仲哀天皇は302年崩御
応神天皇は394年崩御
神功皇后の胎中にて即位したとされる応神天皇と
394年崩御の応神天皇とが同体であるということは
天皇位の継承が名跡継承方式であったことを物語る。
胎中天皇が仲哀天皇の実の子であれば、
却って天皇位継承権がなかったのではないか。
神功皇后が出産遅延の努力をしたのはこのためである。