【刀】鈴木眞哉史観を疑う 六太刀目【騎馬武者】
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「歴史の真実を見極めよ」と既存の歴史観にエキセントリックに疑義を投げかける、
紀州雑賀衆の末裔を自称する「日曜歴史家」鈴木眞哉。
ネット上を見ると、彼を評価する人間も少なくないが、
鈴木のいう「歴史の真実を見極める」とは
彼の説を無条件に受け入れるだけで事足りることなのか?
彼の提案する説で疑問に感じるところはないのか?
鈴木史観との向き合い方から鈴木史観の内容についてまで、
それを日本史板なりに専門的に議論するスレ。
前スレ
【刀】鈴木眞哉史観を疑う 五太刀目【騎馬武者】
http://yomogi.2ch.net/test/read.cgi/history/1350722151/ >>341
う〜んんん。確かに流鏑馬は近距離だ。。。 大鎧着た相手に遠くからピシピシ矢を射て死ぬわけないだろ
近づいて顔面にブチ込むんだよ。将門や義仲・義貞もみんなそうやって死んでる。 難太平記読むと相手の白刃が届く距離で騎射してる場面がある 343
源為朝なんかが大弓の名手だったって有名な話だよな
それで九州に落ち延びて九州をまとめ上げ支配したと
かなんとかの説もなかったっけ?
よく覚えていないけどなんかで聞いたかテレビで見た
かした話 九州あたりも源氏に関係しそうな話ってのはあるんだよな 源義親は隠岐に流罪だっけ?
そのあと義光と義国が争ってるんだよな
源氏を継いだ為義派だったのが義国 342
奥州藤原氏ってのは独自に大陸の方と通商を持っていた話はあるぞ
位置的にいえば今の沿海州だろ >>340
元寇の後の元代の文献でも日本の矢の射程は遠くないと述べられているよ
その手の文献だと刀の鋭さも言及されるから刀は活躍したんだろうとはわかる つうか普通の人間には大弓は引けないから
弓を引くときの硬さでいったら世界一じゃないの? >>352
そこまで行くと実戦的な感じがしないなw >>341
鎌倉後期の春日権現験記絵なんか見るとやや遠間から馬を走らせてつつ
弓を脇に挟んで抜刀なんて姿もあるな
距離があっても弓でなく刀を選択してるわけで
このあたりから騎射の威力が見切りをつけられて南北朝の打物時代に至るのかも >>350
弓の大きさの割りには射程がそれ程ではないと言われてるね
矢が重いのか?
弓の素材のせいかな? >>355
鎧を貫くために矢が長く重いとは言われる 弓術の訓練で400メートル超の距離を射ることを求められることもあると考えれば
矢次第でかなり変わりそうではある
もちろんこれは有効射程ではなく最大射程だけど >>340-342
それに、当時の軍記物や絵巻物における一騎打ちも、それを裏付けるかのように、彼我の距離が数メートルないし十メートル程度だしな。
明らかに近接射撃
>>346-347
為朝が九州で勢力を持ってたのは清盛が台頭する前だしな。
為朝が処刑されたことで生じた空白地をかすめ取ったのかな? 数メートルの距離に接近して馬上から弓で鎧の隙間を狙うくらいなら打物やるわって
流れになるのも無理はないと言える まあ数メートルから矢が当たれば高い確率で死亡するからそれが主流だったんだろうけどな。
ただこうなると遠戦志向とは違うよな。
遠戦で矢を使うなら集団で雨あられのように射かけなくては。 もったいない精神で外れ矢を恐れるあまりどんどん近づき、更にどうせ当てるなら効果を最大限にと威力を増していったと。。。 もったいないどころか接近しながら射る矢が外れたり有効じゃなかったら
自滅に等しいことにもなりかねないわけで 「真光故実」を信じるなら鎧も強度を増してきて昔なら可能だった
鎧の「裏をかく」=貫通するもできなくなっていったらしい
だから鎧の隙間を狙うか馬を狙うとか以外にも打物とか組討になるようになったんだと
