【刀】鈴木眞哉史観を疑う 六太刀目【騎馬武者】
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「歴史の真実を見極めよ」と既存の歴史観にエキセントリックに疑義を投げかける、 紀州雑賀衆の末裔を自称する「日曜歴史家」鈴木眞哉。 ネット上を見ると、彼を評価する人間も少なくないが、 鈴木のいう「歴史の真実を見極める」とは 彼の説を無条件に受け入れるだけで事足りることなのか? 彼の提案する説で疑問に感じるところはないのか? 鈴木史観との向き合い方から鈴木史観の内容についてまで、 それを日本史板なりに専門的に議論するスレ。 前スレ 【刀】鈴木眞哉史観を疑う 五太刀目【騎馬武者】 http://yomogi.2ch.net/test/read.cgi/history/1350722151/ 松風の役ができるような、中近世ヨーロッパ騎士を乗せてた巨大な馬って日本で飼われてるのかな? ばんば競馬用の馬でサイズ的には大丈夫だろうけど。 ヨーロッパ騎士がはたして本当に巨大な馬に乗っていたかどうか ハンガリーのホルトバージ国立公園には当時の馬種が保存されているけど馬格は木曽馬と五十歩百歩 サラブレッドの三大始祖(軍馬アリ)の経歴体格等々の記録をみればそれほど大きくも無いのがわかる。 >>650 重種がでかくなったのも騎士の時代終わってからだよ >>653 いや、それは知ってるけど、スーツアーマー着てランスチャージする用の馬があるじゃん。 実践じゃ何の役にも立たなそうな。 スーツアーマーって何かと思ってググったらこれか https://www.google.co.jp/search?q=%E3%82%B9%E3%83%BC%E3%83%84%E3%82%A2%E3%83%BC%E3%83%9E%E3%83%BC& ;biw=1366&bih=620&source=lnms&tbm=isch&sa=X&ei=qv6RVZqtNOS0mwWi2IKABA&ved=0CAYQ_AUoAQ こんな近未来装備が中世にあるわけないだろ ラノベオタの夢ぶち壊して悪いけど16世紀に入ってマクシミリアン式甲冑が出来るまでずっとブリキバケツみたいな兜と鎖帷子つけて戦ってたんだよ >>644 にあるけど和種馬でも200kgかついで蹄鉄無しで山道歩けるよ まぁ流石にその状態だと走れないだろうけど 走るのは荷重100kgあたりが限界かな >>655 アイアンマン多いな。もうちょっと宇宙刑事がんばれ。 千代の富士がばんえい競馬の馬に乗れば 花の慶次的な絵にはなると思うな リアリティーは知らんが まーだ6000年前の日本で小麦作をしていた事も知らない馬鹿がいるの? 6000年前に日本はもう小麦作をしていたんですよ。中国よりも先になwwww 縄文時代前期とされる岡山県灘崎町、彦崎貝塚の約6000年前の地層から、 稲の細胞化石「プラント・オパール」=写真=が出土したと、同町教委が18日、発表した。 同時期としては朝寝鼻貝塚(岡山市)に次いで2例目だが、今回は化石が大量で、 小麦などのプラント・オパールも見つかり、町教委は「縄文前期の本格的農耕生活が 初めて裏付けられる資料」としている。 http://inoues.net/science/wan.html 今回は化石が大量で、 小麦 などのプラント・オパールも見つかり 今回は化石が大量で、 小麦 などのプラント・オパールも見つかり 今回は化石が大量で、 小麦 などのプラント・オパールも見つかり 今回は化石が大量で、 小麦 などのプラント・オパールも見つかり まーだ6000年前の日本で小麦作をしていた事も知らない馬鹿がいるの? 6000年前に日本はもう小麦作をしていたんですよ。中国よりも先になwwww 岡山市の縄文時代の貝塚「朝寝鼻(あさねばな)」を調査している岡山理科大の 考古学チームが1999年4月21日、「縄文前期の土壌から稲の細胞に含まれる プラントオパールが見つかった」と、発表。約6000年前に「米作り」が 行なわれていたとする発見で、稲作の歴史が縄文前期にまでさかのぼることになった。 このプラントオパールはイネ科の葉の細胞内に含まれるケイ酸体の粒子で、同貝塚の 下層(深さ2メートルの土壌)からのサンプルを採り調査したところ、356点の サンプルから10点、形状からジャポニカ(短粒種)とみられる稲のプラントオパール が検出された。