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九州王朝ってどこまで信じれるの?
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0451日本@名無史さん
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2018/02/11(日) 14:37:19.77
>>448-449
遣唐使とかで国際交流があった時期は僻地あつかいじゃないだろ
そのあと、異国船を追い返すようになってから僻地あつかいに変わっていく感じじゃなかったか
0452日本@名無史さん
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2018/03/06(火) 20:29:12.92
いや、これ唱えてるやつ頭悪い
理由は中国の公孫氏や卑弥呼あたりの周辺事情を全く考えないただの戦後の「反日天皇侮辱説」としての強弁にしかなってない

理論じゃなく一個一個の主張が強弁にしかなってない
もっといえばこれを主張する連中はただのアンチで、考古学的、歴史学的思考ができない
普通に平行的な学力ないやつが主張する馬鹿を騙す強弁で、むしろ今日の考古学的検知で成立しない

論理の破綻した侮日説にしかなってない。

@主張は白村江配線までは九州王朝の歴史で、以後壬申の乱で大和王朝がいれかわったとかいう「トンデモ」説
A主張の一つ一つがあまりにも考古的検知に基づかず、むしろ日本書紀の考古的合致性がでてくるのに
「強弁否定」で証拠性を無視
B王朝塗り替え説が成立しうる科学根拠性がない。単にちょっとの思考力があれば「古い時代の小さな資料矛盾」は記録と確認の不確実でおこるむしろ世界中の当たり前
なのにその当たり前をみれば矛盾→批判→突飛理論→世間の関心で金を儲けたい心理で嘘を唱える狂人にすぎない

この主張者らは左翼、まおいすとらと同様のただの敗北主義反戦安置暴力主義者にすぎない
理論ですらない
0453日本@名無史さん
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2018/03/07(水) 08:04:16.79
【白村江の戦いと倭国滅亡】

663年に白村江において行われた倭・百済と唐・新羅の決戦で倭国軍は大敗した。
自ら前線に赴いていた筑紫君薩夜麻が捕虜となり8年にわたり唐に抑留された。
筑紫には唐から郭務悰ら2000人の使節団が駐留したが、畿内大和ではなく筑紫を占領したのは、そこが倭国の首都だったからである。

668年、筑紫の使節団は帰国し、中大兄皇子は天智天皇として即位したが、その翌年には筑紫都督府が置かれ、同じ敗戦国の百済に置かれた熊津都督府と同様に唐の統治制度として機能し、倭国は独立国としての権限を喪失した。
旧唐書には倭国と日本国が分けて記載され、「日本は旧小国、倭国の地を併せたり」とある。
三国史記の新羅本紀には「670年、倭国が国号を日本と改めた」、新唐書にも670年に「日本と號す」とあるが、国内にはその記録がない。

671年に天智天皇が死亡、翌年にはその王子である大友皇子を殺した大海人皇子(天武天皇)が実権を握った(壬申の乱)。
天武天皇は対外的な国史としての日本書紀(漢文)を編纂させ、歴史上の天皇への漢風諡号の制定などを行った。
日本書紀の最大のトリックは、神武東征より後の筑紫倭国の歴史を抹消することであった。
日本書紀の編纂と並行して禁書令が出され、8世紀初頭に記紀以外の多くの古代の記録が失われた。
倭国の政治および文化を継承するために、筑紫から多くの文物、人物、建物、地名が平城京に移動された。

筑紫が679年に水縄断層系によるM7.1の筑紫大地震、畿内が684年に南海トラフ地震と推定されているM8.4の白鳳大地震により被災している。
筑紫は震災からの復興もままならなず没落したと考えられる。

701年の大宝律令で行政単位が評から国・郡に改称され、九州から関東までの中央集権国家としての畿内政権が誕生する。
この大倭の表記が大和とあらためられ、以前から筑紫倭国に対して近畿を示すために用いていた日本国が列島全体の統一王朝の国号となり、ヤマトは畿内の地名に変化した。
こうして筑紫倭国は滅亡し、その権益は唐に朝貢(遣唐使)を再開する畿内大和政権が継承した。
0454日本@名無史さん
垢版 |
2018/03/07(水) 23:04:23.06
https://gigazine.net/news/20180306-fake-news-hard-to-correct/
「フェイクニュース」によって生まれた誤った認識は認知能力が高くなければ正すことが難しい

って話が出てきたが、いまどき古田説を信仰してる人らも「誤った認識を正すことができない人」の類型のひとつだな
ちゃんとしてるヒトは古田説を見限って去っちゃってるよ。
0455日本@名無史さん
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2018/03/08(木) 08:49:04.47
ではなぜ唐は都督府を大和ではなく筑紫に置いたのか。
その時点で筑紫が倭の中心と見ていたからではないのか。
畿内説の主張は、史書の記事と矛盾が多い。
0456日本@名無史さん
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2018/03/08(木) 19:15:17.37
そもそも筑紫の都督府を置いたのが唐と決め込む根拠すら示さないで決めつけるなよ
0457日本@名無史さん
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2018/03/08(木) 21:06:27.40
百済、倭など敗戦国に順に置いたんだよ。
日本側が主体ならそんなことにはならない。
0458日本@名無史さん
垢版 |
2018/03/08(木) 21:16:10.87
wiki 熊津都督府

熊津都督府(ゆうしんととくふ)は、唐が百済を滅ぼした後、現在の忠清南道に相当する百済旧域の管理を目的に設置した植民地。
唐が高句麗と百済を滅ぼした後、旧高句麗領を安東都護府、旧百済領を熊津都督府、新羅も藩属国から鶏林州都督府へ切り替え、
半島全域を羈縻州としたため、一時的に朝鮮半島から国はなくなった。

で、ほぼ同時に敗戦国である筑紫都督府も置かれたわけだけど、これでどうして日本側が設置したと思えるんだい?
そもそも都督は中国皇帝が任命する官位だし。
0459日本@名無史さん
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2018/03/08(木) 21:18:57.91
>これでどうして日本側が設置したと思えるんだい?

倭の五王が都督府を自称していたのだから
その頃から都督府と自称していたのだろうから。
0460日本@名無史さん
垢版 |
2018/03/08(木) 21:22:48.62
実際には倭の五王の都督は認められず、倭の敗北後に都督が置かれたのだから、皮肉なもんだ。
0461日本@名無史さん
垢版 |
2018/03/08(木) 21:29:04.72
>>460
実際には認められているね
五王全員が都督と叙任されているのだから

あんたの説は大崩壊
0462日本@名無史さん
垢版 |
2018/03/08(木) 21:31:53.69
太宰率(の前身である筑紫率、筑紫大宰や筑紫総領なども?)の「唐名」として都督と呼んでる史実があるので、地方官たる太宰府のことを「唐名」筑紫都督府と呼んだことがあってもおかしくない。

唐から日本列島側に来た兵員数では桁違いに少なすぎて占領とか役所設置とかできるはずがないし、表記ゆれとしか思えないね

>日本側が主体ならそんなことにはならない。
という理屈は成立しないので、依然として「不明」のままだよ
0463日本@名無史さん
垢版 |
2018/03/08(木) 21:33:06.81
使持節都督倭・百済・新羅・任那・加羅・秦韓・慕韓七国諸軍事安東大将軍倭国王

倭はいいとして
百済・新羅・任那・加羅・秦韓・慕韓

まで含まれると日本人以外のある国の人にとっては発狂もの

つまりはそういうこと
>>458
0464日本@名無史さん
垢版 |
2018/03/08(木) 21:40:50.29
奈良時代以降は筑紫率は日本側が置いた地方官だろう。
ただ、東アジアのグローバルな状況を見れば、白村江直後の筑紫都督府は唐が置いたとしか考えられない。

そもそも都督は列島と半島の支配者として倭の五王が名乗っていたわけで、唐から見れば地方官だが極東のトップの地位になる。
それを都督は地方官などと言って矮小化するから誤解を生む。
0465日本@名無史さん
垢版 |
2018/03/08(木) 21:43:19.05
東アジアのグローバルな状況を見れば、筑紫都督府は唐が置いたとは考えられない。

白村江の後も、高句麗やら西方やらで唐は大規模戦争の連続で、
はるか日本へ占領軍を派遣する余裕など皆無。

そして文献にも記載は皆無。

>>464
日本人じゃない人、お疲れ様です!
0467日本@名無史さん
垢版 |
2018/03/08(木) 21:48:22.44
率と帥は同じ意味で発音も同じ。
邪馬台国時代に伊都国に置かれていた大率も、倭国の中の地方官ではなく、倭国の女王(引きこもり卑弥呼)に次ぐ実権を持っていた。
つまり大率が置かれた伊都国が倭国の中心であった。
中国から見れば、筑紫が一貫して倭の都だった。
0469日本@名無史さん
垢版 |
2018/03/08(木) 21:49:38.00
>>465
>そして文献にも記載は皆無。

筑紫に二千人の人員が派遣されたことは文献にあるよ。
0470日本@名無史さん
垢版 |
2018/03/08(木) 21:50:03.90
>>468
根拠は?
0471日本@名無史さん
垢版 |
2018/03/08(木) 21:53:49.11
>>469
二千人で筑紫制圧は無理
0472日本@名無史さん
垢版 |
2018/03/08(木) 22:01:23.46
日本人じゃない詐欺師の人がんばるねーw

卑弥呼邪馬台国に始まる
筑紫の支配者を蹴落としたくて蹴落としたくて必死なんだろうねw
0473日本@名無史さん
垢版 |
2018/03/08(木) 22:11:26.32
すでに降伏した敗戦国に行政府を置くなら、二千人は十分な数だろう。
その後は唐にべったりとしてマメマメしく遣唐使を送るようになるわけだし。
0474日本@名無史さん
垢版 |
2018/03/08(木) 22:13:37.92
>>473
降伏したという証拠は?
なんか城とか一杯作ってるんだけど?

降伏したならそんな国家事業やらないよね?

行政府の長官の名前は残っているのかな?





日本人じゃない人に聞いていいのだろうかw
0475日本@名無史さん
垢版 |
2018/03/08(木) 22:17:34.25
思いっきり広く考えれば、後漢に朝貢した帥升、邪馬台国時代の大率、筑紫帥まで筑紫倭国の事実上のトップの称号なんだよ。
奈良時代以降は太宰帥は九州の行政官としての名称になったけれど、それは倭国が九州であった枠組みがスライドしただけ。
0476日本@名無史さん
垢版 |
2018/03/08(木) 22:28:57.11
(唐)の「都督府」とは、(唐)の本土と外蕃の直轄地に置かれた役所で、「都督」は県知事のような もの、同時に軍の長官でもありました。
「都護府」は、外蕃の占領地に置かれた「都督府」であると同 時に、「都護」は何カ所かの外蕃の「都督府」の「都督」を統括する一段上の長官です。
(百済)・(筑 紫)・(新羅)に置かれた「都督府」は、(高句麗)の平城に置かれた「安東都護府」の「都護」の管轄下 に置かれたのです。

「都護府」は(唐)の東西南北の外蕃に置かれ、朝鮮半島に「安東都護府」が置かれたと同時 に、ベトナムに「安南都護府」、タリム盆地に「安西大都護府」、外モンゴルに「安北大都護府」が 置かれています。
西と北の都護府には、「大」の字が被せられ、西洋に通じる「西」と、北方遊牧 騎馬民族に対する「北」が重視され、規模も大きかったことが窺えます。

なお、遣唐使として(唐)に渡った阿部仲麻呂は、中国人に交じって「科挙」の試験を受けて合 格して唐の官吏になり、後年、「安南都護」に就任しています。
(高句麗)・(百済)の王と(倭の五 王)は、「都督」の称号を与えられていますから、仲麻呂は(唐)でその一段上の地位にまで昇進 したのです。
0477日本@名無史さん
垢版 |
2018/03/08(木) 23:18:57.18
>>473
倭国がわは遠征軍が敗退しただけで防衛能力を失うほどではないよ
現に、かなりの規模で防衛体勢をととのえてる
高句麗討伐と同等以上の大規模遠征でもしないと、
つまり何十万もの大軍を送らないと占領なんて無理
0478日本@名無史さん
垢版 |
2018/03/08(木) 23:19:55.02
筑紫の君が捕虜になってしまったからねえ。
0480日本@名無史さん
垢版 |
2018/03/09(金) 07:08:54.58
>>477
高句麗遠征は列島倭国じゃないだろ?
あの時代の技術力考えると、あの規模はムリ
0481日本@名無史さん
垢版 |
2018/03/09(金) 18:52:29.96
>>480
占領するにはそれぐらいの大軍が必要だろうってこと。もちろんそんなの不可能だろうがな
つまり唐の軍事力では倭国の占領は不可能ってこと。
筑紫に都督府を設置するほどの軍事力は唐にはない
0482日本@名無史さん
垢版 |
2018/03/09(金) 22:19:13.45
大体だなあ、「唐帝国は筑紫都督府を設置した」なる記述が、大唐帝国側の政治記録や歴史書にあるのか?

この説、もう根本がダメよな。
0484日本@名無史さん
垢版 |
2018/03/09(金) 22:51:29.66
あるよ。
他の都督府と一緒にね。
0485日本@名無史さん
垢版 |
2018/03/09(金) 23:03:39.57
>>483
遠征部隊が壊滅しただけで防衛部隊がないわけじゃないから抵抗は十分可能だぞ
0486日本@名無史さん
垢版 |
2018/03/09(金) 23:06:33.56
司令官が捕まったから。
0487日本@名無史さん
垢版 |
2018/03/09(金) 23:22:24.78
筑紫君はちほうごうぞくにすぎず、倭王ではないから問題なく防衛できる
0488日本@名無史さん
垢版 |
2018/03/09(金) 23:39:48.86
実際には防衛などせず、唐に尻尾を振って遣唐使を派遣したんだよ。
0489日本@名無史さん
垢版 |
2018/03/10(土) 17:56:37.79
>>480
>高句麗遠征は列島倭国じゃないだろ?
>あの時代の技術力考えると、あの規模はムリ

高句麗遠征は半島南岸多島海地域にいた倭人が半島西岸を渡海して仕掛けた。
0490日本@名無史さん
垢版 |
2018/03/10(土) 19:01:28.67
>>481
占領はされてないけど戦争に負けて
倭王が唐の都督になったて倭の王都が都督府になったんだろう。
0492日本@名無史さん
垢版 |
2018/04/11(水) 17:44:39.18
>>489
>>480
>>高句麗遠征は列島倭国じゃないだろ?
>>あの時代の技術力考えると、あの規模はムリ
>高句麗遠征は半島南岸多島海地域にいた倭人が半島西岸を渡海して仕掛けた。

その通り。

「韓在帯方之南 東西以海為限南與倭接 方可四千里有」魏志韓伝
朝鮮半島南岸多島海地域は、倭と書いてあるよね。
0493日本@名無史さん
垢版 |
2018/04/11(水) 18:15:20.05
でもその倭の都は対馬海峡の南側、倭奴国だよ。
0494日本@名無史さん
垢版 |
2018/04/11(水) 18:32:46.80
>>493

倭人は、対馬海峡の南北両岸に住んでいたと書いてあるのです。
0495日本@名無史さん
垢版 |
2018/04/11(水) 18:38:01.31
>>1
そんなのが本当にありゃそもそも日本側に伝承や記録が残されるわな
0496日本@名無史さん
垢版 |
2018/04/11(水) 18:49:17.53
書いてあるよ。
記紀の神代の都は筑紫の日向の高千穂宮だよ。
0497日本@名無史さん
垢版 |
2018/04/12(木) 17:52:15.63
>>495

九州王朝は西暦700年に畿内王朝に滅ぼされたので、
断片的な記録しか残っておりません。

記紀では「一書」としてその存在が窺がわれるだけです。
0499日本@名無史さん
垢版 |
2018/05/15(火) 22:02:01.60
纏向遺跡で2〜3世紀頃の桃の種がたくさん出土したことで遺跡の年代に対する疑義は終わってしまったな
古田説信者たちの言う巻向新しい説は結局は虚報だったわけだ
0500日本@名無史さん
垢版 |
2018/05/15(火) 23:12:14.85
古い桃の種を100年寝かせてから埋めたのかもしれないだろ
0501日本@名無史さん
垢版 |
2018/05/15(火) 23:25:02.38
腐りやすい果物の代表格である桃を保存するとか、あり得ないから
0502日本@名無史さん
垢版 |
2018/05/15(火) 23:26:32.31
って、果物部分じゃなく種を保存か
動機さえ示せたら、空想の余地があると認めなくはないな
0503日本@名無史さん
垢版 |
2018/05/16(水) 07:55:19.55
どっちにしても卑弥呼とは関係ないけど。
0505日本@名無史さん
垢版 |
2018/05/16(水) 12:41:28.19
せめて、魏志倭人伝に記録されている鉄鏃とか絹とか鏡とか朱が纏向遺跡から出てこないとな。
何一つ邪馬台国らしいものがないからな。
桃の種が出ても、邪馬台国と関係ない建物があったのかな、くらいの話。
0506日本@名無史さん
垢版 |
2018/05/16(水) 13:10:13.09
>>1000
>なんかまた政治思想的な色メガネだろ<

「南→東」などの嘘吐き騙しの大和説は、また、
なんかまた「国粋皇国史観国家」狂の、
政治宗教的な色メガネなんだろ。
0507日本@名無史さん
垢版 |
2018/05/16(水) 18:48:16.58
絹みたいな高級品(当時)は、王墓とか豪族墓の墓室ぐらいじゃないと、まず出てこない
巻向含め畿内の主要な王墓はたいてい宮内庁が立入規制してて発掘不能だから、絹が埋まってても見つからない。

>>506
文献に書かれていることが間違ってるはずがないと決めつけなかったらお前さんのような論法は成立しないよ
間違いを含まない可能性がゼロである以上、お前さんの論が正しい可能性もゼロだ
0508日本@名無史さん
垢版 |
2018/05/16(水) 20:13:27.25
>>507
九州であちこち見つかっているものを、同時代の奈良盆地では見つからないわけだけどね。
0509日本@名無史さん
垢版 |
2018/05/16(水) 20:13:55.78
>>507
>間違いを含まない可能性がゼロである以上、お前さんの論が正しい可能性もゼロだ

論理学を理解しないバカ
0510日本@名無史さん
垢版 |
2018/05/16(水) 21:08:59.51
情報に間違いが含まれていることを許容してるなら、「矛盾するから間違い」という論法は使えないだろ
畿内説の人は(一部例外もいるのかもしれんけど)矛盾という言葉を用いないよ
0511日本@名無史さん
垢版 |
2018/05/16(水) 21:23:14.86
畿内説だと...
大国主 そんな人はいません、ただの伝説です
アマテラス そんな人はいません、ただの伝説です
ニニギ そんな人はいません、ただの伝説です
木花咲耶姫 そんな人はいません、ただの伝説です
神武 そんな人はいません、畿内王権は自然発生したのであり、筑紫から流入した勢力などありません
卑弥呼 そんな人はいません、実は◯◯姫で、王宮は纒向4棟だけです

九州説だと...
大国主 筑紫の前の倭王です
ニニギ 倭国の王都を筑紫伊都に定めた倭王です
木花咲耶姫 三雲南小路遺跡にニニギとともに葬られた王妃です
神武 筑紫を出て大和に入りました
卑弥呼 筑紫の日向の伊都でクジフル山に高千穂宮の楼閣高くして千人の奴婢が使え、太陽を象徴する史上最大の「八咫鏡」を持ち、その墓は伊都国代々の王家と同じ方形周溝墓であり古代神道の成立を示す鳥居に守られていました

どっちを信じる?
0512日本@名無史さん
垢版 |
2018/05/16(水) 21:30:48.59
そりゃ九州説ですね。
本当に畿内説がそうなら?
やる気のなさに呆れてしまいます。
0513日本@名無史さん
垢版 |
2018/05/16(水) 21:35:01.29
アマテラスを忘れてました。
アマテラス 卑弥呼がモデルです(八咫鏡つながりです)
0516日本@名無史さん
垢版 |
2018/05/16(水) 22:41:11.85
市民運動で自説を押し通そうとしたり、怒濤の多連続投稿で反論を押し流そうとしたり、自分が言いたいことを押し通すために関連スレをたくさん作ったり、やりたい放題ですな。九州信者って
0519日本@名無史さん
垢版 |
2018/06/27(水) 16:02:32.89
根拠なし
0520日本@名無史さん
垢版 |
2018/06/27(水) 16:03:39.03
畿内説は誹謗中傷ばかりしてないで、自分たちの説を補強したら?
ああ、そうしたくても材料がないのか。
0521日本@名無史さん
垢版 |
2018/06/27(水) 18:35:56.62
もともとは邪馬台国九州説は皇国史観の一部分を占める学説だったんだが、
それを焼き直した古田の説は日本の古代国家による列島統一が韓半島での統一国家出現より後になるという側面からだろうか、
韓人の支持を受けやすい側面をあわせ持ってたわけだよな

その影響で皇国史観派から攻撃されたことでもあったのかして、やたら皇国史観に対する敵愾心が強いけど、
元々の皇国史観は邪馬台国畿内説ではないからな。皇国史観は、あくまでも邪馬台国九州説だよ
0522日本@名無史さん
垢版 |
2018/06/27(水) 18:51:07.98
もともととかはどうでもいい。
現在の九州説は、魏志倭人伝の解釈と考古学的な考察によっている。
政治的に歴史を歪めようとしているのは畿内説。
0523日本@名無史さん
垢版 |
2018/06/27(水) 18:59:43.90
  +       パヨク   +
    +   / ヽ_, ,_l ヽ +
パヨチ━━━//゚\ ll /゚\\━━━ン!!!!  あれだけ九州王朝ガーで騒いだから
  +   /:::::⌒(__人__)⌒:::::\  +      日本史の定説になること間違いなしwww
     <  ヽ  \r┬ヽ、 / >
   +  \      `゙ー'  /    +

.

