【刀】鈴木眞哉史観を疑う 六太刀目【騎馬武者】
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「歴史の真実を見極めよ」と既存の歴史観にエキセントリックに疑義を投げかける、
紀州雑賀衆の末裔を自称する「日曜歴史家」鈴木眞哉。
ネット上を見ると、彼を評価する人間も少なくないが、
鈴木のいう「歴史の真実を見極める」とは
彼の説を無条件に受け入れるだけで事足りることなのか?
彼の提案する説で疑問に感じるところはないのか?
鈴木史観との向き合い方から鈴木史観の内容についてまで、
それを日本史板なりに専門的に議論するスレ。
前スレ
【刀】鈴木眞哉史観を疑う 五太刀目【騎馬武者】
http://yomogi.2ch.net/test/read.cgi/history/1350722151/ >>155
山本勘助が二百人相手に一人で戦って七、八十人斬り殺して撃退させたなんて話が載ってたりするしな・・・ >>171
組頭、或いはそれに代わる臨時的な存在が無かったと何で言い切れるんだ? >173
基本的に一族内部については君主であっても命令権はない
つーか、「ある」「なし」の議論は「ある」と主張する側に説明責任があるのだから
>173がそれらの役職を立証する義務がある
できなければ、全て仮定の話となる罠 例えば騎馬武者100人足軽400人の混合の備えがあって、その備えを戦場で突撃させる。
で、騎馬武者100人が先行して突撃して敵の陣形を乱し、足軽400人がスピードの違いから遅れて突撃する形になったとする。
この場合、騎馬隊とは呼べる?呼べない? 偶然、突撃できる平坦地があって
偶然、突撃される側に何の備えもなくて
偶然、簡単に突破されるドラマやマンガの登場人物のような無能なものが指揮官で
偶然、状況に完璧に対応できる伝達・指示・統率が可能な夢のような優れた指揮官が存在し
偶然、攻撃側に安い足軽より、多年の訓練と高価な費用がかかる騎馬を無駄に磨り潰さざるをえない事情が攻撃側にある場合? >>174,171
雑兵物語には鉄炮足軽小頭、弓足軽小頭という人物が出てくる
鉄炮足軽小頭は、その冒頭で
「おれは杖を突っ立てて足軽たちに指図をする役目だから、さしでがましいとは思うがいうことを聞いてくれ」と述べてる
他の足軽から、指図するのを「さしでがましい」と思われるくらいだから
当然一族郎党間の上下関係に基づいて命令してる訳じゃない
こういった、戦場で幾人かを統率する、家的上下関係に基づかない小頭(統率者)という役割があったのは間違いないんじゃないかね 当時寄り親寄り子制という主従関係に基づかない上下統率関係があったことははっきりしてるわけでね。
戦時において兵種別編成をして主従関係に基づかない上下統率関係で戦争を行う事に不自然さはないだろ。 >>166
信玄の時代の初期ごろ、諏訪を急襲するために騎馬隊を作ったって話なら
といっても常設の部隊じゃなく臨時編成だったはずだが。
いちおう、関東以外。 >177-178
あのさぁ、投射兵器に限らず、後方での行軍なら一人で数百人を統率することも可能なのよ
弓・鉄砲隊が混戦の最中に統率された指揮官の下で戦闘ができるのか?
俺が言っているのは、必ず混戦になる前線部隊において、任意に選択された者が他家への無条件な命令が可能なのかということ
それが可能であるのならば、江戸時代には何故他家に容喙できない中世以前の状態に先祖返りしたの?
