江戸時代の譜代大名について語ろう
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, ‐ ´ └―'´ ` >>384
天皇家が個人的に雇っている私的使用人は料理長や女官(と呼ばれる家政婦。募集に家政婦と出る)が中心
皇室祭祀は天皇本人が行うので私的使用人が行うわけではない
皇居に神主が常駐しているわけでもない 天皇家の私的使用人には「掌典」という神主と「内掌典」という巫女がいる。
「掌典」は旧華族の出身者が多い。「内掌典」は未婚で住み込みの女性。
料理人や家政婦は、天皇が個人的に雇っている連中がいるかどうか知らんが、
宮内庁には公務員である「女官」と大膳課の料理人がいる。 >>377
そんな肩書きの人間が代々続くような社会が今でも続いてたら、
一般人はやりきれない思いになっただろうな。 現在、宮内庁の職員で「女官」に相当する職掌は以下のものがある。
いずれも特別職の公務員である。
女官長
女官
東宮女官長
東宮女官
侍女長
また、上記以外に皇室費の内廷費をもって天皇家に直接雇用されている
非公務員の「女官」に相当する職掌として以下のものがある。
女嬬(にょじゅ)…天皇、皇后の寝室、居間の清掃、皇后の衣服の補綴などを担当
雑仕(ざっし)…便所、浴室、玄関の清掃、皇后の衣服の洗濯などを担当 >>386
掌典や内掌典は戦前までは宮内省が管理する国家公務員だった
しかし戦後、国が宗教に関与することが否定されたため
現在は天皇が内廷費から雇っているという立場をとっている
宗教関係者がなるという規定はなく現在の掌典長は国家公務員退職者
内掌典はかつては未婚のまま生涯皇室祭祀に奉仕する巫女であったが
現在は公に未婚女性に限るとは歌っていない
ただ慣例により今でも未婚女性が勤めているとされるため
学卒直後の若い女性が宗教団体からの推薦で内掌典となり
結婚に支障が出ないように4年で退職らしい >>393>>395
福永嫮生(旧姓;愛新覚羅)は女官をやっていない
嫮生の叔母に当たる福永泰子(旧姓;嵯峨。嫮生の母浩の実妹)が、香淳皇后の女官
嫮生は叔母の福永泰子の縁で泰子の夫の甥に嫁いで福永姓になった 華族とか宮内官僚は封建制の遺物で、民主社会にはあってはならない存在。
マッカーサー革命でふっとんでくれてせいせいした。
そんなものが今でも存在してたら、一般人はやりきれない思いになったことだろう。 イギリスも今はキャサリン妃フィーバーだけど
エリザベス女王の4人の子のうち3人が離婚したり
皇太子が不倫相手のバツイチ女性と再婚したりしたときは
ずいぶん叩かれ王室不要論が出て国家予算の王室費が削られたり
(イギリス王室は所有する土地の賃貸料や王室個人が書いた画を売ったりして収入にしている
また男性王族は軍隊に入ることが多いのが通例)
イメージアップのためにエリザベス女王が私費から福祉に寄付を投じたりしてた >>400
お前みたいなブサヨがのたまう数々の珍言・妄言の方がよっぽどやりきれない気持ちにさせてくれるけどな 膳所藩本多家と笠間牧野家の男系入るまであんまぱっとしなかった越後長岡藩 まーだ6000年前の日本で小麦作をしていた事も知らない馬鹿がいるの?
6000年前に日本はもう小麦作をしていたんですよ。中国よりも先になwwww
縄文時代前期とされる岡山県灘崎町、彦崎貝塚の約6000年前の地層から、
稲の細胞化石「プラント・オパール」=写真=が出土したと、同町教委が18日、発表した。
同時期としては朝寝鼻貝塚(岡山市)に次いで2例目だが、今回は化石が大量で、
小麦などのプラント・オパールも見つかり、町教委は「縄文前期の本格的農耕生活が
初めて裏付けられる資料」としている。
http://inoues.net/science/wan.html
今回は化石が大量で、 小麦 などのプラント・オパールも見つかり
今回は化石が大量で、 小麦 などのプラント・オパールも見つかり
今回は化石が大量で、 小麦 などのプラント・オパールも見つかり
今回は化石が大量で、 小麦 などのプラント・オパールも見つかり まーだ6000年前の日本で小麦作をしていた事も知らない馬鹿がいるの?