     │  │  │  │
     │  │  │  │
     │  │  │  │
    ┬────────┬   十┐・・ ヽ  /    |
    |奇痴害陰謀論イラネ |    ノ ノ   _/   ツ !
    \从从从人从入从,/ 。  ,     ━━┓┃┃
      ノ (;;゚  )  (  ゚;;)\ 。 ゚         ┃   ━━━━━━━━
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     ノ   ゚ ヾ'゚     ≦ 三 _ ゚
   /´    。 ≧       三 =-
0524日本@名無史さん
垢版 |
2018/06/27(水) 19:07:50.22
九州王朝説の方が考古学的考察に合うとか言ってたのは80年代のことで、90年代以後の考古学では九州王朝に否定的な研究ばかり出てくるからなあ
0525日本@名無史さん
垢版 |
2018/06/27(水) 19:15:46.72
沖ノ島は世界遺産に登録されたね。
0526日本@名無史さん
垢版 |
2018/06/27(水) 19:41:56.45
考古学的に郡評とか九州王朝説とドンピシャなんですけどね。
0527日本@名無史さん
垢版 |
2018/06/27(水) 20:03:18.97
郡評論争って、論争が始まる前には評の存在すら知られてないし、論争開始後は二択か三択のどれをとるか程度しか予想しようがないシロモノだから、
明らかに門外漢だった古田でも偶然の一致程度の予想は可能だっただろ、たまたま当たった程度だぞ。そんなエセ「ドンピシャ」で誇ってるとか、ザコ過ぎる
0528日本@名無史さん
垢版 |
2018/06/27(水) 20:14:25.33
>>527

負け犬の遠吠えにしか聞こえない。
何も証明できてない。
0529日本@名無史さん
垢版 |
2018/06/27(水) 21:39:00.70
お前さんが例に挙げた郡評論争で古田は論証してたかね、自力で物証を出せる手段など持ってなかった古田が。
0530日本@名無史さん
垢版 |
2018/06/27(水) 21:42:11.02
>>527
>郡評論争って、論争が始まる前には評の存在すら知られてないし、論争開始後は二択か三択のどれをとるか程度しか予想しようがないシロモノだから、

何が悪いんだ?
言いたいことがよくわからないな。
古田を妬んでいるのか?
0531日本@名無史さん
垢版 |
2018/06/27(水) 21:43:27.67
つか、ここって九州王朝説信者が論拠を述べない間は雑談しかできないんじゃないの
結論連呼しかできなくて論拠を説明できないザコ信者では何もできないな
0532日本@名無史さん
垢版 |
2018/06/27(水) 23:18:47.78
偶然の一致?
必然の一致?
0533日本@名無史さん
垢版 |
2018/06/28(木) 06:04:15.05
太宰府で発見された695年の戸籍木簡の地名では、
大和朝廷が制定した郡じゃなくて
評で書かれてたんだよね。
0534日本@名無史さん
垢版 |
2018/06/28(木) 08:29:24.53
白村江から大宝律令までの期間こそ古代史の最大の闇かも知れないね。
筑紫にあった倭国の存在を隠し通すこと、それが歴史改竄の主軸となったのだろう。
0535日本@名無史さん
垢版 |
2018/06/28(木) 08:42:59.26
>>534
>筑紫にあった倭国の存在を隠し通すこと、それが歴史改竄の主軸となったのだろう。

そんなアホなw
奈良藤原京より先の時代、7世紀中頃の阿波の役人は木簡に習字をしていた。
徳島県国府町の観音寺・敷地遺跡から出土した7世紀中頃の論語木簡は、日本で一番古い出土木簡である。
ちなみに、同遺跡から円面硯・風字硯・須恵器蓋転用硯、上級貴族が使用する油杯(燈明)など官衙有数の資料が重要文化財に指定されている。

ではなぜ、奈良藤原京より先の時代に、阿波の地にそれらが存在したのか。

それは、7世紀末頃に阿波から奈良へ遷都(持統朝)する直前まで、阿波に倭の王権・王都があった証である。

阿波国府推定地に隣接する観音寺・敷地遺跡出土品(重要文化財指定)
http://bunka.nii.ac.jp/heritages/detail/213354
http://awakouko.info/modules/webphoto/index.php/photo/203/
http://www.geocities.jp/yasuko8787/kannonzi.htm

こういう事実を示せるのは、倭国(阿波)以外には存在しない。 @阿波
0536日本@名無史さん
垢版 |
2018/06/28(木) 09:53:26.50
長崎県壱岐市のカラカミ遺跡で、漢字の「周」の左半分が刻まれた弥生時代後期の土器片が見つかり、市教育委員会が10日までに発表した。
漢字が記された史料は福岡市の志賀島で出土した「漢委奴国王」の金印(57年)などが知られるが、土器としては国内最古級。

7世紀の竺志前國嶋評の戸籍木簡(太宰府市の国分松本遺跡出土)
大宝2年の筑前國嶋郡川邊里の戸籍(正倉院文書)

701年を境に「評」が「郡」へ、「竺志前國」が「筑前國」へ表記が変わってる
平城京跡から出土する木簡も「筑紫」となってる。
0537日本@名無史さん
垢版 |
2018/06/28(木) 10:44:25.63
九州王朝ってどこまで信じれるの?=宇宙人やネッシーってどこまで信じれるの?
0538日本@名無史さん
垢版 |
2018/06/28(木) 10:54:08.35
畿内説ってどこまで信用できるの?
0540日本@名無史さん
垢版 |
2018/06/28(木) 11:19:16.24
根拠なし
0541日本@名無史さん
垢版 |
2018/06/28(木) 12:11:12.53
>>536
つまり、壬申の乱で九州王朝が滅んだあとも何年かの間は評とか「竺志前國」とか使われてるわけだよな

>701年を境に「評」が「郡」へ、「竺志前國」

九州王朝説と合わないんじゃないか?
0542日本@名無史さん
垢版 |
2018/06/28(木) 12:40:12.34
九州王朝説は701年の大宝律令により政権交代が完了したという説が多いね。
0543日本@名無史さん
垢版 |
2018/06/28(木) 12:46:35.09
そうすると、701年より前に死んだ天武天皇の時代が中途半端になってしまうだろ
九州王朝を滅ぼしたあとも不思議なことに天武天皇の時代を通してずっと、
天武天皇と無関係なはずの九州王朝時代の法律を使い続けてるとか、異常だぞ
0544日本@名無史さん
垢版 |
2018/06/28(木) 12:49:17.23
壬申の乱とか乙巳の変とか実際にあった年をずらしてるみたいですね。
0545日本@名無史さん
垢版 |
2018/06/28(木) 12:50:31.73
信じるのも何も、そんな王朝はないんだけど



もういいから、はやく頭の病院に行け
0546日本@名無史さん
垢版 |
2018/06/28(木) 12:52:28.93
天武が筑紫倭国と無関係だなんていう主張は初めて聞いた。
0547日本@名無史さん
垢版 |
2018/06/28(木) 12:53:26.85
ちなみに頭の病院というのは

精神科?精神病院というところだよ
0550日本@名無史さん
垢版 |
2018/06/28(木) 15:04:00.91
>>546
すると壬申の乱は九州王朝内部の争いで、畿内とは無関係なんか
畿内は武力を用いないで九州王朝を制圧したわけか?

次々とおかしな話に化けていくな
0552日本@名無史さん
垢版 |
2018/06/28(木) 15:19:28.78
九州王朝というのは無いと言ってるんだよ、
当時の王朝の話でしょ、無いと書いてあるはず
0554日本@名無史さん
垢版 |
2018/06/28(木) 15:27:43.14
壬申の乱は九州王朝内部の争いで
それの一方に天武が加勢して勢力を拡大
九州倭王を畿内に呼んで乙巳の変で暗殺
日本書紀では壬申の乱と乙巳の変の順序を入れ替えてある
持統が九州倭王家からの嫁で(継体持統で「血統をよくぞ繋げてくれた」の4文字熟語)
天武と持統の子が王位を継ぐ条件で勢力したがその子が先に死亡で乙巳の変
0555日本@名無史さん
垢版 |
2018/06/28(木) 15:40:52.15
壬申の乱という武力衝突もあったわけだが、誰が九州側で誰が畿内側か、明確ではない。
現代の政治争いでもそうだが、事情はもっと複雑になっていただろう。
紀元前以来ずっと博多湾沿岸にあった倭国から、畿内の日本国への政権交代が、簡単に行われたわけがない。
ソ連からロシアへの交代だって、後世から振り返ればシンプルに説明できるけれど、当時は武力衝突も含めて混沌としていた。
0557日本@名無史さん
垢版 |
2018/06/28(木) 15:46:52.80
現代政治では、社会党の村山政権とか、民主党の鳩山政権があったが、ほとんど黒歴史となり、なかったことも同然の扱いだろ?
同様に、唐に習って律令国家となった日本国にとって、唐と戦争をしていた倭国政権なんて、なかったことにしたい黒歴史だったろう。
筑紫に王都があった時代を数百年とか数万年前に設定して日本書紀を書けば、数世代も経てば筑紫倭国のことなどただの架空の伝説としか思われなくなるだろう。
まさか21世紀になって、考古学者が1世紀や3世紀の王墓を発掘してしまうとは、予想していなかったのだろう。
0558日本@名無史さん
垢版 |
2018/06/28(木) 15:47:51.11
>>556
宗教ということにしたいだけでしょ?
それって、考古学的な根拠がない畿内説という宗教なんだよ。
0559日本@名無史さん
垢版 |
2018/06/28(木) 15:48:16.82
卑弥呼登場までの王墓は筑前にのみ存在する。

筑後は祇園山古墳がギリギリ3世紀後半から4世紀前半。
肥後は5世紀になってから。

肥前豊前などは筑前に近すぎるがために早期から衛星国となり、
支配者は筑前に在住していたのだろう。

考古学的には、各地に王が乱立して、次第に統合されたのではなく、
筑前に王が出現し、筑前から各地を併合して支配官を配していったことが明らかである。

九州説者がよく指摘する
「其國本亦以男子為王 住七八十年」
は非常に重要な情報である。

邪馬台国の比定地は、卑弥呼登場に伴って突然王墓など栄える場所ではなく、
卑弥呼以前から男王が存在した王家の地なのである。

その条件を満たす場所は、
三雲南小路→井原鑓溝の男王墓から、
平原女王墓へと連続する伊都のみである。

邪馬台国とは、伊都を首都とする北部九州〜対馬海峡国家であったことは
考古学的にも文献学的にも疑う余地が全く無い。
0560日本@名無史さん
垢版 |
2018/06/28(木) 15:48:41.18
最初の王都として福岡平野に吉武高木遺跡(紀元前2世紀)、奴国と考えられている須玖岡本遺跡(紀元前2〜1世紀)があり、
後に高祖山をはさんだ西側の糸島平野に移動して伊都国とされる三雲南小路遺跡(紀元前1世紀の王・王妃墓)、井原鑓溝遺跡(紀元1〜2世紀の王墓)、平原遺跡(紀元2〜3世紀の女王墓)がある。
三雲南小路遺跡の甕棺墓から発見された内行花文鏡には「見日之光天下大明」という銘文があり、太陽光を象った鏡であることがわかる。内行花文鏡は中国で王侯に下賜されていた形式であり、倭国が漢王朝の冊封の元での祭政一致王権をとっていたことがわかる。
昭和40年(1965年)に平原遺跡から出土した最大の内行花文鏡は国産と考えられている。その円周が漢代の8咫(直径1尺の円の円周が4咫)に相当することから、記紀などにおいてアマテラスがニニギに与えたとされる八咫の鏡であると考えられている。
かつては八咫は単に大きいことを意味するだけだという説もあったが、この鏡の出土により実際に円周がちょうど八咫である鏡が実在したことが確認された。
これらの王朝は高祖山の東側の福岡平野の奴国に成立し、後に西側の糸島平野の伊都国に移動しているが、出土品や墓制が同じであることから基本的には一連の王権であると考えられる。
三種の神器は現在の天皇家においても象徴とされており、倭国王権の起源は稲作伝来の地でもあるこれら博多湾・玄界灘周辺にあったことになる。
これが卑弥呼が女王となった倭国の姿である。
0561日本@名無史さん
垢版 |
2018/06/28(木) 15:49:20.41
旧唐書

倭国はいにしえの倭奴国のことである。
四方の小島五十余国は皆、倭国に属していた。倭国の王の姓は阿毎(あま・あめ)氏で、一大率を諸国において検察させている。小島の諸国はこれを畏怖している。

日本国は倭国の別種である。
その国は日の昇る方にあるので、「日本」という名前をつけている。
あるいは「倭国がみずからその名前が優雅でないのを嫌がって、改めて日本とつけた」ともいう。
またあるいは「日本は古くは小国だったが、倭国の地を併合した」とも。

新唐書

王姓は阿毎氏、自ら言うには、初めの主は天御中主と号し、彦瀲に至り、およそ三十二世、皆が「尊」を号として、筑紫城に居住する。
彦瀲の子の神武が立ち、あらためて「天皇」と呼ぶようになり、都を大和州に遷した。
0562日本@名無史さん
垢版 |
2018/06/28(木) 15:49:29.74
べつに批判するつもりはないんだけど、
何という宗教(宗派)の工作員なんだ?
0563日本@名無史さん
垢版 |
2018/06/28(木) 15:51:13.13
他のスレにも書いている事なんだけど、
そろそろ刑務所(死刑)に行ったほうが良いんじゃないのか?
0564日本@名無史さん
垢版 |
2018/06/28(木) 15:51:18.85
ま、紀元前以来ずっと博多湾沿岸にあった倭国なんてものは現代痴呆人の空想の中にしかないからな
できの悪いラノベ同様言いたい放題なのだが
すぐ辻褄が合わなくなる
設定変更を繰り返すが
結局醜態をさらす
0565日本@名無史さん
垢版 |
2018/06/28(木) 15:55:07.16
>>562
プルタ心理教
0566日本@名無史さん
垢版 |
2018/06/28(木) 15:55:27.88
後漢書

倭在韓東南大海中依山㠀為居凡百餘國 自武帝滅朝鮮使驛通於漢者三十許國 國皆稱王丗丗傳統其大倭王居邪馬臺國(案今名邪摩惟音之訛也) 楽浪郡徼去其國萬二千里其西北界狗邪韓國七千餘里 其地大較在會稽東冶之東與朱崖儋耳相近故其法俗多同

「倭は韓の東南、大海の中にある。山島に居住して、すべてで百余国。武帝が(衛氏)朝鮮を滅ぼして以来、漢と交流のあったのは三十国ほどである。国はみな王を称し、代々受け継いでいる。その大倭王は邪馬台国に居る(今の名を案ずると、ヤマユイ音のなまりである)。
楽浪郡の境界は其の国を去ること万二千里。その西北界の狗邪韓国を去ること七千余里。その地は会稽、東冶の東にあり、朱崖、儋耳に近く、法や習俗に同じものが多い。」

建武中元二年,倭奴國奉貢朝賀,使人自稱大夫,倭國之極南界也。光武賜以印綬

大倭王は邪馬台国にいる。
楽浪郡の国境は、その国(邪馬台国)から一万二千里である。
倭国の西北界である狗邪韓國からは七千里である。
倭奴国は倭国の極南界である。
0567日本@名無史さん
垢版 |
2018/06/28(木) 15:56:23.71
畿内に弥生王墓はない。
福岡県にだけ弥生王墓がある。
弥生時代の倭国とは、福岡県と対馬海峡。
0568日本@名無史さん
垢版 |
2018/06/28(木) 15:59:16.70
高天原(海の国)のアマテラス(海の王)は、親戚の大国主が治める稲穂が豊かに茂る陸上(豊葦原中国)が欲しくなった。
そこで船で軍勢を送り脅し、降伏した大国主を殺して国を取った(出雲の国譲り)。
そして孫のニギハヤヒを関西に、孫のニニギを九州に王として派遣した。
奈良盆地には大国主の一族(三輪山の神、富美の一族)が生き残っていて、ニギハヤヒを王として迎えた(後の物部大連家)。
九州に降ったニニギの末裔であるイワレヒコは、九州倭国の戦乱(倭国大乱)で九州を逃れて、奈良にいた親戚のニギハヤヒ一族を頼って落ち延びてきた(後の天皇家)。
蘇我大臣家がいつ頃奈良盆地に来たのかは分からないが、筑紫にいた武内宿禰の末裔と言われる。
古代のヤマト王権はこれらの家系により共同で運営されていた。
蘇我大臣家と天皇家が物部大連家を滅ぼし(物部戦争)、次に天皇家が蘇我氏を滅ぼした(乙巳の変)。
こうして天皇家が畿内の覇者となった。
0569日本@名無史さん
垢版 |
2018/06/28(木) 18:11:50.98
結局、九州王朝信者は結論連呼しかできないわけだ
論拠を出せと言われて出す論拠っぽいものすら、なぜそう言えるのか説明できなくて、連呼だけ。
0570日本@名無史さん
垢版 |
2018/06/28(木) 18:47:26.65
後漢書や旧唐書が根拠だろ。
0572日本@名無史さん
垢版 |
2018/06/28(木) 21:23:02.29
文献は一切信用できないキナイコシ
0573日本@名無史さん
垢版 |
2018/06/28(木) 21:43:53.03
>>566
>その地は会稽、東冶の東にあり、朱崖、儋耳に近く、法や習俗に同じものが多い。

会稽東冶は、寧波舟山群島である。
朱崖は、福建省寧徳市 霞浦県 赤岸村である。広東省ではない。台湾台北市北北西250q
儋耳は、福建省寧徳市 東沖半島である。海南省ではない。台湾台北市北北西230q
0574日本@名無史さん
垢版 |
2018/06/28(木) 23:22:54.64
>>561
>日本国は倭国の別種である。
>その国は日の昇る方にあるので、「日本」という名前をつけている。
>あるいは「倭国がみずからその名前が優雅でないのを嫌がって、改めて日本とつけた」ともいう。
>またあるいは「日本は古くは小国だったが、倭国の地を併合した」とも。
0576日本@名無史さん
垢版 |
2018/06/28(木) 23:49:34.34
>>572
文献の本文はともかく古田流の曲解珍読は信用できないからしかたないね
0577日本@名無史さん
垢版 |
2018/06/28(木) 23:50:41.77
どこがどう珍解釈なのか説明してよ。
0579日本@名無史さん
垢版 |
2018/06/29(金) 00:34:10.06
そんなものは初耳だしどうでもいい。
話を逸らすなよ。
0580日本@名無史さん
垢版 |
2018/06/29(金) 00:35:36.71
大倭王は邪馬台国にいる。
楽浪郡の国境は、その国(邪馬台国)から一万二千里である。
倭国の西北界である狗邪韓國からは七千里である。
倭奴国は倭国の極南界である。
0582日本@名無史さん
垢版 |
2018/06/29(金) 01:29:54.42
古田流だとは思っていないし、伊都が倭の首都だと思っている。
(古田は伊都を首都だと思っていなかった)
0583日本@名無史さん
垢版 |
2018/06/29(金) 01:34:25.64
海上部族である天津神が出雲を攻略して陸上の支配権をも奪ったのが出雲の国譲り。
かくして筑紫の日向に倭国統一政権が誕生したわけです。
ただしこの時点では倭国はまだ筑紫と出雲くらいで、しかも中国と交渉するのは筑紫だけ。
だから金印をもらうのも筑紫だけ。
中国からの使いが来ても駐在するのは筑紫だけ。
倭王がいるのも当然、筑紫。
倭王である高祖日向三代がいたのは筑紫の日向、伊都国と奴国を含む福岡県西部の博多湾沿岸、高祖山がある日向地区。
倭王である卑弥呼も例外ではない。
0585日本@名無史さん
垢版 |
2018/06/29(金) 08:29:03.38
大率は中央の高級官僚だよ。
百済とかにもあった。
0586日本@名無史さん
垢版 |
2018/06/29(金) 08:29:26.33
「自女王國以北 特置一大率 檢察諸國 諸國畏憚之 常治伊都國 於國中有如刺史」

この文章の前後の文章は全て女王国か女王卑弥呼に付いての説明文であり、主語が書かれていなくとも主語は女王国か女王卑弥呼だと読み手には分かるようになっている。
それ以外の主語の場合は「諸國畏憚之」のように主語が明記されている。
「一大率常治伊都國」と主語が明記されていないので「常治伊都國」の主語も女王卑弥呼である。
なので「女王卑弥呼が伊都国で常に治めている」との意味になる。
では何を治めているのか?
女王卑弥呼が治めているのは自女王國以北の諸国である。
「常治伊都國」は「(女王卑弥呼が)伊都国で(一大率を使い自女王國以北の諸国を)常に治めていた」の意味であり 主語の女王卑弥呼と()内が省略されている。

治の類似の用法は漢書西域伝に見られる。
「大宛国 王治貴山城 去長安 万二千五百五十里…」
大宛国について、王は貴山城に治す、と王の所在を明らかにしている。

では「自女王國以北」とはどこか。
以北はその出発地を含む。出発地は「自女王國」とある。
つまり、女王国とその北にある国々を、そこに置いた一大率で支配したのである。
要するに女王国と伊都国は念を押して言い換えただけであり、一大率は伊都国にあり、伊都国が女王国、女王の都するところ、邪馬台国であるということである。

「於國中有如刺史」・・・刺史は各地の行政機関内に常駐している監察官

「女王国(を含めたそこ)から北の諸国には、(女王卑弥呼が)特別に一大率を配置して検察させており、諸国は(一大率を)畏れ憚っている。
(女王卑弥呼が)伊都国で(一大率を使い女王国から北の諸国を)常に治めていた。
これは魏で皇帝が刺史を州に派遣し検察させて洛陽で治めているのと同じようだ」の意味となる。

女王国が伊都より東にあったら、文章の意味が通らない。
畿内説では、一大率が支配していたのは奈良(女王国)およびその北である京都や丹波になってしまう。
女王国以北はおよそ里程や概要を記すことができるとされているが、里程が記載されているのは対馬海峡と福岡県内の国だけだからである。
すなわち女王国以北(女王国を含む)は伊都から北であり、女王国(邪馬台国)が伊都国であることを示している。
0587日本@名無史さん
垢版 |
2018/06/29(金) 09:51:24.31
>>582
伊・・・これ
都・・・みやこ

「これ都に近し」にはならないよな、古田氏も最後は頭がボケてた

伊・・・霊力を持った聖人(卑弥呼のこと)
都・・・みやこ
伊都国が卑弥呼の都ですね。

古田氏は伊都国に近くに邪馬壹國があったと言ってるが
場所が不明ですね。
0588日本@名無史さん
垢版 |
2018/06/29(金) 10:17:47.76
伊は人を司るたいう意味だったかな。
0589日本@名無史さん
垢版 |
2018/06/29(金) 10:18:42.83
古田氏の最初の著作の頃はまだ平原遺跡が発見されたばかりで、その意味がわかっていなかった。
0590日本@名無史さん
垢版 |
2018/06/29(金) 12:16:35.49
>>585
大率は「刺史のごとし」とある

刺史という官の特徴は、地方官、監察官、中央から派遣される、といったところ
地方官でない監察官なら別の官職があるし監察官じゃない地方官なら牧や太守もあるので、
そのなかから刺史と指定してあるのは地方官でなおかつ監察官であると解釈せざるをえない
郡国のごとき伊都国を監察する地方官なわけ。
牧ではなく刺史と言っていることからすると、官の格式自体は伊都国王より低いのだろう
(郡の太守を監察する刺史の俸給が太守より低く、官の格式自体も太守より低かったことに留意)
0591日本@名無史さん
垢版 |
2018/06/29(金) 12:24:05.06
>>590
伊都国王=卑弥呼=倭王ですよ
大率(一大率)は伊都国に居る卑弥呼が女王国の北部を治める為に置いた検察官ですよ。
0592日本@名無史さん
垢版 |
2018/06/29(金) 12:40:08.55
刺史は地方官だ

お前さんの説明のような役職ならは刺史ではなく司隷校尉などと書いてたよ
0593日本@名無史さん
垢版 |
2018/06/29(金) 12:55:52.47
>>585
そうだろう、そうだろう



誰しもが思っていることなんだけど、
なぜ認めたくないんだろう
0594日本@名無史さん
垢版 |
2018/06/29(金) 12:59:35.38
本当に鬼退治の話をしているわけではないんだけど

『伊達の桃太郎』「司馬 司徒 司空」

このような事が書いてあったり
0596日本@名無史さん
垢版 |
2018/06/29(金) 13:05:38.03
気づいている人は気づいている事なんだけど、
司馬というのも、もともと名字、人名ではない

日本にもそういう作家がいたけど、
違うでしょ

wikiにも書いてあるはず
0597日本@名無史さん
垢版 |
2018/06/29(金) 13:26:37.82
調べてみた?

