【刀】鈴木眞哉史観を疑う 六太刀目【騎馬武者】
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「歴史の真実を見極めよ」と既存の歴史観にエキセントリックに疑義を投げかける、
紀州雑賀衆の末裔を自称する「日曜歴史家」鈴木眞哉。
ネット上を見ると、彼を評価する人間も少なくないが、
鈴木のいう「歴史の真実を見極める」とは
彼の説を無条件に受け入れるだけで事足りることなのか?
彼の提案する説で疑問に感じるところはないのか?
鈴木史観との向き合い方から鈴木史観の内容についてまで、
それを日本史板なりに専門的に議論するスレ。
前スレ
【刀】鈴木眞哉史観を疑う 五太刀目【騎馬武者】
http://yomogi.2ch.net/test/read.cgi/history/1350722151/ やけにこだわるね
普段の合戦状況なんて3000騎がいいとこよ
むしろ騎馬武者比率は上杉謙信の方が多かったくらいだからな
上杉は主に長槍隊が主兵操だがな 9000人いたとしても半分以上、投入すれば国が滅ぶwww
守兵を残さなければ周りから攻め込まれるわ
3分の1から2分の1以上の遠征軍は無理だからw >>133
でも間違い無いらしいですよ
根拠がさっぱりですけど >>129
算数はできるかな?
9121×32700÷42857=6960 その点は上杉は帰って背中が海だから兵の投入比率は揚北さえ抑えれば
ずっと有利 >>131
確認されてしまった‥
信長公記
「三番に、西上野の小幡一党、赤武者にて、入れ替へ懸かり来たる。関東衆、
馬上の功老にて、是れ又、馬入るべき行にて、推し太鼓を打ちて、懸かり来たる」
蘆田記
「ソレヨリ岩村田へ働。其川口ニ敵突テカカリ候處
右衛門佐自身眞先ニ馬ヲ入乗崩シ。人數二三百モ討チ取申候ヤウニ承候」 >>137
え?
軍忠状や感状の意味もしかしてわかってないですか?
鈴木スレなのに?
こんなの相手にしてたのかよ 馬上がいるというだけでは戦うときは15世紀のイギリスみたいに馬を後ろに送って
徒歩戦闘やるのが大半だったという可能性が無いわけではないからねえ
実際その武田と幾度も戦っている三河ではそんな感じで馬から下りて
徒歩戦闘やるのが普通だったと当の戦国の三河武士が書き残しているわけだから
「三河物語」
当世之衆ハ心得候らへ共、合戦之時ハ、皆々馬より
追下して、馬をバ後備より遥かに遠くやる物とハ知らずして、
何時も馬に乗りてあらんと計云も、はかなきことなり。
馬上達者の関東武者の小幡はわかるけどいい加減そればっかりだし
わざわざ特筆したということは小幡以外がやらなかった感じがするよね
他に信頼性の高い史料で武田騎馬軍団と言えるほどの規模で
突撃しているような報告はないのかね? >>132
上杉も兵科の割合とかわかる史料があるんですか?
どこで確認できるものなんでしょうか? >>138
郡中上や環状は史料の極々一部に過ぎないよ
鈴木本人じゃ無いんだから
ああ、そういえば鈴木は軍忠状や感状も恣意的に抜き出してたな >139
関東武者の小幡の件も、
甲陽軍鑑じゃ「織田方のわけのわからないプロパガンダ」つってるしな >>142
甲陽軍鑑に拠ると、西上野衆小幡上総守総千騎とある
これは足軽は勿論雑兵も含ま無い軍役 >>139
甲陽軍鑑で馬入、乗崩と記している場面は全て騎兵隊の馬上突撃だよ
それ以外の箇所では全て斬崩しと表現 >>128
前スレで紹介されていた「あの」丸島和洋氏のありがたいお言葉
研究者が考えていることすべてを出すには、1冊の本では足りないし、もしそのようなことをしようものなら、
話にまとまりがなくなって、本として成り立たなくなる。
だから、研究者に接する時には、「その人がまだ書いていない構想」を想像するということもひとつ必要になる。
ttp://blog.goo.ne.jp/daikanjin/e/a13b5bb5ba75b6b580fb6381da91abfb
研究者の文章を読むなら書いてないことは想像して補わないとダメだぞ
これ>>86が鈴木説を無批判になぞっただけに思えてもきっといろいろ考えた上なんだぞ >>92
おお有難う
>>93
>「兵農分離」が完成するまで兵種別編成はなかったとするの?
