【謎の世紀】古墳時代についてマタ〜リと語ろう 2
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戦国時代だって対立戦争してたやつらは同じ宗教だったんだから
古墳のカタチと権力闘争ってそんなには関係ないように思うね 昨日、日本書紀を読んでいてふと気づいたんだが、倭王興が雄略で、
武が清寧なのでは。雄略23年に百済の三斤王が死んでいて(477年)
同じ年に雄略が死んだとある。そして倭王武の遣使が478年。清寧の
本名の白髪武広国押・・・の一部に武の字もある 戦国時代とか対立しあってても城の基本的なデザインとか同じだもんな
権力者はその時代の技術の粋を結集した一番大きな建築物で権力を誇示するものだから
だからこそ古墳にしろ城にしろ一定の基準を共有した上で大きいものをつくって自分の力を見せつける ネトウヨ的には認めたくない話だな
よって古墳は天皇さまのご先祖さまさまが眠ってるってことでよろしく ていうか何で歴史書とか山奥とかにこっそり埋めとかなかったんだよ馬鹿高官どもが少しは頭使えよ
どうせクーデターとか王朝交代とかおこって焚書される段階になってはじめて「あ!ぼくたちの歴史書燃やされちゃう!あ!大変!」とか気付いたんだろ馬鹿が
使えねー野郎どもだマジで >>476
前方後円墳だけじゃない。
前方後方墳とか四隅突出墳とかバリエーションに富んでるぞ。 >>475
> いいかね?万世一系は嘘っぱちだ
> 理由は古墳にある
> 皇族が自分の先祖の墓を忘れるなんてあるかね?なぜ代々語り継がない?なぜ放置してた?
古墳が違うってことは別の王朝ってことだよね
ニコイの水芭蕉?
@bonchan1
https://twitter.com/bonchan1/status/911833352084144128
倭国王家本流=正統日本皇統が関東に居た証拠は「飛鳥時代末期の朝廷が突然『八角墳』を天皇墳墓に
採用している事」であり、「八角墳の発祥起源地=関東」であることからも判る。八角墳墓は天皇の「高御座
(たかみくら)」を表す。 >>474
> 敗戦はごまかせなくても内容はいくらでもごまかせるじゃん
敗戦をごまかした顕著な例がこれ↓ 元寇=元平合戦(源平合戦)
源氏=ゲン=元(モンゴル) 源平合戦=元平合戦 神風とか全部ウソ
http://rio2016.2ch.net/test/read.cgi/kokusai/1505816832/
源氏はテムジンと共に日本に侵入した集団で元平合戦で平家(土着日本人)を滅ぼしました
義経伝説は本当はモンゴル侵攻の記憶です
頼朝や義経はどう考えてもモンゴル人
残酷過ぎてあれは日本人の戦い方ではありません
三宅島の神着の王葬山には蒙古王の墓という明らかに不自然な変てこな遺構があります
元寇を撃退したとか単なる威嚇だったとかならば日本に蒙古王の墓があるなんて絶対おかしいでしょう?
マルコ・ポーロもフビライ軍は京都まで侵攻したと記しています
実は源平合戦は元平合戦だった可能性が高いです。
たかが内戦如きで三種の神器を海に捨てたりしませんよ 魏志倭人伝の南を東に読み替えていいなら、邪馬台国畿内説ではなく、邪馬台国関東説があったっていいんだよね。 魏志倭人伝の漢字を一部読み替えることで辻褄が合うとか学者がよく言ってるけど
魏志倭人伝って全体的に誤字が多いもんなの?それとも牽強付会に都合よく読み替えてるってだけ? 邪馬台国の三文字目の「臺」と「壹」も誤字だしな
ただ形が似た文字を写し間違えることはあっても
東と南を写し間違えることはないわな >>485
魏志倭人伝は、海洋民族である倭人が対馬海峡や瀬戸内の海を支配していた時の話なので、
あれを全部現在の日本国内に置き換えてしまってるから意味不明となっているのでは?
後の倭寇ってのも、東シナ海やら対馬海峡あたりまでを領域にしてたでしょ?
