【刀】鈴木眞哉史観を疑う 六太刀目【騎馬武者】
■ このスレッドは過去ログ倉庫に格納されています
「歴史の真実を見極めよ」と既存の歴史観にエキセントリックに疑義を投げかける、
紀州雑賀衆の末裔を自称する「日曜歴史家」鈴木眞哉。
ネット上を見ると、彼を評価する人間も少なくないが、
鈴木のいう「歴史の真実を見極める」とは
彼の説を無条件に受け入れるだけで事足りることなのか?
彼の提案する説で疑問に感じるところはないのか?
鈴木史観との向き合い方から鈴木史観の内容についてまで、
それを日本史板なりに専門的に議論するスレ。
前スレ
【刀】鈴木眞哉史観を疑う 五太刀目【騎馬武者】
http://yomogi.2ch.net/test/read.cgi/history/1350722151/ その人のいう「本当の流鏑馬」ってのはどういう文献で確認できるんだろうかね
古文献からは「馬引き」が引いて行う騎射というのは逆に確認できないんだけど 個体としてデカいのはそれ以前からいただろうが、平均的に大きくなったのは18〜19世紀みたいね。
無論、品種改良の結果。
科学、学問としての「遺伝」は19世紀後半からだけど、動植物の品種改良の歴史見てるとかなり昔からあった概念じゃないのかと思う。 >>534
>プライドが高過ぎて会話のキャッチボールがまともにできないコミュ障が多いから
その手合いはソースを出せといわれて出せないとそこからますます思い込みに逃げたりして
本当に話にならんのだよな
基本的なことを知らない自分をまず認められないんだろうけど 流れを見てると急に関係ない>>548が来たようにしか見えません リツイートしたりお気に入りに入れてるバカもいる
こういうソースのない駄法螺を拡散するには
ツイッターは格好のツールだね そりゃまあ米政府が破壊工作で使う為に開発した工作ツールだからな 147 ポニー上限
142 イングランド王ヘンリー八世(一四九二〜一五四七年)布告、142センチ以下の雄のタネ残すな
136 現在の木曽馬の雄平均
130前後 蒙古馬、日本の馬も同系というかたぶん同じ
129.5 新田義貞の鎌倉攻め戦死者とともに出土した128頭の平均、大きいもので140cm
112-133 グスタフアドルフの騎兵(スウエーデン軍装備目録)
105 シェトランドポニー
80 ミニチュアホース 400`c 在来馬
60`c 成人男子
30`c 大鎧
20`c 当世具足
900c 青銅鐙
300c 皮革鐙 従来の歴史観を否定し新説を作り上げるだけの歴史修正主義者 >>557
そんな日本の歴史研究が世界からひんしゅくを買っている。
【韓国】米研究員「日本の歴史修正主義は米国を戦犯にする」=韓国ネット「日本人は地球村の敵」「永遠に治療が不可能な病気」[03/11]
http://yomogi.2ch.net/test/read.cgi/news4plus/1426068508/l50 >>559
知性が病気で衰えてる一部の韓人に顰蹙を買ってるだけだけどな。
世界から顰蹙を買ってるのは、その一部韓人の池沼ぶりのほうだろ 文盲にはこの文章が読めないようだなwww
>米ジョンズ・ホプキンス大学国際関係大学院のデニス・ハルピン研究員は、
>外交誌「ナショナル・インタレスト」に寄稿した文章の中で、 歴史修正主義者と非難されるのは
だいたい近現代史の政治系統でそれ以外はあんま観た事ねぇな 歴史修正主義者って・・・
鈴木氏の場合は教授でもないから実質作家に近いし、物書きなんだから既存の通説に疑問を投げかけるような形になるのは当たり前だろ・・・ >>566
別に鈴木先生にいっとるわけじゃなかったんだが 修正主義とか大げさなもんでもなくて、単に目立ちたいだけだべ >>565
修正じゃ無く訂正な、そしてそれわ歴史学の本分
鈴木わ違うけど 騎馬に乗れるのは指揮官だけ、というのは
