【刀】鈴木眞哉史観を疑う 六太刀目【騎馬武者】
レス数が900を超えています。1000を超えると表示できなくなるよ。
「歴史の真実を見極めよ」と既存の歴史観にエキセントリックに疑義を投げかける、
紀州雑賀衆の末裔を自称する「日曜歴史家」鈴木眞哉。
ネット上を見ると、彼を評価する人間も少なくないが、
鈴木のいう「歴史の真実を見極める」とは
彼の説を無条件に受け入れるだけで事足りることなのか?
彼の提案する説で疑問に感じるところはないのか?
鈴木史観との向き合い方から鈴木史観の内容についてまで、
それを日本史板なりに専門的に議論するスレ。
前スレ
【刀】鈴木眞哉史観を疑う 五太刀目【騎馬武者】
http://yomogi.2ch.net/test/read.cgi/history/1350722151/ 黒い!潰れた広鼻!ぶ厚い唇!土人!南方ヅラ!マニラ顔!
赤の遺伝子afb1b3。 南方モンゴロイド。
それはマニラのスラムに漂う腐った屎尿の臭い。
この世で最も不浄な臭くて汚らしい穢れた遺伝子。
台湾人、中国人、朝鮮人にもたっぷりと入っている。
赤の遺伝子afb1b3が入ると南方人になり、日本人種が穢れる。
gm遺伝子
http://www.geocities.jp/ikoh12/kennkyuuno_to/001Gmidensi_1/asiaandjp.gmidennshi.nobunnpu.jpg 👀
Rock54: Caution(BBR-MD5:64a812ccf8e4a0c33443d7cecf6a78f3) >>821
上方兵ってか主力は近江兵だろ
側近共は尾張で隣国 近代軍みたいに兵士の名簿なんてない時代だからそんなことわからん
傭兵(足軽)雑兵(徴集された農民兵)がどれぐらいの比率でいたかすらわからん 摂津国
惣而之風儀柔弱虚談之国風故武は用るに不足也(人国記)
和泉国
根本に実儀少なきが故に、譬へば剃刀の金の悪しきを見るが如くなり(人国記)
近江国
この国の風、金といえば結構のやうなれども、金にあらず、銀にあらず、ただ銅・鉛・錫の内なり(人国記)
紀伊国
欲深きこと日本にも双ぶ国あるまじきなり(人国記) 兜は鉄で胴鎧の小札が半分程度鉄のものもある
現存品は兜と胴のセットで25キロ程度のものがいくつか残ってるが
革だけではこの重さにはならん 練革の中に鉄片が混ぜ込んであっても
補強的な意味合いが強ければ
革鎧であろ またブサヨが鈴木脳の反日プロパガンダやりやがったぞ
【歴史/軍事】日本刀が戦場で「主要な武器」になったことは一度もない 殺傷率は「投石」以下 知られざる意外な真実★4
http://daily.2ch.net/test/read.cgi/news plus/1469368759/
■佐々木小次郎「物干竿」のウソ
天下泰平の世上は、日本刀のブームだという。とりわけ女子中高生が、ゲームの影響をうけて刀剣美術館に列をなしているとか。
筆者はこれこそが、日本刀の正常な姿だ、と思う。日本刀はつまるところ、鑑賞のためにしか存在しないのだから。
刀剣女子(? のみならず、日本刀愛好家の方々に尋ねたい。
侍が腰に差した刀を、どうすれば抜けるか。これはかんたん、鞘走らせれば誰でも抜ける(腕の長さ、腰などチェックポイントはあるが)。
では、どうやって鞘の中に本身(俗にいう真剣のこと)を納刀するのか。
鋒(刃物の先端)は切れる。鞘口(その形状から鯉口ともいう)をおそるおそるのぞき込みながら、右腕を前につき出すようにして、刀を納める時代劇などみたことがない。
剣には残心というものがあり、敵を倒したとしても、注意力は前方にむけられていなければならなかった。鞘口をのぞき込んでいては、ふいに倒れた者に斬りつけられるかもしれない。
略 >>831続き
東軍流十七代宗家、タイ捨流の免許皆伝として古流剣術を稽古し、真剣を実際に扱い、歴史学の分野においても、
『日本武術・武道大事典』を編纂するなど、武術と刀剣との関わりを深く研究・理解してきた著者が、
