徐福=神武天皇 [転載禁止]©2ch.net
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中国のネット上で出回り続け、もやは中国人の中では定説になっているこの説について語りましょう >>96
日本をインドで例えると
縄文人はハリジャン
弥生人がドラヴィダ
渡来人がアーリア人だろ >>95
シナチベット語族の担い手は本来ハプロOだぞ
羌族やチベットがチベット系の言語を話すのはチベット系民族に支配されたから
D本来の言語を今も話すのならアイヌ語に似ていないといけない
かぐや姫に似た伝説はDよりむしろOの範囲に多い
秦氏の子孫はOが多い ◆なぜ稲作が長江江南ではありえないのか
日本に水田稲作が伝わった当時の長江江南の遺跡から出土するイネは
中粒種と短粒種が約半々の割合で混ざって出土してくる。
ところが、日本の最古水田から出土した炭化米は短粒種のみ。
しかも、当時の長江江南の主力農具だったはずの石スキが伝わっていない。
というか、最古水田にはスキという器種自体がないし、石刃の農具もない。
それどころか、当時の長江江南には無いエブリとクワといった農具が最初に
伝わってしまっている。
しかも、当時の長江江南の炊飯器だった鬲や鼎といった三足土器も
最古水田にはさっぱり伝わっていない。
日本稲作が長江江南から伝わったなんて2兆パーセントありえません。 悪いひとたちがやって来て
みんなを殺した
理由なんて簡単さ
そこに弱いひとたちがいたから
女達は犯され
老人と子供は燃やされた
悪いひとたちはその土地に
家を建てて子供を生んだ
そして街ができ
悪いひとたちの子孫は増え続けた
朝鮮進駐軍 関東大震災 日本人虐殺
https://goo.gl/vX3ERl BC3C末、徐福の一行の故郷、江蘇省北部では三足土器で炊飯していました。
粗製灰陶で出来ている鬲です。
灰陶を焼く原始的な穴窯も、炊飯器の鬲もさっぱり伝わっておりません。
秦王朝のシンボルである鼎も土器にも青銅器にもさっぱり伝わっておりません。
中国青銅器の雷文や龍文はもちろん、龍信仰さえさっぱり伝わっておりません。
縦笛の簫、磬、鐘、鐃、ロ于、鉦など、様々な古代中国の楽器もさっぱり伝わっておりません。
三足やラッパ型の様々な酒器もさっぱり伝わっておりません。
金銀細工や金銀メッキもさっぱり伝わっておりません。
様々な玉器もさっぱり伝わっておりません。
瓦や箸や傘もさっぱり伝わっておりません。
漢字の前身、篆書などを刻んだ遺物などもさっぱり出土しません。
瓦屋根の戸建てや木骨泥墻などの住居もさっぱり伝わっておりません。
帯の付いたローブ状の古代中国の服飾もさっぱり伝わっておりません。
徐福どころか古代中国人なんて縄文から弥生を通して一切定着しておりません。
ただ、無知で、馬鹿で、低脳の、頭の弱い人間だけがダマされる創作デムパです。 BC3C末、徐福一行の故郷、江蘇省北部では三足土器で炊飯していました。
粗製灰陶で出来ている鬲です。
灰陶を焼く穴窯も、炊飯器の鬲もさっぱり伝わっておりません。
秦王朝のシンボルでもあった鼎も土器にも青銅器にもさっぱり伝わっておりません。
中国青銅器の雷文や龍文はもちろん、龍信仰さえさっぱり伝わっておりません。
縦笛の簫、磬、鐘、鐃、ロ于、鉦など、様々な古代中国の楽器もさっぱり伝わっておりません。
三足やラッパ型の様々な酒器もさっぱり伝わっておりません。
金銀細工や金銀メッキもさっぱり伝わっておりません。
龍などをモチーフにした様々な玉器もさっぱり伝わっておりません。
瓦や箸や傘もさっぱり伝わっておりません。
漢字の前身、篆書などを刻んだ遺物などもさっぱり出土しません。
瓦屋根の戸建てや木骨泥墻などの住居もさっぱり伝わっておりません。
帯の付いたローブ状の古代中国の服飾もさっぱり伝わっておりません。
徐福どころか古代中国人なんて縄文から弥生を通して一切定着しておりません。