ちなみに馬を射ることがマナー違反とか変な俗説があるけどここには
非難するようなニュアンスはないよ
「平家」で義経が水夫を狙わせるところも本文ではなんら非難がましいことが
書かれていないのになぜか当時の常識ハズレとか暗黙のルール違反とか言われたりと
色々不思議な俗説がまかり通ってると思う 80年代以前の戦後の馬鹿人文ガク者共は妄言垂れ流しまくりだからな
戦前より低水準じゃないの?ってレベルで 鎧の革とかペラペラじゃんとか昔はよく知らずにバカにしてたんだが、
あれが軽くて強度あるんだよな。
矢はもちろん、打ち物でも鎧に当たったら効果薄い。
隙間を効果的に狙うにはより接近思考になったということかな。
そうなると打ち物が有利になるよね。
鎧通しなんて優れものもあるしなw 資料に風云々と出てれば遠距離攻撃が行なわれていたとみていいと思うんだ
近距離での攻撃のみなら風はあまり関係ないからね
確か平将門の最後の戦いでも風のことが書かれていたとよな >>365
そうなると、槍とか鈍器がもっと早く流行りそうな気がしないでも無い。 >>365
減衰するだけで、条件悪いと普通に刺さるし斬られるけどな
革の鎧着た李朝兵が鎧ごと日本刀でばっさり殺られたみたいに 全然関係ない話だけど、鄭成功の鉄人部隊に驚いてたってことは
中国でも鉄製の甲冑って珍しかったんだろうか?
材料や技術に不足があったとは思えないが >>368
悪いけど、革の鎧と言っても日本刀相手にしてる日本の革鎧と朝鮮の革鎧を一緒にするのはどうかと。
日本のは革を丁寧に丁寧に塗り固めて作って行くのよ。 漆に付けた革を重ねて突き固め石灰で固めるようなことをどっかで見たけど思い出せぬ 日本の練革は、牛の生皮を何枚か膠で貼り合わせた後乾燥、
防水のため漆を塗って仕上げる。
大陸の革鎧は知らない。 中国の革の鎧も大体同じ
つっても日本も中国も革の鎧は早くに廃れてるし >>366
胴鎧しかつけてない歩兵相手には矢襖でも十分だったろうね
しかし重装備の騎馬武者を仕留めるにはやはり接近しないと無理だったのでは 足軽とかの鎧だと矢も簡単に貫通したらしい。
ところが本格的な鎧だと貫通は相当難しかったようだね、
まあでも、動きを重視するとそうそう全身を覆えないからどうしても隙は出来て来る。
逆に隙間なく覆うと動きが犠牲になると。 テレビ番組ネタで申し訳無いが、海外のディスカバリーチャンネルやヒストリーチャンネルなんかだと、実際に貫通可能かどうかを実験しちゃってたりする。
あちらでの戦闘のものだけど、英国軍のロングボウの矢はフランス軍のプレートアーマーを射抜くことが出来たかどうか?について等々。
結論から言えば、充分可能。
個人的見解としては、これで致命傷を与える程に貫通出来たかどうかは微妙。
鎧と衣服の間には緩衝材としての詰め物を入れたりするわけで、それらも矢を防ぐ効果はある程度はあった訳で…とか。
まあ、こういう実験も結論ありきで誘導されたりするから鵜呑みにしちゃいかんだろうけど。 日本だと名和氏が戦国時代の本物の鎧をつかうという贅沢な実験やってたな。
結論から言うと足軽用の胴じゃ矢は全然防げない。
しかし、侍用の本格的な胴だと逆に効果抜群で、戦国後期くらいの胴だとまず矢で居ぬくのは不可能だとのこと。
ただ、この頃はもう鉄砲が出てきちゃってるけどね。 >>378
となると、やっぱ侍は戦車で足軽は戦車の後ろをついていく歩兵ってのが合理的だよな 春日大社のものをはじめ大鎧の現存品は兜と胴鎧を合わせて25キロ程度のがいくつかあるんだが
ここまで重いと胴鎧も全てが革小札製ってわけではないだろう
貫通されにくい鎧が出てきたというのは鉄小札の多用に関係あるんじゃないのかな 鉄甲より皮甲のほうが弓矢には強いらしい
続日本紀にそんな記述があった 古代の短甲は、板金の胴鎧だったわけですよね?
