>>312
横レスだけど岩付衆のその陣定書にはそもそも「今度之陣一廻之定」とあるから
恒常的に岩付衆がそういう軍編成であったとは限らないってことは
兵種別再編成を支持する研究者たち(則武とか)からも、もとより指摘されている

そのブログでも指摘してるけど、陣定書の編成と一般的な北条氏の軍役の編成との間では
単純な動員兵数という点では特段奇異な違いはなくて、特徴的な違いといえるのは
陣定書の軍構成は、衆全体のなかで馬上が占める割合が妙に大きくなってるところだから
素直に考えれば、その陣定書では、馬上衆を多めにした衆の編成を試してみたのかもしれない
もちろんこれは完全に想像にすぎないけど

そもそもこの陣定書に相応する戦「今度之陣」がどれであるかといったことも研究途上で特定されてないから
陣定書が実際に実施されたか否かは、一次史料から確定させることは現状出来てない
ただ実際に陣定書に従った「陣」があったとした場合、事前にこの陣定書が岩付衆に交付され、
それに従って岩付衆が動くのは不自然ではないし
他方で「帰陣」した後、口頭による談合で「心静遂糾明」がされたために文書が残っていなかったとしても何ら不自然なことはない
というか、こういうややこしい説明を要する軍事機密に類する話は、たとえ文書が残っていても、詳しくは口頭で使者が伝える
としか書いてないことが多いし、それよりなによりそもそも文書が残っていることの方がレアケースだから、
「心静遂糾明」に関する文書、反応が現時点で発見されていないから
陣定書は実施されていなかったのではないかとする、そのブログの論拠はあまり説得力がないんじゃないかな

というかそのブログ、ざっとしか読んでないんで誤解があるのかもしれんけど
武田家の旗本衆や単独で一手を形成できる家臣の兵種別再編成は認めながら、
寄親寄子の組み合わせになる一手あるいは備えの兵種別再編成は不可とする論旨がいまいちよくわからん
寄親寄子制ってそういう備えを形成するには大小中途半端な給人たちを
有効な戦闘単位へ編成するための制度だろうに