ただ、無知で、馬鹿で、低脳の、頭の弱い人間だけがダマされる創作デムパです。 そもそも徐福の故郷が江蘇省という説は否定されてるけどな 徐福は徐福1人で就航したんじゃないぞ。
百工という技術集団がお供してたんだよな。
なのに中国文化がなーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーんも
伝わってねえでやんの。 秦の文化じゃなくて田斉の文化で比べないと意味ないんじゃない? 秦だろうが斉だろうが、基本的に文物はほとんど同じ。 同じなのは山東に移り住んだ中華の人が使っていたものだろ
徐福は山東の海洋民なんだから文化が違う 倭人の姓は姜という記述がどこかにあったよな
田斉の時に姜斉の王族が逃げて来たのかな 湾ブタの古代チンコロが来た来た詐欺のスレ
そんなダッセえクッサイ汚らしい醜悪な生き物が日本人の祖先な訳がない。 チンコロとか、
そんなダッセえクッサイ汚らしい醜悪な生き物が祖先で何か嬉しいか? 嬉しいか嬉しくないかで歴史を判断するのは止めた方が良いよ チンコロとか、
そんなダッセえ、クッサイ汚らしい醜悪な汚物が祖先で何か楽しいか? ◆なぜ稲作が長江江南ではありえないのか
日本に水田稲作が伝わった当時の長江江南の遺跡から出土するイネは
中粒種と短粒種が約半々の割合で混ざって出土してくる。
ところが、日本の最古水田から出土した炭化米は短粒種のみ。
しかも、当時の長江江南の主力農具だったはずの石スキが伝わっていない。
というか、最古水田にはスキという器種自体がないし、石刃の農具もない。
それどころか、当時の長江江南には無いエブリとクワといった農具が最初に
伝わってしまっている。
しかも、当時の長江江南の炊飯器だった鬲や鼎といった三足土器も
最古水田にはさっぱり伝わっていない。
日本稲作が長江江南から伝わったなんて2兆パーセントありえません。 >>124
福の付く地名は徐福(太祖)に関わりのあるところだ。と言うお説を聞きました。
神武天皇のリアルなモデルは徐福、、、天火明尊/ニギハヤヒの尊(一旦中国に立ち帰り再度渡来した際(筑紫に降臨。宗像の市杵島媛命をめとる)の名乗りとか?)
の孫、天村雲尊。建位起命の尊称がまさしく大王となられた事を示唆しています
皇室の伝承でも天御中主尊(イザナギ)の次が天村雲尊(スサノオ)。 徐福が最初に渡来した際にはホアカリと名乗り、出雲帝国の当時の帝王(大国主命)のヤチホコの娘の天道媛命/高光媛命(母親は出雲帝国の分家、宗像の媛、多祁津媛命)をめとり天香語山(手栗彦天火明命)を産む。 徐福なんて信じてる時点で、考古学不適合者確定。
アウトだよ。 ダメ。
あんまり調子に乗ると詐欺破壊コピペが1万発落ちるぞ。
覚悟してやれ。 徐福を信じている人がいるのは事実
信仰にも歴史ありだ、何も問題ない >>127
徐福が絶対に来てないと信じているのも同様に考古学不適合者 BC3C末、徐福一行の故郷、江蘇省北部では三足土器で炊飯していました。
粗製灰陶で出来ている鬲です。
灰陶を焼く穴窯も、炊飯器の鬲もさっぱり伝わっておりません。
秦王朝のシンボルでもあった鼎も土器にも青銅器にもさっぱり伝わっておりません。
中国青銅器の雷文や龍文はもちろん、龍信仰さえさっぱり伝わっておりません。
縦笛の簫、磬、鐘、鐃、ロ于、鉦など、様々な古代中国の楽器もさっぱり伝わっておりません。
三足やラッパ型の様々な酒器もさっぱり伝わっておりません。
金銀細工や金銀メッキもさっぱり伝わっておりません。
龍などをモチーフにした様々な玉器もさっぱり伝わっておりません。
瓦や箸や傘もさっぱり伝わっておりません。
漢字の前身、篆書などを刻んだ遺物などもさっぱり出土しません。
瓦屋根の戸建てや木骨泥墻などの住居もさっぱり伝わっておりません。
帯の付いたローブ状の古代中国の服飾も靴もさっぱり伝わっておりません。