司空?建築・・・そのような事が書いてあるし、
家の老婆のほうが詳しい?
0598日本@名無史さん
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2018/06/29(金) 13:28:44.32
『松傾』のような名前の家で、本人なのかな?

セメント関係の話をしていたり、浅野セメントの話
0599日本@名無史さん
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2018/06/29(金) 13:33:21.52
皇族というのも、日本の皇族の事ではないと思う?

そのような話はしらない、中国の皇族の事だと思う
0600日本@名無史さん
垢版 |
2018/06/29(金) 13:35:58.44
ねつ造?するなとか、気づいている人がいたり
0601日本@名無史さん
垢版 |
2018/06/29(金) 13:40:21.38
サルタというスレを参照


高祖?土民(土人)だと言ってる人がいたり
0602日本@名無史さん
垢版 |
2018/06/29(金) 13:42:03.43
神祖、高祖神?

悪く言うと土人だと言ってる人がいるでしょ
0603日本@名無史さん
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2018/06/29(金) 13:49:24.29
>>591
伊都国王=世有王=帥升王統の王=旧倭王ですよ
大率(一大率)は邪馬台国に居る卑弥呼が女王国の北部ある国々を治める為に置いた検察官ですよ
(卑弥呼は女王國内の一部である邪馬壹國にある城柵を都としている。)
(女王國=邪馬壹國+投馬國+不彌國+奴國  伊都国は女王國に含まれない)
0604日本@名無史さん
垢版 |
2018/06/29(金) 13:59:27.41
>>603
世有王=魏の世に居た王=卑弥呼=現倭王ですよ
何で世有王が旧倭王なの?
女王國=邪馬壹國+投馬國
邪馬壹國=不彌國+奴國+伊都国+末廬國+一大國+對馬國+其餘旁國
0605日本@名無史さん
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2018/06/29(金) 14:11:37.90
>>603
女王国の北部を治めるために九州北部の伊都にいたなら、女王国は九州だよね?
筑後山門かな?
0606日本@名無史さん
垢版 |
2018/06/29(金) 14:12:13.30
大率という役職は、百済などにも見られており、中央の高級官僚だよ。
0607日本@名無史さん
垢版 |
2018/06/29(金) 14:14:36.41
>>606
そうだと言っているんだよ、
家の、お爺さんの・・・・子供の頃に着ている制服でしょ、
白い制服のようなモノ
0608日本@名無史さん
垢版 |
2018/06/29(金) 14:16:24.06
ちなみに力夫という名前ではないよ、
そういう名前の親戚もいないし
0609日本@名無史さん
垢版 |
2018/06/29(金) 14:18:14.17
>>606
卑弥呼が朝鮮海峡付近の諸国に置いた検察官の一大率が
後の百済の中央の高級官僚の大率という役職の名前の基になった?
0610日本@名無史さん
垢版 |
2018/06/29(金) 14:19:45.92
なんで朝鮮海峡などと呼ぶの?
畿内説はどこの国の人なの?
対馬海峡ではいけないの?
0611日本@名無史さん
垢版 |
2018/06/29(金) 14:19:56.56
着ている服、何の制服なのか、わかった人はいないの?
0612日本@名無史さん
垢版 |
2018/06/29(金) 14:20:38.01
古代の百済と倭は非常に近い関係であり、政治機構も似ていたということだね。
0613日本@名無史さん
垢版 |
2018/06/29(金) 14:23:43.68
亀戸(天神)に行ったこともあるんだよ
と言っていたり、老婆が嫁に来るよりも前の話

亀戸天神・・・大宰、太宰?
0614日本@名無史さん
垢版 |
2018/06/29(金) 14:28:47.63
どのスレだったかな、
宮様の写真じゃないの?というレスが来たこともあった

松傾のような名前の家なんだけどw
0615日本@名無史さん
垢版 |
2018/06/29(金) 14:38:18.96
それなら、なぜ『何者にもなれない お前たち』のような家に住んでいるのか?

家を出て、何かの職人になったような事を言っていたり、
退職金?なども無いとか、父親の話

金属関係の職人、加工?不明
0616日本@名無史さん
垢版 |
2018/06/29(金) 14:40:42.48
お爺さんというのは、
セメント関係の仕事をしていたり、
その前は違うと言っていたり

機織りなどをしていた?
0617日本@名無史さん
垢版 |
2018/06/29(金) 14:47:21.47
このような曲があったでしょ

同じ痛み〜。同じ心で〜。

そういう作品なのかな

サルタというスレ:貧乏、みんな貧乏と言ってる人がいたり
0618日本@名無史さん
垢版 |
2018/06/29(金) 14:52:39.15
本当の話

道具箱に鋸、🔨のようなものが入っていたり、
謎のナイフが入っていた事もあった

折りたたみ(バタフライ?)ナイフ
0619日本@名無史さん
垢版 |
2018/06/29(金) 15:14:21.51
『大工と聖徳太子』
0620日本@名無史さん
垢版 |
2018/06/29(金) 15:14:32.28
>>594
司馬 司徒 司空 って「三公」政府の最高官だろ
時代によっては違うときもあるが。
0621日本@名無史さん
垢版 |
2018/06/29(金) 15:15:55.74
>>604
世有王=魏の世に伊都國に居た王=帥升王統の旧倭國王ですよ

伊都國に楽浪郡から派遣された郡使=漢が派遣した郡使
(卑弥呼は漢から郡使を派遣されていない
 郡使を派遣されたのは旧倭國王=倭國王帥升の王統の倭國王)

女王國=邪馬壹國+投馬國+不彌國+奴國=郡から12000餘里以遠の国々
  伊都国は郡から11900餘里にあるから女王國には含まれない
0622日本@名無史さん
垢版 |
2018/06/29(金) 15:16:59.86
>>606
中央の高官なら「刺史のごとし」と表記する可能性がないんだよ
刺史とは全く違うからな

その点を説明できない時点でデムパ
0623日本@名無史さん
垢版 |
2018/06/29(金) 15:17:28.41
松傾というのは、宮様か何かの家だったの?
家の話なんだけど
0624日本@名無史さん
垢版 |
2018/06/29(金) 15:49:22.05
>>621
卑弥呼は漢からは郡使を派遣されていないけど
公孫氏の楽浪郡や帯方郡から度々郡使が派遣されてたよ
主張してる意味が分かりませんね。
倭王の卑弥呼が居るのに別に伊都国の王がいるなんて変ですよ。
0625日本@名無史さん
垢版 |
2018/06/29(金) 15:59:04.71
>>621

>世有王=魏の世に伊都國に居た王=帥升王統の旧倭國王ですよ

魏の時代なら、旧倭国ではなく卑弥呼の年代だよ。
倭国大乱のは漢代だから。

>伊都國に楽浪郡から派遣された郡使=漢が派遣した郡使

漢代に楽浪郡の使いが倭を訪れた記録はない。

>  伊都国は郡から11900餘里にあるから女王國には含まれない

100里はたった80キロだから、福岡県内か、せいぜい佐賀県でいいよね。
0626日本@名無史さん
垢版 |
2018/06/29(金) 16:07:07.18
>>621
帯方郡から伊都国の西の国境までが11900餘里
東の国境までが12000餘里ですから
伊都国の東のラインが点としての女王国なんです
女王國はこのラインを中心とした国邑の集まりなんですよ。
0627日本@名無史さん
垢版 |
2018/06/29(金) 16:09:34.89
>>626
高祖山が女王国?
0628日本@名無史さん
垢版 |
2018/06/29(金) 16:11:31.67
>>627
高祖山や日向峠付近が点としての女王国ですね。
0629日本@名無史さん
垢版 |
2018/06/29(金) 16:16:37.64
筑紫な日向のクシフル山(高祖山の最高峰)の高千穂宮だな。
後世に怡土城、高祖城となった。
現在の高祖宮。
0630日本@名無史さん
垢版 |
2018/06/29(金) 17:57:07.22
>>621
郡使って、朝廷の命令でなく郡の独断で派遣された使節だろ
平時ならそんな使節はありえない
戦時の緊急時だからこその、特別な使節だろ
0631日本@名無史さん
垢版 |
2018/06/29(金) 17:58:37.21
>>629
空想はいいから、ちょっとはそれらしい根拠を示そう。 無いんだろうけどw  @阿波
  
0632日本@名無史さん
垢版 |
2018/06/29(金) 18:03:40.36
>>625
後漢末には楽浪郡など数郡が公孫氏の領土だから、仮に郡使が往来してたとしても三国志に収録される可能性はない
だから、記録にないことが即座に使節の不在を意味するわけではない
0633日本@名無史さん
垢版 |
2018/06/29(金) 18:17:12.27
>>626
帯方郡から伊都国の城柵までが11900餘里
その隣の奴國の城柵までが12000餘里ですから
奴國の先にある国々が女王国なんです
女王國はこの奴國以遠の国邑の集まりなんですよ。
0634日本@名無史さん
垢版 |
2018/06/29(金) 18:25:34.52
>>633
>女王國はこの奴國以遠の国邑の集まりなんですよ。

女王国は、「丹」が採れる所ってことを忘れないでね。  @阿波
0635日本@名無史さん
垢版 |
2018/06/29(金) 18:32:42.54
>>625
>>世有王=魏の世に伊都國に居た王=帥升王統の旧倭國王ですよ
>魏の時代なら、旧倭国ではなく卑弥呼の年代だよ。
>倭国大乱のは漢代だから。

魏の世に伊都國に居た王は、107年の倭國王帥升の末裔になるでしょう。

>>伊都國に楽浪郡から派遣された郡使=漢が派遣した郡使
>漢代に楽浪郡の使いが倭を訪れた記録はない。

記録がなくても楽浪郡から派遣された郡使は漢の使者です。

>>  伊都国は郡から11900餘里にあるから女王國には含まれない
>100里はたった80キロだから、福岡県内か、せいぜい佐賀県でいいよね。

伊都國は、末蘆國が唐津であるから、その東南80kmは佐賀県(佐賀市大和町)
0636日本@名無史さん
垢版 |
2018/06/29(金) 18:38:41.05
>>635
>伊都國は、末蘆國が唐津であるから、その東南80kmは佐賀県(佐賀市大和町)

伊都國は、末蘆國が福津であるから、その東南30kmは直方辺り。  @阿波
0637日本@名無史さん
垢版 |
2018/06/29(金) 18:44:16.53
>>632
>後漢末には楽浪郡など数郡が公孫氏の領土だから、仮に郡使が往来してたとしても三国志に収録される可能性はない
>だから、記録にないことが即座に使節の不在を意味するわけではない

その通り。
漢や公孫氏の郡使であれば、尚更、郡使の記録を載せられない。
0638日本@名無史さん
垢版 |
2018/06/29(金) 18:51:35.88
>>634
>女王国は、「丹」が採れる所ってことを忘れないでね。

女王国は、「水銀丹」だけでなく「鉄丹」や「鉛丹」が採れる所ってことを忘れないでね。
「鉄丹」は北部九州で採れます。
0639日本@名無史さん
垢版 |
2018/06/29(金) 18:54:06.95
>>638
> 「鉄丹」は北部九州で採れます。

北部九州の古墳は 「鉄丹」だそうです(笑)。  @阿波
0640日本@名無史さん
垢版 |
2018/06/29(金) 18:57:48.33
北部九州は、鉄丹、鉛丹、真朱が
最も使われたところだからね。

採掘の痕跡があっても
使用の痕跡がないというのは
北部九州に運ばれていたってことだろうね。
0641日本@名無史さん
垢版 |
2018/06/29(金) 19:19:58.27
>>635
>>636
末蘆國は現在の唐津郡全体であり、魏使の上陸地点は壱岐に最も近い呼子付近です。
0642日本@名無史さん
垢版 |
2018/06/29(金) 19:20:02.04
>>640
>採掘の痕跡があっても
>使用の痕跡がないというのは

そんなアホな。
魏使も「以朱丹塗其身體如中國用粉也」ってよ。  @阿波
0643日本@名無史さん
垢版 |
2018/06/29(金) 19:23:41.42
>>641
>末蘆國は現在の唐津郡全体であり、魏使の上陸地点は壱岐に最も近い呼子付近です。

それにしては、相島・宗像地方に比べて遺跡・遺物で比べ物にならないね。  @阿波
0644日本@名無史さん
垢版 |
2018/06/29(金) 19:29:03.32
>>643
遺跡が少ないってことはないけど
単なる通過地点ですからね。
0645日本@名無史さん
垢版 |
2018/06/29(金) 19:29:39.73
>>577
どこがって、ほぼ全てが曲解と珍解釈だ。マトモな部分の方が少ないぐらい
0646日本@名無史さん
垢版 |
2018/06/29(金) 19:32:46.11
>>644
>単なる通過地点ですからね。

いや、「単なる通過地点」ではないですよ。 なんぜ大陸の玄関口として「世界文化遺産」ですから。  @阿波
0647日本@名無史さん
垢版 |
2018/06/29(金) 20:00:58.83
>>646
いくら、これを言っても「呼子」だ、「唐津」だ、だからね。 まったく、どうにかならんもんかね。 北部九州説は。  @阿波
0648日本@名無史さん
垢版 |
2018/06/29(金) 22:38:53.99
>>644
魏使の上陸地点は、唐津古松浦湾南岸松浦遺跡(浜堤上)にあり、
付近には弥生遺跡が散在している。
0649日本@名無史さん
垢版 |
2018/06/29(金) 22:41:57.72
修正

>>644
魏使の上陸地点は、唐津古松浦湾南岸中原遺跡(浜堤上)にあり、
付近には弥生遺跡が散在している。
0650日本@名無史さん
垢版 |
2018/06/29(金) 23:00:38.43
>>647
>>648
>>649
根拠が無いな。
0651日本@名無史さん
垢版 |
2018/06/29(金) 23:08:17.97
根拠厨が追い詰められているな。
0653日本@名無史さん
垢版 |
2018/06/30(土) 09:45:27.14
魏使の末蘆國上陸地点を呼子付近だとすると伊都国までの距離500里も合うし
方向を東南との記述したのも東松浦半島を南下し唐津市付近で東に進んで伊都国だから納得が出来る
また島の北側に付いて南側に回り次の北岸に着くとする島巡り説との整合性も取れる
魏使の末蘆國上陸地点は呼子付近で間違いない。
0655日本@名無史さん
垢版 |
2018/06/30(土) 09:54:57.38
末蘆國を東松浦半島付近、伊都国を糸島市付近とするならな
倭人伝の記述からは魏使の末蘆國上陸地点は呼子付近で間違いない
他の場所だと記述に適合しない。
0656日本@名無史さん
垢版 |
2018/06/30(土) 11:41:40.62
>>655
>末蘆國を東松浦半島付近、伊都国を糸島市付近とするならな

その最初の仮定がそもそも間違い。 最初からやり直し。  @阿波
0657日本@名無史さん
垢版 |
2018/06/30(土) 11:49:28.61
>>656
阿波くんの主張には根拠が無いね
魏使の上陸地点を唐津古松浦湾南岸中原遺跡とする説にも根拠が無い
どちらも魏志倭人伝の記述と合わない
自説の為の創作ですね。
0658日本@名無史さん
垢版 |
2018/06/30(土) 12:13:47.64
>>657
>阿波くんの主張には根拠が無いね

根拠:なんせ相島・福津方面は、大陸からの玄関口として「世界文化遺産」ですから。  呼子など以ての外。  @阿波
0659日本@名無史さん
垢版 |
2018/06/30(土) 17:04:15.19
>>658
何処が根拠なの?
0660日本@名無史さん
垢版 |
2018/06/30(土) 18:21:20.04
>>655
>伊都国を糸島市付近とするなら

「伊都国を糸島市付近とする」が間違いの元凶
伊都国は佐賀平野嘉瀬川扇状地にある。

>>657
>魏使の上陸地点を唐津古松浦湾南岸中原遺跡とする説にも根拠が無い
>どちらも魏志倭人伝の記述と合わない

魏志倭人伝では、
末蘆国の上陸地点の東南500里(40km) に伊都國がある。

一方、末蘆国の上陸地点を唐津古松浦湾南岸中原遺跡とすると、
末蘆国の上陸地点中原遺跡の東南500里(40km) に佐賀平野嘉瀬川扇状地がある。
故に、佐賀平野嘉瀬川扇状地の惣座遺跡が伊都國となる。
0661日本@名無史さん
垢版 |
2018/06/30(土) 18:28:01.44
>>660
>故に、佐賀平野嘉瀬川扇状地の惣座遺跡が伊都國となる。

で、邪馬台国はどこ?  @阿波
0662日本@名無史さん
垢版 |
2018/06/30(土) 19:59:45.69
伊都国は考古学的にも史学的にも糸島平野からでも動かせないよ。
0663日本@名無史さん
垢版 |
2018/06/30(土) 20:06:23.15
>>662
>伊都国は考古学的にも史学的にも糸島平野からでも動かせないよ。

で、奴国はどこ?  @阿波
0664日本@名無史さん
垢版 |
2018/06/30(土) 20:59:49.80
>>661
>邪馬台国はどこ?

