今の東北民の先祖は蝦夷征伐時の移住者か蝦夷なのか [転載禁止]©2ch.net
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関東人は、古墳時代に和人化した縄文人の子孫で、
東北人は7〜9世紀に和人化した子孫と考えるのが自然ではない? およそ5,000年前、シベリアの北方系の人々が東アジアに拡大をはじめた。やがて、彼ら
は、2,300年前には九州北部付近から日本列島に侵入してきて、弥生時代の幕を開けること
になる。つまり、彼らが(渡来系)弥生人であり、彼らの弥生顔が北方系である所以がこ
こにある。
その時、日本列島にはいわゆる南方系の顔をした縄文人たちが住んでいたが、侵入してき
た北方系の弥生人によって本土の大部分は占められ、わずかに北海道に残った縄文人がアイ
ヌの人々になるのである。周知のように、アイヌの人々の顔は立体的であるだけでなく太眉
/二重瞼/厚唇でもある。だから、縄文人も同じような表面の造作をしていただろう。そこ
で、縄文顔は現代アジア人の基準でもいわゆる南方系だったといえる。
最終的に、現代日本人は、平均として、およそ北方弥生系7〜8割、南方縄文系2〜3割の比
率で混血しているというのが、最近の人類学の結論である。だから、日本人(和人)は北方
系のイメージが強いのである。
南方系縄文顔 北方系弥生顔
顔形 四角/長方形 丸/楕円
造作の線構成 直線 曲線
プロフィル 凹凸 なめらか
彫りの深さ 立体的 平坦
眉 太い/濃い/直線 細い/薄い/半円
髭 濃い/多い 薄い/少ない
瞼 二重 一重
頬骨 小さい 大きい
耳たぶ 大きい/福耳 小さい/貧乏耳
耳垢 湿る/猫耳 乾く/粉耳
鼻骨 広い/高い 狭い/低い
唇 厚い 薄い
歯 小さい 大きい
口元 引き締る 出っぱり気味
https://www.kahaku.go.jp/special/past/kao-ten/kao/jomon/jomon-f.html >>168
姓では、蝦、諏訪、宗像、南方、水方、宇都宮とか?
山中や出雲系や毛人系や漁労系を連想するものが多いのかな?と思っているけど。
自分の姓もこの中に入っていたり 福島や仙台にも古墳があるんだよな。
>侵入してきた北方系の弥生人によって本土の大部分は占められ、
>わずかに北海道に残った縄文人がアイヌの人々になるのである
いつの誰の説なの?
遺伝子によっても、考古学的にも、こういう事実は存在しない。
考古学からは、縄文人が新技術を取り入れたとしか考えられない。 ハプログループD(Y染色体)出現割合
朝鮮 0 n=317
アイヌ 88 n=16
日本 39.2 n=263
関東 48.2 n=137
徳島 26 n=70
九州 28 n=104
宮崎 35.2 n=270
沖縄 56 n=45
フィリピン 0 n=165
台湾原住民 0 n=246 エベンキエベンキ言ってるキチガイ←東南アジア台湾ブタ広鼻突顎タラコ唇ハノイ顔汚物 会津は、北陸道を分け入った大彦と東海道を切り開いた武渟川別親子が出会った場所。
会津盆地は食料が豊かで大きな縄文集落がいくつもあったが、阿倍氏、つまり四道将軍の後裔たちの手で征伐した。
しかし、遺伝子学的には、会津で威張っているのは少数派の阿部氏ではなく多数派の縄文人。
会津っぽい気質って言うのは縄文気質だ。 >わずかに北海道に残った縄文人がアイヌの人々になるのである
縄文人由来の遺伝子って、
南関東で三割、東北で五割、アイヌの人たちで八割らしい。
近畿は一割以下。 蘇我韓子
蘇我高麗(蘇我馬背)
蘇我馬子
蘇我蝦夷 YDNAのD2は日本だけに多いことから渡来系ではなく
