【刀】鈴木眞哉史観を疑う 六太刀目【騎馬武者】
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「歴史の真実を見極めよ」と既存の歴史観にエキセントリックに疑義を投げかける、
紀州雑賀衆の末裔を自称する「日曜歴史家」鈴木眞哉。
ネット上を見ると、彼を評価する人間も少なくないが、
鈴木のいう「歴史の真実を見極める」とは
彼の説を無条件に受け入れるだけで事足りることなのか?
彼の提案する説で疑問に感じるところはないのか?
鈴木史観との向き合い方から鈴木史観の内容についてまで、
それを日本史板なりに専門的に議論するスレ。
前スレ
【刀】鈴木眞哉史観を疑う 五太刀目【騎馬武者】
http://yomogi.2ch.net/test/read.cgi/history/1350722151/ なんで進駐軍が掻っ攫ったもんだとわかるの?
どちらにせよ古刀か新刀かは分からんし 明治初期には日本人が手放した古物の欧米への流出が激しいしな。
必ずしも進駐軍が、とは限らんわな ほぼ確実に米占領軍が略奪、強制徴発した刀だろうな、数量的に スプリング刀は波紋が無いから美術的価値が無いだけで
江戸期の新刀、新新刀より良く切れたらしい
重い荷物を運んで鍛えられてるからだそうだ >>460
んなわけがあるか、アホ。
刃付けもしてない、形だけ刀っぽくしてるだけだ。 エン州虎徹と評判だったそうだからまあ切れたんだろう
おしなべて新刀・新々刀より切れるというのは贔屓の引き倒しだけどな >>461
歴史とか美術の視点から見たら無価値な鉄くずなんでしょうけど
武器としては、生産性やコストも性能と同等以上に大事です。
数が足りず、「手元に存在しない」名刀と、スプリング刀なら
スプリング刀の方がマシでしょうし。 間違いなく日本刀史の一部なので、価値はあるんだけど、保存とか研究とかおなざりなんだろうな>スプリング刀 あと、満鉄刀はレールの再使用じゃなく満州鉄道のレールを作った技術で作られた刀
極寒に耐え、玉鋼より腐食に強く、研磨修理が容易な対外戦争のための刀。 >>463
いや、別に軍刀なんて指揮棒代わりなんだから、切れ味なんてどうでもいいだろ。
捕虜の首を切り落とすのが趣味、とかなら別だが。 >>466
それ防軍刀サイトでも書いてたな。100人切り否定のためだけに鈴木説引用したうえで
ぐんとうはしきぼうだから〜
先ほどまでの実用云々(切れ味強度)を説いてたのにそれを否定とか >>467
俺、>>461だけど、軍刀の切れ味が大事、なんて全く書き込んでないが。
お前がスプリング刀が新刀より切れ味が上とかわけのわからないこと言ってるから突っ込んでるだけだが。
軍刀として使うなら、古刀だろうがスプリング刀だろうが変わらねえよ。
切れ味関係ねえもん。 切れ味と言えば、そこまでこだわるのも考えてみれば変わってるな。
刺身を作るんじゃないんだし、人が殺せれば、死体の傷が荒かろうと関係ないだろうに。
切れ味を良くするために刃を薄く鋭くしていけば、刃こぼれしやすくもなるし手入れも大変だ。 切れ味鋭い方がいいに決まってる、そう簡単に刃こぼれする物でも無いし >>466
小部隊の時の日本軍の戦法ってだいたいこんな感じだから
戦闘の流れによっては軍刀の出番もあり得るんだよ
敵火点発見
↓
自軍機関銃で拘束
↓
別働隊が地形に隠れながら近づき擲弾で制圧 →出来なかったら砲兵の支援を要請
↓
まだ抵抗してたらさらに接近して手榴弾で制圧
↓
まだ抵抗してたら白兵戦 ←軍刀の使用例でよく出てくるのがここ だいたい刃物って少しくらいの刃こぼれでは切れ味は極端に落ちないんだけどね
細かくキレイな仕事が要求される板前さんの包丁とは事情が違うのよ 「日本刀の近代的研究」では新村田刀なんかは最初は切れ味がいいが
すぐに切れなくなったと上海事変の実戦使用の結果わかったと書かれているし
逆にいうと普通の日本刀はそうではなかったんだろうな 黒田鉄山先生の祖父はむしろ刃こぼれが入ると引っかかりが出来て
斬りやすくなるなんて話もしてたそうだ >>468
別人と勘違いしてるが
おれは>>455に対して新刀か古刀か判別できないしスプリング刀も交じってそう
とは書いたが新刀よりスプリング刀の方が切れ味が上なんて書いてねえよ。 youtubeで一時期話題になってた同重量の日本刀とブロードソードぶつけてみたら日本刀が折れた
っつー結果が出た海外番組だと日本刀もブロードソードも実験用に新しく作った刀を使って検証してたな >小部隊の時の日本軍の戦法ってだいたいこんな感じだから
「ボクの考えたサイキョウのセンジュツゥ〜」だろw
敵火点発見←最近のラノベだとこういう言い方をするのか?
