同級生にホントにいたびっくりするような苗字
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オレの同級生には「三条」くんっっていうのがいたよ
あと知り合いの話では「松平」さんっていう同級生がいたらしい 本人の同意が得られないから、DNAとかくだらんことは気にするな >>100
>女系の子孫だけど家としてつながっている人と、
>女系の子孫で家を仮冒している人との違いが区別できるの?
それはできないですけど、遺伝学的につながりがあるかどうかはわかるはずです。 >>102
だ・か・ら、
女系も含めればほぼ全ての人が遺伝的につながりがあるんだから
そんなことがわかっても無意味だ、って言ってるんだけど?
で、結局、その人が本当に藤姓西園寺さんなのか、または仮冒なのかを知るために、
DNA解析は何の役にも立たない、ってことについては
合意してもらったと思ってもいいの? DNA鑑定して女系子孫ですって言われたら、それ以上何も判断のしようがないし
男系子孫だったとしても、一度他家を継いだ後に仮冒している可能性も
ないとは言えないしな >>104
>女系も含めればほぼ全ての人が遺伝的につながりがあるんだから
>そんなことがわかっても無意味だ、って言ってるんだけど?
一般に遺伝的につながりがあるという場合、親戚など遺伝的に近い場合に使うでしょ。
天皇家とおたくとは何千年かさかのぼればつながってるだろうけど親戚などの近い人と比べればDNAはかなり異なってる。
それに全く無意味というわけじゃない。強力な傍証にはなる。100lではないけれど。
>で、結局、その人が本当に藤姓西園寺さんなのか、または仮冒なのかを知るために、
>DNA解析は何の役にも立たない、ってことについては
何の役にも立たないわけじゃないよ。
仮冒した場合DNAに痕跡が残るわけじゃないから100lではないけれど。
話は飛ぶけど、本当に足利義満が清和天皇の男系子孫ならY染色体が両者同じはずであるように
生物学的手法は強力だよ。 >>109
関係なくはないと思いますね。
複旦大学、曹操家族のDNAを確定
http://japanese.cri.cn/881/2013/11/12/141s214591.htm
↑の研究で、曹操は曹参の子孫だという説がありましたがそれは違うと判明し、曹操の父は家族内部の養子であり、
遼寧省東港市と鉄嶺市を含む、全国で9つの曹姓の家系が曹操の子孫だとわかったそうですよ。
従来の歴史学に基づく手法では水掛け論になっていたことが遺伝学的手法で決着がつくのは面白いと思いますけどね。 スレタイ読めやボケ
曹さんなら中華学校に幾らでもおるわ >>108 >>109
だからねえ・・・
「具体的にどうやるの?」って何度も何度も何度も何度も聞いてるのだから、
それに即して話してくれないかな?
繰り返しになるけど、今の例の場合、八幡浜に「西園寺」さんがまとまって数十件存在するんですよ?
その人たちのDNAを鑑定してみてください。
当然、全員がそう遠くない親戚だ、っていう結果が出るでしょう。
・・・で?だから何?それだから全員が、れっきとした藤姓西園寺の子孫だって
言いたいわけ?違うでしょ?
仮に100歩譲って、西園寺公俊だか公広だかのDNAが解析できたとして、
数十件のうち3、4軒が、公俊の男系子孫であることがわかったとしよう。
>>107の言うように男系子孫だって仮冒している可能性はあるけど、
まあそれは会津松平家みたいなものだから、よしとして、その人たちは藤姓西園寺だって認めよう。
その他の人たちはどうするの?って何度も聞いてるんだけど。
・男系子孫(である可能性が高い)西園寺さんたちの近くに住んでいる
・女系で公俊の子孫である可能性が高い
・当然、現存する西園寺本家とも遠い親戚である可能性が高い
だからって、藤姓西園寺だって言えるの?違うでしょ?わかりませんか?
この件については、100歩譲って↓こういう決着でいいかな?
・もし男系で藤原不比等だか西園寺公経だかとつながっている、と
証明される家が出てきたら、それは一応、藤姓西園寺と認定してもいい。
・その他の、(恐らく大多数を占めるであろうと推測される)
女系だけで認定できるひとたちについては、DNA鑑定は全く何の判断材料にもなりえない
もしこれで異存なければ、もうこの話は終了でいいかな?
まだやりたい? 少し冷静になって考えてみたw
もし>>110さんに思考能力があるとしたら
(=曹氏の例と今の例を同様に考えることができると思ってるとしたら)、この人は、
「八幡浜の西園寺さんたちが本当に西園寺公俊の子孫であるかどうかわからないから、
そうなのかどうかを確かめるためにDNA解析は役に立つ」って言いたいのかな?