徐福どころか古代中国人なんて縄文から弥生を通して一切定着しておりません。
ただ、無知で、馬鹿で、低脳の、頭の弱い人間だけがダマされる創作デムパです。 徐福はロマンだけれども、少なくとも年代が神武と違いすぎる。
このスレは終了。 徐福を江蘇省出身だと偽る詐欺
詐欺だからこそ何度も貼る おまえなんか全部詐欺じゃねえか。
何もかも詐欺のサギサギ湾ブタ。 >>136
ほれ、タイワン半ブタ半ニガーw
BC3C末、徐福一行の故郷、華北では三足土器で炊飯していました。
粗製灰陶で出来ている鬲です。
灰陶を焼く穴窯も、炊飯器の鬲もさっぱり伝わっておりません。
秦王朝のシンボルでもあった鼎も土器にも青銅器にもさっぱり伝わっておりません。
中国青銅器の雷文や龍文はもちろん、龍信仰さえさっぱり伝わっておりません。
縦笛の簫、磬、鐘、鐃、ロ于、鉦など、様々な古代中国の楽器もさっぱり伝わっておりません。
三足やラッパ型の様々な酒器もさっぱり伝わっておりません。
金銀細工や金銀メッキもさっぱり伝わっておりません。
龍などをモチーフにした様々な玉器もさっぱり伝わっておりません。
瓦や箸や傘もさっぱり伝わっておりません。
漢字の前身、篆書などを刻んだ遺物などもさっぱり出土しません。
瓦屋根の戸建てや木骨泥墻などの住居もさっぱり伝わっておりません。
帯の付いたローブ状の古代中国の服飾も靴もさっぱり伝わっておりません。
徐福どころか古代中国人なんて縄文から弥生を通して一切定着しておりません。
ただ、無知で、馬鹿で、低脳の、頭の弱い人間だけがダマされる創作デムパです。 諸説あるんだから諸説のどれとも土器が一致しない事を証明しないといけないという事だぞ 華北全部一緒。
つか中国全部一緒。
灰陶、三足器、耳付き器、龍信仰。
基本的な部分はみんな同じ。
おまえみたいなおかしな事言ってる考古学者など居ない。 日本における漢字の使用も意外に古いのかもしれない。
ごく限られた支配層だけが使えたのかもしれないが。 漢字が書けなかったら卑弥呼が魏に国書を送れないじゃないかJK 漢字の遺物がないから、支配層も漢字を使えてないよ。
おそらく使節を加羅に送って、倭人語が分かる加羅人が中国語が分かる加羅人に
通訳させて楽浪経由で魏に書類を送っていたんだろう。 徐福って前210年ごろ日本に来たんだろ
神武の4代前のニニギやその7代前のスサノヲに当てても
古すぎるわ ◆ペテン師・佐藤洋一郎がなぜダメなのか
経年変化や環境変化で短期間のうちに著しく頻度を変えてしまう遺伝子調査において、
佐藤洋一郎が調査に使ったイネの調査サンプルは、
日本のイネの調査サンプルが稲作が伝わってから800年以上も経ってしまった鍵・唐古遺跡の炭化米、
朝鮮半島のイネの調査サンプルにおいてはいつの時代のイネを使ったのかさえ全く公表していない。
このように調査サンプルから疑わしい、欠陥ありありの、お遊び程度でやったペテン調査での捏造である。
この場合、BC10Cの稲作開始時の最古水田である菜畑遺跡の炭化米とそれ以前の朝鮮の炭化米で
比較調査しない限り、まともな調査結果など得られるはずがない。
ちなみに佐藤洋一郎はこの件で京大考古学陣に全面否定されている。
日本稲作が長江・江南から伝わったなんて言ってる頭のおかしな考古学者など一人もおりません。 遺伝子調査で考古学者の捏造がバレバレになって発狂とかみっともない しんでい い でんし
 ̄ ̄\| ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄
|/-O-O-ヽ| ブツブツ...
| . : )'e'( : . | ハァハァ...
` ‐-=-‐ フヒヒ...
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||\\. \ ∧_∧
||. .\\ \ ( ;´Д`) (また来たよw遺伝子厨w)
. \\ \ / ヽ.