↓
自軍機関銃で拘束←小部隊に機関銃は配されていないし、日本軍は弾薬が潤沢であることで知られている軍隊ではない
↓
別働隊が地形に隠れながら近づき擲弾で制圧←擲弾は面制圧兵器ではない
出来なかったら砲兵の支援を要請←そんな贅沢は許されない
↓
まだ抵抗してたらさらに接近して手榴弾で制圧←手榴弾は制圧兵器ではない
↓
まだ抵抗してたら白兵戦
軍刀の使用例でよく出てくるのがここ←そこで使われるのは、銃剣 >>477
詳しくないのに無理して反論しなくていいよ /| | ̄ ̄ ̄ ̄| |\
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(´・ω||// | | (´・ω・`)| | ||ω・`) 現実はいつも僕を傷つける
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日本帝国陸軍の基本戦術は、機関銃や擲弾筒による火力制圧。銃剣突撃は最後に陣地を抑えるため。
日露戦争で体格にまさるロシア人に白兵戦で苦戦したことから、そうなった。
太平洋戦争末期の弾薬の補給が切れた状況は、本来想定していた状況ではない。 >>481
>日本帝国陸軍の基本戦術は、機関銃や擲弾筒による火力制圧。銃剣突撃は最後に陣地を抑えるため。
>日露戦争で体格にまさるロシア人に白兵戦で苦戦したことから、そうなった。
え?
むしろ、当時はそれが世界標準だろ?
>太平洋戦争末期の弾薬の補給が切れた状況は、本来想定していた状況ではない。
日露戦争当時ですら弾薬切れ頻発だったのに、対戦中は補給が切れたというよりか補給が途絶えてたというべき状態だからなあ……
普通なら戦闘継続もできないはずの補給が途絶えた状態で、よく継戦したと言うべきだよな。 下川潮の「剣道の発達」に日露戦争を視察したイギリス観戦武官の記録が載ってるけど
白兵戦では日本が圧倒していた模様
ロシア兵に劣っていたとか云々は鈴木が流した典拠のあやふやなデマに過ぎない
第二次世界大戦中の米兵の記録には日本兵の銃剣術の稚拙さが絶えず出てくるから
おそらくそれと勘違いしたんだろうな なんでそんなに劣化したんだろと思ったが、大戦中だと徴兵対象の拡大に次ぐ拡大で体格の劣る兵とか戦意の低い兵が多くなったり
出征前にろくな訓練を行う余裕すらなくなって促成栽培の未熟兵が増えたりしたからなんかなあ? 剣であれ銃剣であれ、白兵戦技術の低下があったというのは興味深いですね。
話を戦国期に戻せば、白兵戦能力の重要性は20世紀より遙かに大きいでしょう。
そう考えると、農民を「誰でも良いから」と徴兵しても戦力になるのかという疑問が… 旅順でロシア軍の陣地を奪取したら、逆襲されて失陥するってパターン多かったろ ちょっと一戦交えたら、陣を取ることはできても弾薬切れで継戦不能、みたいな、日常的な弾薬不足が原因じゃないの?
追撃して敵兵を減らしたいのに弾薬がなくて追撃もできないのが常だったのも、日露戦争の日常風景だし。 >>482
日本軍の機関銃装備率は高いし、重擲弾筒はライフルグレネードより有効だよ?