まともに否定されてたなぁ、鈴木・・ 馬廻とか存在しませんでしたとか極論というよりは暴論だからなーw でも鉄砲とか騎馬に関しては第一人者
って感じなのかな。 サファリラリーにF-1カーで出場すれば優勝間違い無しと言うくらいの第一人者ではある。 修正主義ってレッテル張れば論破の必要もなくなる大勝利って風潮は嫌いだな
鈴木の勝敗とは無関係な話だが まあそもそも、論破して勝利宣言ができない無能がレッテル貼りして勝利宣言するわけで。 鈴木に関しては、「また鈴木かw」「今更鈴木かよww」ってレッテルになってしまったな 4月23日放送 BS日テレの実験
体高130cmの木曽馬に92キロの鎧武者(人間62キロ+甲冑・武器30キロ)を乗せ100m走のタイムを計った。
結果は12秒。かなり速い。
木曽馬とアメリカ馬との混血は11秒後半。それほど変わらない。
それとは別にアメリカ馬よりも小回りが利くという実験結果も得られました。 BSは面白そうな番組やってるな
そろそろ契約するかな 地上波でもスタジオのどうでもいいバカ芸人やら役者やらのド素人感想コーナー無しで
情報密度ひたすら上げた番組やって欲しい
スタジオトークになるたびにチャンネル変えて時間見て戻すのめんどい 馬場で鎧武者乗せてタイム計っても全く意味がないだろう。
足軽の格好させた陸上選手を競技場で全力疾走させて「昔の足軽はこの速度で戦場を走り回っていました」なんて言ったら苦情殺到だろ。
畑や雑木林を走らせないと意味がない。 畑や雑木林で騎兵隊を運用する馬鹿な日本人は居ないから お前は日本の原野は馬場みたいに綺麗な柔らかい砂地だったとでも思っているのか? 少数精鋭の武田東国騎馬武者を警戒したビビリの大軍織田方が採った引き篭もり鉄砲戦術 >>582
落馬の危険があるからあんまり足場悪いところでは実験できまいて
しゃーない 下手すりゃ死人も出るし、馬に何かあったら動物アイゴー団体がうるさいからな。
現代は色々面倒。
何十年か前のイギリスみたいに浮浪者捕まえて空母のカタバルトに椅子固定して「生身の人間は何Gまで耐えられるか?」とかの人体実験するわけにもいかない。 農耕馬と軍用馬は全くの別物です。
現在の在来種は農耕馬の末裔で軍用馬は明治以降、見栄えや調教の
容易さから軍の方針で外来種に転換され、ほぼ絶滅したのは有名な話
です。 在来和種の軍用馬が西洋の馬と比べて、劣っていたのか?
現在の競馬馬と比較するのはナンセンスです。
南部馬の盛号は、明治の競馬で西洋のアラブ馬をちぎって
優勝した名馬です。
現在でも北海道和種で流鏑馬をしてる方々がNHKのTV番組で
放送されました。
道産子でもスピードはピンキリ。訓練されてる馬は、かなりの
スピードで疾走していましたし、
流鏑馬初心者が騎乗して乗る馬は人間の小走りぐらいの速さが
せいぜい。
人間でも鈍足の人もいれば陸上部クラスの俊足まで様々、
戦場につれていく軍馬は、古来日本では猛獣並みの荒馬が
好まれていたと言います。
皆様が想像してる木曽馬とは別物と考えるべきです。 上記TVで北海道和種が山の斜面を切り開いた場所を
縦横無尽に走り(斜面を斜めに登ったり下ったり)
廻っていたのは印象的です。
これこそ、蹄鉄を付けない在来場の得意技とも言うべき
特徴だと思います。
岬馬が岸壁に近い丘を疾走してる姿で想像がつくと思います。
訓練された軍馬なら人を乗せて山岳戦に利用するときこそ
強みが生じるのです。 現代の一般人が在来和種農耕馬に跨って騎乗しているのを
連想して議論するのは、もう辞めにしましょう。
西洋場にはない良さを持った在来和種馬の訓練された軍馬に
戦を重ねた軍人(歴戦の武士)が
騎乗してることを前提に、騎馬運用の有用性を
議論考察するべきと思います。 某番組で検証した
重装備の騎馬武者を乗せた木曽馬の実力で、
戦国時代の軍馬の実力を推測するのは
あまりにも。。。
『幻の南部馬を訪ねて』で検索してみてください。
