【謎の世紀】古墳時代についてマタ〜リと語ろう 2
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>>537
古代中国の宇宙観に「天円地方」思想があり、それをガッチャンコしちゃったんだろうな >>539
古代の出雲大社の宮司の墓は残ってないぞ >>541
なぜ出雲大社のように古墳の祭祀は引き継がれなかったか 中世にいたるまでに専属の祭祀奉仕者がいたかいなかったかの違いが大きいのでは 実際にはいたのにその古墳の一族は皆殺しにされて祭祀が廃れたという可能性もある 古墳は作ったら作りっぱなし
埴輪が壊れようが、草木が生えようが、ほったらかし
古墳で継続的な先祖祭祀はやってない 山岳信仰が根底にあるならむしろ草木は抜かないだろうけど >>548
発掘しても壊れた埴輪を入れ換えてない
周濠内の堆積土の分析ですぐに緑地化してることが判明
発掘しても継続的な祭祀を行っていた痕跡が見つからない
だいたい、日本において先祖の墓を重視し、継続的に墓参りをするようになるのは、かなり新しい風習 地下式横穴墓なんてひどいぞ
新しい遺体を放り込むだけ あんな目立つモニュメント
運よく(?)石室崩落とかしてなきゃ
残らず盗掘されてるだろうなあ 天皇陵、古墳・・・・
どこの話なのか、わからないけど、
盗掘されていると思う
盗掘後、
その上に他の建物を造ったという話があったり、
城などを建てた? されているか、されていないかは、すぐにわかる
『天皇陵 盗掘』検索してみて >>550
古墳はその時代の権力者の権威の象徴なのだから作ったら作りっぱなしであとは放置なんてことはない
それと痕跡が見つからないことと実際に祭祀が執り行われていなかったということとは別
そもそも祈祷をするだけとか鳴り物や踊りなどの儀式だけなら痕跡など残りようがない >>557
>古墳はその時代の権力者の権威の象徴なのだから作ったら作りっぱなしであとは放置なんてことはない
まずはそちらが↑を証明してくれ
>それと痕跡が見つからないことと実際に祭祀が執り行われていなかったということとは別
>そもそも祈祷をするだけとか鳴り物や踊りなどの儀式だけなら痕跡など残りようがない
確かにそうだが、古墳に埋葬や追葬する際のマツリの痕は見つかってるんだよ 藤原道長の墓が荒れ放題で
もうどこにあるのかもわからない
なんて詩が残ってるらしいね。
あまり長々と祭祀を続ける習慣はないみたい。 1600年以上も前の国家黎明期の大王の墓が、ほぼそのままの形で残っていることに
オレなんか感動するけどな。
その一つ一つが出雲大社のように祀られていないことで、戦国時代で前の王一族は
皆殺しになったからだ!なんていうやつがいることに驚くわ。
だったら何で伊勢神宮が残っているんだい?
大神神社は?石上神宮は?諏訪大社、籠神社、熱田神宮その他は何?? >>515
天皇家の力が衰えたからだろうね。
室町時代には南北に別れたり、戦国期には一万石の大名以下だったらしい。
后の数も少なく、分家を作るとか上皇になるようなお金もない状態で、古墳の維持どころじゃ
なかったのだろうな。
奈良時代や明治維新や現在の天皇家だけを見てると、ものすごい権力者に見えるのかもしれんが。
江戸時代は、徳川幕府が天皇家に3万石に加増して、伊勢神宮も遷宮の時は別途大金を
補助していた。
東大寺が現在残っているのは天皇家の財力のおかげではない。
主には庶民が寄付をしたからだ。
今ある大きなお寺は、徳川が作らせたものが多い。
家光の時代は、幕府の歳入の半分近くもお寺建設に使ったこともあったとか。
そのおかげで、現在の伽藍や大門があるが、徳川将軍家は家康が蓄えた資産を使い果たしたとかw
平安時代には陵戸があったらしいが、それさえも出来ないほど力がなくなったってことだわ。
一つの墓に200石いるとして、100以上の墓があるんだから、それだけで2万〜3万石必要だ。 勝手に無検証の前提条件を決め付けて
それへの適否を論拠にして自説を展開するのは