邪馬台国は7万戸で28万人。投馬國は5万戸20万人。計48万人。
48万人を収容できる土地平野は筑紫平野。

筑紫平野西部の佐賀平野西部中部には、
伊都國、奴國、不彌國の2万2千戸8.8万人が居るので、
筑紫平野東部の筑後平野と北野地域と佐賀平野東部に12万戸48万人がいる。

邪馬台国は陸行で行く内陸国であるので、
邪馬台国の位置は筑後平野内陸部と北野地域となる。

なお、投馬國は水行で行くから沿岸部にあり、
投馬國の位置は佐賀平野東部沿岸部と筑後平野沿岸部になる。

追補
邪馬台国の中心となる城柵と卑弥呼が都とする城柵は異なる。
邪馬台国は4ヶ国連合国であるので、その城柵は4ヶ所にあると推察される。
0665日本@名無史さん
垢版 |
2018/06/30(土) 21:03:49.20
>>662
>伊都国は考古学的にも史学的にも糸島平野からでも動かせないよ。

それが錯誤の元凶。
0666日本@名無史さん
垢版 |
2018/06/30(土) 21:12:36.15
>>664
>邪馬台国は7万戸で28万人。投馬國は5万戸20万人。計48万人。
>48万人を収容できる土地平野は筑紫平野。

妄想はそれくらいでいいので、さあ、その人口に見合う「弥生末期集落遺跡群」を挙げてみよう。  @阿波
0667日本@名無史さん
垢版 |
2018/06/30(土) 21:12:40.62
>>662
>伊都国は考古学的にも史学的にも糸島平野からでも動かせないよ。

伊都國糸島説は、1世紀2世紀の事象を3世紀の事象と見ているのが間違いの原因。
0668日本@名無史さん
垢版 |
2018/06/30(土) 21:15:41.03
考古学者の主張を完全否定の伊都クズ
やっぱり考古学の知識は全くない
0669日本@名無史さん
垢版 |
2018/06/30(土) 21:27:16.23
その考古学者をここに引っ張ってこい。
0670日本@名無史さん
垢版 |
2018/06/30(土) 21:28:10.57
卑弥呼の即位は2世紀だぞ。
0671日本@名無史さん
垢版 |
2018/06/30(土) 22:27:53.82
>>664
弥生時代の人口なら日本列島全体で60万人ほど、九州全土では10万人ほどだぞ。どこの平野に48万人も住めるんだよ
0672日本@名無史さん
垢版 |
2018/06/30(土) 22:54:33.08
>>671
前提となる全国の推計に根拠がない。
0673日本@名無史さん
垢版 |
2018/06/30(土) 22:56:12.06
遺跡はどんどん見つかってるからね。
吉野ヶ里とその周辺で5千人でしょ?
九州だけでも60万人くらいいないと合わなくない?
0674日本@名無史さん
垢版 |
2018/06/30(土) 22:57:04.64
吉野ヶ里は邪馬台国連合の辺境の国邑の一つに過ぎないからね。
0675日本@名無史さん
垢版 |
2018/06/30(土) 23:02:53.67
時代別の遺跡数の比で推計してるわけじゃん

古代の遺跡ばかり見つかって弥生遺跡が少ないとこの人口が低く推計されてる

逆にいうが、弥生遺跡がどんどん見つかってて古代の遺跡(奈良時代の遺跡)が見つかってないとこってどこよ
0676日本@名無史さん
垢版 |
2018/06/30(土) 23:56:54.26
>>674
>吉野ヶ里は邪馬台国連合の辺境の国邑の一つに過ぎないからね。

吉野ヶ里は女王國連合の国邑の一つに過ぎないからね。
0677日本@名無史さん
垢版 |
2018/07/01(日) 00:02:13.19
>>670
>卑弥呼の即位は2世紀だぞ。

卑弥呼の即位は2世紀末190年頃だぞ。
0679日本@名無史さん
垢版 |
2018/07/01(日) 01:40:26.87
吉野ヶ里(倭面土國=倭米多國)の王者帥升は、

107年博多の委奴國(委都國=伊都國)を滅ぼした。
0681日本@名無史さん
垢版 |
2018/07/01(日) 01:48:15.94
吉野ヶ里(倭面土國=倭米多國)の王者帥升は、

107年糸島の委奴國(委都國=伊都國)を滅ぼした。
0682日本@名無史さん
垢版 |
2018/07/01(日) 06:40:16.07
弥生時代の人口60万人は
当時の弥生遺跡1万箇所からの推計。
今は発掘されている弥生遺跡だけで
4万箇所あり、存在が確認されているが
発掘されていない弥生遺跡は
その十倍はあるとされる。
0683日本@名無史さん
垢版 |
2018/07/01(日) 07:21:57.22
倭国(阿波)の遺跡は畿内や九州のものとレベルが違う。
「加茂宮ノ前遺跡」
徳島県阿南市加茂町大西、宮ノ前にある加茂宮ノ前遺跡は那賀川の右岸、標高約24〜26mの自然堤防に立地している。
発掘調査では、弥生〜古墳時代と鎌倉〜室町時代の集落跡を確認。弥生時代中期後半〜古墳時代前期初頭(紀元1〜3世紀ごろ)の竪穴住居跡20棟余りと、土坑、溝、柱穴を発見した。
弥生〜古墳時代の県内最大規模の集落とみられる。
住居跡や周辺の遺構からは、水銀朱の精製に関わる磨石(すりいし)や石杵、石臼などの石器500点余りと、祭祀に関わる水銀朱の原料となる辰砂約90点が見つかり、注目される。
住宅跡からは、サヌカイト製の石器とその残りかす、糸を紡ぐために使う土製紡錘車、鉄器、ガラス小玉が出土。鍛冶炉(製鉄の炉)を備えていた。
一つの住居で辰砂の精製と鉄の加工、紡織、石器づくりをしていることから、さまざまな物を同時に作る工房としての性格があることが分かった。
加茂宮ノ前遺跡の南西約5qには、弥生〜古墳時代の辰砂採掘遺跡である若杉山遺跡がある。那賀川の対岸には縄文〜鎌倉、室町時代の深瀬遺跡がある。
若杉山、深瀬の両遺跡は時代が共通する上、辰砂が見られる点から、加茂宮ノ前遺跡との関連が注目される。
加茂宮ノ前遺跡では、水銀朱を作っていたほか、石器、鉄器の製作加工や紡織をするなど「生産のムラ」として大規模に展開していたといえる。(県埋蔵文化財センター専門研究員 田川憲)  @阿波
0684日本@名無史さん
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2018/07/01(日) 08:11:43.91
倭国(阿波)の遺跡は畿内や九州のものとレベルが違う。
「樋口遺跡」
弥生時代終末期の集落遺跡
眉山の南西の麓、園瀬川の自然堤防上に営まれた集落遺跡。1983年(昭和58年)以降数次にわたる発掘調査により、弥生時代の終末期の竪穴住居跡や奈良時代の掘立柱建物跡などが見つかっている。
竪穴住居跡からは土器や石器など多数の遺物が出土しており、中でも東阿波型土器が多く含まれる点は遺跡の大きな特徴である。
そのほか注目すべきは、赤い顔料である朱が付着した土器が多数出土していることである。これらの土器の分布範囲は広く、人々の交流が活発であった様子がわかる。
樋口遺跡の集落内には、幅広い交易に関わった人々が暮らしていたのであろう。
0685日本@名無史さん
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2018/07/01(日) 08:31:29.08
>>682
弥生時代の人口60万人は全く信頼性の無い数字だってことですね。
0686日本@名無史さん
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2018/07/01(日) 08:47:33.77
旧怡土郡の怡土平野が伊都国であり、平原遺跡等の曽根遺跡群と三雲・井原鑓溝遺跡群が中心であることを認めない説なんて話にならないな。
0687日本@名無史さん
垢版 |
2018/07/01(日) 10:00:17.53
倭国(阿波)の遺跡は畿内や九州のものとレベルが違う。
「芝遺跡」
芝遺跡では3面の遺構面を確認した。
第1遺構面は中世にあたり、13世紀後半〜14世紀中頃にかけての屋敷境溝を持つと考えられる
掘立柱建物跡や土壙墓などを検出した。
このうち、土壙墓は屋敷墓と考えられ、海部刀短刀・土師器杯・皿が出土し、13世紀後半頃と推定できる。

第二遺構面では弥生時代後期〜古墳時代前期前半頃にかけての竪穴住居や溝、旧河道等を検出した。
旧河道からは外来系土器が多数出土している。
 
第3遺構面では弥生時代前期後半以降頃以降の遺構と遺物を検出した。
中期中頃〜後半にかけての円形周溝墓を4基検出し、
時期が確定できる円形周溝墓としては、県内初出となった。

この内、円形周溝墓1は直径約11メートル、溝幅が最大約2メートルを測り、陸橋を持つ。出土遺物は陸橋周辺に集中して出土しており、
結晶片岩を含む吉野川下流域産と考えられる土器がほとんどを占め、若干の在地土器が混じる。
この他、周溝墓の可能性のある溝も検出しており、この時期の集落内墓地であった可能性が考えられる。
また、弥生時代後期中頃と推定される竪穴住居33200では、炉跡内から鉄切片・小破片が出土し、炉跡底面に焼土面が広がっていた。
そのため、本炉跡は鍛冶炉跡と推定され、U類(村上1998)にあたると考えられる。
この他、サヌカイト片や特殊なものとして朱付着石杵も出土しており、この朱は水銀朱であることが確認されている。
したがって、竪穴住居33200では石器・鉄器・朱を扱う工房跡であった可能性が指摘でき、阿波南部地域に鉄・朱が伝わっていたことを実証できる好資料である。
0688日本@名無史さん
垢版 |
2018/07/01(日) 10:10:26.88
旧河道からは弥生時代終末頃〜古墳時代前期前半頃にかけての外来系土器が多く出土した。
報告書では旧河道をそれぞれ溝12164、溝33239〜溝33241、溝33244とし、主に上層と下層に分けて、遺物の取り上げを行った。
特に溝12164は幅5m以上、深さ1.1mを測り、大きく上層・中層・下層の3層に分層できた。
下層から布留甕1個体が出土し、上層からは東阿波型土器や布留式土器がまとまって出土しており、時期差の可能性が考えられる出土状況が確認できた。

実測総数196個体に対して、阿波97個体で48%、畿内39個体で20%、在地36個体で18%、讃岐7個体で4%、土佐3個体で2%、吉備3個体で2%、産地不明が12個体で6パーセントである。
約半数が阿波(東阿波型土器を含む吉野川下流域)の土器で占めており、次いで畿内系土器、在地時の出土数が多い。讃岐や土佐、吉備の出土数は数%に留まる状況を示している。

芝遺跡では弥生時代前期後半頃には吉野川下流域や紀伊からの搬入品が認められるが、特に吉野川下流域土器は弥生時代を通じて恒常的に出土すると考えられる。
弥生時代終末頃になると吉野川下流域時の他に、畿内・讃岐・土佐・吉備からの搬入品が認められるようになるものの、普遍化した出土状況は見られない。

古墳時代前期前半頃になると吉野川下流域時が主体であることに変わりはないが、一定量の畿内系土器の搬入が認められるようになる。
0689日本@名無史さん
垢版 |
2018/07/01(日) 10:13:20.66
以上のような搬入土器の出土状況や共伴関係の検討から、吉野川下流域の搬入時を主体とし、複数地域からの搬入土器が混在する第一段階(弥生時代終末頃〜古墳時代初め頃)。
吉野川下流域地域の土器・畿内系土器が主体となる第二段階(古墳時代前期前半頃)に分類することができると考えられる。
第一段階は伝統的な交流からの脱却の揺籃期、第二段階は交易ルートの確立を意味し、この現象は吉野川下流域、なかでも鮎喰川下流域集団の影響が大きく、朱を媒介として交流が盛んに行われていたものと考えられる。
朱の搬出や食料供給に阿波南部地域集団が関係(菅原1992、岡山 2002)していたことを示す資料である。
吉野川下流域地域で、あまり搬入土器が見られない現段階では、吉野川下流域地域を主体とし、間接的に阿波南部地域が関わっていた場合と阿波南部地域が直接的に交流・交易を行っていた場合が考えられる。
そして、土佐のタタキ甕や布留式土器などが本遺跡で出土したことは、吉野川下流域地域を主体とした間接的な交流・交易を行いながら、他地域との直接的な交流・交易も行っていた可能性を示していると推定される。
0690日本@名無史さん
垢版 |
2018/07/01(日) 10:18:19.81
本地域は発掘調査がほとんど行われていないため、資料数が少ないが、海部川河口砂堆に所在する大里松原神社遺跡において若干の土器が採集されている。
東阿波型土器や下川津B類時が出土しており、在地産土器と外来系土器が混在する状況を示している。
時期は大きく弥生時代後期後半と古墳時代前期初頭の2時期に分かれ、この在地土器と外来系土器の混在する状況が、本地域の特徴であると意義付け、海人の存在が想定されている。(菅原1992)
この他、吉野川下流域地域で畿内系土器が出土しているのは黒谷川郡頭遺跡(菅原1989)や石井城ノ内遺跡(日下1999)などに限られ、出土点数も数点しかない現状では、阿波南部地域の特異性が窺える。

まとめ
芝遺跡は阿波南部地域で数少ない発掘調査を行った遺跡である。
県内では珍しい円形周溝墓をはじめ、竪穴住居等の遺構や弥生時代前期後半以降の土器・石器も出土し、本地域の集落形態の一様相が確認できた遺跡である。
また、弥生時代終末頃〜古墳時代前期前半頃にかけての搬入土器がまとまって出土したことから、出土状況・共伴関係の検討を行い、各搬入土器の搬入時期のピークを探った。
土器の搬入には鮎喰川下流域集団の関与が想定され、一連の動きに若杉山遺跡(岡山1997)の朱が関わっていると考えられる。
本地域の発掘調査事例が芝遺跡に限られる現状では、搬入土器が普遍的に出土するのか、芝遺跡の特異性なのか、判断しがたいが、大里松原神社遺跡においても搬入土器が認められることは、
本地域に一定量の土器が搬入される状況があったことの傍証になるものと考えられる。
芝遺跡は土佐ー阿波ー畿内を結ぶ四国東岸海岸沿い太平洋ルートを想定できる遺跡であり、海上交通に際しての人・物が集中する拠点集落であったと考えられる。
0691日本@名無史さん
垢版 |
2018/07/01(日) 10:53:42.51
阿波くんの我田引水の長文なんか誰も読まんよw
0692日本@名無史さん
垢版 |
2018/07/01(日) 11:54:13.98
怡土郡や松浦郡ってのがあるのに伊都国や末廬國を根拠も無く自分の好きな所に設定する人は頭がおかしい。
0693日本@名無史さん
垢版 |
2018/07/01(日) 12:07:39.12
>>691
>阿波くんの我田引水の長文なんか誰も読まんよw

だからいつまでたっても、「井の中の蛙大海を知らず」って言われるんだよ。
倭国(阿波)では、着々と遺跡発掘が進んでいるというのにw  君はすでに時代に乗り遅れているよ。  @阿波
0694日本@名無史さん
垢版 |
2018/07/01(日) 13:31:37.06
>>686
>旧怡土郡の怡土平野が伊都国であり、

「怡土」と「伊都」は、根拠無しの単なる語呂合わせである。

>平原遺跡等の曽根遺跡群と三雲・井原鑓溝遺跡群が中心であることを認めない説なんて話にならないな。

平原遺跡等の曽根遺跡群と三雲・井原鑓溝遺跡群は福岡平野の中心地のひとつと認めていますよ。
それらの遺跡群を3世紀の邪馬台国と結びつけるのが間違いの元凶。
0695日本@名無史さん
垢版 |
2018/07/01(日) 13:33:33.76
>>694
>「怡土」と「伊都」は、根拠無しの単なる語呂合わせである。

根拠なし。

>それらの遺跡群を3世紀の邪馬台国と結びつけるのが間違いの元凶。

何がどう間違いなのか説明できていない。
0697日本@名無史さん
垢版 |
2018/07/01(日) 13:44:48.26
>>696

根拠も何もそのままだし、魏志倭人伝に王がいることが記されていて、実際に弥生王墓が多数存在する。
地名に加え、それらが根拠だよ。
根拠なしと呟けばいいとでも思った?
畿内説の無知無理さ加減を露呈するだけだよ。
0698日本@名無史さん
垢版 |
2018/07/01(日) 15:04:50.37
>>697
>魏志倭人伝に王がいることが記されていて、実際に弥生王墓が多数存在する。

魏志倭人伝にはその王が糸島平野に居たとは書いてない。

弥生王墓じゃない。
漢と通交があったと思われる弥生の地域権力者の墓に過ぎない。
0699日本@名無史さん
垢版 |
2018/07/01(日) 15:08:08.07
>畿内説の無知無理さ加減を露呈するだけだよ。

私は九州説なんですけど。
0700日本@名無史さん
垢版 |
2018/07/01(日) 15:11:32.84
>>698

魏志倭人伝には、王が伊都国にいたと書いてあるよ。
後漢書には、倭国は狗邪韓国から倭奴国までの間の対馬海峡の国と書いてあるよ。
そしてその時代の王墓が見つかるのは糸島平野だけ。
糸島平野にあった伊都国が倭の王都だよ。
0701日本@名無史さん
垢版 |
2018/07/01(日) 15:12:45.20
>>698
>漢と通交があったと思われる弥生の地域権力者の墓に過ぎない。

この辺がキナイコシの妄想(根拠のない思い込み)なんだよ。
0702日本@名無史さん
垢版 |
2018/07/01(日) 15:13:12.96
>>699

ごめん。
0703日本@名無史さん
垢版 |
2018/07/01(日) 15:17:18.19
>>700
>糸島平野にあった伊都国が倭の王都だよ。

いくら叫んでも「其山有丹」で即死。 残念ですが。  @阿波
0704日本@名無史さん
垢版 |
2018/07/01(日) 16:47:04.09
>>703
一大國の説明に「亦南北市糴」と書かれてるのが読めないみたいだなw
阿波の主張は出だしから間違ってる。
0705日本@名無史さん
垢版 |
2018/07/01(日) 17:19:56.99
>>704
>一大國の説明に「亦南北市糴」と書かれてるのが読めないみたいだなw

読めるけどそれがなにか?  @阿波
0706日本@名無史さん
垢版 |
2018/07/01(日) 17:22:08.31
一大國からは南に行けないから末廬國は宗像だと言ってたよねw
0707日本@名無史さん
垢版 |
2018/07/01(日) 18:44:44.90
>>706
その誤解を解いてあげよう。
島民が対馬海峡を「南北市糴」して、朝鮮半島や末盧国と交易していると妄想するからトンデモとなる。
島民が日曜茶飯事に対馬海峡なんて航行できる別ないでしょ。常識を働かせなさい。
「亦南北市糴」は、對海國島内を船で「南北市糴」、また一大國島内を船で「南北市糴」という意味なんだよ。
そんな当たり前のことを誰も気づかない。 情けない話。  @阿波
0708日本@名無史さん
垢版 |
2018/07/01(日) 20:23:37.94
>>707
阿波くんは阿保ですか
對馬國は「無良田 食海物自活」なので「乗船南北市糴」だし
一大國は「差有田地 耕田猶不足食」だから「亦南北市糴」なんだよ
島内では問題解決しないよw
日常的に島から出て南北の海峡を渡って交易してたんだよ
壱岐では交易してた証に漢代の銅銭等が多く出土してるよ。
0709日本@名無史さん
垢版 |
2018/07/01(日) 20:25:56.34
阿波というのはどこの事なの?

南海トラフの辺り?
0710日本@名無史さん
垢版 |
2018/07/01(日) 20:32:12.16
>>707
その島は山ばかりで耕作地が乏しいので交易で食べ物を入手してる、

という文脈の一部なんだから、島内での交易なはずないだろ
0711日本@名無史さん
垢版 |
2018/07/01(日) 20:55:35.28
>>708
>對馬國は「無良田 食海物自活」なので「乗船南北市糴」だし

對馬國は「無良田 食海物自活」だからこそ「乗船南北市糴」して島内で問題解決したんだよw


>一大國は「差有田地 耕田猶不足食」だから「亦南北市糴」なんだよ

一大國は「差有田地 耕田猶不足食」だからこそ「亦南北市糴」」して島内で問題解決したんだよw


> 日常的に島から出て南北の海峡を渡って交易してたんだよ

島民の船ごときで対馬海流を航行できると思ってるのかね? 常識を働かせなさい。


>壱岐では交易してた証に漢代の銅銭等が多く出土してるよ。

まさか島民が漢代の銅銭を使って貨幣経済をしていたとでも?  常識を働かせなさい。 
それは大陸と倭国(阿波)との国と国との交易品に決まってるでしょ。  @阿波
0712日本@名無史さん
垢版 |
2018/07/01(日) 21:45:25.57
>>711
島内で食料が足りないのにどうやって解決したの?
壱岐対馬では古代から島民の船で海峡を越えていたんだよ
北部九州地域では既に銅銭が取引に使われていたんだよ
阿波くんが常識が無いだけなんだよw
0713日本@名無史さん
垢版 |
2018/07/01(日) 22:03:15.62
>>712
>島内で食料が足りないのにどうやって解決したの?

不足品のを物々交換。 これで解決。


>壱岐対馬では古代から島民の船で海峡を越えていたんだよ

君の得意な「妄想」。 「妄想」でないなら根拠を挙げてね。


>北部九州地域では既に銅銭が取引に使われていたんだよ

君の得意な「妄想」。 「妄想」でないなら根拠を挙げてね。  @阿波
0714日本@名無史さん
垢版 |
2018/07/01(日) 22:17:02.06
>>713
島内で食料が不足してるのに島内で物々交換しても何も解決できないよw

>君の得意な「妄想」。 「妄想」でないなら根拠を挙げてね。

実際に中国銭も見つかってるんだから交易してたんだよ、妄想である根拠は?

取引に使わないなら銅銭を何に使っていたの?
0716日本@名無史さん
垢版 |
2018/07/01(日) 22:31:39.96
>>714
>島内で食料が不足してるのに島内で物々交換しても何も解決できないよw

だから不足品を物々交換するんでしょ? もしも交換するものがなければ、餓死するだけのこと。 いつの世もあること。

>実際に中国銭も見つかってるんだから交易してたんだよ、妄想である根拠は?
> 取引に使わないなら銅銭を何に使っていたの?