上記の盛号のことや他の南部馬の名馬たちが紹介されています。 馬の実力の次に、当時の戦ですが
主な戦は局地的に機動部隊による遭遇戦であるということです。
野戦といえども現代人が映画やドラマ、ゲーム等で刷り込まれてる
見晴らしの良い草原で両軍が退治して、お互いの陣に突撃し合う
ような戦は幻想です。
1日で決着の付いた戦国稀な大戦でさえ、戦場は広大であり
高低差もあれば、草木が視界を遮り
各軍単位で、もっといえば備え単位での遭遇戦です。 本陣が山の上に陣取り、自軍や敵の旗の動きで
戦況は掴むことは出来ても、前戦では数十m先の敵すら
物見を出さないと把握できないでしょう。
本陣から使い番が馬で到着する頃には戦況は刻々と変化します。
当然、各隊で大きな損害を出さないように遭遇しては小競り合いを
して、勝機が見いだせない状態では後退して陣容を整える
つまり、備え毎に進退の繰り返しになります。
もちろん単純な前後進だけではないですが。 従って、鈴木氏の説のような騎馬隊否定どころか
騎馬武者の存在すら否定するのは笑うしかないですが。
前線の状況によって、通常数十騎程度の騎馬部隊を編成して
揺動、遊撃、追撃作戦を行うといった運用の仕方が
妥当なんじゃないかと思います。
備え間を超えた騎馬隊を編成して1千規模の騎馬軍団の
編成は戦の仕方や備えの守備力、兵站等様々な観点から
現実的ではないと思います。
その規模については、各家によって様々だと思いますので
今後の研究に期待したいところです。 読み返すと誤字脱字が多いこと
恥ずかしく思います。
連投制限があるようですので
訂正は致しませんが文脈からご判断頂くよう
お詫びの上、お願い申し上げます。 さすがに旗指物があるから敵の動きは100m単位で把握できると思うが
あとはおおむね同意 ご指摘のように全てが視認に出来難いとは、言い過ぎたかも
しれません。
しかし、移動中に100m四方以上の視界が開けてるところといえば
田畑が主になると思います。特に田は戦地には向かず、その他でさえ
今の様に平野部で干拓や灌漑が行われ飛躍的に田畑が増えたのは
江戸中期以降です。戦国時代には関東の平野の多くは湿地帯。
小高い所は竹藪か雑木林が広がっていました。 視野が確保できるようなスペースはお互いの陣の間の
領域では限られていたでしょうし、そのようなスペースは
両軍が激突する決戦場です。
真正直にそこに行軍して相手を待ち、息を合わせて衝突
みたいなことは稀であったと思います。そのような場所に
自分の部隊を晒すことは非常に危険を伴いますから。 1日で何らかの決着がついたような戦国稀な合戦
(例えば川中島・姉川・設楽ヶ原・関ケ原等)では
両軍が激突し熾烈な白兵戦が行われたようですので
例外にあたるのかもしれないですね。 私がイメージする通常の合戦は『軍師官兵衛』で
若き日の官兵衛が山道?森?を抜けて、道の交差部なのか
少し開けたところで敵部隊と遭遇して小競り合いをする
といった場面がありました。
兵の編成こそ違和感はありましたが、そんな感じの遭遇戦
が主体であったのではないかと思います。 当時、竹薮や雑木林がどこでも鬱蒼と繁っているということは無いですよ。
全国的にいちいちお触れを出して保護しないといけないレベルで樹木や竹が乱伐されていましたから
村落周辺や街道沿いの樹木は、現在の日本の山野よりかなり貧弱なものだったと思いますよ。 中世地方領主の裁判記録から、財産として保護されていた件も
勝手に伐採した連中を村人が武装して追いかけて取り戻した文章も残っているのに
古代・中世から石材を搬出していたことで知られている地域のみを精査したら木が生い茂っていないと、したり顔w
そこに貝塚があると分かっているところを掘り返したら、「なんと貝がでてきました!」
「日本では地面を掘るとどこでも貝が出てくるんです」と言っているのと変わりない >607さん
そのような御触れは江戸期の話ですか?