客観的に見て、銃火器の装備率は平均以上。
>>483
いや、そもそも日本式銃剣術自体が日露戦争の反省を踏まえて編み出されたもの。 日本陸軍編纂の剣術教範見る限りでは日露戦争の以前以後でさしたる変化はないが
ただ剣術は大分変化しててそれまでサーベルと日本剣術を折衷したような片手式だったのが
両手剣術になってる 日本陸軍の部隊戦闘単位が大隊を基準にした火力運用から、大隊火器を各歩兵中隊に分派しての中隊を中心としたものへと移行した結果、大隊火器の中核を担ってきた重機関銃は、激しい運動をする中隊用機関銃へと変化を余儀なくされていくこととなった。
大隊には速射砲や歩兵砲にも対応した充実した行李があり、重機関銃中隊にも日本軍にしては非常に充実した弾薬小隊も付いていたため、従来は密度の高い後方支援が重機関銃に与えられていた。
ところが、歩兵中隊に小規模で分派すると、このような密度の高い支援体制は期待できなくなるのである。そこで、各中隊に最初から重機関銃を配備する構想が生じた。
新構想に応じた急速増産を考えた場合、既存の九二式重機関銃は、製造工程が他銃に比べ多く大量生産に向かない構造という問題があった。
各中隊での運用を考えると、運動性は九二式重機よりも更に高い必要があった。
生産と運用中隊運用を目的として開発された一式重機関銃であったが、実際には戦争拡大に伴う部隊増設に生産が間に合わず、また装備改編・訓練の時間的余裕も無く、歩兵中隊への配備は実施されなかった。
単に九二式の代用として重機関銃中隊で用いられるに終始した。
これは見事な、絵に描いた餅w >>491
むしろ伝統回帰してるんだな
ていうか鈴木眞哉って近代戦争にも言及してるのか >>486
信玄時代の武田の軍役定書に百姓や職人などを軍役の補として
連れて来ることが固く禁じられてる
史料が少ないところだから確定的なことは言えないけど織田豊臣以前には
兵農未分離だったとかの話は疑った方がよさそうだ 固く禁じられているということほ、現実にそういうことが横行していたということだろ。 禁じられているなら、それは横行していたほかに、それでは不都合という条件が必要ですよね。
ということは百姓職人を連れてくるのは、人数が増えるメリットを上回るデメリットがあったことに。
そのデメリットが「足手まといだから」なのか「生産者を失いたくない」なのかは解りませんが、 その、足手まといだという記述が本音なのか建て前なのかが分からんと言ってるんなら、筋が通らなくはない >>494
確か・・・当主や長男の動員を禁じていただけだったような・・・ 少なくとも南北朝以前は兵農未分離じゃなかったはずだしなあ…… >>500
兵として役に立た無いから商人は連れて来るなと言ってるし
出来るだけ同じ人間を連れて来る様にお達ししてるけど >>500
それって明治の話でしょ
当時の百姓に「家督」とかないしな http://07494.cocolog-nifty.com/blog/2010/02/post-97e6.html
>たとえば、戦国時代末期の天正八年に武田氏と北条氏とのあいだで戦われた沼津の千本松原の合戦場跡には、
>ほぼ当時のままの首塚が残されていた。
>この首塚に残された一〇五体ある戦死者の遺骨のうち、じつに三五体(三三・四パーセント)が女性のもの
>だったと分析されているのだ
女まで駆り出してるのに兵士の質を選別してる余裕があったとは思えないけど 別にその女たちが兵士だったと確定したわけでもないだろ じゃあ何?慰安婦?それとも飯炊き女か?
