【謎の世紀】古墳時代についてマタ〜リと語ろう 2
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いい加減、箸墓含めた全古墳、詳細調査すべきだと思うんだけどね・・・・。
って、やらんだろうな。 >>409
天皇陵を掘ったらすべて解決、とはならんからな。
桜井茶臼山古墳もメスリ山古墳も初期の大規模古墳だが、掘ったからといって
誰が埋まってるかなんて全くわからん。
主なものは盗掘されてるし、人骨は残ってないし。
仁徳陵とか発掘するなんて考えただけで恐ろしいって考古学者が言ってるからな。
恐れ多いという意味ではなくて、巨大すぎてどのくらいかかるか想像もつかないらしいw
まあ、箸墓古墳と西殿塚古墳は掘ってほしいけどな。
行灯山古墳もかな。 >>363
違うだろ。
円墳や方墳に作り出しがついて、それがどんどん大きくなった。 天皇陵に限らず、内部まできっちり発掘調査してないのが
まだまだたくさんあるでしょ
うちの近所にも古墳が何基もあるけど墳頂部までしか調べてなかったり
上に神社が建ってて調べてなかったりだわ
高松塚古墳より大きいし、中に壁画か何かあるかもしれん 予算の確保が問題かね?あと、「誰がやるの?」っていう問題か。 発掘も遺跡の破壊
今掘る必要がないならば掘らないというのが国の基本方針 したいってところもあるらしいよ。
でも許可しないということは、何かやましい事があるんだろう。 後ろめたいも何もない
掘る必要がないなら掘らせない
それが埋蔵文化財行政の基本方針 古墳規模は九州王朝の権威に比例。
イワイの乱以降、古墳は小型化する。
イワイの乱は、雄略が倭国王を暗殺した結果生じた
九州王朝内軍閥の衝突である。 キトラ古墳や高松塚古墳を見ると
ヘタに発掘するとまともに保存できずに劣化させるだけだし、
現状維持も一つの手段だな 「保存のために何も手を付けない」ってのは、確かに必要なことかもね。
下手に風穴開けると、余計な物が入ってダメになることもあるだろうし。
触らぬ神に祟りなしって諺が思い浮かんだ。 それじゃ何時までたっても謎は謎のままで、結局はあれこれ語ってもファンタジーじゃないか。
そんじゃあ進歩が無い。
実際に調査する以上に勝ることはないもの。 邪馬台国が何処にあろうと歴史の教訓には成らんだろうし >>421
そうなんだけど、学術調査で発掘した古墳でも、決定的なものは見つかっていない。
桜井茶臼山古墳やメスリ山古墳や中山大塚古墳や下池山古墳。
まあ、メスリ山古墳は、たくさんのものが出てきたけどな。
>>416
立ち入りくらい許可するべきだと思うけどな。
考古学者は仁徳さんを掘らせろなんて言う人はいないしw
掘りたいけど掘りたくない。
矛盾した思いはあるらしいけどな。
もっと後になれば、もっと技術が進んで「正しい情報」を得ることが出来るかもしれない。
掘ってしまったら、壊すことになり、遺跡をかき混ぜてしまうから。 >>393
トルコだよな。
トルコは国がでかいから、あの程度ですんでいるけど。
ギリシャにしても、通過するだけだからあの程度で済んでいるというか。
国の崩壊期、特に大国が混乱状態になると、近隣の国(地域)への波及は大きい。
ベトナムや東南アジアの華僑の存在をみればよく分かるだろ。 ピラミッドだって、いまだ内部に空間がどうとか言ってるんだし
未解明な古墳だらけで当然だ 明治になって主な陵墓を立ち入り禁止にしたので、樹木が生い茂りかえって破壊が進んだという話があるな。 天皇陵(参考地ですか)に眠っている方が本当は全然違う場合、勝手に名前とか付けられたら眠っている方に普通に失礼じゃないかと思うんですよねぇ。