一部にはあったと思うよ
直轄領か、金で雇った傭兵なら兵種別編成が可能だった
んで戦国末期になると領主的要素の薄い侍が出てくる
侍の若党化、或いはサラリーマン化
こうなると兵種別編成もできるようになる >>129
当時の武田家の動員状況は1万石あたり400人弱、一般より1.5倍という状況だったってことか? >>147
北条氏、武田氏が兵種別編成ができていたのはなぜだと考えるの?
例に上がってる岩付衆なんて小領主の集合体だよ
>>侍の若党化、或いはサラリーマン化
これが永禄年間(1550年代)から北条氏と武田氏ではすでに起こっていたと理解しているの? >>137
軍忠状を求められている場面で編纂物たる軍記を持ち出すなんて…… >>148
戦国時代は1万石あたり250人とか300人とか決まってわけじゃないからな。
それは一応落ち着いてきた豊臣時代後期から江戸時代初期とかに落ち着いて来た数字。
そもそも当時はまだ貫高制なわけで、1万石あたり300人+αくらいの動員力と考えてそうおかしくない。 >>145
軍役人数を根拠にだよ、これは学界や軍忠状の常識 >>150
同時代記の軍記は史料だよ、編纂物でも無い >>154
同時代のものでも、伝聞情報などの信憑性が低いと認定される部分が多く含まれてるのが普通だぞ >>85
>その話は前スレで現状の研究成果がさんざん説明されてた
このようであるから、岩槻衆が軍役を分解して兵種別に再編したと考えることには無理があることが判る。
http://kagiya.at.webry.info/201308/article_2.html >>155
で、それがどうかしたのかね?w
同時代記の軍記が史料で、編纂物では無い事に変わり無い >>156
長いな
ただ兵種別再編成を否定する立場で、丸島みたいに何も考えてないのはともかく
史料をもとに検討してる人ってほぼいないから議論のたたき台にちょうどよさそう
あなたがそのブログ主ならポイントしぼって要点まとめてくれるとありがたい この程度で長いって、どんだけ…
期待を裏切って悪いが俺はこのプログ主じゃないよ
俺なら数百人の編成で独立して活動できる軍云云なんていう馬鹿なことは書かない いやいや
リンク先だけじゃなくて記事自体は全部で9本に分かれてていろんな論点に触れてるだろ >>158
>あなたがそのブログ主ならポイントしぼって要点まとめてくれるとありがたい
横レスだが、反論が気に入らなかったのか分かんないけど
こういう余計な煽りやめろよ >>159
ブログ主でなくてもいいから、兵種別再編が無理だと自身が思う論拠をまとめてよ
そうでないと議論・検討がしにくいしあとから来た人にわかりにくい 補給の関係で野営時に人員がバラバラに成るのは
現地調達を主とする軍隊では非常によくある事。
兵科毎に組分されている場合、それに応じた規定が有り
平時にそれに応じた軍事訓練が施されるのは当然 >>161
いやいやいやいや、煽りのつもりは全くないぞ
この辺りの議論は全然研究が進んでないところだからみなでじっくり検討したいなと思うだけで
論点絞らないと検討しにくいじゃん
今自分もさっとそのブログ読んでるけど、初見じゃない人の方が内容をまとめやすいかなと思っただけだよ >>164
じゃあ言い出しっぺがまとめてみたら良いんじゃないw
理解も深まるよ つーかさ、ここで戦国時代には兵種別編成が当然だったと言っている人は、東京の人?