でも普通に考えて、状況証拠的に、この人たちが藤姓西園寺家と血縁上、
全くつながりがない可能性はそもそも低いのだけれど・・・
歴史的感性ってものをどの程度持っているかの違いかなぁ。
それを示すためにDNAは役にたちますよ!って言いたいのかも知らんが、
この場合はそれはまあ、予想された結果だとは言える。
或いは、西園寺の血流だと証明される彼らの中で、
そうであるのなら、男系で示される人がかなりの部分を占めるはず、と言いたいのだろうか?
これも歴史的感性の問題だけど、・・・そんな単純な問題じゃないんだけど。。
俺だって幕末で、(少しだけ)名がある人物と同姓で、その子孫だが、
でも男系の子孫じゃないんだけど。そういう例は沢山あるはずで。
何か、考えれば考えるほど、こんな話を、
全く話を通じない人相手に、延々と続けるのがアホらしくなってきたよ・・・
>>109
すまんね。いい加減やめておく。 「神」とか「奥」とかって苗字のひとを呼んだり、「様」付けて文書書いたりするとちょっと恥ずかしい
同級生で、武者くん・留守さんがいたけど、かっこいい名字だなって思ったわ。 >>112
・もし男系で藤原不比等だか西園寺公経だかとつながっている、と
証明される家が出てきたら、それは一応、藤姓西園寺と認定してもいい。
・その他の、(恐らく大多数を占めるであろうと推測される)
女系だけで認定できるひとたちについては、DNA鑑定は全く何の判断材料にもなりえない
↑そうですね。
仮冒してもDNAに痕跡が残るわけではないからそうなりますね。
ただ、男系、女系がどれくらいの割合くらいなのかなど気になりませんか? 付け加えると、藤原不比等って天智天皇の落胤説がありますよね?
これもDNA分析で検証してもらいたいところです。 >>114
留守さんは前にトリビアの泉で取り上げられていたような。 バカとキチガイは、他人の迷惑を考えずに、
いつまでも低レベルなやり取りでご満悦かよ はーいみんな、注目!!!
>>118さんが、かつてないハイレベルな書き込みをしてくれます!
どうぞ!
↓ まあスレ違いはそれとして、女系相続が一般的な日本ではDNA鑑定は役立たない、って議論は
決して低レベルな議論じゃないとは思う。
>>110みたいな方法とったら、近衛文麿や西園寺公望すら偽物藤原氏認定されてしまう すまんDNA鑑定が全く意味ないって言ってるわけじゃないので>>115さん怒らないでねw
不比等とか清盛とか一休とかはぜひやってもらいたい どうでもいいけど中国って今でも、男系相続なのかな
男女平等って基本観念はないのだろうか 公立の先生で
阿保ってひといたなー
どこの派生なんだろ? DNA鑑定をやってほしいNo.1は熊沢寛道だわ
もしこの人が後醍醐帝の男系の子孫だったら、何かすごい(どうすごいのかもよくわからんが)
No.2は、遠州京丸に住んでいた藤原さん。
この家が男系で藤原氏の子孫かどうかは、かなり興味ある。 中学の時、草井満子って子がいた。
もちろん読み方はみつこだったけど。子供ながら両親はまんこと言わない地方出身なんだろうなとおもった。 「回り道」さんがいた
仮名交じりの苗字は珍しいと思う >>129とか、誰が見てもただの嘘にしか見えないし、
ネタとして面白がる人がいるとも思えない 友達に『最首』って奴がいた。千葉県の大原には沢山居るらしい。 >>131足利は、珍しいけど 今川は多いよ?
同級生に居たよ >>132
何がやりたいのか。ハッキリいってやれコラ!噛みつきたいのか、噛みつきたくないのか、
どっちなんだ?どっちなんだコラ! 中敷領(なかしきりょう)と悲連崎(ひれんざき)ってのがいた 同級生じゃないけど、知人に執行(しぎょう)さんと食堂(じきどう)さんがいたな。
どちらもお寺由来の苗字かな。 兵庫県姫路市に住んでた時の同僚に赤松って奴が居て出自を聞いたら播磨赤松氏の末裔だった。 >>134
いやいや、これが本当にネタじゃないんだよ。
高校の時に卒業写真持ちあって、この子可愛いなぁとかするじゃん?