6000年前に日本はもう小麦作をしていたんですよ。中国よりも先になwwww
岡山市の縄文時代の貝塚「朝寝鼻(あさねばな)」を調査している岡山理科大の
考古学チームが1999年4月21日、「縄文前期の土壌から稲の細胞に含まれる
プラントオパールが見つかった」と、発表。約6000年前に「米作り」が
行なわれていたとする発見で、稲作の歴史が縄文前期にまでさかのぼることになった。
このプラントオパールはイネ科の葉の細胞内に含まれるケイ酸体の粒子で、同貝塚の
下層(深さ2メートルの土壌)からのサンプルを採り調査したところ、356点の
サンプルから10点、形状からジャポニカ(短粒種)とみられる稲のプラントオパール
が検出された。また、稲のほか小麦とハトムギのプラントオパールも見つかった。
http://www.local.co.jp/news-drift/agri-99kome.html
稲のほか 小麦 とハトムギのプラントオパールも見つかった
稲のほか 小麦 とハトムギのプラントオパールも見つかった
稲のほか 小麦 とハトムギのプラントオパールも見つかった >>400
一般的な思想も持ち合わせてないような奴がすぐ一般人だとかいうんだよなw
気違いサヨクの典型例w 役目中不届之致シ方此有付、加秩之内壱万石、本秩之内壱万石ヲ没収之上、羽州山形二國替被仰付 永井家は、内藤さんに殺されなければ、幕閣輩出できたかな? >>1
いまさらだが
歴代の陸奥棚倉に左遷大名は
けっこう復活していたりする
臥薪嘗胆 日本左衛門を取り逃がしたというかどで掛川から棚倉に行かされた小笠原は気の毒だったな wikiの彦根藩の項で家臣の名がえらく細かく記録されてるのが凄いな
(他にも加賀藩・尾張藩・紀伊藩の大藩もわりと書いてある方だけど)
有力幕閣だったから何度か研究対象になったりしたのか? 安政の大獄で出てくる宇津木と、木村重成を討ち取った庵原は知っていたがあとは全く知らなかった 庵原家は数奇な家だな。
今川家重臣→武田家臣→井伊直政家臣→井伊家家老
元々は家康の松平家と同格だったのに、家老とはいえ陪臣だからな。 庵原は庵原国造を祖とする氏族だから、もともとは駿河一帯の支配者
今川は婿入りという形で庵原宗家を乗っ取った一族だろう >>413
大藩レベルの家老は後に爵位(男爵等)もらっているから
その辺の都合では? 脇坂英理子とかいう女医は、堀田正盛の末裔なんだってな? >>419
あれで一応お姫様なのか?w
氏より育ちを地で行ってるなあw >>419
それ、本人の自称。
本物の当主が否定してる。 安治の血は旗本から本家家老職等々とあるから
当然その「更に」分家筋まで考えると武鑑とにらめっこでもしないかぎり判断は難しいだろうと
って話はここだけの事ではないがねw 本家は養子だっけ?
偽者であるがゆえに本物だったりしてw 本家は堀田だが家老に安治の血筋が居て後にお家騒動の一因ともなったという話 井伊家には武田四名臣と言われた内藤昌秀の子孫がいるんだよな。 脇坂家は徳川時代の生き残りをかけた決断とは言え、男子が確かいたのに、新興譜代の堀田正盛次男を養子に迎えるとは、思いきったことをしたな。 堀田正盛は信州松本10万石を得、嫡子正信に嗣がれた。また、次男を脇坂藩に養子に送り込み、三男には春日局の3000石を相続させ、やがては大名に昇格した
正信が城地無断帰国により改易されなければ、本家堀田正信、別家堀田正俊の両家家系が交互に老中を出すようなこともあり得たわけで、新興譜代に対する不満の声は、頂点に達した。
そこで譜代の名家大久保家を復活させる一方、刃傷事件の加害者の稲葉家を改易、稲葉本家は越後高田に転封、被害者の堀田家も山形に懲罰的転封により遠ざけた
これにより、堀田家は60年近く老中は輩出かなわず、稲葉家も幕末まで老中は出さなかったのであった
(完) 幕末の老中稲葉正邦はなぜか丹羽家からの養子なんだよな。 酒井、奥平、久松、水野、小笠原、戸田、桜井、大河内、三木、松井、大給、滝脇、稲葉、堀田、阿部、永井、内藤、安藤、板倉、牧野、土屋、保科 大名華族だの貴族院議員だのが吹っ飛んでくれて本当によかった。
あんなものが今でも残っていたら、さぞかしやり切れない社会だったろう。 アンチ安倍なんて、能無しの底辺層か、「貧乏人に同情する私ステキ!」な小金持ちか、
時代の変化を理解できないバカな学生運動世代かってところ。
この種のバカがいくらアホの蓮舫やら共産党やらを支持しようと、政権は揺るがないんだよな。
現実を見ずに妄言吐いてるだけだから。 >>431
私的にゃ〜公に出てくる訳だろうから
あ〜この人の面影の一部が祖先の顔の一部なんだろうなーとか
先祖の肖像画くりそつやんwwwとか楽しみがあったに思う 貴族院ってのは、馬鹿に選挙権持たせるとろくでもないことになるから、
統治能力を持つ知識人層に政治の一部をゆだねた結果。
実際、普通選挙が行われると各地で票の買収合戦が横行したからな。 >>436
貴族院は公爵と侯爵は自動的に議員になるが、
伯爵以下は互選で選ばれる。
確か選挙の調整を図る華族がいた。 会津や譜代の大藩って偏諱貰えないのは何故なんだろ?
