>>478の続き。
興が雄略である証拠→日本書紀で雄略5年に武寧王が誕生とあるが、
武寧王の陵墓誌より、これは462年と判明しており、倭王興の時代である。
武が清寧である証拠→上表文には、にわかに父兄を失うとあるが、雄略の
死後すぐに、清寧の兄の星川皇子が亡くなっており、記述と完全に一致。
逆に雄略はにわかに父兄を失ってなどいない。