刀剣のおこり・発達、武人・文人に関するさまざまなエピソードを披瀝する類書なき新書である。
顔を正面にすえたまま、鞘口をみないで、鋒で手や指、腕を傷つけないように、どうすれば納刀できるのか。
時代劇の場数をふんでいない役者の場合は、鞘に納める途中から映す。チャリン、と音をさせて。
すこしキャリアの積んだ役者ならば、左手の親指と人差し指をつかって鋒を手挟み、棟=峰(刃の反対側の部分)が手前になるように、鞘口から刀身を入れていく。
これならば、前を向いていてもできる。
ただ、本当に修行した手練れは、刀身を汗のついた指でさわったりはしない。後の手入れが、日本刀は大変なのだ。
指で挟まずに鞘口に峰の部分をあて、静かに感覚で中へ入れていくのだが、これができる使い手はきわめて少ない。
つまり、剣豪・佐々木小次郎の「物干竿」と呼ばれる刀――あの長い刀を肩にしょって、抜くことはできないし、ましてや、納めることは不可能であった。
いつも思う。日本伝来の古武術と日本刀は実によく似た宿命を負っている、と。 >>832続き
■戦場でもほとんど役に立たない
“一朝ことあるときのために”――武術は日々、鍛錬されるのだが、今の世の中にはまずもって、身辺に迫るあやうい事態など、そうそう出くわすものではない。
実践のなかで技を使えば、逮捕され、相手の治療費を請求される。日本刀も同じだ。第一、腰に刀を差して歩けば、それだけでつかまってしまう。
というよりも、この日本独特の武器=日本刀は、一度として戦場で主要の武器になったことはなかった。
圧倒的殺傷性をもつのが弓(のちには鉄砲)で、これが戦場全体の60%となる。それに次いだのは薙刀(のち槍)で20%、では次にこそ刀が来るかと思えば、残念ながら3位は投石であった。
日本刀の戦場における殺傷率は、10%にもとどいていない。切腹や斬首のイメージが強いから、よほど活躍したように思われてきたのだろうが……。
江戸時代、弓や鉄砲はむろん、槍までもが往来を規制され、刀も定寸が定められた。つまり、泰平の時代の日本刀は、日本刀と対決するだけで良く、異種の武器を想定する必要がなくなってしまう。
しかも、一度鞘走れば最後は、斬られなくとも切腹に追い込まれるのが、江戸時代の無言の合意であった(仇討ちは別)。
だから、普段は誰も、日本刀を抜かなかった。無礼討ち=斬り捨て御免、は絵空事でしかなかったのである。
では、この日本刀に神が宿り、日本人の魂などという大それたイメージが定着したのはなぜ、であったのだろうか。すべては歴史の変遷の中に、具体的な答えがあった。
その答えをうけて結論めかしていえば、日本刀は刀身の美しさを、もとの持ち主、刀匠をしのびつつ、時代を思い浮かべながら鑑賞するのが、一番無難で正しい接し方なのかもしれない。
文/加来耕三(歴史家・作家)
(現代ビジネス) - Yahoo!ニュース 7月24日(日)11時31分配信
http://zasshi.news.yahoo.co.jp/article?a=20160724-00049214-gendaibiz-soci トーマス・コンラン氏まじ研究者
トーマス・コンラン『図説 戦国時代 武器・防具・戦術百科』
ttps://www.amazon.co.jp/gp/aw/d/4562049294
「戦国時代 武器・防具・戦術百科」 トマス・D・コンラン 著
ttp://m.webry.info/at/mirakudokuraku/201501/article_7.htm このスレ等で出たまとめ
何良臣・陣記「(要約)日本刀は強すぎて防げね〜」 電子書籍googlebooks
http://books.google.co.jp/books?id=qMcqAAAAYAAJ&hl=ja&pg=RA1-PA30#v=onepage&q&f=false
http://books.google.co.jp/books?id=qMcqAAAAYAAJ&printsec=frontcover&hl=ja&source=gbs_ge_summary_r&cad=0#v=onepage&q&f=false