外様や親藩は貰いまくってるのに。 足利氏は偏諱乱発して国人や豪族にまで与えていた
毛利氏も主だった家臣はみんな「就」「広」「元」を頭につけていた
そこへいくと、徳川氏は三家、三卿、越前家、大身外様(なぜか山内と藤堂は対象外)、二条家当主に限定した偏諱であった。 >>437
公・侯爵は歳費が出ないから、侯爵に陞爵したら家計が火の車になった華族さんもあったという。 会津、井伊の官位は4位中将で伊達島津並でそれ以外の大藩より明らかに高い。
石高も30万なんで大藩の定義は満たしている。
偏諱貰えなかったのは譜代だったり継承権の絶たれた譜代に近い親藩だったからでは?
藤堂も譜代扱いと聞いたし偏諱貰えないのはそう考えたら納得。
山内は表高20万だからやや石高不足。
ただ、山内は松平姓は貰えているんだよな。
逆に熊本藩は偏諱貰えているけど松平姓は与えられていない・ 細川はやると言われたのに、生意気にもそんなもんいらんと拒否した。 細川や上杉は偏諱はもらっているくせに松平姓はもらっていない偏屈者。
山内は松平姓はもらっているのに偏諱はもらえず、藤堂はなぜか両方とももらっていない。 松平姓なんて欲しいもんでもないだろう
家康自身、秀吉全盛期には豊臣姓を喜んで貰い
秀吉の妹婿として豊臣家の一員としてふるまってたのに 石高から言えば毛利や両池田、鍋島と同じくらいなのに、藤堂は冷遇されすぎだろ。 譜代大名は酒井も井伊も片諱を貰っておらず、徳川家との血の繋がりもないから松平の姓も貰わなかった。 藤堂が譜代扱いといっても、それは高虎と家康の個人的信頼関係に基づく一代限りのこと。
藤堂家が江戸期を通じて外様の国持大名であったのは厳然たる事実であり、
にもかかわらず石高相応の松平賜姓も将軍偏諱の拝領もなかったのは不可解きわまる。 爵位は江戸期の草高ではなく廃藩時での実高によるものだから、冷遇とかはないな。 藤堂は采女家の問題もはらんでいたから遠慮してたとか? 大名の叙爵は一部厚遇はあっても冷遇も遠慮もない。
ほとんどの大名は現米高が基準になってる。
基準は公表されなかったから遠慮しようがない。 >>448
武家社会ってのは前例踏襲が原則だよ。
高虎が家康のお友達なら、藤堂家も将軍家のお友達として扱う。
だから譜代扱いで30万石もの高禄外様大名だが片諱はもらわんし松平姓ももらわんのよ。 地の利の影響もかね?伊勢津の側には紀州があるから
姓あたえて懐柔するまでもないと 伊勢の山田奉行所の業務規程のようなものには、伊勢神宮の有事の場合には
紀州藩と協力して事に当たれとなっている。そのすぐそばの津は要衝だよ。
津藩は松阪を紀州藩に譲る替え地として山城大和に五万石をもらっている。
それも、好きな形で村々を選べともいわれたらしい。さすがに分別をわきまえて
いたらしく、まとまった所領にはなっていないけど。
よほど信頼されていたってことだろう。 前例踏襲といえば、司馬遼太郎が大坂の陣で井伊と藤堂を先鋒の大将に据えたから
幕末も踏襲して云々とか書いてたな。
実際のところはどうなん? 井伊と藤堂、だけじゃなく、陸軍奉行竹中や大目付滝川も逃げ出し、淀藩は城から味方を閉め出すとか、みんなダメな子 >>458
みんな戦国時代に名を馳せた武将の末裔なのがなんともw 淀や館山の稲葉は譜代なのに、なんで臼杵の稲葉だけ外様なの? >>458
この滝川さんって、北畠一族の滝川さんの末裔だよなw 本貫の美濃守の名乗りも淀藩にとられっちまって、臼杵藩は益々影が薄い。 稲葉正勝も堀田正盛も春日局との繋がりがなければ大名になれなかったし、