また、稲のほか小麦とハトムギのプラントオパールも見つかった。 http://www.local.co.jp/news-drift/agri-99kome.html 稲のほか 小麦 とハトムギのプラントオパールも見つかった 稲のほか 小麦 とハトムギのプラントオパールも見つかった 稲のほか 小麦 とハトムギのプラントオパールも見つかった >>626 中世末〜近世初期の日本じゃあ肥沃な土地わ開発されていたし それ以外の土地はそんなにびっしり田畑で埋め尽くされてなど無いよ マルタイの女 裏テーマ ○○(団体名)←絶対に検索するな! http://www.youtube.com/watch?v=O0M0xFSYIFA http://www.youtube.com/watch?v=WdCVTEwP3dk ちなみに劇中に登場する【真理の羊】は【オ○ム真理教】の事ではない。 監督が具体的にイメージしたのは別の団体である。 平野まで水田が広がるようになったのは江戸時代中期頃 それまでは戦乱や治水技術の未熟さもあって山裾に作るのが普通だった 今も残る谷戸田はその名残 緩い傾斜がある方が水路作りやすいせいかな かと言って平野部で天井川は怖いし >>631 「鵯越の逆落としなんて実際に出来るわけない!」とは一体何だったのか >>665 戦国後期から江戸時代前期は日本の土木技術が飛躍した時代で これ以降平野部の開発が可能になったんだよな それ以前は大河川が毎年氾濫して平野部をグチャグチャにしちゃうから そうした土地が開発できなかった 文字通り豊葦原、即ち葦の生い茂る原野が広がってたんだろう 調べてみると、中世までの豪族や守護大名の館って意外と内陸にあるんだよね それが桃山時代から江戸時代の城下町は現代の都市部と一致する場所に築かれるようになる 人口も田畑も希薄な平野や高原がむかしの日本にはたくさんあったんだよな 合戦の舞台になるのもそういう場所なんじゃないか だいたい、1960〜70年代の研究を「最新の研究」とか書くのやめろよw お前んちはメキシコオリンピック(1968)観るために買ったテレビが最新の家電製品なのかよとw 地デジのチューナー付けられんの? 歴史の研究は新しければいいってもんでもないけどさ。 信長は謀略で殺されたのか は面白かったから、もういっぺん改訂版を刊行して 自称子孫本をこきおろしてほしい >>651 >>656 そうなん? ペンシュロンとかシャイアーとかデストリアとか中世の頃から 体高が160cm超えてたみたいな感じの事書かれてるけど。 少なくともアンダルシアやアラブ馬は150cmだから日本在来馬より一回りデカいよな。 6000年前に日本はもう小麦作をしていたんですよ。 ヨーロッパ、アフリカ、中国よりも先になwwww 岡山市の縄文時代の貝塚「朝寝鼻(あさねばな)」を調査している岡山理科大の 考古学チームが1999年4月21日、「縄文前期の土壌から稲の細胞に含まれる プラントオパールが見つかった」と、発表。約6000年前に「米作り」が 行なわれていたとする発見で、稲作の歴史が縄文前期にまでさかのぼることになった。 このプラントオパールはイネ科の葉の細胞内に含まれるケイ酸体の粒子で、同貝塚の 下層(深さ2メートルの土壌)からのサンプルを採り調査したところ、356点の サンプルから10点、形状からジャポニカ(短粒種)とみられる稲のプラントオパール が検出された。また、稲のほか小麦とハトムギのプラントオパールも見つかった。 http://www.local.co.jp/news-drift/agri-99kome.html 稲のほか 小麦 とハトムギのプラントオパールも見つかった 稲のほか 小麦 とハトムギのプラントオパールも見つかった 稲のほか 小麦 とハトムギのプラントオパールも見つかった 6000年前に日本はもう小麦作をしていたんですよ。 ヨーロッパ、アフリカ、中国よりも先になwwww 縄文時代前期とされる岡山県灘崎町、彦崎貝塚の約6000年前の地層から、 稲の細胞化石「プラント・オパール」=写真=が出土したと、同町教委が18日、発表した。 同時期としては朝寝鼻貝塚(岡山市)に次いで2例目だが、今回は化石が大量で、 小麦などのプラント・オパールも見つかり、町教委は「縄文前期の本格的農耕生活が 初めて裏付けられる資料」としている。 