大陸と倭国(阿波)との交易品。 島内にあったのは、交易品のおこぼれ。 島民が貨幣経済をしていたとでも?  常識を働かせなさい。

君の得意な「妄想九州王朝説」。   @阿波
0717日本@名無史さん
垢版 |
2018/07/01(日) 22:36:02.59
>>716
餓死してるなんて書いてないからねw
阿波からは銭なんて出土してないよw
阿波くんは妄想好き?冗談www
0718日本@名無史さん
垢版 |
2018/07/01(日) 22:56:32.75
>>717
>餓死してるなんて書いてないからねw

そうだね。 物々交換が成立していたんだね。


>阿波からは銭なんて出土してないよw

出土してたらどうするの? 倭国(阿波)では大抵のものはあるんだけどw
http://awakouko.info/modules/xpwiki/?%B3%A4%CD%DB%C4%AE%2F%C2%E7%CE%A4%BD%D0%C5%DA%C1%AC

島民が貨幣経済をしていたとでも?  常識を働かせなさい。

君の得意な「妄想九州王朝説」。   @阿波
0719日本@名無史さん
垢版 |
2018/07/02(月) 08:07:52.59
>>718
壱岐の場合は島内で食料が足りないけど3世紀には既に戸数三千家も在ったんだね
1家5人としても15000人の人口があったことになる
壱岐ではその後1000年以上人口の変動が殆ど無いから
開発が進み既に人口は飽和状態に達していたんだよ
壱岐では航海技術が発達して
3世紀には南北に船を出して交易で食料を調達してたんだよ
阿波なんて何も無い所は出る幕が無いんだよwww
0720日本@名無史さん
垢版 |
2018/07/02(月) 08:17:19.20
>>719
>壱岐の場合は島内で食料が足りないけど3世紀には既に戸数三千家も在ったんだね

そうだね。 物々交換が成立していたんだね。


>3世紀には南北に船を出して交易で食料を調達してたんだよ

そうだね。 「島内」を南北に船を出して交易で食料を調達してたんだね。



>阿波なんて何も無い所は出る幕が無いんだよwww

出土してたらどうするの? 倭国(阿波)では大抵のものはあるんだけどw
http://awakouko.info/modules/xpwiki/?%B3%A4%CD%DB%C4%AE%2F%C2%E7%CE%A4%BD%D0%C5%DA%C1%AC

島民が貨幣経済をしていたとでも?  常識を働かせなさい。

君の得意な「妄想九州王朝説」。   @阿波
0721日本@名無史さん
垢版 |
2018/07/02(月) 13:18:23.09
>>720
答えられないでしょw
阿波くんの気違いぶりが面目躍如ですね。
0722日本@名無史さん
垢版 |
2018/07/02(月) 22:01:20.94
>>720
個人経営の商業なんて、もっともっと後の時代だろ
古代なら、領主豪族が交易の主体じゃないのかね
島内では貨幣経済が成立してなくても、外との交易で貨幣経済を介しててもおかしくない
0723日本@名無史さん
垢版 |
2018/07/02(月) 22:54:07.92
>>720
じゃあ貨幣は何の目的で使われたの?
0724日本@名無史さん
垢版 |
2018/07/03(火) 11:41:52.55
>>722
>個人経営の商業なんて、もっともっと後の時代だろ

「個人経営の商業」??? 何を悠長なw  毎日を、生きていく為に、必死の自給自足活動だよ。
 

>古代なら、領主豪族が交易の主体じゃないのかね

「領主豪族」が交易して、その食料を島民に分け与えていたとでも?  何を悠長なw  島民が毎日を生きていく為に、必死の自給自足活動だよ。


>島内では貨幣経済が成立してなくても、外との交易で貨幣経済を介しててもおかしくない

「外との交易」って、まさか朝鮮半島や末盧国と? あの難所の対馬海峡を、日々の生活のために日常的に島民が航行していたと? 
少しは常識を働かせなさい。 君の得意な「妄想九州王朝説」。   @阿波
0725日本@名無史さん
垢版 |
2018/07/03(火) 11:58:55.13
>>723
>じゃあ貨幣は何の目的で使われたの?

中国人が、中国国内で、貨幣経済の道具として使った。
島内にあった貨幣は、大陸と倭国(阿波)との交易品のおこぼれ。 島民が貨幣経済をしていたとでも?  少しは常識を働かせなさい。 君の得意な「妄想九州王朝説」。   @阿波
0726日本@名無史さん
垢版 |
2018/07/03(火) 12:06:46.64
泡が魏志倭人伝に真っ向から反対している。
こいつも邪馬台国論争に首を突っ込む資格はないな。
0727日本@名無史さん
垢版 |
2018/07/03(火) 12:08:38.99
対馬海峡を支配していたのが卑弥呼の大率なら、商取引の主役は領主豪族ではなく、倭王たる卑弥呼だろうよ。
0728日本@名無史さん
垢版 |
2018/07/03(火) 12:09:27.87
紀元前に博多湾沿岸に倭国が成立して漢と国交を持ち、後漢の頃には漢委奴国王印により倭国王に冊封された。後漢書では、倭国は朝鮮半島南岸から九州北岸までの、対馬海峡の海洋国家として書かれている。
対馬海峡における貿易の権益が、天津神すなわち海の神を中心とした倭国の形成の原動力であったと考えることができる。
0729日本@名無史さん
垢版 |
2018/07/03(火) 12:33:28.51
>>726
>泡が魏志倭人伝に真っ向から反対している。

>>724に対する反論はないの? 出来ないの?  @阿波
0730日本@名無史さん
垢版 |
2018/07/03(火) 12:35:42.89
>>727
>商取引の主役は領主豪族ではなく、倭王たる卑弥呼だろうよ。

そうだね。 倭国(阿波)のね。  @阿波
0731日本@名無史さん
垢版 |
2018/07/03(火) 12:40:18.81
>>728
>後漢書では、倭国は朝鮮半島南岸から九州北岸までの、対馬海峡の海洋国家として書かれている。

魏志倭人伝での「其山有丹」で、北部九州は「邪馬台国論争に首を突っ込む資格はないな」。  @阿波
0732日本@名無史さん
垢版 |
2018/07/03(火) 12:48:05.35
>>724
そもそも、島内で耕作可能な食料で生活できる範囲より数倍から十倍ほどの人口が記載されてるのだから、
食料の多くは外から買い入れてるとしか考えられないだろうに
0733日本@名無史さん
垢版 |
2018/07/03(火) 12:53:48.71
>>732
>食料の多くは外から買い入れてるとしか考えられないだろうに

それは、単なる君の短絡的妄想。
まさか朝鮮半島や末盧国と、あの難所の対馬海峡を、日々の生活のために日常的に島民が航行していたと? 
少しは常識を働かせなさい。 君の得意な「妄想九州王朝説」。   @阿波
0734日本@名無史さん
垢版 |
2018/07/03(火) 12:59:00.88
始めて一海を度(わた)る千余里、対馬国に至る。
その大官を卑狗といい、副を卑奴母離(ひなもり)という。
居る所絶島、方四百余里ばかり。
土地は山険しく、深林多く、道路は禽鹿(きんろく)の小径(こみち)の如し。
千余戸あり。良田なく、海物を食して自活し、船に乗りて南北に市糴(してき)す。
0735日本@名無史さん
垢版 |
2018/07/03(火) 13:05:29.54
>>732
>食料の多くは外から買い入れてるとしか考えられないだろうに

食料の乏しい島内で自給自足しているのは、なにも対馬や壱岐だけじゃないんだよ。
少しは常識を働かせなさい。 君の得意な「妄想九州王朝説」。   @阿波
0736日本@名無史さん
垢版 |
2018/07/03(火) 13:07:31.84
>>734
>船に乗りて南北に市糴(してき)す。

島内をね。  @阿波
0737日本@名無史さん
垢版 |
2018/07/03(火) 13:34:06.64
穀物が作れるところが少ないので
南北に買い出しに行ってたと書かれてたのでは?
0738日本@名無史さん
垢版 |
2018/07/03(火) 14:01:52.14
糴・・・穀物を買い入れること。

島内に穀物が少ないので島外から穀物を買い入れてた
壱岐対馬では近代まで同じですね
宗氏は朝鮮王から官位を貰って穀物を朝鮮から輸入してましたね。
0739日本@名無史さん
垢版 |
2018/07/03(火) 14:22:43.69
>>738
>宗氏は朝鮮王から官位を貰って穀物を朝鮮から輸入してましたね。

それがなにか?  @阿波
0740日本@名無史さん
垢版 |
2018/07/03(火) 14:24:36.56
>>737
>南北に買い出しに行ってたと書かれてたのでは?

島内をね。
食料の乏しい島内で自給自足しているのは、なにも対馬や壱岐だけじゃないんだよ。
少しは常識を働かせなさい。 君の得意な「妄想九州王朝説」。   @阿波
0741日本@名無史さん
垢版 |
2018/07/03(火) 18:26:11.29
>>740
>島内をね。

バカじゃないの?
島内で不足しているのに。
対馬海峡を南北に行き来していたのに決まっているだろ。
少しは常識を働かせなさい。
0742日本@名無史さん
垢版 |
2018/07/03(火) 18:30:10.49
>>741
>島内で不足しているのに。

バカじゃないの?
食料の乏しい島内で自給自足しているのは、なにも対馬や壱岐だけじゃないんだよ。
少しは常識を働かせなさい。 君の得意な「妄想九州王朝説」。   @阿波
0743日本@名無史さん
垢版 |
2018/07/03(火) 19:20:36.00
>>724
>>古代なら、領主豪族が交易の主体じゃないのかね

>「領主豪族」が交易して、その食料を島民に分け与えていたとでも?  何を悠長なw  島民が毎日を生きていく為に、必死の自給自足活動だよ。

領主豪族が領民を働かせて対価に食糧等を支給するんだろ、普通じゃないか
そもそも古代社会じゃ、農具や土地も含めた生産財は全部が領主のもので、それを領民に貸して食糧生産などさせて、
労働の対価に生産物の一部を得させてるわけだろ、どう違うんだよ

>「外との交易」って、まさか朝鮮半島や末盧国と? あの難所の対馬海峡を、日々の生活のために日常的に島民が航行していたと? 

交易の利益で食糧等を得てるんだろ
半島と本土の交易を介在することは大きな利益がある。

日持ちしない生鮮食品じゃなく日持ちする食糧をメインに買ってれば、航海は毎日のように必要とは言えないだろ
自力で食糧生産できない生業の人を食わせる必要があるから穀物の需要が高くなったんじゃないのかね。

みんなが自給自足なら穀物じゃなくても食えれば何でもいい。穀物の需要は冬期のための保存だけしかなくなってしまう。
職人とか商人とかが必要だからこそ、彼らの労働に対する対価として穀物が必要になるんじゃないか

江戸時代の農村では米が日常の食事じゃなく、その一方で都市部では米以外の物を食う機会が乏しかった。
穀物の機能ゆえに、都市部では穀物以外の食糧の方が贅沢品になり、産地では穀物が贅沢品になったわけだ。
0744日本@名無史さん
垢版 |
2018/07/03(火) 19:25:32.38
>>740
食糧生産が乏しい島嶼部の村ってのは、漁業なり製塩なり、何らかの商品生産で利益を得て外から食糧を買うのが古い姿。
自給自足ならあんなとこには最初から住まないよ
そこに住むことにメリットがあったから住んでたんだ。
穀物生産ではないメリットがあり、その利益で食糧を島外から買う。これが基本。

自給自足で暮らす島の人口密度がどれほど低いか調べてみなよ
0745日本@名無史さん
垢版 |
2018/07/03(火) 19:37:09.29
>>743
>そもそも古代社会じゃ、農具や土地も含めた生産財は全部が領主のもので、それを領民に貸して食糧生産などさせて、
労働の対価に生産物の一部を得させてるわけだろ、どう違うんだよ

それ、NHKでやってた「村」という固有名詞誕生の話だね。中世と一緒にしちゃいかんよ。 君の得意な「妄想九州王朝説」。   @阿波 
0746日本@名無史さん
垢版 |
2018/07/03(火) 19:43:22.06
>>743
>交易の利益で食糧等を得てるんだろ

だ・か・ら、 あの難所の対馬海峡を、日々の生活のために日常的に島民が航行していたと? 
少しは常識を働かせなさい。 君の得意な「妄想九州王朝説」。   @阿波 
0747日本@名無史さん
垢版 |
2018/07/03(火) 19:45:41.06
>>744
>自給自足ならあんなとこには最初から住まないよ

バカじゃないの?
食料の乏しい島内で自給自足しているのは、なにも対馬や壱岐だけじゃないんだよ。
少しは常識を働かせなさい。 君の得意な「妄想九州王朝説」。   @阿波
0748日本@名無史さん
垢版 |
2018/07/03(火) 20:55:55.37
>>747
他の島、たとえば瀬戸内海の島嶼部も含めてだよ
農業で食っていくつもりなら最初から移住するはずがない場所なんだから、農業以外の生業を目当てで移住したに決まってるじゃん
瀬戸内海だと塩田目当てが多いが、対馬とかだと交易ないし寄港地だろ
0749日本@名無史さん
垢版 |
2018/07/03(火) 21:04:00.32
>>748
>対馬とかだと交易ないし寄港地だろ

バカじゃないの?
だ・か・ら、 あの難所の対馬海峡を、日々の生活のために日常的に島民が航行していたと? 
少しは常識を働かせなさい。 君の得意な「妄想九州王朝説」。   @阿波
0750日本@名無史さん
垢版 |
2018/07/03(火) 21:45:41.58
玄界灘は難所ではあるが
白村江では48000を運んでいるので
地元民なら運用できたことがわかる。

遠く奈良から来た船は
1/4が遭難していたから
それなりのノウハウが必要だったのは
間違いないが、

壱岐、対馬の住人ならノウハウも
あっただろうからね。
0751日本@名無史さん
垢版 |
2018/07/03(火) 21:49:35.07
そもそも瀬戸内海は記紀の神代にほとんど登場しない。
主な舞台は高天原と筑紫。
そして少し出雲。
大和もほぼ出てこない。
0752日本@名無史さん
垢版 |
2018/07/03(火) 22:01:16.66
>>750
>白村江では48000を運んでいるので
>地元民なら運用できたことがわかる。

地元民に頼らずとも、倭国(阿波)の海人族に任せなさい。 遠く関東まで、進出しているんだから。  @阿波
0753日本@名無史さん
垢版 |
2018/07/03(火) 22:04:22.34
>>750
>白村江では48000を運んでいるので
>地元民なら運用できたことがわかる。

地元民に頼らずとも、倭国(阿波)の海人族に任せなさい。 
遠く関東や山陰・北陸まで、進出しているんだから。  @阿波
0755日本@名無史さん
垢版 |
2018/07/04(水) 00:24:06.12
>>749
毎日毎日航行したと書いてるように誤読してるのか
議論する前に視力をどうにかしてこいよ
0756日本@名無史さん
垢版 |
2018/07/04(水) 05:53:05.75
阿波の土人なんて馬鹿じゃないのw
壱岐対馬では古代から自由に海を越えて交易を行っていたんだよ
阿波は妄想を止めて現実を認めろよ!
0757日本@名無史さん
垢版 |
2018/07/04(水) 06:27:01.48
>>755
>毎日毎日航行したと書いてるように誤読してるのか

別に毎日毎日とは思わないが、じゃあ、三日に一度、或いは一月に一度でもいいよ。
だ・か・ら、 あの難所の対馬海峡を、日々の生活のために日常的に島民が航行していたと? 
少しは常識を働かせなさい。 君の得意な「妄想九州王朝説」。  @阿波
0758日本@名無史さん
垢版 |
2018/07/04(水) 06:35:12.25
普通に日常的に航行していただろ。
漁業やって、それを交易品にして
倭や朝鮮半島へ穀物買いに行ってんだから。
0759日本@名無史さん
垢版 |
2018/07/04(水) 06:58:03.96
>>758
>普通に日常的に航行していただろ。

「其行來渡海詣中國恒使一人不梳頭不去蟣蝨衣服垢汚不食肉不近婦人如喪人名之爲持衰」
バカじゃないの?
だ・か・ら、 あの難所の対馬海峡を、日々の生活のために日常的に島民が航行していたと? 
少しは常識を働かせなさい。 君の得意な「妄想九州王朝説」。   @阿波
0760日本@名無史さん
垢版 |
2018/07/04(水) 07:10:53.69
白村江の時代、日本に巨大船があったとは聞かないから
48000人の輸送は当時の日本が作れる程度の
中小の舟を集めたんだろうね。

数百、あるいは数千隻の船で
48000人を運べる状況は
どの程度の難所なんだろうかね。
0761日本@名無史さん
垢版 |
2018/07/04(水) 07:14:13.69
>>760
地元民に頼らずとも、倭国(阿波)の海人族に任せなさい。 
遠く関東や山陰・北陸まで、進出しているんだから。  @阿波
0762日本@名無史さん
垢版 |
2018/07/04(水) 07:34:40.72
地元民なら48000人を運べて
日常的に穀物の買い出しにも行けるけど

他所の人間だと1/4遭難する
ちょっと難しい海域だというだけの話だよ。
0763日本@名無史さん
垢版 |
2018/07/04(水) 07:44:01.17
>>755
日々の生活の糧を農業で得てる人たち(つまり農民)は、毎日収穫作業をしてるのか、違うだろ
収穫作業自体は農業の一部にすぎず、時期的に限られてる

それと同じで、交易で食べ物を入手してるにしても、入手すること自体は季節的・時期的に限られてるかもしれんってこと
買い入れるのは生鮮食品じゃなく保存の効く穀物や保存食などが多いんじゃないのかと。

そもそもだ、豪族が主体で交易してるなら(俺の主張はこれな)、動員される良民の生活手段は豪族が支給するんだから、
保存の効く食料を支給してたら毎日のように半島まで買い物に出る必要なんかない
0764日本@名無史さん
垢版 |
2018/07/04(水) 07:44:01.91
>>754
国生み神話は博多湾と玄界灘です。
0765日本@名無史さん
垢版 |
2018/07/04(水) 07:45:20.18
記紀の国生みは博多湾から始まる。伊奘諾が最初に手に入れた領土である淤能碁呂島は博多湾の小島である能古島のことである。
それに続きイザナギとイザナミの生んだ国(領土)のうち、天の冠詞がつく島である隠伎之三子島(天之忍許呂別)、伊伎島(天比登都柱)、津島(天之狭手依比売)、
女島(天一根、姫島)、知訶島(天之忍男、五島列島)、両児島(天両屋、男女群島)が天つ国の本来の領域である。
国産みにおける島々は九州北部沿岸の島を意味していたが、後に西日本全体の地名に拡大され再配置される。
0766日本@名無史さん
垢版 |
2018/07/04(水) 07:47:07.80
>>760
もう少し後の遣唐使船だと、一隻目の「第一船」に百人以上は乗ってるし、
無理したら大型の船を作れたんじゃないか?

無理しすぎたから遭難沈没することも多かったが。
0767日本@名無史さん
垢版 |
2018/07/04(水) 07:48:47.44
白村江では42000人を800余艘で運んでいるので、一艘あたり50人ですね。
魏志倭人伝の頃は流石にもう少し小さかったと思いますが。
0768日本@名無史さん
垢版 |
2018/07/04(水) 07:48:58.58
>>764
国産み神話の舞台だったオノコロ島は瀬戸内海だろ
あるいはいわく(略)淡路島。
0769日本@名無史さん
垢版 |
2018/07/04(水) 07:52:39.16
>>763
>そもそもだ、豪族が主体で交易してるなら(俺の主張はこれな)、動員される良民の生活手段は豪族が支給するんだから、

豪族ですか。
その豪族の名前が天津神だったり、頭領の名前が天照(アマテラス=海を支配する)だったりしませんかね。
後漢書には倭国の北限が狗邪韓国、南限が倭奴国とあるので、倭国とは対馬海峡そのものですね。
0770日本@名無史さん
垢版 |
2018/07/04(水) 07:54:09.90
>>766
地元民に頼らずとも、倭国(阿波)の海人族に任せなさい。 
遠く関東や山陰・北陸まで、進出しているんだから。  @阿波
0771日本@名無史さん
垢版 |
2018/07/04(水) 07:55:51.43
>>768
根拠なし。
おのころ島は矛で作ったことになっています。
銅矛文化は九州北部が中心です。
瀬戸内海なら銅剣で作ったはず。
銅矛で領土を獲得したと言う建国神話なんですよ。
0772日本@名無史さん
垢版 |
2018/07/04(水) 07:56:38.03
>>770
阿波も銅剣文化圏、消滅または吸収された側ですよ。
0773日本@名無史さん
垢版 |
2018/07/04(水) 07:57:48.64
>>769
>その豪族の名前が天津神だったり、頭領の名前が天照(アマテラス=海を支配する)だったりしませんかね。

どのみち、島へ渡ったのは倭国(阿波)の海人族ですよ。  @阿波
0774日本@名無史さん
垢版 |
2018/07/04(水) 07:58:26.88
その「豪族」の支配機構が大率ですよ。
南限の王都「伊都」に置かれ、必要に応じて王都より北の対馬海峡を検察したのです。
0775日本@名無史さん
垢版 |
2018/07/04(水) 08:02:25.52
魏志倭人伝の邪馬台国までの里程
帯方郡(朝鮮北部)から狗邪韓国まで七千里、女王国まで一万二千里。
対馬海峡が三千里であり、帯方郡から九州上陸までで一万里となるので、邪馬台国の位置は九州北部になる。

魏志倭人伝の邪馬台国までの日程
帯方郡から邪馬台国まで水行10日、陸行1月(1日の誤りか)
ちなみに帯方郡から投馬国(宮崎都万)まで水行20日

後漢書における里程
大倭王は邪馬台国にいる。
楽浪郡の国境は、その国(邪馬台国)から一万二千里である。
倭国の西北界である狗邪韓國からは七千里である。
倭奴国は倭国の極南界である。

魏略逸文における里程
帯方(郡)より女(王)国に至る万二千余里。

邪馬台国時代の遺物の出土状況
http://yamatai.cside.com/tousennsetu/image/zu11.gif
0777日本@名無史さん
垢版 |
2018/07/04(水) 08:03:26.73
旧唐書

倭国はいにしえの倭奴国のことである。
四方の小島五十余国は皆、倭国に属していた。倭国の王の姓は阿毎(あま・あめ)氏で、一大率を諸国において検察させている。小島の諸国はこれを畏怖している。

日本国は倭国の別種である。
その国は日の昇る方にあるので、「日本」という名前をつけている。
あるいは「倭国がみずからその名前が優雅でないのを嫌がって、改めて日本とつけた」ともいう。
またあるいは「日本は古くは小国だったが、倭国の地を併合した」とも。

新唐書

王姓は阿毎氏、自ら言うには、初めの主は天御中主と号し、彦瀲に至り、およそ三十二世、皆が「尊」を号として、筑紫城に居住する。
彦瀲の子の神武が立ち、あらためて「天皇」と呼ぶようになり、都を大和州に遷した。
0778日本@名無史さん
垢版 |
2018/07/04(水) 08:05:00.00
>>776
島根県の方から怒号が飛んできますぞ。
0779日本@名無史さん
垢版 |
2018/07/04(水) 08:06:19.10
>>774
>その「豪族」の支配機構が大率ですよ。

実はその「大率」も筑紫忌部。  @阿波
0780日本@名無史さん
垢版 |
2018/07/04(水) 08:09:00.32
>>778
>島根県の方から怒号が飛んできますぞ。