巻二をしばらくめくって「軍中諸技惟刀剣法〜」
「不能禦」 このスレ等で出たまとめ
何良臣・陣記「(要約)日本刀は強すぎて防げね〜」 電子書籍googlebooks
http://books.google.co.jp/books?id=qMcqAAAAYAAJ&hl=ja&pg=RA1-PA30#v=onepage&q&f=false
http://books.google.co.jp/books?id=qMcqAAAAYAAJ&printsec=frontcover&hl=ja&source=gbs_ge_summary_r&cad=0#v=onepage&q&f=false
巻二をしばらくめくって「軍中諸技惟刀剣法〜」
「不能禦」 【日本刀>中国の刀槍】”紀効新書・長刀解”
此自倭犯中國始有之。彼以此跳舞、光閃而前、我兵已奪氣矣。
倭善躍、一迸足則丈餘、刀長五尺、則丈五尺矣。我兵短器難接、長器不捷、遭之者身多兩斷、縁器利而雙手使、用力重故也。
今如獨用則無衛、惟鳥銃手賊遠發銃、賊至近身再無他器可以攻刺、
如兼殺器則銃重藥子又多、勢所不能、惟此刀輕而且長、以備臨身棄銃用此。況有殺手當鋒、故用長刀備之耳。
戚継光 「紀効新書・長刀解」
此は倭が中国に攻めてきた時わかったことである。彼らは舞うような歩法を用い、前方への突進力は光が閃くようで我ら明の兵は気を奪われるのみだった。
倭はよく躍動し、一度動き出せば丈あまり、刀の長さは五尺なので一丈五尺の間合でも攻撃される。我が兵の剣では近づき難く、槍では遅すぎ、遭遇すればみな両断されて殺される。 このスレ等で出たまとめ
【日本刀】対談 秘伝剣術極意刀術―日本剣術と中国刀剣術 その興亡と流伝の秘密を探る
ttps://www.amazon.co.jp/gp/aw/d/4894223279
内容(「BOOK」データベースより)----------
戦国時代 日本剣術は中国に輸出されていた!!素盞嗚尊が発見した天叢雲剣の驚くべき正体とは?
戦乱の中国大陸を暴れ回った倭人刀法の秘密とは?
一縷の細い糸で繋がり醸成した中国苗刀術の真実とは?歴史の奥底に秘されて来た驚愕の秘密をここに解き明かす。
内容(「MARC」データベースより)----------
古代世界における日中刀剣武術交流の裏の秘密を探求。中華に流伝した倭人の血脈を継ぐ中国刀剣術と、
その究極の結実とも言える中華苗刀術の謎を解明し、幻の戦場剣術・程家正宗明伝影流の実技を蘇らせる
【日本刀】神技の系譜 武術稀人列伝
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【日本刀】気剣体一致の「改」〈新装改訂版〉 “常識”を捨てた瞬間に到達できる神速の剣術
ttps://www.amazon.co.jp/gp/aw/d/486220922X お、さすがにこのスレの人たちは情報が早いね
ニュー速のスレも伸びてるよ
http://daily.2ch.net/test/read.cgi/
newsplus/1469430170/ >では次にこそ刀が来るかと思えば、残念ながら3位は投石であった。
トーマス・コンランは軍忠状で投石で相手を打ち取ったor打ち取られたものがないことから
投石の殺傷能力はほぼゼロ%と結論してるけどな 基本的に生存者が合戦後に自己申告する傷の種類の統計で
殺傷率云々を語るのは滑稽だよなあ ◆なぜ稲作が長江江南ではありえないのか
日本に水田稲作が伝わった当時の長江江南の遺跡から出土するイネは
中粒種と短粒種が約半々の割合で混ざって出土してくる。
ところが、日本の最古水田から出土した炭化米は短粒種のみ。
しかも、当時の長江江南の主力農具だったはずの石スキが伝わっていない。
というか、最古水田にはスキという器種自体がないし、石刃の農具もない。
それどころか、当時の長江江南には無いエブリとクワといった農具が最初に
伝わってしまっている。
しかも、当時の長江江南の炊飯器だった鬲や鼎といった三足土器も
最古水田にはさっぱり伝わっていない。