鄭成功ってのが日中ハーフの英雄とされているが、おそらく日中ハーフというよりは、
倭人(中国にも日本にも拠点があって行き来していた)の英雄 日本が死ぬほど嫌いになったから古墳なんてどうでもよくなったわ
どうせなら日本の歴史なんて朝鮮人様が植え付けた歴史であってほしい
こんなクソ民度のジャップ国なんて生意気に歴史語る資格ねーよ >>489
白村江で唐軍が圧勝するまで、三韓は日本の属領だったのに? 儒教圏は、易姓革命に際して墓暴をやるし、
まあ、やらなくても人の質がアレで盗ッ人ばかりで、
墳墓破壊されまくりの盗掘され放題、
残ってないよね 日本も古墳が盗掘ばかりだしな
万世一系!とか言いながらテメーの先祖の墓もわからねーとか馬鹿すぎw >>490
>三韓は日本の属領だったのに?
そんな歴史はない 神功皇后の三韓征伐はさておき、
白村江の大義名分が新羅の反乱を誅することで、百済との属領どうしの勝手な開戦を罰するため。
百済は日本に泣きついてきている。
8世紀に渤海国が進貢の許しを求めてきたときも、自称高麗の再興なので旧交を復するを建前に
していた。旧交即ち臣下の礼を以て進貢。つまり、大陸側視点でも、朝鮮半島北端の高麗が日本の
属国だったということを認識していたわけよ。 >>462
万世一系でも何でもないことがバレて大騒ぎになるし、
中国に朝貢してた時の王はなかったことになってるし、
ウソ偽り矛盾が噴出するので、誤魔化し続けるよ
真実なのであれば、もっと情報を出せる。
出せないということはウソがバレるので隠している、って単純な構図だよね 適当に辻褄わせした歴史を真実として「皇紀20○○年!」と言ってる愛国馬鹿見てると
いみじくも浅田彰が言ってた土人国家も納得ってなるわ
仁徳の民の竈とかをマジで信じて語ってる愛国馬鹿ってカルトより質悪いしな
青山繁晴なんて涙目で「こんなに国民を愛した権力者が西洋にいますか!日本の天皇だけです!」とかヒートアップしてて馬鹿の極みだったわ >>462
日本書紀を編纂する頃には分かってたよ。(全部が正しいとは言わないが)
分からなくなるのは平安以降。薄葬思想や公儀の退廃で分からなくなっていった。 >>496
天災による農産物の収量の急減に際して、免租を行うというのは、古今東西、統治者に普遍的なことだけれどな。
やんなかったのは江戸時代の大名くらいだし。 「こんなに国民を愛した権力者が西洋にいますか!日本の天皇だけです!」
↑つまりこれを言った青山のジジィは馬鹿ってこと まあ記紀にしたって、こんなに民を愛した統治者がチャイナにいましたか!つて発想で書いてるからな。
儒教的発想では人民を甘やかしちゃあならん、ギリギリまで締め上げて置くものだ、というのが基本的な統治のやり方。
でも、反乱や逃散されても困るし飢饉で人口減ったら回復に何十年もかかってその間の税収が減るのはとても困ると
いうことは原始時代に毛の生えたような古代の統治者にも解っていた。
建前を重んじる儒教圏だと、大っぴらには免租なんかできないけど、個別に税のとりっばぐれに目こぼしをしたり、
個別に税を軽減したり、普請や祭礼や軍事行動やなにやにかこつけて配る形で、税を民に還したりしたりしていた。
史書に遺すような形でおおっぴらには、単なる免租をやらない。
日本は儒教よりも在来の祖霊信仰・自然数はと親和性の高い仏教・道教の影響が先にきていたので、