http://inoues.net/science/wan.html 今回は化石が大量で、 小麦 などのプラント・オパールも見つかり 今回は化石が大量で、 小麦 などのプラント・オパールも見つかり 今回は化石が大量で、 小麦 などのプラント・オパールも見つかり 今回は化石が大量で、 小麦 などのプラント・オパールも見つかり >>675 ペルシュロンは17世紀には150〜160cmくらいだったらしい http://www.ansi.okstate.edu/breeds/horses/percheron/ Percheron >By the 17th century horses produced in Le Perche had attained widespread notoriety and were in demand for many different uses. >The Percheron of this time showed less scale and was probably more active. He stood from 15 to 16 hands high. >>678 それでも日本の在来馬より一回りデカイな。 当時の日本の記録でも輸入馬は在来馬よりデカイとあったはず 172 ヴィクトワールピサ 日本産で有名でデカイ種牡馬と言えばこれ 164 ディープインパクト 今一番勢いがある日本産種牡馬 162 ステイゴールド 小柄だが高さはそれなりにあった 脚長いのか 158 ドリームジャーニー 牝馬がでかいと種付けが大変になってくるらしい 150〜160 17世紀のペルシュロン 157.5 盛岡南部藩38代利済の栗毛馬の国一、5尺2寸5分(南部馬の5尺超えはちょくちょくいたらしい) 157 ノーザンダンサー 競馬史上最も成功した種牡馬、世界中どこでもノーザンダンサー系多すぎ 155 チチカステナンゴ 近年の種牡馬でたぶん最小だったが一昨年死んでた 153 ハイペリオン これでもハイペリオン系を築き上げた超一流馬、飼い葉桶に首突っ込むのも苦労したとか 147 ポニー上限 142 イングランド王ヘンリー八世(一四九二〜一五四七年)布告、142センチ以下の雄のタネ残すな 136 現在の木曽馬の雄平均 130前後 蒙古馬、日本の馬も同系というかたぶん同じ 129.5 新田義貞の鎌倉攻め戦死者とともに出土した128頭の平均、大きいもので140cm 112-133 グスタフアドルフの騎兵(スウエーデン軍装備目録) 105 シェトランドポニー 武士の馬はポニーサイズと言われて連想するのはコレ、かわいい 80 ミニチュアホース 200 ラクダ http://fphoto.livedoor.biz/0901/w_army_05.jpg http://livedoor.2.blogimg.jp/himasoku123/imgs/3/0/307e0fc9.jpg http://livedoor.2.blogimg.jp/himasoku123/imgs/c/5/c52d4986.jpg http://livedoor.2.blogimg.jp/himasoku123/imgs/d/9/d960dd5c.jpg 西国の馬は東国のに比べてひと回りもふた回りも小さかったみたいだから、輸入馬は余計に大きく見えたんじゃなかろうか。 >142 イングランド王ヘンリー八世(一四九二〜一五四七年)布告、142センチ以下の雄のタネ残すな 馬格は母馬に大方依るんだが経験則からわからなかったのだろうか 牝馬は切り捨てるには惜しいだろ 雄は優秀な一部だけ残せばいい ぶっちゃけた話、オスは一年に何頭ものメスを孕ませられるが、メスは一年で一頭しか産めないからな。 双子とかはたまにあるけど多数とは言えないし。 イヌとかネコとかブタみたいに一回のお産で何頭も産む哺乳類ならよかったのかもしれないが。 縺ゅl繝倥Φ繝ェ繝シ?シ倅ク悶?ョ豕穂サ、縺」縺ヲ142cm莉・荳九□縺」縺溘s縺九? 菴輔°縺ョ髢馴&縺?縺ァ134cm莉・荳九□縺ィ諤昴▲縺ヲ縺溘o ああまた文字化けしやがった。 ヘンリー8世の法令って142cmだったんか。何かの間違いでずっと134cmだと思ってたわ。 >>685 切り捨てるって・・子孫のこさせないだけで潰してたわけじゃないぞ ヨーロッパでは鋤は馬にひかせるので乗馬に向かない馬はそっちの方に回してた 近世以前の馬の体格 東日本>西日本>朝鮮 近世以前の牛の体格 朝鮮>西日本>東日本 良馬の代表的産地 陸奥、出羽、常陸、下総、下野、上野、武蔵、甲斐、信濃、薩摩 良牛の代表的産地 伊勢、伊賀、大和、近江、但馬、丹波、播磨、筑紫、朝鮮南部 スレちだけどこないだまとめブログ見て気になったんだが カガヤンの戦いってどこまでホントだったんだろうか? 英語版のウィキぺ見ても要出典のオンパレードで相当怪しい感じがしたんだが みんなは新しく出た 「戦闘報告書」が語る日本中世の戦場 は読んだかい? 戦国末になるにしたがって刀槍での負傷者が増える点はスルーして 全時代合計での平均値を出して遠戦志向とのたまってた 死人に口無しいいことに、1960〜70年代の他人の研究パクってこれが私の研究の成果でござい〜とかなんなんだろうねw >>623 >日本に横並びで騎馬突撃できる所なんて極めて限られた特殊な地域だけだけど? もう見てないだろうけどそんな窮屈な地形ばかりなら5.5メートル〜6.4メートルの 長柄を擁する槍足軽の集団なんて行軍することすら困難になるぞ 騎兵よりするされがちだが長柄槍も槍衾も平地向けの戦術・武器なんだよな ギリシャがそれでローマにやられたとかなんとか 戦場を選べないと 平安時代の国別・馬の価格(束) http://www.city.takizawa.iwate.jp/contents/sonshi/img/part7/834.jpg 産地 上 中 下 陸奥 600 500 300 青森、岩手ほか 常陸上野 500 400 350 茨城、群馬 信濃出羽 500 400 300 長野、秋田、山形 甲斐相模 400 350 300 山梨、神奈川ほか 薩摩日向 400 300 200 鹿児島、宮崎 三河遠江 350 300 250 愛知、静岡ほか 伊勢美濃 350 300 200 三重、岐阜 尾張出雲 350 250 200 愛知、島根 伊賀近江 300 250 200 三重、滋賀ほか 石見紀伊 300 200 150 島根、和歌山ほか 畿内 250 200 150 京都、大阪、奈良ほか 6000年前に日本はもう小麦作をしていたんですよ。 ヨーロッパ、アフリカ、中国よりも先になwwww 縄文時代前期とされる岡山県灘崎町、彦崎貝塚の約6000年前の地層から、 稲の細胞化石「プラント・オパール」=写真=が出土したと、同町教委が18日、発表した。 同時期としては朝寝鼻貝塚(岡山市)に次いで2例目だが、今回は化石が大量で、 小麦などのプラント・オパールも見つかり、町教委は「縄文前期の本格的農耕生活が 初めて裏付けられる資料」としている。 http://inoues.net/science/wan.html 今回は化石が大量で、 小麦 などのプラント・オパールも見つかり 今回は化石が大量で、 小麦 などのプラント・オパールも見つかり 今回は化石が大量で、 小麦 などのプラント・オパールも見つかり 今回は化石が大量で、 小麦 などのプラント・オパールも見つかり 6000年前に日本はもう小麦作をしていたんですよ。 ヨーロッパ、アフリカ、中国よりも先になwwww 岡山市の縄文時代の貝塚「朝寝鼻(あさねばな)」を調査している岡山理科大の 考古学チームが1999年4月21日、「縄文前期の土壌から稲の細胞に含まれる プラントオパールが見つかった」と、発表。約6000年前に「米作り」が 行なわれていたとする発見で、稲作の歴史が縄文前期にまでさかのぼることになった。 このプラントオパールはイネ科の葉の細胞内に含まれるケイ酸体の粒子で、同貝塚の 下層(深さ2メートルの土壌)からのサンプルを採り調査したところ、356点の サンプルから10点、形状からジャポニカ(短粒種)とみられる稲のプラントオパール が検出された。また、稲のほか小麦とハトムギのプラントオパールも見つかった。 