いづれにしても軍中の三割って結構な数だけど一体どんな役割を果たしてたんだろうな まさか、こういうスレで女武士を珍しがる流れというのも興味深い ぶっちゃけ個人の武力最高は巴
日本の呂布にあたるのは女武者 1960〜70年代の研究が最新の研究になるとか凄い話しだよな。
いい加減おっさん呼ばれる歳だけど、俺が生まれる前の研究、学説だろw 図書館で借りたり最近買ったりして、つい最近に読んだ話だからという理由で、
なぜか最新の学説だと勘違いしちゃう人って多いよな。
お前さんが読んだ日じゃなくてその本が書かれた日を見ろよって。
あと、昔の全集とかが文庫化されることがあるんだが、
最近文庫で出たばかりの話だからと、執筆時期を見ないで新しい説と思い込むのも多い。
中公文庫とか小学館ライブラリ、集英社文庫、講談社学術文庫あたりは要注意だ。
岩波ワイド文庫とかもか。
うっかりすると、1950年代1960年代あたりのものが新刊で出てきたりするからな。 文系学問は新陳代謝遅いから最新といっても数十年前の研究ってのはザラにあるな
文化人類学とか未だに19世紀のルボンの著作が引用されまくってるし >>520
あれだろw
鈴木がよく使ってた枕詞じゃねえの?w
最新の研究ではカタナガーとかキバタイガーとか。 >>377
鏃が焼き入れされて無くて抜けないって結論のやつもある
戦場跡から金属探知機で鏃探し出したうえで あれ出土した鏃は生鉄で硬度が足りないから鎧は抜けないけど
ボドキンなら鎧にも刺さるって結論だったろ 艦これ弓道警察の件で色々見てたら、すげえ電波飛ばしてる自称軍ヲタがいたわ
https://twitter.com/KeisarSan/status/554172948584476672
@Hound_7 @tamaya8901 これ、近年生まれた射法
江戸時代までの馬は馬引きが動かすし馬体はポニー位の大きさ
去勢もしてないので気性が荒く手放しで乗れる物ではないそうです
本当の流鏑馬は馬引きの頭の影から現れる的を瞬時に見極めて射らねばならず的を見て射る事は出来ない じゃあ鎌倉時代の騎射の絵に馬引きが描かれてないのはなんだっていう この手の奴は自分が興味を持たないことは
躊躇なく他人か自分の妄想で済ますからどうしようもない 馬子が引かなきゃ動かない馬なんざ戦いじゃ邪魔なだけだろ
何のために戦で馬使ってたってんだよ 軍ヲタって戦術ドクトリンとか補給線とか近代に出来て概念を平気で過去にブチ込む
白痴ぞろいだから困るわ
プライドが高過ぎて会話のキャッチボールがまともにできないコミュ障が多いから尚更 >>533
×鎧が重くて歩けなかった
○鐙が重くて人が引か無いと動け無かった >>535
荷物が重くて歩けない馬は、人が引っ張ろうが引っ張るまいが歩けねえよ。 >>536
鐙は重いからな、金属製だと300gくらいある その人のいう「本当の流鏑馬」ってのはどういう文献で確認できるんだろうかね
古文献からは「馬引き」が引いて行う騎射というのは逆に確認できないんだけど 個体としてデカいのはそれ以前からいただろうが、平均的に大きくなったのは18〜19世紀みたいね。
無論、品種改良の結果。
科学、学問としての「遺伝」は19世紀後半からだけど、動植物の品種改良の歴史見てるとかなり昔からあった概念じゃないのかと思う。 >>534
>プライドが高過ぎて会話のキャッチボールがまともにできないコミュ障が多いから
その手合いはソースを出せといわれて出せないとそこからますます思い込みに逃げたりして
本当に話にならんのだよな
基本的なことを知らない自分をまず認められないんだろうけど 流れを見てると急に関係ない>>548が来たようにしか見えません リツイートしたりお気に入りに入れてるバカもいる
こういうソースのない駄法螺を拡散するには
ツイッターは格好のツールだね そりゃまあ米政府が破壊工作で使う為に開発した工作ツールだからな 147 ポニー上限
142 イングランド王ヘンリー八世(一四九二〜一五四七年)布告、142センチ以下の雄のタネ残すな
136 現在の木曽馬の雄平均
130前後 蒙古馬、日本の馬も同系というかたぶん同じ
129.5 新田義貞の鎌倉攻め戦死者とともに出土した128頭の平均、大きいもので140cm
112-133 グスタフアドルフの騎兵(スウエーデン軍装備目録)
105 シェトランドポニー
80 ミニチュアホース 400`c 在来馬
60`c 成人男子
30`c 大鎧
20`c 当世具足
900c 青銅鐙
300c 皮革鐙 ■ このスレッドは過去ログ倉庫に格納されています