春日局一身に与えられた3000石、堀田正俊を養子にすることで引き継がせ、更に堀田本家から8000石を分与させて堀田家を増殖させ、上野介正信が除封にならなければ、
上野介家と備中守正俊の両家で交互に老中を出して、政治権力を追求しようとしていたのだ。 まあその稲葉は鳥羽伏見で後ろから味方を撃ったわけだがw
所詮乳母の引き立てで大名になった家。いざって時は頼りにならんなw >>463
血筋はそうだけど、滝川一益と関係ないわけでひない 家祖の滝川雄利は木造家の出身だけど、
滝川一益に見込まれて娘婿になった。
調略したり暗殺したりで一方で戦も上手かったしで
かなり器用な男だな。 名門の出身だけど血筋ではなくて力量でのし上がったとか格好いいな滝川雄利
子孫はお公家さんみたいになっちゃったけどw お公家さんかあ?
戦場に出てくるだけましだろw
勝海舟なんて口では偉そうなこと言ってるが
戦闘経験ないのだし 竹中半兵衛の子孫が陸軍奉行とかかっこいいなw
役に立たなかったようだけどw 竹中は戊辰戦争で蝦夷地まで従軍しただろ。
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E7%AB%B9%E4%B8%AD%E9%87%8D%E5%9B%BA
このwikiでは触れられていないけど、長州征伐の恨みで長州の残党に国元の陣屋を
襲撃されて妻子を凌辱されて家老どもは降伏し、その怒りで徹底抗戦したんだよ。
維新後は実業家として活躍したらしいよ。 ☆ 日本人の婚姻数と出生数を増やしましょう。そのためには、公的年金と
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H2I 江戸幕府最後の将軍徳川慶喜は土井利勝の女系子孫
土井利勝→萬(松平頼重正室)→徳川綱條→徳川吉孚→美代姫(徳川宗堯正室)
→徳川宗翰→徳川治保→徳川治紀→徳川斉昭→徳川慶喜 水野忠邦は徳川将軍家・尾張徳川家・前田氏・九条家などの血を引いている
浅野光晟(母:徳川家康の娘・振姫)→綱晟(母:前田利常の娘・満姫)
→綱長(母:九条道房の娘・満姫)→吉長(母:徳川光友の娘・貴姫)
→宗恒(母:前田綱紀の娘・節姫)→水野忠鼎→忠光(水野忠辰の娘)→忠邦 西大平藩初代藩主・大岡忠相は徳川家康生母・於大の方の女系子孫
於大の方→多劫姫→北条氏重→娘(大岡忠高正室)→大岡忠相 今川徳三 『「鬼平」の江戸』 中央公論新社
121頁
およそ大名の奥方などというものは、殿様のお国入りの留守中は、
つれづれの余りに日頃お気に入りの若侍や、ひいきの歌舞伎役者など、
ひそかに居間に引き入れ、夜の相手をさせるなど、不埒な遊びにふけり
がちであったから、下々の者まで奥方を見習ってたるみっ放しであった。
これって本当?こんなにルーズだったのか?なんだか信じられないけど。
また池波正太郎の時代小説短編『芸者変転』によると
「将軍・徳川家治の側近くつかえる八千石の大身旗本・石川甲斐守」には、「百人を越える奉公人」がいるが、
「四十四歳の端正な面」の「大名の家に生まれたむすめ」あがりな美熟女奥方の愛する、
「今年二十一歳になる甲斐守の長男・源太郎」は「甘えほうだいに育ちあがり」、「父・甲斐守よりも母・真佐子」が、
「幼いときから可愛がり、手元からはなさなかった」という。
「江戸」ならぬ「東京」育ちの世襲アホボンが、世襲政治家となるの今も昔も同じだね。 ■ このスレッドは過去ログ倉庫に格納されています