関東平野なら騎馬を集団で運用する利点もあるんだろうけど、
他の地域でも騎馬が集団運用された例ってあるのかな?
戦国時代の文章が大量に残っているというのなら、小藩に成り下がって遠隔地に移封された北条家より、
毛利や島津家の方が大量に現存しているよね。
毛利や島津で騎馬が集団運用されたという例が欲しい。 「戦関連は関東が最も高レベルだった」っていうある種の先入観みたいなのがあるんじゃね >>166
戦国大名は時代が下るに連れて
足軽、雑兵を槍隊、弓隊、鉄砲隊に再編成していたのだから
一騎衆の多い家なら騎兵隊を組織しようと思うのが自然だわな っていうかこのスレ正直ID要るなw
誰が誰か分からん 兵種別編成がなされていたか否かと騎馬が集団で運用されていたか否かは別の論点だよ
前スレ853のいう3.と4.ないし5.の違い
ttp://yomogi.2ch.net/test/read.cgi/history/1350722151/853 弓・鉄砲を集団運用する利点は前スレでちょろっと書いたが
前近代の軍における投射兵器の集団運用との違いは、明確な階級制が存在しないこと
>156のリンク先にも指摘があるが、数人・数十人集団の集合体である前近代の軍隊において
一族郎党間には確固とした上下関係があるが、そうした集団から数百人・数千人を抽出した軍が混戦に陥ったら
それは烏合の衆となる、混戦下で数人の「奉行」が数百人を統率するのは不可能
取り合えず、騎馬隊恒常化説を主張している人は、軍の運用をどう考えているの? >>155
山本勘助が二百人相手に一人で戦って七、八十人斬り殺して撃退させたなんて話が載ってたりするしな・・・ >>171
組頭、或いはそれに代わる臨時的な存在が無かったと何で言い切れるんだ? >173
基本的に一族内部については君主であっても命令権はない
つーか、「ある」「なし」の議論は「ある」と主張する側に説明責任があるのだから
>173がそれらの役職を立証する義務がある
できなければ、全て仮定の話となる罠 例えば騎馬武者100人足軽400人の混合の備えがあって、その備えを戦場で突撃させる。
で、騎馬武者100人が先行して突撃して敵の陣形を乱し、足軽400人がスピードの違いから遅れて突撃する形になったとする。
この場合、騎馬隊とは呼べる?呼べない? 偶然、突撃できる平坦地があって
偶然、突撃される側に何の備えもなくて
偶然、簡単に突破されるドラマやマンガの登場人物のような無能なものが指揮官で
偶然、状況に完璧に対応できる伝達・指示・統率が可能な夢のような優れた指揮官が存在し
偶然、攻撃側に安い足軽より、多年の訓練と高価な費用がかかる騎馬を無駄に磨り潰さざるをえない事情が攻撃側にある場合? >>174,171
雑兵物語には鉄炮足軽小頭、弓足軽小頭という人物が出てくる
鉄炮足軽小頭は、その冒頭で
「おれは杖を突っ立てて足軽たちに指図をする役目だから、さしでがましいとは思うがいうことを聞いてくれ」と述べてる
他の足軽から、指図するのを「さしでがましい」と思われるくらいだから
当然一族郎党間の上下関係に基づいて命令してる訳じゃない
こういった、戦場で幾人かを統率する、家的上下関係に基づかない小頭(統率者)という役割があったのは間違いないんじゃないかね 当時寄り親寄り子制という主従関係に基づかない上下統率関係があったことははっきりしてるわけでね。
戦時において兵種別編成をして主従関係に基づかない上下統率関係で戦争を行う事に不自然さはないだろ。 >>166
信玄の時代の初期ごろ、諏訪を急襲するために騎馬隊を作ったって話なら
といっても常設の部隊じゃなく臨時編成だったはずだが。
いちおう、関東以外。 >177-178
あのさぁ、投射兵器に限らず、後方での行軍なら一人で数百人を統率することも可能なのよ
弓・鉄砲隊が混戦の最中に統率された指揮官の下で戦闘ができるのか?
