京師・大坂あたりの芸子どもは誠にとるにたらぬ下手ものばかりにて、見るにたらぬなれども、田谷村連は外の気合をしらぬ故、
唯国元の事にのみ比しならぶるゆへ、至て上手の様に思われけれども、江戸の積にすれば、素人よりも面白からで、越後新潟の足もとも及ばぬなり。
一体上方は気の緩きところゆへ、歌舞ともに張りあひのぬけたる風にて、殊に未熟の様に思わるなれども、田舎よりはじめて来るものは、
いまだ目のきかぬ事ゆへ、時によると彼らの為に惑さるる事ままある也。
吾等などは関東、新潟辺にて修練のもののみ見聞きするゆへ、上方の歌舞妓は却て酒興の邪魔に思わる。
(出羽国庄内人の清川八郎)