. \\ / .| | |
. \∧_∧ (⌒\|__./ ./
( ´,_・・`)目合わせるなって ∧_∧
. _/ ヽ \ ( ) な?遺伝子厨が来ると一気にトンデモクソスレになるだろ? 1000年以上前のことは、
こんな話もありましたで良いんじゃない。
誰も見てないし、 徐福=神武天皇はある意味
真実をついている。
最新のDNAを使った研究により
日本の稲は従来言われていた
朝鮮半島ルートではなく、
直接中国大陸から伝来したことが
あきらかになっている。
これは最新のDNA研究に基づく
ものである。
これは稲作に関わりの深い天皇の
先祖が、半島からではなく、
中国大陸から直接渡来した
可能性を示している。 調査サンプルに詐欺トリックがあるペテン師のサギー佐藤なんか支持している考古学者も
他の農学者もいない。
サギー佐藤以外の農学者や考古学者はみんな稲作は朝鮮で一致している。
稲作が中国からなんてもう0.1%の可能性も無い。
諦めましょう。 蓼科山の双子池には徐福の双子の子供が遊んでいたって伝説があるな。 >>138
そんなもの命懸けの航海に
載せて来れるか! いつものご都合主義w
アジア人って何でいつも結果ありきなんだろ 中国人たちの妄想だったものが江戸時代に日本にも伝わったフィクションで、
徐福集団を証明する証拠遺跡もその生活痕たる証拠土器や石器も一切皆無のため、
考古学的には何も立証できない単なるフィクションである。 >>161
今年中国で徐福のドラマが放映されるそうである(実に喜ばしい 中国人の恥ずかしい妄想から生まれた単なるフィクションというのが真相。 徐福の一団はいくつかの船に別れて出港した。
徐福本人がたどり着いたというよりも、ほとんどが嵐で難破して、かろうじて生き延びた
何割かがばらばらになって各地に漂流してたどり着いたのだろう。
神武は関係ない。 アナタ タイワン カエル カエル
タイワン カエル カエル カエル
アナタ ニホン デテク デテク
ニホン デテク デテク デテク 昔の天皇の平均在位年数は11年ぐらいだから、
4世紀末に即位した応神天皇を基準に十五代
遡ると、神武天皇は2世紀末〜3世紀初頭の
人物になる(こんなことを言わなくても皇紀が大嘘
であることぐらいほとんどの日本人が知っている)。
徐福が日本に渡来したことが史実であっても
それは神代の出来事であり、神武天皇より400年も昔のこと。
始皇帝と同じ時代の徐福が始皇帝より800年後の推古天皇から
数えて21代前の人物であるはずがない。 >>170
そんなに短い期間しか続かなかったのは、皇太子が若年であるとか、高齢での即位だったとか、
摂関や豪族の力が異常に強く圧力に屈したとか、そういった事情がある場合。
推古天皇は35年。その父、欽明天皇も32年
聖武天皇も桓武天皇も一条天皇も25年。
醍醐天皇33年。
大王の力が強かった継体天皇より前の時代は、50年、60年続いた天皇もいた。 >>171
崇神天皇は4世紀初め頃の人物だった可能性が高い。
物部・中臣・鴨・三上祝など各系図との比較で
初代の神武天皇から第10代崇神天皇まで6世代と推定される。
神武天皇から数代の天皇は大和平野の一豪族家でしかなく
力は強くなかった。第12代景行天皇なら25年ぐらい
第15代応神天皇や第16代仁徳天皇なら30年ぐらい在位した可能性があるが、
即位したときの年齢は若かった。大王は50歳生きたら長生きなほう。
継体天皇より前に50年や60年も在位した天皇はいなかった。 神武天皇から応神天皇までその通り15世代とし
一代平均20年在位したとしても神武天皇は西暦1世紀の人物になる。
辛酉の年に即位したというなら西暦61年が一番理想的だろう。
応神天皇が即位したとされる庚寅の年は西暦390年だろう。
応神天皇が継体天皇の五世代前なら十分ありうる。
となると神武天皇即位は徐福伝説より270〜300年ほど後の出来事である。 あ、神功皇后もちゃんと一代として数えてるからね。
神武天皇即位から応神天皇即位まで
神武天皇が2世紀末〜3世紀初頭の人物なら一代平均13〜14年、
神武天皇が1世紀半ばの人物なら一代平均21〜22年ぐらいかな。 >大王は50歳生きたら長生きなほう。
これはウソ↑。
昔、大王、豪族、そしてその親族は、非常に大事にされ守られた。