奈良時代だと平気で免租を善政として記録に残すし、本格的に支配層に儒教が入ってくるのは武家政権時代、
それも、後代に生じた原理主義的な朱子学や陽明学のようはな流派なので、
免租した方が殿様にとっても得な場面で免租をせず18世紀19世紀の遅い時代に大規模な飢餓が起こったりしている。 4世紀 九州・朝鮮遠征
メンバー:景行、神功、武内宿禰、応神
(遠征の間、大和には大王が不在であるはずはなく、当然別の大王が在位中であり政治を行っていた)
4世紀末
神功、武内宿禰、応神畿内帰国
応神の出生の秘密により大和からは腫れ物扱い、河内に王朝を立てる
歴代河内王朝の王
初代 倭王禰=武内宿禰
倭王武の上奏文「祖禰は・・・」禰を祖と認識
二代目 倭王旨=ウマシウチ宿禰=武内宿禰の弟
百済から贈られた七支刀に「倭王旨に贈る」と記される
三代目 倭王讚=応神=ホムタワケほか諸説
四代目 倭王珍=仁徳ほか諸説
五代目 倭王済=反正ほか諸説
六代目 倭王興=允恭ほか諸説
七代目 倭王武=雄略
熊本と埼玉からワカタケルの鉄剣
「東は毛人の五十五国を征し、西は衆夷の六十六国を服し、渡りて海北の九十五国を平ぐ。」
八代目 清寧天皇→滅亡 >>501
景行〜清寧までは河内王朝と大和王朝の二朝分裂
(鎌倉時代の武家政権と朝廷の二重権力のようなもの)
倭の五王代の倭王の数と記紀の天皇の代数が一致しないのは
河内王朝と大和王朝双方の大王を両方記したから >>498
免租が古今東西の統治者に普遍であるなら民のかまどの話なんて残らないんじゃないか
愛国馬鹿が仁徳のアホの逸話を愛国の象徴として涙ながらに語るキモさの源流は
仁徳のアホの免租が古今東西普遍的でなかったというのが一応の愛国馬鹿どものアピールポイントだろ 高校の時の教師が日本の歴史は天武天皇からはじまったと言ってたのですが間違いないですか? 百済人と新羅人の代表が天智と天武で
彼らが日本の建国者
古事記も日本書紀も古代の記述は嘘っぱち どうしてその後の権力者(皇族じゃなく武家)は半島人の歴史を受け入れたの?
自分たち日本人による真の歴史の創造とか考えなかったのかな?
「日本書紀なんざ天武どものデタラメだ!」ってならなかったのはなぜ? >>462
記紀の編纂のころにはわかっていた。だから書いてある。
現在不明なのは、「書いてある場所がどこだか分からない」ってことさ。
不明になったのは、仏教の優遇で先祖の祭祀が変わったことが大きいのだろうな。
それでも1500年、1700年も前の、大王でもない人たちの墓さえもが大量に残っている
ってことは大変なことで、宗教心に溢れた民族といえるだろうな。
天理や櫻井に行ってみると感動するぞ。 おもろいよな。
「記紀はうそっぱちで、でっちあげだ!」論者の根拠は、なんと記紀なんだからw >>475
お前のいうように戦国時代並に毎年王朝が変わっていたなら、古い古墳は破壊され
一つも残っていないってことになる。なんせ、王権の権威の象徴なんだから、前王朝の
権威の象徴なんざ残しておくとまずいわけだ。
なのに、1400年も前の古墳がほぼそのままの姿で多数残っている。
王墓だけでなく。 仏教の優遇で先祖の祭祀が変わったとしても現実として古墳は目の前にあるわけだろ?
それを大事に管理さえしていれば場所がわからなくなるなんてことは起こり得ないんじゃないか?