草井さんの話題で一晩中もりあがったし、なんだか母校が誇らしくも思った。 >>142
あの辺は赤松姓は多いよ。黒田や小寺なんかもそうだ。 百足山(むかでやま
蟹沢川(かにさわかわ
銭袋(ぜにぶくろ 幼稚園のころ、ガチあの一族の福沢くんがいた。
もちろん慶應幼稚舎に進学した。 >>113
>状況証拠的に、この人たちが藤姓西園寺家と血縁上、
>全くつながりがない可能性はそもそも低いのだけれど・・
まず、ここが間違ってる。
血縁関係は無くても姓は名乗れる。
・勝手に名乗る(明治新姓の時に)
・先祖が西園寺家から姓をもらった(褒美として下賜)
など
なので血縁上つながりが全く無いのに、その姓を名乗っている人はいる。
酷いのになると在日の人で滅んだ旧大名家の子孫と称して、その姓を
勝手に名乗っているのがいる。 >>142
姫路に赤松家の子孫はいない。
赤松家は戦国末期に滅んで、正統な子孫はいないから。
赤松一族では、大名として残った有馬氏と旗本の石野氏がいる。
石野氏は途中から赤松姓に戻しているが姫路にはいない。
有馬氏も姫路にはいない。
その姫路の赤松君は「先祖は赤松一族だ」と言って、明治新姓の時に
赤松を姓として名乗った人の子孫だろう。
本当に赤松一族がどうかは不明だな。 >>123
兵庫県姫路市の旧阿保村の出身の人の可能性がある。 小学生の時、同じクラスに磯野君と中島君がいた。
その二人は親友同士でよく中島君が「お〜い磯野サッカーやろうぜ〜」って言ってた。 中学のとき長宗我部ってのがクラスにいたぞ、最初の社会の授業の時先生が驚いてた >>130
平仮名が混ざる苗字とかあるのかよ!?マジかよ!てか苗字に平仮名ってあるのか >>156
まぁ明治新苗字だろうな。
夕焼けさんとかいるから。
この手の名前は新平民に多いのかな?じつ 草井満子とか普通にいくらでも居そうな名前だわな。何故ネタと思うのかが分からんな 小学校の同級生に苗字が『地蔵(じぞう)』という人がいた。 >>24
現在は北朝鮮になっているが、徳川という市がある。
そこ出身で創氏改名の際に徳川姓を名乗った人は結構居たらしい。 >>56
古河公方家と無関係な喜連川さんって居るのかねえ。 >>163
一番有名なのは佐賀の副島氏じゃないか
鍋島氏の家臣の家系
維新後に新政府で活躍した副島種臣が有名 学校に四王天さんがいた。
ガチに子孫だって話だった。 >>168
副島隆彦自身は祖先が佐賀藩士だと言ってるらしいけど
本当かどうかはわからん 前 と書いて(すすめ)と読む苗字の方にはちょっと驚いた。
鹿児島県の離島の出身だったはず >>163
皇后美智子様の母の実家は佐賀の副島家。 以前の職場に
織田くんと明智さんがいたなぁ。
織田(おりた)くんと読むんだけどね。 篥篥篥篥篥篥篥篥篥篥篥篥篥篥篥篥篥篥篥篥篥篥篥篥篥篥篥篥
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篥篥篥篥篥篥篥篥篥篥篥篥篥篥篥篥篥篥篥篥篥篥篥篥篥篥篥篥
篥篥篥篥篥篥篥篥篥篥篥篥篥篥篥篥篥篥篥篥篥篥篥篥篥篥篥篥 「高麗」(こま)さん
「ちょうまつけん」(漢字はわからん)さん >>162
地名として喜連川があるわけだし、無関係な喜連川さんがいる可能性は否定できない気がするなあ 東北には、関東ではまずお目にかかれない名字の知り合いが沢山できます。
笠縫さん、矢作さん、麿さん、百々さん、富士原さん・・
前九年・後三年の役より前に、いわゆる景行天皇の時世から始まった奥州に入植したヤマトタケルに象徴される集団の子孫ではないだろうか? 東海林さん、これ読める?
答えはトウカイリンさんでーす。
荘園の管理人(荘司)やっててショウジさんと呼ばれるようになったトウカイリンさんも居るけどね。 愛新覚羅ってのがいたんだが、まじ清朝の末裔て生きてたんかな? 清朝最後の皇帝愛新覚羅溥儀の弟である溥傑の妻は日本人嵯峨侯爵家の娘(昭和天皇の遠縁)。
娘が二人居たが長女慧生は1957年天城山で心中死。
次女嫮生は在日華僑として日本に居た。 清朝の宗室の末裔って万ぐらいいるからな
日本にも住んでる人多い 與倉(よぐら)と正野(まさの)
奄美とかあっちの方らしい。 >>191
次女は結婚して福永になった。常盤貴子のクラスメート。ラストエンペラーにはまだ弟がいて福岡にいたらしい。 >>196
愛新覚羅嫮生は昭和15年生まれだから常盤貴子のクラスメートじゃないだろ
結婚後は福永姓になって兵庫県在住
常盤貴子は神奈川県育ちだから嫮生の子とクラスメートってわけでもないだろ ■ このスレッドは過去ログ倉庫に格納されています