食事もはるかに栄養バランスが良かったので、昔の支配階級は非常に長生きしていた。
医療だけは乏しかったので、天然痘など流行病、感染症にかかった場合だけはかなり若年で
崩御したけど、そういうことでもなければ皆長生きしていた。
病気も事件も何もないのに70まで生きなかった天皇などいない。 仮に長生きする傾向があったとして、大王が日本書紀みたいに
70歳や80歳でできた子ども(末子継承?)に跡を継がせる理由
が分からない。幼君が即位したら家臣にお家を乗っ取られるぞ。 >>176
70や80でできた子供に継がせるのではなく、
50や60でできた子どもが、そのころ20歳前後の、皇位継承適齢期になっているということでしょう。
もしくは姉弟、従弟、孫ということもあるだろう。
宋書倭国伝にもこう書かれてる。「讃死弟珍立遣使貢」「倭國王興死弟武立」
そこそこ高齢で崩御した兄から皇位を継承した弟は、おそらく高齢での即位故、
そう長くはいられなかったはず。 推古天皇のように皇族でも女性は長生きする傾向があっただろう。
しかし日本書紀で450年生まれで82歳生きたと書かれてる継体天皇が
古事記では485年生まれで43歳没であるように現実の大王は短命なんだよ。
継体天皇が孫の推古天皇と104歳も離れていたという日本書紀より69歳ほど
離れていたという古事記のほうが信頼できる。
継体の寿命がこれぐらいだと仮定するとその後の安閑天皇や宣化天皇も
70代の老齢でなく30代の若さで亡くなったと考えられる。欽明天皇は
宣化天皇の娘婿だから即位したとき30代どころか10代だったことになる。
これで32年間在位しても45歳ぐらいだ。継体天皇が大和に迎え入れられて
まもない頃の誕生だと考えればそうなる。継体は決して即位して欽明が
生れた頃から18年近くも大和に入れなかったのではない。
なんで5世紀から6世紀にかけての天皇が60歳や70歳を超えたりするのか。
それは簡単な話で神功皇后を百何十年も前のヒミコの時代にもってきた影響
を引きずってるからだろう。 >>178
推古天皇の父、仁徳天皇は男性だ。
また、古事記は元明天皇におべっかを言うために編まれたものなので、日本書紀ほど
信頼できるものではない。
繰り返すけど、昔から大王、天皇は大事にされ、食事は非常に栄養バランスがとれていて健康的で、
感染症や流行病でもなければ基本70歳以上まで生きている。
70歳未満で崩御してる天皇は、病気か、何かの争乱に巻き込まれたのが原因の早世。
紫衣事件で有名な後水尾天皇も85歳まで生きてる。 徐福みたいな香具師は紀元前10世紀から
どんどけでもいる。 それが弥生。 応仁系皇統が断絶しそうな時に、大伴金村が、越前地方を支配していた大迹王(遠く
応神天皇の血を引く皇族で、複数の夫人との間にたくさんの子どもがいた)を
お迎えして即位させた。
その時すでに60歳近い高齢だった。
数多くいた皇子(皇女)達はすでに成人だった。 少なくとも天武天皇までは、
その時代に強権をふるっている豪族の決定によって、皇位も決まるような、
「大王」を中心に、中国の属国である「大和国家」だった。
天武天皇が初めて「天皇」を名乗り、中央集権国家「日本」を建国した。
天武天皇の先祖たちは、神武天皇にさかのぼるまで、<天皇>を名乗らなくても、
大和国家の君主として、「大王家」を存続させてきた。
天皇を名乗った天武天皇から後を見ればいい。
天武天皇以前の大王たちは、あくまで天皇家の御先祖の大王たちであり、それは誰にも否定できない。 >>179
>推古天皇の父、仁徳天皇は男性だ。
欽明天皇だろw 推古天皇の父が男性だから何なんだw?
>70歳未満で崩御してる天皇は、病気か、何かの争乱に巻き込まれた
>のが原因の早世。
>紫衣事件で有名な後水尾天皇も85歳まで生きてる。
奈良時代以降の天皇で70歳以上生きてるのは、光仁、桓武、陽成、
白河、後亀山、正親町、後水尾、明正、霊元、後桜町、光格、昭和、
そして今上陛下のほかにいたっけ?20代〜40代で亡くなってる天皇
がザラだぞ。しかも長生きした天皇でも50や60でできた子どもに
最終的に皇位継承させてるのって後水尾天皇だけじゃん。なんでそれ
を古代で一般化できるんだ? 天皇家つまり大王家の御先祖の誰が百年生きようが、百五十年生きようが、
それがどうしたというのだ?
