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丸 91年2月号 紫電改の若鷲三四三空激闘の200日 海兵73期 元海軍中尉 藤田征郎

以下一部転載
【新米テスパイの哀歓】

テストのやり方を手とり足とり教えてくれたのは大空のサムライで有名な撃墜王、戦闘七0三の坂井三郎中尉である(操練三八期)である。
こまかい数値はわすれたが、
各高度におけるプロペラの回転数、ブースト、油圧など、ことこまかに説明があり、高度六千メートルで紫電改を背面にして、九十度の垂直の急降下ダイブに入るように指導を受けた。
また、プロペラの震動の有無は非常にデリケートなので、慎重にチェックするようにと、微に入り細に入り説明があったが、このときはじめて撃墜王といわれる豪胆な坂井中尉の、繊細な一面を垣間みる思いがした。

こうして、せっかくのテストも最後にミソをつけてしまったしだいではあるが、しかしこの時いらい、私は坂井中尉からとくに目にかけていただいた。

【戦うカミサマの真髄】
当時、源田司令からは、坂井中尉にたいしては階級のいかんを問わず師の礼をとるように厳達されていたので、機会をとらえてはいろいろと質問させていただいた。
なんといっても個人感状をいただいたほどのエースである。
私はチエ泥棒になって、つぶさにその体験談を聞きとり、コツをおぼえようとした。
しかし、指揮所では休憩中もゆだんはできなかった。いきなり
「藤田中尉!敵編隊は三十機、味方は二十機、正面反攻、高度差三0で劣位、リーダーとしてどうする!」とくるからである。
そのとき私はすぐ「敵の編隊長にぶつかります!」と答えると「よろしい!」という返事がかえってきた。
兄の体験からも気の弱い方がよけて機のハラを見せ、撃ちおとされると聞いていたからである。

以上転載終り

藤田氏の三四三空着任は手記には昭和20年3月19日とある。
ミソというのは海岸線から離れて機銃の試射をしたのに薬莢が風に流れて偵四の指揮所の天幕に落ちたり、
二十ミリ弾の破片で怪我をした整備員がいて司令部からしかられたと。
兄とは有名な怡与蔵少佐の事。
この手記は坂井氏以外の記述も面白いので興味があるなら読んでみたら良い。
藤田氏の空自でのF86Dの搭乗経験についても少し書いてある。