農村部で他人の土地で無断に伐採するなんて田舎閉鎖された
社会で考えにくいですが。。。
江戸期に農村部から城下に人が流入し、貧しい町民が城下周辺の
農村部で勝手に燃料や炊飯用の薪や、食料となる筍などを採取する
ことが増えたために各藩頭を悩ませたんじゃないですか?? 何れにせよ広い草原で、両軍睨み合いつつ
備えを前後進させるような合戦は、殆どなく。
各備えが機動しながら遭遇戦を展開させたような
合戦であったと思いますが。。。
その戦い方によって、騎馬の運用(通常編成や
適時の再編成等)・規模等に影響しますね。 それから各家によって運用は違うのは当たり前だと
思いますが、古文書や資料に詳しい方がいらっしゃれば
質問ですが。
武田の陣容を表すとき 馬場美濃守200騎等と表記してたと
思いますが。これは甲陽軍鑑などの軍記物だからなのか?
それとも武田家特有で騎士の数で軍役を表してたのか?
どちらか分かる方教えてください。 >>590
>何十年か前のイギリスみたいに浮浪者捕まえて空母のカタバルトに椅子固定して「生身の人間は何Gまで耐えられるか?」とかの人体実験するわけにもいかない。
ネトウヨ系の人にありがちなんだけどさぁ旧軍の悪行に関してはどんなに確証があるものでも必死こいて否定するくせに
他国軍の胡散臭い都市伝説はすぐ鵜呑みにする傾向があるよね 片岡愛之助の解明!歴史捜査
2015年06月18日
21:00?22:00
戦国頂上決戦!長篠の合戦の真実! ※アンコール放送
体高130cmの木曽馬に92キロの鎧武者(人間62キロ+甲冑・武器30キロ)を乗せ100m走のタイムを計った。
結果は12秒。かなり速い。
木曽馬とアメリカ馬との混血は11秒後半。それほど変わらない。
それとは別にアメリカ馬よりも小回りが利くという実験結果も得られました。 また『雑兵物語』などを例に東西における戦い方の違いについても指摘。
関東武士は馬上戦をよくし、関西武士は馬から降りて戦うそうな。 応仁の乱以降、100年以上戦国時代は続いたわけで。
時代により戦闘も変化していった。
将校同士の騎射主流から、足軽らによる集団戦術へ移行。
防具の発達により、弓による有効性が低下。
武器の多様性を生み、騎馬戦術も発達していく。鉄砲の伝来や
城郭の近代化により籠城戦が増え、野戦の仕方も西の方から徐々に
変化。将校が騎馬に乗っていると鉄砲による格好の標的となり、
必然的に下馬して戦う者も出始める。しかし依然として関東や東北等
では騎馬文化は根強く伊達の騎馬鉄砲や真田幸村の馬上筒へと進化。
戦争が続けば、今も昔も技術は日進月歩です! >>615
見たけど、騎馬軍団による騎馬突撃など無かったとの確信がますます強くなった。
騎馬武者が疾走できるのは道の上だけであり、行動が制限される。
さらに中世の道路は、余程の大街道でもなければ、騎馬武者が横に4、5騎も並べるような道幅は無い。 逆でしょw
騎馬部隊(あくまでも部隊)を封じ込めるために地の利を活かして
梅雨時期にぬかるみであぜ道に進路が限定される場所に陣立てした
織田徳川連合軍が優位にたったということですよ。 まーだ6000年前の日本で小麦作をしていた事も知らない馬鹿がいるの?