こういう言い方はいけないのかも知れませんが罰があたるのではと・・・ なんにせよ古代のロマン、日本の魅力はまだまだあるのではと。良い方向に進むといいなぁ。 古墳に墓標があるわけではないので、発掘しても主の特定にはあまり繋がらない。 掘って凄いものが見つかっても、
それを保存する資料館の保存施設を
税金でどのくらい維持できるかという問題がある。 中国もそれについては頭を悩ましてるとか言うね>保存の技術
始皇帝陵を掘って調べたいけど、保存技術が無いので、下手に掘って潰してしまう可能性を考えると
掘り起こすことは困難だとか。
キトラの例を挙げるまでもなく、下手に手を付けない方が良いんだろうね。 >>
雄略陵や継体陵、仲哀陵のように、明らかに違うというものははずすべきだよな。
だだ、じゃあ合っていそうなものが100%確定できるかといえば、それは無理だ。
せいぜい「およそ正しいんじゃないかな」程度。 誰の墓か石碑くらい建てといてくれたらよかったのにねえ。できれば系図付きで。 古代人の落書きが、解読不明の古文書になってたりしてね。
「何か意味がある!」とか学者が必至になって調べても何も分からないという・・・。
それはともかく、バブル期の開発で、一体どれくらいの古墳が壊されたんだろう・・・
そんなことを考え出すと夜も眠れません。 バブルの頃ならほとんどは破壊前に調査されてると思うよ
それよりも高度経済成長期の方が社会認識も体制も整ってなかったから悲惨 福岡の地盤沈下とか、遺跡はどうなったんだろう。
あのあたりはもう調査済みなのかな? >>107
ロングレスしとく
物質中で光速は遅くなるのが理系の常識 >>438
多すぎてろくに調査されてないまま風化とか九州はかなりある模様 wpbに、古墳の特集記事載ってるね。
東京の芝丸山古墳だったかな。 古墳王国裏付け1万3249基|YomiuriOnline
ttp://www.yomiuri.co.jp/local/gunma/news/20170304-OYTNT50245.html 舒明天皇の初葬地か、蘇我蝦夷の大陵か 小山田古墳
ttp://www.asahi.com/articles/ASK2W46V9K2WPTFC009.html 「百舌鳥・古市古墳群」世界遺産国内推薦向け 首都圏から機運醸成を 事業者とアイデア公募
ttp://j.sankeibiz.jp/article/id=860 奈良で古墳時代の椅子発見 木目が確認できるもの珍しく | THE PAGE 大阪
ttps://goo.gl/WngxeW ちょっとWikipediaで調べてみたが卑弥呼が生きてた時代って第13代天皇・第14代天皇・神功皇后がいらっしゃった頃じゃねえか。
神武天皇が始めたヤマト王権が奈良県北部、 卑弥呼の邪馬台国が奈良県南部って感じで一緒に存在してたのかな?最終的に邪馬台国が戦に負けてヤマト王権に併合されたのかな? 崇神が4世紀初頭の可能性が高い。ならばそれ以前の3世紀は魏志によれば女王国の時代だ。
それに符合するように妃のいない天皇たちがいる。神武から6代孝安までだ。
彼らが大王ならその血を残すために複数の后がいて当たり前。ところがいない。
つまり彼らは大王ではなかったのだ。
では話は簡単。彼らの正后をみればいいのだ。その中にヒミコとトヨ(またはイヨ)がいればいい。
もしいれば邪馬台国論争は簡単に終焉する。
それがいるのだ。
@神武→ヒメタタライスズヒメ
A綏靖 →イスズヨリヒメノミコト 生きてた「ヒメ」タタラが女王
B安寧→ヌナソコナカツヒメノミコト 生きてた「ヒメ」タタラが女王
C懿徳→アマトヨツヒメノミコト
D孝昭→ヨソタラシヒメノミコト 生きてたアマ「トヨ」ツが女王