でも実際はわからなくなってる
それはなぜだ?万世一系だ神武だ、なんていうならなぜ古墳が放置されていたんだ、なぜ盗掘されたんだ?となる
日本人の宗教心とは所詮そんなものなのか? >>510
古墳が大量に残っているのは、壊す意味が無かったからでしょうよ。
別に全部が大事にされていたわけじゃない。
>>513
大事に管理ってのはコストがかかるわけで、何百年も前のことはそりゃあ
だんだん、忘れられていくでしょう。記録手段も脆弱だった昔のことだから、
無理もないよ。 たとえば自分たち一族の直系の先祖の古墳だけでも管理できないものか?と思う
お寺や神社だってできるだけ当時の状態のままに保管されて現在に引き継がれているように
古墳だってもし万世一系というのならその一族の分だけでも子孫がしっかり管理しようと思えばできたはず >>512
あれだけ大きいものを破壊するのだって大事業で膨大な税金がかかる
だから放置したのだろうし盗掘し放題だったんだろ >>515
発掘調査と土壌分析で、作ったあとはほったらかしだったことがわかってる >>515
それは君の思いであって、現実は難しいんだよ。
大型前方後円墳ではないが、後世に歴世不変の国忌といわれた
天智・光仁・桓武・仁明・光孝・醍醐の墓でさえ、
確実なのは醍醐と、天智がほぼ確実なくらいで、
あとの現陵は間違いなんだから。
それで万世一系がどうだこうだってのは、ちょっと違う。
平安時代の天皇陵で確実に合ってるのは4分の1程度しかないが、
それに比べれば、古墳時代の天皇陵は、巨大建造物ということもあり
考古学の知見と照らし合わせて、ある程度真陵の候補を提示することができる。
(できないのは神武〜欠史八代と安康・武烈陵くらいのもんだろう)
むしろ良く情報が残ってたもんだと、俺は感心している。 >>518
そういう話しじゃなくてもっとシンプルに考えるとだ
たとえば戦時中は歴代天皇の名前を丸暗記させられた
子供でさえ歴代天皇の名前を空で言えた
まったく天皇家の血筋じゃない縁もゆかりもない一般人のガキでもちょっと教育されれば面倒でも覚えられた
それなら皇族の人間ならテメーの先祖の墓の場所ぐらい先祖代々語り継ぐぐらい朝飯前のはずだ
仮に文献として残しておくことができない文化レベルの低い土人一族であったとしても
口承で親から子へと代々語り継げば墓の場所なんて誰でも記憶できる(教育レベルは高い身分なんだしな)
あれだけ巨大なものだ馬鹿でも覚えられるし馬鹿でも忘れないし(そして一般市民と違って一応馬鹿じゃない)
それがわからなくなるってどういうことだ?テメーらの先祖の墓さえすっかり忘れる鳥頭が万世一系とか恥ずかしくないのか?
だからどう考えても当時は戦国時代で王がコロコロ変わってたと考えるのが自然
武力で覇権を争うなんて世界中で繰り返されてきたことだ
だから王朝が変わるたびに前の権力者やその一族は皆殺しにされて記録も伝承も後世に一切伝わらなかった >>520
記憶するのが容易だということと
実際に記憶し続けるということには関連性はないでしょ
覚えていないということは、重要ではなかったということだね
まあただ、万世一系みたいなのは作り話だと思うけどね
ところで何でそんなに怒ってんの? 個人的には、大坂城の地、大坂本願寺を建てる前にあったとされる古墳が気になる。
かなりの立地だしね。誰の墓だったんだろう。 >>475
おまえんち、家系図ある?
おれんちは14代前までのしか残ってないわorz >>523
うちは34代前までよ
もう五代遡ったらそれ以上前の墓とか分からんで
江戸時代の期間分は先祖墓であるけど。先祖の誰かももうわからない。家系図には戒名書いてないから。
それ以上前は家系図に書いてあるからかろうじてわかるくらいで
居を変えた時、分家した時に失伝してるのが
うかがえる。
文字記録を更新し続ける
書き付けるというのがそれだけ特別だったということでは?
遊牧民は代々男子に先祖代々からの
家系家譜を渡して行く習わしという。
日本ではそういう習わしが定着しなかったということでしょうなぁ。 >>521
この人、最初は、日本書紀編纂時になんで先祖の墓がわからなくなってるの?
と質問から入っておきながら、その実、
わからなくなってるのは王朝が違うからだ、という結論の持ち主だから、
記紀の伝承に一定の評価をしたり、墓がわからなくなるのは中世以降だよ、
とかいう意見には、ご機嫌ナナメ。 >>523
皇統と一般庶民比べて意味あるの?