トンデモ電波ガイキチさんによく見られる 中国の兵馬俑とかだとそのまま全部地中に埋めてしまう感じだけどね
埴輪も機能としては同じでしょう >>559
>まずはそちらが↑を証明してくれ
君が自分でレスしてる↓の内容はまさに「作ったら作りっぱなしであとは放置なんてことはない」ことをを説明してる
>古墳に埋葬や追葬する際のマツリの痕は見つかってるんだよ 祭りの跡じゃなくて祭りの場面の埴輪集
埴輪で祭りの再現 >>561
まさにそうした神社のように歴代の宮司や儀式や伝統を引き継ぐのが歴史なわけだよ
それがなぜ天皇家だけ万世一系といいながら古墳が誰のものなのかわからなくなるなんてことが起こるんだ?と聞いてる
神社にできるなら天皇家や子孫たちにできないことはないだろう
いいか?伝統や行事そのものを残せと言ってない「どこどこの古墳は誰誰の墓」ぐらいはしっかりと語り継ぐことはできるだろと言ってる
それができてないで何が万世一系だ何が皇統だと言ってる >>562
天皇の力が強かった古墳時代や飛鳥時代のあたりにしっかり語り継いでおけばよかった
なぜそれができなかったのか
それは万世一系のような直線的な繋がりなど実際にはなく戦国時代のように王朝がコロコロ交代していたからに他ならない
コロコロというのは言いすぎだが実際には大きな体制の変革が何度かあったから神武以降の皇統なんてものは太古に断たれた >>563
キチガイとかいって人格攻撃はやめよう
いつもそうなる
毎回だどのスレでも必ずそうやって個人攻撃に走る
冷静になるんだ
誰も攻撃されてない誰も損をしてない
なぜ?の疑問に、私はこう思うという回答をすればいい
日本人が議論ができないといわれるのは話す内容から離れてすぐ人格攻撃にはしってしまうからだ >>571
なぜ?ってあんたの思ってる通りなんじゃないの >>567
何の証拠もあげられてない
見つかっているマツリの痕は一回分
継続的にマツリが行われていた痕跡はない
>>568
埴輪群像が何を現しているのかは諸説ある
>>569
思い込み以外の根拠をあげような
神社は神社で墓ではないぞ >>574
>神社は神社で墓ではないぞ
神社が今に引き継がれているように文化や伝統の継承というのは普通に可能ということだ
ということは“そこまでのレベルの継承”とはいわないまでも「先祖の墓がどこにあるか」ぐらいの継承は充分可能だ
いい加減この点について見解を聞かせてくれないか?その手前の例え話の時点でずっと足踏みしてる状態だ
いいか?「神社が継承可能なら古墳でも同じレベルの継承ができたはずだ」という部分が勘所じゃないんだ
だから「神社は神社で墓ではない」という反論で勝ち誇る話じゃないんだこれは
重要なのは神社は現代に残ってる←これはつまり語り継ぐことはできるということの何よりもの証明だ
同じように万世一系が事実であるならその子孫は祭祀が廃れようとマツリ事が廃れようと「じっちゃんの墓は○○だ」と子々孫々に語り継ぐことはできるわけだ
語り継ぐだけだ、俺が言ってる条件は
神社レベルの建物だの儀式奉納御璽行事を後世に伝えろなんて言わない
古墳が放置され盗掘され放ったらかしになろうが構わない(先祖を敬わない土人一族らしいから仕方ない)
ただただただ語り継ぐことは可能だろ?と言ってる
万世一系がほんとうなら自分の先祖の墓の場所を記憶することはできるはずだ
記憶する脳みそが小さくても自分の親の分は覚えられるはずだ、そしたらそれを子供に伝えて子供も自分の親の墓だけ覚える
せめて古墳時代や飛鳥、奈良時代まで天皇家が一本線でつながっているならこうして墓と先祖の一致なんてできたはずだ 墓にたいして執着がなかったんじゃねーかな
ニライカナイや黄泉比良坂があの世だったわけで >>576
確たる証拠がないのだから思い込みは当然だ
その上で>>577みたいに回答してほしいから聞いてる
なぜ○○なのか?について「思い込みじゃねーか」では話が進まない