E孝安→オシヒメ 生きてたアマ「トヨ」ツが女王
見事にヒメとトヨの時代。
そして7代孝霊には複数の妃。 実質の男王は孝霊の時代から。
それは箸墓古墳の時代だ。
邪馬台国とはヒメたたらが住まわれた奈良県御所市。
纏向に卑弥呼はいない。
九州は論外。
これが私=天才のブログだ。
https://o-yan216.wixsite.com/mysite 妃ではないが、倭迹迹日百襲姫(ヒメ)と豊鍬入姫(トヨ)の関係がある。
これなら卑弥呼と台与が宗族関係にあるという中国の文献にも合致。
二人をつなぐ系譜的位置にあるのが崇神天皇。
歴史の確かな大王から1世代25年で遡れば、崇神は3世紀後期の在位となる。
これは3世紀後期から、すなわち「箸墓築造以降」に、前方後円墳国家が築かれることとも、
崇神が「ハツクニシラス」と称されることとも、それ以前が「欠史」であることとも合致する。 興味ある時代・好きな時代
昔 戦国・江戸
今 弥生・古墳 >>447
違うよ。
卑弥呼の時代ってのは、中国の史書に書かれた時代。
日本書紀は130歳の天皇を書いてるが、古事記にはそういうものはない。
崇神天皇が300年前後の人で、卑弥呼の少し後の時代の人だろうってのが考古学者の
共通認識だ。
正確には「後の人が崇神天皇と名前をつけた大王」だけどな。
発掘により、纏向は三世紀から四世紀前半まで。
記紀に拠れば、纏向近辺に宮を置いたのは、崇神、垂仁、景行の途中まで。
景行は後に滋賀県の大津に宮を移したと書かれている。今の高穴穂神社。
記録と遺跡が矛盾していない。 崇神のことを天皇家自身が「ハツクニシラススメラミコト」っていってんだから
それが正しいのだろうな。
権威付けのために古くにでっち上げるなら、10代の天皇にそんな名前をつける必要がない。
でっち上げ説って、あんまり意味がない。
日向に天孫降臨する意味もない。
最初からヤマトに降臨すればいいわけだからな。
ヤマトに降り立ち、そのまま国家を作ったでいいはずなんだよ。
ニニギを先祖にしておけば問題はなかった。
だけど、そうはしていない。
天皇家はよそからやって来たということが当時の人々は事実として伝承されていたから。
そして、婚姻関係もでっち上げは難しい。相手があるからな。
当時のヤマトの人にとって確認できないことは、神武がニニギの孫であるかどうかってこと。
神武がヤマトへ入った時、アマテラス伝説も天孫降臨も古代の氏族の伝承もヤマトの有力者は
共有していた。
「イズモ」とは、いやオオクニヌシが譲ったのは九州ではない。
ってことは、譲られたのは神武のひいじいさんのニニギではないってことだ。 卑弥呼=百襲姫天皇が崩御した後の男王ってのが崇神なんだろ。
しかし狗奴国との戦局が悪化する一方だから、早々と王位を降ろされ、
代わりに崇神の娘の台与が王に指名され、卑弥呼二世になったら狗奴国との
戦争が終わった。
という事なんだよ。
崇神天皇と百襲姫のエピソードは実際は百襲姫が天皇で崇神が皇子なんだよ。 卑弥呼=百襲姫天皇が崩御した後の男王ってのが崇神なんだろ。
しかし狗奴国との戦局が悪化する一方だから、早々と王位を降ろされ、
代わりに崇神の娘の台与が王に指名され、卑弥呼二世になったら狗奴国との
戦争が終わった。
という事なんだよ。
崇神天皇と百襲姫のエピソードは実際は百襲姫が天皇で崇神が皇子なんだよ。 >>454
御肇国天皇(ハツクニシラススメラミコト)は日本書紀に出てくる
ちなみに、古事記には「初国知らしし御真木天皇」として出てくる だいたい、土偶や埴輪なんてロボットかモビルスーツに決まってるだろ。
カギ穴形の前方後円墳だって「宇宙船」そのものじゃねーか!