日本古来の人種による物と断定できる
縄文系なのはD2だけではないしもっと多い
YDNAは男系である
つまり
日本古来の男子が勝った
鎌倉武士は縄文系だった
戦いと弓矢を好む武士は縄文系
女系は渡来系が多く縄文系は少ない
これも縄文男子が勝利した証拠 日本古典文学大系『日本書紀』の補註(1の五四)では
「クラは谷・朝鮮語のKol(谷)満洲語のholo(谷)と同系語」
として言語学的に裏づけられている >>179
四道将軍の武渟川別が出雲(神門)振根を討った時代だから、四道将軍の後裔たちの手で征伐した。なら・・
その同時期に、出雲(神門)振根時代なら、南関東の蝦夷とは・・散自出雲の神門家と向家・富家の先住出雲族の事になるぞっ >>179
その頃には、既に、出雲の杵築大社の神門家と熊野大社の向家・富家の一族が、南関東の国造家として任命されて居る時代・・
神門家の子、武内宿禰の時代でもあるそうだ。 散自出雲は、征伐や暗殺を恐れ、神門臣家を名乗らず、天穂日の千家筋を名乗って生き延びたとされている。
向家・富家も天穂日の北島家を名乗って居る。 本来、国譲り前の先住の家柄は、、
大国主=大名持・八千矛の神門臣家
事代主=八重波津身の向家・富家
この2王家の祖が、渡来秦氏のスサノオでは無く、5000年前に渡来した、クナト(国常立)大神なのです。 因みに、諏訪家の建御名方は、事代主=八重波津身の子に成ります。 >>139
お前さんは日本人と朝鮮人が同族にしたいらしいが、何が目的なの?
日本は韓国人が侵略した国だと言いたいのかい?
残念ながら、日本が水稲稲作を開始する以前、朝鮮半島に人がたくさんいた
形跡はないんだよ。そもそも朝鮮半島は寒冷で南部以外は稲作に向いていない。
「朝鮮から優れた文化をもった人が日本に押し寄せる」ことは不可能なんだ。
三韓時代でさえ、北部は中国のものだった。三韓は言語も違い、中国からの
離散者が多く住んでいたし統一国家さえなかった。
「遅れた倭人」でさえ三世紀に源統一国家を作っているのにね。
文化は高いところから流れる。文化がないところからは流れようがない。
中国から朝鮮半島を「通って」来ることはあっても、朝鮮が文化の発信地に
なったことは一度もない。
仏教文化は中国から来た。漢字も稲作も中国なのさ。 仏教も中国本土からではなく、百済や新羅経由で入ってきている。
最初に日本に来た仏教は、百済式仏教、新羅式仏教といったところだ。
当時の朝鮮半島が日本に比べて遅れた地域だったというのは誤り。
法隆寺や薬師寺も朝鮮半島に嘗て存在した仏教寺院のバリエーションと言える。
朝鮮半島に、満州にいた高句麗族やエベンキ族などの北方民族が入り込んで治安がみだれた。
日本に渡来した百済僧、高句麗僧、新羅系移民団の力で日本の近代化は一挙に進んだ。
特に関東は新羅人の別国だったといえる。 それが優れていたかどうかは別にして
騎馬文化をもった朝鮮人が関東に押し寄せたのは事実 >>189
>日本に渡来した百済僧、高句麗僧、新羅系移民団の力で日本の近代化は一挙に進んだ。
あのねー
百済や高句麗、新羅の朝鮮人達が別に優秀な訳じゃなく
インド文化を吸収した漢文明の文化流通拡散ルートに朝鮮半島があっただけで
別に百済僧、高句麗僧、新羅人系が遺伝性を持った有能さはなく
世界各地勃発した文明拡散ルート過程によって漢文化を先に吸収した一時的な現象だから 190
それがすごい疑問
証拠はでてるの?どうにも近世の工作がすげえからな 古代中国史などに使われてる牧ってのは人が住んでる集落のことを指す
牧の長官とはその地方の長官のこと
牧だから人とか馬とか関係ないからよ 人種が違いますんでね。人種が。
日本人 ← 日本人種
韓国人 ← 中央蒙古人種