万世一系だ日本の成り立ちだ言うならその根拠はもっと明確であるべきでは?という当たり前の疑問を呈してるだけ
天皇一族なわけだろ?なぜ代々語り継がれないんだ?そんなことありえるか?仏教式の流入?維持費の問題?
いやいや実際に祭祀を行わなくなっても内々で語り継ぐことは自由にできるし誰も妨害しない
それがなぜできてないんだ?と疑問に思う >>525
怒ってるとかご機嫌ナナメとかそういう次元の話しじゃないんだ
ほんとうに疑問に思うから「そうではない」と思う立場の人間に話を聞きたい
建設的な議論をしたいからな
できれば人格攻撃に走る流れは勘弁してほしい
こんな古代の話なんざお互い利害関係はないのだしムキになったり攻撃的になったり排斥したりする必要もない
こんな過疎スレだフレンドリーにまったりいろんな意見を言い合って楽しもうじゃないか >>526
庶民と較べてスペッシャルとわかっただけでいいじゃないか、
万世一系か否かなんて大した問題じゃないんだよ、
兎にも角にもそうやってこうやって万民が持て囃してしまう存在であればいいの。
ところで古墳時代っていう時代名はいまいちしっくり来ないんだなあ・・・新銀行東京みたいな違和感を覚えるな >>527
話を聞きたいって、結構もう意見が出てるじゃん?
万世一系云々の根拠が明確であるべきでは?っていうのはあなたの意見なので、
そう思うのは自由だけれども、天皇家は実際その根拠を明確にする必要なんて
無かったんじゃないの >>530
まだ出ちゃいないね
どうも万世一系を否定されるのが都合悪いのか感情的になってしまう人間が一部にいる
これは毎度のことでこの手のスレやまとめサイトで同じような古墳の件で指摘すると毎回愛国者諸君に喧嘩を売られて辟易する
そんなどうでもいい個人的な自尊心なんて抜きに純粋にシンプルに疑問に思ったことを意見交換したい
こんな過疎スレで議論しようと別に誰も損しない誰も傷つかない誰の地位も名誉も財産も脅かさない
だからポジショントーク的に自由に気ままにいろんな角度から話が広がるようにしたい
>天皇家は実際その根拠を明確にする必要なんて無かったんじゃないの
それも君の意見だな。万世一系についての根拠は曖昧に、しかしその権威や歴史は尊重してください、という
ある種の政治思想をもった人間たちのご都合主義にみえる
それに本人たちに明確にする意識がなくとも真に万世一系が事実であるなら
そうした意志とは関係なく考古学的にも文献学的にも確固たる証拠が残っていて然るべきじゃないか >>529
>万世一系か否かなんて大した問題じゃないんだよ
だから歴史書の編纂なんて中国を参考に適当に継ぎ接ぎできるし古墳も盗掘し放題ってことかな?
でも万世一系が大した問題だからこそ歴史書で権威付けしたわけだしさ
矛盾してるよやっぱっ 天皇を権威付けしたのは
一定の広さの国を治めるのに
民心の拠り所が必要で
その威光を利用して権力を振るいたい者だろ
その威光をランクアップさせるのが
神話の時代から続く
万世一系ってブランドじゃないのか そもそも万世一系って
もともとは「国民みんなが天皇家の支配下」って意味だからね
後の時代の別の解釈なんて歴史をする上で全く意味がないよね 前方後円墳、昔の人は何を思ってあの形状にしたのだろう?秀逸すぎる >>531
今ひとつ、何を言いたいのかよくわかんないんだけど。
万世一系が事実であるなら→証拠が残っているはずだ、と。
証拠が無いんだから、万世一系は嘘っぱちなんじゃないの。
証拠が見つけられていないだけで、本当は万世一系なんだ。
どっちが正しいかというと、私は、万世一系なんて作り話だと思うなあ。 出雲大社の宮司にできたことがなぜ古墳ではできなかったのかね?先祖への敬意があれば何千年も文化や儀式を保存することは可能ではいないのかね?