( あそこに、宇宙のカギを入れると=地球が、開く。のさ )
:アマテラスもスサノオも。世界中の神話の神さまや天使は、みんな宇宙から来たのだ。
( 月刊ムー、より )
☆ 日本人の婚姻数と出生数を増やしましょう。そのためには、公的年金と
生活保護を段階的に廃止して、満18歳以上の日本人に、ベーシックインカムの
導入は必須です。月額約60000円位ならば、廃止すれば財源的には可能です。
ベーシックインカム、でぜひググってみてください。お願い致します。☆☆ >>338
毛野が上毛野と下毛野に分裂したとき、戦争はあったのかね?
日光に「戦場ヶ原」っていう湿地帯があるんだが、そこには大蛇に化けた男体山(栃木)と大ムカデに化けた赤城山(群馬)が戦ったと謂われる伝説があるんよね
ここに後世日光東照宮が建てられた意味は大きいよな
自分は常陸・奥州・下毛野vsヤマト・上毛野の戦場になったのだと思う。勝者は常陸連合。この連合が日本という国号だったのではなかろうか? 毛野とか吉備とかの巨大化する前の古墳にまた金文石が埋まってないものか 誰か教えてほしんだけど
確か日本書紀を編纂する頃にはもう「どこどこの古墳が誰の墓で〜」とかわからなくなってたんだよね?
でも天皇の墓だけならわかるんじゃないの?先祖の墓なわけでしょ?
仮に文献を残す習慣がなかったとかしても自分の親と祖父の墓ぐらいは知ってるはずだよね?
そしたらそれぞれ下の世代にそれを伝えていけばその知識が蓄積されて結果自然と歴代天皇の墓は遡れるようになってるわけで
なんでそれが途中でわからなくなるわけ?万世一系なんでしょ?先祖の墓でしょ? >>462
歴代天皇の陵墓は日本書紀に網羅されてますよ。 この国はある意味では北朝鮮以上の国民を騙す国家だと思う 北朝鮮以上に国民を騙し詐欺師の様に搾取する
★★★★政治家・マスゴミ・が隠す日本の真実!★★★★
https://www.youtube.com/watch?v=pX9COqRfCSU
↓ ↓ ↓
https://www.youtube.com/watch?v=A-cKT-sKly4&;;list=PLTEQ4LklraVRq1fq3xbolEhHFm4lhBYVM&index=1
★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★ どうして古墳って管理しなかったの?先祖の墓だったんでしょ? >>234
中央の権力は強くなったり弱くなったりしてる
倭王武の時代に九州から埼玉まで支配したとしても
また後年に独立を許して九州で磐井の乱を起こされたりしてるし
一度征服したらずっと大和朝廷の支配領域ということではないし
支配領域だからといって完全に支配してるわけでもなく、力関係によって自治を許したり、勝手に外交されたりしてる
また中央は中央で権力争いがあって
6世紀〜8世紀は頻繁に都が変わってる
特に7世紀は
アマタラシヒコの遣隋使派遣→大化の改新→白村江敗戦→九州が唐に占領される→天智天皇が百済残党を従え国の半分を支配し近江王朝を立てる→壬申の乱→天智天皇が負け近江王朝が滅ぶ→「日本」国号成立
と政変の連続
百済や唐を巻き込んだ戦国時代の様相を呈してる 天智天皇+百済残党軍の近江王朝ってのが日本建国の闇だよね
天智天皇ってのはほんとに日本人だったのか?っていう
天智天皇は中大兄皇子だから
だとすると大化の改新を起こしたのも百済人ってことになる 大化の改新の意味も変わってくる
百済人が蘇我を殺して朝廷を乗っ取ろうとしたというね だったらなんで日本書紀に天智が朝廷乗っ取ろうとした百済勢力だって書かなかったんだ >>469
天智天皇の盟友は中臣鎌足=藤原鎌足
藤原氏が権力を持ってたから書けなかった >>470
藤原氏が権力持ってたなら尚のこと百済民族であることを誇示すればいいじゃん
それに「白村江で負けちゃった!テヘッ!」なんてやらなくてもいいよね? >>472
白村江の敗戦は海外文献に残ってるからどれだけ国内で禁書と歴史の捏造をしようとも隠しようがない >>473
敗戦はごまかせなくても内容はいくらでもごまかせるじゃん
どの国の正史だって自分らに都合のいいように書かれてるんだし
あと藤原氏が力持ってたら百済人アピールするだろうになんで日本の歴史に合わせるの?