その島根も倭国(阿波)を発った出雲忌部。島根は倭国(阿波)に向かって礼拝していますよ。  @阿波
0781日本@名無史さん
垢版 |
2018/07/04(水) 08:14:34.42
>>765
淤能碁呂島・・・オノゴロ島・・・御・能古島ですね
0782日本@名無史さん
垢版 |
2018/07/04(水) 08:16:01.27
ちなみに「ろ」は上古の接続詞だそうです。
0784日本@名無史さん
垢版 |
2018/07/04(水) 08:20:27.43
魏から見たら地方でしょ。
0786日本@名無史さん
垢版 |
2018/07/04(水) 08:27:06.26
筑紫の日向の小戸で出土した銅矛を神宝とする小戸大神宮がありますよ。
また、筑紫の日向の小戸におけるイザナギの禊に由来するのが住吉神社です(大阪の住吉社を含む全国の住吉の元社)。
0787日本@名無史さん
垢版 |
2018/07/04(水) 08:28:09.77
>>785
そもそも大国主はその銅矛で討伐された側でしょ。
阿波くんはわけもわからずデタラメを言い張っているね。
0788日本@名無史さん
垢版 |
2018/07/04(水) 08:32:03.45
祓詞

掛けまくも畏き 伊邪那岐大神 筑紫の日向の橘の小戸の阿波岐原に御禊祓へ給ひし時に生り坐せる祓戸の大神等 諸諸の禍事 罪 穢有らむをば祓へ給ひ清め給へと白す事を 聞こし食せと恐み恐みも白す
0789日本@名無史さん
垢版 |
2018/07/04(水) 08:49:25.61
>>787
>そもそも大国主はその銅矛で討伐された側でしょ。

狗奴国ですね。 大国主が居たのは倭国(阿波)の長国(阿南市周辺)。
長国(狗奴国)は若杉山や黒潮の太平洋があり、強大だったからね。  @阿波
0790日本@名無史さん
垢版 |
2018/07/04(水) 08:50:20.68
>>783

三国志最強の男 曹操の人望力 - 12 ページ

刺史は本来、地方行政の組織の枠に組み入れられた存在ではなかった。役職も目付のようなもので、州や郡、県の役人が政務を真面目に司っているか否かを監督し、 その成績を考察して、中央へ報告する役割を担っていた。

曹操も刺史であったことがあった。
また、大率は百済においては高位の中央官僚。
0791日本@名無史さん
垢版 |
2018/07/04(水) 08:51:08.36
>>789
じゃあ筑紫に討伐された方だw
記紀も少しくらい読めよ。
0792日本@名無史さん
垢版 |
2018/07/04(水) 11:12:27.52
>>746
古来より玄界灘を自由に往来してたんだよ
阿波くんの常識が異常。
0793日本@名無史さん
垢版 |
2018/07/04(水) 12:09:27.82
>>782
淤能碁呂島・・・オノゴロ島・・・おノゴの島・・・御・能古島
0794日本@名無史さん
垢版 |
2018/07/04(水) 12:30:52.72
>>792
>古来より玄界灘を自由に往来してたんだよ

倭国(阿波)の忌部海人族がね。 忌部海人族以外、いないでしょ?   @阿波
0795日本@名無史さん
垢版 |
2018/07/04(水) 12:33:27.07
阿波からでは、玄界灘に来るのも大変だ。
0796日本@名無史さん
垢版 |
2018/07/04(水) 12:58:25.24
>>784
そうじゃない

刺史も太守も地方官だからな

刺史は監察官で太守は統治、地方行政のトップ

豪族と似てるのは刺史ではなく太守ってのは、豪族は監察官ではなく統治者だという意味
刺史のごとくと表現するはずがない
0797日本@名無史さん
垢版 |
2018/07/04(水) 13:09:46.66
>>795
>阿波からでは、玄界灘に来るのも大変だ。

心配ご無用。 倭国(阿波)の海人族に任せなさい。 そんなこと出来るの、倭国(阿波)の海人族しかいないんだから。  
遠く関東や山陰・北陸まで、進出しているでしょ。
もちろん、対馬海峡を渡って朝鮮半島へも鉄素材を取りに行ってるからね。  @阿波
0798日本@名無史さん
垢版 |
2018/07/04(水) 15:02:47.59
>>745
その番組って見たことない、というかタイトルも初見だが
内容が一致してるってことか。
偶然の一致ではないのだから信憑性が上がったな
つまりお前さんの意見の信憑性のなさが露見した
0799日本@名無史さん
垢版 |
2018/07/04(水) 15:09:40.09
>>771
国産み神話に矛が使われるようになったのが紀記編纂時すなわち奈良時代だった可能性をガン無視とか、ダメダメだな
紀記神話のなかに奈良時代に入ってから作られた要素が多く含まれるのは常識だろ
奈良時代に入ってから作られた要素ではないことを論証できてないものは、古くない可能性を念頭に置かないとダメだ
0800日本@名無史さん
垢版 |
2018/07/04(水) 15:10:14.99
>>796
>刺史は監察官で太守は統治、地方行政のトップ

似ていると言うだけで、刺史だと言っているわけではないし、刺史が普段は中央にいてもいいのだろう?
0801日本@名無史さん
垢版 |
2018/07/04(水) 16:04:50.72
>>799
>国産み神話に矛が使われるようになったのが紀記編纂時すなわち奈良時代だった可能性をガン無視とか、ダメダメだな

奈良時代は銅矛文化ではないし、奈良は上古においては銅鐸文化圏であった。
奈良時代に矛の話が挿入される可能性は低い。

奈良時代に入ってから作られた要素ではあることを論証できてないものは、原典にそのように記載されていたと考えるべきだ。

国生み神話の始まりである能古島(おのころ島)は弥生時代における銅矛文化の中心地である博多湾にあり、むしろその時代の伝承がそのままである可能祭が高い。
0803日本@名無史さん
垢版 |
2018/07/04(水) 17:33:21.33
>>797
阿波からは鉄器なんて出土しないじゃないw
0804日本@名無史さん
垢版 |
2018/07/04(水) 17:34:27.88
>>800
刺史が普段中央にいるわけなかろう。
0805日本@名無史さん
垢版 |
2018/07/04(水) 17:36:21.54
>>803
君はビギナーかね?  もうトンデモ説に洗脳されてしまってるのかな?  @阿波
0806日本@名無史さん
垢版 |
2018/07/04(水) 18:14:22.71
>>800
中央にいてたら刺史と似てないからボツ

刺史と似てるとか記録されてるんだから、刺史との共通点がないとダメだ

監察官で統治してない点と地方駐留の二点、どちらを欠いても刺史を例にあげる可能性がなくなるキー要素
0807日本@名無史さん
垢版 |
2018/07/04(水) 19:02:29.24
「一大率」はどの道、筑紫忌部の役職だから、倭国(阿波)の中央には居ないよ。  @阿波
0808日本@名無史さん
垢版 |
2018/07/04(水) 19:24:55.16
>>805
無いものをあると言い張るのw
0809日本@名無史さん
垢版 |
2018/07/04(水) 19:35:05.21
>>808
>無いものをあると言い張るのw

鉄器もいろいろあるんだけど、なにがいい?  @阿波
0810日本@名無史さん
垢版 |
2018/07/04(水) 19:47:13.20
三国志最強の男 曹操の人望力 - 12 ページ

刺史は本来、地方行政の組織の枠に組み入れられた存在ではなかった。役職も目付のようなもので、州や郡、県の役人が政務を真面目に司っているか否かを監督し、 その成績を考察して、中央へ報告する役割を担っていた。
0811日本@名無史さん
垢版 |
2018/07/04(水) 19:48:08.32
刺史が地方にいるはずというのが、畿内説の唯一の攻撃手段になってしまったな。
しかし大率がそもそも中央官僚の名称なのに。
0812日本@名無史さん
垢版 |
2018/07/04(水) 19:53:31.27
>>810

だから、どの道「一大率」は筑紫忌部の役職なんだから、倭国(阿波)の中央には居ないよ。  @阿波
0813日本@名無史さん
垢版 |
2018/07/04(水) 19:56:05.64
>>806
地方を視察に行く点では似ているだろ。
0814日本@名無史さん
垢版 |
2018/07/04(水) 20:22:08.47
>>811
大率が中央官の名前というのも外国での類例一例だけを根拠にした憶測でしかないしな
0815日本@名無史さん
垢版 |
2018/07/04(水) 20:22:53.47
「一大率」は女王国の以北の諸国で検察してる監察官
女王卑弥呼は都の伊都国で一大率を使い国を治めている
刺史が地方にいるし、一大率は刺史の如しと記されているから一大率も地方にいるな。
0816日本@名無史さん
垢版 |
2018/07/04(水) 20:38:12.67
>>814
類例があるのに頑なに否定する方がおかしい。
0817日本@名無史さん
垢版 |
2018/07/04(水) 22:00:07.69
名前だけで意味の確実度が低い異言語同一名称よりか、意味説明の証言の方が重いだろ普通
0818日本@名無史さん
垢版 |
2018/07/04(水) 22:05:55.00
百済と倭は古来から非常に近い関係なんだよ。
その百済の官名と、倭の官名が同じであるのは、なんの不思議もない。
類例がちゃんとあるのに、都合が悪いから無視するのは正しい態度ではないな。
0819日本@名無史さん
垢版 |
2018/07/04(水) 22:06:24.31
三国志最強の男 曹操の人望力 - 12 ページ

刺史は本来、地方行政の組織の枠に組み入れられた存在ではなかった。役職も目付のようなもので、州や郡、県の役人が政務を真面目に司っているか否かを監督し、 その成績を考察して、中央へ報告する役割を担っていた。
0820日本@名無史さん
垢版 |
2018/07/04(水) 22:07:51.22
つまり大率は地方を査察する役割の中央官僚であり、卑弥呼の王都である伊都に本拠地を置く中央官僚だな。
0821日本@名無史さん
垢版 |
2018/07/04(水) 22:38:50.01
「自女王國以北 特置一大率 檢察諸國 諸國畏憚之 常治伊都國 於國中有如刺史」

この文章の前後の文章は全て女王国か女王卑弥呼に付いての説明文であり、主語が書かれていなくとも主語は女王国か女王卑弥呼だと読み手には分かるようになっている。
それ以外の主語の場合は「諸國畏憚之」のように主語が明記されている。
「一大率常治伊都國」と主語が明記されていないので「常治伊都國」の主語も女王卑弥呼である。
なので「女王卑弥呼が伊都国で常に治めている」との意味になる。
では何を治めているのか?
女王卑弥呼が治めているのは自女王國以北の諸国である。
「常治伊都國」は「(女王卑弥呼が)伊都国で(一大率を使い自女王國以北の諸国を)常に治めていた」の意味であり 主語の女王卑弥呼と()内が省略されている。

治の類似の用法は漢書西域伝に見られる。
「大宛国 王治貴山城 去長安 万二千五百五十里…」
大宛国について、王は貴山城に治す、と王の所在を明らかにしている。

では「自女王國以北」とはどこか。
以北はその出発地を含む。出発地は「自女王國」とある。
つまり、女王国とその北にある国々を、そこに置いた一大率で支配したのである。
要するに女王国と伊都国は念を押して言い換えただけであり、一大率は伊都国にあり、伊都国が女王国、女王の都するところ、邪馬台国であるということである。

「於國中有如刺史」・・・刺史は各地の行政機関内に常駐している監察官

「女王国(を含めたそこ)から北の諸国には、(女王卑弥呼が)特別に一大率を配置して検察させており、諸国は(一大率を)畏れ憚っている。
(女王卑弥呼が)伊都国で(一大率を使い女王国から北の諸国を)常に治めていた。
これは魏で皇帝が刺史を州に派遣し検察させて洛陽で治めているのと同じようだ」の意味となる。

女王国が伊都より東にあったら、文章の意味が通らない。
畿内説では、一大率が支配していたのは奈良(女王国)およびその北である京都や丹波になってしまう。
女王国以北はおよそ里程や概要を記すことができるとされているが、里程が記載されているのは対馬海峡と福岡県内の国だけだからである。
すなわち女王国以北(女王国を含む)は伊都から北であり、女王国(邪馬台国)が伊都国であることを示している。
0822日本@名無史さん
垢版 |
2018/07/05(木) 07:21:17.00
>>821
>女王国(邪馬台国)が伊都国であることを示している。

一生懸命書いてくれているが、北部九州は「其山有丹」・「末盧国」で即死。
邪馬台国論争に参加する資格は、端から無し。  @阿波
0823日本@名無史さん
垢版 |
2018/07/05(木) 10:56:12.11
後漢書で倭とは対馬海峡の国で、その後漢代における倭の内乱を終息させるために共立されたのが卑弥呼であると魏志倭人伝にある。
それなのにどうして倭が九州以外の地域になるのか。
大率は王都である伊都に置かれ、筑紫倭国における生命線である対馬海峡を鎮守した高官だよ。
0824日本@名無史さん
垢版 |
2018/07/05(木) 13:35:23.88
>>823
>それなのにどうして倭が九州以外の地域になるのか。

「其山有丹」でアウトだから!  @阿波
0825日本@名無史さん
垢版 |
2018/07/06(金) 09:28:13.10
「阿南・加茂宮ノ前遺跡」 平成30年7月6日 徳島新聞朝刊  
「鉄器の製造拠点か」
「住居跡の半数 鍛冶炉や道具出土」
阿南市加茂町の加茂宮ノ前遺跡で、弥生時代中期末〜後期初頭(約2000年前)の竪穴住居跡20軒が見つかり、このうち10軒では鉄器を製作した鍛冶炉や鉄器作りに用いた道具類などが出土した。
県教委と県埋蔵文化財センターが5日発表した。鉄器の製造工房としては国内最古級で、集落(ムラ)の半分が工房という特徴から、県南部に大規模な鉄器の生産拠点が形成されていたとみられる。
竪穴住居跡で最も大規模なものは直径が約7mあり、その内部に鍛冶炉が19か所あった。鍛冶炉は直径30〜40pで、鉄をやじりや小型ナイフなどの小さな鉄器に加工するためのものという。
住居跡からは鉄器に加え、鉄器の形状を整える台石、製品を仕上げる砥石などが出土した。
石のやじりや糸を紡ぐ道具の紡錘車、古代の祭祀などに使われた赤色顔料・水銀朱を生産する石杵や石臼なども確認。
さらにガラス玉や管玉など、県内で数点しか出土していない稀少な装飾品も多数含まれ、出土品は計約50万点にも達する。
集落は、鉄器以外にもさまざまな物品を製作する工房として活用され、交易拠点としても繁栄していた可能性があるという。
県教委は2016年度から、加茂宮ノ前遺跡の発掘調査を実施。
17年2月には出土品の分析などから、南西約5kmにある若杉山遺跡で採掘された原料を使い、水銀朱を製造した工房跡との調査結果を公表している。
同時期の鍛冶炉は九州や中国地方にもあり、県内では矢野遺跡、名東遺跡(以上徳島市)、光勝院寺内遺跡(鳴門市)の3か所で確認されているが、県南部では初めて。
県埋蔵文化財センターは「他の遺跡では鍛冶炉を備えた住居跡は1、2軒だが、半数もあるのは全国的にも特異だ」としている。  @阿波
0826日本@名無史さん
垢版 |
2018/07/06(金) 09:52:24.59
>>825
これが南の「狗奴国」「長国」です。 北の「邪馬台国」「粟国」に対抗する強大な勢力ですね。  @阿波
0827日本@名無史さん
垢版 |
2018/07/07(土) 11:53:03.02
>>823
>後漢書で倭とは対馬海峡の国で、その後漢代における倭の内乱を終息させるために
>共立されたのが卑弥呼であると魏志倭人伝にある。

これがすでに誤読
後漢書の倭国の情報は、魏志倭人伝と基本的に同じだよ

後漢書の原文は
倭在韓東南大海中 依山㠀爲居 凡百餘國
其地大較在會稽東冶之東 與朱崖儋耳相近

魏志倭人伝は
倭人在帶方東南大海之中依山㠀爲國邑 舊百餘國
計其道里當在會稽東治之東 
所有無與擔耳朱崖同

倭地(倭国)は帯方(韓)の東南大海中の南北に長くのびる洲島で
會稽東治の東、擔耳朱崖の近くまで続いている
というのは共通

擔耳朱崖は海南島あたり
思いっきり南の国扱いだろ?
対馬海峡の国なんてことは書いてないよ
0828日本@名無史さん
垢版 |
2018/07/07(土) 12:12:20.70
朝鮮半島も対馬海峡も、実際より南北に長く思われていたんだろ。
短里で報告された距離を長里で理解してしまったことから生じた齟齬だね。
0829日本@名無史さん
垢版 |
2018/07/07(土) 12:32:27.98
>>827
>南北に長くのびる洲島

見え見えのウソは遺憾。  @阿波
0830日本@名無史さん
垢版 |
2018/07/07(土) 18:45:53.90
>>828
すると魏晋朝短里は間違いで東夷伝短里が正しいと考えてるのか
古田とは違う説なんだね?
0831日本@名無史さん
垢版 |
2018/07/07(土) 20:30:10.15
もちろん魏では長里だろう。
0832日本@名無史さん
垢版 |
2018/07/07(土) 20:31:21.08
帯方郡(ソウル)ー狗邪韓国(プサン)660km/7000里=94m/1里
狗邪韓国(プサン)ー対馬国     100km/1000里=100m/1里
対馬国ー一大国(壱岐)       70km/1000里=70m/1里
一大国(壱岐)ー末廬国(唐津)    50km/1000里=50m/1里
末廬国(唐津)ー伊都国(糸島)    25km/500里=50m/1里
伊都国(糸島)ー奴国(福岡市)   20km/100里=200m/1里
奴国(福岡市)ー不弥国(宇美)   10km/100里=100m/1里

統計では、違う立場の数字を一緒にしてはいけないので、海路のデータ3つ(100,70,50)倭国に上陸したあとの陸路のデータ3つ(50,200,100)のn=3の二つのデータセットで、有意水準95%の区間推定を行うと、
海路 平均73m 分散633m
陸路 平均117m 分散5833m で
自由度2のt-値の5%点が4.303なので、
海路は 73.3(10.8〜135.8)ただし( )内は95%信頼区間
陸路は 116.7(-73.1〜306.4)ただし( )内は95%信頼区間
となります。単位はmです。
95%信頼区間に430mが含まれていないから、東夷では魏の里が使われていなかったことは明白。
0833日本@名無史さん
垢版 |
2018/07/07(土) 21:19:41.71
誤差率が大きすぎて95%信頼区間どころか80%程度の信頼すらできる数値じゃない件について

95%信頼(笑)区間とか
0834日本@名無史さん
垢版 |
2018/07/07(土) 21:53:45.99
キナイコシが無知を晒している。
0836日本@名無史さん
垢版 |
2018/07/07(土) 23:00:35.68
数値の正確性を考慮できるレベルのデータじゃないものに対して無理矢理に正確さを求めたりとか無謀に過ぎる

zarakokuみたいな、概数を加算減算すると誤差が相殺されるとかデタラメなことを信じてたりはしないだろうな?


(a ± b)−(c±d)=(a-c)±(b-d)じゃないからな

(a ± b)−(c±d)=(a-c)± √(bxb+dxd) だからな

○○余里を足し合わせて1万2千余里から引いた残りは100余里じゃなく100±数千里だぞ
0837日本@名無史さん
垢版 |
2018/07/07(土) 23:53:55.81
>>832
>95%信頼区間に430mが含まれていないから、東夷では魏の里が使われていなかったことは明白。

他人の計算に、訳の分からない誤解釈を付け足して貼り付けるんじゃねえよw

これの元ネタは「マイナスの値まで含む信頼区間しか出ないデータセットから、
短里があると言い張るのはバカの極み」っていう意味のものだぞww

根拠はオレw
0839日本@名無史さん
垢版 |
2018/07/08(日) 00:03:51.78
>>836
>○○余里を足し合わせて1万2千余里から引いた残りは100余里じゃなく100±数千里だぞ

また嘘をついている。
1万2千「余」里ではなく1万2千里だろ。
千余里は正確ではないもののおよそ千百里から千五百里ほどの間だろう(千八百里とかならおよそ2千里とか二千里足らずと書いただろう)。
そういう余りを加算すると、合計で一万二千里になるんだよ。
少なくとも陳寿らはそう理解して記録した。
0840日本@名無史さん
垢版 |
2018/07/08(日) 00:41:17.32
三国志の分では
>自郡至女王國萬二千 餘 里
とある。1万2千里ではなく1万2千余里だよ

余が無いのは後漢書のみ

おまいら九州王朝説では後漢書は書き換えられてて信用できない、陳寿の三国志の方が正しいといつも主張してるクセに、自説の都合によっては後漢書の方が正しいとか言い出すのかよ、ご都合主義者め
0841日本@名無史さん
垢版 |
2018/07/08(日) 01:52:56.47
帯方郡(ソウル)ー(循海岸水行7000里)ー狗邪韓国(巨斉島南岸) 550km/7000里=79m/1里

狗邪韓国(巨斉島南岸)ー対馬国(対馬北西岸)75km/1000里=75m/1里
対馬国(循海岸水行800里)対馬北岸ー対馬東岸 70q/800里=79m/1里
対馬国(巌原)ー対馬南端海域経由 一大国(壱岐北端)70km/1000里=70m/1里
一大国(循海岸水行600里)        35q/600里=60m/1里
一大国(壱岐南端)ー末廬国(唐津中原)   45km/1000里=45m/1里

末廬国(唐津)ー伊都国(嘉瀬川扇状地惣座) 40km/500里=80m/1里
伊都国(嘉瀬川扇状地惣座)ー奴国(佐賀城跡)   7km/100里=70m/1里
伊都国(嘉瀬川扇状地惣座)ー不弥国(吉野ヶ里)8km/100里=80m/1里
0842日本@名無史さん
垢版 |
2018/07/08(日) 05:27:16.40
帯方郡(京畿湾 徳積島)ー(循海岸水行7000里)ー狗邪韓国(巨斉島南岸) 550km/7000里=79m/1里

狗邪韓国(巨斉島南岸)ー対馬国(対馬北西岸)75km/1000里=75m/1里
対馬国(循海岸水行800里)対馬北岸ー対馬東岸 70q/800里=79m/1里
対馬国(巌原)ー対馬南端海域経由 一大国(壱岐北端)70km/1000里=70m/1里
一大国(循海岸水行600里)        35q/600里=60m/1里
一大国(壱岐南端)ー末廬国(唐津中原)   45km/1000里=45m/1里

末廬国(唐津)ー伊都国(嘉瀬川扇状地惣座) 40km/500里=80m/1里
伊都国(嘉瀬川扇状地惣座)ー奴国(佐賀城跡)   7km/100里=70m/1里
伊都国(嘉瀬川扇状地惣座)ー不弥国(吉野ヶ里)8km/100里=80m/1里
0844日本@名無史さん
垢版 |
2018/07/08(日) 11:08:39.47
伊都国の場所を動かすのはいただけない。
ただ、距離のばらつきは減ったなあ。
0845学術
垢版 |
2018/07/08(日) 11:32:00.18
陳羣 いい値だよね。
0846学術
垢版 |
2018/07/08(日) 11:32:26.22
徐庶はもと武将なんだよね。
0847学術
垢版 |
2018/07/08(日) 11:33:15.72
武将 軍師では 中国では武将が能力伸びたけど、日本には軍師が育たない
難点があるよ。
0848日本@名無史さん
垢版 |
2018/07/08(日) 12:18:07.06
>>839
>1万2千「余」里ではなく1万2千里だろ。

三国志
自郡至女王國萬二千「餘」里

魏略
自帯方至女國萬二千「餘」里

後漢書
樂浪郡徼去其國萬二千里

梁書
去帶方萬二千「餘」里

余がないっていうのは意味ないね
0850日本@名無史さん
垢版 |
2018/07/08(日) 13:10:11.04
じゃあ伊都からさらに歩かなくてはいけないから、ザラコクのような筑後説なってしまう。
0851日本@名無史さん
垢版 |
2018/07/08(日) 13:10:14.32
たもえば露出狂は恥ずかしがらない


変態とは、そういうもの
0852日本@名無史さん
垢版 |
2018/07/08(日) 14:25:14.78
行程記事が現実の地理と合っていないという想定を排除しちゃうから曲解に曲解を重ねてつじつま合わせを繰り返すことになる

行程記事が間違いだらけで、この記事では邪馬台国にたどり着けないと認めてしまえば楽になるよ
畿内説を否定する論拠が完全消滅しちゃうけどね
0853日本@名無史さん
垢版 |
2018/07/08(日) 14:50:03.73
畿内説にこだわるあまり、おおもとの魏志倭人伝まで否定しなくてはいけなくなる。
0855日本@名無史さん
垢版 |
2018/07/08(日) 16:39:02.92
史料に多くの誤りが含まれているのは当たり前で、誤りに惑わされないように読み込むのが学問の本道

誤りをも事実と妄信して怪しい暗号解読に邁進するのは創作業。ダヴィンチコードとか聖書の暗号とかの同類。
ありもしない架空の「真実」(真実モドキ)を発掘しようとしてるだけだね
0856>>842
垢版 |
2018/07/08(日) 18:08:25.78
>>850
>じゃあ伊都からさらに歩かなくてはいけないから、ザラコクのような筑後説なってしまう。

ザラコク氏は、私と同じ邪馬台国筑後説になったのですか?