職場のおっちゃんに論破されたんだけど反論したい
誰か頼む知恵をかしてくれ >>537
古代中国の宇宙観に「天円地方」思想があり、それをガッチャンコしちゃったんだろうな >>539
古代の出雲大社の宮司の墓は残ってないぞ >>541
なぜ出雲大社のように古墳の祭祀は引き継がれなかったか 中世にいたるまでに専属の祭祀奉仕者がいたかいなかったかの違いが大きいのでは 実際にはいたのにその古墳の一族は皆殺しにされて祭祀が廃れたという可能性もある 古墳は作ったら作りっぱなし
埴輪が壊れようが、草木が生えようが、ほったらかし
古墳で継続的な先祖祭祀はやってない 山岳信仰が根底にあるならむしろ草木は抜かないだろうけど >>548
発掘しても壊れた埴輪を入れ換えてない
周濠内の堆積土の分析ですぐに緑地化してることが判明
発掘しても継続的な祭祀を行っていた痕跡が見つからない
だいたい、日本において先祖の墓を重視し、継続的に墓参りをするようになるのは、かなり新しい風習 地下式横穴墓なんてひどいぞ
新しい遺体を放り込むだけ あんな目立つモニュメント
運よく(?)石室崩落とかしてなきゃ
残らず盗掘されてるだろうなあ 天皇陵、古墳・・・・
どこの話なのか、わからないけど、
盗掘されていると思う
盗掘後、
その上に他の建物を造ったという話があったり、
城などを建てた? されているか、されていないかは、すぐにわかる
『天皇陵 盗掘』検索してみて >>550
古墳はその時代の権力者の権威の象徴なのだから作ったら作りっぱなしであとは放置なんてことはない
それと痕跡が見つからないことと実際に祭祀が執り行われていなかったということとは別
そもそも祈祷をするだけとか鳴り物や踊りなどの儀式だけなら痕跡など残りようがない >>557
>古墳はその時代の権力者の権威の象徴なのだから作ったら作りっぱなしであとは放置なんてことはない
まずはそちらが↑を証明してくれ
>それと痕跡が見つからないことと実際に祭祀が執り行われていなかったということとは別
>そもそも祈祷をするだけとか鳴り物や踊りなどの儀式だけなら痕跡など残りようがない
確かにそうだが、古墳に埋葬や追葬する際のマツリの痕は見つかってるんだよ 藤原道長の墓が荒れ放題で
もうどこにあるのかもわからない
なんて詩が残ってるらしいね。
あまり長々と祭祀を続ける習慣はないみたい。 1600年以上も前の国家黎明期の大王の墓が、ほぼそのままの形で残っていることに
オレなんか感動するけどな。
その一つ一つが出雲大社のように祀られていないことで、戦国時代で前の王一族は
皆殺しになったからだ!なんていうやつがいることに驚くわ。
だったら何で伊勢神宮が残っているんだい?