俺が言っているのは、必ず混戦になる前線部隊において、任意に選択された者が他家への無条件な命令が可能なのかということ
それが可能であるのならば、江戸時代には何故他家に容喙できない中世以前の状態に先祖返りしたの?
他家内部に自由に口出しできる状態が続いたのなら、為政者がそんな美味しい権利を手放すわけがない罠 >>178
自前で兵員調達する零細武士が寄子だろ
もちろん、その寄子も各兵種混成の部隊だ。
で、兵種別変性をするってことは、寄子が自前で調達してる兵たちを取り上げて、それぞれの兵種の長が雇い主の頭越しに兵に命令するわけか。
雇い主の命令でもないものを、なかなか聞き入れんだろ。普通。 >>179
まことに申し訳ありませんが、スレの流れと、全く、関係の無い、
話を持ち出して、ドヤ顔するのは止めてもらえますか。 >>180,181
いやだから雇い主でない小頭が前線で小人数を指揮してる実例を雑兵物語から挙げたんだけど
寄親とか奉行とか、一定の役割を主君から与えられた者が、直接の主従関係にない(ただし同じ家中に属する)者を
戦場において指揮することのどこにそんなに疑問があるのか
煽りじゃなくてよくわからないので、丁寧に説明してくれ
前提として、今そちらが「他家」って言ってるのは、大名家間の話じゃなくて
いわゆる「洞」「家中」の内部関係における「家」の話をしているってことでいいんだよね? >>171
再編成した部隊は奉行の下に**頭、**大将が居るから指揮可能だよ >>180
現実に任意の下士官と士官が指揮命令を行っていたよ。
日本国地方自治体の役職者は他部門から出向してきた部下を指揮命令出来るが
日本国総理大臣は中国の辺鄙な村の村長にすら命令など出来無い
これは馬鹿でもチョンでも解る。 「馬足軽」や「一騎(揆)合」「 一僕者」「一騎衆」などなどを編成すれば、簡単に一万の騎馬隊を編成できるよ。
これだから鈴木信者は馬鹿だと言われるんだよ。 >184
一晩中相手はできないよ、明日時間があれば説明してあげるけど今夜はこれが最後な、あと質問は箇条書きで頼む
>いやだから雇い主でない小頭が前線で小人数を指揮してる実例を雑兵物語から挙げたんだけど
お互いにレス番すら名前欄には書いていないから意味ないけど、俺は投射兵器の統合運用は否定していない
君が挙げるべき例は混戦になる前線部隊、君のは後方から支援する部隊の例であって関係ない、何故なら後方の部隊であるのならば命令伝達秩序が混沌化しないから
問題になっているのは、混戦下に初対面の人間から「死ね」と命令されて陪臣がその指示に従うのかという前近代の軍が内在しているモラル
>寄親とか奉行とか、一定の役割を主君から与えられた者が、直接の主従関係にない(ただし同じ家中に属する)者を戦場において指揮することのどこにそんなに疑問があるのか
寄親に与えられる権限は寄子、言い換えると直臣であって陪臣ではない。これは直近で繰り返し指摘しているわけだが、自分に話かけていないレスは読まないというのなら他者に識別できるように名乗ってくれ
>前提として、今そちらが「他家」って言ってるのは、大名家間の話じゃなくていわゆる「洞」「家中」の内部関係における「家」の話をしているってことでいいんだよね?
確認が必要なほどスレの流れについてこれないのに上から目線なのは何故?
>185
問題になっているのは、混戦下に初対面の人間から「死ね」と命令されて陪臣がその指示に従うのかという前近代の軍が内在しているモラル >>189
そもそも当時の主従関係は死ねと言われて家臣が素直に言う事聞いて死守するような関係にないから。
だからそもそも主人も家臣を犬死させるような扱いせんよ。 >>180
江戸時代云々って平時の話だろ?
