徐福は神武ではなく、大国主命かホノニニギ、出雲王朝の蘇我氏の祖の誰かではないかと思われる。
学説ではあまり見かけた事がないが以下に根拠を述べる。

古事記の「因幡の白兎」と古代中国の司馬遷の史記や他の文献の徐福の記述にはかなりの共通項が認められる。

記紀においては編纂の指揮に当たった藤原不比等が藤原氏に不都合な箇所を意図的に改編をした形跡が複数箇所認められる。

特に国内豪族向けに編纂されたと言われる古事記にはおとぎ話のように寓話化された説話が多いが、
国書である古事記にわざわざ「おとぎ話」を載せると言う事は、
逆に寓話化せねばならなかった真実が眠っている暗示と読める。

そうした観点で「因幡の白兎」と司馬遷の「徐福記」を読むと非常に共通項が多い。「因幡の白兎」は天孫降臨以前の出雲族渡来の説話であったと解釈出来る。

まず「白兎」についてだが、方士であった徐福の先祖である徐氏は夏王朝の「兎」王の末裔だという。
兎王は「方士」の元祖と言われ「兎歩」という呪的歩法で黄河の氾濫を鎮めた等の伝説があるが、
その末裔とされる徐福もまた方士であったとされる。

「方士」とは今で言う風水士のような職能に携わる人の事で、鉄や銅は元より、当時不老不死の薬とされた水銀などの鉱物や薬草探索、
医術などを扱う職能であり、司馬遷はその徐福が三千人の男女を連れて旅だったと書いている。

これは「国土開発」「医者」「縁結び(三千人の男女)」などの多様な神格を持つ大国主命との共通点を示している。