他家内部に自由に口出しできる状態が続いたのなら、為政者がそんな美味しい権利を手放すわけがない罠 >>178
自前で兵員調達する零細武士が寄子だろ
もちろん、その寄子も各兵種混成の部隊だ。
で、兵種別変性をするってことは、寄子が自前で調達してる兵たちを取り上げて、それぞれの兵種の長が雇い主の頭越しに兵に命令するわけか。
雇い主の命令でもないものを、なかなか聞き入れんだろ。普通。 >>179
まことに申し訳ありませんが、スレの流れと、全く、関係の無い、
話を持ち出して、ドヤ顔するのは止めてもらえますか。 >>180,181
いやだから雇い主でない小頭が前線で小人数を指揮してる実例を雑兵物語から挙げたんだけど
寄親とか奉行とか、一定の役割を主君から与えられた者が、直接の主従関係にない(ただし同じ家中に属する)者を
戦場において指揮することのどこにそんなに疑問があるのか
煽りじゃなくてよくわからないので、丁寧に説明してくれ
前提として、今そちらが「他家」って言ってるのは、大名家間の話じゃなくて
いわゆる「洞」「家中」の内部関係における「家」の話をしているってことでいいんだよね? >>171
再編成した部隊は奉行の下に**頭、**大将が居るから指揮可能だよ >>180
現実に任意の下士官と士官が指揮命令を行っていたよ。
日本国地方自治体の役職者は他部門から出向してきた部下を指揮命令出来るが
日本国総理大臣は中国の辺鄙な村の村長にすら命令など出来無い
これは馬鹿でもチョンでも解る。 「馬足軽」や「一騎(揆)合」「 一僕者」「一騎衆」などなどを編成すれば、簡単に一万の騎馬隊を編成できるよ。
これだから鈴木信者は馬鹿だと言われるんだよ。 >184
一晩中相手はできないよ、明日時間があれば説明してあげるけど今夜はこれが最後な、あと質問は箇条書きで頼む
>いやだから雇い主でない小頭が前線で小人数を指揮してる実例を雑兵物語から挙げたんだけど
お互いにレス番すら名前欄には書いていないから意味ないけど、俺は投射兵器の統合運用は否定していない
君が挙げるべき例は混戦になる前線部隊、君のは後方から支援する部隊の例であって関係ない、何故なら後方の部隊であるのならば命令伝達秩序が混沌化しないから
問題になっているのは、混戦下に初対面の人間から「死ね」と命令されて陪臣がその指示に従うのかという前近代の軍が内在しているモラル
>寄親とか奉行とか、一定の役割を主君から与えられた者が、直接の主従関係にない(ただし同じ家中に属する)者を戦場において指揮することのどこにそんなに疑問があるのか
寄親に与えられる権限は寄子、言い換えると直臣であって陪臣ではない。これは直近で繰り返し指摘しているわけだが、自分に話かけていないレスは読まないというのなら他者に識別できるように名乗ってくれ
>前提として、今そちらが「他家」って言ってるのは、大名家間の話じゃなくていわゆる「洞」「家中」の内部関係における「家」の話をしているってことでいいんだよね?
確認が必要なほどスレの流れについてこれないのに上から目線なのは何故?
>185
問題になっているのは、混戦下に初対面の人間から「死ね」と命令されて陪臣がその指示に従うのかという前近代の軍が内在しているモラル >>189
そもそも当時の主従関係は死ねと言われて家臣が素直に言う事聞いて死守するような関係にないから。
だからそもそも主人も家臣を犬死させるような扱いせんよ。 >>180
江戸時代云々って平時の話だろ?
何で平時と戦時を一緒くたにするんだ?
つーか騎馬隊虚構説の立場に立つなら、その虚構が形成されたのって
その江戸時代ということになるんじゃないのか?
江戸時代の武士は「騎馬隊なんてありえねー(笑)」と笑いながら軍書や軍記を学んでたのか?
それに、仮に戦国時代に「直接の主君の命令は絶対だが、主君以外の命令なんてどんなに偉い人が相手でも受けん!!」という
強烈な忠義意識が社会全般に浸透していたと仮定しても、
その直接の主君が「これから隊を編成し直すから編入先の上司の命令はちゃんと聞くんだぞ」と
命令すれば何の問題もなくなるんじゃないのか?
何せ主君の命令は絶対なんだから
実際、自分とこの郎党が足引っ張ったなんてことになれば家の恥になるんだから
それくらいの命令はして当たり前だと思うけどな 九条教徒ってこんなスレにもいるんだな・・・
健全で民主的な戦国時代、すばらしい。
どこのファンタジー世界だよorz 九条教徒ってこんなスレにもいるんだな・・・
健全で民主的な戦国時代、すばらしい。
どこのファンタジー世界だよorz 郎党持つような家柄なら主人も騎馬だろうし騎馬の郎党がいたらそいつごと騎馬隊に配属されるのでは? >だからそもそも主人も家臣を犬死させるような扱いせんよ
成る程。戦場では絶対死なないと保障された命令だけがおこなわれると。
なんか証券会社の社員に、「絶対儲かる株を教えろ」と迫るユーザーみたい。 >>194
>郎党持つような家柄なら主人も騎馬だろうし騎馬の郎党がいたらそいつごと騎馬隊に配属されるのでは?