北方蒙古人種・・・・・モンゴル人、満州人、北方アジアの少数民族
中央蒙古人種・・・・・華北人、華中人、朝鮮人
南方蒙古人種・・・・・福建省以南の華南人、台湾人、タイ人、ミャンマー人
インドネシア人種・・・・・ベトナム人、ラオス人、カンボジア人、フィリピン人
日本人種・・・・・日本人
アイヌ人種・・・・・アイヌ人 >>190
また出た捏造文化w
馬韓伝には「牛馬に騎乗することを知らない」とはっきり書いてある
新羅伝には「文字無し」とも書いてある
朝鮮の騎馬は新しい
朝鮮半島は南部は倭人がおり倭国の海外領土があった
北部が中国領土で戦争は常に半島が中心
大陸勢力で日本が戦場になったことはない
新羅本も倭から何度でも責められているが倭に攻め込むのを諦めたと書いてある
>三国史記 (新羅本紀)
295年 春 王が臣下に向かって「倭人が、しばしばわが城邑を侵して来るので、
百姓が安じて生活することができない。私は百済と共に謀って、一時海を渡って
行って、その国(倭)を討ちたいが、皆の意見はいかがか?」ときいた。
これに対して、舒弗邯、弘権が「われわれは海戦に不慣れでございます。
冒険的な遠征をすれば、不測の危険があることを恐れます。いわんや百済は
偽りが多く、常にわが国を呑み込もうと野心をもっておりますから、
かれらと共に謀ることは困難だと思います」と答えた。
王はこれを聞いて「それもそうだ」といった。 関東に高句麗とか・・新羅勢力とか・・アバウト過ぎ・・
新羅勢力とは・・半島南部の天皇家の半島での領土。
高句麗については、古い半島の渡来は、2世紀〜4世紀の百済人で
高句麗とは、元寇が来る寸前に、高麗から逃げて来た高麗王族が、南関東へ移住してきたのを高句麗と言っているのだろう。
高麗王が連れてく来たのが、高句麗時代からの傀儡師と言う特種部隊軍属だったから、その傀儡師=で高句麗渡来と言ってるだけでしょう。 高麗寺(高麗群)の由来
下霊亀2年(716年)武蔵国に高麗郡が設置された際、朝廷は東海道七ヶ国から1799人の高句麗人を高麗郡に移住させた
1799人で多いか?
どちらかというと移民を一箇所に集める隔離政策に見える >>183−>>187のつづき
本土の蝦夷とは・・南関東の国造に任じられた出雲の先住の大国主と事代主の一族と言う事で散自出雲族だったのでしょうね。
卑弥呼・台与と崇神天皇の時代・・
2世紀〜4世紀の百済渡来のきっかけは、神功皇后・応神天皇の時代の三韓征伐から
白村江の戦いの敗戦による渡来、百済王族の大民族移動までを指し、神門家の子筋、島津国造家・蘇我の親類として渡来した、武蔵・千葉国造に加わった百済渡来の島族が
この頃の渡来なのでしょうね。 日本独自のD2はアイヌの遺伝子。
アイヌの9割がD2系統。近畿のD2は被差別部落民。
http://www.geocities.jp/ikoh12/honnronn4/004_08_2/D_keitou_no_bunnpu_to_idou.jpg
日本人(関東)D2 48.2% O2 30.7% O3 14.5%
日本人(関西)D2 26.8% O2 37.1% O3 23.9%
Nonaka 2007
http://onlinelibrary.wiley.com/doi/10.1111/j.1469-1809.2006.00343.x/full
私どもが行った現代日本人頭骨の分析から見ても、近畿人、特に畿内人は目立って朝鮮の集団に近いという意味で『特殊な日本人』ともいえる
(埴原和郎・国際日本文化研究センター名誉教授)
畿内古代人は韓国朝鮮現代人に類似する畿内現代人と同じグループに属している
(池田次郎・京都大学名誉教授)