何で平時と戦時を一緒くたにするんだ?
つーか騎馬隊虚構説の立場に立つなら、その虚構が形成されたのって
その江戸時代ということになるんじゃないのか?
江戸時代の武士は「騎馬隊なんてありえねー(笑)」と笑いながら軍書や軍記を学んでたのか?
それに、仮に戦国時代に「直接の主君の命令は絶対だが、主君以外の命令なんてどんなに偉い人が相手でも受けん!!」という
強烈な忠義意識が社会全般に浸透していたと仮定しても、
その直接の主君が「これから隊を編成し直すから編入先の上司の命令はちゃんと聞くんだぞ」と
命令すれば何の問題もなくなるんじゃないのか?
何せ主君の命令は絶対なんだから
実際、自分とこの郎党が足引っ張ったなんてことになれば家の恥になるんだから
それくらいの命令はして当たり前だと思うけどな 九条教徒ってこんなスレにもいるんだな・・・
健全で民主的な戦国時代、すばらしい。
どこのファンタジー世界だよorz 九条教徒ってこんなスレにもいるんだな・・・
健全で民主的な戦国時代、すばらしい。
どこのファンタジー世界だよorz 郎党持つような家柄なら主人も騎馬だろうし騎馬の郎党がいたらそいつごと騎馬隊に配属されるのでは? >だからそもそも主人も家臣を犬死させるような扱いせんよ
成る程。戦場では絶対死なないと保障された命令だけがおこなわれると。
なんか証券会社の社員に、「絶対儲かる株を教えろ」と迫るユーザーみたい。 >>194
>郎党持つような家柄なら主人も騎馬だろうし騎馬の郎党がいたらそいつごと騎馬隊に配属されるのでは?
なんかもう目茶苦茶だね。
馬を複数用意できる家柄なら、槍や弓を扱う郎党もいる。
ここで騒いでいる子は、「兵種別に運用されていて騎馬隊があった」と言ってるわけで、
騎馬隊に郎党と主人が配属されたとして、各兵種毎に漏れなく主人と郎党のペアが存在するのか?
主人って何人いるんだよorz 農民から徴集された兵はどうなの?
普通に前線の歩兵として使われて乱戦の中で初対面の奴の命令受けながら戦うんじゃないの? >秀康卿仰せけるは、関東侍は馬上にて達者を働く由聞き及びぬ。さぞ強き馬を好みつらんと。
>朝倉犬也承りて、関東の侍あながち強き馬を好まず。ただ自力にかないたる馬をもっぱらに乗り候。
>それ馬に乗りて遠路を行くは足を休めんため、軍中にて乗るは馬上にて弓・槍を用に立てんためなるが故に、
>むかし関東にて戦場をいまだ踏まざる若き者は、広き野原へあまた伴い出でて、敵味方と人数を分ち、
>旗をさし弓・槍・長刀おのれおのれが得手の道具を持ちて馬に乗り、馬を試みんため鉄砲を鳴らし、
>矢叫びの声をあげて喚き叫ぶ時に、勇んで進む馬あり、おくれて退り、驚きて横へきるる馬あり。
>山へ乗上げ、岨の崖道を乗り、堀を飛ばせ、自由に働くようにと鍛錬いたし、
>先陣にぬきんで駆引き達者にふるまい、勝利に得んことを専らにたしなみ候。
(北条五代記) >>196
え?
あんた、騎馬隊以外の兵種別編成は認めてるんじゃなかったっけ? だったら、各家の主人が騎馬隊に編入されるとしたら
むしろ騎馬隊こそが最も命令系統の伝達がスムーズに行われやすい隊だったってことにならね? >>189
初対面じゃなく、当然ながら振分後の編成は事前に定められてるし
当然それに基づいて訓練されてるよ
白痴レベルの池沼なら準備為無いかもしれないけどね 長文書いてるけど
郎党は戦場で主人以外の命令は聞かない!!