なんかもう目茶苦茶だね。
馬を複数用意できる家柄なら、槍や弓を扱う郎党もいる。
ここで騒いでいる子は、「兵種別に運用されていて騎馬隊があった」と言ってるわけで、
騎馬隊に郎党と主人が配属されたとして、各兵種毎に漏れなく主人と郎党のペアが存在するのか?
主人って何人いるんだよorz 農民から徴集された兵はどうなの?
普通に前線の歩兵として使われて乱戦の中で初対面の奴の命令受けながら戦うんじゃないの? >秀康卿仰せけるは、関東侍は馬上にて達者を働く由聞き及びぬ。さぞ強き馬を好みつらんと。
>朝倉犬也承りて、関東の侍あながち強き馬を好まず。ただ自力にかないたる馬をもっぱらに乗り候。
>それ馬に乗りて遠路を行くは足を休めんため、軍中にて乗るは馬上にて弓・槍を用に立てんためなるが故に、
>むかし関東にて戦場をいまだ踏まざる若き者は、広き野原へあまた伴い出でて、敵味方と人数を分ち、
>旗をさし弓・槍・長刀おのれおのれが得手の道具を持ちて馬に乗り、馬を試みんため鉄砲を鳴らし、
>矢叫びの声をあげて喚き叫ぶ時に、勇んで進む馬あり、おくれて退り、驚きて横へきるる馬あり。
>山へ乗上げ、岨の崖道を乗り、堀を飛ばせ、自由に働くようにと鍛錬いたし、
>先陣にぬきんで駆引き達者にふるまい、勝利に得んことを専らにたしなみ候。
(北条五代記) >>196
え?
あんた、騎馬隊以外の兵種別編成は認めてるんじゃなかったっけ? だったら、各家の主人が騎馬隊に編入されるとしたら
むしろ騎馬隊こそが最も命令系統の伝達がスムーズに行われやすい隊だったってことにならね? >>189
初対面じゃなく、当然ながら振分後の編成は事前に定められてるし
当然それに基づいて訓練されてるよ
白痴レベルの池沼なら準備為無いかもしれないけどね 長文書いてるけど
郎党は戦場で主人以外の命令は聞かない!!
聞かないったら聞かないったら聞かない!!
って言ってるだけじゃんか
あほらしい >>197
農民から徴集された兵の事例を史料付きで証明しないとね
そんな事例は極小数の例外でしか無いから 逆に兵農分離がきっちり行われてたなら非戦時から兵種別の訓練がある程度可能じゃねーの? >>149
基本は侍(領主)が引き連れてきた郎党・足軽はそのままの指揮系統で戦うってことだよ
但し戦国末期になるにつれ侍のサラリーマン化が出てくるからそれに伴って兵種別編成割合が増えてきたというだけ
領主別編成と兵種別編成の共存で基本は領主別編成 >>189
そうか給人が軍役として連れてくる人たちを、全員地縁血縁で結びついた給人の永続的な主従関係をもつ家臣だと思ってるのか
戦国時代のあなたのいう「陪臣」のモラルを検討するのなら、ここ20年進展した雑兵・奉公人論のさわりくらいは頭に入れた方がいいよ
いろんな見解があるし、大名家によっても差異があるところだけど、この話に関係ありそうな点をざっとあげると
・給人が軍役として連れてくる軍役構成員には有姓の侍身分の者と無姓の非侍身分の者が含まれていること
・いわゆる「足軽」には流動性を持つ者たちがおり傭兵としての側面が指摘できること(荒垣恒明)
(ただし北条氏における史料上の「足軽」は軍隊編成上の呼称で「傭兵」ではない、との則武雄一の指摘あり)
・北条氏における無姓の「足軽」は、その活躍により有姓化して侍身分となったり、給分を増して一騎合いとなれたこと(則武雄一)
・毛利家における武家奉公人には親から子に引き継がれる譜代の武家奉公人と、借金の質などとして百姓から奉公人になるものの
二種類が存在し、後者は前者に比べて主従・帰属意識が弱く、かつ戦国時代が進展するにつれその割合が増加すること(菊池浩幸)
こんなところか 最早、騎馬隊が存在したかはどうでもいいみたい。
