倭国王って選挙王だったと思うんだ。
有力国主たちに選ばれてなる。
時代が下っても群臣の推挙を受けて即位してるしね。
例えれば、神聖ローマ帝国とハプスブルグ家みたいな感じで、
倭国王も最初のうちはそれなりに選挙で選んでいた。
徐々に対抗馬を蹴落とした天皇家が形式的には選挙だけど実質は世襲で倭国王に即位するようになった。

何で、倭国王なんてものを選んだかが疑問なんだが、
目的は楽浪郡の先進文物と朝鮮半島の鉄を公平に配分することじゃないだろうか。
1世紀には楽浪郡や鉄の産地に近い北九州の優位は明らかなんだが、
直接交渉が困難な倭人地域の拡大に伴い北九州に対抗するために連合する。

一種のカルテルか談合組織みたいなもので、
分裂するのは簡単だけれど分裂すると皆が損するようになる。
卑弥呼即位は
分裂したままでは損だから纏まりたい。
でも、あいつ等の推す倭国王は認められない。
という妥協から共立されたんじゃあないだろうか。