聞かないったら聞かないったら聞かない!!
って言ってるだけじゃんか
あほらしい >>197
農民から徴集された兵の事例を史料付きで証明しないとね
そんな事例は極小数の例外でしか無いから 逆に兵農分離がきっちり行われてたなら非戦時から兵種別の訓練がある程度可能じゃねーの? >>149
基本は侍(領主)が引き連れてきた郎党・足軽はそのままの指揮系統で戦うってことだよ
但し戦国末期になるにつれ侍のサラリーマン化が出てくるからそれに伴って兵種別編成割合が増えてきたというだけ
領主別編成と兵種別編成の共存で基本は領主別編成 >>189
そうか給人が軍役として連れてくる人たちを、全員地縁血縁で結びついた給人の永続的な主従関係をもつ家臣だと思ってるのか
戦国時代のあなたのいう「陪臣」のモラルを検討するのなら、ここ20年進展した雑兵・奉公人論のさわりくらいは頭に入れた方がいいよ
いろんな見解があるし、大名家によっても差異があるところだけど、この話に関係ありそうな点をざっとあげると
・給人が軍役として連れてくる軍役構成員には有姓の侍身分の者と無姓の非侍身分の者が含まれていること
・いわゆる「足軽」には流動性を持つ者たちがおり傭兵としての側面が指摘できること(荒垣恒明)
(ただし北条氏における史料上の「足軽」は軍隊編成上の呼称で「傭兵」ではない、との則武雄一の指摘あり)
・北条氏における無姓の「足軽」は、その活躍により有姓化して侍身分となったり、給分を増して一騎合いとなれたこと(則武雄一)
・毛利家における武家奉公人には親から子に引き継がれる譜代の武家奉公人と、借金の質などとして百姓から奉公人になるものの
二種類が存在し、後者は前者に比べて主従・帰属意識が弱く、かつ戦国時代が進展するにつれその割合が増加すること(菊池浩幸)
こんなところか 最早、騎馬隊が存在したかはどうでもいいみたい。
誰か「足軽」に傭兵がいたのかどうかを聞いたのか? 足軽出身の身分も帰属意識も低い馬上衆が後の時代になるほど増えて行ったってこと? 傭兵といえば陣借りもあるよね。
騎乗の陣借りは、高度な訓練を日常的に繰り返す騎馬隊に編入されるのか? >>209
給人が軍役で連れてくる「陪臣」は、当時の「モラル」的に直接の主君以外の命令を聞くはずないから
兵種別再編成はありえないとの見解に対して
今はその「陪臣」なるもののの実像が明かにされつつあるから、
モラルを検討するなら想像上のぼやっとした「陪臣」ではなく、その実像、正体を理解した上でした方がいいよと指摘したまで
兵種別編成がなされていたか否かと騎馬隊の有無とは別の議論だよ
大きくかかわり合いのある論点同士ではあるけどね 自分を売り込まなきゃいけない立場の人間なら無茶な命令違反を繰り返したりしないんじゃない? 直接の主君以外の命令を聞くはずないのなら、足軽大将だの小頭だのという中間管理職が存在するのはおかしいよね。
そもそも主君の動員命令には、動員された後に所属先の組で働くようにという命令も含まれてると考えればおかしくもなんともないだろ。
中世の人はその程度の命令体系も理解できないくらい頭悪いと考えるのか? >>213
北条簒奪政権時代や同時代の西欧諸王朝よりは高度、近代陸軍よりは低度
日常的では無いが年に数十日は訓練してたよ >>210
この件に関して、昨今の雑兵論を踏まえたとき重要なのは
雑兵とよばれる下層軍役構成員にとって、戦争は、自身の利益を上げるための場であった、
っていう雑兵の当事者意識を認識することにあると思う
従来的なお殿様のために、っていう他人様のための戦争、という理解では戦国時代の戦場は理解できない