誰か「足軽」に傭兵がいたのかどうかを聞いたのか? 足軽出身の身分も帰属意識も低い馬上衆が後の時代になるほど増えて行ったってこと? 傭兵といえば陣借りもあるよね。
騎乗の陣借りは、高度な訓練を日常的に繰り返す騎馬隊に編入されるのか? >>209
給人が軍役で連れてくる「陪臣」は、当時の「モラル」的に直接の主君以外の命令を聞くはずないから
兵種別再編成はありえないとの見解に対して
今はその「陪臣」なるもののの実像が明かにされつつあるから、
モラルを検討するなら想像上のぼやっとした「陪臣」ではなく、その実像、正体を理解した上でした方がいいよと指摘したまで
兵種別編成がなされていたか否かと騎馬隊の有無とは別の議論だよ
大きくかかわり合いのある論点同士ではあるけどね 自分を売り込まなきゃいけない立場の人間なら無茶な命令違反を繰り返したりしないんじゃない? 直接の主君以外の命令を聞くはずないのなら、足軽大将だの小頭だのという中間管理職が存在するのはおかしいよね。
そもそも主君の動員命令には、動員された後に所属先の組で働くようにという命令も含まれてると考えればおかしくもなんともないだろ。
中世の人はその程度の命令体系も理解できないくらい頭悪いと考えるのか? >>213
北条簒奪政権時代や同時代の西欧諸王朝よりは高度、近代陸軍よりは低度
日常的では無いが年に数十日は訓練してたよ >>210
この件に関して、昨今の雑兵論を踏まえたとき重要なのは
雑兵とよばれる下層軍役構成員にとって、戦争は、自身の利益を上げるための場であった、
っていう雑兵の当事者意識を認識することにあると思う
従来的なお殿様のために、っていう他人様のための戦争、という理解では戦国時代の戦場は理解できない
っていうのが藤木以来、学会の流れにあって、兵種別編成の有無に関して検討する際もこの点は大切な視座になると思うよ まず侍がどんなものかの簡単な説明
基本は村になる
村の人口はだいたい数十人〜千人ぐらいをイメージすればいいだろ
石高にすると100石〜数千石
動員力は数人〜数十人
小さい村では一人の侍、大きい村になると複数の侍による分割統治か或いは小豪族級の統治者の出現となる
侍ってのはなんのことはない、村の有力者か代表者、ま〜今でも名残りが垣間見える名主をイメージすればいい
村の領主である侍が集まって豪族になり大名となる
己が属する豪族が頼りないとなると村ごと隣の豪族に鞍替えすることもある
これが戦国時代
天下を平定したのが徳川家康だが何代か前までは村の一有力者に過ぎないからね 見通しのよい平地が限られる日本で、騎馬隊を統率して手足のように運用するのに、年間数十日でいいとか、日本スゲーw
今の日本人というか人間は数週間もサボったら筋肉なんか落ちるのに、槍にせよ弓にせよ騎馬にせよ、
年間数十日の訓練で間に合う日本人って、強いのか、弱いのかw 当時の雑兵は奴隷じゃない。
むしろそれなりの自己がある当事者だ。
こう考えると、無茶な命令に盲目的に従わないと同時に、無闇に規律に違反したりもしないというふうに考えられるだろ。
動員した主人の命令には普通に従うわけで、
その主人にどこそこの組に所属してくれと言われたらそこに所属してその組の命令に従って戦うだろ。 考えてみると、立身出世を求めて戦場に身を投じる低身分層という雑兵像は、
実証を伴わないレベルでなら、かなり昔っから戦国時代のイメージとして
割と一般的に定着してた気がしなくもない >>219
毎年のように動員されていて互いにそれなりに見知った間柄ならそんなにしょっちゅう訓練してなくてもそれなりに統率とれた行動出来て不思議じゃないだろ。 組織的な演習と個人レベルの訓練って別じゃない?