日本稲作が長江江南から伝わったなんて2兆パーセントありえません。 >>831
この部分
>日本刀はつまるところ、鑑賞のためにしか存在しないのだから。
ギャグセンス高過ぎる 出典を明記しない辺りホントに歴史家かって疑う
小和田哲夫先生もそういう傾向があるが 「一度も無い」ってのはアタマ悪過ぎだろ。
悪魔の証明しなくちゃならない。 こんな感じで定期的に鈴木説が掘り返されて鈴木説信者だけど鈴木は知らない奴が増えるんだろうな ゴキブリと同じで見かけたら叩いておいた方がいいよ
めんどうくさいからと言って放っておくともっとめんどうなことになる だね
中に悪意を持ってゴキブリを繁殖させてる幹ゴキブリも在るし 戦争に観賞用の道具をもっていく日本人馬鹿すぎwwww
荷物軽くする努力しろよwwwwwううぇwwww 荷物軽くするどころか時代が下がるにつれて持ち歩く本数が増えていくんだよなw
ほんとナに昔の人は何考えてんだかw
明や朝鮮の兵士なんて飾り物の刀見せびらかすと蜘蛛の子散らすように逃げてくんだから、向こうも何考えてんだかわかんねえなw
支那人や朝鮮人ってやっぱわけわかんねえ奴等だなw フロイス「日本史」
・だが日本軍はきわめて計画的に進出し、鉄砲に加え、太刀の威力をもって散々に襲撃したので、
朝鮮軍は戦場を放棄し、足を翼(のよう)にして先を争って遁走した。
鑑賞用のものを相手に足を翼のようにして遁走する人たちの立場がないよね 明治時代の西南戦争では、刀による被害が甚大だったと記録にあるな
政府は警視庁から剣術に優れた者を抜擢し、抜刀隊を結成して対抗した なぜ戦場にメインウェポンだけ引っさげて行くもんだと思ってるのか分からない
弓兵が弓しか持ってないとでも?
槍兵が槍しか持ってないとでも?
アサルトライフル持ってハンドガン忘れるバカがいるのか?
戦場と作戦によって武器兵装を換えるのは古今東西変わらないのに何故それを失念して一種の武器だけ持って行く前提で議論しているのか 2000年以降のハイテク兵器がどんどん投入されている現代戦でも
イギリス軍が銃剣突撃を何度もやってる。 >>855
ハンドガンは一般兵は所持しないことが多い。 使わないし。
>>857
西南戦争当時の小銃は連発銃が少なく、物陰から不意打ちを喰らうなどして戦闘距離が短かった場合、射殺される前に切り込めることが多々あった。
戊辰戦争当時の戦闘経験豊富な諸隊は解散され、できたばかりの国民軍が訓練不足で咄嗟の対応に不備があったことも理由である。 >>857
とどめに使うだけなら戦国の武士たちがそうしたように短刀の類のほうが
遥かに邪魔にならないだろう
そうじゃないからある程度の長さが求められるわけで
実際戦国時代当時の文献にも集団で刀を抜いて敵に切り込むという例は見られる
フロイス『日本史』
・土佐の鉄砲隊は味方から全面的に期待をかけられていながら
鉄砲を発射する時間も場所もないほどであった。というのは、
薩摩軍は太刀をふりかざし弓をもって、猛烈な勢いで来襲し、
鉄砲など目にもくれなかったからである。
『信長公記』
・其の中、心ある者ども、はだかになり、伐刀ばかりにて、七八百ばかり切つて懸かり、伐ち崩し、
御一門を初め奉り、歴々数多討死。 >>858
それ見て思ったんだが、ずいぶん前からある
槍=小銃、刀剣=ハンドガンって例えはある意味不適切だと思うわ。
だって、槍は小銃ほどあらゆるっ状況に対応できるわけでもないし
大概のひとはハンドガンのポジなんて知らんし。
例えは所詮例えとは書かれるが分かりにくかったり誤解されたりするのはダメだろ 個人用兵器として手頃なサイズに収まっている小銃と
携帯性の悪い槍とではまったく異質なのにね >>861
てか元々、刀剣=拳銃って戦場でほぼ使わないってニュアンスで使い始めた例えじゃないすか。 刀は拳銃と同じように平時も携帯できるという話でよく使われる印象
それ以外の面では色々と相違もあるのに同一の位置づけのように言われるのには
違和感があった BC3C末、徐福一行の故郷、華北では三足土器で炊飯していました。