帯方郡(京畿湾 徳積島)ー末廬国(唐津中原) 水行10日(11400里)(>>842より)

末廬国(唐津中原)−邪馬台国(八女室岡遺跡群) 陸行1月≒1000里≒80q
内訳:末廬国(唐津中原)ー伊都国(嘉瀬川扇状地惣座)ー不彌国(吉野ヶ里) 600里(50q)
   不彌国(吉野ヶ里)ー邪馬台国(八女室岡遺跡群) 400里(30q)
注:卑弥呼の居所城柵(女王之所都)は久留米南部(邪馬台国中央部)
  邪馬台国の範囲 北野地域(筑後川中流平野)+筑後平野内陸部(筑後平野沿岸地域は投馬国)
0857日本@名無史さん
垢版 |
2018/07/08(日) 19:13:47.46
>>852
>行程記事が現実の地理と合っていないという想定を排除しちゃうから曲解に曲解を重ねてつじつま合わせを繰り返すことになる

行程記事は現実の地理と合っているんだけどw 
合っていないのはトンデモ説だからだよ。  @阿波
0858日本@名無史さん
垢版 |
2018/07/08(日) 20:00:42.07
>>852
比率としては一定で、里の長さがおかしいだけで、あとはほぼ正しく実際の地名に比定できる。
畿内説が信じたくないだけ。
里の定義が短いだけ。
0859日本@名無史さん
垢版 |
2018/07/08(日) 20:55:13.77
個人的には私も筑後説だったのですけど、平原遺跡があまりにも倭国女王の墓らしくて、伊都国説の方が正しく思えてきましたよ。
0861日本@名無史さん
垢版 |
2018/07/08(日) 21:30:14.63
>>858
その割には、いう人ごとに比定地が違うね
0862日本@名無史さん
垢版 |
2018/07/08(日) 21:33:22.57
>>856
奴国と投馬国はどこに入るの?

私も
末慮国は唐津平野
末慮国から東南陸行五百里は佐賀平野だと思うけれど、
そこは伊都国ではない
違う場所への旅程が、伊都国への旅程として書かれている程度に
魏志倭人伝はいい加減

それを正しいと盲信するのは愚かしい所行だよ
0863日本@名無史さん
垢版 |
2018/07/08(日) 21:49:38.59
>>862
>私も
>末慮国は唐津平野

もし「末慮国は唐津平野」だったら、宗像にとって代わって唐津が「世界文化遺産」になってる筈。
なんで唐津が「世界文化遺産」になっていないんだろうね。  推して知るべし。  @阿波
0864日本@名無史さん
垢版 |
2018/07/09(月) 00:46:20.84
伊都国が固定されるべきで、そこから末盧国を考えればいいんじゃないかな?
0865日本@名無史さん
垢版 |
2018/07/09(月) 03:32:10.86
>>862
>奴国と投馬国はどこに入るの?

奴国の位置
末蘆国上陸地点は、唐津平野中原遺跡(付近は弥生遺跡の密集地)。
中原遺跡の東南40q(500里)は、佐賀平野嘉瀬川扇状地の惣座遺跡(肥前国庁跡周辺)の伊都国城柵。
奴国城柵は、伊都國城柵の南南東7q(100里)の佐賀城跡になる。
奴国領域は、佐賀平野西部中南部(伊都国の在る肥前国庁跡周辺地は除く)

投馬国の位置
・投馬国は不彌国(吉野ヶ里遺跡)の南に在る。
・投馬国は帯方郡から水行20日(2万里)に在る海岸沿いの国。
以上2条件から、投馬国は有明海に面した筑後平野(佐賀諸富・大川〜大牟田)に在る。
(3世紀の佐賀市諸富は筑後川河口の南側に位置していた。佐賀平野東部は海で、
 神崎市千代田以南は、佐賀市諸富を除いて、北に入り込んだ有明海の湾であった。)
0866日本@名無史さん
垢版 |
2018/07/09(月) 03:46:37.74
>>864
>伊都国が固定されるべきで、そこから末盧国を考えればいいんじゃないかな?

伊都国を固定できる根拠は何?
伊都国怡土説には根拠がない。
倭奴国怡土説は支持する。 倭奴=委奴=イト
0867日本@名無史さん
垢版 |
2018/07/09(月) 03:55:00.84
>>859

伊都国に居た王(世有王)は、卑弥呼女王ではありません。
0868日本@名無史さん
垢版 |
2018/07/09(月) 03:57:50.75
>>866
地名が同じで遺跡も豊富だろ
これを「根拠ない」なんて言い張っても
世間がお前を信用しないよ
0869日本@名無史さん
垢版 |
2018/07/09(月) 06:11:17.96
>>868

いい加減にして、現実に眼を向けよう。
大陸からの玄関口は往古より「世界文化遺産」の相島・宗像方面。  @阿波
0870日本@名無史さん
垢版 |
2018/07/09(月) 07:20:53.09
倭奴国が記録された時代と、怡土郡の王墓が作られた時期は同じで、それは伊都国に王ありとされた時代でもある。
つまり伊都=怡土=倭奴国だよ。
0872日本@名無史さん
垢版 |
2018/07/09(月) 09:30:19.53
ないという根拠は?
0873日本@名無史さん
垢版 |
2018/07/09(月) 09:36:56.82
>>870

倭奴国が記録された時代・・・・1世紀後半
怡土郡の王墓が作られた時期・・1世紀〜3世紀
伊都国に王ありとされた時代・・3世紀前半

上記3つの時期時代は一致しない。
0875日本@名無史さん
垢版 |
2018/07/09(月) 12:07:13.97
九州説のやつらがいう地名の一致って、かつて存在したとされる音韻の区別(例えば甲音 乙音?)を区別しないでいっしょくたにしたりするなど、乱暴すぎることが多いよね
0876日本@名無史さん
垢版 |
2018/07/09(月) 12:07:43.55
>>873
時代が被っているから、少しずつ表記が変わっていっただけ。
0877日本@名無史さん
垢版 |
2018/07/09(月) 12:10:50.65
>>874
古墳はどれもこれも地方王(豪族)墓だよ。  @阿波
0878日本@名無史さん
垢版 |
2018/07/09(月) 15:34:56.48
>>874
春日は不弥国ではないだろうか。
0879日本@名無史さん
垢版 |
2018/07/09(月) 18:01:15.70
>>878
>春日は不弥国ではないだろうか。

不弥国は
築城五反田遺跡、上別府沖代遺跡、安武・深田遺跡、安武・土井の内遺跡、赤幡森ヶ坪遺跡
などがある「築上町辺り」だね。  @阿波
0880日本@名無史さん
垢版 |
2018/07/09(月) 20:16:36.50
>>878
>春日は不弥国ではないだろうか。

不彌國は、「戸制度」ではなく一大国と並ぶ特殊な「家制度」であるから、特異な地域を治めていた。

その特異な地域とは、2世紀前半に衰退した帥升王倭國の首都(倭都・米多國)であった吉野ヶ里である。

不彌國集団(奴國 不彌國 邪馬台国 投馬國)に敗れた帥升王倭國は、倭都を西方100里の佐賀惣座遺跡(肥前国庁跡付近)に遷都した。
0881日本@名無史さん
垢版 |
2018/07/09(月) 20:20:20.98
>>880
ほんとうに妄想が好きだね。  @阿波
0882日本@名無史さん
垢版 |
2018/07/09(月) 20:31:34.55
「戸」表記の地域と「家」表記の地域が別系統史料に由来してるだけだろ
つまり、「戸」表記資料に収録されてない地域だったって事

魏じゃなく呉と交流があって魏に情報が渡ってなかったとかな
0883日本@名無史さん
垢版 |
2018/07/10(火) 08:04:17.01
>>864
>伊都国が固定されるべきで、そこから末盧国を考えればいいんじゃないかな?

伊都国の北西500里は海の上

その程度に、魏志倭人伝の旅程記事はいい加減
0884日本@名無史さん
垢版 |
2018/07/10(火) 08:21:40.63
>>863
>もし「末慮国は唐津平野」だったら、宗像にとって代わって唐津が「世界文化遺産」になってる筈。
>なんで唐津が「世界文化遺産」になっていないんだろうね。  推して知るべし。

宗像が世界遺産になったのは、海の正倉院、沖津宮の存在が大きい

まあ、半島との航海の神であることは間違いないけれど、卑弥呼の頃とは時代が違うよ
0885日本@名無史さん
垢版 |
2018/07/10(火) 08:26:43.44
宗方の祭祀は上古から始まっている。
必ずしも時代が違うわけではない。
0886日本@名無史さん
垢版 |
2018/07/10(火) 11:29:00.29
>>884
>まあ、半島との航海の神であることは間違いないけれど、卑弥呼の頃とは時代が違うよ


もし「末慮国は唐津平野」だったら、宗像にとって代わって唐津が「世界文化遺産」になってる筈。
なんで唐津が「世界文化遺産」になっていないんだろうね。  推して知るべし。  @阿波
0887日本@名無史さん
垢版 |
2018/07/10(火) 17:29:06.59
>>882
>「戸」表記の地域と「家」表記の地域が別系統史料に由来してるだけだろ
>つまり、「戸」表記資料に収録されてない地域だったって事

「戸」「家」は古代中国の概念

「戸」:王領主の所有物である農奴(農民奴隷)

「家」:王領主に対して自主性有(王領主の部下になれる)
    「家」は場合によっては王領主になることもある。

日本には歴史的に農奴がいなかった。
日本の農家=農奴 と考えるアホなシナ人が今でもいる。
0888日本@名無史さん
垢版 |
2018/07/10(火) 17:33:08.75
「世界文化遺産」と「末慮国は唐津平野」には何の関連性もない。
0889日本@名無史さん
垢版 |
2018/07/10(火) 17:40:36.83
>>888
>「世界文化遺産」と「末慮国は唐津平野」には何の関連性もない。

そうだね。
「世界文化遺産」と「末慮国は相島・宗像方面」には関連性があるってこと。  @阿波
0890日本@名無史さん
垢版 |
2018/07/10(火) 17:56:23.96
「世界文化遺産」と「末慮国は相島・宗像方面」にも何の関連性もない。
0891日本@名無史さん
垢版 |
2018/07/10(火) 18:05:34.56
同じ文化圏だろ。
筑紫を中心とする古代文化があったということだよ。
0892日本@名無史さん
垢版 |
2018/07/10(火) 18:12:30.89
【筑紫を中心とする倭国の交易路】
もともと日本海ルートが倭国の交易の主力だった。4世紀の仲哀天皇のときに関門海峡が開削され、5世紀の雄略天皇のときに風待ち港と澪標が整備され、瀬戸内ルートが整備された。なお、太平洋ルートは事実上存在しなかった模様。纒向は日本海ルートの末梢の辺境。

筑紫博多→出雲→丹後・若狭→能登・越→諏訪→甲斐・秩父
↓         ↓
↓     近江三上祝→東濃→纏向

宇佐→瀬戸内海→阿波・吉備→淡路島→摂津


【九州北部勢力による倭国の拡大】
紀元前に、越のヒスイ勾玉を含む三種の神器が出現
→日本海沿岸の土器が博多湾へ流入

1世紀に銅矛などが拡散
2世紀に高地性集落が瀬戸内海を東征
→瀬戸内四国の土器が博多湾へ流入

2世紀末に銅戈が大阪湾上陸
→畿内から庄内式土器が博多湾へ流入

3世紀に大型内行花文鏡が畿内へ侵入
→畿内から布留式土器が博多湾へ流入
0893日本@名無史さん
垢版 |
2018/07/10(火) 19:52:51.58
>>891
>同じ文化圏だろ。

文化は圧倒的に相島・宗像方面だね。  @阿波
0894日本@名無史さん
垢版 |
2018/07/12(木) 13:35:47.73
とても簡単な稼ぐことができるホームページ
念のためにのせておきます
検索してみよう『立木のボボトイテテレ』

4TW
0895日本@名無史さん
垢版 |
2018/07/13(金) 07:48:08.68
>>887
>「家」:王領主に対して自主性有(王領主の部下になれる)
    「家」は場合によっては王領主になることもある。

又南渡一海千餘里、名曰瀚海。至一大國。官亦曰卑狗、副曰卑奴母離。
方可三百里、多竹木叢林。「有三千許家。」

東行至不彌國百里。官曰多模、副曰卑奴母離。「有千餘家。」

壱岐と不彌國にだけ、自主自立の民が千家単位であるっておかしいだろ?
単にもと資料の表記の違いだろ
0896日本@名無史さん
垢版 |
2018/07/14(土) 00:41:17.57
>>895
>壱岐と不彌國にだけ、自主自立の民が千家単位であるっておかしいだろ?
>単にもと資料の表記の違いだろ

漢籍で「戸」「家」の使い方を調べてごらん。
「戸」:農奴 奴隷の農家
「家」:自立農家 豪族
0898日本@名無史さん
垢版 |
2018/07/16(月) 06:54:47.39
九州王朝が確かだとすると奈良の飛鳥とかにある遺跡はだれが作ったのか?
東鯷国?
0899日本@名無史さん
垢版 |
2018/07/16(月) 07:55:27.29
>>898
>奈良の飛鳥とかにある遺跡はだれが作ったのか?

倭国(阿波)から遷都する前の朝鮮半島人たちの遺跡。  @阿波  
0900日本@名無史さん
垢版 |
2018/07/16(月) 08:18:41.85
日本国は倭種(倭と同じ民族)とあり、九州の分家の扱いですね。
それが後に(九州の)倭を併合したのだとか。
0901日本@名無史さん
垢版 |
2018/07/16(月) 08:57:24.98
>>900
>日本国は倭種(倭と同じ民族)とあり

倭国(阿波)から遷都する以前は「倭種の国」。
8世紀の遷都後は「日本国」「大倭国」「大和国」  @阿波
0902日本@名無史さん
垢版 |
2018/07/16(月) 10:14:13.57
>>896
呉、楚など南方の文化圏では黄河流域の文化圏とは用字に違いがある

口と書くところで嘴をよく使う傾向がある、みたいな、方言がな。
戸と家の違いも、元資料が違ってたことを反映してるだけ、つまり片方が呉で作られた資料を使ってるんじゃないか、と思うわけ。
意味の違いによる使い分けと主張するには同一著作内での使い分けの例を示さないと(それも、引用ではない部分もしくは同一資料からの引用文とわかるもの)証拠にはならないよ
0903日本@名無史さん
垢版 |
2018/07/16(月) 23:22:08.90
>>902
>呉、楚など南方の文化圏では黄河流域の文化圏とは用字に違いがある

文化圏による用字の違いではない。

三国志では、「戸」が「魏書」「呉書」「蜀書」で夫々同じ意味で使われている。

魏志韓伝では、統一王者の居ない馬韓辰韓弁韓夫々では「家」を使い、
韓全体としては「戸」を使っている。
0904日本@名無史さん
垢版 |
2018/07/19(木) 12:46:58.87
邪馬壱国の所在地論争は、『魏志倭人伝』の行路記事のありとあらゆる解読案にも
かかわらず、未だに決着を見ていません。
0905日本@名無史さん
垢版 |
2018/07/19(木) 12:47:35.20
これは、万人を納得させるような解読方法が発見されていないからですが、
それでも『三国志』全体を調査せず、倭人伝だけであれこれ推理していた
「古き良き時代」なら「正しい解読方法がまだ発見されていないだけかも
しれない」という可能性も十分あったので、文献オンリーで邪馬壱国の位置が
わかるかもしれないという希望が持たれていたと思います。
0906日本@名無史さん
垢版 |
2018/07/19(木) 12:48:07.58
ところが、おそらくは古田武彦氏に始まるのでしょうが、「倭人伝だけを調べていた
のではだめで、『三国志』全体を調査しなければ倭人伝を解読することはできない」と
いう新しい見方が導入されました。古田氏によれば、「漢字の用法を『三国志』
全体から帰納すれば、倭人伝の矛盾のない解読方法が判明する」というのです。
0907日本@名無史さん
垢版 |
2018/07/19(木) 12:48:30.24
このような見方は斬新なものでしたから、この手法と結論の検証が、
アマチュアを含む多くの研究者によって行われるようになりました。
例えば「短里」の問題などはその最たるものでしょう。
0908日本@名無史さん
垢版 |
2018/07/19(木) 12:48:57.78
ところがその結果分かったことは、ある意味では当然といえば当然で、
しかし非常に残念なことではありますが、「『三国志』全体を調べても、
一つの漢字には多くの用法があり、しかも一冊の正史は一人の著者に
よって実際に書かれたとは限らず、従って文字の意味は一意に定まらず、
このような方法によって漢字の用法を帰納して倭人伝を解読することは
不可能である」というものでした。
0909日本@名無史さん
垢版 |
2018/07/19(木) 12:50:26.63
また、陳寿の撰述態度は、できるだけ原典を尊重するというものだったとされており、
典拠資料の原文に極力忠実に記したものと言われています
0910日本@名無史さん
垢版 |
2018/07/19(木) 12:52:32.58
いわゆる魏志倭人伝でも、戸数が、基本的には「戸」で記されているのに
一大國と不彌國だけ「家」となっているのは、もとの資料でそのように
書かれていたからだと解釈されています
0911日本@名無史さん
垢版 |
2018/07/19(木) 14:14:26.43
>>1
>トンデモ説の域はでてないのかな?