http://www.local.co.jp/news-drift/agri-99kome.html 稲のほか 小麦 とハトムギのプラントオパールも見つかった 稲のほか 小麦 とハトムギのプラントオパールも見つかった 稲のほか 小麦 とハトムギのプラントオパールも見つかった >>702 なぜ中央の馬はクソなのか 大消費地なんだから品質も上がっていきそうなもんだけど 今でいえば東京大田区産のコシヒカリみたいなもんでしょ どこの工場の裏で作ってんだ?的な この鈴木という人は、誰しもが思っていた昔の戦場の実像を「軍忠状」という視点で暴いて見せたまでは良かった あとがいけない。 誰しもが思っていた以上の「妄想的イメージ」をふくらませて、 その幻想をあたかも批判すべき対象の実像のように定義して、いわば自作自演で歴史批判している さきの大戦の「旧日本軍批判」までに事が及ぶや、もうダメだ、この人、と思った。 2chの凡庸な歴史批判と同レベル つまり、 「日本人は威風堂々、勇猛果敢、突撃第一で敵を蹴散らす」 のではないのですよ と言いたいがための、なんつーのか、「日本人なんて戦争向きでないのが本質ですよ」 とみんなにいいふらしたいのが目的で、一生懸命資料集めしてまとめ文章を書く人。 時代の要請、そう書くと出版社やメディアに重宝がられてお目通りがかない、 糊口を凌げる、という下衆な想像をしてしまう。 そんな言説の一つで、「学問」「学術」とは思えません。 まったくその通り 図書館で本見たけど読み通す価値ないから速攻で投げた 中学生並みの権威否定オナニー はい論破と >長野県湯倉洞窟縄文早期人骨(mtDNA D4b2)、青森県尻労安部洞窟縄文中期人骨(mtDNA D4h2)、 >福島県三貫地貝塚縄文晩期人骨(mtDNA N9b&M7a2)出土の縄文人骨から抽出した核ゲノムを解析 >日本列島3集団(アイヌ,本土日本,琉球)と縄文人を用いた主成分分析の結果、 >縄文人と遺伝的に類似の集団は見られず、遺伝的に非常に特異な集団であることが明らかとなった。 http://ir.soken.ac.jp/?action=repository_uri& ;item_id=4960&file_id=19&file_no=1 >全ゲノム解析法を用いた縄文人と渡来系弥生人の関係の解明 >縄文人の系統的な位置を確認するために,湯倉洞窟と尻労安部のSNPデータを用いて現代人との比較を行った。 >双方に共通するSNPは5万6千箇所あまりで,これを現代日本人と中国(北京)のデータと比較した。 >主成分分析を行ったところ,このSNPデータで琉球と本土日本の現代人,及び中国人集団は分離されたが, >尻労安部と湯倉縄文人はいずれの集団とも離れたところに位置することが分かった。 >現代日本人の成立には,その後の大陸からの影響が大きかったことをうかがわせるものである。 http://www.kahaku.go.jp/disclosure/duties/imgs/h25houkoku.pdf 結局こいつが世の中引っ掻き回してぐるっと一回りしただけか。 日本の合戦はやっぱりチャンバラで主武器は日本刀だし武田騎馬軍団も実在したということだ。 >>707 軍忠状の使いかたの時点で既に間違ってるわけだが 更に自分で調べたわけでもない 全てにおいて無価値 むしろ日本刀に武器の価値が無いというのなら なぜあそこまで高価に取引されたのかそれを調べろっていう話だよ 大河ドラマ真田丸では 普通に武田の騎馬衆って言ってたね 何基準で貧弱になるんだろうね アジアの草原馬という観点からはむしろ標準サイズとなるとのことですけど 近藤好和「弓矢と刀剣」 かかるわが国在来馬の特質(特にその小型であること)は、一見、特異なことのように 思われる。しかしそれは、競馬のために品質改良されたサラブレッドなどと比較するからである。 現在のモンゴルの馬をみればわかるように、実はわが国在来馬の特質は、アジアの草原馬全体の 特質であり、その中にあってわが国の在来馬はむしろ標準といえよう。古代中国でも 軍馬の条件は一三○センチ以上であり、有名な秦始皇帝の兵馬俑は実物大だが、 その馬俑の平均体高は一三二センチなのである。 チンギスハーンの歴史とか知らんのだろな まぁあの人らは騎乗しながら寝れるらしいから人間じゃないが 戦闘の徒歩化ってのも戦術上の問題であって可能不可能とはまた別だからな 板金鎧全盛時代のイギリスの騎士だって戦闘は下馬して行っていた テレンス・ワイズ「ばら戦争 装甲騎士の時代」 ・騎士と従騎士だけでなく、多くの重装甲兵にいたるまで部隊の大半が 馬に乗っていた。