それが駆逐された過程を考えると、鉄の胴鎧は防御力過剰(鉄砲ないし)わりに
重くて高くてさびやすいとかあったのかも。 矢には跳ね返す強靭な装甲より、包み込んで威力を減退させる方が軽くて有効。
母衣が矢を防ぐのに非常に有効。
それから考えると、弾力がある皮の方が良かったのかもしれない。 奈良時代ころの次期制式鎧コンペを妄想
開発者A
「まずはこちらの板金の胴。隙間を突かれなければ、現在我が国にあるほぼ全ての武器を防御できます。
重量は15キロ、お値段は100。年間生産数30です。」
開発者B
「次に革の胴、至近距離からの矢・太刀以外は大抵防御できます。鉄砲?それは何ですか?
重量は5キロ、お値段40、年間生産数150です。」
数値は適当ですが、これで開発者Aが勝利する見込みあるでしょうかね?
軍事技術は基本的に値段は二の次で質と生産量重視だから
いい勝負 http://www.47news.jp/CN/201203/CN2012033001002252.html
>春日大社の赤糸威大鎧は鎌倉時代後期(13世紀後半)の作品で高さ144センチ、重さ約26キロ
http://www.pref.okayama.jp/kyoiku/kenhaku/data/publish/dayori048.pdf
岡山県立博物館蔵の赤韋威大鎧は約25キロ
両方とも兜と胴のセットだけどだからと言って兜は鉄部品+鎧は組紐と革小札オンリーでは
この重さにはならんだろうし鉄札もかなり多いだろ >>386
これだな
続日本紀 宝亀11年(780年) 8月18日の詔
「諸国の甲冑は次第に年月を経て、ことごとく皆さびを生じ綻び多くは用をなさないという。
三年に一度の割で修理するのを例としていたが、修理する後から綻び、この上なく手間と労力を要していると聞く。
しかし今、革の甲は堅固で久しく使え、身につけても軽くて便利である。
また矢が当っても貫きにくい。その手間と日程を考えてもとりわけ作りよいものである。
今後、諸国が造らせる一年間に必要な甲冑は皆革を用い、前例通り毎年見本を進上するように。
ただし、以前に造った鉄の甲もいたずらに腐らせることなく、三年を経るごとに修理させよ」 2chの歴史関係のスレって、反日サヨクや朝鮮人が立てたスレばかりだけど、
このスレは何を争点として争ってるの?
反日サヨク&朝鮮人連合派と、日本保守派、双方の主張を分かりやすく教えてよ >>388
う〜ん。こういう状況なら、鉄の鎧は革鎧に順次置き換えて
余った鉄鎧は矛とかに再加工した方が良い気がする。 でも、戦国時代の当世具足だって普通に鉄板使用してるだろ?