粗製灰陶で出来ている鬲です。
灰陶を焼く穴窯も、炊飯器の鬲もさっぱり伝わっておりません。
秦王朝のシンボルでもあった鼎も土器にも青銅器にもさっぱり伝わっておりません。
中国青銅器の雷文や龍文はもちろん、龍信仰さえさっぱり伝わっておりません。
簫、磬、鐘、鐃、ロ于、鉦など、様々な古代中国の楽器もさっぱり伝わっておりません。
三足やラッパ型の様々な酒器もさっぱり伝わっておりません。
金銀細工や金銀メッキもさっぱり伝わっておりません。
龍などをモチーフにした様々な玉器もさっぱり伝わっておりません。
瓦や箸や傘もさっぱり伝わっておりません。
漢字の前身、篆書などを刻んだ遺物などもさっぱり出土しません。
瓦屋根の戸建てや木骨泥墻などの住居もさっぱり伝わっておりません。
帯の付いたローブ状の古代中国の服飾も靴もさっぱり伝わっておりません。
徐福どころか古代中国人なんて縄文から弥生を通して一切定着しておりません。
ただ、無知で、馬鹿で、低脳の、頭の弱い人間だけがダマされる創作デムパです。 >>865
なぜ分かりにくい兵器分野に例えるのかね 弓と槍刀なら小銃と拳銃ほどの射程の差はあろうが、槍と刀では一足の差だろう。
戦場では、そのコンマ何秒かの差が生死を分ける事になりうるんだろうがな。 【大太刀・秩父がかう平】
三尺九寸(約182cm)
身巾四寸(約12.13cm)
畠山重忠が佩用した大太刀
これ再現して欲しいわあ >弓と槍刀なら小銃と拳銃ほどの射程の差はあろうが、
>戦場では、そのコンマ何秒かの差が生死を分ける事になりうるんだろうがな。
ただし矢は掻楯を前面に出した相手には有効ではない
槍も乱戦や接近戦では刀よりかえって攻撃しにくく後手にすらなってしまう
要は状況次第ということだろう 森林に伏兵する時に槍なんて持って入れないし、
敵味方入り乱れた乱戦で槍を振るえるほどの広さなんて確保できないし、
市街戦や攻城戦からの屋内戦闘でも槍なんて使えないよね 池田屋事件でも島田魁が敵に槍の柄を切り折られたりしてるな もちろんあらゆる武器に使い道があるから使われるわけで
短槍で槍衾はしないし、長槍で乱戦なんてしない
組討になったら打刀でさえ長過ぎるものになるし
城壁を曲射できる弓、切れ味なんて気にしなくていい金棒、どこで打っても攻撃になる鉄杖
あらゆる状況で優位になれる武器なんてないもんね 状況によって有効な武器が違うという話からなんで日本最強云々になってるんだろうか ◆ペテン師・佐藤洋一郎がなぜダメなのか
経年変化や環境変化で短期間のうちに著しく頻度を変えてしまう遺伝子調査において、
佐藤洋一郎が調査に使ったイネの調査サンプルは、
日本のイネの調査サンプルは稲作が伝わってから800年以上も経ってしまった鍵・唐古遺跡の炭化米、
朝鮮半島のイネの調査サンプルにおいてはいつの時代のイネを使ったのかさえ全く公表していない。
このように調査サンプルから疑わしい、欠陥ありありの、お遊び程度でやったペテン調査での捏造である。
この場合、BC10Cの稲作開始時の最古水田である菜畑遺跡の炭化米とそれ以前の朝鮮の炭化米で
比較調査しない限り、まともな調査結果など得られるはずがない。
ちなみに佐藤洋一郎はこの件で京大考古学陣に全面否定されている。
日本稲作が江南から伝わったなんて言ってる頭のおかしな考古学者など一人もおりません。 >>876
日本刀最強って事だな、在チョン荒らしが必死に否定工作してるけど こういう極端なバカを演じて鈴木の言う「日本刀信者」ってことにしたいんだろうか 日本人が日本刀信者で何か問題があるのだろうか
鈴木は反日本刀キチガイのスカスカ野郎だが 鈴木本人より、
曲解、誇張する信者や引用者の方が遙かに問題だろ >>885
おまえはアホか
鈴木が与えた反日本刀プロパガンダの方が悪影響だ
ネットでも鈴木史観がウジャウジャいてマスゴミまで鈴木史観
どれだけ日本刀を貶めれば気が済むんだと 鈴木よりも、むしろ司馬遼信者のジジイ共の方が安置な?日本刀なんだよな。
司馬遼の小説のどっかにそういう記述があるのかな?