大阪を中心とする近畿地方の人たちは、百済地方の人たちと匹敵するほど頭の形が丸い
(欠田早苗・兵庫医科大学名誉教授)
関西人には細い目をした髭の薄いのっぺり顔が多いが、沖縄の人は眉や髭が濃く、ぱっちりした二重まぶたの人が多い
(中橋孝博・九州大学大学院教授)
アイヌと近畿人と朝鮮人
http://www001.upp.so-net.ne.jp/study-shiomi/images/ep61.h7.jpg
http://i.imgur.com/DUcTfTp.jpg
http://i.imgur.com/bqzuUet.jpg
近畿人と朝鮮人が非常に近いことが目立ち、縄文人(関東)とアイヌは違いを見出せない。
http://web.joumon.jp.net/blog/wp-content/uploads/1-thumb.jpg
http://2.bp.blogspot.com/-mL7QoD2Ihjs/T9vfny4AC8I/AAAAAAAAAFA/jbBsU8mTa2A/s1600/15xweb6.gif 要するに、蝦夷の正体は、崇神朝時代の南関東国造の散自出雲族。
本家の祖が、大半が旧出雲大社(杵築大社)の神門臣家で、熊野大社の向家と富家の蝦夷の祖が、事代主=蛭子(恵比寿・戎・夷)で蝦夷の祖。
・そのルーツが、5000年前の渡来神・・クナト(国常立)大神。
・クナト大神が5000年前に出雲へ移住する前の土地が、北陸・・北海道辺りから、氷河期で南下したと言われている・・。
国譲りの言い伝え以降は、神門家は千家家筋
向家・富家は、北島家筋として、千家・北島の家の嫁取り・嫁ぎを繰り返させられ
渡来の形質に代わってしまったと言う・・
なので、蝦夷やアイヌと、かけ離れた渡来系質に成ったと・・。
神門臣家の子筋の島氏島族には、秦の始皇帝第22代:弓月君の惟宗家との姻戚で、島津家があるようですし・・。 古事記には、【三字以音】自出雲と記述されて居ます。 コピペキチガイは死ね
そんなことより大阪人叩きの続きやろうよ だな
そして蝦夷自身もこれまでわからなかっただけで
同じ日本人に間違いはない
しかし沖縄人と一番近い同じ種類の日本人だと判明した時の驚きはなかっただろう
皮肉なものだな >沖縄人と一番近い
近いのは出雲ではないの?
沖縄? 人種が違いますんでね。人種が。
日本人 ← 日本人種
韓国人 ← 中央蒙古人種
北方蒙古人種・・・・・モンゴル人、満州人、北方アジアの少数民族
中央蒙古人種・・・・・華北人、華中人、朝鮮人
南方蒙古人種・・・・・福建省以南の華南人、台湾人、タイ人、ミャンマー人
インドネシア人種・・・・・ベトナム人、ラオス人、カンボジア人、フィリピン人
日本人種・・・・・日本人
アイヌ人種・・・・・アイヌ人 >>198
もともと高麗人の多く住んでいた地域に、更に2000人近い高麗人を集めたのだから、
さいたまの高麗人は1万人くらいに増えたうえ、高麗人同士の婚姻で純血種が残った。
『天』『地』『人』の氣を結実した食物が高麗人参だし、天地人の直江兼続は高麗人。
戦国の世にも影響する一大勢力に育ったのです。 関東って
水田の伝播が一番遅かった地域だぞ
東北で水田してる時も縄文時代 昔から今の関東平野がそのまま有ったと思ってるバカが居るんだよ 群馬をのぞけば関東も相当酒強い。
東北とかわんない。 関東平野は江戸時代の利根川付け替えや堤防工事、放水路の造成など、大規模な灌漑工事によって人の住める広大な平野になった。
それ以前は、毎年何度となく坂東太郎といわれた利根川や鬼怒川が氾濫して、農地も低地の高床式住居も押し流した。
縄文系の原住民が舌状台地と呼ばれる狭い微高地沿いに細々と交易でくらしていただけだった。