「我ら百済の民が蘇我を滅ぼして制服したった!」と堂々と書けばいいじゃん いいかね?万世一系は嘘っぱちだ
理由は古墳にある
皇族が自分の先祖の墓を忘れるなんてあるかね?なぜ代々語り継がない?なぜ放置してた?
しかもあんなに大きなものはその時代時代でとてつもない公共事業だったはずだ
それなら尚の事語り継がれるはずだし記憶にだって残りやすい(忘れようったってなかなかできない)
しかも先祖の墓ならしっかり管理もするだろうからあんなひどい状態になるわけがない
つまり実際は古墳時代なんて戦国時代で豪族どもが争って毎年王権が交代する状態だったのだよ
だからどいつもこいつも他の王朝の古墳に無頓着だったし放置して盗掘されようがお構いなしだった
それを天武持統の時代に中国王朝を真似て泊をつけるために無理やり継ぎ接ぎしたのが日本書紀の嘘っぱち史だ
いずれGHQから資料が公開されるだろう >>475
でもみんな前方後円墳だったのが面白いよな
対立して戦争してんのに墓の形はオソロ 戦国時代だって対立戦争してたやつらは同じ宗教だったんだから
古墳のカタチと権力闘争ってそんなには関係ないように思うね 昨日、日本書紀を読んでいてふと気づいたんだが、倭王興が雄略で、
武が清寧なのでは。雄略23年に百済の三斤王が死んでいて(477年)
同じ年に雄略が死んだとある。そして倭王武の遣使が478年。清寧の
本名の白髪武広国押・・・の一部に武の字もある 戦国時代とか対立しあってても城の基本的なデザインとか同じだもんな
権力者はその時代の技術の粋を結集した一番大きな建築物で権力を誇示するものだから
だからこそ古墳にしろ城にしろ一定の基準を共有した上で大きいものをつくって自分の力を見せつける ネトウヨ的には認めたくない話だな
よって古墳は天皇さまのご先祖さまさまが眠ってるってことでよろしく ていうか何で歴史書とか山奥とかにこっそり埋めとかなかったんだよ馬鹿高官どもが少しは頭使えよ
どうせクーデターとか王朝交代とかおこって焚書される段階になってはじめて「あ!ぼくたちの歴史書燃やされちゃう!あ!大変!」とか気付いたんだろ馬鹿が
使えねー野郎どもだマジで >>476
前方後円墳だけじゃない。
前方後方墳とか四隅突出墳とかバリエーションに富んでるぞ。 >>475
> いいかね?万世一系は嘘っぱちだ
> 理由は古墳にある
> 皇族が自分の先祖の墓を忘れるなんてあるかね?なぜ代々語り継がない?なぜ放置してた?
古墳が違うってことは別の王朝ってことだよね
ニコイの水芭蕉?
@bonchan1
https://twitter.com/bonchan1/status/911833352084144128
倭国王家本流=正統日本皇統が関東に居た証拠は「飛鳥時代末期の朝廷が突然『八角墳』を天皇墳墓に
採用している事」であり、「八角墳の発祥起源地=関東」であることからも判る。八角墳墓は天皇の「高御座
(たかみくら)」を表す。 >>474
> 敗戦はごまかせなくても内容はいくらでもごまかせるじゃん
敗戦をごまかした顕著な例がこれ↓ 元寇=元平合戦(源平合戦)
源氏=ゲン=元(モンゴル) 源平合戦=元平合戦 神風とか全部ウソ
http://rio2016.2ch.net/test/read.cgi/kokusai/1505816832/
源氏はテムジンと共に日本に侵入した集団で元平合戦で平家(土着日本人)を滅ぼしました
義経伝説は本当はモンゴル侵攻の記憶です
頼朝や義経はどう考えてもモンゴル人
残酷過ぎてあれは日本人の戦い方ではありません
三宅島の神着の王葬山には蒙古王の墓という明らかに不自然な変てこな遺構があります
元寇を撃退したとか単なる威嚇だったとかならば日本に蒙古王の墓があるなんて絶対おかしいでしょう?