思い込みかどうかなんてどうでもいいそこに拘っていない(だから思い込みということにしたいなら思い込みとしたらいい)
聞きたいのはその先だ
なぜ語り継ぐことさえしなかったのか?についての>>576の意見を書き込んでほしい
2ちゃんはここで止まるから議論ができない(必ず個人攻撃やどうでもいい言葉の一部分に噛み付くだけで終始してしまう)
思い込みだというのなら思い込みで結構、その上でどう思うかを書いてほしい
「戦国時代のようではなかった万世一系として先祖代々皇統が途切れることなく続いてきた」
それなら古墳の文化が廃れたとしてなぜ子孫たちが先祖の墓について語り継ぐことさえしなかったのか
あんな巨大な公共事業を要する古墳を作っておいて墓に執着がないというのは無理がある >>578
いや、執着がないのには無理がないよ
子孫が墓に構ったって自分の生きていくことに利益が無くなったんだな
もし利益があったんなら構っただろうね お前は「墓を大事にしてるはずだ」って勝手に決めつけて、
あとはその思い込みに沿ったことしか主張してないじゃんか
古墳時代は墓を大事にしていないと指摘されても、そんなはずはない、と思い込みで否定するだけ
否定するなら否定するだけの事実に基づいた根拠をあげろよ 地元に限って言えば、「アユ」「アイ」に相当する地名の所に古墳がある。
同時に同じ人物を神として祀った神社もある。
この辺りから推測するに、古代は山岳信仰と故人の祭祀は同一視されていて、
人工の山=古墳に「会いに」行く文化があったと思われる。
おそらく生活の主体である山に再生と集落の守護の想いを託したものであろう。
出雲大社や大山祇神社、熊野神社など、各地のもと土着信仰が山岳信仰であり、
その後大和式の神道に組み込まれたものは数多く見られる。
これは先祖への信仰を守る人々を懐柔しつつ、
古墳式地方支配から大和式中央集権に民衆を組み込んで行く政策の結果だろう。
これは神式の葬儀からさらに仏式の葬儀に置き換わっている現在からも類推される。
つまり古代人は墓=古墳への信仰を捨てた訳ではなく、
政治的に古墳が神社へとすり替えられ、さらに神仏習合される過程で習俗としての古墳祭祀が失われたものと考えられる。 >>575
思い込んでるやつに何を言っても無意味かも知れんがw
1,万世一系を取り立てて主張したのは、江戸時代の勤王思想やその流れをくんだ戦前の国体思想
2,少なくとも、記紀が出来た頃にはどこにあるか知っていた。だから書いている。
3,現在は、書かれた場所が正確には「どこ」だか不明ってことだ。
4.某国の王墓のように一箇所に固まって作ってあれば維持できたであろうが、古墳は
各地に散らばっている。
5.先祖の祭祀は、墓ではなく神社が主流だったと思われる。だから出雲大社や伊勢神宮が残っており、
現在まで引き継がれている。江戸仏教だけが先祖の祭祀だと思い込むのは間違い。
記紀によれば、崇神の時に大神神社を作り、その他各地にたくさんの神社を作らせた。
6,埋め墓こそが最も重要という思想は日本にはなかった
以上 もしかして、現在の「墓石の下に骨壷がある」墓が伝統の墓だと思いこんでるやつなのかな?
あんなのは新しいよ。 そういや弥生時代には甕棺だったか。
古墳時代は古墳に入れない人はどうしたんだろう。 >>587
野ざらしとか行き倒れだけだろ
土葬とか埋葬はされてるよ。 >>588
野晒しがあったかどうかは、遺構も遺物も残らないので、確認しようがない
しかし、平安時代では都の周辺に死体が転がっていた、という話はよくされるな >>580
墓を大事にしてないかどうかは重要じゃない
現実に古墳は存在してるということは誰かの古墳だったわけだ
そして万世一系が2700年前から続いているのなら子孫は古墳を大事にしようがしまいが墓の場所と主の情報は語り継ぐことができるわけだ
しかし実際はそうなっていない「なぜそうなっていないのか?」と問うてる
この部分の話をいい加減したらどうだ?何が不都合なんだ?これこそ思い込みじゃなく現実の現象についての疑問だぞ?