あとは、武蔵野台地のように、水源のない耕作に向かない山林だな。 まあ関東の土着は千葉と茨城だしなw
東京と埼玉神奈川は移住が多い >東京と埼玉神奈川は移住が多い
関西から見たら、やっぱ半分ぐらいアイヌ人と思う。 蝦夷だな!蝦夷はいいぞ。
蝦夷の出自を誇った大名もいた。 >>217
>蝦夷の出自を誇った大名もいた。
アイヌ=国常立神・・・大国主・事代主(少彦名)とその子筋、神門振根(倭健)と登美飯入根・・神門臣家の子・・武内宿禰・斯摩宿根と南関東国造の散自出雲((内) >>218もとい
>蝦夷の出自を誇った大名もいた。
アイヌ=国常立神・・・大国主・事代主(少彦名)とその子筋、神門振根(倭健)と登美飯入根・・神門臣家の子・・武内宿禰・斯摩宿根と南関東国造の散自出雲((内)事代主(少彦名)=蛭子で、蝦夷)だったからだろうね。
蘇我や後の在地官人と成った、大彦筋の安倍氏や藤原氏の南家恵美押勝・藤原北家の奥州藤原氏もも俘囚蝦夷である事を誇ったのも、大国主・事代主の血統が入ったからこそでしょうね。 >>218もとい
>>219のもとい
>蝦夷の出自を誇った大名もいた。
古代のアイヌと同祖の北陸出身の国常立神・・・大国主・事代主(少彦名)とその子筋、神門振根(倭健)と登美飯入根・・神門臣家の子・・
武内宿禰・斯摩宿根と南関東国造の散自出雲((内)事代主(少彦名)=蛭子で、蝦夷)だったからだろうね。
蘇我氏や後の在地官人と成った、大彦筋の安倍氏や藤原氏の南家恵美押勝・藤原北家の奥州藤原氏も俘囚蝦夷である事を誇ったのも、大国主・事代主の血統が入ったからこそでしょうね。 1885年、東京人類学会の会員であった箕作源八は被差別部落民が差別される理由に関して外国人説と職業説をあげ、
これについて会員の意見を募ると同時に、「穢多ノ風俗」について各地の報告を求めた〔『東京人類学会雑誌』第6号〕。
これに応えて各地からの被差別部落民にかんする伝承や関係文献の紹介がなされている。
その多くは、被差別部落民を日本人とは異なる「人種」として捉え、その起源について論しるものであった。
鳥居龍蔵(人類学者):被差別部落民の特徴を、「蒙古眼」の特徴が見られないこと、頭示数の平均が75と「頭の幅狭隘なること」に言及し、
これが「所謂マレイ諸島ポリネリヤン島の土人即ちマレヨポリネリアン種族に類似せるを発見せり」と述べている。
小浜基次(人類学者):47部落を含む全国的な日本人の形質調査を実施し、
部落民の特質は現代日本人構成の有力な地方型である東北・裏日本形質に一致していると結論づけた。
頭部については、いずれの地区も共通の中頭型を示し、頭長は大きく、頭幅は小さい。
したがって、畿内のような高度の短頭地区内にはさまった部落は、一般集団との間に明らかな差異がみとめられる。
また、「一般集団と近似し、差異は少ない」とする山陰においても、部落民が頭型は、中頭を示す一般の住民の頭型よりも、
さらに中頭の度が高く、エミシの血を引いている現代東北北部人の頭型と一致するとした。 人種が違いますんでね。人種が。
日本人 ← 日本人種
韓国人 ← 中央蒙古人種
北方蒙古人種・・・・・モンゴル人、満州人、北方アジアの少数民族
中央蒙古人種・・・・・華北人、華中人、朝鮮人
南方蒙古人種・・・・・福建省以南の華南人、台湾人、タイ人、ミャンマー人
インドネシア人種・・・・・ベトナム人、ラオス人、カンボジア人、フィリピン人
日本人種・・・・・日本人
アイヌ人種・・・・・アイヌ人 血液のクライン、頭長幅示数、耳垢、下戸の出現率などから見ても、
関東から北へ行くほど縄文遺伝子は強くなってる。
東北人はやはり広い意味での「東日本種族」で、
その中で比較的縄文の血の濃い人、では?