昭和の時代に流行った映画テレビドラマのチャンバラ時代劇にリアリティは無いのは確かだろうが、そのデフォルメの否定の為に反対のベクトルのデフォルメを取り入れてしまったのも大きな間違いだったのではないかと思う。 反日本軍の司馬はサヨクだからガッカリ
日本刀を過小評価しながら剣士最強という現実が見えない鈴木 で、その司馬を否定していた朝日新聞の百目鬼はウヨなのか? イミフすぎる
ウヨサヨ二元論で世界観が成り立ってるのかオッサン 日本軍を批判したらサヨなのが論理的帰結だと言い張れる
オコチャマ >>889
中核派は革マル派を批判してますが何か
内ゲバみたいなもん >>891
サヨと言い切れることを書いてるからだぞ
この前のNHK司馬特集で司馬ブサヨ史観をNHKが利用して荒れたんだよなあ 司馬ブサヨプロパガンダは
>>750にもあるな
で、>>750がバカなのは
「 GHQのポチまたはアカ共産エセ日本軍人 」
「 GHQ洗脳政策 」と
「 戦後、日本肯定派のおじいちゃん達はテレビ局やGHQに弾圧されて、ほぼ出して貰えなかった 」
という歴史をスルーしている点 あと
>>737等がスルーしている「NHK眞相はかうだ事件」や「WGIP工作」もね
GHQは日の丸すら規制していたのを知らないのかな
【反日NHKとGHQ】1945年『眞相はかうだ事件』とは
http://wpedia.goo.ne.jp/wiki/%E7%9C%9E%E7%9B%B8%E3%81%AF%E3%81%8B%E3%81%86%E3%81%A0
『眞相はかうだ』は、大東亜戦争(太平洋戦争)敗戦後の被占領期、
連合国軍最高司令官総司令部 (GHQ) の占領政策の一環として、
1945年(昭和20年)12月9日より10回にわたりNHKラジオ第1放送および第2放送で同時放送された宣伝番組。
毎週日曜夜8時からの30分番組で、その前後に当時人気の番組が配置、編成されていた。
再放送を含めほぼ毎日のように放送された。
登場人物は軍人とその親友である民主主義者の文筆家が主であった。
脚本はその中心をアメリカ人が占めたGHQの民間情報教育局 (CIE) ラジオ課が担当し、
満州事変から終戦に至るまで軍国主義者の犯罪や国民を裏切った人々を白日の下に、偽りない事実を、などという論評で、
叙情的な音楽や音響効果音を駆使しながら、ドキュメンタリー形式を装ったドラマ仕立てにされた番組であったという[2]。 ←←←←今のNHKの戦争反日サヨク番組と同じやり方ですね(´・ω・`;)
『眞相はかうだ』の元となったのは『Now It can be told (今だから話せる)』と題した第二次世界大戦中のイギリスの番組をGHQ上層部が民間情報教育局へ企画として持ち込み、日本の変革を進めるためとされる[3][4][5]。
番組の内容を巡って、これらはGHQ作成であることが隠されたためにNHKへ手紙、電話などが殺到した[2]。
しかし、それらが抗議や非難などの批判的な内容ばかりであることを知ったGHQは、その成果を取り入れてより巧妙にそれに続く番組を作成[2]、
1946年(昭和21年)2月以降『眞相箱』、『質問箱』などへ形を変えながら昭和23年(1948年)1月まで放送された。『眞相箱』は、疑問に答える(略 >>896続き
【戦争】反日GHQ洗脳政策CIE工作員フランク正三馬場、死亡(戦後NHKやマスゴミの元凶の1匹
http://nhk2.2ch.net/test/read.cgi/nhk/1469098512/
フランク・正三・馬場さん死去 戦後NHK番組を指導
2008年01月17日
フランク・正三・馬場さん(フランク・しょうぞう・ばば=元連合国軍総司令部〈GHQ〉民間情報教育局員)
16日午前(日本時間同日夜)、老衰のため米カリフォルニア州パサデナで死去、93歳。
米国生まれの日系2世。
GHQ民間情報教育局(CIE)員として、戦後のNHKの番組制作を指導。民間放送局の立ち上げにも尽力した。
76年には放送文化基金賞の個人部門特別賞を受賞。
http://www.asahi.com/kansai/okuyami/OSK200801170037.html
日本を再敗北させたGHQ洗脳工作「WGIP」