「騎馬歩兵」の中には、馬で偵察や側面守備などに 趣く者もあったが、わずか100騎ほどの騎乗予備軍は別として、 馬はすべて荷物と共に後方へさげ、戦闘は徒歩で行われた。この措置は 主として使用する武器がそうさせるのと、馬に乗ったまま効率よく戦える 騎兵がほとんどいなかったという事情による。 6000年前に日本はもう小麦作をしていたんですよ。 ヨーロッパ、アフリカ、中国よりも先になwwww 縄文時代前期とされる岡山県灘崎町、彦崎貝塚の約6000年前の地層から、 稲の細胞化石「プラント・オパール」=写真=が出土したと、同町教委が18日、発表した。 同時期としては朝寝鼻貝塚(岡山市)に次いで2例目だが、今回は化石が大量で、 小麦などのプラント・オパールも見つかり、町教委は「縄文前期の本格的農耕生活が 初めて裏付けられる資料」としている。 http://inoues.net/science/wan.html 今回は化石が大量で、 小麦 などのプラント・オパールも見つかり 今回は化石が大量で、 小麦 などのプラント・オパールも見つかり 今回は化石が大量で、 小麦 などのプラント・オパールも見つかり 今回は化石が大量で、 小麦 などのプラント・オパールも見つかり 6000年前に日本はもう小麦作をしていたんですよ。 ヨーロッパ、アフリカ、中国よりも先になwwww 岡山市の縄文時代の貝塚「朝寝鼻(あさねばな)」を調査している岡山理科大の 考古学チームが1999年4月21日、「縄文前期の土壌から稲の細胞に含まれる プラントオパールが見つかった」と、発表。約6000年前に「米作り」が 行なわれていたとする発見で、稲作の歴史が縄文前期にまでさかのぼることになった。 このプラントオパールはイネ科の葉の細胞内に含まれるケイ酸体の粒子で、同貝塚の 下層(深さ2メートルの土壌)からのサンプルを採り調査したところ、356点の サンプルから10点、形状からジャポニカ(短粒種)とみられる稲のプラントオパール が検出された。また、稲のほか小麦とハトムギのプラントオパールも見つかった。 http://www.local.co.jp/news-drift/agri-99kome.html 稲のほか 小麦 とハトムギのプラントオパールも見つかった 稲のほか 小麦 とハトムギのプラントオパールも見つかった 稲のほか 小麦 とハトムギのプラントオパールも見つかった >>720 >テレンス・ワイズ「ばら戦争 装甲騎士の時代」 これ読んだけど面白かったな 16世紀のイギリス王国軍の9割は弓兵はだったとか 下馬戦が多かったのは遠戦志向にも関わらず騎射の技術がなかったからだろうな 弓矢も鉄砲も 馬を完全に停止させない限り 命中精度が極端に低下=射程距離が極端に短くなる のは当たり前の話。 馬を完全に停止させてから撃つのであれば、馬に乗っている利点はほとんどなく 馬が敵からの的になるだけだから、馬は後方につないでおくほうが理に適っている。 そりゃあ、騎射できる兵は養成が大変なのは当たり前。 少数の武士が主役の鎌倉武士団だからできる。 弓兵の主体が自作農民のイギリス軍ではそこまで鍛錬できない。 長弓に熟練するだけでも当時の傭兵より訓練度が高かったぐらいなのに、 さらに騎射訓練までさせてたら農業する暇が無くなる。 ロングボウの騎射はできるできないの話で言ったら十分可能だよ 絵画史料からも少数確認できるらしい 一般的ではなかっただろうけどね Mounted Longbow Archer https://www.youtube.com/watch?v=gcpHB-flwJQ 100年も戦争が続いていた戦国時代を 現代の感覚で論じるのが間違ってる。 重機の発達した現代でセメント袋25kg担ぐのが やっとな土木作業員が大半。 つい20年ほど前までは、60、70代の土木作業員が 40kgのセメント袋2袋余裕で担いでいた光景が 残っていた。(今は40kg重すぎで25kgになった。) 機械なしで人力で農作業していた人々、 さらにその中から選りすぐりの強者が実戦を繰り返していた のだから。 イギリスのリーズ大学で行われた全身板金鎧を着用した実験では 同じ重量を普通に運ぶのに比べて二倍のカロリーを消費することがわかったから 中世・近世初期の甲冑着用兵士と現代歩兵の全備重量が近いからといって 体にかかる負担が必ずしも同様とは言えないとは思う 人間の基礎体力が昔と今では根本に 違うということです。 