そんなふうに文句ばかり垂れているおまえの先祖だって、150年生きたかもしれないんだ。 >>181
継体天皇が即位したとき老齢だったという説を
俺は>>178で否定している。安閑天皇や宣化天皇
が欽明天皇より40歳も年上だったら既にたくさん
妻や子どもがいただろう。安閑天皇が老齢で子ども
一人いないとか不自然だと思うんだよな。 ちなみに、明治30年生まれで、大正5年に、旧氏族で役人だらけのこの家に嫁いできた
私の曾祖母はいつも言っていた。家の一番奥に、100歳を超える怖いおばあさんがいて、
ことあるごとに奥の部屋から出てきては、家のものを怒鳴りつけていたのだそう。
嫁いできたばかりの頃、そのおばあさんが怖くて、祖母はしょっちゅう実家に逃げ帰って
いたそうだ。
祖母はこのあたりでは最も大きな商家のお嬢さん(今も祖母の実家は大きな会社を経営し
てる)で、甘やかされて育ったから役人の厳しくてけちけちした雰囲気が辛かったはずだ。。
それはさておき、大正時代でも100歳を超えるおばあさんが元気で、家族を怒鳴りつけて
いた。昔の人は早死にだというのは間違っている。
昔の人が早死にをしたのは、過酷な労働や戦争のせいであり、人の寿命が百年というのは、
源氏物語の中にも書かれている、いつの世も変わらない常識だ。 とにかくわが国の皇室の歴史は世界に自慢できるほど長い
のは確かだが、紀元前の建国とかあからさまな嘘は恥ずかしい。 >>185
武烈天皇も、愛する女性が他の男性と結ばれて、結局子を作らぬまま死んだ。
愛する人と結婚できないとか、結婚はできても子宝に恵まれないということはよくある話だ。
孝徳天皇も、姉の娘(姪)と形式上の結婚をさせられたけど、形式上の妻である姪をとても
大切に扱い、最後まで手を触れることもなかった。
人は年を取れば必ず子ができるものという考えは甘すぎる。
現代でも40歳、50歳になってもまだ子ができない人は多い。 聖武天皇と光明皇后はものすごく愛し合ったけども(少なくとも聖武天皇はものすごく
光明皇后を敬いその意のままに国を治めた)、二人の間には男の皇子が育たなかった。
女の子しか生まなかった天皇、男の子をたくさん生んだのに誰も天皇にはならなかった
という天皇は少なくない。 >>187
天皇制に基づく中央集権国家である日本国を、大和国家の大王たちが建国したのは7世紀のこと。
7世紀までの大和国家は、まだ中央集権国家ではなかったが大王を中心とする国家だったのは事実。
大和国家が神武天皇による建国であるという建国の物語は、何も恥ずかしいことではない。
それはこの優れた中央集権国家を治める天皇を権威づけるために書かれた歴史なのだから。
むしろ誇るべき歴史だ。 代々皇統を守りつづけた大王たちの中で、7世紀に皇位にあった皇極帝が、中央集権国家
を建設しようと思い立った。
弟や皇子たちの手を借りて、そうして皇極帝の夢は、最終的にかない、670年頃には、
「日本」と言う名の国が完成し大王のことを「天皇」と呼ぶことが決まり、とうとう701年、
現代まで続く天皇制国家が完成する。
670年頃までは天皇が「大王」と呼ばれていたし、まだ日本は「大和国家」だった。
それでも大和国家時代の大王たちこそが日本国を建設した事実は変わらない。
大和国家時代の大王家(皇室)のことは、宋書倭国電に登場する5世紀初め以後の大王たち
のことしかわからない。4世紀までの先祖のことは大王家に伝わる伝承でしかわからない。
ただ、はっきりしているのは、人には親がいて、親にはその親がいる。
5世紀初めの大王(おおきみ)讃の前にも大王がいて、その前にも大王がいたということ。
大王(おおきみ)の先祖が、いつから大和地方でそれなりの集団を率いていたのかは、
それはわからない。
伝承によれば、大和地方でそれなりの集団を率いるための即位を最初にしたのは神武天皇
だったということ。 天皇の系図だけに着目すれば神武天皇が紀元前の人物になる
可能性はきわめて低い。もし神武天皇が紀元前7世紀や徐福
が生きたとされる紀元前3世紀末の人物ならば記録に残った
大王の人数が不足しているということだ。
おい、聞いてるか自民党の山谷えり子。あんた民主党政権の
時代に参院決算委員会で枝野幸男に今年が皇紀何年で今の陛下
が何代目に当たるか質問しただろ。山谷、あんたは本気で大昔
の天皇が百何十歳生きていたとか信じているのか?