個人的な訓練なら毎日とは言わずともかなり頻繁にやってたと思うんだけど
ていうか、手足のように運用するってどこから出てきた? 勝手に変な高いハードルを設定してそのハードルを超えられないからという理由で否定する議論はためにする議論でしかないよね。 >>218
名主層と在地小領主は別物、勿論重なる事も多いけど >>225
ま〜ね
ただ侍のイメージ化をしたまでさ >ていうか、手足のように運用するってどこから出てきた
騎馬の集団運用には恒常的な訓練が必要なのは、近代軍では常識の範疇だよ。錬度って言葉があるだろ。
そもそも数騎単位の運用が念頭にあるのか、このスレでいう数千人・数百人の騎馬隊なのか判然としないのは、、
所謂、為にする議論で、最初に結論ありきで、同じ人間でも好き勝手に言っていることをコロコロ変えて、ノラリクラリと逃げ回るから、全く議論にならない。
頭の悪い煽りでチャカしている子も、騎馬隊があったという子も、みんな都合が悪いのか、他者の中に紛れ込んで好き勝手言い続けているからな。 >>227
近代軍じゃ無いしな
近代歩兵の運用には長期の恒常的訓練が必要
騎兵隊の集団運用に長期の恒常的訓練は不要 まぁこんなところだと、個人の想像力の限界が学校のクラス単位しかなく、
数百人・数千人の統一運用なんか説明しても理解できない奴もいるだろうし。
足軽働きを除けば、他兵科には高度な訓練が必要だと言っても理解できない奴もいるだろうさ。 >>218の続き
次に豪族の簡単な説明
豪族ってのは侍の寄り合いでしかない
複数の侍が集まって領地が一番でかい侍を盟主と祭り上げてるだけ
1万石の豪族でも自分の本当の領地(直轄領)は2千石、3千石程度
2千石の領主が残り8千石の領主達を抑えてるに過ぎない >>227
>所謂、為にする議論で、最初に結論ありきで、同じ人間でも好き勝手に言っていることをコロコロ変えて、
>ノラリクラリと逃げ回るから、全く議論にならない。
これ、まさしくお前のことじゃね?
>頭の悪い煽りでチャカしている子も
これもまさにお前が今現にやってることだよな? >>229
他兵科には高度な訓練が必要な証拠を史料を提示して示さないとなw
抑々兵科云々言って置きながら「足軽働き」とか意味不明過ぎる。 訓練じゃなく馬揃えだが、普通に集団での統率してるな
信長公記 巻十四
初めは、一与に十五騎つゞと、仰せ出だされ候へども、ひろき御馬場にて、三与四くみづつ、一手になり、入りちがへ、透間なく、馬に行き当たり候はぬ様に、埒を右より左へ乗りまはし、辰の刻より未の刻まで、めさせられ、駿馬の集まり、記しがたきは… 運動会のプログラム通りに動くことと実戦に変わりがあるじゃなし♪ >>230の続き
次に大名の簡単な説明
大名も豪族と同じ、複数の豪族が集まって一番領地のでかい豪族を盟主と祭り上げてるだけ
10万石の大名ならば、その家臣は1万石の豪族級の者から100石程度の小身の者までずらりと並ぶ
これが直参
んで1万石の豪族は直参になるがその家来達は直参に有らず、陪臣になる
大名といえども陪臣に対しては直接命令できない
ま、これが基本。あくまでも基本だからね
侍・豪族・大名と3階層で説明したが大大名になるともっと階層が増える 陪臣に対して直接命令出来無いんじゃ無く
御恩と奉公を明確にする為に
中間飛ばしての上訴や命令を家中の掟や分国法で態々禁止してた
戦に於いてはその限りで無いから
当然指揮命令権は所属する家の上から順に備わる
地下年貢に対する段銭なんかと同じ 以下、意味不明な少年の主張が続きます。
まとめると、口八丁で誤魔化す変幻自在な俺様ステキ。 >>240
なんか鈴木説が登場したときのことを思い出すわ
曰く最新の研究では…、実際の統計では…、
研究結果の要約よりソースを貼ってもらえんかな >>141
恣意的とかどころかお前意味わかってなかったじゃねえかw
感状も軍忠状もさっぱり見てないのがバレバレの言い訳だわwww 恣意的だなんて見当違いな逃げ口上言う前に、これが同時代史料に見られる武田騎馬軍団の
騎馬突撃の証拠だ、と感状とかからとりあえず拾ってくればいいのにね
騎馬軍団説の補強にはなるよ
それができないからそんないい訳してんだろうけどさ 中学生時代は同級生相手に難しい言葉を使って「俺はお前より物知りなんだ」をアピールすれば煙に巻けたんだろうけど、
高校生にもなって、そんなことを続けているなら「キバタイガー」と言っている子には全く成長がないね。
「キバタイガー」と言っている子の自己評価は置いといて、「キバタイガー」と言っている子への周囲の評価が、