お伊勢参りに徒歩でいこうと思う時代の 人たちですからw それに主力の足軽は必要最小限の 軽装備であったわけですし。 25kgで重たいと思う現代人と 力のある人は 80kg担がなきゃ仕事にならんと 考えた人たちでは比較になりませんよ >>724 そんなことはない ターゲットとなる武将の近くまで素早く移動できるし、馬上からなら視界も良く、どこに ターゲットがいるか良くわかる。 >>731 実際に見聞き体験した人間じゃないと理解できんかもよw 歴史板の住人にとってはつい最近、ほんの30〜40年前まではかなり重い背負子担いだ爺さん婆さんたちが魚市場や卸市場から荷物運んでいたんだけど、 男子高校生や会社員が真似して担ごうとしても無理だったとか信じて貰えないだろう。 普通に考えりゃ10代後半〜20代男子の方が60〜70歳の婆さんより重い物持てるはずだからねw 要はバランスの取り方なんだけど。 逆に武士に現代歩兵装備もたせたらやっぱ動き辛いんじゃね 現代歩兵はWWII型歩兵に比べて電子装備が増え、携行弾数が増えた分装備が重くなってるって言うな。 うちの爺さんは40代の頃に片手で50kgの荷物を持てたと言ってたな 両手で100kg持って、周囲の者があんぐり口を開けたと愉快そうに語ってた ちなみに爺さんの職業は中学校の教師 昔の人すごいじゃなくて、今の一般人がしょぼすぎるという話だなこれ全部 まあ運動してないからしゃーないが 朝から夕方まで休み休みだらだら歩いても三万歩から四万歩はいくけど、一万歩行くか行かないかで健康ガーとか言ってるんだからな。 やっぱ動かなすぎだろ。 雑賀衆が徹底した反中央・反信長みたいなこと書いてたけど 孫一は本願寺と信長の和睦成立後は信長と組んで土橋派を攻めてるし 本能寺後は逆に土橋が雑賀衆を牛耳るようになったからそんな単純じゃないのでは >>730 あれ?アーマードバトルしてる人たち曰く プレートアーマーは全身に荷重が分散されるから 着ている人には殆ど負担なくスタミナも消耗しにくいんじゃなかったのか? 見た目より動きやすいという話は聞くがスタミナ消耗しにくい説まであったのか アーマーバトルの人たちは下の実験のように酸素消費量も測定しての結論なのかな? http://dailynewsagency.com/2011/08/09/metal-armor-fail/ むしろ全身に重さがかかるおかげでかえって疲れやすいという結果 >15世紀によく用いられたプレートアーマーは重さが30kgから50kgにもなりますが、 この重さが全身にかかるため腕や足が振りにくくなり、同じ重さの荷物を運ぶより2倍のカロリーを消費します。 また、肋骨にかかる重量によって深く息をすうのが難しくなるため、さらに疲労しやすいという結果も 実験によって明らかになりました。 60キロの荷物背負うとする 荷物に動きが制限されるが、代わりに荷物の重心移動が最小になるから必要なエネルギーは抑えられる 鎧だと手足に分散されるから手足の動きトレースして動きが大きくなる 分散されてる分、部分部分は動かしやすいがそれが同時に仕事量を増大させてる この人は自分が見聞きした旧軍の美的イメージを破壊するために この本、そして多数の著書を残した。 旧軍を否定的に描き、現代人の惰弱な日常に即した架空の歴史を描けば 「出版物」となり「文化人」となれた。テレビにも出演できた。 なので、 学術的分析というよりは、最初に結論を持ってきて、旧軍に対する 反美的イメージを修飾する作業にいそしんだ。 作文に関しては政治プロパガンダ手法に似ている。 この人の「分析」はその材料が180度逆の見方も出来るようなものばかりで、 帰納的な知的スリルはない。 旧軍の美的イメージを破壊するのにご熱心だったのは旧日本兵の生き残りたちだったわけだが 山本七平とか司馬遼太郎とか小松真一とか で一方旧軍賛美にご熱心なのは自身の批判する戦後民主主義まっただ中で育った世代なのは皮肉 ■ このスレッドは過去ログ倉庫に格納されています
read.cgi ver 07.5.4 2024/05/19 Walang Kapalit ★ | Donguri System Team 5ちゃんねる