マルコ・ポーロもフビライ軍は京都まで侵攻したと記しています
実は源平合戦は元平合戦だった可能性が高いです。
たかが内戦如きで三種の神器を海に捨てたりしませんよ 魏志倭人伝の南を東に読み替えていいなら、邪馬台国畿内説ではなく、邪馬台国関東説があったっていいんだよね。 魏志倭人伝の漢字を一部読み替えることで辻褄が合うとか学者がよく言ってるけど
魏志倭人伝って全体的に誤字が多いもんなの?それとも牽強付会に都合よく読み替えてるってだけ? 邪馬台国の三文字目の「臺」と「壹」も誤字だしな
ただ形が似た文字を写し間違えることはあっても
東と南を写し間違えることはないわな >>485
魏志倭人伝は、海洋民族である倭人が対馬海峡や瀬戸内の海を支配していた時の話なので、
あれを全部現在の日本国内に置き換えてしまってるから意味不明となっているのでは?
後の倭寇ってのも、東シナ海やら対馬海峡あたりまでを領域にしてたでしょ?
鄭成功ってのが日中ハーフの英雄とされているが、おそらく日中ハーフというよりは、
倭人(中国にも日本にも拠点があって行き来していた)の英雄 日本が死ぬほど嫌いになったから古墳なんてどうでもよくなったわ
どうせなら日本の歴史なんて朝鮮人様が植え付けた歴史であってほしい
こんなクソ民度のジャップ国なんて生意気に歴史語る資格ねーよ >>489
白村江で唐軍が圧勝するまで、三韓は日本の属領だったのに? 儒教圏は、易姓革命に際して墓暴をやるし、
まあ、やらなくても人の質がアレで盗ッ人ばかりで、
墳墓破壊されまくりの盗掘され放題、
残ってないよね 日本も古墳が盗掘ばかりだしな
万世一系!とか言いながらテメーの先祖の墓もわからねーとか馬鹿すぎw >>490
>三韓は日本の属領だったのに?
そんな歴史はない 神功皇后の三韓征伐はさておき、
白村江の大義名分が新羅の反乱を誅することで、百済との属領どうしの勝手な開戦を罰するため。
百済は日本に泣きついてきている。
8世紀に渤海国が進貢の許しを求めてきたときも、自称高麗の再興なので旧交を復するを建前に
していた。旧交即ち臣下の礼を以て進貢。つまり、大陸側視点でも、朝鮮半島北端の高麗が日本の
属国だったということを認識していたわけよ。 >>462
万世一系でも何でもないことがバレて大騒ぎになるし、
中国に朝貢してた時の王はなかったことになってるし、
ウソ偽り矛盾が噴出するので、誤魔化し続けるよ
真実なのであれば、もっと情報を出せる。
出せないということはウソがバレるので隠している、って単純な構図だよね 適当に辻褄わせした歴史を真実として「皇紀20○○年!」と言ってる愛国馬鹿見てると
いみじくも浅田彰が言ってた土人国家も納得ってなるわ
仁徳の民の竈とかをマジで信じて語ってる愛国馬鹿ってカルトより質悪いしな
青山繁晴なんて涙目で「こんなに国民を愛した権力者が西洋にいますか!日本の天皇だけです!」とかヒートアップしてて馬鹿の極みだったわ >>462
日本書紀を編纂する頃には分かってたよ。(全部が正しいとは言わないが)
分からなくなるのは平安以降。薄葬思想や公儀の退廃で分からなくなっていった。 >>496
天災による農産物の収量の急減に際して、免租を行うというのは、古今東西、統治者に普遍的なことだけれどな。