あれはすぐ錆びなかったの? 今は原ページ消されてるから確認できないけど英wikiによると紙甲って青銅や鉄の鎧より弓矢を弾くらしいね
柔らかい素材でできた鎧は刺突に強いのかな
228 :世界@名無史さん:2006/05/05(金) 14:17:59 0
英Wikiに紙甲の記事があった。
ttp://en.wikipedia.org/wiki/Paper_Armour
「水気を吸うとさらに強靭になる」とか書いてある・・・
「米軍弾道学センター」とかいう機関が実際に紙甲を作って実験したそうだ。
コンポジット・ボウから放たれた矢に、青銅や鉄のスケールよりよく耐えることができたらしい サルフの戦いに参戦してた李朝兵が紙の鎧を着てるって記録あるね ヤクザが濡らした和紙を体に貼り付けるのとおなじだな >>392
しっかり漆を塗ればさびは防げる……と思ったら、小札鎧だと動く度に擦れ合って剥げちゃうかな? >>382
いや、過剰じゃなく不足であって、より防御力の高い革鎧に移行したって可能性もある
鉄は鉄でも種類によって千差万別だからなあ。 >>397
いや、無いよ。
鉄鎧の方が圧倒的に防護性能が高い
革の鎧じゃ李朝兵の様に日本刀で鎧ごと斬り殺されちゃうからね >>397
鉄の鎧の方が防御力は多分高いでしょう。
しかし、「貴方の敵は、革の鎧では防げず鉄の鎧なら防げる攻撃手段を使ってきますか?」
答えがNoなら鉄鎧の防御力は過剰品質。革の鎧で防御力は必要十分&重くて高価となるので。 鉄の鎧でもぶっ叩いたら着てる奴にダメージあるでしょ >>400
それは「鉄でも皮でも防げない攻撃」ではないかと。 装備や武器の進化により戦い方が微妙な変化してたってことか。。。 産業革命前後のヨーロッパで使われていた銑鉄はワースト例だとしても、
前近代の量産用鉄製品は強度が低い物も多いだろ
隕鉄などの丈夫な鉄は少数で量産できないしな >産業革命前後のヨーロッパで使われていた銑鉄
これよりは西洋で鉄の鋳造ができなかった13世紀あたりの鍛鉄のほうがまだよかったんじゃないかな >>404
そこまでさかのぼらなくても、木炭での鋳造と石炭での鋳造だけで充分に差が出るんじゃなかったか。
木炭と比べて硫黄とかの不純物が多い石炭の影響で銑鉄の強度がガタ落ちしただろ。 >>398
弓矢相手なら革鎧の方が防御力高いでしょ
李朝が戦ってきたのは日本刀じゃなくて弓矢を使う女真族なんだから 日本刀との戦いを想定して鉄の鎧を急造しても数は揃わないし、兵が慣れていなければ動きが鈍る。
数に任せて密集できず動きも鈍い兵では、倭寇に鎧の隙間を突かれるのがオチ。
それなら、流れ矢を防げれば上等と割り切って、既に現物がある&兵たちが着慣れている鎧で通すのもアリかと。 朝鮮の革鎧はどうだか知らんけど、
日本の練革は日本刀で簡単に裁断できるような代物じゃないぞ。
日本の甲冑は日本の武器を想定して作ってるんだから、そう簡単にスパスパ切れるもんじゃないよ。 皮だろうが金属だろうが、弓や銃で攻撃されたら身の丈以上の盾にでも隠れて応戦した方が良いだろw
鎧なんて致命傷防げれば良い 古代テーバイの将軍エパメイノンダスはそれまで鉄製だった胴鎧を麻布製に
全身を覆い隠すほどだった盾を小型盾に軽装歩兵の装備を変更してスパルタ軍を破ってるけど
中途半端に堅いより機動性に特価したほうが強いのかもね 機動力と防御力というのは永遠の課題だからね。
固くすりゃいいってもんじゃないよな。 上に話題に出てるサルフの戦いなんかも
機動力が重装備上まった戦史でも珍しい例だな 銃弾を防げる鎧が現実的な物でなくなった時点で甲冑は滅びた(近年、ボディーアーマーという形で微妙に復権してるみたいだけど)ように
少々防御を厚くしても防げない攻撃手段を敵が持っている場合は、気休めにしかならない装甲は諦めて身軽にした方が
結局は怪我が少ないのではなかろうか。 >>406
対弩弓でも鉄鎧の方が防護性能高いよ、当たり前だけど。
簡素な鉄鎧>簡素な革の鎧、手の込んだ鉄鎧>手の込んだ革の鎧 >>410
