>>237の続き

武家社会が寄り合いであることを踏まえて兵科別制について考えてみよう

題材は兵農分離が進んでいたといわれる織田家、信長と佐久間信盛の関係

信長が佐久間信盛を追放するのに出したのが「19ヶ条の折檻状」
まず第一に信長でさえ佐久間信盛を追放するのにわざわざ19もの罪状を上げ連ねなければならなかったという事実

 >水野信元死後の刈谷を与えておいたので、家臣も増えたかと思えばそうではなく、それどころか水野の旧臣を追放してしまった。
 >それでも跡目を新たに設けるなら前と同じ数の家臣を確保できるはずだが、1人も家臣を召し抱えていなかったのなら、
 >追放した水野の旧臣の知行を信盛の直轄とし、収益を金銀に換えているということである。言語道断である。

上記は折檻状の一部だが信長でも佐久間の家臣については直接関与することができないと分かる
と、なると信長が兵科別制を採用してたとしても、それは佐久間の家臣には及ばない