やんなかったのは江戸時代の大名くらいだし。 「こんなに国民を愛した権力者が西洋にいますか!日本の天皇だけです!」
↑つまりこれを言った青山のジジィは馬鹿ってこと まあ記紀にしたって、こんなに民を愛した統治者がチャイナにいましたか!つて発想で書いてるからな。
儒教的発想では人民を甘やかしちゃあならん、ギリギリまで締め上げて置くものだ、というのが基本的な統治のやり方。
でも、反乱や逃散されても困るし飢饉で人口減ったら回復に何十年もかかってその間の税収が減るのはとても困ると
いうことは原始時代に毛の生えたような古代の統治者にも解っていた。
建前を重んじる儒教圏だと、大っぴらには免租なんかできないけど、個別に税のとりっばぐれに目こぼしをしたり、
個別に税を軽減したり、普請や祭礼や軍事行動やなにやにかこつけて配る形で、税を民に還したりしたりしていた。
史書に遺すような形でおおっぴらには、単なる免租をやらない。
日本は儒教よりも在来の祖霊信仰・自然数はと親和性の高い仏教・道教の影響が先にきていたので、
奈良時代だと平気で免租を善政として記録に残すし、本格的に支配層に儒教が入ってくるのは武家政権時代、
それも、後代に生じた原理主義的な朱子学や陽明学のようはな流派なので、
免租した方が殿様にとっても得な場面で免租をせず18世紀19世紀の遅い時代に大規模な飢餓が起こったりしている。 4世紀 九州・朝鮮遠征
メンバー:景行、神功、武内宿禰、応神
(遠征の間、大和には大王が不在であるはずはなく、当然別の大王が在位中であり政治を行っていた)
4世紀末
神功、武内宿禰、応神畿内帰国
応神の出生の秘密により大和からは腫れ物扱い、河内に王朝を立てる
歴代河内王朝の王
初代 倭王禰=武内宿禰
倭王武の上奏文「祖禰は・・・」禰を祖と認識
二代目 倭王旨=ウマシウチ宿禰=武内宿禰の弟
百済から贈られた七支刀に「倭王旨に贈る」と記される
三代目 倭王讚=応神=ホムタワケほか諸説
四代目 倭王珍=仁徳ほか諸説
五代目 倭王済=反正ほか諸説
六代目 倭王興=允恭ほか諸説
七代目 倭王武=雄略
熊本と埼玉からワカタケルの鉄剣
「東は毛人の五十五国を征し、西は衆夷の六十六国を服し、渡りて海北の九十五国を平ぐ。」
八代目 清寧天皇→滅亡 >>501
景行〜清寧までは河内王朝と大和王朝の二朝分裂
(鎌倉時代の武家政権と朝廷の二重権力のようなもの)
倭の五王代の倭王の数と記紀の天皇の代数が一致しないのは
河内王朝と大和王朝双方の大王を両方記したから >>498
免租が古今東西の統治者に普遍であるなら民のかまどの話なんて残らないんじゃないか
愛国馬鹿が仁徳のアホの逸話を愛国の象徴として涙ながらに語るキモさの源流は
仁徳のアホの免租が古今東西普遍的でなかったというのが一応の愛国馬鹿どものアピールポイントだろ 高校の時の教師が日本の歴史は天武天皇からはじまったと言ってたのですが間違いないですか? 百済人と新羅人の代表が天智と天武で
彼らが日本の建国者
古事記も日本書紀も古代の記述は嘘っぱち どうしてその後の権力者(皇族じゃなく武家)は半島人の歴史を受け入れたの?
自分たち日本人による真の歴史の創造とか考えなかったのかな?
「日本書紀なんざ天武どものデタラメだ!」ってならなかったのはなぜ? ■ このスレッドは過去ログ倉庫に格納されています