大神神社は?石上神宮は?諏訪大社、籠神社、熱田神宮その他は何?? >>515
天皇家の力が衰えたからだろうね。
室町時代には南北に別れたり、戦国期には一万石の大名以下だったらしい。
后の数も少なく、分家を作るとか上皇になるようなお金もない状態で、古墳の維持どころじゃ
なかったのだろうな。
奈良時代や明治維新や現在の天皇家だけを見てると、ものすごい権力者に見えるのかもしれんが。
江戸時代は、徳川幕府が天皇家に3万石に加増して、伊勢神宮も遷宮の時は別途大金を
補助していた。
東大寺が現在残っているのは天皇家の財力のおかげではない。
主には庶民が寄付をしたからだ。
今ある大きなお寺は、徳川が作らせたものが多い。
家光の時代は、幕府の歳入の半分近くもお寺建設に使ったこともあったとか。
そのおかげで、現在の伽藍や大門があるが、徳川将軍家は家康が蓄えた資産を使い果たしたとかw
平安時代には陵戸があったらしいが、それさえも出来ないほど力がなくなったってことだわ。
一つの墓に200石いるとして、100以上の墓があるんだから、それだけで2万〜3万石必要だ。 勝手に無検証の前提条件を決め付けて
それへの適否を論拠にして自説を展開するのは
トンデモ電波ガイキチさんによく見られる 中国の兵馬俑とかだとそのまま全部地中に埋めてしまう感じだけどね
埴輪も機能としては同じでしょう >>559
>まずはそちらが↑を証明してくれ
君が自分でレスしてる↓の内容はまさに「作ったら作りっぱなしであとは放置なんてことはない」ことをを説明してる
>古墳に埋葬や追葬する際のマツリの痕は見つかってるんだよ 祭りの跡じゃなくて祭りの場面の埴輪集
埴輪で祭りの再現 >>561
まさにそうした神社のように歴代の宮司や儀式や伝統を引き継ぐのが歴史なわけだよ
それがなぜ天皇家だけ万世一系といいながら古墳が誰のものなのかわからなくなるなんてことが起こるんだ?と聞いてる
神社にできるなら天皇家や子孫たちにできないことはないだろう
いいか?伝統や行事そのものを残せと言ってない「どこどこの古墳は誰誰の墓」ぐらいはしっかりと語り継ぐことはできるだろと言ってる
それができてないで何が万世一系だ何が皇統だと言ってる >>562
天皇の力が強かった古墳時代や飛鳥時代のあたりにしっかり語り継いでおけばよかった
なぜそれができなかったのか
それは万世一系のような直線的な繋がりなど実際にはなく戦国時代のように王朝がコロコロ交代していたからに他ならない
コロコロというのは言いすぎだが実際には大きな体制の変革が何度かあったから神武以降の皇統なんてものは太古に断たれた >>563
キチガイとかいって人格攻撃はやめよう
いつもそうなる
毎回だどのスレでも必ずそうやって個人攻撃に走る
冷静になるんだ
誰も攻撃されてない誰も損をしてない
なぜ?の疑問に、私はこう思うという回答をすればいい
日本人が議論ができないといわれるのは話す内容から離れてすぐ人格攻撃にはしってしまうからだ >>571
なぜ?ってあんたの思ってる通りなんじゃないの >>567
何の証拠もあげられてない
見つかっているマツリの痕は一回分
継続的にマツリが行われていた痕跡はない
>>568
埴輪群像が何を現しているのかは諸説ある
>>569
思い込み以外の根拠をあげような
神社は神社で墓ではないぞ >>574
>神社は神社で墓ではないぞ
神社が今に引き継がれているように文化や伝統の継承というのは普通に可能ということだ
ということは“そこまでのレベルの継承”とはいわないまでも「先祖の墓がどこにあるか」ぐらいの継承は充分可能だ
いい加減この点について見解を聞かせてくれないか?その手前の例え話の時点でずっと足踏みしてる状態だ
いいか?「神社が継承可能なら古墳でも同じレベルの継承ができたはずだ」という部分が勘所じゃないんだ
だから「神社は神社で墓ではない」という反論で勝ち誇る話じゃないんだこれは
重要なのは神社は現代に残ってる←これはつまり語り継ぐことはできるということの何よりもの証明だ
同じように万世一系が事実であるならその子孫は祭祀が廃れようとマツリ事が廃れようと「じっちゃんの墓は○○だ」と子々孫々に語り継ぐことはできるわけだ
語り継ぐだけだ、俺が言ってる条件は
神社レベルの建物だの儀式奉納御璽行事を後世に伝えろなんて言わない
古墳が放置され盗掘され放ったらかしになろうが構わない(先祖を敬わない土人一族らしいから仕方ない)
ただただただ語り継ぐことは可能だろ?と言ってる
万世一系がほんとうなら自分の先祖の墓の場所を記憶することはできるはずだ
記憶する脳みそが小さくても自分の親の分は覚えられるはずだ、そしたらそれを子供に伝えて子供も自分の親の墓だけ覚える
せめて古墳時代や飛鳥、奈良時代まで天皇家が一本線でつながっているならこうして墓と先祖の一致なんてできたはずだ ■ このスレッドは過去ログ倉庫に格納されています