語り継ぐことは可能なのになぜ語り継がれてこなかったのか?これは思い込みじゃない(思い込みと思いたければ思えばいいが)
この現実に対してどう思うか聞いてるだけだ興奮するな冷静に会話をしろ >>580
>古墳時代は墓を大事にしていない
古墳は権力者の墓であり一大公共事業だった
そして祭祀もおこなわれている
それなのに「墓を大事にしていない」というのは暴論
それこそ証拠を出してみろ お前は300年前の先祖の墓の位置を知っているのか? >>592
大事にされてると主張してる方こそ証拠を出せよ >>592
埴輪の交換などのメンテナンスが行われていない
堀の堆積物に分析により、すぐに草木が繁茂していたことが指摘されている
継続的な祭祀の痕跡が見つからない >>595
日本書紀、古事記に墓参りの記事がないことも追加で >>582
>現在は、書かれた場所が正確には「どこ」だか不明ってことだ。
だからなぜそんなことが起こり得るかと聞いてる
万世一系なら先祖の墓を語り継ぐなんて当然のことだ
墓という概念が現在と違っていてもモニュメントとしての受け取り方はしているはずだ(あれだけの巨大な構造物ならな)
それであるとしたら自分の親の墓については一般的な教養として子に伝えるしその子もその下の代に語り継ぐことはするはず
なぜそれをやらなかったと聞いてる
これは思い込みでもなんでもない現実として墓と持ち主が一致しなくなってるなんてカルトな状況になってる
それはなぜか?と聞いてる
万世一系、皇統、そしてやんごとなき身分の人間は教育レベルも当然その時代時代で高いはず
それならなぜ自分の近い先祖の墓(繰り返す。墓じゃなくてもモニュメントとしての興味でいい)がデカデカと存在するなら
それについての関心や好奇心もあるだろうしそれを知識として得て自分の子孫へ伝えるのは容易なはず
なぜそれをやらなかったのか?を聞いてる 日本書紀にも延喜式にも陵墓の位置は記載されているのに
何をもって「実際はそうなっていない」というのか?
陵墓以外の豪族の古墳なんて、ごく一部を除いてまったく伝承されてないのに >>594
あれだけの巨大な構造物を大勢の人間で作っておいて大事にしなかったは無理がある
それなら盗掘で済むどころか古墳そのものが現在まで残ってない
さすがに古墳は大事にされてなかったは為にする無意味な暴論だぞ >万世一系なら先祖の墓を語り継ぐなんて当然のことだ
決めつけ
>墓という概念が現在と違っていてもモニュメントとしての受け取り方はしているはずだ
決めつけ
>それであるとしたら自分の親の墓については一般的な教養として子に伝えるしその子もその下の代に語り継ぐことはするはず
決めつけ >あれだけの巨大な構造物を大勢の人間で作っておいて大事にしなかったは無理がある
決めつけ
>それなら盗掘で済むどころか古墳そのものが現在まで残ってない
決めつけ 日本書紀にも延喜式にも誰の陵墓がどこにあるかは記載されている >>595
大事にする=メンテナンスというのは違う
それは自分に都合よくするための牽強付会にすぎない
先祖の霊を敬って墓の内部や周辺は禁忌として近寄らず日常的に遠くから祈りを捧げることだって「大事にしていた」ことになる 大事にしてたはず、ってのこそ
「自分に都合よくする」ための牽強付会にすぎない >>604
正確な情報として後世に伝わっていない
万世一系がほんとうなら日本書紀を編纂した動機でもある天皇と日本の権威付けのために正確な先祖の墓の位置は重要になるから
子孫はそれを調査して後世に記録として残しておくはず
明治政府がやったように国や集合体の権威付けのためには歴史を再確認し内面化する必要がある
それをやらなかったのはなぜか? 563日本@名無史さん2017/11/18(土) 14:59:09.56>>571
勝手に無検証の前提条件を決め付けて
それへの適否を論拠にして自説を展開するのは
トンデモ電波ガイキチさんによく見られる >>608
だから延喜式の時代まではやってたんだよ >>606
おまえこそ大事にされてない証拠を上げたらどうだ
古墳は現在に残ってるこれが何よりの証拠
上のほうでそのこをを誇ってた奴もいただろう
今になって墓なんて大事にされてなかったはないだろ牽強付会くん >>610
それは今の時代の人間には正確なことはわからないな
そもそも記紀だって天武や持統にとって都合よく書かれている可能性もさんざん指摘されてる
