田と一緒か池田の所領下にいた感じがするなぁ
少なからず秀信が元服して以降は特に…
というのも利治の息子達の処遇について輝政が動いている
兄はその後池田家臣で弟は越前松平家臣なんだが弟が越前松平に
士官する時に秀康に口利きしたのも輝政だったりする
加えて養徳院は信長の乳母で妙心寺にある恒興供養で建立した
塔頭の初代住職は道三や一鉄達とも懇意という間柄 >>681
ああ、たしかに納得ですね、点と点が線に。
秀吉に追われ→弟と姿をくらませ→池田家と家康公の
保護下に。稲葉家かと思ったけど利治の子供も池田に保護されましたもんね、納得すぎる >>676
濃姫が猿や権六に「黙れ」という権限があるなら清須会議を主導して
「黙れ。〇〇を跡取りにしろ。私が後見人になります」で済むだろw
実際、戦国時代に母や先代の妻などが幼主の後見人になって
政務を見ることは普通にあったのだし
やはり濃姫はそれまでに死んでいたor離縁なんだろうな >>677
龍興は信長に助命されていない
自力で美濃から逃げて三好やら朝倉やら頼って信長に敵対し続け
最終的に朝倉氏滅亡時に信長との戦で死んでいる >>685
677です。ありがとうございました。そうだったんですか!
すると信長の伊勢長島一向一揆への何回かの討伐は龍興討伐も
含んでいたんですか。 横だが含んでいたとされている
あと龍興は通説では氏家倅にやられたことになってるけど
生存説もある
>>684
そこらは家々によるからそれをもって死亡や離縁とするのは短絡的かな >>687
ここの連中は濃姫は織田家で一切政治的発言力がなかったために
史料に残らなかった
発言力のない妻が史料に残らないのは当たり前で
それをもって離縁、死亡というのは違う
濃姫は長生きしたと必死で言うのに
池田は濃姫さまの味方で信長死後は丁重に養っていた
三法師が跡取りになれたのは池田が濃姫さまの発言力を重視し
秀吉と一緒に押したから!と騒いでいるのが変 日本語が不自由な人がまたやってきたか…
どんだけかまってちゃんなんだかw 池田家と絡ませた内容が出ると頓珍漢な解釈で噛みついてくるよね
戦国板の秀次スレにいるぼくのかんがえたいけだてるまさ君かも そういえば濃姫の姉妹って実在してたのかな?
姉小路頼綱の正妻とかさ
道三の娘達って系図上には存在してるけどどれもこれ謎だね 蝮の死にざまがアホすぎて挙動不審の信長が正室を持てたと歴史上言い切れるのかなあ。 >>693
輝政好きすぎてあたまやられてるっぽい奴かwww 濃姫スレが池田ヲタに乗っ取られててワロタw
読み返してみたら2014年頃から池田の話題しかしてないのがいるわ
池田は豊臣秀次の正室を出しているから天下人のナンバー2だったという設定なんだっけ
それどころか織田政権でも織田信長の乳母を出しているから織田家のナンバー2で
織田信忠も秀信(三法師)ももちろん濃姫だって全部池田が管理してた設定なんだっけ 軍馬史に残るなら鉄砲隊史(人で無し)もいいかもね。 >DJgensei artchive gemmar殿
運営に依頼を出されたくなかったら速やかにご退場くだされ >>681
池田ヲタw
濃姫は池田家の世話になっていたのに
関ケ原の時に池田輝政をけしかけて織田秀信を攻めて織田宗家を滅ぼし
秀信に仕えている自分の弟の斎藤利治を殺してしまえと命じたんだ?
非情な嫁であり姉だなw 浄花院といえば墓石見つけたとかぞんざいに扱われていたから
寺(檀家)に抗議したとか書いているサイトあったけど一体全体
あのサイトの管理人は何様なんだろう… >>705
大徳寺の養華院はお鍋だと歴読に書いた人だっけ
いわゆる歴史研究家?なの?
昔に歴史ファンのホームページのBBSで濃姫養華院説持派の人とすっごいやりあってた人だよね ある戦国研究会(今もまだあるのかはわからない)に所属して寄稿したり
書籍も出したみたいだけど元々は研究家でも史学者でもなかったっぽいよ
調査内容とか参考になることもあるしそれなりに詳しいところもあるけど
濃姫含め歴史が好きというより語っている自分が好きタイプかも
私が言っているのだから間違いない(ドヤ!)臭がすごいからね… あの人は基本的に既存の濃姫生存説を潰したい人だと思ってる
とにかく既存の濃姫かも?って件には厳しく
可能性を自説で潰すことに人生をかけてる
それが悪いとは思わないけど
たぶん昔にはこのスレにも降臨してただろうw 潰したいというより濃姫といえばこの人!と称賛を
浴びたいだけなんじゃなかろうか…
自分ないし自分のシンパと共同で新しい何かを発見して
それがまかり通るようになればなおよろし 浄花院の件だけど浄花院は清浄華院という浄土宗大本山の別称で
このお寺には万里小路家に嫁いだ信長の娘のお墓があったりする
(万里小路家の菩提寺にもあたる)
阿弥陀寺も同じ浄土宗だから別称でも本山格のような高位のお寺の名前を
院号に用いるってそれなりに帰依したり徳積んだような人じゃないとおいそれと
使うことはあまりないと思うから濃姫というよりこの娘さんか信長の側室だった
母親じゃないのかなと考えてみた 同じ宗派なら戒名は同じになるはずでエリアも同じなら
なおさらそうだろうから戒名からみても万里小路家関係なら
側室の母親の方が妥当だと思われ
清浄華院は信長が討った相手を弔う目的で建立された末寺も抱えて
いて同院の高僧が入っていたというから信長の側室を自寺に葬るのは
憚るとして阿弥陀寺に埋葬したとも考えられるかもしれぬ 院殿大姉クラスなのに戒名部分が二文字というのが気になる
正妻なら誉号はないにしても4文字ぐらいが普通じゃないかな
信長の戒名とのバランス的にもなんかつり合い取れてないような… 戒名は基本二文字だよ
それ言うなら阿号(道号のことで浄土宗ではこう呼ぶ)が
ないだと思う 池田家気になってみてみました。
●戒名が養というつく字が多い●蝶紋をしよう
●元助の嫁は濃姫姪●しんごの子を雇用
言われるまで気づかなかった。池田家になんか残ってないのかな? また池田ヲタかw
武功夜話を否定する癖に
池田の紋が蝶だから濃姫の本名は帰蝶だというところだけ採用するのか
池田輝政など関ケ原で織田秀信討伐の最前線で
濃姫の弟殺してて織田へも斎藤へも忠義ゼロ ■ このスレッドは過去ログ倉庫に格納されています