おい、枝野。お前もなぜそれは科学的におかしいと突っ込みを
入れなかったんだ。知りませんじゃねーんだよ。 >>1
で、徐福集団が渡来定着した事を証明する証拠遺跡と
その生活痕たる中国系土器と中国系農具は?
. 皇室に伝わる伝承のなかに、古代のお年寄りの記憶違いがあって、実際には紀元前3世紀で
あろうと、紀元前1世紀であろうと、そんなことはどうでもいいんだよ。
伝承なんだから。 とりあえず、神武天皇の時には、大和を本拠地に決めたばかりの小集団であった
倭の国が、紀元421年には、日本列島の諸集団を代表するほど大きな国となっており、
朝鮮半島でもある程度の影響力を持つほどに成長していたことが『宋書』の中に示さ
れている。
まだやっと大和を本拠地に定めたばかりの神武天皇は、おそらく紀元前660年頃だと
計算する人がいても、紀元前300年頃だろ、という人がいても、この日本国を建設した
のは、倭王讃の子孫である皇極帝らなのだから。 沖縄でも、琉球王国の最初の王は、源為朝の息子だという伝説がある。
源為朝と言うのは、源氏(清和天皇の子孫)。日本国の天皇の子孫が琉球王国を
建てたのだ、という伝承は、琉球王府の権威を支えた。
秦の始皇帝の命を左右した人が、日本国を作ったのだと言えば権威になった時代が
あったのでしょうけど、あまりにも突飛な印象を受けます。 徐福は古代中国における、もっとも有名な詐欺師、盗っ人である。
方士であって日本においても王になることは目指すことはない。
対馬、隠岐、壱岐、五島、済州島などで船大工、海運商にでもなったと思われる。
隠岐だと出雲と同じだけどね。 これだろ? >>197
源為朝も、古代日本における、もっとも有名な乱暴者(犯罪者)で、朝廷(天皇)から
追討を受けたとされる。
そんな死刑になったキチガイの暴れん坊が、王を目指すことはありえない。
それでも、その為朝の子が琉球初代王と言われている。
本国から逃げた極悪人が、近隣の国で王を名乗ることは大いにありうる。
可能性はゼロではない。 でも、面白行っちゃあ面白い仮説だな。
へぇ、あの秦の始皇帝をだまして、最終的には秦を亡ぼすにつながったともいえる、
あの詐欺師(不老不死の薬があると始皇帝をだまして国家運営を怠らせた)が、
神武天皇だった、か。。。
紀元前6世紀だか紀元前3世紀だかの神武天皇の性格や人格やそういうものはべつに、
紀元7世紀の天皇制国家建設とはまったく関係がないんだから。
紀元前3世紀の徐福が神武天皇であったとしても、
7世紀の、独立国日本国の誕生までは、千年ほどの差がある。
徐福が神武天皇であってもなにも問題はない。面白いだけだ。 てかさあ、紀元前に王権の存在を示すようなものが
日本で見つかったとしても、それが神武天皇の一族のもの
とは決めつけられないよね。天皇家が日本最初の王家とは限らないのよ。
弥生時代の豪族たちが神々とされた可能性もなきにしも非ずだ。
日本国を作った人が神であればイザナギを指してるかもしれないし
オオクニヌシを指してるかもしれない。神武天皇が国見をする話で、
イザナギとオオナムチ、ニギハヤヒが日本国を讃えている記事
がある。この三神(三人)が神武天皇が大和に来る以前のその地の
支配者だったのだろう。どの神も天皇の系譜と繋がってくる。
日本には天皇家より昔オオナムチという支配者がいたから皇祖神が
その神から国を取り上げる神話を作らざるを得なかったのかもしれない。
国譲りは神話上の虚構に過ぎなかったから、天孫降臨の場所が九州の
田舎になり、神武まで3世代を過ごすという妙な話の展開になったのだろう。 だいたい古代中国の王を象徴する鼎と龍が両方とも伝わってないじゃないの。
徐福が神武天皇だなんて2億%ないね。 >>201
徐福は皇族じゃないでしょ。王朝に伝わるものを持っているはずがない。
命からがら逃げたわけでしょ。 ■ このスレッドは過去ログ倉庫に格納されています