っていうのが藤木以来、学会の流れにあって、兵種別編成の有無に関して検討する際もこの点は大切な視座になると思うよ まず侍がどんなものかの簡単な説明
基本は村になる
村の人口はだいたい数十人〜千人ぐらいをイメージすればいいだろ
石高にすると100石〜数千石
動員力は数人〜数十人
小さい村では一人の侍、大きい村になると複数の侍による分割統治か或いは小豪族級の統治者の出現となる
侍ってのはなんのことはない、村の有力者か代表者、ま〜今でも名残りが垣間見える名主をイメージすればいい
村の領主である侍が集まって豪族になり大名となる
己が属する豪族が頼りないとなると村ごと隣の豪族に鞍替えすることもある
これが戦国時代
天下を平定したのが徳川家康だが何代か前までは村の一有力者に過ぎないからね 見通しのよい平地が限られる日本で、騎馬隊を統率して手足のように運用するのに、年間数十日でいいとか、日本スゲーw
今の日本人というか人間は数週間もサボったら筋肉なんか落ちるのに、槍にせよ弓にせよ騎馬にせよ、
年間数十日の訓練で間に合う日本人って、強いのか、弱いのかw 当時の雑兵は奴隷じゃない。
むしろそれなりの自己がある当事者だ。
こう考えると、無茶な命令に盲目的に従わないと同時に、無闇に規律に違反したりもしないというふうに考えられるだろ。
動員した主人の命令には普通に従うわけで、
その主人にどこそこの組に所属してくれと言われたらそこに所属してその組の命令に従って戦うだろ。 考えてみると、立身出世を求めて戦場に身を投じる低身分層という雑兵像は、
実証を伴わないレベルでなら、かなり昔っから戦国時代のイメージとして
割と一般的に定着してた気がしなくもない >>219
毎年のように動員されていて互いにそれなりに見知った間柄ならそんなにしょっちゅう訓練してなくてもそれなりに統率とれた行動出来て不思議じゃないだろ。 組織的な演習と個人レベルの訓練って別じゃない?
個人的な訓練なら毎日とは言わずともかなり頻繁にやってたと思うんだけど
ていうか、手足のように運用するってどこから出てきた? 勝手に変な高いハードルを設定してそのハードルを超えられないからという理由で否定する議論はためにする議論でしかないよね。 >>218
名主層と在地小領主は別物、勿論重なる事も多いけど >>225
ま〜ね
ただ侍のイメージ化をしたまでさ >ていうか、手足のように運用するってどこから出てきた
騎馬の集団運用には恒常的な訓練が必要なのは、近代軍では常識の範疇だよ。錬度って言葉があるだろ。
そもそも数騎単位の運用が念頭にあるのか、このスレでいう数千人・数百人の騎馬隊なのか判然としないのは、、
所謂、為にする議論で、最初に結論ありきで、同じ人間でも好き勝手に言っていることをコロコロ変えて、ノラリクラリと逃げ回るから、全く議論にならない。
頭の悪い煽りでチャカしている子も、騎馬隊があったという子も、みんな都合が悪いのか、他者の中に紛れ込んで好き勝手言い続けているからな。 >>227
近代軍じゃ無いしな
近代歩兵の運用には長期の恒常的訓練が必要
騎兵隊の集団運用に長期の恒常的訓練は不要 まぁこんなところだと、個人の想像力の限界が学校のクラス単位しかなく、
数百人・数千人の統一運用なんか説明しても理解できない奴もいるだろうし。
足軽働きを除けば、他兵科には高度な訓練が必要だと言っても理解できない奴もいるだろうさ。 >>218の続き
次に豪族の簡単な説明
豪族ってのは侍の寄り合いでしかない
複数の侍が集まって領地が一番でかい侍を盟主と祭り上げてるだけ
1万石の豪族でも自分の本当の領地(直轄領)は2千石、3千石程度
2千石の領主が残り8千石の領主達を抑えてるに過ぎない ■ このスレッドは過去ログ倉庫に格納されています