延喜式に書かれたことが絶対正しい真実だ!なんてのはロマンがあって微笑ましい思考だとは思うよ >>612
古墳が現在に残ってる=これが証拠
はい次おまえの番
大事にされてなかった証拠は?これはすごいな学会もびっくりな新説だ >>611
>墳は現在に残ってるこれが何よりの証拠
小さい古墳でも掘り崩すのはかなりの労力が必要
そんなところに労力を投下するのは無駄 さぁ議論できない日本人の悪い部分が出てきたぞ(笑) 実際、機械が導入された戦後になってからあまたの古墳が消滅してるな >>615
だったら古墳を作ることこそ最大の労力の無駄だろ
ほんとに古墳を大事にする文化がないならあんなにボコボコ古墳は作られることはなかった
大事されない=権威付けにならない、となれば当然古墳なんて作られない
はい次お前の番
逃げずに大事されてない証拠を出せ >>614
>これはすごいな学会もびっくりな新説だ
大事にしてたって主張してる学者をあげてみろよ >>619
>だったら古墳を作ることこそ最大の労力の無駄だろ
お前は古墳時代の人間の思想が読み取れるのかよ
学界もびっくりだなw >>619
>大事されない=権威付けにならない
決めつけ
作ることに意義を見いだしていた時代だと評価されているがな 古墳築造はエジプトのピラミッドのように働く代わりに食事を支給する公共事業だったのかも >>618
それ以前から朝廷の陵墓管理は崩壊してるぞ
つまり、答えは死穢のせい 自分の無知を認められないばかりに恥を上塗り
462日本@名無史さん2017/09/11(月) 15:51:05.23
誰か教えてほしんだけど
確か日本書紀を編纂する頃にはもう「どこどこの古墳が誰の墓で〜」とかわからなくなってたんだよね?
でも天皇の墓だけならわかるんじゃないの?先祖の墓なわけでしょ?
仮に文献を残す習慣がなかったとかしても自分の親と祖父の墓ぐらいは知ってるはずだよね?
そしたらそれぞれ下の世代にそれを伝えていけばその知識が蓄積されて結果自然と歴代天皇の墓は遡れるようになってるわけで
なんでそれが途中でわからなくなるわけ?万世一系なんでしょ?先祖の墓でしょ?
463日本@名無史さん2017/09/11(月) 16:09:10.84
>>462
歴代天皇の陵墓は日本書紀に網羅されてますよ。 その後の展開を考えると、無知ではなく結論ありきの思想による行動かと 3世紀から古墳が作られだして、石碑も文書もなく
似たような古墳が畿内周辺に何百と作られてたら
子や孫までの代ならともかく、それ以降は誰の墓かわからなくなっても別に不思議じゃない
古墳製造からすでに何百年何十年たった記紀や延喜式の記述は
正確な部分もあるだろうが、誤記もかなり含まれていると考えるのが妥当 祖霊信仰の強い日本に於いて皇室の先祖達が葬られている古墳が不明になるのは異常なこと
きっと現皇室とは関係のない人たちが埋葬されているのだと思う >>617
ちょっと失礼。
古墳=禁止足地の御神体としてその前段に社殿が造営された神社は意外と(特に田舎には)多く残っています。
例えば、但馬一宮の粟鹿神社(朝来市山東町粟鹿)や、
大阪府富田林の朝日ヶ丘に鎮座の崇神天皇の民の反乱=大蛇の神話と深く係わる、
美具久留御魂神社(祭神は崇神天皇自ら創建に関わり神号をも奉呈した美具久留御魂大神/出雲大神荒魂=大国主神。三輪山のほぼ真西にあり、二上山を挟んで対峙するような形式)
淡路一宮のイザナギ神宮等は、元来粟鹿神社と全く同様な円墳の前段に社殿(本殿)を営んだ形だったのを明治政府があな恐れ多くも古墳を破壊更地にして大神さま方の石室を露にして周りに人工基段を造りその上に本殿を造営(クサイものに蓋をした )
因みにイザナギ神宮は飛鳥の宮を中心にして同じ緯度に東には伊勢神宮(内宮)とほぼ同じ距離、経度の1度で配置されています。 >>623
>そんなところに労力を投下するのは無駄
おまえこそ古墳時代の支配者の気持ちわかるのか?思い込みが激しいな(笑) >>624
>作ることに意義を見いだしていた時代だと評価されているがな
どの学派や学者がどのぐらいの割合で評価してるのかソースを出せ
お前のご都合主義の決めつけの相手してると時間が無駄 >>631
つまり万世一系があったと言いたいのか?結論を書けよ >>633
そういう正論を書くと愛国者()くんが必死に噛み付いてきて議論にならないんだ(困ったものだ) ■ このスレッドは過去ログ倉庫に格納されています