「キバタイガー」と言っている子への正当な評価なんだよ。
ちょろちょろと逃げ回って自分の誤りを認めない、誰も何も言わなくなり(諦めて)立ち去ると自分の主張が通ったと勘違いする。
そういう子だね。 キバタイガーと書くと、どこの組織の怪人だ?と聞きたくなります。
さて。難しいことは解りませんが、例えば千人の鉄砲隊を運用しようと思ったら
案1 自分で直接、鉄砲兵千人(と付随する補助要員?)を召し抱える。
案2 「騎馬2,槍5,鉄砲5」とかで従軍してきた兵を200チーム用意して、「」内の混成部隊のまま使う。
案3 「騎馬2,槍5,鉄砲5」の200チームから、鉄砲兵1000を抽出して再編成する。
案4 最初から「鉄砲10」で従軍させて、これを100チーム用意する。
のいずれかと言うことになるでしょう。で、ここまでの話を拝見するに、戦国時代日本では
案2,案3を状況に応じて使い分けていた、というのが主流の考えで良いでしょうか? >>245
普通に考えればケースバイケースでの運用をしたろうね。
ただ映画とかみたいに会戦において数千単位の騎馬だけで構成された騎馬隊同士を真正面から激突させるとか、騎馬隊のみを大きく迂回させ敵の後背をつかせるとかの戦略的運用とかはほぼ無かったとは思う。 無駄な連投を繰り返して垂れ流すのは中身が何も無い言い訳ばかりの長文
騎兵隊否定民族は相変わらず糞臭いな 大名に直接に雇用される足軽が少なかったとでも言うのか?
全軍から見たら一部であっても、少なくはないだろ。 >>228
集団運用じゃなかった平安〜鎌倉期の武士も、日常的に武技の訓練を続けてたんだよ >>234
信長の威信をかけた重大行事だ。
事前にその行事のためだけの訓練を行わなかったはずはないだろ。
逆に言えば、日常的な集団訓練が合った可能性を示す論拠にはならない。 段々軍事アレルギーだかなんか知らんがこういう研究をほとんどやってこなかった史学者どもに腹が立ってきた
そいつらの怠慢のせいでこのスレがおかしなことになってるんだよ! >>248
財政考えたら戦しかしない奴らを常時雇うのは出来るだけ少なくしたいだろ。
平時は他の事してる連中を戦時に臨時雇いするのが最も財政負担が少ないだろうが。
軍役で地侍連中に人数を割り当てるのはそういう点で理に適ってるから行われたんだ。
越後みたいな国だと冬場は国に居ても仕方ないから、雇われる方も大喜びで出稼ぎ感覚で雇われる。
戦場では略奪も出来るからかなり儲かるからな。
気をつけないと命落とすけどw >>252
意味不明過ぎるぞ低脳
戦国期の日本に臨時雇いの傭兵なぞ殆ど居なかった
足軽は武士身分だし、軍役衆も百姓とは別個の身分 兵農分離のきっかけを、「村内における夫役の固定化」を発端とするって考えあるらしいんだけど(あんまり詳しくないけど)、
この辺と混ぜあわせて同時進行的に何かが起こってたんじゃないか、
その説明ができるんじゃないかって気がするね >>254
ええと…殿様から「○○村からは、槍兵1名とその武装を提出すること」と命じられたとして。
この槍兵1名は、いつも同じ人(権兵衛さんと仮称)になりがち。
で、軍役の頻度が上がってくると、「なら権兵衛は兵役専門で行こう。」なって、職業軍人権兵衛さんが誕生? >>255
そういう例もあるだろうね。
いずれにしろ織田豊臣の統一期に、地侍クラスで農地に残るか農地経営捨てて城下士になるかの選択を迫られてる。
次男以下が城下士になる例が多くて、本家が地元で百姓になり、分家が城下士になったりとか。
で、江戸時代になると身分は分家の方が上なんだけど、一族の集まりだと本家の百姓の方が上座だったりとかね。
地侍より下のクラスでも同様の事は当然あったろうよ。 >>198
ちなみにその『北条五代記』で犬也入道が馬術を披露する場面では
「扨弓をすて飛でおり、従が持ちたる槍おつて」
郎等を従わせておいて持たせておいた槍を下馬して受け取ったりしてるんですよね
わざわざそこを出してきたということは馬術自慢の関東武者であっても純粋な騎馬隊ではなく
郎等付きの騎馬集団だったという根拠にしたかったのかな? >>227
>騎馬の集団運用には恒常的な訓練が必要なのは、近代軍では常識の範疇だよ。錬度って言葉があるだろ。
「手足のように運用した」がどこから出てきたかの答えになってないと思うんですが・・・
>そもそも数騎単位の運用が念頭にあるのか、このスレでいう数千人・数百人の騎馬隊なのか判然としないのは、、
数騎単位の運用なら領主別編成で十分でしょ?