東北人と関東人は差はあっても「同じ民族」でいいだろう。 奥州合戦の恩賞で陸奥国に領地をもらった鎌倉御家人(及びその家臣)の子孫が多数存在する。 鎌倉時代の骨を数百体調べてみると、大体は特徴が一致しているそうです。
鎌倉時代の日本人(関東人)の顔は・・・おかめ・ひょっとこ・・・だそうです。
たまに、冗談でですが・・・「あ、この人、縄文系だよね!」
なんて不謹慎な発言をしちゃったりしますが・・・鎌倉系なんて言葉は言われたくないわ!! (-"- )
「骨が語る日本史」 鈴木尚著書
http://blogs.yahoo.co.jp/mmmmhojp/52463898.html >>227
個人ブログが根拠で、しかもどこから発掘した骨を測定しているのか全く書いて居ないw 現代日本人の形質
現代日本人の一般的特徴は、身長が世界の中位の上(男子平均約170センチ)、
頭示数(頭長に対する頭幅の百分率)は約84で短頭群に属し、皮膚は黄色、頭
髪は黒く直毛で体毛やひげは少ない。眼瞼に蒙古襞があり、耳垢は乾型が多い。
血液型はA型がもっとも多く、O、B、AB型の順に少なくなる。しかし前述のように
かなり大きい地方差があり、ある特定の地域の集団をもって日本人全体の代表
とすることはできない。とくに目だつことは、近畿、山陽地方を中心とする西日本
型あるいは中心型と、関東、東北、北陸、山陰、および九州、四国の一部に及ぶ
東日本型あるいは周辺型との差である。前者は一般に身長が高く、より短頭、高
頭であり、後者はこれと対照的な傾向を示す。昭和20年代に行われた上田常吉、
小浜基次を中心とする全国的な生体計測の結果によれば、頭示数は前者が83〜
86、後者が75〜77で、この差は相当に大きいといえる。また血液型については、
A型遺伝子の頻度が西日本で高く(約29%)、東北で低く(約24%)、明瞭な勾配
を示す。さらに指紋においても、西日本では渦状紋が多く、東日本では少なくなる
傾向がある。このような地方差からみると、現代日本人は完全に同質集団である
とはいいがたい。 歯の形態からみた朝鮮半島と日本列島の人々の成り立ち
礼安里をはじめとする三国時代人は、慶尚南道の現代人・日本列島の渡来系集団と類似する形態を持つことが明らかになった。
三国時代以降、現代に至るまで歯の形態は変化していない可能性が示唆される。
これは、日本列島における歯の形態の時代的変化と同様である。
弥生時代から古墳時代にかけて日本列島へ渡来した渡来人の原郷の一つと考えられる朝鮮半島でも、
1500年の間、歯の形態に大きな変化がないことは渡来人の歯の形質を解明する上で意義深い。
朝鮮半島の三国時代人、現代人、日本列島の渡来系弥生人、古墳時代以降の人々の持つ、
大きな歯、シャベル(切歯)や屈曲隆線(下顎第一大臼歯)等の特徴は、渡来人が元々持っていた歯の特徴であり、
それが朝鮮半島と日本で約2000年保持されてきた可能性が高い。
http://kaken.nii.ac.jp/d/p/10740405.ja.html 歯冠計測値28項目に基づく主成分分析の因子得点(岡崎健治/広島県出身/自然人理学)
第1因子 第2因子
男性 女性 男性 女性
縄文-0.156 -1.461 -2.055 -0.691
近世アイヌ(北海道) -1.025 -1.489 -0.695 0.491
近現代(関東) 0.863 -0.286 -0.067 0.715
近現代(九州) 0.870 -0.058 0.455 1.073
近現代(近畿) 1.807 -0.360 -0.260 1.143
近畿地方の人々が江戸時代には既に他の地方の人々よりも歯冠サイズが大きいことが報告されており,
その要因について渡来人の影響があげられている(長岡・平田,2003)。
周知のように弥生時代に大陸から渡来してきた人々とその子孫は,縄文人やその子孫と考えられている人々よりも
歯冠サイズが大きいことが明らかにされている(Brace and Nagai, 1982; 松村,1998; 小山田,1992)。
より大きな歯冠サイズをもつ渡来人が,政治・経済・文化の先進地域である近畿地方に集中的に流入したため(多賀谷,1995),