その時代のギリシア地方に鉄鎧は未だ存在して無いよ
青銅の鎧ですら高級貴族の特注品、一般兵は革鎧 鉄と言ったって、どの程度の重さかによっても違うからな。
重さ比で言ったら革の方が防御性能高いだろ。
例えば革より分厚い鉄の方が防御性能高いに決まってるが、そんなもん着て動けんしw 名和弓雄氏が武蔵御嶽神社の赤糸威大鎧を調査したときの話書いてるが
背中側なんか全部鉄札で驚いたと
時代が進むほど革札と鉄札を混ぜたり重要部分はすべて鉄にする傾向だそうだ 武蔵御嶽神社の大鎧を検索して写真見ると例によって兜と胴のセットだし
読売新聞の記事のデータだと春日大社や岡山のものと同クラスの
約25キロとなっている
現存する大鎧はどれもかなり鉄札比率が高いタイプばかりなんだろうな 南蛮胴って信長の時代はまだ入ってきて無くて、
信長自身着た記録ないらしいな
学研の日本史の漫画でも信長がそれ着てたイメージしかないから驚いた 厳密に言えば比較的早い時代に宣教師から大友宗麟に献上されたりしてるので
まったく日本に入ってないってことはない
ただあの伝・織田信長所用南蛮具足を信長が着たという記録はないけどね でも、南蛮胴なんかでも鉄砲防ぐのは無理だったんでしょ。
矢は完璧に防げるけど。
もう少し戦乱の時代が続いたら鎧なしの時代になっただろうね。 輸入モノの南蛮胴=胸甲着用で遠距離ならはじくこともできたらしい >>415
ネポス英雄伝にそう書いてあるんだが
つうかエパメイノンダスの時代には貴族階級はとうの昔に滅びてて存在しないんだけど >>425
ネポスは史家じゃなく歴史小説家な、史料の吟味なんざしてない。
テーバイがラケダイモンを破った時代のギリシア地方に鉄鎧は未だ存在して無いよ >>414
「古代人はどう暮らしていたか 実験考古学入門」著ジョン・M・コールズ
青銅器時代の皮製盾と金属薄板盾を複製し、その防御性能をテストした実験。
筆者は用心深くも、完全に役に立つと思われた皮製盾を手にした。金属盾の方は、
ただ1回切りつけただけで切れてしまった。
青銅の剣で切りつけてテストしてみると、複製盾は十分に耐えれることが分かった。
切りつけたり、刺突しても、皮の盾は軽くしなって、その衝撃を吸収してしまうのである。 >>426
いや当時現存してた手紙とか日記とか引用してるからネポスは
それとポリス時代のギリシャ兵の装備については「アナバシス」の松平千秋先生の注釈でも読んでみたら? >>428
そうだよ。
鉄砲じゃ甲冑で防ぐのはほぼ不可能といっていいくらい難しい。
それでも防ぐなら動きを全く無視するくらいに分厚い装甲にしなくちゃならんがそれじゃ動けないのでw
なら最初から甲冑なしで動き重視でとなるのが自然の流れ。 >>429
手紙も日記も引用して無い或は引用したと明示して無い
アナバシスでは青銅の兜と脛当に革の鎧
少しは歴史の本を読もうな、鈴木本やウリナラファンタジー書じゃなく >>427
その実験は片手で持てる様な非常に薄い一枚の金属板を使った実験
使えないのは当たり前 >>432
片手で持てないような分厚くて重い盾だと、攻撃は防げても兵士が持ち歩けないのでは?
甲冑との関連で語っていると言うことは、バリケード的に並べる盾ではなく
白兵戦で敵の刀槍を受け止める道具でしょうし。 >>430
江戸時代の鎧職人は、火縄銃で撃って貫通しないテストしてるけど。
幕末の新型銃には貫通されまくってるけどな<鎧 歴史じゃなくて神話だけどイーリアスなんか読んでても青銅製の盾は
投槍とかで普通に貫通可能なものという感じに描写されてるな >>433
片手で20`保持し続けるのは不可能でも
20`を背負って活動出来無い虚弱兵は一人も居ない イーリアスだと牛革七枚の上を更に青銅で覆った盾が出てくるな
盾の中央に腕輪状の腕通しがあったりベルトをつけて体に固定したりできたらしい
http://www.mlahanas.de/Greeks/war/ArmorC.jpg >>350
矢は長しと言えども遠く能わずってそういう意味なん? ■ このスレッドは過去ログ倉庫に格納されています