それを分解して兵種別に再編成したかどうかを議論してるんだから
どう考えたって後者の話に決まってると思いますけど >>252
実際の軍役では、臨時雇いの人間、それも少なからず、農耕に適さないひ弱な体格の低層民を臨時雇いして連れて行く事例が少なくなくて、
大名の側から禁止令が出てたほどだろ
そんなのを雇い込まれるよりは、大名の側が自分で人選して臨時雇いする方がマシな兵が集まるはずさ
同じ臨時雇いするにしても、地侍たちに任せて安く雇い入れられるのは大名にとって不利。
まあ、どこの地侍もみんな揃ってことごとく、そんなどうしようもない人間を雇い入れてくるわけじゃないんだろうがな。 >>254
農作物の収穫が厳しい寒冷期には農民の兵役が主流になり、
そうでない収穫安定期には専業兵が主流になる(兵農分離がすすむ)
そういう傾向が、ヨーロッパで見られるという話はある。
室町時代後半から戦国時代あたりは世界的な寒冷期で、日本でも飢饉が頻発した時期だからな。
兵農未分離だった原因のひとつは、その辺だろ。
ちなみに、南北朝時代ごろから徐々に農民挑発の兵が増え、本格的に足軽が活動するのは応仁以後
>>255
時代が違うけど、中国の兵戸制からの連想なんかもね 詳しく知らないけど、上杉の関東遠征を略奪目的の軍事行動とする説って
最近じゃかなり批判受けてるんじゃなかったっけ?
略奪禁止令を出したり、略奪の被害にあった寺に損害賠償払ったりしてる史料があると聞いたが >>261
略奪禁止令は、村や寺が金払ったら出してもらえるの。
その場合は違反して略奪した兵士は処罰されるし、それに伴う損害も賠償してもらえる。
金払うのがいいか、略奪されるのがいいかという二択だよ。 ていうか大規模な軍事行動に見合うだけの利益が略奪なんかで得られるのかね?
略奪が目的というのはそういう前提だと思うけど 上杉は毎年のように冬になると関東にやって来てたじゃん。
まるで出稼ぎのようにw >>265
毎年じゃないし略奪目的なら大集合掛け無いわな 「馬足軽」や「一騎(揆)合」「 一僕者」「一騎衆」などなどを編成すれば、簡単に千単位の騎馬隊を編成できるよ。 >>267
皆知ってる事を一々書き込まなくていいよ で、その「騎馬隊」は15世紀イギリスのような騎乗歩兵ではないのですか?
特に関東以外のところでは 関東の事例は今迄散々例示されてるのだから
主張したい事があるなら関東以外の所の事例を挙げないと駄目だよ >>269
いや、騎兵隊だよ。
その数千の騎馬隊ぎ何隊も編成され、大平原を疾走して敵陣に突撃していたんだよ。
反日サヨクどもは日本の戦を矮小化しようと必死だが、日本の戦はダイナミックでスケールが大きく、極めて躍動的だったことがわかっている。 ■ このスレッドは過去ログ倉庫に格納されています