その影響で同地方の人々は他の地方よりも大きな歯冠サイズをもつというわけである。 人類学的にみた日本人の歯列弓と口蓋の形態学的研究
http://www.jstage.jst.go.jp/article/dentalmedres1981/20/4/20_449/_pdf
さらに,日本人の顔の骨を過去にさかのぼって調べてみると,
大きく二つのグループに分けることができる。
一つは,1万7000年前の港川人から縄文人につづく顔だちで,
四角ばって彫りが深く,歯が小さいので口元がしまっているのが特徴だ。
これを縄文人の系統の顔という意味で「縄文顔」と呼ぶ。
もう一つは,2300年前の弥生時代に急に現れて現在までつづく顔だちで,
長円形で平坦,歯が大きいので出っ歯ぎみなのが特徴だ。
これを弥生人の系統の顔という意味で「弥生顔」と呼ぶ。
馬場は,南方系縄文顔は口元が引き締まり,北方系弥生顔は口元が出っ張り気味であるという。
そこで,口元の出っ張り状態に関係のある歯列弓長と前歯列弓長とを3集団で比較してみると,
歯列弓長と前歯列弓長とも日本人が大きく,中国人,フィリピン人という順で,フィリピン人が小さい。
すなわち,日本人は中国人より少し口元が出っ張り気味で,フィリピン人は,口元が引き締まっていると考えられた。
したがって,日本人の口元は,北方系弥生顔の要素が強いことがわかった。 1人あたり約14万個所のDNA塩基多型を用いて日本人の集団構造を解明
http://www.riken.jp/~/media/riken/pr/press/2008/20080926_1/20080926_1.pdf
本土クラスターの中の人の分布は、地域によって偏りがあることがわかった。
近畿の人は、上の図では本土クラスターの左上に偏りがあり、中国人のクラスターに比較的近い。
対照的に、東北の人は、本土クラスターの右下に偏っていて、中国人のクラスターから見て離れている。
中国人クラスターに最も近いグループが近畿人で最も離れてるグループが東北人
http://www.csrp.riken.jp/BSNewsLetters/BSNvol1-0910/JP/images/report07.gif
http://www.cabrain.net/newspicture/20080930-1.JPG
http://www.cabrain.net/newspicture/20080930-3.JPG 人種が違いますんでね。人種が。
日本人 ← 日本人種
韓国人 ← 中央蒙古人種
北方蒙古人種・・・・・モンゴル人、満州人、北方アジアの少数民族
中央蒙古人種・・・・・華北人、華中人、朝鮮人
南方蒙古人種・・・・・福建省以南の華南人、台湾人、タイ人、ミャンマー人
インドネシア人種・・・・・ベトナム人、ラオス人、カンボジア人、フィリピン人
日本人種・・・・・日本人
アイヌ人種・・・・・アイヌ人 >>228
おまえ鈴木尚の本を読んだことなかったのか? まあ近畿が一番「弥生度」濃くて、近畿から離れるほど
「縄文度」が増すってだけでしょう。 >>241
●実娘を近親相姦し続け女房にまでした末子供3人を産ませた野人・相澤政吉
●世界考古学史上における前代未聞の石器捏造事件を繰り返した捏造魔・藤村新一
●おせんころがし殺人事件の人面獣心・栗田源蔵
●女を犯しながら殺すことに歓喜した連続強姦殺人事件の原人・小平義雄 日本語を維持している点から考えて普通に日本人だと思う。
というかバカらしい話 ユダヤ人ってヘブライ語を話せなきゃ、ユダヤ人として認められないんだっけ?? >>241
おいっ
黒澤って・・奥州安倍氏だから俘囚だからって、蝦夷じゃないぞっ
奥州安倍氏は、基本、男系皇統氏族。 天皇に反乱した安日を祖に持つとした家系もあるだろ。 人種が違いますんでね。人種が。
日本人 ← 日本人種
韓国人 ← 中央蒙古人種
北方蒙古人種・・・・・モンゴル人、満州人、北方アジアの少数民族
中央蒙古人種・・・・・華北人、華中人、朝鮮人
南方蒙古人種・・・・・福建省以南の華南人、台湾人、タイ人、ミャンマー人
インドネシア人種・・・・・ベトナム人、ラオス人、カンボジア人、フィリピン人
日本人種・・・・・日本人
アイヌ人種・・・・・アイヌ人 DNAから見れば蝦夷もアイヌも日本人
北海道に住んでいるものも日本人