6000年前に日本はもう小麦作をしていたんですよ。中国よりも先になwwww
縄文時代前期とされる岡山県灘崎町、彦崎貝塚の約6000年前の地層から、
稲の細胞化石「プラント・オパール」=写真=が出土したと、同町教委が18日、発表した。
同時期としては朝寝鼻貝塚(岡山市)に次いで2例目だが、今回は化石が大量で、
小麦などのプラント・オパールも見つかり、町教委は「縄文前期の本格的農耕生活が
初めて裏付けられる資料」としている。
http://inoues.net/science/wan.html
今回は化石が大量で、 小麦 などのプラント・オパールも見つかり
今回は化石が大量で、 小麦 などのプラント・オパールも見つかり
今回は化石が大量で、 小麦 などのプラント・オパールも見つかり
今回は化石が大量で、 小麦 などのプラント・オパールも見つかり まーだ6000年前の日本で小麦作をしていた事も知らない馬鹿がいるの?
6000年前に日本はもう小麦作をしていたんですよ。中国よりも先になwwww
岡山市の縄文時代の貝塚「朝寝鼻(あさねばな)」を調査している岡山理科大の
考古学チームが1999年4月21日、「縄文前期の土壌から稲の細胞に含まれる
プラントオパールが見つかった」と、発表。約6000年前に「米作り」が
行なわれていたとする発見で、稲作の歴史が縄文前期にまでさかのぼることになった。
このプラントオパールはイネ科の葉の細胞内に含まれるケイ酸体の粒子で、同貝塚の
下層(深さ2メートルの土壌)からのサンプルを採り調査したところ、356点の
サンプルから10点、形状からジャポニカ(短粒種)とみられる稲のプラントオパール
が検出された。また、稲のほか小麦とハトムギのプラントオパールも見つかった。
http://www.local.co.jp/news-drift/agri-99kome.html
稲のほか 小麦 とハトムギのプラントオパールも見つかった
稲のほか 小麦 とハトムギのプラントオパールも見つかった
稲のほか 小麦 とハトムギのプラントオパールも見つかった >>619
日本に横並びで騎馬突撃できる所なんて極めて限られた特殊な地域だけだけど? そもそも、有利な地形に陣を敷くのは孫子以前から常識だろ。
日本の戦なんて、お互いに陣城築いて睨み合うのが定番なんだし。 >>623
そうでもないべさ。
草刈りのための草原はあちこちにあるわけだし。
畑もあるし。
逆に、平地が全部街で埋め尽くされた今の日本ベースで考えて無いかい? >>625
休耕田見たことあるのか?
あっという間に葦やススキ、灌木で人でさえ走れない。
そういうのがむかしの日本の平地の当たり前の姿だよ。 人でさえってのが間違いだろ。馬の方が足長いんだから、叢とかに強い。
つーかだな、元々野生の馬はそういういろんな草が生えた草原で暮らしてる生き物なんだから、強くて当然。
芝生みたいな原っぱでしか活動できない生き物なら、人類が家畜化する以前に絶滅してる。 鈴木の鎧武者を乗せた馬がトコトコ説は完全に否定された。
農耕馬の系譜を継ぐ木曽馬で100m12.03秒だもの。
戦国時代の東北馬、関東馬、薩摩馬ならもっと速いよ。 見通しが効かない荒地を重い人間載せながら疾走するなんてアホ?
馬が転倒したら人間も怪我するぞ。
馬場や道路で速く走れるから戦場でも速く走れるって池沼なの?
今の戦車でも、道路上は70km/hほどで走れるが、路外ではせいぜい30km/hほどしか走れない。
騎馬「軍団」で「疾走」できるのは道路上だけ。路外ではトコトコだよ。 つうか遊牧民が暮らしている地域ってキルギスといいチベットといいタジクといい
基本は山ばかりの所だろ
近藤好和の著書に写真付きで載ってるけど訓練すれば馬は人乗せた状態で60度以上の斜面を普通に上り下りできるみたいだぞ 別に疾走しなくても、同じ条件を走る人間よりは確実に早い。
それだけで意味がある。
モンゴルの草原だって、芝生しか生えて無いわけじゃないぞ。 どのくらいから疾走かがはっきりしないから、なんとも言い逃れできる まーだ6000年前の日本で小麦作をしていた事も知らない馬鹿がいるの?