http://ironna.jp/article/1818
【月刊正論】これが戦後の元凶だ! 米占領軍の日本洗脳工作「WGIP」文書、ついに発掘
http://www.sankei.com/life/news/150408/lif1504080003-n1.html 戦前からアカ共産、社会主義バカサヨが工作して明治天皇暗殺未遂事件等を起こしてきたからな
ロシア革命等に騙されたバカ
そして朝日新聞ゾルゲ尾崎秀実共産敗戦革命事件を引き起こす >>750
「GHQが打ち破った、いや捏造した」の間違い
GHQにビビッたまたは洗脳または徴兵前からゾルゲみたいなアカや社会主義者ってだけだな
戦後の愛国日本人はGHQに弾圧されて日の丸の武道も教育すら規制されてんだぞバーカ(´・ω・`) これが統失の連合弛緩ってやつか
何を言いたいのかさっぱりわからねえ ◆ペテン師・佐藤洋一郎がなぜダメなのか
経年変化や環境変化で短期間のうちに著しく頻度を変えてしまう遺伝子の調査において、
佐藤洋一郎が調査に使ったイネの調査サンプルは、
日本のイネの調査サンプルが稲作が伝わってから800年以上も経ってしまった鍵・唐古遺跡の炭化米、
朝鮮半島のイネの調査サンプルにおいてはいつの時代のイネを使ったのかさえ全く公表していない。
このように調査サンプルから疑わしい、欠陥ありありの、お遊び程度でやったペテン調査での捏造である。
この場合、BC10Cの稲作開始時の最古水田である菜畑遺跡の炭化米とそれ以前の朝鮮の炭化米で
比較調査しない限り、まともな調査結果など得られるはずがない。
ちなみに佐藤洋一郎はこの件で京大考古学陣に全面否定されている。
日本稲作が長江・江南から伝わったなんて言ってる頭のおかしな考古学者など一人もおりません。 ここは、鈴木眞哉氏の説に対しあれこれ話すのが主旨じゃん
ずいぶん前にあった軍刀の話とか>>886-900の話とかは
他所で語るべきなのであって
本人へのレッテル張りや人格攻撃に関しては「電波・お花畑板でやれ」なんだよなあ
まあ話題は雑誌に鈴木氏のネタが乗っていましたー程度しかないんだけどさ そりゃ、説はアレだけど文章は割と魅力的だからね
あくまで文章は 鈴木の人格がパヨってなかったからこんな異常な主張はしないわな せやな、学者としてみれば書き方が異常
学者じゃないけど NHKが新年早々捏造したぞwww
【反日NHKまた捏造!】戦国のへ〜ほ〜 素朴な疑問を解決!「刀を使う時は敵の首をとる時ぐらい」「刀は有効な武器ではない」★3
http://nhk2.2ch.net/test/read.cgi/livenhk/1483453651/
あけおめ なんでこんなに論破されて刀が使われてる史料があるのにNHKは堂々と捏造するのかなー
実況板でもNHK信じたっぽいバカが沢山いるし
出遅れたから実況スレで論破するの間に合わなかったわ >>778のガチ甲冑バトルってぶっちゃけ再現より参加者が楽しむのを重点に置いた競技なんじゃないの?
た
あと、その著者の弁では
「短刀に比べて刀は鞘走りせないために非常に鯉口が堅く片手では抜けないから短刀で組討ちした方がまし」とのこと
「組討ちするのに刀ジャマ」とも トランプの日本批判見てると「あー、爺さんはあの時代(1980年代?)で時間止まってるのねえw」って思ってしまう。
日本刀批判スキーな鈴木の爺さんは1960〜70年代のチャンバラ映画、テレビドラマ全盛期で時間が止まってるんだろうなあw モンゴル軍の馬 VS 日本軍の馬
タブン・トルゴイ遺跡、ツァガーン・チュルト遺跡から出土したモンゴル帝国時代の馬(9例)の推定体高
最小120.2cm 最大134.0cm 平均127.7cm
材木座遺跡から出土した鎌倉時代の馬(38例)の推定体高
最小109cm 最大140cm 平均129.5cm >>778
軍役状に見られる持槍って二間〜二間半が標準だし
3メートルって明らかにそれより扱いやすいの選んでるね 長いのはかなり訓練しないと扱いきれないよ。
チャンバラなら軽いかもしれないけど、とりあえず家にある長い干し竿で突きの練習ちょっとやってみてねw
道三のお話しみたいに銅銭に当てられなくてもいいからw レス数が900を超えています。1000を超えると表示できなくなるよ。