同じ日本人なのだから特別視する必要はなし
ロシアや朝鮮人や中国人とは異なる
ただ今は国際化が進んでいて今が一番、日本人としての血統が失われつつある 血統云々関係なく、言葉や文化が違えば異民族と認識されるわな (被差別部落民の特徴を,「頭の形の幅広ならざる事,眼の蒙古的ならざる事,頬 骨の突起
せる事,顔の長き者の希なる事,鼻のトビナルド 10)表中の第一(側面より見た る時湾曲
無きもの)多き事,髪の生え際の好く揃ひたる事,髭髯と脚毛と少しく有るのみ にて他
には体毛と称すべきもの存せざる事」と報告している 11)。また鳥居が強調したのは
「蒙古眼 12)」の特徴が見られないことで,これは多数の地元小学校の生徒についても
同様 であったことを指摘している。さらに頭示数の平均が 75 と「頭の幅狭隘なるこ
と」に言 及し,これが「所謂マレイ諸島ポリネリヤン島の土人即ちマレヨポリネリア
ン種族に類 似せるを発見せり」と述べている[鳥居 1897]。
この結果を受け,鳥居は部落民について「朝鮮人の帰化せし者なりとの説は少しも信
ずるに足らざるなり。蓋し一も其帰化らしき体質を認めざればなり。若しも彼等が朝
鮮 的体質なるならば彼等の目は必ず蒙古的ならざるべからず。亦頭形がブラキセ
フワリッ ク即ち幅の広きものならざるべからず。然るに彼に在りては此要素を少しも認
むる能は ざるに於ては寧ろマレー的体質を備ふるものに類似せるなり」と述べ,朝鮮半
島からの 帰化人とみなす認識を批判する。) >蝦夷もアイヌも日本人
北海道
蝦夷もアイヌ民族も「東日本人」も同じカテゴリーだろう。
ただ近畿瀬戸内だけがやや違う。 NHKでマッサン見ていればわかるように、
北海道の現住人は会津藩士や伊達藩士など、戊辰戦争の負け組。
先住民も多くは松前藩に追われた東北の蝦夷。
安東氏や藤原氏、磐井の残党だろう。 まあ、農耕を行わないと人数は増えないからな。そりゃ、仕方ない。
アイヌ人は江戸期に約2万人。現在も2万人ちょい。
そんなモンだろ。 なにをもってアイヌ民族と言うかだけど、
日常的にアイヌ語を話している人はほぼいないだろう。 [このスレはアイヌに占領されました]
冗談はともかく、蝦夷征伐時の移住者が東北に残ったのかが重要だな 毛野氏は皇族で朝鮮人。
朝鮮人が、関東のエミシを支配し、それを使ってさらに東北の荒エミシを制圧。
坂上田村麻呂も朝鮮人。 >蝦夷成敗も関東の毛人を使ったんだろ
一部支配階級をのぞく関東の編戸民は、
古墳時代に比較的平和裏に朝廷に服属した「ニギエミシ」と呼ばれる人たち。
奈良時代は防人として遠く九州まで動員され、
平安期には東北侵略につかわれた。
兵糧や武具まで徴発されて塗炭の苦しみを味わったろう。 白村江の戦いで、上毛野君が活躍できたのも、関東のニギエミシのおかげだろうな。 >>266
藤原氏とは、祖を各地豪族にして、親の代が中臣氏の者は、神宮社家の渡来一族、穂日(千家家・北島家)・徐福(素戔嗚)=饒速日(海部家(尾張家)・物部家)・鴨家・三輪家・・武内宿禰・・蘇我家(石川家)←(母系が先住の大国主・事代主)や
大社社家、先住の大国主(神門臣家)・・斯摩宿禰(志摩家・島家)と事代主(向家・富(登美)家)・・建御名方の諏訪家の分家で神道法王朝廷の軍属化したの者たち。
内、ルーツを[三字以音]散自出雲=蝦夷と同じと知る南家や北家が蝦夷側に流れ、蘇我入鹿暗殺の大化の改新以降の藤原仲麻呂の乱や平安時代の奥州への蝦夷攻めに至る。 平安期、蝦夷を攻めた、平氏と源氏勢力の内、平将門は、桓武天皇の母系百済王族や男系天皇も
遡れば、武烈天皇の代で天皇家だ断絶して居て、応神天皇5世の子孫である継体天皇(応神天皇が仲哀天皇の子では無く、武内宿禰と神功皇后の子)が、出雲・神門臣家の末代の蝦夷と知って居て
武蔵を行きかう旅の民人(百済渡来人)と出雲・大国主の神門臣家を本家とする朝廷に抵抗し続ける蝦夷を討てなかったのだろう。
平氏は、蝦夷に組し武蔵武士団となり・・
源氏も神社を崇め、出雲の大国主を祀る出雲大社を崇め、高層化をさせたり、宇多源氏・京極家が江戸時代に、中央に居た先住の一族(出雲・神門臣家の子、斯摩宿禰の裔の島谷一族)に無人化した京丹後の名のあった神社の再建を依頼する。 ■ このスレッドは過去ログ倉庫に格納されています