6000年前に日本はもう小麦作をしていたんですよ。中国よりも先になwwww
縄文時代前期とされる岡山県灘崎町、彦崎貝塚の約6000年前の地層から、
稲の細胞化石「プラント・オパール」=写真=が出土したと、同町教委が18日、発表した。
同時期としては朝寝鼻貝塚(岡山市)に次いで2例目だが、今回は化石が大量で、
小麦などのプラント・オパールも見つかり、町教委は「縄文前期の本格的農耕生活が
初めて裏付けられる資料」としている。
http://inoues.net/science/wan.html
今回は化石が大量で、 小麦 などのプラント・オパールも見つかり
今回は化石が大量で、 小麦 などのプラント・オパールも見つかり
今回は化石が大量で、 小麦 などのプラント・オパールも見つかり
今回は化石が大量で、 小麦 などのプラント・オパールも見つかり まーだ6000年前の日本で小麦作をしていた事も知らない馬鹿がいるの?
6000年前に日本はもう小麦作をしていたんですよ。中国よりも先になwwww
岡山市の縄文時代の貝塚「朝寝鼻(あさねばな)」を調査している岡山理科大の
考古学チームが1999年4月21日、「縄文前期の土壌から稲の細胞に含まれる
プラントオパールが見つかった」と、発表。約6000年前に「米作り」が
行なわれていたとする発見で、稲作の歴史が縄文前期にまでさかのぼることになった。
このプラントオパールはイネ科の葉の細胞内に含まれるケイ酸体の粒子で、同貝塚の
下層(深さ2メートルの土壌)からのサンプルを採り調査したところ、356点の
サンプルから10点、形状からジャポニカ(短粒種)とみられる稲のプラントオパール
が検出された。また、稲のほか小麦とハトムギのプラントオパールも見つかった。
http://www.local.co.jp/news-drift/agri-99kome.html
稲のほか 小麦 とハトムギのプラントオパールも見つかった
稲のほか 小麦 とハトムギのプラントオパールも見つかった
稲のほか 小麦 とハトムギのプラントオパールも見つかった 在来和種馬の実力については
591〜595を読み直してください。
馬の能力については疑いようもないことです。
話は、騎馬武者の運用法ですよ。
集団戦術がどの程度の規模であったのか?
ということです。
地方や家ごとに相違はあるのは折り込み済みで
武田のように騎馬武者が恐れられた武家が
どのような運用方法をしていたのかということです.
甲信旧家蔵の文書を徹底的に調べれば分かりそうなことですが、
日本の歴史学者さんの調査不足ですね完全に。。。 『甲陽軍鑑』
「品第四十一」
・先ツ関東の敵、馬上の戦よくして、馬を入レ乗きり 具体的な運用方法ですよ
騎馬否定なんて程度の低い論議じゃありませんw
武田家の軍役や編成方法
また、他の武将と混合で再編して運用していたのかとか?
寄親寄子間の再編、備えとしての部隊編成等の
詳細についてです。 木曽馬の能力、まとめ
短距離走力
一般的な乗馬で時速40km程度。完全武装の鎧武者が乗って100m12秒=時速30km。
よたよた、トコトコと走る程度という説は完全な事実誤認
中距離総力
鎧武者乗せて約3.5kmをノンストップで速歩、駈歩で問題なく走り続けられることが確認済み
それ以上もいけそうとのこと
サイズ
馬高130センチ前後。定義上はポニーだが、当時としては国際標準程度の馬格。
世界を席巻したモンゴル馬や西洋で突撃した騎兵の馬と優位な差は認められ無い
山岳走破性
非常に高い。一の谷の逆落としも架空の話とは言い難く、馬の能力的には十分再現性がある
経済性
胃腸が発達しており、濃厚飼料無しでも飼育が可能。
穀物など人間の食料と競合する資料を与える必要が少なく飼育費用は農村部なら大きくない
参考までに、明治期の東北や南九州では人口と馬の飼育頭数の比率が9対1程度である
現代の猫や犬の飼育数が人口比の12対1程度なので、馬の飼育が盛んな東日本や南九州では
現代の犬や猫以上に馬はありふれた存在だった ■ このスレッドは過去ログ倉庫に格納されています