トンデモ説の域、どころか、トンデモ説のお手本みたいなものだよ

誤読と曲解と、捏造+チェリーピッキングでできているんだからw

誤読 伊都国が、邪馬台国の都
曲解 水行の起点は帯方郡
捏造 短里(東夷伝里)
0912日本@名無史さん
垢版 |
2018/07/19(木) 15:21:52.21
短里の発明が二十世紀初頭で古田より古いから、
古田単独での捏造とは言えないよ

短里に否定的な見解が主流になっていたなかで
牽強付会で再興させただけだ
0913日本@名無史さん
垢版 |
2018/07/19(木) 18:15:56.84
発明じゃなくて、実際の地理と比較するとそれくらいの尺度であることがわかった、というだけのことだろう。
0914学術
垢版 |
2018/07/19(木) 18:54:54.14
九州も狭いし、王の存在はマジでいかんと思う。列島にもいらない。
おとづれ のだいじさなるなり
0915日本@名無史さん
垢版 |
2018/07/19(木) 20:24:52.38
>>913
実在しない架空の度量衡を創作するという手法を発明したのが20世紀初頭のこと
それが短里説
0916日本@名無史さん
垢版 |
2018/07/19(木) 21:09:27.13
>>915
別に創作したわけじゃないだろ。
0923日本@名無史さん
垢版 |
2018/07/20(金) 03:00:17.13
「単里」は、「周髀算經」でその存在が証明されています。 1里=76.5m(平均値)

「周髀算經」の記述内容がBC1120年頃迄の事象であることを、現代の天文学は証明しています。
0924日本@名無史さん
垢版 |
2018/07/20(金) 03:18:48.12
誤読 伊都国が、邪馬台国の都

  その通り。


曲解 水行の起点は帯方郡

  「從郡至倭」の「從」の意味を理解できると水行の起点が帯方郡になる。


捏造 短里(東夷伝里)

  >>923で「単里」の実在が証明されています。
0925日本@名無史さん
垢版 |
2018/07/20(金) 03:24:10.32
「從郡至倭」と「自郡至倭」の違いを理解出来なければならない。
0927日本@名無史さん
垢版 |
2018/07/20(金) 07:50:37.63
>>924
>誤読 伊都国が、邪馬台国の都

>  その通り。


誤読なのは、その通りなんだね!
意見の一致を見て、なによりだよw
0928日本@名無史さん
垢版 |
2018/07/20(金) 07:57:39.45
>>924
>曲解 水行の起点は帯方郡

>  「從郡至倭」の「從」の意味を理解できると水行の起点が帯方郡になる。

バカ?
それ以前に(文章中で)今いるところから出発じゃないと話が通じない
そしてその主張だと帯方郡から南に行くだけで邪馬台国につくことになるが
冒頭の「倭人在帶方東南大海之中」と明確に矛盾する
0929日本@名無史さん
垢版 |
2018/07/20(金) 08:07:08.77
>>924
>捏造 短里(東夷伝里)

>  >>923で「単里」の実在が証明されています。

>>923
>「周髀算經」の記述内容がBC1120年頃迄の事象であることを、現代の天文学は証明しています。

「周髀算經」は、蓋天説という古代中国ですでに間違いであることが明らかにされていた書物
春分秋分の正午の影の長さが、冬至と夏至の中間とか、実測値ではないことがそれだけで分かる
一寸千里とかいうのは、蓋天=平面の空が、地上から八万里としていて八尺棒で影を測るから
その比が一寸千里ってだけだよ
一寸千里×80=八尺八万里

こんなものしか頼るものがないんだよな、九州説はw
0930日本@名無史さん
垢版 |
2018/07/20(金) 08:09:02.11
>>929
文章修正

「周髀算經」は、蓋天説という古代中国ですでに間違いであることが明らかにされていた
「間違った説に沿って計算を行った」という書物
0931日本@名無史さん
垢版 |
2018/07/20(金) 09:42:14.25
>>930
漢代の天文学者「太陽までの距離が一万数千里から十数万里まで変わるというのに、太陽の見える大きさが変わらないのはナゼだっ? 実測したってウソだろ」

周髀家「・・・・」
0932日本@名無史さん
垢版 |
2018/07/20(金) 12:04:18.47
周髀算經には「北極枢大星」の観測が書かれています。
これは現代21世紀の天文学に基づくと、
商代BC1120年頃の小熊座ベータ星が北極星であった時の観測結果になります。
観測地点:北緯38度 石家庄付近

「一寸千里」の観測は、上記商代「北極枢大星」の観測より古いものですが、同じ商代のものです。
「一寸千里」の観測は、夏至の正午のものです。
現代とは異なる商代の地軸の傾きを基にして、「一寸千里」を求めると、
1里=76.5m(平均値)になります。
0933日本@名無史さん
垢版 |
2018/07/20(金) 12:08:38.43
周牌というアイテムを扱って計算するから周牌算、その計算方法に関する本だから周牌算経なんだよ

周代のことを記したなどと捏造するなよ
0934日本@名無史さん
垢版 |
2018/07/20(金) 12:39:16.83
「自郡至倭」
訳:郡から倭に至るには

「從郡至倭」
訳1:郡に立ち寄って、そこから倭に至るには
訳2:郡を経由して、そこから倭に至るには
訳3:郡の向こうにある倭に至るには

倭への行程は不彌國(女王國)までで、道里は12000餘里
投馬国へは概算道程水行20日(概算水行2万餘里)
邪馬台国へは概算道程水行10日(概算水行1万餘里)と概算道程陸行1月(概算陸行1千餘里)
0935日本@名無史さん
垢版 |
2018/07/20(金) 12:46:03.67
九州説はどこまでもトンデモ
0936日本@名無史さん
垢版 |
2018/07/20(金) 12:52:59.90
>>932
昔からある天文学の情報や腐儒の空想をツキハギにちりばめて箔を付けようとしただけのトンデモ本だよ
ツギハギなので、現代人が現代知識を接ぎ木して逆算すると変な値が出る
0937日本@名無史さん
垢版 |
2018/07/20(金) 12:55:21.89
>周代のことを記したなどと捏造するなよ

商高(商の高官)等から商の知見を学んで、周公(周旦)がまとめたものが「周髀算經」である。
0938日本@名無史さん
垢版 |
2018/07/20(金) 18:49:52.88
>>937
それ、真っ赤なウソ
「昔、周公が・・」って書き出しでモロバレ
0939日本@名無史さん
垢版 |
2018/07/20(金) 20:46:37.19
>>938
周公(周旦)が商高(商の高官)に質問して、
商高等が質問に答える形式で書かれているのだが、
その何所が真っ赤なウソなんでしょうかね?

それを文書化したのは、周公(周旦)の部下でしょうね。
周旦は周建国時の最大の功労者です。事実上の王

「昔」とあるのは、周が殷商を滅ぼした時の会話だからでしょうね。
殷が引き継いできた商文化知識を周が引き継ぐ為の会見を記録したものでしょう。
0940日本@名無史さん
垢版 |
2018/07/20(金) 21:11:43.36
昔の偉人が語ってる形式で説明するのは古代の本ではかなりメジャーな一般形式だぞ
戦国時代半ばか後半頃成立の「老子」だって、孔子よりひと世代上の架空の偉人「老子(李耳、あざなは? )」が年若い孔子に語り聞かせる体裁をとっているし、

論語の中にも孔子が周公の言葉として語る架空の言説(多くは孔子の創作か当時の巷説の引用で史実ではないと思われる)が記されている


「昔、周公が・・」って書き出しは、むしろ典型的な創作物だよ
周公が言ったとされる言説のうち、後代の人間が作ったものでなく本当に周公が言ったと考えていいのは青銅器に鋳込まれた金石文の言葉だけ。
書物に記されてる物は(史記の周本紀のものも含めて)たいていは後代の創作
とうぜん、周牌算経も後漢代の創作物
0941日本@名無史さん
垢版 |
2018/07/20(金) 21:14:11.51
珍読名人無限段の位を授ける。
0943日本@名無史さん
垢版 |
2018/07/22(日) 07:37:01.23
>>934
漢典
「從」
6. 自、由。《孟子•離婁下》:“施施從外來。”唐•杜甫《月夜憶舍弟詩》:“露從今夜白,月是故鄉明。”

English
from, by, since, whence, through

単に、「自 より」と同じ意味で使われているだけだよ

前にも女王之所都で「之」が入っているから、「女王の都するところ」じゃないって
言ってた九州説のあんぽんたんがいたけれど、九州説にはまともに漢文が読めるやつはいないのか?
0944日本@名無史さん
垢版 |
2018/07/22(日) 07:42:29.25
古田氏は、珍読というよりは、牽強付会のほぼ捏造だからちょっと違うと思ふ
0945日本@名無史さん
垢版 |
2018/07/22(日) 07:45:41.04
周牌算経は、天も地も平面で、その平面の間の距離が八万里っていう蓋天説に沿って
机上の計算をしているだけだから、それを現実の地理の説明に使おうなんてのが、
端からおかしいんだよ

周牌算経により短里の存在がーとか言い出すのは、愚の骨頂w
0947日本@名無史さん
垢版 |
2018/07/22(日) 09:06:43.29
キナイコシの数学的センスが皆無なのが笑える
0948日本@名無史さん
垢版 |
2018/07/22(日) 09:10:13.99
古田氏は誤字脱字まで忠実に解釈してしまうタイプ。
0950日本@名無史さん
垢版 |
2018/07/22(日) 11:03:58.27
>>948
そうそう。

んで、古文献の世界全般の常識を無視して逸脱していくんだよ。典型例が939
0951日本@名無史さん
垢版 |
2018/07/22(日) 19:57:56.26
>>940 及び>>941-950
>とうぜん、周牌算経も後漢代の創作物

周髀算經の内容が後世の創作物ではありえない証拠を示しましょう。
天文学天体物理数学に弱い君には理解できるかな?

以下が周髀算經 巻下 3 に書かれているである。
>>https://ctext.org/zhou-bi-suan-jing/juan-xia/zh

上記にかかれている内容を解説しよう。
@黄道の北極点(北極枢) こぐま座ベータ星(北極中大星) 赤道の北極点(地球自転軸傾斜角の基準)
 上記3点が天球に一直線に並んでいる。

A北極枢(天の北極)と北極中大星(北極星)がなす視角は、5.399度である。

B上記@Aを観測する日時場所は、観測者だけが設定できるものである。
 観測場所の緯度は、観測者のいた時代の北緯37.836度である。

上記3条件が揃う時代は紀元12世紀末(BC1120頃)しかない。
北極星が存在しない時代である後漢の人が、創作で書けることはありえない。
「周髀算經 巻下 3」は、紀元12世紀末(BC1120頃)の観測者だけが書ける内容である。

よって、周髀算經に記述された内容は殷商時代のものであって周代以降のものではない。


以上の内容にについては、AD2000に地球の歳差運動についての詳細なデータが
発表提供されるようになってから考察可能となったのである。
0952日本@名無史さん
垢版 |
2018/07/22(日) 20:01:22.33
九州王朝は周王朝の末裔

周も和も共に○をイメージ
0953日本@名無史さん
垢版 |
2018/07/22(日) 20:59:33.98
キナイコシは真理を探究するセンスが皆無なんだな
>>951
0954日本@名無史さん
垢版 |
2018/07/22(日) 21:09:12.39
数値の精度やら誤差率を自説の都合に合わせて緩急つけるのも王朝信者の18番だね
曲解や珍解釈と都合のいい部分のピックアップ/無視とか、インチキ手法の大盤振る舞いだよ
0955日本@名無史さん
垢版 |
2018/07/22(日) 21:14:54.76
そうだね、キナイコシはまるで詐欺師のようだね。
0956日本@名無史さん
垢版 |
2018/07/22(日) 21:36:48.82
一寸千里法は、
魏志倭人伝の里程単位「一寸千(短)里」説批判 Unit of Length mentioned in WEI CHIN concerning Japanese People Critique of the short mileage theory
篠原 俊次 Shinohara Shunji
って論文で論破されて、それに対する反論も出さなかったことで終わってるだろ

計量史研究
計量史研究 7(1), 7-22, 1985 日本計量史学会

を探して読んで来いよ



周牌算経の数値から得られる数値はたくさんあって、「2580B.C.年」 とか、「地理的には現在の山西省陽泉市?大原市を結ぶ高緯度線」
など、数値誤差に起因してか、いろんなばらついた結果が出まくってるぞ

どう見ても自説に都合のいいとこだけピックアップしてきました、他は無かったことにしてます、感が出まくってる。
これがインチキじゃなかったら、インチキって言葉の意味を根源から問い直さなければいけないよな

古田説w
0957日本@名無史さん
垢版 |
2018/07/22(日) 21:42:22.24
チョンのような感情的反論しかできないようだね。

論理的理知的反論が欲しいな。
それによって周髀算經巻下3論もより強化されると思うんだがね。
それとも無視?
0958日本@名無史さん
垢版 |
2018/07/22(日) 21:46:16.62
依拠文献が示されてるのに感情的とか
伊都クズはまじに学問の方法論を理解してないな
0960日本@名無史さん
垢版 |
2018/07/22(日) 22:11:24.79
>>956

「地理的には現在の山西省陽泉市ー大原市を結ぶ高緯度線」説は、
時代による赤道傾斜角の変動を考慮し忘れていますね。

「2580B.C.年」説は、りゅう座アルファ星トゥバンがピラミッド建設時の北極星であったことですね。

篠原 俊次氏の論文は反論に値しない内容だったと記憶しているが。
其の論文は1985年。

北極枢大星「周髀算經 巻下 3」説は、
AD2000に地球の歳差運動についての詳細なデータが
発表提供されるようになってから考察可能となったのである。
0962日本@名無史さん
垢版 |
2018/07/22(日) 22:45:26.71
>>959
愚にも付かない難癖をつけることしかできてないのに否定したつもりになってる酔っ払い談義を紹介して、それで否定したつもりになってるのか。悲惨なほど知的レベルが低いね

酔っ払い談義が学術的考察に見えてしまうほど判断力が無いなんてさ
0963日本@名無史さん
垢版 |
2018/07/22(日) 23:00:25.32
>>962
反論できなかったんたね


W
0964日本@名無史さん
垢版 |
2018/07/22(日) 23:03:53.48
節穴だらけ。

引用が普通でない論文という指摘がある。
それだけで失格。読む価値なし。

批判する価値もない論考と思われたんだろうね。
0965日本@名無史さん
垢版 |
2018/07/22(日) 23:24:17.74
>>964
罵るだけか

反論できなかったんだね
0966日本@名無史さん
垢版 |
2018/07/22(日) 23:41:54.13
冬至の影の長さが短すぎる、実測だったら同一地点ではないはずの数値を記載してるのに、
どのような根拠で実測だと信じたのか。

本影、半影の別も誤差も考えても、あり得ないほどに冬至の影の長さが短い。
記載数値に正確さがないと考えざるを得ないほどの大きな狂いがある。

そんな本の中から、自説に都合がいいとこだけピックアップするいんちき。
まともな頭がある人なら信用しないよ
0967日本@名無史さん
垢版 |
2018/07/22(日) 23:58:03.54
形式の整ってない論考は読む価値がないよ
反論以前の問題。むしろそんな論文を読み解く時間を浪費するだけ有害な存在。そんなことも理解できないのか?
まともに査読したことないな?
0968日本@名無史さん
垢版 |
2018/07/23(月) 00:06:45.28
>>960
に反論がでないから

創作でなかったということだね。めでたしめでたし。
0969日本@名無史さん
垢版 |
2018/07/23(月) 05:39:48.42
>>967
形式が整ってないって証拠は?
0970日本@名無史さん
垢版 |
2018/07/23(月) 07:12:39.00
>>968
言ってることに論理性がない
0971日本@名無史さん
垢版 |
2018/07/23(月) 07:46:06.71
>>970
あなたの理屈では反論がなかったものは全部、妥当なもののようだからね。
論理性がないことを認めると言うことだから
やはり篠原論考はここでは不適当と言うことだね。わかればそれでいいよ。
0974日本@名無史さん
垢版 |
2018/07/23(月) 13:05:55.93
>>973
古田の全著作も価値がないわけだ
0975日本@名無史さん
垢版 |
2018/07/23(月) 19:16:55.50
>>960
>「地理的には現在の山西省陽泉市ー大原市を結ぶ高緯度線」説は、
>時代による赤道傾斜角の変動を考慮し忘れていますね。

それを考慮したら何年ぐらいになるか教えてほしい
BC1100年ぐらいになればいいんだよね? そこまで大きく変わるなら是非とも発表を求む。無理だろうけど。
0976日本@名無史さん
垢版 |
2018/07/23(月) 19:47:26.93
>>974
いちばん最初のやつだけは論文としての形式と体裁を確保できてなかったっけ?
他は全部ダメだけど
0977日本@名無史さん
垢版 |
2018/07/25(水) 23:29:30.37
春分と秋分の影の長さが、冬至と夏至の影の長さを足して2で割ったものって時点で
実測値ではないのは明白だと思うんだが?

何か反論はあるかい?
0978日本@名無史さん
垢版 |
2018/07/25(水) 23:46:30.24
欲知北極樞,璿周四極。
常以夏至夜半時北極南游所極,冬至夜半時北游所極,
冬至日加酉之時西游所極,日加卯之時東游所極。
此北極璿璣四游。正北極璿璣之中,正北天之中。
正極之所游,冬至日加酉之時,立八尺表,以繩繫表顛,
希望北極中大星,引繩致地而識之。
又到旦,明日加卯之時,復引繩希望之,首及繩致地而識其端,相去二尺三寸。
故東西極二萬三千里,其兩端相去正東西。中折之以指表,正南北。
加此時者,皆以漏揆度之。此東、西、南、北之時。
其繩致地所識,去表丈三寸,故天之中去周十萬三千里。
何以知其南北極之時?以冬至夜半北游所極也北過天中萬一千五百里,
以夏至南游所極不及天中萬一千五百里。
此皆以繩繫表顛而希望之,北極至地所識丈一尺四寸半,
故去周十二萬四千五百里,過天中萬一千五百里;其南極至地所識九尺一寸半,
故去周九萬一千五百里,其南不及天中萬一千五百里。
此璿璣四極南北過不及之法,東、西、南、北之正勾。
0979日本@名無史さん
垢版 |
2018/07/26(木) 07:04:16.45
>>310
レプリカ貰ってドヤるバカw
0981日本@名無史さん
垢版 |
2018/07/26(木) 07:50:54.28
古い時代の事実が書いてあるから古い時代に書かれた本だと思い込む馬鹿は
歴史の本を読んだことのない馬鹿
0982日本@名無史さん
垢版 |
2018/07/26(木) 07:52:30.62
>>462
唐に人質にとられてるのに何いってんだ?こいつ
0983日本@名無史さん
垢版 |
2018/07/26(木) 08:05:31.29
捕虜になったときの記録も残ってない程度の重要性しかない人物だから問題ない
0984日本@名無史さん
垢版 |
2018/07/26(木) 08:13:15.58
>>760
元寇の襲来考えてみ
船作るのに半島の山は丸坊主になったらしいよ
蒙古襲来の時代でさえ九州から対馬に渡るのにも3艘に一艘は沈むくらいだよ
現地に倭人が居たに決まってるじゃん
0985日本@名無史さん
垢版 |
2018/07/26(木) 08:52:21.35
>>983
日中に記録が残っているよ。
筑紫の君を帰国させるために向こうで自身は残留した人の話とかあったよね?
0987960
垢版 |
2018/07/29(日) 00:16:32.82
今週は熱中症にやられ、書き込みができませんでした。

>>975
>>「地理的には現在の山西省陽泉市ー大原市を結ぶ高緯度線」説は、
>>時代による赤道傾斜角の変動を考慮し忘れていますね。
>それを考慮したら何年ぐらいになるか教えてほしい
>BC1100年ぐらいになればいいんだよね? そこまで大きく変わるなら是非とも発表を求む。無理だろうけど。

北極枢北極中大星の観測された年は、何年になるかは直接求められません。
前述の@Aで求めた年代が適切かどうかの検証に使います。

例えば前述@で求めた年代の時の赤道傾斜角から、
大原ー陽泉ラインの緯度を赤道傾斜角の変動角度分で修正すると、
BC1120に実際に観測した緯度は、現在の邢台北部の緯度になります。
邢台は、商代の第4商王朝(邢商王朝)の都城である「邢」ですから、
北極枢大星の観測は、商歴代王朝の領域内北辺地でなされたものと考えられます。

以上より、周碑算経に書かれている内容は商代の知識であるといえます。
0988日本@名無史さん
垢版 |
2018/07/29(日) 01:02:52.42
まだ脳が熱中症だろ
平成28年版最新「せかいのれきし」に書かれている内容も
商代の知識であるといえますよ
0989日本@名無史さん
垢版 |
2018/07/29(日) 04:47:06.48
サチヤマも知らんとはw
0990960 987
垢版 |
2018/08/01(水) 17:30:38.65
>>988
>まだ脳が熱中症だろ
>平成28年版最新「せかいのれきし」に書かれている内容も商代の知識であるといえますよ

情緒的感情的発言しかできないお前は、チョン(朝鮮人 韓人)だな。
0991日本@名無史さん
垢版 |
2018/08/03(金) 23:32:08.55
>>989
九州説の大変なところは「人材難」だよな
日本書紀に2回だけちらっと名前が出てきただけの筑紫君薩夜麻あたりを倭王としないといけないんだから
倭の五王は九州説だと、当てるべき人物がそもそもいないんだよね
記紀の物語が九州の倭王家の歴史を盗んだものだって九州説の人は言うけど、だったら倭の五王の墓はどれ?
磐井の乱の、磐井の墓とされる岩戸山古墳より大きな墓はないよね?
0992日本@名無史さん
垢版 |
2018/08/04(土) 01:35:30.69
畿内は墓の大きさしか語る言葉を持たないらしい。
0993日本@名無史さん
垢版 |
2018/08/04(土) 01:36:07.34
>>991
>倭の五王は九州説だと、当てるべき人物がそもそもいないんだよね

これは畿内説へのブーメランだよ。
0995日本@名無史さん
垢版 |
2018/08/05(日) 07:36:18.80
>>993
嘘つきw

「讃」→仁徳天皇
「珍」→反正天皇
「済」→允恭天皇
「興」→安康天皇
「武」→雄略天皇

異論は認めるが、候補はたっぷりいるよ
「武」→雄略天皇は鉄板だし
0996日本@名無史さん
垢版 |
2018/08/05(日) 07:37:48.71
>>992
>畿内は墓の大きさしか語る言葉を持たないらしい。

それで、九州王朝説では倭の五王の墓はどれ?
0997日本@名無史さん
垢版 |
2018/08/05(日) 07:42:05.80
>>995
系図が一致しない。
無理に当てはめようとして破綻している。
候補がたっぷりいるなんて、逆に誰でもないことの証明のようなもの。
0998日本@名無史さん
垢版 |
2018/08/05(日) 10:44:21.76
情報の欠落や混乱が起きないという前提に立つから一致しないと思い込んじゃうだけだね

古文献の読み方に対する無知による勘違いに基づいた否定論だ。マトモな反論になってないから没
0999日本@名無史さん
垢版 |
2018/08/05(日) 10:47:08.00
都合の良い史料は捻じ曲げてでも採用し、都合が悪い史料は無視する。
それが畿内説のクオリティ。
親子兄弟の関係が全然違う天皇を倭の五王に否定してもへっちゃらさ!
1000日本@名無史さん
垢版 |
2018/08/05(日) 14:04:01.07
そもそも記紀の記述自体が正確性を欠いているという説が主流となっているのだから、中国の記録と一致しないことに意味はないと考える以外に解釈の余地はない
不一致=以上とみる発想自体が無意味
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